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Monday, September 06, 2021

浦島悦子作・なかちしずか絵『ジュゴンの帰る海』Picture Book "Dugongs Return to the Sea" by Urashima Etsuko (text) and Nakachi Shizuka (picture)

 


沖縄・名護市の作家、浦島悦子さん作、同じく名護市の画家、なかちしずかさん絵による絵本『ジュゴンの帰る海 ヤンバルの海から命のメッセージ』(ハモニカブックス)を紹介したい。辺野古の海を壊し、地域を分断し、県民のマジョリティが反対している軍事基地建設を強行しているその現場には私も一年半以上行けていないし、コロナで人が減っていると思う。そんな中でこの本が出たことは大変重要だ。

主人公のマカトは、生まれてまもなく両親がパラオに出稼ぎに行き、祖父母に育てられていた。おじい、おばあに守られ、海にもぐり、ザン(ジュゴン)と触れ合い、父母を待ちながら暮らしていたが、沖縄は戦火に包まれ・・・「ザンはニライカナイの神さまのおつかい」。家族を失い、ときは経ち、マカトはあのザンと再会することになる。基地建設で餌場を奪われ、変わり果てた環境の中で。


「ザンの生きる海を埋め立ててはいけない!」

その声が日本じゅう、世界じゅうにひろがっていきます。

日本もアメリカもザンには勝てません。

(絵本より)

 名護市東海岸に住むジュゴンは基地建設が進むにつれて姿を見せなくなってしまったという。浦島さんは「あとがき」で、「私たちが『野生の力』を信じ、やるべきこと、やってはいけないことを守っていけば、この地にジュゴンたちが戻ってくる日も遠くはないでしょう」と訴える。「やってはいけないこと」は基地を造ることであり、「やるべきこと」は基地を止めることと思う。選挙が近づいている。基地を止めることができる政権を選ばなければいけない。

『ジュゴンの帰る海』はここからいろいろな書店サイトで注文できるようだ。読者にとって、マカトと一緒に海に潜り、ザンの肌に触れることができるようなこの本を、一人でも多くの人に手にとって欲しい。

乗松聡子


Sunday, February 18, 2018

浦島悦子「山の桜は泣いた――2018名護市長選」Urashima Etsuko - A Reflection on 2018 Nago Mayoral Election

浦島悦子さん
先の名護市長選では、辺野古新基地に反対の姿勢で2期務めた後の現職・稲嶺進候補を、基地を推進する勢力が推薦した渡具知武豊候補を破って新市長となりました。この市長選について、名護市在住の作家、浦島悦子さんが振り返った文をここに紹介します。これは『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』用に提供され、ガバン・マコーマックらが翻訳した英語版の記事

Five Okinawan Views on the Nago Mayoral Election of February 2018: Implications for Japanese Democracy

の浦島さんの分の日本語版です。沖縄から5人の声ということで、浦島さんの他に山城博治さん、吉川秀樹さん、宮城康博さん、伊波洋一さんが寄稿しています。吉川さんのものは元の原稿が英語でした。日本語で提供された4原稿はまとめてこのリンクで読めます。

名護の桜 (提供 浦島悦子)


山の桜は泣いた――2018名護市長選

浦島悦子


 
「山の桜が泣いている 金か誇りか 名護マサー」。 

20 年前の「(新基地建設の是非を問う)名護市民投票」(1997 年 12 月 21 日実施)の頃、名護市街地 の入口に、こう書かれた大看板が掲げられていたのを思い出す。桜(ヒカンザクラ)は、日本一早い「さ くら祭り」(毎年 1 月最終週末)で知られる名護の象徴であり、「名護マサー(勝り)」はナグンチュ(名 護人)の気質を表す言葉だ。

2 月 4 日に投開票された名護市長選をめぐる熾烈な攻防の真っただ中で 20 年前の看板を思い出したの は、あれ以来、今回で 6 回目を数える市長選のたびごとに、有権者数 5 万足らずの小さな地方都市の選 挙に時の政権が直接、総力を挙げて介入する異常事態が繰り返され、今回はとりわけその異様さが突出 していたからだ。



 昨年 12 月 26 日、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で開かれた「座り込み 5000 日集会」で挨拶 した稲嶺進市長は、新基地建設に終止符を打つためになんとしても 3 選を勝ち取る決意を述べるととも に、「あちこちに『魔の手』が伸びている」と指摘した。それは決して比喩ではなかった。選挙期間中ずっと、私は、大好きな名護が汚い泥靴で踏みにじられていく悔しさ、得体のしれない黒いものが至る所 に触手を伸ばしてくる気味悪さを感じ続けていた。

年末から年始にかけて、菅官房長官や二階・自民党幹事長が名護入りし、振興策の大盤振る舞いや新 基地計画の地元・久辺 3 区(辺野古・久志・豊原)への直接補助金などを口約束したのをはじめ、安倍 政権の大臣らが自公推薦の渡具知武豊候補の応援に次々と来沖した。彼らは表に出るのではなく企業回 りを徹底し、ふんだんなカネ(官房機密費 10 億円が使われたという噂もある。その源泉はもちろん国民 の血税だ)を使って水面下でさまざまな工作を行った。

企業動員・締め付けや、事実とは真逆の謀略ビラを大量にばらまくなどはいつもの手口だが、今回は、 私の住む「二見以北」地域(久辺 3 区に隣接する稲嶺市長の出身地)にも分断の手が伸びた。「市長や知 事が反対しても基地は造られてしまうから、代わりに振興策を」という趣旨で「二見以北を考える会」 という団体が昨年末に発足。二見以北の各区(10 区)に役員を置く住民団体という体裁を取っているが、 その事務所は渡具知候補の地域事務所内にあり、住民が自発的に結成したものでないことは明らかだ。しかし、新基地建設に向けた工事が目の前で進む様子を日々見せつけられている地域住民への影響は小 さくなかったし、地縁血縁の濃い地域に動揺と亀裂、疑心暗鬼を生んだ。



渡具知武豊候補は名護市議会議員を 5 期務めたものの人望がなく、市長選出馬に自民党本部がなかな か同意しなかったといういきさつもあり、当初、稲嶺支持者の中に楽勝ムードもあったことは事実だ。 私は最初から、相手候補が誰であろうと、これは安倍政権との「全面戦争」であり、4 年前の選挙と違っ て 18 歳選挙権が施行されたため 6 年分の新有権者がいること、基地問題や政治に無関心な若者たちの動 向を考えると相当に厳しいと思っていたし、それを繰り返し言っても来た。選挙戦の中でその危機感はいっそう強まったが、一方で「名護市民の良識」を信じてもいた。勝っても負けても僅差と言われてい た中で、選挙結果(渡具知武豊 20,389 票、稲嶺進 16,931 票、投票率 76.92%)の約 3500 票差はショッ クだった。

