被爆後80年、広島県朝鮮人被爆者協議会による「朝鮮半島出身原爆被害者を追悼する会」が8月2日、広島で初めて開催されました。朝鮮新報の報道「被爆80年、広島で朝鮮人被爆者追悼会を初開催」をはじめ、マスコミ各社も報道しました。(共同、朝日、毎日、中国など)
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8月2日広島で開催された「朝鮮半島出身原爆被害者を追悼する会」(Quena Kim Hrs さん提供) |
朝鮮新報の報道を一部抜粋します:
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)が主催する「朝鮮半島出身原爆被害者を追悼する会」が2日、広島市留学生会館で行われた。朝被協主催の追悼会は初。ここに総聯広島県本部の呂世珍委員長、朝鮮人強制連行真相調査団の陳吉相事務局長をはじめとする同胞、日本市民など110余人が参加した。
朝被協の推計によると、原爆が投下された1945年8月6日当時、広島市内にはおよそ5万3千人の朝鮮人が居住しており、3万人が命を落とした。かれらは日本の植民地支配下の朝鮮から、生活の糧を求めて日本に渡ってきたか強制連行された人々だった。しかし、県内にはすべての朝鮮半島出身原爆被害者を追悼する碑は存在しない。平和記念公園内(広島市)には「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が存在するが、朝被協と総聯県本部はすべての朝鮮人被爆者を追悼する碑を建立し、そこで追悼会を開くことを目指してきた。しかし、未だ実現には至っていない。被爆者が高齢化するなかで、「これ以上先延ばしにできない」(朝被協・金鎮湖会長)という判断の下、被爆80年を迎える今年、初となる追悼集会の開催に至った。
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残念なことに、このような意味深い朝鮮人原爆被害者追悼の会に招待された広島被団協(広島県原爆被害者団体協議会)の理事長による挨拶は、「心ない」としかいいようのないものでした。
これについて、広島にお住まいのQuena Kim Hrs さんがFacebook で公表したスライドショーここに紹介します。このブログ運営者、乗松聡子のコメントも使ってくれました。URLは: https://www.facebook.com/watch/?v=757526723330814
「1945年8月6日午前8時15分広島市、8月9日午前11時2分長崎市に、人類に向けた最初の原子力爆弾が3日間隔で投下された。その結果、死傷者が数十万名に至ったが、そのなかには日帝の植民地下に故郷を離れてきた数多くの朝鮮人農民と日本の軍需工場に動員された朝鮮人徴用工もあり、日本軍の捕虜として送られた連合軍の兵士もいた。朝鮮人原爆被害者は概ね広島5万人、長崎2万人に至ったが、そのなかで約4万人は1945年を越すことなく死亡し、残りの3万名中23000余名が帰還していたことが推測される。全体の原爆被害者の約1/10に該当する朝鮮人の死亡は57.1%であり、全体の33.7%に比して非常に高い。日本は二つの都市における惨状を大々的に広報し、反戦平和を全世界に訴えている。反戦平和は、人類共通の普遍的価値である。しかし、誰が言うかによりこの意味合いはかなり変わる。日本は反戦平和を叫ぶ前に戦争加害に対する痛切な反省と共にその事に対する責任を負う姿勢を見せなければならない。」
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