Showing posts with label 仲宗根勇 Nakasone Isamu. Show all posts
Showing posts with label 仲宗根勇 Nakasone Isamu. Show all posts

Saturday, June 16, 2018

仲宗根勇「12・26とは何か 〜翁長知事が招いた辺野古裁判敗訴の分水嶺〜」

元裁判官の仲宗根勇氏は辺野古の現場での闘いの最前線に身を置きながら基地阻止のための建設的問題提起を続けている。氏が6月15日に自らのフェースブックに綴った文は仲井眞前知事の埋め立て承認時から現在までの経緯を振り返る貴重な記録であると同時に、翁長知事の「撤回」が待たれる中、辺野古側の護岸工事がもうすぐ終了し、土砂の投入を待たずとも、囲まれた海の生物多様性が重大な危機にさらされるという状況下、疑問を持つ県民も多い中で見切り発車した「県民投票」に揺れる運動現場からの声である。

K4護岸 ②工区側 あと100メートルほどでつながってしまう
(6月13日 乗松聡子撮影)


本文より:
知事就任から3年余を経過した現在においてなお、撤回原因を法的に検討すると主張して、翁長知事が承認撤回を逡巡する真の理由は何なのか。県民の間で大きな疑問が持たれている。安倍政権下の三権分立に幻想を抱き、裁判における「民意」の効力を法的根拠なく安易に過大評価する県民投票実施論は、辺野古新基地建設阻止を目的とするものとは思えず、翁長県政継続に何らかの「既得権益」をもつ特定の党派・団体・個人が、撤回を逡巡して窮地に立っている翁長知事の再選戦略をカムフラージュする政治的主張に他ならないと考える。


12・26とは何か  
〜翁長知事が招いた辺野古裁判敗訴の分水嶺〜

法的・政治的思想なき県民投票の流れを撃つ

仲宗根勇(元裁判官・うるま市「島ぐるみ会議」共同代表)

仲井真弘多前知事は、怪しげな面会謝絶の東京都内病院入院後、再選時の普天間基地県内移設反対の公約を破り、2013年の御用納めの前日12月27日にあたふたと辺野古埋め立てを承認した。2014年11月16日の県知事選挙では、県内移設容認に転じて三選を目指した仲井真知事に約10万票の大差をつけて辺野古新基地反対を掲げた「オール沖縄」の翁長雄志氏が当選した。その後の辺野古埋め立て工事は、2度(2015年8月10日からの1か月間、和解が成立した2016年3月4日から承認取り消しを取り消した2016年12月26日までの間)の工事中止を挟み、着々と進められた。完成近いK4護岸とすでに完成したN5護岸・N3護岸に囲われる水域に8月17日にも土砂が投入される事態にまで立ち至っている。

引き返し不可能な時点が近づくこうした現在の緊迫した状況下で、昨年から各所の論争で現れては消えていた、辺野古新基地建設の是非を問う県民投票実施論が県民投票に消極的な「オール沖縄」から脱退した「かねひで」、「かりゆし」など経済人らの主導で息を吹き返した。それまでは、「オール沖縄」はじめ県内世論の主流は県民投票に否定的であった。しかるに、あろうことか社民党県連が口火を切り社大党そして共産党までも流れに乗って、県政全与党が県民投票推進に全面協力する県民投票推進陣営に鞍替えした。6月15日には自治労県本部まで県民投票に協力する決定をした。

しかし、今や、知事就任以来、かくも長き翁長知事の不可思議な「承認撤回」不在に対し、翁長氏を知事に押し上げ辺野古の反対現場で戦う多数の県民は県政=翁長知事に不信感を隠さず、同時に党利党略で県民投票推進論者に豹変した思想なき「革新」政党、労働団体に対する政治不信が広がっている。日頃のゲート前には姿を見せず、県民多数が集結する大きな集会には顔を出して演説をし、いつの間にさっさと現場から姿を消す議員先生やダラ幹たちに、本当に辺野古新基地を阻止する気があるのか。

この時点での県民投票の持つ諸々のリスク(稚拙な県民投票運動組織・投票率50パーセント以下となった場合の投票の無意味化・投票結果の勝敗リスクの不確実さ=基地建設賛成が多数となった場合の反対運動への壊滅的影響・その責任は誰がとるのか、反あるいは非翁長派首長自治体=「チーム沖縄」の投票実施への非協力・意識的投票棄権運動の恐れや条例制定までの5〜6億円の県予算措置の必要性・権力私物化が強く疑われる森友問題などについて関係者全てを不起訴にした特捜検察も含め、安倍政権下で行政に従属する司法に見られる三権分立崩壊の現実など)を十分に考えての「変身」なのか。

県民投票のデメリットはあまりに多く、県民投票は、政府の思う壺である工事の進行を投票結果が出るまでの5〜6か月以上も進行させる結果を招く。投票結果が「建設反対多数」の民意であっても、それに法的拘束力はなく裁判上の決定的効力はないのに、「裁判所はこれを無視できず」(「辺野古」県民投票の会の広報紙)などというのは、「県民が必ず責任ある1票を投じるはずである」とのたまうさる大学教授に代表される県民投票論者の、法的根拠のない無責任な希望的観測ないしは幻想にしか過ぎない。

投票率が50パーセント以下の極端に低い結果に終った場合や、県民投票推進運動が運動途中で頓挫し、たとえ、県民投票実施まで至らなくても、それまで無駄に空費された時間とエネルギーは辺野古新基地阻止運動のエネルギーを分断・消耗させ、さらなる工事強行の絶好の口実を政府に与え、これまでの数多の選挙で示してきた辺野古新基反対の沖縄の圧倒的民意をも覆滅しかねない危険な愚挙以外のものではない。新基地建設工事が機動隊に守られて粛々と進む辺野古現場の状況を知らず、安倍政権下の三権分立に幻想を抱き、投票結果である「民意」の効力を法的根拠なく裁判において過大に働くと素朴に評価する県民投票実施論者の実体は、辺野古新基地建設阻止を本来の目的とするものとは思えず、翁長県政継続に何らかの「既得権益」をもつ特定の党派・労組・団体・個人が、撤回を逡巡して窮地に追い込まれている翁長氏の今年11月の知事再選戦略をカムフラージュする政治的主張に他ならないと考える。