敗因は何か。地元紙などでも言われているように、「稲嶺陣営に緩みがあった」のも、「候補者(稲嶺市長)の人望や人気に頼りすぎた」のも否定できないが、辺野古新基地建設を至上命題とする安倍政権が「日本の命運をかけて(翁長雄志県知事の言葉)」、基地建設を阻む稲嶺市長を何としても潰そうと、権力と金力を最大限に使って襲いかかってきたのが今回の選挙だった。その恐ろしさを、一生懸命に選挙活動した人ほどひしひしと感じていたと思う。一言でいえば「嘘とデマで塗り固めたカネまみれの選 挙」だが、その手口は巧妙を極めた。

彼らはまず、「新基地建設工事が着々と進んでいて、もう後戻りできない」ことを印象付けるため、人目に付く部分での工事を加速させ、市長や知事がいくら頑張っても駄目だという「あきらめムード」を植え付けることに一定程度成功した。稲嶺陣営は「埋め立て工事はまだ1%程度しか進んでおらず、十分に止められる」ことを広報し、地元紙も工事の現状を報道したが、一般市民には十分に届かなかった。(私は、名護市長選前に翁長知事が「埋め立て承認撤回」を行ってくれることを望んでいた。そうすれば流れは変わっていたかもしれないと思うが、そうはならなかった)。こうして外堀を埋め、自民党は企 業や職場、公明党は地域へと、それぞれが得意分野で票の取り込みに奔走した。

前回市長選では自主投票だった公明党が、今回は渡具知候補の推薦を決めたことは大きかった。彼ら は、県内はもちろん全国動員で 1000 人とも言われる運動員を恩納村にある創価学会の合宿所に集め、そ こから連日、100~200 台のレンタカーで名護入りした。広い名護市の各地域の隅々まで入り込み、「優 しく」、ある時は強引に説得活動を行い、そのまま期日前投票所へと運んだ。彼らはなぜか、どこの家に高齢者や障害を持つ人がいるか、どこの家が生活保護世帯かなどをよく知っていて、それぞれに見合った説得や対応をしていたという。自民党による「企業ぐるみ」と、公明党による「地域掘り起こし」、こ れに対抗して稲嶺陣営も期日前投票を呼びかけたため、期日前投票数は 21,622 と有権者の 44.4%、当日 投票数の 15,522 を 6000 票以上も上回った。ここにも今回の選挙の異様さが如実に表れている。

渡具知候補は、公明党が推薦の条件とした「海兵隊の県外・国外移転」を政策に入れ、これまでの新基地積極容認の姿勢を封印したため、稲嶺市長との違いが一般市民にはわかりにくくなった。そのうえで、学校給食費や保育料の無料化をぶち上げ(その財源と想定される米軍再編交付金は、基地受け入れ と引き換えであり、しかも経常経費には使えないのだが)、子育て世代の関心を集めた。

渡具知陣営による稲嶺市政へのネガティブキャンペーンもすさまじかった。米軍再編交付金に頼らず とも市の予算を 2 期 8 年間で 508 億円増やし、市内全小中学校の耐震化・水洗トイレの完備、保育所の 待機児童もほぼゼロになるなど、稲嶺市長が「基地問題以外はすべて公約を達成した」と胸を張る実績 を上げているにもかかわらず、「失われた 8 年」「停滞」「閉塞感」などの言葉を大量に流布した。「嘘も 百回言えば本当になる」「悪貨が良貨を駆逐する」ことを思い知らされた選挙でもあった。

各メディアや大学生など若者たちが両候補に公開討論会や候補者対談、意見交換会などを要請したが、 渡具知候補はすべて(8 回も!)拒否し、政策論争は全くしない一方で、人の心理がよく計算された簡潔 で印象の強いチラシ(稲嶺陣営の広報班もよく頑張っていたが、チラシは市長の実績を伝えたいあまり 説明が多かった)を人海戦術で隅々まで配布した。表の選挙活動が終わる午後 8 時以降に動き出す「闇 の部隊」がいて、「1 票 10 万円で買っている」などの噂も流れていた。

公開の場で政策論争を行い、有権者が主体的に選択するのが選挙なら、こんなものはとても選挙とは言えない。選挙制度も民主主義ももはや死んだ。主権者である私たちがなぜ、選挙のたびごとに「金か 誇りか」を迫られ、人間関係をズタズタにされ、苦しまなければならないのか? あまりにも理不尽だ。



今回の選挙では若い世代ほど渡具知候補を支持した。2 年前に名護出身の 20 歳の女性が元米海兵隊員に惨殺され、この 1 年来、「あわや大惨事!」の米軍機の事故が相次いでいるにもかかわらず、人命や暮 らしが危険にさらされていることを、彼らはあまり感じていないのだろうか? 渡具知氏の娘が今回選 挙権を得た高校 3 年生で、「お父さんを応援して」という彼女の呼びかけがSNSでネズミ講式に広まっ たと聞く。稲嶺支持のある若者が渡具知支持の若者たちの集まりを覗いてみたところ、政策の話は全くなく、「仲間だよね」「仲良くしようね」と、ひたすら情に訴えることに終始していたという。「今どきの若者」たちは優しくて、争いを好まない。政策論争などは求めていないようだ。「稲嶺さんはよく頑張った。かわいそうだから、もう重荷をおろしてあげよう」という「優しい」メッセージが若者たちの間で 広まっていたというが、それは彼らの心情にぴったりマッチしたのだろう。

若者や女性に人気が高いと言われる自民党の小泉進次郎氏が 2 回(1 月 31 日と投票前日の 2 月 3 日) も名護入りしたのも異例だった。名護市役所前にある渡具知候補の選対本部周辺は、街頭演説する小泉氏を一目見ようと、スマホを片手にした若者たちで埋め尽くされ、集まった人たちは集会後、そっくり、 市役所近くにある期日前投票所へと誘導されたという。

しかし、今回の選挙で私が感じた大きな希望は、そんな中で、稲嶺陣営で活動した若者たちの存在だ。それはこれまでの選挙にはなかった新しい動きだった。選対本部には連日、若者たちが夜遅くまで議論し、稲嶺市政の政策について学ぶ姿があった。彼らは自ら主体的に考え、企画し、行動に移した。相手陣営の宣伝にどう対抗するかを徹底議論する中で、なぜ基地に反対するのか、市民のための市政はどうあるべきなのかについて、多くのことを学んだと思う。相手陣営の若者とも話し合い、公開討論会に向けて積み上げてきた努力を土壇場で一方的に反故にされ、努力は実らなかったが、その中で彼らは大き
く成長した。名護の未来のために、この新しい芽を育てていくことが私たち大人の責任であり、仕事だ。 稲嶺進さんにはその中心を担ってほしいと願っている。



