Tuesday, May 17, 2011

安斎育郎: 外部、内部被ばくを最小限に抑える方法

5月8日、福島から戻ったばかりの安斎育郎さんからメールが届きました。「保育園のグラウンドの表層土をはがすと放射線のレベルが減ることを確かめてきました」とのことでした。また貴重な資料を三点送ってくれましたので、ここに一挙掲載します。

1)「原発事故による放射能災害と子どもたちの生活-放射線被ばくをどうやって少なくしましょうか?-」
2)「福島原発事故が教えてくれるもの」
3)「原発事故対応の科学性を問う」

2)と3)は一部内容が重複していますが、合わせて、1)のサマリーの詳述になっています。重要と思うところに下線を引いてあります。福島をはじめ、日本中の人たちがどうやって被ばくを最小限に留めるかのヒントがたくさん詰まっていますので是非お読みください。

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1)
「原発事故による放射能災害と子どもたちの生活」
─放射線被曝をどうやって少なくしましょうか?─

安斎育郎(安斎科学・平和事務所 所長)

(プロフィール)1940年、東京で9人兄弟の末子として生まれる。1944年、二本松に疎開。二本松小学校から小3で東京へ。公立の小・中・高校を経て東大工学部原子力工学科卒、工学博士。1969年に東京大学医学部助手になり、東京医科大学客員助教授をへて、1986年、立命館大学経済学部教授、88年、国際関係学部教授。1995年より、国際平和ミュージアム館長。2006年4月より立命館大学特命教授・名誉教授。2008年4月より国際平和ミュージアム・名誉館長。現在、安斎科学・平和事務所所長。平和のための博物館国際ネットワーク・執行委員。南京国際平和研究所・名誉所長。ベトナム政府より、文化情報事業功労者記章受章。第22回久保医療文化賞受賞。国境なき手品師団・名誉会員。著書に、『からだのなかの放射能』(合同出版)、『食卓の放射能汚染』(同時代社)、『人はなぜ騙されるのか』(朝日新聞社)、『ビジュアルブック語り伝えるヒロシマ・ナガサキ』全5巻(新日本出版社、第7回学校図書館出版賞)、『ビジュアルブック語り伝える沖縄』全5巻(同、第9回学校図書館出版賞)、『ビジュアルブック語り伝える空襲』全5巻(同、第11回学校図書館出版賞)、『だます心 だまされる心』(岩波書店)、『日本から発信する平和学』(法律文化社)、『放射線と放射能』(ナツメ社)、『だまし博士のだまされない知恵』『だまし世を生きる知恵』(新日本出版社)、『ホントにあるの?ホントにいるの?』『これってホントに科学?』『福島原発事故─どうする日本の原発政策』(かもがわ出版)など多数。NHK人間講座「だます心 だまされる心」(全8回)、日本テレビの「世界一受けたい授業」等に登場。

1 放射線は被曝しないにこしたことはない

(1) 放射線被曝と人
① 身体的影響(確定的影響・確率的影響)、②遺伝的影響、③心理的影響、④社会的影響
② 確率的影響=癌当たりくじ型影響→当選確率は?=100ミリシーベルトで癌が0.5%増)

(2)放射線を出すものを取り除く─これ基本

(3)放射線防護の原則
  ①外部被曝から防ぐには?─遮蔽、距離、時間
  ②内部被曝から防ぐには?─体の中に取り込まない(ヨウ素剤)、取り込んだら排出する(下剤)

(4)被曝はどうやって測るか?
  ①外部被曝(線量計率測定器〈サーベイメーター〉、積算線量計〈安斎先生がいま着用してる〉)
  ②内部被曝(ホールボディモニター、バイオアッセイ〈おしっこ、うんち、つば、鼻腔スメアなど〉)

2 外部被曝から身を守るには?

(1) 放射線源を取り除く─放射能をばらまかない、庭の表層土を除去する、体や髪の汚染を防ぐ

(2) 放射線を遮蔽する─線源と人間の間に遮蔽物を置く(金属板。土嚢)

(3) 線源からの距離をかせぐ─なるべく汚染物から遠くへ

(4) 放射線を浴びる時間を短くする─時間短縮は最後の手段

3 内部被曝から身を守るには?

(1) 3つの汚染ルート(経口、経気、経皮)

(2) 経口摂取を防ぐ(汚染食品や汚染水に注意する、皮膚を覆うなど、食品を煮炊きする)

(3) 経気道摂取を防ぐ(マスクの着用、汚染砂の舞い上がりを減らす)

(4) 経皮吸収を防ぐ(皮膚を覆う、傷をつくらない)

(5) 食品汚染の実態をこまめに公表し、規制を徹底し、調理による除染効果を含めて知らせること。

4 どれくらい被曝する?

(1)外部被曝:安斎先生が福島入りして、どれだけ浴びた?→メーターを見よう。

(2)内部被曝:500ベクレル/キログラムで汚染したホウレンソウを200グラム食べたら被曝は?
→0.001ミリシーベルト程度(天然放射性核種カリウム40による被曝=0.2ミリシーベルト程度)

5 能書きも大事だが、何よりも実効的な対策を

(1) この間の政府の動きで感じたこと(同心円の避難指示、後手後手の事故対応、汚染放置の議論)

(2) えっ、“100億円のSPEEDI(スピーディ)よりも、100円ショップのコンパス”が使われた?

(3) 起こってしまったことの解釈はひとまずおいて、被曝を減らす努力を実践しよう

(4) そして、東北地方で「ガン検診・心のケアを含めた手厚い健康管理プログラム」の実践を

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2)

福島原発事故が教えてくれるもの

安斎育郎(安斎科学・平和事務所 所長)

原発被災地へ行く
 2011年4月16日、私は放射線測定器を携えて、福島の原発被災地に向かいました。1970年代から原発問題に一緒に取り組んできた現地の人々と会い、空間線量率を測定し、汚染地帯の表層土を採取するためです。放射線防護学を専門とする私は、この未曾有の大事故によってもたらされた被災の実態を自らの目で見、試料を採取しておきたいと願っていました。しかし、事故後のマスコミ攻勢の中で時間が見出せず、やっと71歳の誕生日にいわき市にたどり着くことができました。評論家の江川紹子さんが、取材のために同行しました。
 放射線のレベルは、いわき市内では0.45マイクロシーベルト/時程度でしたが、富岡町・大熊町・浪江町と原発近傍に近づくにつれて高い値を示し、最大50マイクロシーベルト/時にも達しました。東京都の普段の自然放射線のレベルが0.07マイクロシーベルト/時程度ですから、およそ700倍にも当たります。
 黄色い菜の花が群生し、枝ぶりのよい桜が満開の時期を迎え、野生の辛夷の花が美しく咲いていました。私自身も1944年から数年間、縁故疎開で福島県二本松に住んでいたことがあります。福島は父母の故郷なのです。本当に、金子みすゞさんの詩の一節にある「見えないものでもあるんだよ」というフレーズそのままに、地表を覆う「見えない何者か」が測定器の針を大きく振らせます。もしも放射性物質に赤い色が着いていたら、森も畑も野も道も、時おり出会う見捨てられたイヌも、何事もなかったように草を食むウシも、みんなみんな真っ赤に違いない─そう思いながら、「透明な恐怖」の中に沈む日本の故郷の原風景を後にしました。

放射線と放射能の基礎知識
 私たちの身の回りのものは、いや、私たち自身の体を含めて、みな「原子」と呼ばれる粒子で成り立っています。原子は、その中心にある「原子核」と外側の「電子」から成り、原子核は「陽子」と「中性子」という2種類の粒子から成ります。電子はマイナスの、陽子はプラスの電気を帯び、中性子はその名のごとく電気的に中性です。陽子と中性子は、まとめて「核子」(原子核を構成する粒子)と呼ばれます。
 原子核にある陽子数と、原子核の外を回る電子数は等しく、アルミニウムなら13、鉄なら26、金なら80、ウランなら92などと、原子ごとに決まっています。だから、陽子数(=電子数)のことを「原子番号」といいます。
 質量(目方)でいうと、中性子は陽子よりもほんの少しだけ重いですがほとんど同じで、電子はそれに比べると1800分の1以下の軽さです。だから、原子の重さの大部分は、陽子と中性子から成る原子核に集まっており、陽子数+中性子数(つまり、核子数)のことを「質量数」といいます。原子の質量をよく代表しているからです。
 原子番号が同じでも(つまり、同じ種類の原子でも)、原子核の中に含まれている中性子の数はいろいろなので、原子番号が同じなのに質量数が違う原子がいろいろあります。福島原発事故の経緯の中で「ヨウ素131」という核種が問題になりましたが、ヨウ素原子の原子核には陽子が53個含まれているので。原子番号は「53」と決まっていますが、中性子数は55個から91個のものまでいろいろあります(陽子数と中性子数を足した「質量数」で言えば、88~144までいろいろあることになります)。だから、原子番号53と言っただけではどのヨウ素原子か決まらないので、質量数を付け加えて「ヨウ素131」(陽子数53個+中性子数78個=質量数131)のように言い表します。
 普通は、鉄原子はいつまでたっても鉄原子であり続けるし、酸素原子がいつの間にか窒素原子に変わってしまうこともありません。しかし、中にはヨウ素131のように、放っておくと勝手にベータ線という放射線を出してキセノン131という別の種類の原子に変わってしまう原子もあります。このように、「放っておくと勝手に放射線を出して別の種類の原子に変わってしまう」性質のことを「放射性」といい、それを「能力」に見立てて「放射能」ということもあります。つまり、ヨウ素131は「放射性である」とか、「放射能をもつ」とか言い表します。一般に、放射能をもった物質からは「放射線」が出てきますが、この放射線を体に受けると細胞が傷つけられていろいろな影響があり得るので、原発から大量の放射性物質が環境中にばらまかれるような事態はとても心配です。

