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Sunday, November 03, 2013

そもそも天皇重視・特別視がいけないのです

(11月11日追記。いまにしてみれば日本国憲法公布記念日の11月3日にこの投稿を掲載できてよかったと思っている。この問題はまさしく戦争と圧制を乗り越えて得た日本国憲法の根幹の問題だからである。コメント欄もぜひ一緒に読んでください。)

山本太郎参院議員が天皇に園遊会で手紙を渡したことを保守からもリベラルからも「軽率」「とっぴ」などと言われているが、そもそもこれを「一大事」と言って騒ぐ姿勢自体に天皇を重視しすぎ、特別視する傾向が見られる。

「世が世なら不敬罪」という風に批判する人は戦前戦中の世、つまり天皇を「神聖にして侵すべからず」と定義した大日本帝国憲法の世に今でも住んでいる人、またはそのような世を懐かしんでいる人である。そのような言い分は時代錯誤なだけではなく、主権を天皇ではなく国民に置く日本国憲法に反する発言であり、そのような人間の言うことには一瞬でも耳を傾けるのではなくその違憲性を厳しく問う必要がある。

しかし「とっぴ」とか「軽率」とかいうリベラル派の評価の中にも「天皇に直接手紙を渡すなんて御法度!」的な態度があることは否めない。どうしてこんなに大騒ぎするのか。山本議員は「直訴した」とは言っていないのに「直訴」と報じるメディアが多い。足尾銅山事件についての田中正造の天皇への直訴と並べて論じる人がいるが、天皇の憲法における存在が全く異なる時代の行為と比べることには厳重な注意をしたい。

しかし一連の騒ぎを見て思うのが、日本人の意識における天皇の存在が、戦後の憲法における天皇の存在の変化についていけてないことであり、私はこれを一番問題視する。これは日本人の戦争に対する反省の欠如を、とくに大日本帝国の下にアジア全域にもたらしたおびただしい侵略と植民地化の被害、日本人を含む何千万人にもおよぶアジアの人々が天皇の名の下に服従させられ、殺し殺されたことを反省し、二度とこのようなことはしない、させないために新憲法においては天皇の政治的権力を剥奪し、人々の「象徴」として定義し直したことに対する認識欠如を反映している。

このように憲法で定義し直して天皇を温存したことが正しかったことなのかどうかの議論は別にして、日本人の意識の中ではいまだに天皇をはれものにさわるように扱っている。メディアが皇室の人について報道するときは他では絶対に使わない「・・・されました」といった尊敬語を使い、皇室のメンバーは赤ちゃんでも「さま」づけで呼ぶ。天皇の娘の清子さんは結婚して民間人になった途端に「さま」から「さん」になった。天皇家とその他の人間の間には大日本帝国憲法的な絶対不可侵のラインを引いているようにしか思えない。被災地訪問などでも天皇はつねに熱烈に歓迎されるべき存在として演出し、天皇を敬愛しない人のことは絶対に報道しない。全て日本人が乗り越えたはず、乗り越えなければいけない大日本帝国憲法の価値観を引きずっている行為である。

天皇に対する「陛下」という呼称も、宮殿の階段の上に相手がいて、臣下である自分は階段の下にいるという絶対的な身分差を示す言葉である。天皇を「天皇陛下」と呼ぶこと自体に違憲性はないだろうか。私はこのことに気づいてから天皇に言及するときに「陛下」という言葉を使うことは一切やめることにした。まあそんなこと言ったら「天皇」という呼称自体にも問題があるのだが。

私は、取沙汰されている「天皇の政治利用」よりも、天皇を上のような戦前戦中の大日本帝国憲法の枠組みで捉える動きの方を問題視している。天皇を重視しすぎるという意味では山本太郎議員が下の写真のように天皇に最敬礼する姿にも見られる。もちろん天皇に最敬礼するのは彼だけではないが。人間としての敬意を示すなら普通のおじぎでいいはずだ。憲法上平等な相手に示す姿勢ではない。


 
 
それを言ったら以下の4月28日政府主催の「主権回復式典」最後の光景などは目も当てられぬ、天皇を絶対化するような違憲的行為である。山本太郎議員の比ではない。4月の出来事であるが絶対に許し忘れることはせず遡っても厳しく追及すべき一件である。
 