誠実で公平無私、市民の幸せを阻害する基地建設を断固として阻み、子どもたちの未来、名護の未来のために奮闘し、基地に頼らない市政運営、経済を実現してきた稲嶺進という稀有のリーダーを、私たちが全国からの応援を得つつも力不足で落としてしまったことは痛恨の極みだが、これに負けてはいられない。考えうる限りのあらゆる卑劣な手口を使って彼らが手に入れた「勝利」は、いずれその正体が 市民の前に明らかになるだろう。

投開票の夜、私は、市長選と同時に行われた名護市議会議員補欠選挙の開票立会人として開票所に詰めたが、結果が出ての帰り道、渡具知選対本部の前を通った。「勝利」に沸く黒い人だかりに「名護が乗 っ取られた」ような違和感を覚え、この汚い手から「名護を取り戻す」決意を胸に刻んだ。

今年は選挙イヤーだ。息つく暇もなく、沖縄県内でも各市町村の首長選が続き、9 月には名護市議会議 員選挙、そして 11 月には「天王山」の沖縄県知事選挙が行われる。名護市長選挙で味を占めた安倍政権 が同じような手口で襲いかかってくることは目に見えている。この 6 月にはいよいよ、辺野古の海に埋 め立て土砂の投入を開始すると報道された。知事選前に県民の「あきらめ」を促したいのだろう。

辺野古新基地反対運動は今後ますます厳しくなり、国家権力による暴力も強まるだろう。しかし、大浦湾の海底地盤の脆弱さ、活断層の存在などの自然条件も含め、工事がそう簡単に進まないことも明ら かになりつつある。私たちが 20 年間決してあきらめなかったからこそ、基地はまだできておらず、大浦 湾はその美しさを失っていない。海と陸双方で現場のたたかいによって工事を遅らせること、国内外の世論を高めること、そして、ズタズタにされた地域の絆をもう一度結びなおすことで、これからしばらく続くであろう「冬の時代」を乗り切っていきたい。宮古・八重山を含む沖縄の軍事要塞化を目論み、憲法を変えて戦争への道を突き進もうとする安倍政権に何としても歯止めをかけたい。沖縄で起こっていることは、すぐに日本全体に波及するだろう。これは沖縄問題ではない。日本各地、それぞれの場で の反撃を強く望みたい。



今年の「名護さくら祭り」は市長選の告示日と重なった。まさに「戦争」そのものだった選挙戦を経て、投開票日からの数日間、名護もぐんと冷え込んだ。冷たい雨に打たれ、名護城(ナングスク)山の桜は泣きながら散った。しかし、散った桜はまた新しい芽を宿し、来年、美しい花を咲かせてくれるだ ろう。私(たち)もまた、新しい一歩を踏み出したのだ。


花散らす冷雨に 負けるなよ桜
    時来ればまたも 花や咲きゅる

(はなちらすしむに まきるなよさくら
    とぅちくりばまたん はなやさちゅる)

=花を散らす冷たい雨に 桜よ負けるな
    時が来れば再び 花は咲くだろう


17年12月7日午後、キャンプ・シュワブ前で資材搬入に抗議する。後姿だが、中央でマイクを握るのが浦島悦子さん。(撮影 乗松聡子)

このブログの浦島悦子さん関連の投稿はこちら。


Saturday, August 23, 2014

浦島悦子「大浦湾が泣いている 」Oura Bay Is Crying: Etsuko URASHIMA

Photo: Yoshio SHIMOJI



大浦湾が泣いている
 
            浦島悦子



大浦湾が泣いている
悠久の時に育まれた
数えきれない命を抱いて
大浦湾が涙を流している

大浦湾が泣いている
満月の夜に生まれた
サンゴの卵たちは
行きつく先を見つけられず
大浦湾は涙を流している

「海を守れ!」
抗議する人々の声を
掻き消す巨大なエンジン音
殺し屋たちの怒号が
波間を飛び交う

大浦湾が泣いている
海底に広がる山や谷を
優しい手で撫でながら
大浦湾が涙を流している

大浦湾が泣いている
この海に生きるジュゴンは
命を繋ぐ餌場を追い出され
大浦湾は涙を流している

大浦湾が泣いている
サンゴの森に穴を開け
群れ遊ぶ魚たちを押し潰す
重機の音に身震いしながら
大浦湾が涙を流している

殺し屋たちは海を囲い込み
抗議する人々を追い払い
土砂と殺意を
流し込もうとする

風よ 吹け
波よ 逆巻け

天地の神々の怒りと
島じゅうの人々の思いが
一つになって
邪悪なものを吹き飛ばし
洗い流せ

大浦湾の流した涙が
やがて 青く青く透き通り
華やぐ命たちの上に
慈雨となって注ぐように

Tuesday, October 16, 2012

October 1, 2012: Okinawa's new "Day of Humiliation" - protest against forceful deployment of MV-22 Osprey 2012年10月1日、沖縄に新たな「屈辱の日」が加わった。「不退転の決意」を固める-オスプレイ強行配備に対する抗議文

「ヘリ基地反対協議会」の日米政府への抗議要請書です。浦島悦子さんが送ってくれました。(日本語版は下方)

Conference Opposing Heliport Construction is an organization of citizens who have fought against the plan to build a new US Marine base on the pristine natural environment of Henoko and Oura Bay, on the Northeastern shore of Okinawa Island, twenty percent of which is already occupied by US military bases. Here is their letter to protest against the recent forceful deployment of MV-22 Ospreys onto Okinawa. The citizens call the day of deployment a "new day of humiliation," referring to the day that many Okinawans still remember as the "Day of Humiliation" - April 28, 1952, the day when San Francisco Peace Treaty came into effect, detaching Okinawa from the rest of Japan to keep it under US military rule while the rest of Japan regained sovereignty after seven years of occupation. Translated by Gavan McCormack. See below for the Japanese version. Also see previous post on the call for Marines to boycott use of MV-22 Osprey. @PeacePhilosophy


October 11, 2012

To:

The Right Honorable Prime Minister, Noda Yoshihiko
The Right Honorable the Minister of Defense, Morimoto Satoshi
The Right Honorable the Minister of Foreign Affairs, Gemba Koichiro
The Right Honorable the US Secretary of Defense, Leon Panetta
The Right Honorable the US Secretary of State, Hillary Clinton
The Right Honorable the US Ambassador to Japan, John V. Roos

From:

Conference Opposing Heliport Construction
(Joint representatives: Ashitomi Hiroshi, Onishi Teruo)
1-10-18-202 Ominami, Nago shi, Japan 905-0015
Tel and Fax: 0980-53-6992 

Protest against the Forced Deployment of the Osprey and Request for its Removal

The date, October 1, 2012, becoming a new “Day of Humiliation” for Okinawa, is one we shall never forget, and of which we will speak to our children and grandchildren in years to come. 