原子力発電の原理と放射能
 普通の原子に中性子をぶつけても、その原子の核がパカッと2つに割れるなどということはありません。ところが、ウラン235の原子に中性子をぶつけると「原子核分裂反応」というのが起こり、2つに割れ、強烈なエネルギーを出します。このとき、ウラン原子核の中に入っていた中性子が2つ、3つこぼれ落ちるので、これがまわりにウラン235原子に当たって核分裂反応が起これば、次々と反応が持続し、エネルギーを連続的に発生させることができます。これを「核分裂連鎖反応」といい、人類が最初にこの反応を利用したのが原爆です。
 でも、原爆のように一度に核分裂連鎖反応を起こすのではなく、制御しながらじわじわと連鎖反応を起こせば、安定的にエネルギーを取り出せるのではないか─これを実現しようと試みたのが「核分裂連鎖反応炉」(原子炉)であり、そのエネルギーで水を加熱して水蒸気を発生させ、その水蒸気でタービン発電機を回すのが「原子力発電所(原発)」に外なりません。石油や石炭に比べると、ごくわずかのウランから大量のエネルギーを取り出せるので、「第3の火」として注目されました。しかも、石油や石炭の燃焼時のように「2酸化炭素」(CO2)を出さないので、地球温暖化防止にも役立つと宣伝され、いよいよ「原子力ルネサンス」の時代が来たと言われていました。ルネサンスというのは「再生」という意味で、とかく評判がイマイチだった原子力が地球環境問題の中で見直され、再評価されたという意味が込められています。
 ところが、ウランの核分裂反応には、危険な牙が潜んでいます。ウラン235が中性子の作用でパカッと割れた結果できた破片(核分裂破片)が放射能を帯びているのです。「放射性核分裂生成物」といいます。原発を稼動させてウランの核分裂を持続的に起こせば起こすほど、ウランの核燃料の中には放射性核分裂生成物が大量にたまってきます。これが事故で原発の外に漏れ出すようなことになると大変です。福島原発事故の場合、確かに最初のマグニチュード9.0の巨大地震の揺れを感知して、原発の中には、核分裂の仲立ちをしている中性子を効率的に吸収するホウ素やカドミウムなどを含んだ「制御棒」というのが自動的に挿入され、核分裂連鎖反応は止まりました。
しかし、原発はそれだけでは安心できないのです。
 核燃料の中に蓄積されている莫大な量の放射性核分裂生成物が出す強烈な放射線の発熱のため、放っておくと核燃料が溶融する恐れがあります。溶融するとドロドロに溶けた燃料が原子炉容器やそれを収めている格納容器を溶かし、そこに、過熱した核燃料の被覆管と水の反応や、水の放射線分解で発生した大量の水素ガスが爆発したりすると、とてつもない量の放射能が施設外に放出されてきます。だから、何が何でも核燃料を冷却し続けなければなりません。その場合、核燃料が原子炉の中にあろうが、原子炉外の使用済み核燃料貯蔵プールにあろうが、事情は変わりません。
 福島の原発事故では、第1原発内の6つの原子炉のうち、1・2・3号機では原子炉の中で、3・4号機では貯蔵プールで、地震と津波による電源喪失のために核燃料を冷却し続けることができなくなりました。核燃料は破損・溶融し、閉じ込められていた放射能が核燃料の外に漏れ出しましたが、悪いことに、水素爆発で原子炉建屋や格納容器が損傷されたりしたため、大量の放射性物質が外部環境に放出されました。

放射能の拡散と人々の被曝
 政府は地震が起きた当日、原発から3キロ以内を避難・避難指示を出すとともに、3~10キロに屋内退避を指示し、翌12日には避難指示を20キロ圏内まで拡大しました。2日後の3月14日、通商産業省の原子力安全・保安院は20キロ以内の住民への屋内退避を呼びかけ、翌日には20~30キロ圏内に屋内退避を指示しました。10日後には20~30キロ圏内の市町村に対し、住民に自主避難を勧めるよう要請し、28日には20キロ圏内への立ち入り規制を続けることを決めました。そして、4月1日、20キロ圏外の地域にも「計画的避難区域」を定め、1か月以内を目安に対するよう促しました。私は、4月16日、1970年代から福島への原発設置に反対する活動を一緒にやっていた人々の要請に応えるためでもありましたが、この時期に汚染土壌を採取することにも重要性を感じていました。しかし、4月22日、葛尾村・浪江町・飯舘村の全域と川俣町・南相馬市の一部は「計画的避難区域」に、また、広野町・楢葉町・川内村の全域と田村市と南相馬市の一部は「緊急時退避準備区域」にそれぞれ指定され、現地に立ち入ることは基本的に禁止されてしまいました。私は放射線や放射能分野の専門学会が緊急調査団を派遣するなどして、実態の解明や今後の放射線被曝の最小化のためのデータを調査することを期待しています。
 ところで、政府の避難指示などが、当初、原発を中心に同心円を描くように行なわれたことを訝しく思っていました。もちろん、放射性物質はどちらの方向にも均等に広がるものではなく、事故時の風向に大きく左右されます。また、いつどの地域に放射能が降下するかは風速や降雨量や地形に大きく影響されます。環境中での放射性物質の動きはとても複雑ですから正確に予測するのは大変ですが、専門家は「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」という呼び名のコンピュータ・プログラムを開発し、25年ほど前から運用されてきました。文部科学省は、福島原発事故後の3月12日2時48分、1号機の格納容器圧力の上昇を踏まえて、万一放射能が放出された場合に備えて24時間後までの拡散を予測し、18時過ぎには水素爆発の事実を踏まえた計算も行なっていました。また、原子力安全・保安院(経済産業省)も11日の夜から15日にかけて42件の計算を試みていたということですが、それにもかかわらず、住民への退避指示は「同心円」で行われたのです。私が4月に調査した範囲でも、放射線のレベルは原発の北西側で相対的に高い値を示し、明らかに同心円的な拡散とは似ても似つかぬ分布でした。計画段階でならいざ知らず、いったんある場所、ある季節に事故が起これば、地形的・気象的特性を踏まえた上でより現実的かつ合理的な退避アリアの勧告がなされる必要があるでしょう。福島原発事故の場合は、この季節には北西の風が山と山に挟まれた谷筋を通って放射能を運び、浪江町・飯舘村・川俣町に高い濃度の放射性降下物を降らせましたが、その後もやや高い放射線レベルを観測した福島市はその延長線上にありました。この「帯状高汚染地帯」は30キロを越えてもなお広がっており、単に原発を起点とする同心円では判断できないことを教えています。「100億円を投じたSPEEDIが、100円ショップのコンパスに負けた」と揶揄される出来事でした。
 ただし、放射線のレベルが相対的に高いこれらの地域に、日々新たに原発から高濃度の放射性物質が降り注いでいるということではなく、事故直後に起きた爆発によって周囲にばらまかれた放射性物質が地表面に降り積もり、そこからガンマ線が放出され続けていることが主要な原因です。逆にいえば、放射能を含む表層土を削り取れば、放射線のレベルをそれなりに減少させることができますので、「毎時3.8マイクロシーベルト」を判断の目安に校庭などの使用制限をするかどうかなどと議論している間に、小学校・幼稚園・保育園などのグラウンドの表層土を削り取ることが有効であるに相違ありません。放射線から身を守る第一の方法は、放射線源を除去することです。同心円や汚染基準値といった紋切り型の杓子定規な発想ではなく、いま、誰が、どのような方法で具体的に守られるべきなのかを指示・勧告すべきでしょう。取り除いた表層土は、学校の裏庭など、普段あまり人が立ち入らない場所に掘った穴に埋め、ビニール・シートで覆って簡単な柵を施し、立ち入りを制限すればいいでしょう。対策は、何よりも、人々の不要な被曝を避けるという観点から、現実的で実行可能な方法を遅滞なく実践するということを眼目にすべきです。
 放射線源をできるだけ除去した後、放射線から身を守る方法は「①遮蔽する、②距離をとる、③時間を制限する」の3つです。①②③は重要性の順序でもあり、その基本は、体にやって来る放射線をできるだけ少なくすることに外なりません。グラウンドに面した教室の壁面は、当面、ロッカーを置いたり、砂嚢を積んだりして遮蔽効果を高めることもできます。放射線の減弱の程度は、汚染した地面からの距離によっても違うので、1階・2階・3階の教室ごとに放射線量率には差があるでしょう。相対的に放射線レベルが高い地域では、教室ごとの放射線のレベルを把握して、使用頻度などを配慮することも意味があるでしょう。そうした手立てをとらずに、いきなりグラウンド使用の時間制限だけが示唆されるというのは、放射線防護学的には大いに疑問です。

危機はなお収まらない
 ところで、冷却系統を失った結果として過熱していった核燃料は、とにかく原子炉内のものも貯蔵プールのものも強制的に冷し続けなければなりません。3,4号炉のプールには自衛隊やレスキュー隊が水をかけましたし、原子炉には最初は海水、後には真水を注入しました。最先端の発電技術であるはずの原子力発電の冷却系喪失事故では、こうなるのが宿命です。「原子力いざというとき原始的」という川柳で揶揄する向きもいましたが、とにかく「冷す」ことしかありません。しかし、厄介なことに、冷そうとして水を入れると、それが原子炉外の格納容器やタービン建屋や、はては外部のトレンチから海にまで漏れていくという事態を生じました。そして、とうとう、漏れ出した水を別の場所に移送させないと事態収拾のための作業もままならず、新たな冷却水の注入もできないと判断した東京電力は、ついに諸方面との事前の合意形成もないままに、あたふたと「低レベル廃棄物建屋」の汚染水を大量に海に放出したり、メガフロートを静岡県から移動させたりして、そこに高レベル汚染水を移そうと悪戦苦闘してきました。汚染水が漏れ出している事態は、深刻な状況にないはずの6号機についても見られました。「核燃料は冷さなければならないし、冷そうとして冷却水を入れれば漏れる」という状況がある以上、このままでは高レベル汚染水の移送先が窮屈になるのは時間の問題です。どうしても「自己完結型の冷却システム」を構築しなければならないでしょう。つまり、漏れ出した水の熱を大気や海水に逃がし、可能な方法でできるだけ放射能を除去した後、再び冷却水として利用する方法です。
 火力発電所の火災事故などと原発事故の決定的な違いは、物が燃焼して熱を発している場合には、水をかけたりすることによって温度を発火点以下に下げたり、可燃物が酸素と接触しないようにすることによって、燃焼という発熱反応そのものをなくすことが可能なのですが、原発事故の発熱体は使用済みの核燃料に含まれる放射性物質で、この発熱自体は水をかけようが何をしようが収まりません。核燃料の内部に蓄積されている放射性物質は、それぞれのペースで放射線を出し続け、それが熱源となって燃料自体を加熱します。酸素と反応しているわけではなく、核物質自身がもつ核特性に由来するものですから、出てきた熱を奪い去って燃料が溶けないようにするのが精一杯で、発熱そのものを止めるわけにはいかないのです。もちろん放射能は時間とともに減衰していきますから、何百年・何千年と経つうちに発熱量が減ってきますが、とにかく事故直後は膨大な放射能が核燃料の中に蓄えられているために、ひたすら冷却し続けないと核燃料が崩壊熱で溶融し、内部の放射性物質が大量に環境中に放出される自体を招きかねません。したがって、現在周囲の放射線のレベルは落ち着いているように見えながら、原子炉施設本体での危機的状況はなお一向に去っていないので、世界中の知恵と技術を総動員して冷し続けなければなりません。
 3月30日、日本の原子力開発を先頭だって進めてきた16人の人々が、政府に「緊急建言」を発しました。原子力安全委員長や日本原子力学会会長や放射線影響研究所理事長などを務めてこられた錚々たる人々です。その建言には、以下のような下りがあります。
 「私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」
 最後の部分は不気味でさえあります。この「建言」は最後に、「事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である。私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである」と結んでいます。この国の原子力開発を主導してきた人々でさえ、政府が科学者・技術者の総力を結集する体制が出来ていないと感じる危うさが、この原発事故の危機を象徴しています。私たちは引き続き「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」「最悪に備えて、最善を尽くせ」の声を上げ続けることが不可欠です。

喉元過ぎても、熱さ忘れるな
 福島原発事故では、まだ、「熱さが喉元を過ぎて」はいません。もし、幸いにも熱さが喉元を過ぎる見通しがついたとしても、私たちはそれで「熱さ自身を忘れること」があってはならないでしょう。
 日本は、しばしば、「地震の巣窟の上にある」とたとえられてきましたが、その国のエネルギー生産を原子力発電のような巨大な潜在的危険性を秘めた技術に依存し続けていいのかどうか、国家百年の計に照らして国民的な論議を興すことが不可欠です。自然エネルギーのより有効な利用は推奨されるべきものですが、電力の3分の1を原子力発電に依存するまでに肥大化してしまった事態を、どのようにしてより安全な発電方式に転換していくのかは、5年や10年で実現できるものではないでしょう。原子力発電をphase outさせる(=段階的になくす)計画を進めつつ、他の発電方式に切り替えるための技術開発や法制度改革を実行しながら、私たち自身のエネルギー消費生活のあり方にも省察を加えなければならないでしょう。地球環境問題が顕在化する中で「環境に優しいエネルギー消費生活のあり方」が問われてきましたが、原発社会から脱却するとすれば一時的に火力発電への依存度が高まる可能性もあるでしょう。それが場当たり的にならないように、まさに国家百年の計として計画的なエネルギー生産と消費のあり方が国民的な合意形成を踏まえて追求されなければなりません。それを可能にするのは、「喉元過ぎても、熱さを忘れない」主権者としての私たちの自覚と責任意識と実行力に他ならないと思います。