 
これは国事行為でも何でもない。メディアは、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約で切り離されて米軍政下に取り残された沖縄からのこの式典に対する反対だけを強調したが、実際は国会議員は半数以上が欠席、都道府県知事も半数近くが欠席したという、国を真っ二つに二分した出来事だったのだ。安倍政権はそのような行事に天皇皇后を出席させただけでなく、二人が退場するときに何者かが「天皇陛下万歳!」と叫んだとき、上の写真に見られるようにそれに安倍首相以下主催者、列席者の大半が同調して二人の前で「万歳三唱」を行った。
 
くわしくは沖縄タイムス5月9日版に掲載された拙文参照。
 
歴史誤認識に満ちた「主権回復の日」式典
 
この式典は50分弱であったと記憶しているが、式典後しばらくは、その全てを記録した動画が官邸のHPで見ることができた。
 
しかし今日あらためて行ってみたら首相の式辞の部分だけになっていた。
 
全部の動画がアップされていた当時見たときは、問題の「天皇陛下万歳!」の部分だけが音声がミュートされていて、二度目の「万歳」から音がフェイドインされて戻っているのを見て、官邸は姑息な工作をするものだと思った。と同時に、「天皇陛下万歳」はさすがにまずかったと、最低限のうしろめたさを政府は持っているものだと思ったことを覚えている。
 
(11月8日追記。@hiloooooooooooo さんがこの「ミュート版」が政府インターネットテレビのサイトにあることを教えてくれた。「主権回復・国際社会復帰を記念する式典(全編)」http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg7853.html 問題の箇所は39:00あたりから見てください。)
 
今回の論争に参加することで「天皇重視・特別視」に加担することになると思いしばらくどうしようか考えていたが、山本議員の行為を批判する側にも擁護する側にも「天皇重視・特別視」があることにきづき、このような問題意識の下での発言がほとんど見られないこともあってここに書くことにした。
 
ついでと言っては何だが自民党憲法草案においては「国防軍」の設置や人権の制限などが問題視されているが、憲法99条の改変案を問題視する声が足りないのでこの機会に付け加えておく。
 
現行憲法99条: 
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 
自民党改変案102条: 
第百二条 全て国民はこの憲法を尊重しなければならない。2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

自民党改変案は現行憲法にはない、国民の憲法尊重義務を最初に持ってきて、憲法は国家権力の制限であるという立憲主義に反しているとの重要な批判があるが、この改変案は現憲法の主権在民の原理を根本的に覆す要素を含んでいる。それは、現行憲法では憲法尊重・擁護義務がある人のトップとして記されている天皇が、憲法尊重・擁護義務から免除されていることである。これは「天皇だけが憲法を尊重・擁護しなくてもいい」ということを示唆しており、これが意味することは、憲法により監視、制限する国家権力から天皇を除外し、天皇を憲法の上に立たせるという可能性があるからである。ということは、ときの政権が天皇の権威の名の下に憲法違反をやってもいい余地を与えてしまうのではないか。これは天皇を神聖化する第日本帝国憲法回帰の傾向がもっとも如実にあらわれている改変案であり、徹底的に問題視されなければいけない。@PeacePhilosophy
 
 

9 comments:

  1. 私も同意見です.ブログに書きました.(TBの代わりですみません.)
    「天皇であれ誰であれ,会った機会に手紙を渡すのは自然なこと」
    http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2013-11-03

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  2. 手紙ひとつもらっちゃいけない、なんて、天皇さんも気の毒ですよねえ。。。天皇夫婦、あのお人柄からして、原発や福島他の人がどうなっているのかは是非知りたいだろうし、国民がどう思っているか知りたいだろうし、何かしたいだろうと察するのですが、政治利用され、何も出来ないまま政府に管理されていて、本当に可哀想だと思います。まさに人権を奪われている天皇家族。「天皇万歳って言うのなら、本当に人としての天皇の幸せを考えてあげて!」と言いたくなります。今自民党が向かおうとしている先は、かつての天皇を名目として利用する摂関政治。天皇が祭祀としての「家業」を継がなきゃならないのは仕方ない部分があるのかもしれませんが、政治に利用され、全ての責任を被せられる形にされてしまうのは可哀想。「これ以上あの人達を苦しめないで!」と言いたくなります。

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  3. A.Saigo10:13 pm

    日本人の精神形質が如実に出た一件ですね。
    色川大吉曰く「自分達を超える絶対者を常に求める」人種なんだそうです、日本人って。
    (「ある昭和史―自分史の試み」より)
    だから時として、"菊タブー"がとんでもない形でその顔を見せる。