Never before had such strong opposition been shown by Okinawan people and citizens, passing resolutions of opposition in the Prefectural Assembly and in all local electoral assemblies throughout the prefecture, issuing a statement of our united resolve “No!” to the deployment by a gathering of more than 100,000 people in an All-Okinawa Mass meeting, and even resorting to hunger strike. Yet the governments of Japan and the United States paid not the slightest attention but proceeded as if it had not existed, trampling upon it and enforcing the deployment of the Osprey to Futenma Marine Base. Okinawans shiver and are filled with foreboding at this terrible noise that has been brought to us. 

The government of Japan exposes to all and sundry its own “shame” by the forcible introduction of the Osprey, known in the United States as “flying shame.” Surely there is nobody any longer who would call the Japan that refuses to see the Okinawan people as human and enforces on them colonial policies a “democratic state.” 

Ever since we citizens of Nago made clear our “No” to the construction of a Futenma replacement base/new base at Henoko in the city plebiscite of 1997, we have stood firm against all the pressures, hard and soft, applied by the governments of Japan and the United States so that to this day not one nail has been driven into the beautiful sea of Henoko. The governments of Japan and the United States, anxious at the lack of progress on the construction of the base at Henoko designed for the Osprey, threaten the people of Okinawa that they will make Futenma “into a permanent base,” and brushing aside the fierce opposition of the whole prefecture, have now enforced the deployment of the Osprey to Futenma. 

The deployment to the “world’s most dangerous” base of Futenma of the dangerous Osprey that has been constantly involved in accidents and crashes already, in the words of the All-Okinawa Mass Meeting, goes “beyond the limits of the tolerable.” The imposition of a further weight to the base burden we already bear is a major crime that tramples on the human rights of the people of Ginowan City and Okinawa prefecture. And for the prefectural police to use violence to clear away the opposing and protesting people of Nago City and Okinawa prefecture is to add further crime to the already existing crimes, The proffering of excuses such as the baseless “assurance of [Osprey] safety” or the “China threat” as reasons for deployment are no more than excuses to try to cover up the shame. Prime Minister Noda’s October 1 statement “seeking the understanding of Okinawan people” and saying that “safety has been adequately assured” poured oil onto the anger of the Okinawan people. 

The government of Japan moves towards completion by the end of this year of the environmental assessment procedures so that it can commence proceedings for reclamation. Meanwhile, at Takae in Higashi village it proceeds to brush aside the anger of the people and move ahead by force with construction of the Osprey-pads for Osprey training. 

The stupidity, the brutality of the governments of Japan and the United States, stiffens our determination to not yield. The anger of the Okinawan people grows and it will be more than a match for the schemes of the governments of Japan and the United States.    

Our demands of the governments of Japan and United States are as follows: 

1. The immediate withdrawal of the Osprey deployed at Futenma base and their return to the United States

2. The closure and removal of Futenma base

3. The cessation of moves towards construction of a base at Henoko and the abandonment of construction

4. The immediate cessation of construction on the Takae Osprey pads and the abandonment of their construction



2012年10月11日

内閣総理大臣・野田佳彦 殿
防衛大臣・森本敏 殿
外務大臣・玄葉光一郎 殿
米国防長官・レオン・パネッタ 殿
米国務長官・ヒラリー・クリントン 殿
駐日米大使・ジョン・V・ルース 殿
 
 
海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会

(共同代表・安次富浩/大西照雄)
〒905-0015 名護市大南1-10-18-202
TEL&FAX 0980-53-6992
 

オスプレイ強行配備に抗議し、撤収を求める要請

 

 2012年10月1日。沖縄に新たな「屈辱の日」が加わったこの日を、私たちは一生忘れず、子や孫に語り継ぐだろう。

 県議会および県内全自治体議会が繰り返し反対決議を上げ、県民大会に10万人余が集まって「配備NO」の総意を発信し、ハンガーストライキを含む様々な方法で県民・市民が反対行動を行うなど、これほど強い反対の意思が示されたことはかつてなかった。それらを一顧だにせず、すべてがまるでなかったかのように、いとも簡単に踏みにじり、日米両政府は普天間基地へのオスプレイ配備を強行した。今まで聞いたことのない不快な騒音に県民は身震いし、不安を募らせている。

 米国内で「空飛ぶ恥」と呼ばれているオスプレイの強行配備によって日本政府は自らの「恥」を内外にさらした。沖縄県民を人と見ず「植民地政策」を強いる日本を、もはや誰も「民主主義国家」とは呼ばないだろう。 

 私たち名護市民は、1997年の市民投票で「辺野古への普天間基地代替施設=新基地建設NO」の意思表示を行って以来、日米両政府の硬軟含めたあらゆる圧力をはねのけて、今日まで辺野古の美しい海に1本の杭も立てさせていない。オスプレイを配備する予定だった辺野古新基地の目処が立たないことに焦った日米政府は、沖縄県民に「普天間基地の固定化」という脅しをかけ、島ぐるみの猛反対を押し切って、ついに普天間基地へのオスプレイ配備を強行した。

「世界一危険な」普天間基地への、墜落事故を繰り返す危険なオスプレイの配備、既に「我慢の限界を超えている」(県民大会での発言)基地負担にさらなる重圧をかけるのは、宜野湾市民・沖縄県民の人権を蹂躙する重大犯罪である。また、それに反対・抗議する市民・県民を、警察権力を使って暴力的に排除・妨害するのは、犯罪の上に犯罪を重ねるものである。何の根拠もない「安全宣言」や、「中国の脅威」などを配備の理由に持ち出すのは恥の上塗りでしかない。「安全性は充分確認できた」として「地元の理解」を求める10月1日の野田首相談話は県民の怒りに油を注いだ。 

 普天間基地に配備したオスプレイを辺野古新基地に移駐するために、日本政府はアセス手続を年内に完了し、来年には埋立申請を行う方向を示している。また東村高江では、オスプレイの訓練に使用するオスプレイパッド建設を、住民の反対を蹴散らしながら強引に進めている。

 日米両政府の愚行・蛮行は、私たちの不退転の決意をいっそう固くさせた。県民の怒りはますます燃えさかり、日米両政府の目論見を打ち砕くだろう。 

 私たちは、日米両政府に以下のことを強く要請する。
 

記

 

①普天間基地に配備されたオスプレイを直ちに撤収し、米本国に持ち帰ること

②普天間基地を閉鎖・撤去すること

③辺野古新基地建設に関わる手続を中止し、建設を断念すること

④高江のオスプレイパッド建設工事を直ちに中止し、建設を断念すること

 

以 上

Thursday, April 12, 2012

沖縄ができる復興支援はがれき処理ではない: 浦島悦子

『沖縄タイムス』3月31日に掲載された、沖縄・名護市の著述家、運動家、浦島悦子さんの記事を紹介します。

福島原発事故が勃発して間もない2011年4月はじめ、浦島さんのメールからの言葉を引用しました。
なんという世界を私たちは作ってしまったのか。水も空気も土壌もすべて汚染され、命を育むはずのものが命を脅かすものになってしまった・・・ 未来の子どもたちに私たちが犯してしまった罪を思うと身震いします。
あれから一年。この浦島さんの言葉が一層の重みをもって、のしかかってきます。@PeacePhilosophy
Urashima Etsuko

沖縄ができる復興支援とは?