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※平和学入門(担当:安斎育郎)参考資料

3)
原発事故対応の科学性を問う

安斎育郎(安斎科学・平和事務所所長/立命館大学・名誉教授)

東電福島第一原発は、東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波によって、核燃料の崩壊熱を除去する冷却用電源を喪失し、1~4号機が次々と深刻な状態に陥った。国際原子力事象尺度で「レベル7」に分類されたこの人類史的な原子力災害は、なお収束を見ていない。筆者は、事故直後から、当事者に「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」の原則を守り、「最悪に備えて最善を尽くす」ことを求めたが、放射線防護学を専門とする立場から、政府の事故対応には気になることがいくつかあった。

第1は、同心円状の退避指示である。原発の計画段階ならいざ知らず、特定の場所で特定の季節に事故が起きたら、地形や気象の条件を反映した放射能拡散予測に見合った対策が必要である。そのような場合のためにこそ、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が開発されてきたはずだった。実際、文部科学省は、福島原発事故後の3月12日2時48分には、1号機の格納容器圧力の上昇を踏まえて、放射能が放出された場合の24時間後までの拡散を予測していたし、同日18時4分には水素爆発を受けた計算も試みていた。また、経済産業省の原子力安全・保安院も11日の夜から15日にかけて42件の計算を試みていたという。しかし、住民への退避指示は「同心円」で行われた。事故直後のことだから情報の確度も不十分で、予測には曖昧さが伴われることは当然だが、同心円よりははるかに現実的に相違ない。事実、観測された放射線のレベルも同心円とは程遠い不均等性を示しており、それはその後公表されたSPEEDIの評価結果にも反映されていた。筆者も、4月16日、いわき市から浪江町までの80㎞余りを調査したが、原発から北西方向に当たる飯舘村の近くでは、この季節の気象条件や地形を反映して、30㎞同心円の周縁部にもかかわらず、毎時50マイクロシーベルトという異常に高い放射線レベルを観察した(東京の平常時〈毎時0.07マイクロシーベルト程度〉の約700倍)。その後、放射線レベルが高い地域として計画的避難区域に指定された川俣町や、学校での屋外活動の制限が話題となった福島市などは、この方向の延長線上にある。同心円による形式的な退避指示は、退避する必要があった同心円外の人々を不要な危険にさらし、退避することを要しなかった地域に風評被害をもたらしたりする。100億円余を投じて開発されたとされる科学研究の成果が、原発事故の危機管理にあたって現実的・合理的な退避指示に十分活かされなかったとすれば、極めて遺憾なことと言わなければならない。

第2は、なぜ屋外活動の制限基準などを論議している間に、2~3cmの汚染表層土を除去するといった実質的な被曝低減策を実施しなかったのかという点である。放射線防護学的観点からすれば、被曝低減のためには「放射線源を取り除く」ことが第一である。この場合、「削った表層土の処分法が定まっていない」といった言い訳は理由にならない。表層土を剥離する校庭の一隅(あるいは裏庭など人の立ち入りの少ない場所)に穴を掘り、そこに汚染土を封じ込めて表面にビニール・シートを被せ、簡易な囲いを施すなどして立ち入りを制限すればいい。もちろん、穴の部分の表層土も一時的に脇にのけておいて、穴を掘った後に深部に埋め戻せばいい。表層数cmよりも深部から掘り出した土はほとんど汚染していないので、校庭など、表層を削り取った後の表層土として利用することも可能だろう。梅雨期を迎えて放射能が深部に浸み込む前に削り取ることは、意味のあることである。あるいは、暫くは庭を雑草で覆うことさえも意味があろう。放射線粉塵の舞い上がり効果を抑えることができるし、やがては植物自身が放射性物質を取り込むので、それを刈り取って処分することによる除染効果も期待できる。

外部被曝から身を守る上での防護原則は「遮蔽する、距離をとる、時間を制限する」の3原則だが、おそらく学校でも汚染源からの距離や施設の構造に応じて、同じ施設内でも場所によって放射線レベルにはかなりの違いがあるに相違ない。例えば、窓際にロッカーや砂嚢などを置くことによって、汚染源からの放射線をいくらかでも遮蔽し、子どもたちが受ける線量を多少なりとも下げることが可能かもしれない。被曝低減のための措置をとることを勧めることなく、いきなり「被曝時間の制限」を示唆することはいかにもお座なりの印象を受ける。もしもこうした措置を保護者を含む関係者の参画型で実施できれば、問題への関心を深め、状況を改善するための主体性を育む点でも意味なしとはしない。

また、食品の放射能汚染に関しては、基準を定めて出荷停止などの措置をとるだけでなく、市場に出回ったものについても調理過程での除染効果などを含めて広報すべきだろう。例えば、「公益法人 原子力環境整備促進・資金管理センター」は、“環境パラメーターシリーズ4”として『食品の調理・加工による放射性核種の除去率』という技術刊行物を出しているが、そこには野菜・穀類・肉・魚などについての除染効果に関する研究成果が紹介されている。具体的に消費生活者がとることのできる措置を提示することも、たとえその効果が限定的なものであったにしても、安全・安心に向けて関心を喚起し、可能な措置は自らとるという主体性を培うためにも意味があると思われる。

以上、いくつかの事例を挙げたように、事故後に政府がとってきた措置の多くは、放射線防護学的にみて科学性や実践性に欠けるものだったとの印象を免れない。できるだけ早く実行することに意味があったことを適切に提起・実行しなかったという点では、すでに遅きに失した面があるが、現時点で実行することも意味を失ってはいないだろう。

なお、原発事故による放射線の危険を感じている人々にとっては、被曝や汚染の程度を理解し、健康上の問題の有無を納得ずくで把握できることが安心への重要な要素である。相対的に高い放射線レベルが続くと懸念されている施設については、関係者が自ら放射線のレベルを把握できる措置(測定器の供与、あるいは、当該施設関係者立会いの下での定期的な測定サービスの実施など)をとることが必要だろう。給食のための食材や水の放射能汚染が心配される場合には、当該施設関係者(保育や教育に携わるスタッフや保護者)も参画して監視計画を立て、情報公開を保証してチェックすることが期待される。行政も震災被害の只中にある状況下では、大学や研究機関が技術や知識を積極的に提供することも検討されてよい。

その上で、乳幼児を含む地域生活者がどれだけの体内汚染を余儀なくされたかを把握することも安心への道だが、体内汚染を測定することは外部被曝の場合ほど容易ではない。体表面に付着した放射性物質は、避難所などで実施されたような放射線測定器(サーベイ・メーター)による簡易な検査によってある程度チェックできるが、体内に取り込まれた放射性物質から体外に出てくる放射線を測定することによって体内汚染をチェックする全身放射能計測装置(ホール・ボディ・モニター)は一般に非常に高価で、設置台数も極めて少ない。他の方法はバイオアッセイ(生体試料分析)と呼ばれるもので、尿や糞や唾液などを採取してその放射能を測定する方法である。汚染した粉塵を吸入した可能性がある場合には、鼻腔をソフト・ティッシュなどで拭き取って分析する「鼻腔スメア」のような簡便な検査もあるが、定量的な分析は容易ではない。また、尿や糞を採取することにも抵抗感があるし、専門機関による分析に日時を要する上、排泄量から体内汚染量を推定するのにも大きな不確定性が伴われる。したがって、いずれの方法をとるにしても全数調査は不可能で、地域生活者の中から乳幼児や妊娠可能年齢の女性を含む何人かを選んで検査するいわゆる「サンプリング調査」にならざるを得ないが、筆者はそのような制約された条件の下でもこれを実施し、体内汚染の実態が公表されることが好ましいと考えている。

そして、最終的なステップは健康状態の把握であり、心理的ストレスやがん検診を含む健康診断や保健相談が、とりわけ被災地の住民や被災地から避難した人々については従前以上に丁寧になされるべきであろう。放射線の影響については、身体的・遺伝的影響に加えて、心理的影響が軽視されるべきではない。かつて、肺結核に関する医師の誤診がもとで1か月に40枚のレントゲン撮影を受けた男性が、それが原因で白血病になったと妄想し、当該医師にガソリンをかけて焼き殺す事件があった。福島原発事故の経過の中でも、枝野幸男官房長官の「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」という説明が多くの人々の不安要因となり、「直ちに」ではないが「いずれは」という疑念を抱かせた。白血病やがんのような確率的影響は、余程顕著に発現する場合でない限り、一世代では証明できない性格のものである。「影響があること」は証明可能だが、「影響がないこと」を証明することは極めて難しく、不安が長期化することは避け難い。そうした心理的不安を取り除こうと思えば、健康診断や保健カウンセリングに十全を尽くすしかない。なぜ、被災地における特別保健管理体制の構築を「直ちに」政策化しないのか、筆者は放射線影響学的な知見を踏まえつつ被災者の心のありように沿った対応が速やかに計画され、実施されることを求めたい。

Monday, May 16, 2011

4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ→5月18日NHKから返信、4月4日のニュースと確認

(6月1日追記。米エネルギー省による3月30日ー4月2日のモニタリング結果地図がこの汚染予想図の形と似ているので重要と思い、一番下に転載しました。また、文科省のSPEEDI予測から、関連のあると思われる予測マップをもう2枚追加しました。)

(5月18日追記。下記の報道についてNHKと確認が取れました。4月「中旬」ではなく「初旬」でしたが、確かにこの画像は4月4日のニュースで流れていました。ニュースリンクはここです。

「国 放射性物質の予測公表せず(4月4日 4:35更新)」
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110404/10.html 

また、5月16日「おはよう日本」でも、午前7:12頃から「SPEEDI 原発立地以外の県でも配備求める声」で放送されているとのことでした。NHKは「国は公表せず」と報道しながらその内容の一部を放送の中で公開したと理解しています。大量の放射線が福島から首都圏全体に飛んだ3月15日、この被ばく予測マップを国が公表しなかったことについてこれから責任追及していく必要があります。)

文部科学省原子力安全課原子力防災ネットワーク「環境防災 Nネット」のサイトにあるように、文科省はダイナミックな三宅島噴火のシミュレーションを作れるSPEEDI-MPというものを持っています。しかし福島事故については公表しておらず、小佐古辞任演説でも情報開示が求められています。

(小佐古辞任文より) 
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県*、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。 (*原文ママ)
「福井県*(*原文ママ)」とあるのは、文脈からも福島県のことでしょう。小佐古氏は「福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべき」ということで、実際自分はそのデータを見ていてその深刻さを把握しているということを訴えているように聞こえます。