翁長知事就任から承認撤回を未だにしない現在までの辺野古新基地建設問題をめぐる国と沖縄県との間の法律関係と裁判の経過を時系列で追ってみると、知事が埋め立て承認取消しを取り消した(取消処分の取り消し)2016年12月26日が辺野古裁判の勝敗を分かつ分水嶺となったことが明白となる。取消処分の取り消しにより前知事の埋め立て承認が復活し、翌日12月27日から工事が再開され現在に至っているからである。時系列の大略は、次のとおりである。

2013年12月27日・仲井真弘多知事が辺野古埋め立てを承認→2015年7月16日・第三者委員会が承認の法的瑕疵を検証した報告書を翁長雄志知事に手交→2015年8月4日政府が8月10日から1か月間工事を中断し県と集中協議をすると発表(5回にわたる協議は不調)→2015年10月13日・第三者委員会の検証結果に基づき知事が承認を取り消す→2015年10月27日・行政不服審査法に基づき国交相が知事の取消処分の執行を停止→2016年3月4日・代執行訴訟で和解成立・同時に工事中止→2016年3月7日・和解条項に基づき国が知事に対し取消処分の是正を指示→2016年3月23日・県が国地方係争処理委員会(係争委)に是正指示の審査申し立て→2016年6月17日・係争委が是正指示の適法違法の判断を回避し双方に「真摯な協議」を求める決定→係争委の決定に従い、県は、和解条項第5項、第6項に基づく1週間以内(地方自治法上は国の関与があった日から30日以内)の地方自治法所定の是正の指示の取消訴訟を提訴せず→2016年7月22日・国が是正指示の不作為違法確認訴訟を福岡高裁那覇支部に提訴→2016年9月16日・同支部で県敗訴判決→2016年12月20日・最高裁で県の上告棄却判決(=高裁判決の確定)→2016年12月26日・知事が埋め立て承認取消しを取り消す→承認が復活し、翌日12月27日から工事が再開された。

こうして、翁長知事就任後の新基地問題をめぐる県と国との法律関係は、知事の2016年12月26日の承認取消しの取り消しの結果、3年前の2013年12月27日の時点の出発点に戻り、前知事当時の県と国との法律関係に復帰し埋め立て承認が復活した。その結果、翁長知事の承認取り消しに端を発する沖縄県の国との法廷闘争の結果はゼロと化し、知事就任後3年余という歳月だけが無意味に流れた。すなわち、公有水面埋め立て承認手続に関する第三者委員会が前知事の承認処分の法的瑕疵を約半年間もかけて検証し瑕疵の存在を指摘した報告書並びに工事中止に目がくらみ和解条項(特に第9項に潜むワナ)を十分吟味せず「和解に県のデメリットはなく県の勝訴と同然」と和解に秘められた安倍官邸の思惑に深く考慮をめぐらさず、あたふたと成立させた代執行訴訟での和解成立に有頂天になっていた県の訴訟代理人たちの自画自賛もすべて白日夢と化した。

最高裁の判決前から翁長知事は、判決後に承認取消しの取り消しをするという発言を繰り返していた。これを問題視する団体はオール沖縄の中にはなく、唯一、私(たち)の運動体のみが早くから高江の集会現場で訴え、那覇市内で承認取消しの取り消しをするな、との反対ビラを撒き、私(たち)に呼応して2016年12月26日の早朝に県庁ロビーや知事公舎前に集結した100人足らずの仲間たちが、承認取消しの取り消しをする法的理由はないと知事に訴え、同時に適時の承認撤回も要請した。私たちが、12月26日に県知事に提出した要請書の要請理由は、最高裁判決により確定した福岡高裁那覇支部の確認訴訟判決に執行力はないこと、辺野古新基地建設問題をめぐり敗訴した確認訴訟は3月4日に成立した和解とは関係ない訴訟であり、したがって管官房長官がしきりに主張する和解条項第9項の適用の根拠はないこと、その確認訴訟の敗訴判決からは承認取消しを取り消す法的義務は生じないこと、「判決に従う」旨の知事の法廷での陳述は承認取消しの取り消しの理由にはならないこと、承認取消しの取り消しの法的効果は即時に前知事の承認を復活させ工事再開に結びつき工事阻止を最終的に不可能にするほど絶大なものであること、和解条項第9項の義務を指摘していた確認訴訟提訴までの政府の声明や対応を考えると、今後の知事の諸種の権限行使を有名無実化ないし無効にして工事を強行する政府の策動が危惧される、というものであった。
 
承認取消しの取り消しは、前知事の埋め立て承認に法的瑕疵はなく適法であると翁長知事が積極的にその正当性を認めたことを意味する。したがって翁長知事は、辺野古新基地建設阻止のための諸種の知事権限(岩礁破砕許可の更新許可、サンゴ類の特別採捕許可、設計概要の変更の承認など)の行使にあたり、前知事の埋め立て承認の正当性を大前提にしなければならないことになった。その結果が、2017年からの辺野古新基地建設のための本部港(塩川地区)などの港湾の使用許可決定や、2018年2月16日の絶滅危惧種オキナワハマサンゴの特別採捕許可決定である(ただ、防衛局の同採捕許可の期間延長申請は3月1日県の不許可で失効した。また、防衛局の絶滅危惧2類のオキナワハマサンゴ8群体、準絶滅危惧のヒメサンゴ2群体の計10群体についての2018年1月24日と同年3月2日の特別採捕の各許可申請は、3月9日県が不許可としたが、防衛局は、4月5日オキナワハマサンゴ8群体の特別採捕許可の再申請をした。今後の再申請に対する県の対応は不透明である。)