 東日本大震災・福島原発事故から1年以上経った今も被災地の復興は思うように進んでいません。復興を妨げている最大のものが災害がれきだと、政府はその広域処理を全国的に推進しようとしています。沖縄でも、被災地の痛みを分かち合おうと、がれき受け入れの動きが始まっていますが、それが被災地復興への支援であり、ユイマールの心であるというのは、ほんとうなのでしょうか?

 朝日新聞が今年2月に行ったアンケート調査によれば、被災地域住民が優先すべきと考えている最大の課題は、雇用、原発事故の収束・放射性物質の除染、心のケアなどであり、がれきの処理ではありません。地元はむしろ「10年20年かけて地元で片づければ雇用も発生する」(岩手県岩泉長の伊達町長)と広域処理には否定的です。

 福島原発事故による放射性物質を含んだ震災がれきを、政府は1kg当り8000ベクレルまで全国で処理できるとしています。しかし国際基準は100ベクレルであり、それ以上のものは処分場に閉じこめ厳重な管理下に置かれています。日本でも震災の前までは同様でしたが、原発事故後、何の根拠も示さないまま基準を80倍にも引き上げたのです。がれき受け入れを打診された全国各地の自治体が「人体への被害がわからないものを検討はできない」と拒否するのは、地域環境や住民の健康を守る立場から当然です。そもそも放射性物質は発生源からできるだけ近い場所に封じ込め、拡散させないことが原則であり、東京電力と政府はそこに全力を注ぐべきです。  莫大な血税を使って全国に放射性物質をばらまき、安全な場所をなくしてしまうことがユイマールであるとは思えません。

 沖縄はいま、皆無とは言わないまでも国内で最も放射能汚染の少ない安全な場所です。
放射性物質の影響をいちばん受けるのは細胞分裂のさかんな子どもたちですが、チェルノブイリの経験から、汚染のない場所に1カ月滞在すれば子どもたちの体内のセシウムが激減し、健康状態がよくなることが立証されています。夏休みや春休みなどに福島の子どもたちを沖縄へ受け入れる試みが既に行われており、今後、保養地としての大きな役割が期待されています。また、汚染された食物による内部被曝が問題になる中で、亜熱帯の自然の恵みと汚染のない土で育てた安全な食材を、被災地をはじめ全国の子どもたちに届けることこそが、沖縄ができる最大の復興支援ではないでしょうか。     (浦島悦子) 


このサイトの浦島悦子さんの記事:

2012年1月6日
浦島悦子:辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」-稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/01/blog-post.html

浦島さんの著書は、こちらを。

Thursday, January 05, 2012

浦島悦子:辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」-稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」

沖縄の自然と人間を守るたたかいを生き生きとつづる数々の著作で知られるライター、浦島悦子さんの文を初めてこのサイトで紹介します。「辺野古アセス評価書」の年末の「夜討ち」搬入の不足部数を5日に提出した国側ですが、毎日新聞(琉球新報)は6日にこのように報道しています。
普天間代替基地建設に係る環境影響評価(アセスメント)評価書で、沖縄防衛局が5日に県庁へ運び込んだ8部を含む24部全てに知事や住民等意見とそれに対する事業者の見解の欠落が見つかった。県は形式審査で受理要件を満たさないとして、飛行場部分の20部は不受理とし、同日午前に受理した埋め立て部分に対しては審査を停止した。・・・続きはここ
混迷を極めてきた「評価書」提出は、沖縄大学の桜井国俊氏や市民団体が訴えるように、不法で科学性に欠けるものです。「年内提出」の体裁をととのえるだけのためにコソ泥のような行為を行った国は、浦島さんの文にもあるように「こんな大人になるなって言いたい」というものですが、年末年始、家族とゆっくりする時間を犠牲にして座り込んだ皆さんのことを考えると、反対に、自分も見習わねば、子どもにこのような大人の姿を見て育って欲しい、と思います。@PeacePhilosophy

「評価書」搬入を阻止するために県庁に座りこむ市民たち。Photo: Makoto Arakaki

辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」
    稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」

12月30日
浦島悦子
 
 12月28日朝6時過ぎ、ラジオのスイッチを入れたとたんに流れたNHKニュース。「今朝4時過ぎ、ワゴン車に分乗した沖縄防衛局の職員が、沖縄県庁の通用口から守衛室に環境影響評価書の入った段ボール箱を搬入しました。・・・・」
 「まさかや、ありえん!」「県民、総引き・・・」「こんな大人にはなるな、って言いたい」――この日の民放ラジオの音楽リクエスト番組で司会者が語っていた言葉が、おおかたの県民の気持ちを代弁しています。

 米国に「辺野古移設計画が進行している」というポーズを示すためだけの「アセス評価書年内提出」に野田政権はあくまで固執し、年内最終週明けの26日に提出予定と報道されていました。
 「基地の県内移設に反対する県民会議」は26日から仕事納めの28日まで、連日の県庁における評価書提出阻止行動を呼びかけました。始業前の朝8時(集合は7時半)から午後5時15分の終業時まで、評価書が県庁に運び込まれないよう監視し、提出をさせないためです。年末の忙しい時期にもかかわらず、連日、市民団体や労働団体300人余が参加。県議団や沖縄選出の国会議員らも見事な働きぶりを見せました。
 26日、県庁の周囲では、赤い紙に「怒」の字を掲げた県民が立ち並び、各入口や庁内の担当課前に監視が立つ状況の中で、沖縄防衛局は「阻止行動のため県に直接届けることを断念し、郵送した」と発表。市民らは、この日の提出を阻止できたことを確認するとともに「郵送は姑息な手段」と抗議の声を上げました。