実はこれに相当するような情報が4月半ばNHKニュースで一瞬流れた、との情報が埼玉の自称「天狗」さんから入り、その画面を保存した画像ファイルを送ってくれました。


私は見たことがない画像だったので驚きました。「天狗」さんによると、これは公表されていないとのことです。このNHKの画面にも、「放射性物質の予測 データ公表見送る」とのキャプションが
あります。「公表見送る」のにどうしてこの画面で公表しているのか不可解ですが、NHKが入手した一部を流したということなのかと察します。これは「先月(3月)16日に計算されていた」 I-131 infant organ dose 2011_03_15_15H ということなので、放射性ヨウ素131による乳児の臓器被ばくの程度の予測で、3月15日15時時点での積算値ということなのではないかと思います。文科省が他に公表しているSPEEDIの被ばく線量予測は、3月12日6:00からになっているので、これもその時点からの積算値ではないかと想像されます。いずれにせよ、一番大量の放射線が放出された後の3月15日午後までのデータだということは意味深いです。3月14日から15日早朝にかけては福島第一で悲惨な事故が相次ぎました。14日昼前、3号機は爆発しました。これは白煙で覆われた12日の1号機水素爆発とは違い、黒煙が高く上がった爆発で1号機の爆発とは質の違うものだと言われています。2号機は14日夕方燃料棒全体露出に続き15日早朝、圧力抑制室で爆発がありました。4号機も15日早朝に爆発しました。これだけ大事故が続いた直後の乳児の被ばく予想というのは重要と思います。上記のマップに「天狗」さんは地図を重ね、埼玉県のご自分が住んでいる町がオレンジ色の地帯(1mSV-10mSV)に入っていたことを知り、危機感を募らせました。


これは広く共有した方がいい情報と思い、ここに掲載しました。分析、コメント、情報提供等、歓迎します。(ツイッター @PeacePhilosophy)あらためて、どうしてこのように重要な情報を3月16日時点で計算しておいて公表しないか、人命軽視も甚だしいと思います。

文科省が既に発表したSPEEDI計算結果についてはここをご覧ください。

文部科学省 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による計算結果

文科省東日本大震災関連情報

(6月1日追記。米エネルギー省のウェブサイトで4月7日付発表になっている、3月30日から4月3日の、地表に堆積した放射性物質による放射線を計測した結果を地図にしたものを追加します。関東地方も含まれているので重要と思いました。また、これは、福島から南下し、関東地方北部に弧を描くように拡がっており、上記のSPEEDIの汚染分布図とある程度一致します。SPEEDIの予測の正確さを判断するのに有用な情報であると思います。mRミリレム/時は、桁を一つ上げるとマイクロシーベルトになります。例:0.25mR/時=2.5μSV/時)


また、文科省のウェブサイトから、福島から関東地方やそれ以外の地域の汚染を示す SPEEDI マップを転載します1枚目は3月25日0時現在1歳未満のヨウ素131による甲状腺等価線量の予測、2枚目は、ヨウ素131の表面沈着量積算値です。これだけのヨウ素の広がりがあったとなると、福島第一周辺はもちろん、東北、関東、東海、中部地方に至るまでの子どもの甲状腺被曝が心配されます。





Sunday, May 15, 2011

原発等被曝労災一覧

5月2日、「子ども20ミリシーベルト基準の撤回を求める政府交渉」の会場(再議員会館)で配られた資料「原発等被曝労災一覧」を紹介する。当日、浜岡原発の職員で被曝総線量50.63ミリシーベルトで慢性骨髄性白血病で亡くなった方のお母さんが来て経験を語ってくれたのが印象に残っている。この方は8年10カ月に渡っての被曝なので、一年あたりにすると6ミリシーベルト程度になる。この表には、40ミリシーベルトの被曝で白血病で亡くなった方も出ている。こういった例を見ても、放射線被曝はこれ以下は安全というしきい値はないということがわかる。あらためて、子どもに年間20ミリシーベルトまでの被曝を許容するという政策の非常識を実感する。政府交渉資料にも、「ICRPの Pub. 36 「科学の授業における電離放射線に対する防護:(1983年)では、18才以下の生徒が実験などで被ばくする可能性がある場合を想定して、一般人の被ばく限度の10分の1にすることを勧告している。ICRPの勧告に従っても、子どもに配慮し、10分の1に抑える必要があるのではないか」とある。大人に年間20ミリシーベルトの被ばくを許容する場合でさえ、5年間で100ミリシーベルトまでとされる原発労働者並であるので受け入れられない。被ばく「許容」量ではなく「強要」量である。チェルノブイリ事故のときは年間5ミリシーベルトで避難基準であった。しかし仮に大人に一時的に年間20ミリシーベルトという基準を適用したとしても、この「10分の1」を適用すると子どもは2ミリシーベルトまでということになる。大人の被ばく量に合わせて避難させるのではなく、子どもの被ばく量に合わせなければいけない。国は、まず子どもや妊婦のいる家庭から避難区域を拡げるべきである。

(画像をダブルクリックすると大きく見られます。)

Saturday, May 14, 2011

NHK番組 『現代史スクープドキュメント 原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~』書き起こし

広島長崎と第五福竜丸を経た反核日本に原子力発電が導入された背景には、アメリカの反共戦略と日本のメディア王、正力松太郎の野望の組み合わせがありました。その歴史をひも解いた1994年3月16日放映NHK番組『現代史スクープドキュメント 原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~』の書き起こしを掲載します(原京子さんとご家族に感謝)。半世紀前の支配者たちの利権と策略の産物である原発への高すぎる代償を支払っているのは、今福島で被曝しながら必死に働く現場の作業員、被曝している市民たち、子どもたち、汚された土地と空、海と生き物たちだと思うと悔しさで一杯になります。現在進行中の事故や被曝のリスクの情報を追うことで精一杯になりがちですが、過ちを繰り返さないためにも、当時市民たちがどうやって核のエネルギー利用を導入するためのプロパガンダに洗脳されていったかを知る必要があります。このサイトでは田中利幸氏の論文を既に紹介しておりますが、近日中に、米国の専門家による、アイゼンハワーの戦略を中心とした論文の和訳も発表する予定です。また、今回の番組で扱っているトピックについてもっと知りたい人は、有馬哲夫の『原発・正力・CIA-機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008)を読むことを勧めます。

概要(NHKアーカイブサイトより。)
「1953年、米ソで水爆開発が進む中、アイゼンハワー政権は、原子力平和利用を促進することで軍縮が実現できるとして、同盟諸国に原子力情報の公開と濃縮ウランの供給を提案した。その裏には、ソ連に対抗して西側の結束を図ろうとする意図があった。番組では、日米原子力協定の締結に至る過程に焦点をあて、原子力導入の舞台裏における米ソの主導権争いと、民間から進められた原子力受け入れの世論作りの全ぼうを明らかにする。 」

現代史 スクープドキュメント


原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~

(書き起こし)

去年12月、アメリカ政府は、核開発に関わる隠された事実を明らかにした。冷戦が本格化した1940年代後半から50年代、放射能の影響を調べる人体実験 が行なわれていたというのである。(キャプション:「プルトニウムの人体への注射」)(キャプション:「ベータ線に対する皮膚の反応」)

こうした中、アメリカは、もうひとつの巨大な実験を準備していた。(水爆ブラボー(1954年3月1日):水爆実験の映像)1954年3月1日、アメリカは南太平洋ビキニ環礁で、水爆ブラボーの爆発実験を行なった。

(第五福竜丸:船の映像)
この実験で放出された死の灰が、近くで操業中のマグロの延縄漁船・第五福竜丸に降り注ぎ、乗組員23人が被爆した。わゆる、第五福竜丸事件である。ヒロシマ、ナガサキに次ぐ3回目の被爆事件として、日本では激しい反米世論と放射能パニックが沸き起こった。

この頃、ひとりのアメリカ人が銀座で日本人と密談を交わしていた。二人は、日米関係に亀裂が入ることを恐れ、ある計画を具体化すべく協力を約束した。それが、日本に原子力を導入する重要なステップとなっていく。日本人の名は、柴田秀利。当時日本テレビの重役であった。

柴田は、日本の初期の原子力開発に関わる膨大な書類を残している。政財界の要人の連絡先を記した手帳、アメリカとの頻繁な書簡の往復、そして政府側の内部文書など、その数は200点を越える。そこからは、日米が手を組み、反核感情が高まる日本に原子力発電を導入するまでのシナリオが鮮明に浮かび上がってくる。(映像:“毒は毒を持って制する”)

(タイトル  原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~)

原爆でアメリカに遅れをとったソビエトは、1950年代、水爆の開発に躍起になっていた。そして1953年8月12日、ソビエトはアメリカに先んじて実用的な水爆の開発に成功した。(第1回水爆実験(1953年8月12日):水爆実験の映像)核開発競争で、初めてソビエトが優位に立ったのである。4ヵ月後、アメリカのアイゼンハワー大統領は、国連総会で世界に向けて演説を行なった。それは、原子力の情報をすべて機密扱いとしてきた従来の政策を大きく変換するものであった。(1953年12月8日 国連)

(アイゼンハワー大統領の演説)
「私は、提案したい。原子力技術を持つ各国政府は、蓄えている天然ウラン、濃縮ウランなどの核物質を国際原子力機関(IAEA)をつくり、そこにあずけよう。そしてこの機関は、核物質を平和目的のために各国共同で使う方法を考えてゆくことにする。」

アトムズ・フォー・ピース。原子力の平和利用を呼びかけたこの提案は、画期的な核軍縮提案とみられた。

ウラン鉱石の中に含まれる核分裂性物質、ウラン235。その濃度を上げたいわゆる濃縮ウランが核兵器に使われる。アメリカの提案は、核兵器用に生産した濃縮ウランを、原発など民間に転用することにより軍縮をすすめようというものであった。しかし、この提案の裏には、アメリカの核戦略におけるもうひとつの大転換があった。演説の五日前に開かれたアメリカ国家安全保障会議の文書には、こう書かれている。

“アメリカは、同盟国に対して核兵器の効果や使用法、ソビエトの核戦力などについて情報を公表していくべきである。”(Weapons Effects, Use of Atomic Weapons, Soviet Atomic Capabilities)

それは、NATOなど、同盟諸国にアメリカの核兵器を配備しようとする計画であった。平和利用を呼びかける一方で、西側諸国の核武装をすすめていたのである。ソビエトは、アメリカの二枚舌を非難して、原水爆の無条件禁止を世界に訴えた。(映像:フルシチョフ書記長)そして、米ソは互いに、核の脅威を煽り立てる宣伝合戦を繰り広げていく。

(映像:ソ連の国内向け宣伝映画)
“これが原爆です。巨大な爆発力をもつ原爆は、アメリカによって第二次大戦ではじめて使用されました。いかにしてアメリカはソビエトとの戦争に勝利するか、そんな内容の雑誌が、アメリカでは発行されています。すでに1945年以来ずっと、ワシントンでは、ソビエトとの核戦争に備える動きがあったのです。

(映像:アメリカの国内向け宣伝映画)
“原爆だ!頭を下げて隠れろ!”(歌)

(映像:東京)
アメリカは、海外での広報宣伝活動を強化するため、海外各地に広報文化交流局、いわゆるUSISを置いた。東京には、当時、虎ノ門のアメリカ大使館別館にUSISが設置されていた。USISは、新聞や放送、映画などのメデイアを通じて、アメリカの原子力平和利用計画の宣伝をすすめていた。

(元USIS局:次長 ルイス・シュミット)
「我々、USISは、日本での原子力平和利用の宣伝活動に、特に力を入れました。日本は、原爆が投下された唯一の国であり、いかなる形の原子力計画に対しても、反発していたからです。」

(映像:ビキニ環礁(1954年3月))
アメリカは、原子力平和利用計画を宣伝する一方で、ソビエトをしのぐ水爆の開発に全力を挙げていた。アイゼンハワーの演説からわずか3ヶ月ごの1954年3月、ビキニ環礁で秘密裏に水爆実験・キャッスル作戦が実行された。

(映像:水爆ブラボー 1954年3月1日)
秘密だったはずの実験は、第五福竜丸の被爆事件によって世界中に知れ渡った。やがて、ビキニ近海で獲れたマグロから、放射能が検出されはじめた。食料品の汚染は、国民の不安を掻きたて、アメリカの核実験に対する反発が強まった。さらに、雨からも微量の放射能が検出され、野菜や牛乳などにも汚染の疑いが起こり、放射能パニックが広がっていった。

(映像:広島市1954年8月6日)
原爆の日を迎えた広島でも、アメリカに対する非難の声が相次いだ。「アメリカ人道主義とか言っとるけれども、何が人道主義が唱えられるんだ。原爆というのはもう、この世のものからないようにしちまったらいい」(無くしてしまったらよい?)