こうして、あらゆる手段で辺野古新基地を阻止するはずの翁長知事は、知事権限の行使にあたり、2016・12・26の知事自らの承認取消しの取り消しをした行政行為によって自縄自縛状態の窮地に陥ってしまった。承認取消しの取り消しをしていなければ、工事を中止させたままの状態で、県は国が次々繰り出す法的手段に対し有効適切な法的対抗をすべき十分な時間的余裕が持てたはずである。翁長知事の2016年12月26日の承認取消しの取り消しこそが現在に至るまでの辺野古裁判の帰趨を決する分水嶺となっている事実は繰り返し確認されるべきことである。

このことを明確に認識している者は識者の中でも極めて少なく、新聞の署名入りの解説記事でも12月27日の「工事再開は最高裁判決の結果」と堂々と書く記者がいる。承認取消しを取り消した知事書面が沖縄防衛局に送達されて取り消し処分の行政行為の効力が発生した12月27日から工事が再開されついに2017年4月25日、政府は埋め立て工事を開始した。辺野古海上やゲート前で建設反対の意思表示をする県民を海上保安官・機動隊が実力排除する中でK9護岸工事が始まり、反対側のK1護岸〜K2護岸〜K3護岸とN5、N3護岸建設は予定の長さまですでに完成されて 2018年6月初旬現在、全長1029メートル予定のK4護岸の完成まで数百メートルを残すのみとなり、現場の報告では1か月以内に完成するのではないかと推定されている。

安倍内閣は、K4〜N5〜N3の護岸完成で囲まれる海域にこの夏7月から土砂投入を始める方針だと4月8日の「共同通信」が報じている。また、6月7日付読売新聞電子版の紙面トップで、政府が8月中旬にも埋め立て区域への土砂投入に踏み切り、本格的な埋め立て工事に着手する方針を固めたことが報道されたが、6月12日沖縄防衛局は、8月17日から土砂投入をすると、沖縄県赤土等流出防止条例に基づき県に通知した。辺野古新基地問題についてまさに急迫した事態が迫っている。

仲井真弘多前知事の一応有効な埋め立て承認の行政行為について、その成立に瑕疵があることを理由としてその効力をはじめに遡って失わせた翁長知事の承認取消を巡る裁判のプロセスは不作為違法確認訴訟で県敗訴が確定したことにより一応終止符が打たれた。その終止符と法的関係のない12・26の知事の任意の承認取り消しの取り消しにより、有無を言わさぬ国の工事強行に対し県は打つ手を封じられている現在、あらゆる手段での建設阻止を叫ぶ県政を支持してきた新基地反対の県民の間に諦めに近い閉塞感が広がっている。

この窮境を打開する手段は、知事が、これまでの「行政行為の取り消し」とは異なる「行政行為の撤回」を一日も早くする以外に道はない。それはつまり、埋め立て承認という前知事の有効な行政行為について、新たな事情が発生したためにその行政行為の効力を将来に向かって消滅させることであり、県は、その撤回カードをいまだ行使していない。県がいつ撤回という新たな行政行為(撤回行為)に踏み込むのかが、現在の翁長県政の焦眉の問題になっている。前知事の埋め立て承認後に事情の変遷があり、または新たな事由の発生があって承認処分を存続させることがもはや公益に適合しなくなったとしたら、翁長知事が、公益に適合させるため前知事の埋め立て承認の撤回をなし得ることは行政上・行政法の講学上自明のことである。

翁長知事は、就任以来記者会見などで何度も「承認の撤回も視野に入れている」と表明し、毎年の新年の年頭挨拶の中でも新基地建設阻止を県政の柱と宣言し、知事として初めて参加した2017年3月25日の辺野古集会では「力強く撤回を必ずやる」と公言し聴衆の喝采を浴びた。辺野古新基地建設が日ごとに進む一方で、選挙公約でもあり辺野古新基地建設をあらゆる手段で阻止すると表明してきた翁長知事が、多くの県民・市民団体が要請した承認撤回を逡巡するばかりか、建設阻止と矛盾する行動をとり続けていることに対する県民の苛立ちと不信感が2018年2月4日の名護市長選挙での現職敗退の一因となった。

前知事は2014年8月28日に沖縄防衛局の岩礁破砕等の許可申請を9項目の条件を付して許可した。防衛局が2017年3月31日までの許可期限が経過した4月25日に許可なく本体工事着工を強行したので、同年7月24日に県は岩礁破砕の工事差し止めを求める訴訟提訴と工事中止の仮処分申請をした。私は、この訴えは辺野古新基地阻止に有害・無益な訴えであると論じた(2017年8月4日付け琉球新報)。予想したとおり、仮処分申請についての判断は申請後速やかには出されず、本案(岩礁破砕の工事差し止めを求める訴訟)の判決まで先送りされた。本案の審理から判決までの間、工事は止まることなく粛々と進められ、審理期間は予想通り長期に及び提訴から約8か月後の2018年3月13日に本件各訴えはいずれも裁判所法3条1項の「法律上の争訟」に当たらず不適法であるとして却下判決が言い渡された。本訴の審理期間中工事は進み既成工事量が増大したのみでなく、防衛大臣は早速、勝訴判決は工事の後押しになると勝ち誇った。3月23日、県は控訴した。また、2018年2月の名護市長選挙では、政府・自民党と公明党などが支援する新人候補が辺野古新基地の賛否を明らかにしない理由を「県と国の係争中の裁判の結果を注視」するためとされた。訴訟の客体(訴訟物)の内容からして理由にならない逃げ口上にその訴訟提起が利用される羽目となった。県の最後の切り札であり将来起こる撤回裁判を県に有利に展開するためには、工事の差し止め訴訟提訴と工事中止の仮処分の申請及び予備的に提訴した本件確認請求に係る訴えは、結果的に長い審理期間中工事を止め得ず進行させただけの有害にして無益の訴訟でしかなかったことが明らかになった。

