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Monday, November 18, 2013

「神風特攻隊」の真実を語り継ぐ: 相星雅子

「神風特攻隊」。太平洋戦争末期、すでに負けが決まっていた戦争において10-20代の未来ある若者数千人を無謀な自殺攻撃に追い込んだこの犯罪的な戦略を生み出し遂行した当時の軍部の責任を問い続けることは、現代のコンテクストにおいても非常に重要なことである。なぜならば今、自らは安全な場所にいながら老害をばらまき、「愛する人のために」などとのスローガンで若者をだまして再び戦地に送り込もうとしている人間たちが、国会をはじめとした日本の権力中枢部にひしめいているからである。さまざまな日本の再軍国化政策を推し進めながら、自らの命を危険にさらして人の命を救う一般人の行為を国家的顕彰の対象にしている安倍首相こそがその急先鋒であると言える(参考:10月8日「踏切で人を救った後逃げ遅れて死亡した女性の国を挙げての英雄化はおかしい」)

昨年8月、特攻の記憶を「知覧特攻平和会館」などで展示している鹿児島県の知覧を訪れたときに、特攻の記憶を美化するのではなく正しく継承しなければいけないとの問題意識を持って調査・執筆活動をしている相星雅子(あいぼし・まさこ)氏に会うことができた。広島長崎日米学生の旅などで共に活動してきた鹿児島大学で平和学を教える木村朗(きむら・あきら)氏の紹介による。そのときに相星氏から受け取った原稿を、ブログ掲載していいと許可をもらっていたものを遅くなってしまったがここに紹介する。

ちなみに2012年8月28日にNHKの「クローズアップ現代」は特攻の特集番組「なぜ遺書は集められたのか-特攻 謎の遺族調査」を放映した(動画がここにある)。それは、戦後すぐ、旧海軍の支援を受けた民間人が全国の特攻兵の遺族を訪ね歩き、意識調査を行いながら、特攻兵の家族への遺書を1000通以上も回収して、それらが蔵入りしていたものが広島・江田島の海上自衛隊第一術科学校から発見されたという驚くべき内容である。番組では「回収」という言葉を使っているが、家族に返されなかったのだから「奪った」のも同然である。この相星氏の文章にもあるが、特攻兵たちが遺した言葉の中から戦争正当化に都合のいいものだけを選りすぐって展示したり出版されたりしてきた傾向があるようだ。隠蔽された特攻兵の無念と悲しみの声を、今こそ白日の下にさらす必要があるのではないか。 @PeacePhilosophy

★写真挿入と写真のキャプションはブログ運営人によるものです。

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真実を語り継ぐ 


相星雅子


(1)特攻とは何かをご存知でしょうか。
相星雅子氏

第2次世界大戦当時は、ミサイルのようなものはなかったので、遠距離の地を爆撃するとなると、人間が飛行機で現場に行かなければなりませんでした。しかも、戦争末期になると、日本にはもうろくな飛行機は残っていなかったし、数も乏しくなっていました。

そこで考えられたのが特別攻撃=特攻でした。飛行機に250キロ500キロの爆弾を搭載して目的地へ飛んで行き、空母艦や戦艦、駆逐艦などに体当たりするのです。ですから自らも木っ端みじんに砕けるのであり、生きて帰ることはできません。日本軍はこの冷酷無残、非人道きわまりない犠牲を若者たちに求めたのでした。

沖縄まで2時間あまり、特攻機には片道分の燃料しか給油してありません。飛行機が老朽化していたし、特攻の行われた4月から6月にかけては南の海上は天候も不順でしたから、故障や航空状況を理由に引き返す者もいました。天候異変や機体故障で引き返すなら、1時間以内に戻りはじめなければ、途中の島に不時着するか海上に落ちるしかない状況でした。確実に任務を果たすために出直しを決意する者に対して、迎える側の心情態度は冷ややかでした。
特攻平和会館に展示されている零戦。
昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、
水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町
(当時)が昭和55年6月に引き揚げたもの」であるという。

(2)知覧特攻平和会館には、特攻隊の青少年たちの遺品や、出撃の前に書いた遺書や手紙が展示されています。それらの遺書や手紙には、「笑って出撃します、天皇陛下万歳」とか「皇国のために命を捧げるのは男子の本懐」「この御世に男と生まれ(天皇の)盾として散るのが嬉しい」などと、忠義心を示す勇壮な文句が書いてあります。