(元USIS局次長 ルイス・シュミット)
「私たちが、せっかく積み重ねてきた努力が水の泡にになってしまいそうでした。まったく、最悪の事態だったと言ってもいいでしょう。第五福竜丸事件のあと、日本人は、アメリカの原子力平和利用計画に、さらに疑いを強めるようになってしまったのです。」

柴田秀利は、反米に傾いた世論の動向を危惧していた。柴田は、このビキニ事件が起こした大きな波紋を、次のように記している。

(柴田秀利の手記より)
“日本は唯一の被爆国であり、こと原子力と言うと、たちまち人々の神経は苛立ち、怒髪天を突く。原爆アレルギーの最たる国である。日本人全体の恨みと怒りは、それこそキノコ雲のように膨れ上がり、爆発した。その動きを見逃す手はない。たちまち共産党の巧みな心理戦争の餌食にされ、一大政治運動と化した。”

柴田は、吉田総理大臣をはじめとする、政財界の上層部に通じていた。また、国内のみならず、アメリカにも多くの人脈を持っていた。

戦後最大の労働争議のひとつと言われた、読売争議。柴田は、その中で頭角を現した。GHQの担当記者だった柴田は、GHQ幹部を動かして組合側の要求を抑え、経営側を勝利に導いた。柴田は、社主・正力松太郎の“懐刀”として、次第に重用されるようになり、そして、日本テレビの創設に深く関わり、GHQの人脈をもとに、アメリカとの交渉に辣腕を振るったのである。手記によれば、柴田は第五福竜丸事件のあと、銀座のすし屋で一人のアメリカ人と接触を重ねていた。

(柴田秀利の手記より)
“このまま放っておいたら、せっかく営々として築き上げてきたアメリカとの友好関係に決定的な破局を招く。日米双方とも、対応に苦慮する日々が続いた。この時、アメリカを代表して出てきたのがD.S.ワトソンという私と同年輩の肩書きを明かさない男だった。私は告げた。日本には、“毒を持って毒を制する”ということわざがある。原子力は、諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に歌い上げ、希望を与える他はない。“

柴田の書簡にも名前の登場するダニエル・S・ワトソン。ワトソンとは、いったい何者だろうか。アメリカ・コネチカット州に、かつてワトソンの同僚だった人物がいた。彼は、匿名を条件に、電話インタビューに応じた。

(インタビュー)
なぜワトソンを知っているのですか?
---同じ時期に東京に駐在し、政府のために働いていたからだ。

ワトソンは、心理戦略などに関与していましたか?
---そのとおりだ。

情報は、国家安全保障会議などに届けられていたのですか?
---そのとおりだ。当時は、アイゼンハワー政権の時代で、大統領は、原子力平和利用計画には特別熱心だったからね。

すると、原子力平和利用計画についての情報は。。。
----情報は、かなり高いレベルのところに届けられていたよ。

ワトソンは、メキシコに住居を移していた。メキシコ南部にある、クエルナバーカ。メキシコ屈指の高級保養地・クエルナバーカに、ワトソンは今も健在である。ワトソンは、日本での活動を終えたあと、パキスタン、香港、ベトナムなどで、アメリカ政府のために働いたという。しかし、彼は、所属機関や日本での仕事の目的については、決して明かそうとはしなかった。

(ワトソンのインタビュー)
「私が政府のどの組織に属して、どこに報告していたのかは、当時柴田にも伝えませんでした。日本に来ている公式の目的についても同じです。柴田も、私に対して同様の態度をとっていました。私が言えるのは、それだけです。柴田は、明らかに首相官邸と連絡を取り合っていました。私は、日本の首相から出された様々な提案を、柴田を通じて受け取っていました。私は、非常に驚きました。それは、テレビ局の重役がするような提案ではなかったからです。まったくレベルの違うものでした。」

対日政策の進行状況を記した、当時の国務省の報告書。第五福竜丸事件後の対日政策について、次のように記されている。“核兵器に対する日本人の過剰な反応ぶりは、日米関係にとって好ましくない。核実験の続行は困難になり、原子力平和利用計画にも支障をきたす可能性がある。そのために、日本に対する心理戦略計画を、もう一度見直す必要がある。”

ワトソン自身の説明によると、彼は1953年の6月に来日した。やがて、当時のイギリスのサンデータイムスの東京特派員を通じて、柴田秀利と知り合った。目的は、読売新聞社主・正力松太郎に近づくことであった。

(ダニエル・ワトソンのインタビュー)
「日本では、新聞を押さえることが必要だと、はっきりわかっていました。それも、大きな新聞を、です。日本の社会は、新聞に大きく影響を受けます。日本人は一日に最低三紙に目を通し、それから自分の意見を組み立てるのです。その新聞は、当時ひとりの男によって経営されていました。その下には、決してミスをしない、優秀で従順な部下が揃っていました。ですから、この仕事で成果をあげるには、誰よりも先に正力さんに会って話をした方が良いと思いました。」

当時の読売新聞社主・正力松太郎。内務省の警察官僚だった正力は、大正13年、官職を退いて、読売新聞の経営に乗り出した。正力が買収した時、発行部数わずか5万部余だった読売新聞は、正力の斬新な企画力と紙面改革によって、急速に部数を拡大した。昭和28年、正力は新たな事業拡大に乗り出した。日本初の民間テレビ局、日本テレビ放送網を創設したのである。街頭テレビのプロレス中継は、爆発的なブームを呼んだ。読売新聞の発行部数は、このとき300万部に迫ろうとしていた。正力は、新聞とテレビの2大メデイアを手中に収めていたのである。ワトソンは、柴田の仲介で、正力松太郎と会談する機会を持った。ワトソンによれば、会談は、第五福竜丸事件の起きる前からすでに行なわれていたという。

(ダニエル・ワトソンのインタビュー)
「正力は、実に鋭い男で、的確な質問をしてきました。私はすぐに本題に入り、原子力の平和利用について話をしました。日本は、原子力の平和利用にうってつけの国である、なぜなら、国内にエネルギー源がほとんどない。それが、私の話のポイントでした。すると、それを聞いていた正力は、目を輝かせたのです。」

なぜ、この時正力は、原子力にそれほどの興味を示したのだろうか。

(通産省工業技術院初代原子力課長:堀 純郎さん の インタビュー)
「日本が非常に、貧乏をしていると。貧困の結果、共産化するかもしれないと。特に、エネルギーが不足している。そのために、貧乏して共産化する恐れがあると。これを、なんとかして防がなくてはならないと。それには、将来、原子力というものがエネルギー源として非常に有用だと聞いていると。だから、これを開発してエネルギーを豊富にして、貧乏を救済し、ひいては共産化を防ぎたいと。」

アメリカの水爆実験から半年後、第五福竜丸の船長だった久保山愛吉さんが死亡。死因は、“放射能症”とされた。アメリカを非難する世論は、さらに高まった。水爆実験に対する日本人の強い反発にどう対処すべきか、アメリカの方針が列記されたホワイトハウスの文書には、次のような一節がある。“漁民の病気の原因は、放射能ではなく、飛び散った珊瑚礁の化学作用によるものであるとせよ。”

水爆実験の責任を取ろうとしないアメリカに対し、抗議運動が広がっていった。社会党や共産党など左翼勢力は、アメリカを戦争勢力と位置づけ、アメリカと結びついた保守政権に対する攻撃を強めていった。アメリカは、日本の政治情勢に神経を尖らせていた。極東での、反共の砦となるべき日本の政治基盤が安定しないことを懸念していたのである。

(元・国務省日本課  リチャード・フィンのインタビュー)
「アメリカに対して友好的だった吉田政権は、弱体化する一方でした。これに対し、左翼は、アメリカの核実験を非難することによって勢力を増し、日本を乗っ取る危険性さえ生まれていました。」

ソビエトもまた、こうした日本の情勢に注目していた。日ソの国交回復を果たし、日本をアメリカから引き離す好機と捉えていたのである。当時のフルシチョフ書記長は、ソビエトの対日政策について、次のような証言を残している。(フルシチョフ書記長の声)「日本には、アメリカに対する大きな不満があった。広島と長崎に原爆を落としたのは、ほかならぬアメリカだ。被爆者やその家族、政治家は強い不満を持っていたのだ。もし、わがソビエトの大使館が東京にできれば、日本の政治に不満を持つこれらの人々が、我々の大使館に接触してくるようになるだろう。」

内外の政治情勢が緊迫する中、柴田はワトソンと銀座で会い、ひとつの計画を持ちかけた。それは、民間使節の形をとった原子力平和使節団をアメリカから招き、原子力の平和利用を広く一般国民にPRしようというものであった。

(キャプション:“原子力平和利用使節団”Atoms-for-Peace” Mission)

(ワトソンのインタビュー)
「柴田に、金はあるのかと尋ねると、十分にあると答えました。では、プロデユースをこちらでやろうかと言うと、それも自分たちでやると言うのです。私もそれに賛成でした。そこで、私はジェネラル・ダイナミック社と連絡を取り始めたのです。」

その年1月、アメリカは世界に先駆けて、原子力潜水艦・ノーチラスを完成させた。
(映像:ノーチラス進水式 1954年1月21日)

ジェネラル・ダイナミック社は、その開発メーカーであった。ジェネラル・ダイナミック社の社長、ジョン・ホプキンスは、原子力平和利用計画に熱心で、海外での市場改革を、財界で提唱している人物であった。柴田は、アメリカのテレビ関係者などを通じて、ホプキンスと連絡を取り、平和使節として来日するよう、正力の意向を伝えた。

(映像:書簡)
“原子力平和利用の先覚者たる貴下の訪日こそは、この際、期せずしてアメリカ側からする最も効果的な反撃となることは、小生の深く確信するところであります。”

明けて1955年、読売新聞は元日の朝刊に、アメリカ原子力平和使節団の招聘を告げる社告を掲載した。これ以後5ヶ月に渡り、原子力平和利用のキャンペーン記事が、たびたび読売新聞紙上に登場することになった。

(柴田の手記より)
“読売も日本テレビも、共に原子力特別調査班を作り、両者をあげて、使節団を受け入れる世論作りに邁進した。私は、新聞とテレビの両メデイアを相呼応させて活用する本格的な大キャンペーン開始の時が来たことを痛感し、精魂傾けていった。”