「うるま市島ぐるみ会議」は、知事に対し2017年1月13日から12月1日まで4回にわたって埋め立て承認撤回の要請をした。2018年6月9日の総会において、沖縄県知事に対し、5回目の撤回要請をすべきだと決議され、県庁において6月13日知事要請行動を行った(その報告は、翌日私のFBにアップした。)。1月の撤回要請に応対した謝花喜一郎知事公室長(現副知事)は、「要請の思いを強く受け止めている。しっかりと知事に要請内容を伝え、県民の思いに応えたい」と述べた。それ以後の要請における県の担当部局の説明でも、撤回理由について法的検討を続けており、今後の工事の推移も見ながら検討するとのことであった。だが、前知事の「承認書」に付された留保事項に違反し、防衛局に対する翁長知事のたび重なる指示を無視し、和解条項や係争委が求めた協議に国が応じなかったことなど違法な工事を進めている国に対して、埋め立て承認を撤回する正当な撤回原因はすでに多数発生しており、2014年11月16日大差で翁長雄志氏が県知事に当選した時点から「民意」を理由とした撤回原因も生じ、撤回は、知事就任後いつでも可能であった。

しかし、知事就任から3年余を経過した現在においてなお、撤回原因を法的に検討すると主張して、翁長知事が承認撤回を逡巡する真の理由は何なのか。県民の間で大きな疑問が持たれている。安倍政権下の三権分立に幻想を抱き、裁判における「民意」の効力を法的根拠なく安易に過大評価する県民投票実施論は、辺野古新基地建設阻止を目的とするものとは思えず、翁長県政継続に何らかの「既得権益」をもつ特定の党派・団体・個人が、撤回を逡巡して窮地に立っている翁長知事の再選戦略をカムフラージュする政治的主張に他ならないと考える。

K1護岸〜K2護岸〜K3護岸〜K4護岸とN5護岸、N3護岸が完成して繋がれて囲まれる埋立て区域に、この夏にも土砂の投下がされる予定と言われてきた。その時点では原状回復は不可能となり、その後に撤回しても、その撤回は事実上法的効果を失い、単なる知事選挙有権者向けの政治的パフォーマンスの意味しかないことになろう。現在、辺野古現場に集まる県民の数は減少傾向にあり、非暴力の県民が沖縄県の所轄の下にある県公安委員会が管理する県警の機動隊に暴力的に排除=ゴボー抜きされ、負傷させられて、多い時で一日300台を超える石材など建設資材満載のダンプトラックは辺野古ゲート前では1台さえも止められず基地内に入って、工事は進められている。

多くの県民、とりわけ辺野古現場で体を張って抵抗している県民の危機意識は強く、翁長県政への不信・怒りの声が地下水脈のように広がっている。高江現場における楽観論(「ヘリパット工事は政府の主張通りには進んでいない、政府が主張する2016年の年内完成は不可能」との主張)が結局、戦いの成果を強調したい者たちの希望的観測に基づく虚構でしかなかったように、移設する海底地盤の脆弱性や活断層の存在の問題等で工事はいずれ頓挫するとする工法・技術論に基づく楽観論は、安倍官邸の無法、悪辣さの前には解決不可能な建設技術はないとの悲観論へ視覚転換すべきものであると思う。新基地建設の現場工事の進行は早く、我々は、ポイント・オブ・ノーリターンの地点に限りなく近づいている危機的現実を率直に認めるべきだと思う。工事の引き返しがまだできるという論者は、辺野古現場に身を置かず、現場を知らず自己欺瞞の阿呆陀羅経を唱えているにすぎない。

結局、辺野古新基地工事が決定的な局面を迎えている現時点以降の県民投票は、「主権者としての働きかけが可能となる」というような呑気な民主主義一般論にすぎず、県民投票にかまけている5〜6か月以上の間に国に膨大な工事をさらに進めさせることを許し、仮に、県民投票の結果、建設反対の民意が明らかになっても、工事の既成事実の累積の一層の増大によってその後の撤回裁判においては、今すぐ民意以外の留保条項違反などの理由で撤回するよりもはるかに敗訴の確率が高くなる。沖縄の「民意」はすでに過去の数多の選挙で明らかになっており、過去の裁判で、安倍政権に忖度し操縦されている裁判所に一顧だにされなかったのに、今度の県民投票の民意だけが「裁判所に重視されるはずだ」とのたまう、「はずだ投票論者」の思考は根拠のない幻想に過ぎない。すでに私自身の論考(月刊誌「琉球」5月号)で明らかにしている多種、多数の撤回原因と「民意」を理由とする撤回原因は裁判上の効力に優劣はない。

翁長知事は、承認撤回を公約にしながら、だらだら撤回を先延ばし、2015年10月13日自らした承認取り消しを2016年12月26日に取り消して前知事の埋め立て承認を復活させ、港湾の使用許可を出し、一度は特別採捕許可をするなど「あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する」という公言に矛盾する行政行為を重ねてきた。県民投票実施論はこのような翁長知事の公約違反を押し隠し、2014年11月の知事当選後すぐにでも可能だった承認撤回を引き延ばしてきた翁長知事の免責運動でもあると思う。翁長県政各与党が揃って県民投票に協力することを今頃になって明言するに至っているのも、辺野古阻止のためではなく、彼らの議員生命延命の党利党略の選挙運動に利用せんとする政治的策動にすぎないであろう。前知事の承認埋め立て後の全ての選挙、世論調査、意識調査で新基地建設反対が過半数をしめた沖縄の民意に変化はないのに、更に長い時間をかけて民意を問う県民投票論者たちの前提となっていると思われる、翁長県政の検証を抜きにした翁長知事再選戦略は、今年11月の知事選において、現時点では展望できないいかなる想定外の事態を生み出すであろうか。(6月16日記)