会館内での説明はどうでしょうか。会場に入ってすぐのところで説明用のレシーバーを貸し出していますが、例えば、突撃前の友達ふたりが話をして笑いあっている声(無論声優による再現)がレシーバーから流れ、それについて、彼らは死を前にこんなに余裕があったのだというような解説が述べられます。美しい毛筆の遺書の主については、「まだ××歳の若さで見事な字を書いている」と褒めたたえるだけ。決して「すぐれた書道家になっていたかもしれないのに、夢も未来も断たれて酷いことだった」とは言わない。ただただ、賛美一辺倒なのです。しかし、彼らは本当に喜んで、あるいは使命感だけを胸に飛んで行ったのでしょうか?決してそうではありません。私たちはいまも、彼らのたくさんの苦しみの跡を知ることができます。

相星氏が鳥浜トメさんへの取材をもとに
書いた本。高城書房、1992年。
特攻の母と言われた鳥浜トメさんの経営した富屋食堂の二階座敷の柱には、無数の傷があったそうです。出撃の決まっている隊員たちの心に秘めた苦悩と焦燥が、彼らに竹刀を握らせ、力任せに柱に切りつけるという行動を取らせたのです。彼らの中には諦めきって敵機がきても防空壕に逃げない者もいたし、村の人達の証言では、闇にまぎれて醤油を貰いにきた特攻隊員もいたそうです。醤油を多量に飲むと心筋梗塞のような症状が強く出て、出撃延期となるからです。御馳走も喉をとおらなと断った隊員、国民学校に通う知覧の子らに「きみたちは戦争に間に合わなくてよかったね」と話しかけた隊員。酒を飲み軍歌を歌って心を紛らわせ、あるいは高揚させ、あるがままの率直な感情にとらえられないようにしていた痛ましい姿。いろいろな事実から彼らの味わった凄絶な苦しみが浮かび上がってきます。


よく探せば知覧の平和会館の展示物の中にも、こんな手記が混じっています。


*今年の春は、春ではあるが、我らには死んだ春だ。

*あらゆる感情を入れずに生活したい。

*夜遅く、転進の報を聞く。何回もまな板の上にあげられたり下ろされたりするのは好かない。ひと思いに殺してもらいたい。命の切り売りとはこれか。生きたくもないし、死にたくもないし。考えるのもいやだ。

*世の中にはわからないことばかりさ。おれは生きてきた。そして今も生きている。これからも生きねばならぬ。いやなことだ。死なるものがどうして恐ろしいのだろう。わからない。
特攻兵たちが寝泊まりした「三角兵舎」の復元。

*起きると、その一日がおわってしまうような淋しい気がして床の中から出られない。午後2時航空司令官川辺大将、55振武隊視察にこられる。死んでゆく身に大将が面会に来ようが乞食が来ようがなんら変わらない。

*自己の予期せぬ死は容易であるらしいが、死の期日を決められることはつらいことだ。捨て鉢な気持ちになる程馬鹿でもなければ、心の動揺を感ぜずに過ごせる程修養もできていない。一番忍耐を必要とする悪条件下に身を置いている。悲しいとか、淋しいとか、苦しいとか等の言葉では表現できるものではない。あと一週間足らずだ。曲がらぬ様静かに過ごさねばならない。
彼らは本当に苦しみました。肉体の死を迎えるまでに、何度も心に死を迎えなければなりませんでした。人間をこれほどまでに苦しめる戦争を二度とやってはいけないと思います。


特攻平和会館敷地内にある特攻兵の像と、映画撮影
に使った零戦のレプリカ。
(3)そんなにも苦しみながら、彼らはなぜそれを押し隠して行ったのでしょうか。
  1. 戦争を遂行するに必要な徹底した思想教育が行われた。例えば国民学校では、奉安殿とういものが設けられ、御真影=天皇の写真と教育勅語がまつられていました。習う科目はすべて天皇のしもべであるという「臣民教育」が柱でした。修身=国民道徳(臣民道徳)の実践指導を通じて皇国の道義的使命を自覚させる。国語=国民的思考感動を通して国民精神を涵養する。国史=皇国発展の跡を学び八紘一宇の歴史的使命を感じさせる。地理=国土愛護の精神を養い、東亜及び世界における皇国の使命を自覚させる。理数科=科学の進歩が国家興隆に貢献する所以を理解させるとともに、皇国の使命を考え、文化創造の任務を自覚させる。体練科=身体を鍛錬し精神を練磨して献身奉公の実践力をつけさせる。
  2. 新聞は官憲によって統制され、報道の自由はありませんでした。戦争は聖戦としてすべて正当化され、戦果が誇大に書き立てられる一方、戦禍の実態は隠され、あるいは細微なものとして小さく報道されました。雑誌その他の発刊物などもこぞって戦争を美化し、正当化し、翼賛記事を垂れ流した。少年倶楽部というような子どもの雑誌には、われらは皇国の子、鍛えよ皇国の体、僕等強ければ国強し、僕等も今に兵隊さんなどというスローガンが書かれ、巻頭言には、天皇の赤子であることのありがたさ、いま日本が正しい世界建設のために戦っていること、子どもはやがて大樹となってその使命をになう若木であることなどが、高揚した文で書かれていたのです。
  3. 日本人には「空気」に左右されやすい気質が多分にあります。「非国民」「国賊」などと言われることを恐れ、恥をかくまいとする。内心では戦争などいやだと思ってもその気持ちは、周囲や体面を気にして、発言されることはなく、それがまた「空気」をいっそう強めていったのです。
特攻平和会館のすぐ側にある、靖国神社の
地方版といえる護国神社。
(4)特攻平和会館に欠けているもの