(映像:オプニンスク原発 ソビエト)
この頃、ソビエトは、世界初の商業用原子力発電所の可動に成功し、アメリカを驚かせた。そして、諸外国に対し、原子力平和利用の技術援助を行なう用意があることを明らかにした。アメリカでは、まだ最初の商業用原発の建設が始まったばかりだった。アメリカは、大きな政策転換を図った。アイゼンハワーは、原子力の国際管理案を一旦棚上げする。そして、西側友好国に対し、アメリカが個別に二国間で協定を結ぶという方針を打ち出したのである。

アメリカは、協定締結国に対し、濃縮ウランや原子力の技術情報を供与することになった。アメリカは、濃縮ウランを外交カードとして、各国をアメリカの勢力下に置こうとしたのである。アメリカ原子力委員会は、日本政府とも原子力協定を結ぼうと、ワシントンで日本側に対する打診を行なっていた。当時の原子力委員会国際部長、ジョン・ホールは、日本政府と公式な交渉を始める時期を模索していた。

(ジョン・ホールのインタビュー)
「第五福竜丸事件のせいで、日本人が神経過敏になっていることはよく分かっていました。第五福竜丸事件の決着と、原子力協定の公式交渉の時期が重なるのは避けるべきだと思いました。そこで、交渉の時期を遅らせて、春にすべきだと、私は提案しました。春ならば、交渉妥結後、すぐに議会の承認を得ることもできるからです。」

昭和29年、日本政府は2億3500万円の原子力研究予算を成立させていた。しかし、学会には原子力に対する反発が根強く、ウラン入手のルート(?)すら立たない状態が続いていた。アメリカからの提案は、こうした状況に突破口を開くものだった。1月4日、第五福竜丸事件は、アメリカ政府が保証金2百万ドルを日本政府に支払うことで決着した。アメリカの法的責任は一切問わないことを条件とする、政治決着であった。

その一週間後の11日、日本政府に宛てて、アメリカから濃縮ウラン受け入れを打診する書類が届けられた。しかし、外務省は、このことを外部に対して一切秘密にした。

(元外務省国際協力局第三課長 松井佐七郎さん インタビュー)
「みんな、反対したんだよ。平和利用という名のもとに、軍事利用に走られたらかなわんという一部の人があったから、非常に、火をつけるような議論で、。。。。。火を点けると両側にぱっと燃え広がる背景があったから、やはり相当慎重に足元を見て、ひとつひとつ辺りを見回して行かざるを得なかったんですよ。」

その3日後の1月14日、ソビエトは中国・東欧5カ国に対して、原子力技術や濃縮ウランの援助を行なうと発表した。(キャプション:ソ連の原子力援助対象国  中国、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニア)ソビエトも、独自に2国間協定を結び、核のブロックを作ろうとしたのである。

一方、外務省がひた隠しにしていた、アメリカからの濃縮ウラン提供の申し入れは、3ヵ月後、朝日新聞のスクープによって明るみに出た。以降、日本国内の世論は、受け入れの是非をめぐって二つに割れていく。一週間後に開かれた日本学術会議の総会でも、この問題をめぐって議論が沸騰した。受け入れに反対する科学者たちは、原子力を通じて日本がアメリカの軍事ブロックに組み込まれる可能性を指摘し、あくまで自主開発をすべきであると主張した。

物理学者の武谷三男さん。武谷さんも、当時、濃縮ウラン受け入れに反対した一人である。

(武谷三男さん インタビュー)
「それはもちろん、アメリカでもいろいろなやっていることを見ていて、あらゆることで”やばい“と。それは、軍事との区別がないわけですよ、アメリカでは。英国でもそうですけれどね。軍事のおこぼれが、平和利用という格好になって。そういう出発ですからね。」

柴田の資料に、学術会議の主要メンバーの思想傾向を調べた書類が残っていた。警察庁と公安調査庁調べと記され、1955年当時のものと推定される資料である。当時、“共産党寄り”とみなされた学者には、赤丸が記されている。

2月、正力松太郎は、突如、富山2区から衆議院選に立候補することを表明した。正力は、“保守合同による政局の安定”と“原子力平和利用の推進”を2大公約に掲げた。この選挙で正力は初当選し、原子力導入に向けた大きな足がかりを得たのである。

正力は、早速財界に働きかけて、原子力平和利用懇談会(キャプション:1955年4月28日発足)を発足させ、自ら代表世話人に就任した。経団連の石川一郎会長を筆頭に、重工業、電力業界をはじめ、財界の主要メンバーが集まった。学会からも、原子力の導入に積極的な科学者が集められ、平和使節団受け入れの準備が整えられていった。

(ダニエル・ワトソンのインタビュー)
「正力の存在がなければ、これだけの人は集まらなかったでしょう。特に科学者たちは、地位を失うことを恐れて、断れなかったように見えました。」

当時、日本では慢性的な電力不足の解決のために、大型ダムが次々に造られていた。しかし、建設費が次第に高騰し、水力発電の発電量は限界に近づいていた。火力発電所も、まだコストが高く、将来の石炭不足も予想されていた。産業界は、新たなエネルギー源を模索していたのである。

正力は、アメリカから提供されたデータを使って、水力や火力より原子力発電の方が経済的であると、財界を説得した。正力は、原子力発電の安全性についても説明した。財界誌に掲載された正力の文章には、原子炉から出る“死の灰”も、食物の殺菌や動力機関の燃料に活用できる、と書かれている。

一方、アメリカ国家安全保障会議は、海外との原子力協力について、次のような方針を採用していた。“向こう十年間に、経済的に競争力のある原子力発電をすることは期待できない。しかし、ソビエトは原子力開発を急ピッチで進めており、アメリカが冷戦においてリーダーシップを奪われる可能性がある。”

電力コストの高い日本は、最も有力なターゲットとしてここに挙げられている。

(映像:読売映画社 ニュース  女性アナウンサーの声)
“アメリカから、読売新聞社が招いた原子力平和利用の民間使節、ホプキンス、ローレンス、ハウスタットの三氏が、5月9日来日。読売新聞社主・正力松太郎氏らと、固い握手を交わし、花束を受けました。”

使節団には、ノーベル賞を受賞した物理学者・ローレンスら、著名な科学者が随行し、話題を集めた。一行は、鳩山総理大臣他、政財界の主要人物と精力的に会談を重ね、濃縮ウラン提供の前提となる日米原子局協定の早期締結を促した。一方、国民へのPR のために、原子力平和利用大講演会(キャプション:5月13日 日比谷公会堂)が企画された。講演会は人気を集め、会場となった日比谷公会堂の周りには、長蛇の列ができた。会場に入りきれない人のためには、街頭テレビが設置され、講演の様子や広報映画が映し出された。

(映像:アメリカの宣伝映画)
“核分裂によって発生した熱が、発電に使われます。アメリカでは、大型の原発を建設中で、完成すればすぐにすべての都市に電力を供給できるようになるでしょう。船や飛行機い原子力を使えば、輸送革命が起きるでしょう。原子力に対して、知性に基づく確固たる態度で臨むことは、原子力時代における子どもたちの未来に関わる問題なのです。”

(柴田秀利の手記より)
“読売は、2ページを割いて、この講演内容の全貌を掲載したし、テレビは娯楽番組をはずしてその全容を生中継し、国民大衆の啓蒙することができた。こうして、原爆に脅え、憎み、反対ののろしばかりを上げ続けてきた日本に、はじめて“毒は毒をもって制する”、平和利用への目を開かせるかけ声が、全国にこだましたのだった。舞台裏に身を潜めながら、私は喜びと感動に打ち震えていた。“

政府側の動きも、活発化していた。濃縮ウラン受け入れ問題を検討してきた原子力利用準備調査会は、5月19日、会合を開き、受け入れを決議したのである。民間使節の動きと、政府側の動きが、ここに一致した。

政府の原子力利用準備調査会の初代事務局長となった、島村武久さん。(キャプション:経済企画庁初代原子力室長 島村武久さん)

(島村さん インタビュー)
「民間の使節なんだけれども、政府が大いに応援したわけで、それは、日本に大いに原子力をやらせようというよりは、むしろ、そういう政治情勢を見て、日本が変なことにならないようにという、アメリカの考えもあったと思いますね。」

6月21日、日米原子力協定がワシントンで仮調印された。第五福竜丸事件から、1年3ヵ月後のことであった。この条約により、日本に濃縮ウランがはじめて供給されることになった。半年後、正力松太郎は原子力担当大臣として、第三次鳩山内閣に入閣した。その時、正力は、アイゼンハワー大統領に向けて、一通の手紙をしたためている。

“原子力平和利用使節団の来日が、日本での原子力に対する世論を変えるターニングポイントになり、政府をも動かす結果になりました。この事業こそは、現在の冷戦のおける我々の崇高な使命であると信じます。正力松太郎。”

(映像:茨城県東海村  男性アナウンサーの声)
“原子炉完成式の日を迎えて、500人が参列して、原子力センターの出発を祝います。正力国務大臣が歴史的なスイッチを入れます。”(キャプション:初代原子力委員長 正力松太郎)

昭和32年8月20日、アメリカから輸入された東海村の原子炉が臨界に達した。日本の原子力開発がスタートした瞬間であった。しかし、日本で原子力による電力の供給がはじまるのは、アメリカの予想した通り、ほぼ十年後の昭和41年のことであった。

(ダニエル・ワトソンのインタビュー)
「日本は、原子力を持たなければならなかったのです。原子力を理解し、最大限に利用する必要があったのです。プルトニウムのハクゴウ?さえしなければ。それは、我々が最初から望んだことでした。何の悔いもありません。」

アメリカは、1958年までに39カ国と原子力協定を結び、ソビエトに対抗していった。協定により、核物質の軍事転用は禁止された。それは、各国が米ソの核兵器ブロックの中に組み込まれていくことを意味していた。

1957年、アメリカ国家安全保障会議に提出された報告書は、原子力平和利用計画を次のように評価している。“過去3年、核実験に反対する激しいプロパガンダが行なわれたが、アメリカの立場は自由主義諸国の支持を得ることができた。原子力平和利用計画が果たした役割は、計り知れないものがある。”

アトムズ・フォー・ピース。

アイゼンハワーは、核物質の国際管理と民間転用を訴えた。その4年後、国際原子力機関・IAEAが発足。しかし、IAEAが直面したのは、むしろ平和利用を装った核兵器開発の疑惑であった。IAEAは、大国の核保有を認めたまま、核査察でも課題を抱え続けている。

第五福竜丸事件から40年、原発は、今、日本の電力の3割を賄っている。日本は、更に今年、プルトニウムを利用する高速増殖炉の実験に乗り出そうとしている。一方、アメリカでは、1979年のスリーマイル原発事故以来、新たな原発の発注は、今も途絶えたままである。

(以上)

Friday, May 13, 2011

ロバート・ジェイ・リフトンNYT紙寄稿 『フクシマとヒロシマ』 和訳 Robert Jay Lifton's Op-Ed in New York Times: Hiroshima and Fukushima (Japanese Translation)