このブログの過去の仲宗根勇氏関連の投稿はここを。

キャンプ・シュワブゲート前、トラックによる資材搬入を遅らせようと座り込む市民たち
(6月14日 乗松聡子撮影)


     

Wednesday, June 15, 2016

仲宗根勇: 沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い(映画『圧殺の海 第2章 辺野古』パンフレットより)

映画『辺野古』パンフレット
『Marines Go Home 2008-辺野古・梅香里・矢臼別』(2008)、『アメリカばんざい』(2008)、『圧殺の海』(2013)、など、米国軍事主義の闇を暴き闘う市民たちの姿を撮り続けてきている「森の映画社」の新作、『圧殺の海 第2章 辺野古』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)は、2014年11月翁長知事が誕生してから2016年3月、国と県の間の「和解」が成立するまで、「辺野古では何が起きていたのか」、海と陸における闘いの日々をドキュメントした作品だ。沖縄ではすでに5月末から6月にかけて上映、6月11日から大阪、6月25日から東京など全国で続々と上映される(詳しくは「森の映画社」のサイトへ)。

この映画のパンフレット『圧殺の海 第2章「辺野古」パンフレット』24-27頁、元裁判官の仲宗根勇氏の文を許可を得て転載する。この映画でも触れられている国と県の「和解」の第9項が判決確定後に県の手足を縛り不利にはたらく可能性とその対策について解説している部分は青字で示してある(注:文中参考資料として掲載した「和解勧告文」「和解条項」および末尾の仲宗根氏プロフィール、写真はブログ運営人による挿入。文中参考記事にもリンクを張っている)。

仲宗根氏は最後から2番目の段落で、もし県が新たな訴訟で敗訴した場合、「県が自ら招いてしまった第9条の拘束を自動的に受けることになるので、その拘束から逃れるためには、新たな訴訟の判決直前に翁長知事が埋め立て承認の撤回をするのが得策」と述べている。これは県が耳を傾けるべき重要な提言ではないか。@PeacePhilosophy



沖縄差別の集中的表現=辺野古新基地建設の暴力的強行
          
〜沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い〜  

            
仲宗根勇
(うるま市島ぐるみ会議・うるま市具志川九条の会共同代表)


 「沖縄差別」という言葉が今日ほど日常的に広く頻繁に語られた時代は、沖縄の近現代史においてかってなかったことである。近くは、1960年代から70年代初頭にかけての復帰運動がピークに達した頃の闘争の現場において、本土政府の沖縄に対する理不尽な仕打ちに対し、沖縄の民衆が現在のように「沖縄差別を許すな!」などというシュプレヒコールを唱えることはなかった。その理由は、当時の主流的な復帰運動が抱えた思想原理に内包されていたということができる。つまり、「祖国復帰」(母なる「祖国」への復帰)という言葉に象徴される当時の主流的な復帰思想は、日本国が単一民族国家であることを無意識のうちに前提にして、国民国家の構成員としての沖縄人イコール=日本国民という真正な等式が何の疑問もなく立論され、言わばその等式を前提にしての復帰運動であった。それゆえに、沖縄を含む日本国家の同一民族論に立つこの等式からは「差別」という観念は論理必然的に排除・隠蔽されねばならなかったわけである。しかし、この運動原理の前提とは異なり、沖縄人を異族視する、本土における一般的な民衆意識が広範に存在したことは、当時から現在に至るまで何ら変わってはいない。そうであるがゆえに、国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に全国の約74パーセントの在日米軍専用施設を押しつけて恥じない日本政府とそれを支持する多数の日本国民という不条理な構図が続いているわけである。

 しかし、「復帰」後40年以上の歳月が流れた現在、復帰に状況変革の夢をかけた沖縄の民衆の政治意識は大きく変容している。「復帰」前後においては、意識的に論じられることがなかったいくつもの論点・視点が公然と浮上してきた。例えば、沖縄人がいわゆる「先住民族」であるか否かが新聞紙上などで論争され、安倍内閣によって平和憲法が弊履のように捨てられている日本から離脱し理想の国家を構想する「琉球独立論」が学問的・運動論的に確かな形で民衆の前に立ち現れている。「日本会議」などの右翼勢力をバックにした安倍内閣が日本国憲法をクーデター的に解釈改憲して、自衛隊がアメリカの傭兵となって世界中で戦争をすることができる戦争法を強行採決し、沖縄差別の発現である辺野古新基地建設を暴力的に強行する日本国家に対する底なしの絶望がその背景にある。

 そもそも、沖縄に対する日本国からの差別は長い歴史を持っている。
日本本土の近世幕藩体制の支配の正当性は天皇の権威をバックにして構築されたものであった。豊臣秀吉は関白の権力を、徳川家康は征夷大将軍の権力を天皇の官吏として付与されて、その支配体制の秩序形成に成功したのである。

 これに反し、15世紀初頭、尚巴志によって統一された琉球国は天皇の秩序体系とは無縁の独立した国家であった。その支配の正当性は、中国皇帝からの冊封と女性が執りおこなう国家祭祀に基づいていたとされている。

 その万国津梁の平和国家は1609年の島津藩の侵攻によってあえなく首里城を明け渡し、島津の属国のような地位にありながらも、独立国として存立し続けていたことは、1854年のペリーとの琉米条約、1855年のフランスとの琉仏条約、1859年オランダとの琉蘭条約を琉球国が国家主体として締結した事実がその何よりの証明である。

