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Sunday, May 07, 2017

「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長・高實康稔さんを偲ぶ Remembering Yasunori TAKAZANE, director of Oka Masaharu Memorial Nagasaki Peace Museum

尊敬する「岡まさはる記念長崎平和資料館」の高實康稔(たかざね・やすのり)理事長が4月7日亡くなったときき、4月28日、長崎を訪ねました。父方のルーツのある長崎は私にとって特別な場所でしたが、ここ10年は、アメリカン大学&立命館大学「広島・長崎平和の旅」の通訳・コーディネーターとして8月7-10日は長崎で過ごしてきました。長崎原爆の朝鮮人被爆者問題をはじめ、大日本帝国の侵略と植民支配の歴史をつづる「岡まさはる資料館」は私たちの旅の参加者50余名は毎年訪れ、広島・長崎の原爆とその被害を、大日本帝国の歴史全体の中で理解する試みをしてきました。8月9日の朝は、長崎市の式典の前に長崎原爆朝鮮人犠牲者の追悼碑の前で開く「早朝集会」では高實氏はいつも入念に用意したスピーチを行い、その内容はこのブログでも紹介してきました(昨年のものはここ)。今回長崎新聞に対して話した問題意識も、高實さんと「岡まさはる資料館」から学んだことがあればこそのことです。長崎を訪れる人は、長崎駅から歩いていける、有名な「二十六聖人殉教地」のすぐ近くにある「岡まさはる資料館」をぜひ訪れてください。2013年オリバー・ストーン監督が訪れその重要性を実感、「東京にこそこのような資料館があるべきだ」と言っています。5月7日には、高實さんとの「お別れの会」が長崎市内で開かれ、250人の人が集まったときいています。そこで読まれたストーン監督のメッセージは
私達の長崎の歴史家が逝ってしまったことを聞いて悲しく思います。高實さんは素晴らしい方で、私達全員にとって手本となる人でした。謙虚な方であったことを記憶しており、私たちが岡まさはる資料館に行ったことを高實さんが高く評価してくれたことを聞いて光栄に思います。 -オリバー・ストーン
以下、5月6日の長崎新聞に掲載された私のインタビューを長崎新聞の許可を得て転載します。


1 comment:

  1. 小林はるよ9:06 am

    ヨーロッパという地域が、お互いのあいだで戦争をくりかえしてきたことは、「世界史」で習うところです。けれどお互いのあいだでやっているうちは、戦争は、いわゆる国境紛争です。ヨーロッパが中東やアフリカなどの「外地」に軍を送り始めたとき、侵略戦争が始まりました。国境紛争においては、争う双方の住民が加害も被害も、我が身の事として経験することになります。けれど、侵略戦争の場合、侵略先は、「外地」ですから、戦場にならかった侵略側の人々は、侵略先の人々の悲惨、被害を目にすることがないばかりか、あたかも侵略先に非があったから侵略したというように、侵略を合理化する、侵略者の宣伝に同一化することになります。

    日本人が自己の加害者性を意識できない理由は、日本が明治期以降してきた戦争が、欧米諸国に倣ったまさに侵略戦争だったからです。侵略戦争だったから、日本人にとっては戦争とは「外地」でするものになりました。

    今多くの日本人が現内閣の方向性を支持したり、やむなしと思っているとしたら、どうせ戦争は「外地」でするのものだから、「外地」であるものだからと思っているのでしょう。というか、そこまで考えている人が多いかどうか。多くの日本人にとっての「内地」とは、じつは、自分の家の中だけなのかもしれません。

    私もその一員である日本人には、自分の家族や趣味の領域 から一歩でも離れた行動について、自分が選択し決断して実行しているという意識がないように思えます。「お上」とか「世間」に従って、やむなくやっていることと思っている。全て自分が選択したり決断したりことではないのです。

    中国にせよ、朝鮮半島にせよ、沖縄にせよ、「あちら」から日本に攻め込んできたり略奪したりしたことはない。その反対でした。「あちら」からはずっと、文化的に高い文物や物資を日本に届け続けてきてくれていた。 それなのに・・・その、ほんとうに単純な事実を、日本人の多くが認める日が来てほしいと願うこと、切です。

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