Robert Jay Lifton
広島の被爆者の心理的研究をもとにした古典的著作 Death In Life (初版 1967 年、日本語訳は『死の内の生命』という題で1971年朝日新聞社から出版、その後2009年に 『ヒロシマを生き抜く〈上・下〉―精神史的考察』 (岩波現代文庫)という新題で再出版)、他ジェノサイド研究、日本ではオウム真理教研究でも知られるアメリカの精神科医、ロバート・ジェイ・リフトン氏が福島原発事故を受けて、ニューヨークタイムズ(4月15日)に寄稿した論説文の和訳を紹介します。原文も下方に転載しております。「ヒロシマ」と「フクシマ」と同じでないとしながらもその根底にある核という技術と人間との関係を深く考えさせられる一文です。大江健三郎氏が『ニューヨーカー』誌に寄せた文も併せてお読みください。

ニューヨーク・タイムズ

フクシマとヒロシマ ~原子炉と原爆~

ロバート・ジェイ・リフトン

2011年4月15日

マサチューセッツ州ケンブリッジ発 —

核に対する恐怖ほど、急速に地球全体に広まるものはない。

福島で原子炉が部分的炉心溶融を起こしたことで、周辺の住民たちに計り知れない恐怖感を抱かせ、日本の他の地域の人々にも少なからぬ恐怖を与え、アジア全域やヨーロッパ、アメリカの人々にさえある程度の恐怖をひき起こした。

そしてまた、この恐怖は単なるヒステリーとして無視できるものでもない。この恐怖は、アジア以外の大陸では誇張されることもあるだろうが、実際には、原子炉で何が起こるか、風がどのように吹くか、どのような種類の放射性物質が吹き上げられるかによって、危険は重大なものになり得る。そのうえ、様々なレベルの放射能が人体にどのような害を及ぼすかという知識はまだ十分に行き渡っていない。

「フクシマ」は「ヒロシマ」とはもちろん異なる。人類を最も危険にさらしているのは核兵器である。しかし核兵器と同じように、原子力発電所から放出される放射能は、広島について私が「見えない汚染」と書いたのと同じで、その毒は、目に見えず臭いも手触りもなく、その影響はあまりにも長く続き、たとえ1年あるいは1世代のうちに影響が現れることが無くても、次の世代に影響を与えるかも知れないものである。一人の生存者が私に語ったように、「 外見は健康そうに見えるかもしれないが、まったく突然に体調を崩し、そして病気になって死ぬ。」

数十年前、私が取材した広島の生存者たちは、放射能によるグロテスクな症状を見たり経験したりする恐怖を口々に語っていた。急性症状としては、激しい下痢、体中の穴からの出血、皮下に内出血してできる恐ろしい「紫斑」、極度の倦怠感があり、その多くは死に至る。遅れて現れる症状としては、原爆投下直後の数年間に白血病が多発し、その後は甲状腺癌や胃癌、肺癌、卵巣癌や子宮頸癌が多発する。放射能は何世代にもわたって遺伝的影響を残す可能性があることが知られているので、広島では奇形児を産むことへの強い恐怖が広がった。

福島の事故に関連しては、このようなことは何も起こらないかも知れないし、事故を起こした原子炉が適切に処置、冷却されて大規模な核惨事を回避するというのは十分に有りうることだ。しかし原子炉と原爆は同じ種類の技術を使っているのだから、原子炉から放出された放射能が核兵器によるものと同じような恐怖をひき起こしても驚くには当たらない。

スリーマイル島でも同様だった。放出された放射能は福島よりも少なかったが、それでも人々は見えない放射能汚染をめぐるありとあらゆる恐怖を訴えた。チェルノブイリ原発事故でもこのような恐怖が広がり、今日に至るまで完全に消え去ったとはとても言えない。このような見えない汚染への恐怖は各地で被曝したアメリカ人たちにも広がった。長崎原爆の製造に関わったワシントン州ハンフォード・サイトのプルトニウム廃棄物、コロラド州ロッキーフラッツでの何十年にもわたる核実験、核爆発のすぐ後に兵士たちが行軍させられたネバダ州の核実験場での爆心地での被曝である。

原爆被害の経験をもつ日本がどうしてその原爆を作った核技術で電力の3分の1を作るほどの依存を自ら許してしまったのかと、疑問に思う人もいるだろう。実は、抵抗運動はあったのだ。多くは広島と長崎の生存者からのものだった。

しかし、そこにはまた否定や隠蔽、業界と政府の癒着といったお決まりの図式が存在していた。官業癒着の問題は日本に限られた問題ではないが、日本では特にひどかった。それでも原子力推進派は、「原子力と核兵器は違う」という二分法を人々の心に植え付けることによってやっと主流派になれた。人を欺くこの論法は、日本だけでなく世界中で用いられた。

また、世界を滅ぼす畏れ多い核の神から、平和的で人々の生活を向上させるものが生み出せるのではないかと期待もある(ここでまた原子力と核兵器の技術が同じであるということを認識する)。この兵器を開発し製造した我々人類が、同じ究極の技術から何かの形でその償いを見出すことができるのではないかという望みである。そして原子力は統計的には安全であるとする「リスク・アセスメント」研究があるが、これらの研究は極端な自然現象や人為ミス、技術的な誤動作について説明しきれていない。

福島での放射能の危険のことを「この世の終わり」のように語ることに異議を唱える人々もいる。確かに、いたずらに恐怖を募らせるような誇張表現は、あらゆる場面で避けるべきである。しかし、そもそもこの恐怖の対象の本質が終末をもたらすようなものであり、人類は自らの種を絶滅させることができる技術を作り出してしまったという認識が根底にあるからこそ、そのようなもの言いになるのである。この点においても、核による「爆弾」と「炉」の密接なつながりは、払拭できるものではない。

われわれは、この(核兵器と原子力が別物であるという)否定と分離を乗り越えて、発生源がどちらであっても放射能の影響は同じだということを認めるべきである。また、自然災害と人為ミスが重なると、いかなる技術も完全に安全とは言えないことを認めるべきである。さらに、この最も危険な技術を当てにして、何か「クリーン」で純粋なものを生み出すとか、そうでなければ何らかの罪滅ぼしになるものをもたらすことなど、およそ不可能だということを認めた方がよいのだ。

ロバート・ジェイ・リフトン
ハーバード大学医学部精神科講師。著書に “Death in Life: Survivors of Hiroshima”( 『ヒロシマを生き抜く〈上・下〉―精神史的考察』 (岩波現代文庫))。回顧録 “Witness to an Extreme Century” を近日出版予定。

(翻訳 酒井泰幸・乗松聡子 タイトルの副題は訳者がつけました。)

Translation by Yasuyuki Sakai and Satoko Norimatsu


The New York Times
April 15, 2011

Fukushima and Hiroshima

By ROBERT JAY LIFTON

CAMBRIDGE, MASSACHUSETTS — Nothing is more rapidly globalized than nuclear fear.

The partial meltdown of reactors in Fukushima, Japan, has created overwhelming fear in people living nearby, considerable fear in people living in the rest of Japan, and a certain amount of fear in people throughout Asia and even in Europe and the United States.

Nor can this fear be simply dismissed as hysteria. It can be exaggerated — especially in relation to other continents — but the fact is that, depending on what happens to the reactors, how the wind blows, and what kind of radiation plume develops, the danger could be grave. Moreover, there is still much ignorance about the kind of harm done to human beings by various levels of radiation.

Fukushima is not Hiroshima; it is nuclear weapons that most endanger mankind. But as with nuclear weapons, the radiation released by power plants is a form of what in writing about Hiroshima I called “invisible contamination” — a poison that one cannot see, smell or feel, and whose effects are so lasting that, even if they do not show up in one year — or one generation — they may well do so in the next. As one survivor put it to me: “You may look healthy from the outside but all of a sudden something goes wrong and you are sick and you die.”

When I interviewed survivors in Hiroshima decades ago, they described their terror at witnessing and experiencing grotesque radiation symptoms: acute effects of severe diarrhea, bleeding from various bodily orifices, dreaded “purple spots” from bleeding into the skin, extreme weakness and frequently death; and delayed effects including increased incidence of leukemia during early post-bomb years, and later of cancer of the thyroid, stomach, lung, ovary and uterine cervix. Since it is known that radiation can have genetic effects over the generations, there was much fear in Hiroshima about giving birth to abnormal children.

None of this may happen in connection with Fukushima, and it is quite possible that reactors there will be sufficiently treated and cooled to avoid a large-scale nuclear disaster. But we are talking about the same technology, so we should not be surprised that radiation released from reactors creates nuclear fear similar to that associated with the weapons.

I found this also to be true at Three Mile Island, where less radiation was released than at Fukushima, but people nonetheless expressed the full panoply of fear associated with the invisible contamination of radiation. Such fear has pervaded the nuclear accident at Chernobyl, and has by no means entirely disappeared to this day. The same fear of invisible contamination occurred in Americans exposed to nuclear radiation in various other places: to plutonium waste at Hanford, Washington, in connection with the production of the Nagasaki bomb; to nuclear testing over decades at Rocky Flats, Colorado; and to Ground Zero at test sites in Nevada, from which G.I.’s were marched shortly after nuclear explosions.

One may ask how it is possible that Japan, after its experience with the atomic bombings, could allow itself to draw so heavily on the same nuclear technology for the manufacture of about a third of its energy. There was resistance, much of it from Hiroshima and Nagasaki survivors.

But there was also a pattern of denial, cover-up and cozy bureaucratic collusion between industry and government, the last especially notorious in Japan but by no means limited to that country. Even then, pro-nuclear power forces could prevail only by managing to instill in the minds of Japanese people a dichotomy between the physics of nuclear power and that of nuclear weapons, an illusory distinction made not only in Japan but throughout the world.

There is also the hope (and here the sameness of the technology is recognized) that something peaceful and life-enhancing can be derived from the awesome, world-destroying nuclear deity; that we humans who commissioned and built the weapons can somehow find redemption in that same ultimate technology. And there are the “risk-assessment” studies that find nuclear power quite safe in statistical terms, failing as these studies do to account for extreme events of nature as well as human error and technical malfunction.

Some have been objecting to the “doomsday language” used in connection with Fukushima’s radiation dangers. And it is true that exaggerations at all levels should be discouraged, exacerbating as they do fears on the part of everyone. But that doomsday language has its source in the doomsday nature of the stuff that is feared, and in the realization that we have created a technology with which we can annihilate ourselves as a species. Here too the association between bomb and reactor cannot be willed out of existence.

We do better to overcome our denial and dissociation and to instead acknowledge that radiation effects are one and the same no matter what their source, that the combination of nature and human fallibility makes no technology completely safe, and that the technology most dangerous to us can hardly be relied upon to provide something “clean” or pure, or to otherwise redeem us.

Robert Jay Lifton is a lecturer in psychiatry at Harvard Medical School, and the author of “Death in Life: Survivors of Hiroshima” and the forthcoming memoir “Witness to an Extreme Century.”