 1871年(明治4年)明治維新政府によって、本土で廃藩置県が実行された際には、琉球国は鹿児島県の管轄下に置かれ、翌年に琉球藩とされた。そして、明治維新政府は琉球藩処分法を制定し、処分官に任命された松田道之が、1879年(明治12年)陸軍歩兵400余名、警官・随行官吏160余名を引き連れて首里城に乗り込み、「首里城明け渡し」「藩王尚泰の上京」「土地、人民などの引き渡し」を命じた「令達を朗読しこれを交付」(真境名安興「沖縄一千年史」)した、いわゆる「琉球処分」によって、琉球藩は廃止され沖縄県として廃藩置県がなされた。その後、沖縄人は、明治憲法下の天皇制国家の下に組み込まれ、台湾人、朝鮮人などの外地人とは異なる内地人たる「日本臣民」の範疇に入った。しかし、沖縄県が置かれた後においても、地方制度や土地制度、租税制度、裁判制度など多くの分野で、沖縄において本土とは異なる制度が施行された。沖縄県庁では長崎県や鹿児島県出身者が重要なポストを占め、量的にも少ない沖縄県出身者が重要なポストに就くことは極めてまれだった。東京帝国大学を出て県の高等官となった謝花昇が、県政刷新を目指して、「琉球王」の異名を持った薩摩閥の奈良原茂知事の専制との戦いに敗れ狂死した軌跡は今なお伝説的に語られている。

 本土では1873年(明治6年)に地租改正が実施され、土地所有者が確定されて地券が発行されたが、沖縄では1902年(明治35年)になってようやく土地整理事業(地租改正に当たる)が終了し、首里王府時代の封建的な旧慣土地・税制を改革し、近代的な土地所有権が確立され、それ以後、税法や民法などが施行された。王府時代の行政単位である間切(まじり)には番所(ばんじゅ)、村には村屋(むらや)のような地方制度が沖縄県設置後も温存され、沖縄に本土同様の地方制度が導入されるのはようやく1921年(大正10年)のことである。日本本土では1890年(明治23年)第1回の衆議院議員選挙が実施されたが、沖縄県民の意思を国政に反映させる選挙法の実施は本島で1912年(大正元年)、宮古・八重山は1919年(大正8年)のことであった。

 明治、大正期における本土と異なる制度の施行とその遅れが因となり果となって、1903年(明治36年)の「学術人類館」事件で露呈したような沖縄人を異族視する本土民衆の潜在意識が沖縄差別として拡大再生産された。その結果、皇民化教育=日本人教育が徹底されたこともあって、沖縄戦における日本軍によるスパイ容疑での住民虐殺、壕追い出し、食糧強奪、そして集団自決、法的根拠のない14歳以上の学徒の戦場への駆り出しなど、軍と防衛召集された県民の軍民一体化の状況下において、本土防衛のための「捨石」作戦により、「鉄の暴風」が吹きすさぶなか、四人に一人の県民十数万人の命が奪われ、「平和の礎」の死者台帳にその名を連ねる地獄図を呈する惨劇を招いたのである。

 1945年の敗戦後、沖縄は「戦後」民主主義下の本土から分離され、米軍の独裁的な裸の占領支配を受け続け、サンフランシスコ講和条約で日本は独立し、本土の占領は1952年に終わる。しかし、沖縄は講和条約第3条の軛(くびき)を背負い、1972年の核持込み密約・基地強化が実体の、名のみの「復帰」から現在に至るまで過剰負担の米軍軍事基地の重圧に呻吟し続けている。

 アメリカの「アジア回帰」戦略に呼応して集団的自衛権を現実化する戦争法を強行採決した安倍内閣が、諸々の選挙で示された沖縄の圧倒的な民意を無視し、アメとムチを振りかざして辺野古新基地建設を強行し、配備隠しの果てのオスプレイの配備強行、南西諸島への自衛隊配備を推し進めている現実それ自体、沖縄差別そのものの集中的表現である。

同時にそれは、憲法違反状態の小選挙区制と野党分裂が生んだ虚構の多数与党にあぐらをかき、日本国憲法を無視し立憲主義を破壊しつつ明文改憲をもたくらむ安倍内閣による、憲法クーデターともいうべき憲法の危機的状況を意味する。辺野古・高江の闘いは、沖縄の環境と未来を守るとともに、右翼・安倍晋三内閣による世界に冠たる日本国憲法の改悪策動を許さない、平和と人権を守る歴史的な闘いの最前線に位置する。

 その現場の闘いの場外戦ともいうべき法廷における国・県の闘いもほぼ同時的に進行してきた。

 2013年12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が同年3月22日にした辺野古沿岸部埋め立て申請を承認した。知事再選時の県内移設反対の公約を破り、国の環境影響評価書の環境保全措置では自然環境の保全を図ることは不可能との知事意見も出しながら、申請を「行政手続上適法」として承認したのであった。承認直前に上京しての不自然な面会謝絶の病院入院後の官邸との協議で、3000億円の予算や5年以内の普天間停止の政策約束を内閣総理大臣から取り付けたとして、「いい正月ができる」などと浮かれた発言をしたことで県民の激しい反発を買った仲井真知事は、2014年11月26日の知事選挙で10万票の大差でかっての盟友翁長雄志那覇市長をかつぐ「オール沖縄」に惨敗した。当選した翁長知事は公約を実現すべく、2015年1月26日埋め立て承認手続きを検証する第三者委員会を設置した。委員会は同年7月16日埋め立て承認に法的瑕疵ありとの報告書を提出し、それに基づき知事は同年10月13日埋め立て承認を取り消した。沖縄防衛局は、行政不服審査法を濫用して県知事の承認取り消しを違法としてその無効を求める審査請求と執行停止を国土交通大臣に申し立てた。同年10月27日国土交通大臣は承認取り消し処分の効力を停止する決定をした。これに対し、沖縄県は同年12月25日効力停止決定の取り消しを求める抗告訴訟を那覇地裁に提訴した。また同じ効力停止決定に対し、国地方係争処理委員会への審査申立て(同年11月2日)が却下(同年12月24日)されたのに対し、2016年2月1日、執行停止決定の取り消しを求めて福岡高裁那覇支部に提訴した。こうして、二つの訴訟を県が提訴せざるをえなかったのは、農水相によって県知事の沖縄防衛局に対する作業停止指示の効力が2015年3月30日に停止された過去から学ばず、沖縄県が再び同じ轍を踏み、取り消しの効力停止決定を阻止する法的手段(私が県の基地対策課と面会し提言書を提出した、国土交通大臣による執行停止決定前にすべき行政事件訴訟法37条の4〜5、3条7項の差止めの訴え提起・仮の差止め申立て)があったにもかかわらず、取り消しの効力停止決定をなすがまま許してしまった結果に他ならない。一方、国は福岡高裁那覇支部に代執行を求める代執行訴訟を同年11月17日に提起していた。

