台湾・沖縄・日本の旅を終えてカナダに戻ったところです。台湾では4月18日、中央研究院(Academia Sinica) 社会学研究所で沖縄の現状について地元の研究者対象に話をしました。沖縄では、4月22日、沖縄大学にて『オール沖縄を越えて-島々渡し平和世論を世界へ』(シンクタンク・コア主催)で、石垣島の山里節子氏、宮古島の石嶺香織市議などと共に列島の軍事化に抵抗する道を探りました。23日は沖縄国際大学にて「大田昌秀氏2017年ノーベル平和賞ノミネート記念学習会」(「沖縄の人びとにノーベル平和賞を」実行委員会主催)で石原昌家、高良鉄美両氏と、大田昌秀氏のノーベル賞ノミネートの意義を語り合いました。
1952年、サンフランシスコ平和条約発効によって沖縄が切り離された4.28「屈辱の日」65周年にあたり、『琉球新報』に「日本本土」の筆者5人による記事シリーズ「分断を超えて 今、本土から見つめる4.28」が掲載されました。その一人として執筆させていただいた私の5月1日の記事、許可を得てここに転載します。
★6月1日追記:この記事の英語版を
Asia-Pacific Journal: Japan Focus に出しました。
リンクは:
http://apjjf.org/2017/11/Norimatsu.html
★6月1日追記:この記事の英語版を
Asia-Pacific Journal: Japan Focus に出しました。
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http://apjjf.org/2017/11/Norimatsu.html
琉球新報社提供 |
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『琉球・沖縄の主体性とは何か:自律・自立・自尊心』:宮国 忠広 (Tadahiro Miyakuni)
ReplyDelete『分断を超えて』ー今、本土から見つめる4.28-④「差別やめる歩みを」ー加害の認識ないヤマトー:乗松聡子氏:を読み終えて
きょうは、あまり時間に余裕がないので、一時間程度で思うところを書いておく。乗松氏は実に素晴らしい文章を書く人だ。その行間に読み取れる識見や経験の奥行というものには敬服する。のみならず、何とも「沖縄愛」に満ちた人だ。かつての「沖縄擁護論者」だった故筑紫哲也氏を彷彿させる。
この論評は「ヤマト側」の立ち位置でしか書けない。沖縄人に書ける能力がないという意味ではない。仮にうちなーんちゅが、自らの正当性を主張する目的で書いた場合、同調や憐憫を得るだけにとどまるか、あるいは逆に「また、沖縄のエゴイズムだ」などといわれかねない。とりわけ、「自らを省みる心」を失った最近の日本人には、後者の批判の方が多く集中するだろう。
この論を頂いた受け手のうちなーんちゅとしては、単に褒めたたえるだけでいいのだろうか?と、ふと、思った。彼女には、恐らく論に対する批判もあるだろう。なので「援護射撃」の意味も含めて書く。「うちなーんちゅ」の立ち位置から書いておく。難しい論にはしない。柔らかく書く。
ボクが学生の頃までは、確かに「沖縄蔑視」というものは存在した。世代的に「復帰闘争」などの学生運動も、とっくに終焉し、もちろん、パスポートなしで本土にいける時代にだ。それは単純に「無知識」「無理解」に依るものなのが大半だった。ところが、まともに言われたり、やられたりすると確かに痛い。同世代は、これまで特別に沖縄の学生だけに優遇されていた「国費制度」が廃止されるし、「共通一次試験」(現在のセンター試験)がいきなりはじまったので、全国と一斉に「よーい、ドンっ!」というわけだ。
今でもあまり事情は変わっていないが、当然、いわゆる「学力」は沖縄県は全国最下位。でも、デキるやつは、当然、デキる。ボクはもともと理数系だ。国立大学は医学部を受験して、ものの見事に「撃沈」した。ところが、本当に優秀な人間は、県内からでも他府県の国立医学部に入学している。にも関わらず、ぬべなき人間の「無知識」によるぬべなき一言で、ノイローゼ気味になり、せっかく入った優秀な学校を辞める者もいた。一人、二人などという人数ではないはずだ。ボクが知る限りでも4人はいる。ボクくらいの「間抜け」程度が順応力が極めて高い。「差別」を受けていることには当然、気が付いているのだが、逆にファイトが沸いてくる。「反論」するのではなく、「どうしたら、こいつを悔い改めさせようか」と、まるでキリストの様な、ブッダのような気持ちになる。「沖縄人は靴を履いているの」などは、あまりにも有名な「蔑視ことば」なので、書く必要もないだろう。
もちろん、ボク自身も言われたことはある。いわば、ご挨拶みたいなものだ。大学の夏休みに日野の自動車工場で、すごく歩合のいいアルバイトに出掛けたら、東北からやってきたズーズー弁のおじさんに「おいっ!沖縄」などとも毎日、舐められるようにいわれたていたが、これも、まったく気にならない。彼らは農閑期の「季節労働者」で、日銭を稼いでは立川競輪場でスリまくるので、まともに家族に仕送りもできない。心の中では「ああ、なんという可哀想な人々なのだ。大学を出たら、間違いなく、こういう人たちの上に立つはずなので、何とかしてあげねばならない」などと思っていたほどだ。