恒久の平和を願う者の一人として私が心配するのは、平和特攻会館では、日中15年戦争からの流れが示されず、国が若者たちを死に追いやった事に対する反省の視点がなく、ましてや、このような残酷な歴史を繰り返さないという言葉もないことです。言葉が足りないのです。特攻隊の壮烈な行為のみが切り取られているここは、まかり間違えば、再びの戦争の聖地にさえなりかねません。真実を語り継いでいきたいものです。



(以上、2012年8月11日に相星雅子氏より受け取った原稿)

2 comments:

  1. 櫻井春彦11:32 am

    私の知り合いに特攻隊の隊員だった人がいました。出撃したのですが、「エンジンの不調」ということで不時着し、生きて帰ってきたそうです。同じ隊に大学の先輩がいて、「水杯には覚醒剤が入っているから飲むな。飲んだふりをしてこぼしてしまえ」、そして「不時着できそうなところを見つけたら故障だと言って不時着してしまえ」とアドバイスされ、生還できたそうです。

    私が小学校の低学年だった1960年代の半ばでも、特攻隊を「かっこいい」と思っていた子どもが多かったと思います。なぜなのかよくわからないのですが、1963年創刊の週刊少年キングに「0戦はやと」という漫画が連載され、64年にはフジテレビで放送されていますので、そうしたことも影響しているのかもしれないと思いますが、決定的な理由がわかりません。

    特攻隊を編成する上で重要な役割を果たした源田実が戦後、要職に就き、航空自衛隊の創設にも深く関与していることを考えると、日本社会が戦争を反省していなかったのでしょう。日本で非武装の市民を焼夷弾で焼き殺し、ソ連との核戦争も目論んでいたカーチス・ルメイも航空自衛隊の育成に協力したということで「勲一等旭日大綬章」を授与されたそうです。航空自衛隊は源田とルメイ、日米の碌でもない人物が創設に関わったわけで、その本質を示しているとも言えそうです。

    櫻井春彦

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  2. 「回天」の展示は靖国の博物館で見て大変暗い気持ちになりました。飛行機で飛び立つ航空隊に比べ恰好よくないので英雄視されないのでしょう。また、「命中」しなかった場合(ほとんどの場合)、暗い狭い潜水艦の中に一人、なくなっていく酸素の中で絶望感と共に死んでいくというあまりもの悲惨さに、美化したい人も美化できないほどの残酷さがあるからでしょうか。航空特攻で死んだ人たちは激突で即死がほとんどでしょうからこれも「玉砕」的で美化したい人たちにとって心地がいいのでしょう。山口・周南市の大津島に回天の資料館があります。http://www.city.shunan.lg.jp/section/ed-sports/ed-shogai-bunka/kaiten/
    これは知覧に比べたらほとんど記憶の闇に葬り去られているような場所と思います。

    しかしこのクローズアップ現代を見ると、占領中は特攻は日本の軍国主義の象徴
    のように言われ評判が悪く、遺族も肩身の狭い思いをしていたとの表現がありま
    す。特攻兵やその遺族たちは被害者と言えるもので肩身の狭い思いをする必要は
    ないと思いますが、特攻自体のイメージが悪かったのは正しいことと言えます。
    それがどうやって歴史修正主義者たちによって塗り替えられていったか研究の価
    値がありますね。櫻井さんがおっしゃるテレビ番組なども含めて。
    http://www.youtube.com/watch?v=E514MKmQ8mI

    源田実のことは知らなかったです。ルメイのことは知っていましたが。日本中を空襲で焼き尽くした男が戦後航空自衛隊を育てて勲章もらってるんですからね、これに何にも言わずにキャロライン・ケネディー大使就任でキャーキャー言っている現代日本人の属国根性はまあ呆れたものとしか言いようがありません。

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