 こうして三つの訴訟が係属している中で、2016年1月29日代執行訴訟の第3回口頭弁論後に福岡高裁那覇支部からA案、B案の二つの和解案が同時に示され、和解勧告がなされた。そして3月4日電撃的に和解が成立した。和解において高裁に係属した国・県の訴訟及び沖縄防衛局の審査請求・執行停止申立てを取り下げることに双方同意し訴訟・審査請求・執行停止申立ての係属が消滅した。その結果、国土交通大臣がした承認取り消し処分の効力停止決定は失効し、翁長雄志知事がした承認取り消しの行政行為の効力が復活した。そして「沖縄防衛局長は、埋め立て工事を直ちに中止する」(和解条項第2項)ことになったのである。


1月29日の和解勧告文(ブログ運営者が挿入)

3月4日成立の和解条項(ブログ運営者が挿入)


 二つの和解案の内容が報道された直後から、私は、和解勧告の時期・方法についての異例の訴訟指揮の仕方に加え、和解案A案にある条項(「原告(国)は、新飛行場をその供用開始後30年以内に返還または軍民共用空港とすることを求める交渉を適切な時期に米国と開始する。」)を疑問視した。この条項では、交渉開始時期が不明確であるのみならず、米国との交渉の成否は第三者である米国の意思いかんで決まる不確定なものであるから、国が「自由に処分しうる権利または法律関係」が和解の内容とはなっていない。

 「当事者が自由に処分しうる権利または法律関係」について「当事者双方間に互譲(ゆずり合い)がある」ことが訴訟上の和解の成立要件である。従ってこの条項は和解成立の要件を欠き無効なものとなる。通常の能力を持つ裁判官がこのような和解条項を提案するはずはなく、これは、裁判事務に不案内の法務官僚が作成したものだろうと、私は、直感した。2016年3月24日付けの中日新聞や沖縄タイムスに共同通信の配信記事が掲載された(「菅氏主導 極秘の調整ー辺野古和解の舞台裏」(中日新聞)、「国、移設へ透ける打算ー辺野古訴訟和解の裏側」(沖縄タイムス)。その記事内容は、案の定、私の推測どおりであった。記事によると2月2日に首相官邸の執務室で首相が国の訴訟を所管する法務省の定塚誠訟務局長らと協議、2月12日には官房長官、外務、防衛大臣と定塚誠訟務局長が協議の結果、B案(暫定的な解決案)の受け入れに傾く。記事は、「関係者は『定塚氏は高裁支部の多見谷寿郎裁判長と連絡をとっていたとみられる』と証言する。」とも書く。三権分立、司法権の独立に重大な疑念を抱かせる驚くべき内容である。「多見谷寿郎裁判長と定塚局長は、成田空港に隣接する農地の明け渡しを求めた『成田訴訟』を千葉地裁、東京高裁の裁判官として手がけた過去がある。多見谷氏が福岡高裁那覇支部に異動になったのは昨年10月30日のことである。」(2016年3月24日付沖縄タイムス 社説)「送り込み人事」が疑われ得る多見谷裁判長と貞塚局長のこの間柄からすると、関係者の「証言」は、法務省を含む官邸側が裁判長と裏で通底したのではないかとの疑いを抱かせる。

 代執行訴訟和解勧告文は「仮に本件訴訟で国が勝ったとしても、さらに今後、埋立承認の撤回がされたり、設計変更に伴う変更承認が必要となったりすることが予想され、、、知事の広範な裁量が認められて(国が)敗訴するリスクが高い。」と指摘する(その指摘の理由は後述)。そしてB案の最後の条項は「被告(県)と原告(国)は、違法確認訴訟判決後は、直ちに判決の結果に従い、それに沿った手続を実施することを相互に確約する。」とする単純明瞭な確認条項である。

 ところが、和解条項第9項は「原告および利害関係人(沖縄防衛局長)と被告は、是正の指示の取消訴訟判決の確定後は、直ちに、同判決に従い、同主文およびそれを導く理由の趣旨に沿った手続きを実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する。」と修正された。この修正は官邸と法務省が舞台裏で綿密な法廷戦術をねった協議の結果と思われるが、「これを根拠に菅氏は再訴訟で勝てば、、、辺野古移設を推進できるとのシナリオを描く。」と記事は書く。

 B案と和解条項第9項の違いは明白である。B案が単に「判決の結果に従う」というのに対し、9項では「主文」、「主文を導く理由の趣旨」(これは実務上「判決理由」と呼ばれる)、「その後も同趣旨に従って」と三重に重ねた「確約」がされている。

 主文とは判決の結論の部分のことで、判決主文ともいい、訴えの却下、請求認容または請求棄却を明示し、既判力、執行力が働く範囲は民事訴訟法114条第1項(「確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。」)により主文が基準になるので、法定事項をわざわざ和解条項に記載する必要はない。B案に「主文に沿った」云々の記載がないのは当然である。したがって、第9項に本来、記載不要の「主文」の文字を冒頭にあえて記載したことは不自然であり、その真の記載動機は、核心的でより重要である「およびそれを導く理由の趣旨」以下の文章から相手当事者の注意力をそらせ隠そうとした、目くらましの策略であったと考えるほかない。