 私たち十区の会は、(郵送したと言われる評価書が届く予定の)27日、県庁行動に参加しました。朝7時に辺野古テント村の仲間たちと一緒に辺野古を出発、8時過ぎに県庁に着いたときには既に、郵便物や荷物の搬入口2カ所(市民団体と労働団体がそれぞれを担当)と地下駐車場入口での監視行動が始まっていました。国会議員の山内徳信さん、照屋寛徳さん、糸数慶子さんの姿も見えます。
 郵便車や荷物の運搬車が来るたびに道路からの入口で停車してもらって、荷物を確かめます。「郵送した」というのが本当かどうか、みんな疑っていました。1部が7000ページもある評価書を20部(法令で決められている)、郵便で送れるのか。防衛局がとんでもない「嘘つき」であることを、彼らのこれまでの言動から県民は知っているからです。
 午前11時過ぎに入ってきた民間運送会社の車両に、段ボール箱が積んであるのが窓越しに見えました。「評価書じゃないか」という声が上がり、みんながどっと車両の回りに集まりました。監視行動の市民団体責任者である沖縄平和市民連絡会の城間勝さんが「どこからの荷物ですか」と尋ねると、「防衛局から」と答えたので、「中身は評価書ですか」と聞くと「答えられない」とのこと。段ボール箱には宛先も発送元も何も書かれていません。
 騒ぎに恐れをなしたのか、車はすぐに引き返しましたが、15~20分後くらいに再度入ってきました。防衛局に、届けるよう命令されたのでしょう。再び、みんなが車を取り囲みました。道路からの入口に停まっていると他の車の通行を妨げるので、もう少し中に入るよう促しても「ここにいろと言われている」とエンジンを切り、「防衛局に持ち帰ってください」とみんなでお願いしても動こうとしません。20分以上押し問答が続き、県議団が県の管財課長を呼んできました。課長は業者の携帯電話を借りて沖縄防衛局に電話し、荷物が評価書であることを確認、「危険な状況なので局に戻してもらいたい」と要望しました。
 12時半頃、車は評価書を積んだまま県庁の外へ出て行き、拍手が起こりました。また戻ってくるかもしれない、あるいは別の会社の車で来るかもしれないと警戒を続けましたが、そのまま閉庁時刻まで戻ってきませんでした。ウチナーンチュ同士が敵対させられ、業者もこりごりだったと思います。
 閉庁時刻が過ぎると、市民団体、労働団体とも県民ひろば(県庁前広場)に移動し、県議団を先頭に「今日も阻止できた」「あと1日がんばろう!」と拳を上げました。県議団から、この日、自民・公明を含む県議会の与野党全会派の代表が集まって、評価書提出に対する「抗議声明」を発表したことが報告され、大きな拍手を浴びました。

 「あと1日で評価書年内提出を止められる」と思って床についた県民がまだぐっすり眠っている28日未明、防衛局は、こそ泥のように通用口からこっそり評価書を運び込んだのです。万が一に備えて通用口の近くに停めた車の中で仮眠していた沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが、物音に気付いて飛び出していったところ、段ボール箱を1つずつ抱えた20人ほどの防衛局職員と、それを指揮する真部朗局長の姿が・・・。沖縄差別発言で更迭された田中前局長に代わって異例の再任となったばかりの彼は、前任時代、高江で夜間や早朝の「奇襲」を繰り返し行った常習犯です。
 「なんてことをするんだ、やめろ!」と山城さんは叫んで止めようとしましたが多勢に無勢、16箱は守衛室に運び込まれてしまいました。急を聞いて駆けつけた人々が集まり、評価書が担当課に運ばれ「受理」されないよう、守衛室前に座り込みました。
 この日は、全国版も含め、テレビ、ラジオとも、このことがトップニュース。沖縄地元2紙は号外を出し、防衛局の悪事、醜態は瞬く間に全県、全国に知れ渡りました。県内では、「奇襲攻撃」「闇討ち」「だまし討ち」「汚い暴挙」「姑息」「卑怯」「卑劣」「恥知らず」・・・、ありとあらゆる悪罵と嘲笑の言葉が飛び交いました。それらを投げつけてられて当然の行為を「国」がやったのです! 稲嶺進名護市長は「あきれてものが言えない」と切り捨て、「私は海にも陸にも基地は造らせないと言っている。名護市にとっては評価書自体が意味はない」と断言しました。
 「評価書は受理する」とした沖縄県と知事に対し、納得できない県民らは県庁内での座り込みを続けました。仲井真知事が出てきて直接対話を行い、「評価書は事務的に処理せざるを得ないが、(公約である)県外移設を貫く」と約束し、また、担当部長が「評価書は全部届いておらず、受理できる段階にない。年明けの3日まで(守衛室に置いてある)評価書は移動させない」との意向を示したので、夜の8時過ぎ、ようやく座り込みを解きました。
 市民団体や労働団体などの県民、県議団をはじめ国会議員、市町村議員などがそれぞれの役割をきっちりと担い(県当局との連絡、知事への要請などはもちろん、搬入された評価書が移動させられないようピケを張るなど、阻止行動にも体を張ってくれ、頼もしかったです)、県の職員や知事をも動かしました。その総合力が、沖縄防衛局の目論見を見事に打ち砕き、彼らの恥知らずな醜さ、「あほさ」加減を白日の下にさらし、結果的に「辺野古移設はますます不可能になった」のです。

 ところが・・・。
 仕事納めの28日でとりあえず一件落着かと思いきや、恥も外聞もなく、なんとしても「年内提出」をあきらめきれない防衛局は、29日にも夜遅く、県庁周辺をうろうろ。隙あらば、残りの評価書を運び込もうと狙っています。県民らは24時間の監視態勢を取ることを余儀なくされ、交替で県庁座り込みを続けています。ひょっとして、このまま年越し座り込みも・・・?
 沖縄県民、名護市民に「心穏やかな正月」はいつ来るのでしょうか・・・。

(12月30日、浦島悦子)

Sunday, April 03, 2011

大気中と海水の放射線についての二つの疑問

一人の市民として、母親として、素朴な疑問を二つ提起します。

★4月4日追記: この質問は3月31日に書いたものですが、報道されている通り、東電はタービン建屋に溜まる高汚染水を移動させる場所を移すために比較的汚染度の低いとはいっても法令基準の500倍にあたる放射能を含む水を、漁業関係者をはじめ世論の厳しい批判をあびながらも1万1500トンも海に流す手続きをしました。また、第一原発から30キロの福島県浪江町では3月23日から4月3日の累積放射線量が10.34ミリシーベルト、屋内退避の10ミリシーベルトを超えたとの報道がありました。茨城産のコウナゴから放射性ヨウ素(4080ベクレル/キログラム、政府は暫定基準値を持たず、野菜は2000)、放射性セシウムも、基準が500のところ447ベクレル/キログラム出たという。この質問を書いたときよりもさらに海、空気、土壌の放射線汚染がより心配になってきています。