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  4.  私も「天皇重視・特別視がいけない」と思います。

     そもそも徳川時代に天皇は忘れられた存在だったわけで、「天皇信仰」は明治政府の布教活動のなせる技。つまり薩摩藩や長州藩は天皇を担ぎ出し、「現人神」に祭り上げ、天皇カルトに基づく支配体制を築き上げたということでしょう。

     天皇カルトを広める仕掛けの中心は学校で、1890年に発布された教育勅語がその「教義」だと言えると思います。子どものころに受けた刷り込みはなかなか矯正できないようで、信仰は親から子へと引き継がれているようです。宗教には礼拝が欠かせないようですが、マスコミの報道がそんな役割を果たしているような気もします。

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  5. ツイッター経由で、官邸HPでは削除されている「天皇陛下万歳」シーンが入っている動画がアップされているサイト情報です。

    2013.4.28【主権回復式典】天皇皇后 退席時の天皇陛下万歳
    http://nicoviewer.net/sm20760100


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  6. (複数のMLで回ってきた「反天皇制運動連絡会」の見解はたいへんまっとうな意見だと思いましたのでここに転載します。)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    山本太郎さんへの「手紙」──私たちの見解

    2013年11月6日
    反天皇制運動連絡会

     10月31日、秋の園遊会で、山本太郎参議院議員が天皇に「手紙」を渡したことが、多くの議論を呼んでいます。田中正造の「直訴」になぞらえて評価する声がある一方、政府や与野党を問わず、「政治利用だ」「非常識」「議員辞職もの」「なんらかの処分を」との声が相次ぎ、参院議院運営委が山本議員の「出処進退」をただした上で、近く「一定の処分」を下すとする騒ぎになっています。
     山本議員も述べたように、「主権回復の日式典」や「オリンピック招致」など、さんざん天皇制の「政治利用」を繰り返してきた、政府や議員連中が、山本議員へのバッシングという目的のために「政治利用」として批判を繰り返すのはきわめて醜悪であり、いわば「政治利用」の利用です。
     記者会見での説明によれば、「手紙」の内容は、「子供たちの被曝、この先進んでいくと本当に健康被害がたくさん出てしまう」「食品の安全基準という部分でもすごく危険な部分がある」「原発の収束作業員(が)……本当に劣悪な環境の中で、しかも、搾取されながら労働の対価というものを手にすることなく、命をはりながら、命を削りながらやっているにもかかわらず、健康管理とか放射線管理がずさんなままにされている実情」などを訴えたものであったとのことです。
     私たちは、これらの主張内容はまったくの正論であり、3・11以降の反(脱)原発運動に精力的に関わってきた山本議員が繰り返し訴えてきたことであることを知っています。しかし、そのような内容の文章であれ、それを天皇に渡すことでなんらかの政治的な効果を得ることを期待してなされた行為は、やはり誤りであると、明確に言わなければなりません。

     そもそも、「園遊会」とは何でしょうか。日本国憲法では、天皇の政治への関わりは、第4条において「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とされ、国事行為の内容は第7条に具体的に列挙されています。そしてそれらの行為も儀礼的・形式的な行為にすぎず、そこに記載されていない行為は、天皇としておこなうことはできないと解すべきものです。現実には、国会開会式における「おことば」や「地方巡幸」、「皇室外交」など、天皇の「公的行為」の名の下に、こうした限定を無視した政治的行為が積み重ねられてきていますが、それらは、天皇の政治的権能を拡大する違憲の行為です。
     天皇主催による「園遊会」は、天皇が単に私的に友人を招いたりするようなものではありません。それは、各界で活躍する「時の人」を集め、それらの人々に天皇と皇族が「ねぎらい」の声かけをして回る儀式であり、それらの人を束ねる天皇という像を写しだすことで、天皇の権威を強化しそれを広く受け入れさせる、きわめて政治的な場になっています。それは何ら法的な裏づけもない儀式であり、いわば、制度としての天皇を、個人としての天皇が自らの権威付けのために「政治利用」しているとさえいえるのであって、このことこそがまず批判されなければなりません。