 判決理由とは、判決の中で、主文の判断を導く前提事実や争点、法の適用を示して判断の過程を明らかにする部分で、判決理由そのものは既判力をもたない(被告の相殺の主張についての判断にだけ唯一例外的に既判力が生じる 民訴法114条第2項)。

 既判力というのは、裁判が確定した場合、その裁判で判断された事項は当事者も裁判所も拘束され、再び訴訟上問題になっても先の判断と矛盾する主張や裁判は許されなくなる効力のことである。従って、判決理由については既判力がないので、当然に、先の裁判の判断と矛盾する主張は許されることになる。和解勧告文で埋立承認の撤回や設計変更に伴う変更承認に触れている理由は、国が勝訴しても、その判決理由に既判力がないこと、つまり和解条項第9項のような3重の合意が前提になっていないからこそ、知事の権限行使などに対する国のリスクが残ることを指摘しているわけである。しかし、和解条項第9項の合意により、当事者双方が主文と同様に判決理由にも既判力を認めたことになると解されれば、例えば、仮に「埋立は国防・外交関係に関わるので、知事には公有水面埋立法上の判断権がない」とする判決理由により県が敗訴した場合、県は、合意に基づく判決理由の既判力により、県に不利に判断された判決理由に拘束され、それと矛盾する設計変更承認などの知事の権限行使の主張が許されなくなるので、後日の県の権利行使に対するリスクを国は負わないことになる。

 2016年3月10日付けの毎日新聞は、「政府が和解に応じたのは、(第9項の)『その後も』に注目し、『新たな訴訟では負けない』(官邸筋)との見通しの下、判決が確定すれば県の協力が得られると考えたからだった」と報じた。また、3月12日の日本経済新聞も「和解案は『新たの訴訟の結果が出たら双方が従う』というのが合意の前提だ。」として「(移設完了時期が遅れる)和解を選んだ背景には普天間移設の実現に向けた安倍晋三首相の「急がば回れ」の判断と、それを認めざるを得ないオバマ米政権の姿があった。」と報じた。

 官邸と法務省が練り上げ、和解条項第9項に込めた意図はまさに報道の通りであろう。これと異なる沖縄県の代理人らの第9項解釈は、和解の結果の、県側の「勝利」性を強調するとともに、自己の訴訟代理行為の無過失・無謬性を弁証する独自の希望的解釈に過ぎない。3月1日に谷内正太郎・国家安全保障局長が訪米しホワイトハウスでライス大統領補佐官(国家安全保障担当)と会談し、和解について米国の理解を得たことも伝えられた。また、和解成立前、安慶田副知事が上京し、官邸と和解成立に向けた非公式協議をしたと思われる報道もあった。官邸側の和解に至るまでの過程が周到に準備されたのに対し、県側は、弁論終結後は裁判所と県の代理人との話し合いはなく、彼らにとって、国の和解受け入れは「突然の話だった」(竹下代理人 3月5日付琉球新報)のでドタバタと裁判所の和解期日呼び出しに応じて出頭し、熟慮の時間もなく和解合意に至ったものと思われる。

 第9項の文言と新基地建設は止めると言ったこととの整合性に疑問を呈した記者の質問に対し、県の竹下代理人は、和解条項第9項の射程範囲は埋め立て承認の取り消しだけに限られ、判決後の知事の権限行使などはできると答え、「少なくともこの和解に関しては(県に)デメリットがあるとは考えていない。」と述べている(2016年3月5日付琉球新報)が、「(和解せずに)沖縄が勝てる闘いを最後まで闘い抜いていれば、より大きな実を手にしていた可能性はないだろうか。『和解』は果たして沖縄に利する選択だったのか。和解に至るまでの過程とともに多角的な検証が必要である。」と述べる平安名純代・沖縄タイムス・米国特約記者の提言(2016年3月23日付沖縄タイムス「想い風」和解成立 利益は誰に)にこそ真相が潜むように思われる。
 
 翁長知事は新たな訴訟の判決確定後の対応について、埋め立て承認の撤回も視野に入れると4月5日の毎日新聞とのインタビューで明らかにした。(4月6日付毎日新聞)。
しかし、県の敗訴が確定した後は、県が自ら招いてしまった第9項の拘束を自動的に受けることになるので、その拘束から逃れるためには、新たな訴訟の判決確定前、かつ可能な限り長期間の裁判続行の後の弁論終結前後に承認の撤回をする方が得策であると考える。 

 公益上の必要があるときはいつでも自由に撤回はできるが、是正の指示の取消訴訟判決確定まで協議を続けることになっているから、裁判の期間が長いとそれだけ工事の中止期間も長く続く。すると承認撤回が争われる後日の裁判までの既成の工事量が少量に止まりその経済的損失もさほど増えないので、撤回の要件である「公益上その効力を存続せしめえない新たな事由」と工事の既契約関係者の受ける契約損害・経済的損失との比較考量の際に県に有利な事情となり、また、撤回によって生ずる不利益に対する補償をする場合に補償の額を最小限に止めることができる。和解成立当日やその後の訪米時のオバマ大統領との会談で安倍首相が「辺野古移設が唯一の選択肢は不変」と発言したことは、国が「円満解決に向けた協議を行う。」(和解条項第8項)気などさらさらないことを示している。

 結局、法廷闘争の帰結とは関係なく、基地包囲の闘いの現場に結集する県民の無抵抗・不退転の民衆運動の持続発展こそが辺野古・高江の闘いの帰趨を決することになるだろう。(2016年4月20日脱稿)


なかそね・いさむ

1941年うるま市生まれ。1965年東大法学部卒業後、琉球政府裁判所入り。2010年東京簡易裁判所で退官。現在、うるま市具志川九条の会・うるま市島ぐるみ会議各共同代表。近著に『聞け!オキナワの声 闘争現場に立つ元裁判官が辺野古新基地と憲法クーデターを斬る』(未來社、2015年)、『沖縄差別と闘う 悠久の自立を求めて』(未來社、2014年)。