沖縄の作家、浦島悦子さんにいただいたメールに、深く響く言葉があり、許可をいただいてここに引用します。

なんという世界を私たちは作ってしまったのか。水も空気も土壌もすべて汚染され、命を育むはずのものが命を脅かすものになってしまった・・・ 未来の子どもたちに私たちが犯してしまった罪を思うと身震いします。

★幸いに、専門性を持ち、幅広い見識を持つ3人の知人(岡田さん、三宅さん、落合さん)からコメントをいただきました。下方をご覧ください。

1) 大気中の放射線について

文科省の定める、一般人の年間被ばく限度量は、医療を除いて1000マイクロシーベルトです。随所で見かける日本政府の「日常生活と放射線」のチャートをご覧ください。(モニタリングチャートなどの最終頁に必ず出ています。たとえばこのリンクの最終頁をご覧ください。)画像をクリックすると拡大できます。


(ちなみに、このチャートを見て、カナダ人の友人は、「これらのイラストでは皆スマイルしており、放射線を受ける行為がとても楽しいことのように描かれていて異様だ。」と言っていました。その通りと思います。)

ここには明記してませんが、この1000マイクロシーベルトは、おそらく内部被ばくは考慮していません(体の外面から被ばくするのではなく、吸入、食物、等からの内面からの被ばく)。この被ばく量チャートに出ている例が全部、外部被ばくのものだからです。(例外として、「世界平均の1人あたりの自然放射線」2400マイクロシーベルトに、「空気中のラドンから」吸入しているイラストと、「食物から」という記載があるので、この国際平均は内部被ばくを想定しているように見えます。)

この政府の基準と、現在各地で計測されている放射線量を比べて議論しているのを全く聞いたことがありません。政府基準なのだから、政府はこれに準拠し説明するのが当然なのではないですか。年間1000マイクロシーベルトは、時間あたりに直したら(365X24で割ったら)0.114マイクロシーベルトです。ということは、毎時0.114マイクロシーベルトを超えたら、その状態で1年間そこに暮らしたら、政府の基準を超えるということです。そういう基準で見ると、東北、関東地方はこの基準を超えているところがたくさんあることがわかるでしょう。たとえば3月30日午後13時52分、福島第一原発北西40KMの地点では、毎時8.5マイクロシーベルト、茨城県東海村では、3月30日、毎時1マイクロシーベルトを超える数字が多数回出ています。東京でも、3月29から30日にかけて、時間にして0.2、0.3マイクロシーベルトといった値が出ています。

今のところ、どんな値が出ても政府は「ただちに健康に影響はない」と言い続けていますが、どの水準から「健康に影響がある」と考えているかの説明がありません。しかし影響のある水準が念頭にないと、「影響はない」とは言えないはずです。政府は、その基準を発表するべきと思います。文科省による「医療以外で年間1000マイクロシーベルト」を基準としているのだったら、毎時0.114以上の値が出ているときに「影響がない」と言った場合、それを一年分に換算した場合、矛盾するからです。「ただちには影響がない」が、「長期的に影響がある」と思うのなら、それはどれぐらいなのか。また、この基準が、大気中の放射線から受ける外部被ばく量だけではなく、吸入、水、牛乳をはじめとする食品から受ける内部被ばく量も考慮しているのか、を明らかにしてほしいです。

2)海水の汚染について

福島第一原発の放水口等から非常に高い放射線が検出されています。29日には、濃度基準値の3355倍に当たる放射性ヨウ素131が検出されたと各地で報道されました。翌日の30日には、4385倍のヨウ素、水深83メートルでもヨウ素を検出、セシウム134は783倍、セシウム137は527倍と報告されました。土壌では、23日に原発から40キロ離れた飯館村の土壌から高濃度のセシウム137が検出されています。

報道によると、海では放射性物質は薄まるとか、底に沈むとか、影響がないとか言われていますが、原子力安全委員会は30日、「(魚介で食物連鎖による)生物濃縮の懸念がある」と述べています。ニューヨークタイムズ3月27日記事を見ると、キンバリー・カーフォット(ミシガン大学核工学、放射線科学教授)は、海産物のモニタリングの強化を訴えており、「放射線核種は自然環境に凝縮されます。」「例を挙げれば、ヨウ素は昆布とエビに凝縮します。」「ヨウ素、セシウム、ストロンチウムは他の海産物に凝縮されます。」と言っています。

福島県海域では魚を採っていないといいますが、野菜と違い、魚は一か所にいるわけではありません。海に県境があるわけでもないし、どこかで線を引いたからといって汚染された水がそこで止まったり魚がその先に行かないという保証はないのではないでしょうか。

今進んでいる海水汚染のせいで、海産物が本当に安全なのか、納得のいく説明がありません。「風評被害」を防ごうという話ばかりを聞きますが、消費者が納得できないことを問うことは、「風評」を拡げることとは違います。消費者はもちろん、生産者の不安には生活がかかっており、あいまいな説明はかえって不安を増します。わかっていることは伝え、わからないことは「わからない」と言って欲しいです。

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これらの質問にコメントをいただきました。太線は PeacePhilosopher がつけました。


★岡田さん(産業振興コンサルタント 東大 生命科学 PhD.)

この疑問2つは非常に的確にポイントを突いています。

1)大気中の放射線について。

内部被ばくと大気中の線量を比較するのはそもそも間違いで、それは分かっていてしている事に違いありません。(風評やパニックを防ぐためという名目で、本当は危機管理の失策を隠すため)自分はこのインチキを気にしながらずっと報道を見ていますが見ている範囲では、NHKがこの相違に留意して報道してます。年間の蓄積危険量と毎時の危険量は単純な掛け算とは成らぬ事は科学的な妥当性/合理性が有るので、直ぐに「毎時0.114以上の値は影響がある」とは言わないまでも、予防的な措置を取るために「影響があるかもしれない」と政治的判断では考えるべきと思います。予防措置を取る為には法的根拠などは必要ないから。

2)海水の汚染について。

今の汚染の数値で海産物が安全とは全く考えるべきではないと思います。「汚染物質の生物濃縮」は良く知られている事で、食物連鎖の上位に行くほど濃縮され、従って大型の魚の方がより危険に成ります(小型の魚は海草を食べ、大型の魚は小型の魚を食べる)。もちろん海水中で薄まりますが、例えば水俣病などの場合にも水銀は湾の中に蓄積していて外海にはあまり出ていなかった。
海流とはそんなものだと思います。黒潮や親潮に乗る前の沿岸で漂っている筈で、しかもほとんどの漁業や海産物、とりわけ養殖物は沿岸が問題です。

総論安全性を説明しないのは、到底安全とは言えないからです。自分はそう理解しています。
「ただちに健康に影響はない」としか言わないのは、国が保証という話になったら困るからに過ぎないでしょう。全くばかな話です。