     こうした場で、天皇に対して「手紙」を渡すという行為は、天皇の権威を前提としたものであり、そのような天皇制の容認です。さらに、権威を持つ天皇への「手紙」とは、結局天皇に対する「直訴」であって、民衆の自己決定としてなされるべき政治を、すすんで支配者の側の「温情」に委ねる行為でしょう。原発事故に行き着いてしまった戦後日本の社会的な歪みも、こうした「お上」に対する負の民衆意識に根を持ってはいないでしょうか。
     私たちは、天皇制という制度自体がいらないと主張します。国家の制度としていえば、民主主義の原理と、血統のみに依拠した世襲の非選出勢力の存在は、矛盾すると考えます。象徴天皇の役割とは、端的に言って、ときどきの日本国家のありかたに「正当性」を付与するものであり、それ以外のことはできないのです。したがって、「国策」として推進された原子力発電所づくり、原子力エネルギーによる社会発展政策をも正当化してきたことになります。そのような天皇制が、そもそも非政治的な存在であるはずはありません。
     これらの点で、私たちは、象徴天皇制を掲げた日本国憲法を無条件で擁護する立場には立ちませんが、安倍自民党によって「元首天皇」を明記した改憲策動が進もうとしている今日、改憲反対のための闘いが急務であると考えています。そのためにも、天皇制の強化に力を貸すようなことは、断じてするべきではありません。
     一方で私たちは、山本議員の今回の行為が、議員資格を問われるに値する行為だとも考えません。「園遊会」自体が法的な裏付けのないものであり、参加者個人が天皇個人に私的に手紙を渡すことが、なんら違法行為でないことは明らかです。天皇への請願であれば宛先は内閣だ、などという批判もありますが、請願法の趣旨からすれば、天皇から内閣にそれを送付すれば済むことです。
     山本議員に対する批判の多くが、「政治利用」を云々しながらも、実は旧態依然たる天皇感覚のもとでの「不敬罪」意識に基づいたものであることは、一連の発言からも明らかです。そうした立場から山本議員を批判し、さらにはなんらかの処分を主張することを、私たちは決して許してはなりません。それ自体が天皇制タブーの強化であるからです。

     天皇制の強化につながるあらゆる動きに反対するという立場を原則として、私たちは声を発し続けていきたいと思います。

    = = = = = = = = = = = =

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  7. 週間金曜日の成澤宗男さんよりコメント:

    「今日の支配秩序に組み込まれている天皇意識は、薩長の権力者が作ったいわば官製新興宗教です。いつまでそんなものに、人々はだまされているのか。」

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  8. 11月6日、このような報道が。

    山本太郎氏「陛下の御宸襟を悩ませた」と反省も辞職否定

    http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/11/06/kiji/K20131106006956470.html

    山本太郎氏は
    「ボクが陛下にお手紙をお渡ししたことによって、大きな騒ぎになってしまった。陛下の御宸襟(しんきん)を悩ませることになってしまったことは猛省する」と「神妙な表情で陳謝」したという。

    御宸襟!!!「ごしんきん」???一体なんじゃこりゃ?この報道の注釈によると

    「◇宸襟(しんきん) 広辞苑によると「天子(天皇)の心」の意味。通常、「宸襟を悩ます」の表現で使い、天皇陛下のお心を煩わせること。 」

    だそうだ。報道側もこんな言葉ほとんどの人が聞いたことなかったに違いない。記者会見で太郎氏の言葉を聞きながら慌てて辞書を見る記者たちが想像つく。

    太郎氏はこう言えば許してやると狂信的右翼(国会議員にも一杯いる)に脅されて言わされたのだろうか。

    人間として人間に手紙をわたした、その筋を通すこともできずに、天皇の神格化という違憲行為に加担しないと国会議員であり続けることができない国なのか、日本は。恥ずかしい。こんな国の有権者でありながらこの異常さを是正できていない自分も恥ずかしい。

    そしてどうして国会の護憲派たちはこの違憲的太郎バッシングを批判することによって日本国憲法を守る態度を明らかにしないのか。

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  9. ↑「憲法を守る」とは、憲法の根幹である「主権在民」の原理ことである。「主権在民」とは「民主主義」とおなじと思っている人が多いようだが違う。憲法成立過程からも日本国憲法における「主権在民」の意味は「天皇ではなく民に主権がある」ということである。

    日本国憲法制定時日本政府とGHQの間で一番もめたのはこの主権在民(天皇の絶対主権を取り除き主権は民にあるとすること)と男女平等の2つであった。天皇を特別扱いし、普通の人の上にある存在として扱う人々はいまだに大日本帝国憲法の中に生きているということを厳しく内省する必要がある。

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