ある日、神奈川で「沖縄人お断り」のアパートの張り紙に気が付いた大学同期の者が、ボクをまつりあげて、騒動を起こしたこともある。こちらから主体的に働きかけたわけではないのだが、「このあるまじき差別をキミは許せるのか!」と憤慨している。ボクよりも燃えている。なので神輿に乗った。マスコミも取材に来てたので、どこかのメディアに記録されているはずだ。
JALやANAの「沖縄キャンペーン」が始まるまでは、沖縄という存在は一体どういう場所なのか?と思う一般の人が多数派であってもおかしくはない。ゆかりがなければ、うちなーんちゅだって、他府県を知らないのだから。「裸足で歩いている」と勘違いされても仕方ないので、「ん?みんなリーボックか、ナイキかコンバースしか履いてないよ。月星は、ここに来て初めて見た。だって、最近までアメリカでしょ」と平気で大嘘をついたが、面白いことに、みんな信じるので愉快だった。
脱線したので、「乗松論」に戻す。ボクが思うに、このような在沖米軍基地のヤマト側の「加害意識」の欠如は、人間性の問題であると同時に「情報量」の少なさにある。沖縄の正当で妥当な沖縄からの主張も、さながら「反逆者」「国賊」の様に映っているのだろう。「沖縄親派」とて、玉城愛さんの「第2の加害者」発言に敏感に反応するくらいなのだから。どこかに「して上げている。やってあげている」的風潮はないか?はなはだおかしな話だ。そういう者にはダイレクトに「お前はバカか」と言ってやるがいい。今や日本人の8割が「日米安保」を是とするのだから、「県外移設」は当たり前のことではないか。
沖縄人だから厳しくいう。これは、うちなーんちゅの立ち位置でしか言えない。沖縄は、いつまでも、被植民者意識に甘んじるべきではない。憐みを乞い続けている様にしか見えないので、「無知識の者」「無理解の者」には、その様にしか見えないのだ。ましてや、今の日本は「独裁主義」の国情だ。
何ならば、軍用地借地料も、特別交付金も全部突き返せ。暴言だが、それで「迷惑施設」が全部無くなり、4.28の悲劇を繰り返さず、琉球人の永久の夢である「万国津梁国」がようやく築けるのだ。どういう法手続きを踏まえようが、日本人は「弱いものいじめ」が大好きな国民なので、「飴と鞭」は変わることはない。辺野古の「撤回」表明も、あまりにも遅すぎる。いかなる手段を用いようが、法律を改悪してまでも日本国は沖縄を抑え続ける。沖縄が日本国である限り、ロードマップに変更はない。一体、ペリーをもたぶらかし、「日米和親条約」よりもはるかに対等条約に近い「琉米修好条約」を締結した先人の知恵と勇気はどこに消えたのだ。琉球・沖縄の「自律・自立・自尊心」は、そういう主体性でしか成り立たないはずだ。占領者から逃れる道は、そういう「誇り高い」意識でしか成り立たないはずだ。稚拙な経験だが、ボクはこれを学生時代に身に着けてた。
やがて、そういう毅然とした態度は、逆に共感をも超えた「尊敬の念」に変わるのだ。つまらない自慢だが、ボクは卒業時に大学ゼミ同期会の会長だぞ。選挙をするまでもなく、当然、そうなった。会員には法律家や、日本人なら誰でも知っている大企業の役員までいるぞ。その企業個体で沖縄県の交付金より稼いでいるぞ。だから、心配ないばぁよ!「援護射撃」をしたかどうかは知らないので、先に乗松さんには、詫びておこう。42分の早打ちなので、当然、再考も推敲もしていません。では、病院にいってくる。
私の孫の母親は中国人です。孫の小学校のある団地には、アジア系の人達が多く住んで、同じ学校に通っています。けれど、学校の中では孫に向かって、「オイ、中国人!黙れ、中国人!」などと言う子もいるのだそうです。
ReplyDelete「そんなときには相手の子になんて言うの?」と聞きましたら、「取り合わないことにしている」という意味の返事をしてきました。「そうだね、それがいいね」「中国人であることはほんとうのことだし、『中国人』と言われて怒るのは、おかしなものだよね。中国人で何が悪いってことだよね。中国人であるほうが、日本人であるよりもずっといいよ」と私。
その孫は、「琉球」という字が好きで、音の響きもとてもきれいに感じると言います。「琉球」は今の沖縄の人たちが自分たちの国を表現した言葉だからね、「沖縄」は日本から琉球列島を見ての表現というところがあるからね。中国では琉球をレキオって発音したらしいよ。レキオだなんて、なんだかカッコイイねえと話し合ったことでした。
多くの日本人が、いまだに夢にも思っていないことですが、琉球のほうが日本よりもずっと国際経験豊かで、外交的な訓練や認識を積んだ、先進国でした。小さい国であるからこそ、周囲の国々と武力ではなく平和的な交渉で関係を保っていくのだという自覚も持っていました。その意味で世界的にも先進国だったと思います。
国家形成の最初から、欧米諸国の東アジア侵略の手先としてその先棒を担ぐことになった日本とは大違いです。「差別しない」は、相手を自分たちの一員とし末席に加えてやろう、「名誉白人」として認めてやろうという欧米流の「上から目線意識」であってはいけない。「差別しない」は相手に当然の敬意を払うことでなければならないと思います。