日本は国が個人の被害を補償する事をほとんどしないで来ましたが(あらゆる分野で)、基準と対象を決める煩雑な作業を避けて来たからに過ぎません。やれば出来る事をしないのは怠慢。よその国のやり方が良いとばっかりは言わないですが、この点は日本の仕組みの無責任体制、責任の分掌の不在、決定能力の機能不全は目を覆う場から。

従って、自分は仕事上でも市民としても、「社会や組織のルールは時に無視するのが自分の様な人間の役割」、と考えていますひとまずここまで。


★ 広島被ばく者 三宅信雄さん

私もご質問にかかわることについては素人ですから、推測の域をでませんが、私見ではつぎのとおりです。

○人体への許容限度の1,000μシーベルトは、外部被爆のみで、内部被曝は考慮していないと思います。

○内部被曝による障害は、ただちに発症するのではなく、長年の被爆によって、しかも他の原因と複合して発症するようです。

○レントゲン検査とは、放射線の種類が違うので、政府発表にそれを考慮している説明しているのか、分かりません。

○海洋汚染について、魚等の食物連鎖による放射性物質の濃縮は十分考えられます。しかし、ただちに起こることでなく、長期的スパンの問題ですから、現時点での実証はなかなか難しいです。

―原爆症認定において、内部被爆が健康に与える影響は僅少で、考慮していない、と裁判では言っています。


★落合栄一郎さん(化学者、バンクーバー九条の会会長)

質問1)

 先ず、これらの基準値には内部被曝については考慮されていないでしょう。ただ、水や食物内の放射能は、内部被曝になるわけで、これは別。しかし、これ以外の環境でも、チリ、ほこりなどに付着した放射線物質が体内に入る可能性はあるので、それも本当は考慮しなければならないが、そんなことを計測できるわけがない。いずれにしても、暫定値は一応の目安という程度の意義しかない。その上、他の様々な要素も特定されなければ、放射線の人体への影響は予測できない。まず、測定値だが、それがどの地点のどの時間のものであり、それが時々刻々変化していると思われるから、その時間を追ったデータを見なければ何とも言えない。今のこの瞬間に10000ミクロあったとしても、1時間後、1日後にはかなり変化しているでしょう。また外部被曝に関しては、核種(ヨードかセシウームかその他か)はあまり問題がないが、内部被曝にかんしては、核種を特定することは重要です。私は、日刊ベリタへの投稿にも書いたが、十分に意味のある放射能データは、かなり組織的に測定し(場所;例えば2kmおきとか、時間2時間おきとか;放射線量と放射線を出している核種)、それを総合的に集積して、分析、それから分布図とその時間変化から、ある程度の予測できる程でなければ、十分なことは言えないと思っています。しかし、現実にはそんなことはできないでしょうから、どうするか。私はあまりこれ以上のことは言えない。おそらく、経験者で本当のことを言る人の判断に任せるしかないでしょう。

 今政府が言っている、ある特定の時点での数値で、それが低く健康に影響はないだろうというのは、まずその測定値が今後もそのまま継続することを想定していないのでしょう。あなたが言うよう
に、今の測定値が低くても、それに24時間、365日晒されていれば大きな数値になることは明らかですが、今の事態では、誰も、今後放射線量がどのように変化するのかわからないはず(放送では、放射能測定値が徐々に減少傾向にあることを強調している) なので、これからの1年間、半年間で、どの人がどの程度の被曝をするかなどはとても予測しえない。だから、現在は、このあたりは、かなり放射線量が大きいから、退避すべき、屋内になるべきいるべきとかのことしか言えないのだと思います。こちらはいいとしても、逆にこの線量だから、健康に影響はないとはいえない。ただし,そう強調すると、だれも安心して生きていられない。おそらく注意深く、放射線量の発表に注意して、なるべく、放射線にさらされないような生活をする(どのようにか?)しかないのではないかと思う。こんな不安の生き方を人々に強いるのは、原発があり、それが故障しかねないからなのです。だから、安心して生活が出来るようにするには、原発はまず廃止しなければならない。

質問2)

 私は、海での放射性物質の問題は、あまり重要視していない。という意味は現実問題としてであり,放射性物質を海に垂れ流すことは容認されるという意味ではない。放射性物質は海に入ったからといってなくなるわけではないし、半減期にしたがって、ずっと滞留しているはずです。放射性物質を海に流しつづけれは、どんどん溜っていく(特に半減期の長いものは)、海中濃度が上がる。
 さて、海は流動している、潮の満ち干だけでもかなり動いている。一度放出された放射性物質は、それによりかなり速やかに、広範囲に拡散していくでしょう。もちろん、これも一概にはいえな
い。湾などで、外海との水の流通があまりないところでは、拡散しないで滞留するでしょう.

 通常、すなわち海流の激しい場所では、放射性物質の海中濃度は、すぐに非常に小さくなるでしょう。これが一つと、別の問題は、それでも、海に住む生物には、低濃度であれ、吸収されること
は事実です。問題は、その体内の濃度がどう変化するかですね。吸収速度と排泄速度のかねあいです。それは核種とその化学的状態(化合物形態)にもよるし、生物の種類にもよるでしょう。モノによっては(すなわち排泄しにくいもの)食物連鎖を上がるに従って、濃縮されることは事実ですが、どの化合物が、そうなのかは簡単には言えない。これからは、私の推測ですが、おそらく、セシウームは、化合物形態として食塩などと同じでしょうから、比較的早く出ていくでしょう。また、ヨードは、水中では、やはりヨードイオンの形で、体内に長く留まることはないと思う。ということは、これらは食物連鎖で濃縮される(としても)率は低いと思われる.ストロンチウームは、骨にカルシウームと同様にとりこまれるので,非常に出にくい。したがって濃縮される。

 いずれにしても放射能物質の拡散は,海に限らず空中を通して他国にまで影響を及ぼすわけで、国際信義上も、なるべく出さないようにするべきである。

 余談だが,地上で、ヨード-131とセシウーム-137が特に問題なのは,前者は、ヨードが,甲状腺ホルモン(チロキシン)の一部で、体は、放射性であるかないかは区別せず(できない)にヨードを取り込む(だから放射性ヨードも)、それが甲状腺組織を破壊する。セシウームの場合は、土壌などに取り込まれ、そこに留まり、それが農作物に吸収されて、人間の体内に入る。入ったセシウームは、かなり速やか(60日ぐらいと言われている)に出て行くにしても、その期間にダメージを与えるし、後から後から食物を通して入って来るのだから、排泄が速くとも、どんどん溜っていくでしょう。その体内被曝が恐ろしい結果をまねく。