Thursday, May 12, 2011

田中優5月1日仙台講演会ノート:「夏、若者に被災地でのボランティアは勧めない」

5月1日仙台で田中優さんの講演に兄と行ったときのノートを宮城の知人と共有し、感謝してもらえたので、ブログにも投稿します。聞き書きなので、完璧なノートではないことを了承ください。また、最後の方の、エネルギー民主化や自然エネルギーの部分は、パソコンの電池が切れてしっかりノートを取れなかったので、、田中優さんの最新の本『原発に頼らない社会へ-こうすれば電力問題も温暖化も解決できる』(ランダムハウスジャパン2011年)を読むことを勧めます。被災地であり、福島の隣、宮城での講演は難しかったと思いますが、優さんは放射線のリスクを包み隠さず話し、かつ自衛の策も教えてくれ、日本は素晴らしい自然エネルギー技術を持つという、希望の持てる話もたくさんしてくれました。また帰りには地元の会社が水の放射性ヨウ素を取るための木炭の粉を無料で配ってくれました。被災地は夏には南風が吹くことが予想されるので、若い人たちがボランティアで屋外に出ていくのは勧めないとする優さんのアドバイスがありました。人を助けたい思い一心でリスクは承知で行くという若者はいるだろうが、被曝の影響は自分だけではなく子や孫にまで伝わることを考えてほしい、とのことでした。被災地にはもちろん若い人を含めたくさんの被災した人たちがいることを思うと、何とも言えない気持ちになりましたが、少しでも被曝の被害を広げないようにとの思いからの助言であったと思います。優さんは、ご自分(1957年生まれ)かそれ以上ぐらいの人たちは放射線への感受性が弱くなっているのでその世代以上の人たちがどんどん行くべきだとも言っていました。シニア世代で元気な人たちに、活躍してもらい、若い世代は他の方法で被災地の役に立てる方法を見つけてほしいと思います。

田中優さんのブログはここです。http://tanakayu.blogspot.com/2011/04/5152.html

田中優 講演会

『東電原発震災を社会のターニングポイントに』

5月1日(日)仙台 ベルエア会館501大会場にて

主催:

日本の森バイオマスネットワーク  http://miyagibiomass.net/ 
くりこま高原自然学校  http://kurikomans.com/ 
栗駒木材 株式会社  http://www.kurimoku.com/ 
株式会 社 住まいの風工房  http://www.kazekoubou.com/index.php 

<宮城の人へのアドバイスの要旨> 
  • 宮城は福島じゃないので安全という考えは間違い。放射線は県境で止まらない。宮城は線量も通常より高い状態が続いていて、安全ではない。
  • 今までは北からの風だったので宮城の人は幸運だった。夏に風向きが南風に変わる。
  • 若い人は夏休みに沿岸部の被災地でボランティアしたいという気持ちになるだろうが、それは勧めない。
  • マスクをするのが大事。
  • 水や食品、日本の基準は非常に緩い。厳しい基準を採用している団体から買うべき。
  • 水の放射性ヨウ素は木炭できれいにできる

放射線は長期間放出される。「長持ちする危機感」を持つべき。

福島第一では、1、3、4号機が水素爆発。2号機では中の格納容器につながっているプールに穴が開いて白煙。ジルコニウムが高温になると水と反応して水素になる。上にたまる。爆発する。建屋が1,3,4号機吹っ飛んだ。4号機の方はプールが原子炉のすぐわきにあった。プールがひびわれ、水が抜けた。以前に使ったものなのに熱を持っている。

5,6号機も爆発しかねない状況だった。建屋に穴を開けた。水素はどんどん大気中に飛ぶ。微量ながら放射能は出る。その結果1-6全部放射能出している。チェルノブイリ、スリーマイル どれも1機のみ。今回は6機全てが出す。ずっと出し続けている。

6月にこれにカバーをして9月に完成と言っている。最低でも9月までは放射能を出し続ける。その間,台風などの心配もある。今年一杯は気にしなければならないだろうという状況。ヨウ素、セシウム。ヨウ素は甲状腺に集中する。セシウムは筋肉や子宮。ヨウ素は8日間たつと半分になる。80日間たつと1000分の1以下になる。ヨウ素は3カ月で安定する。9月まで出る(カバーができるまで)ということは3カ月でヨウ素が消えるということは、今年一杯は気にしなければいけない。

普通の事故ならそのとき気にすればいいが今回の原発は一時的に気にしても足りない。今年一杯気にしてなければならない。人は慣れてしまう。起こるときは気にするが、その後長くたつと慣れてきてしまう。人の方が勝手に慣れてしまう。被害を生む。今回の危機感は一瞬では足りない。長持ちする危機感でないと。

放射線と被曝

3月11日政府のホームページでは、炉心がその日の夜には壊れると言っている。
PDFファイルでも携帯で読めない。わざわざ紙をコピーして字をつぶしてアップしてあった。その時点で伝えていてくれたら「炉心が破損して23時50分」・・・すぐ逃げる必要があると気づいたはず。全然メディアにも知らされず。政府のHPにひっそりとあった。新聞等は3週間で政府が発表と言っていたが嘘。その日の夜に載っていた。

放射能とは放射線を出す能力。アルファ、ベータ、ガンマ、中性子線がある。ベータとガンマを気にする必要がある。アルファ線はウランとか燃料とかプルトニウムが出す放射線。アルファ線は紙一枚で防げるとか言うが、ガンマ腺がピストルだとしたらアルファ線は弾。周囲を集中的にこわす。PUやウランがアルファ腺を出す。アルファ腺を出すようなものは原子炉の周囲に飛んですぐ落ちた。気化はしてない。原発の敷地内であればアルファ線を気にする必要ないがそこからはなれている。中性子線は核分裂が起こっているときに出る。今回小さな核爆発(再臨界)が起こった。大きなものは起こってない。そうなるとベータ、ガンマ線が気になるものだ。

内部被曝と外部被曝

内部被曝ー放射能を食べちゃう、飲んじゃう。桁違いに被害が大きくなる。元々自然界に放射性ヨウ素というものはない。生き物たちはヨウ素を集めて安心して濃縮行ってしまう。放射性カリウムは自然界にある。でも同じ量を排泄する。生き物は自然界にあったものはためこまずに排せつするようにできているが原子力発言とか核兵器とかで作った放射能を生き物は知らない。濃縮してしまう。貪欲にヨウ素、吸い込んだ途端に甲状腺に集める。内側が打たれる。

地面から打たれる(雨降った後)生殖器が下から打たれる。そういうところは外部被曝を気にするが、普通には内部被曝が危険である。

(チェルノブイリの後、ベラルーシ、ウクライナの小児甲状腺がんの発生率の表)

1986年4月に事故は起こった。ヨウ素131は3カ月でなくなる。1986年8月にはなくなっていたはず。2002年の12歳の子どもは1990年に生まれている。あとになって出続けるのはおかしい。86年の8,9月には消えていた。どうして?遺伝子を傷つけた。卵子が傷ついた結果。卵子は胎児のときにもう持っている。妊娠可能なときは4万個に減ってる。卵子の時点で遺伝子に傷がつく。

夏、若者に被災地でのボランティアは勧めない

三陸は夏、南風が吹く。若者に被災地でのボランティアは勧めない。

今後南風に変わる。これまでは北風で仙台側はなかった。今後南風によって三陸や被災地の方に放射能が来る。若い人たちがボランティアとかで出かける。被曝する。細胞分裂するときに遺伝子を傷つける。大人は細胞分裂あまりしない。若いほどする。卵子まで。若い人は行かない方がいい。若い人たちが中心に被災地に行く。そこに放射能が飛ぶとどうなるんだろう。被害が出るのは圧倒的に子ども、胎児、今後子どもを生む人。

チェルノブイリー 子どもから順に死んでいく。チェルノブイリネックレス。手術の後の傷。自然死産率の低下率が遅くなったー大気圏核実験の時期、日本で死産率が高まった。アメリカニューハンプシャー乳幼児死亡率。核実験の後0-1才の死亡率がぐっと高まった。日本放射能 1957-1964の間に一番多い。ずっと後に被害が継続しているのはなぜか。チェルノブイリと一緒。放射能はその被害がずっと後ろ側に移る。

夏場に三陸に若い子が行くと、被害はその人に留まらない。その人の子にも障害が出る。その次の世代にも出るかもしれない。

ICRPの基準では、1mSVで10万人あたりプラス5.5人がガンで死ぬ(10倍という人も)

日本政府ICRPの基準を採用している。国際放射線防護委員会。そこのデータによると1mSVを10万人が浴びたら5.5人が後にガンになって死ぬ。従来のガンの数に増えるという意味。この5.5人が放射能が原因と証明するのは不可能。2ミリなら11人。きっちり浴びた量に比例して被害者が増える。ICRの計算は甘い。他ではその10倍と言う人もいる。ICRPは原子力推進機関である。その10倍ではないかという数が採用されている。ヨーロッパでも。

日本ではICRPの基準は自然界のが1.4mSVに加え1mSVと言ってる。それでも10万人あたり5.5人の死。今福島で100mSVでも大丈夫と宣伝している。とんでもないデマ。ICRPも100mSVが安全とは言ってない。福島では言われている。長崎大学の山下という教授が福島県の顧問になった。そういったことを吹聴している。この人の言ったことが政府の発表に採用されている。テレビラジオ新聞で紹介されているがこれはデマです。日本の採用基準では100mSVで後に550人ガン死者が増える。それを「安全」と言っている。日本政府の基準をはるかに上回っている。こういうのを「確率的影響」という。浴びた量に応じ一定増えていく。ここから安心というのはない。1mSV自然界以外から浴びていいというのは「交通事故程度ならいいのでは」と決めただけ。10万あたり5.5人ぐらい死んでもしょうがないという判断。

福島市、郡山市、飯館村で高濃度の放射線が検出されている。小さな子どもを抱えた人が関西に引っ越したりしている。それをすると周りが止める。「裏切るのか」と言われたりする。「神経質になりすぎだ」とか。どうしてそんなことが起こるかと思う。テレビもラジオも言わないから「裏切り」とか言う。特に放射能の被害で重要な確率的影響の部分を覚えてほしい。誰がなるかはわからないが一定の数着実に増える。後にガン死という形で、10、20年で出る。「ただちに影響」なんてもともとない。後になって出る。子どもから順に出る。

仙台は安全ではない

仙台は安全なエリアではない。水戸も多い。宮城は基準超えてます。ここは放射能汚染されている。宮城は福島じゃないから大丈夫、ということはない。放射線は県境で止まらない。宮城は子ども、これから妊娠する人は避けてほしいと思う地域のひとつである。

一つだけ徹底的に調べたデータがある。ドイツ政府が1980-2003年まで調べた。原発推進派の人も全部入れて調べた。25メートルきざみに調べた。原発から5キロ以内に住んでいる子は小児白血病が倍以上増えていた。普段通りでも。余分に浴びた放射能は、0.00009ミリシーベルトしか余分に被曝していなかった。統計上有意な被害がそれでも出ている。生き物は放射能と共存できない。これはドイツ政府が調べたもの。否定できない。この結果を葬った。日本では一切報道なし。

基準を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで上げるードイツの原発職員より甘い。

水や食物の汚染についてー厳しい基準を持つところから買おう

空気と食べ物について。内部被曝が危険。食べ物飲み物に注意する。日本は300ベクレル/Kgを基準にしているがWHO基準は10ベクレル。日本のは甘すぎる。アメリカは0.1ベクレル。アメリカは日本の3000分の1。

日本の食べ物の基準はなかった。チェルノブイリがきっかけで、輸入食品に370ベクレルという基準があった。ベクレルはものから出る放射線です。被曝がシーベルト。ベクレルというのはそのものが出している放射線の数。370というのは輸入にあったが国産のはない。「原発は絶対事故ない」という仮定から基準作る必要ないと言ってきた。ところが今回現実に事故があった。放射能があった。野菜はヨウ素2000ベクレルまでOK。セシウムも500までOKとした。甘い基準を作った。日本の食品は安全とはいえない。いずれみな日本の食べ物を信用しなくなる。輸入食品ばかりで国産のものを食べなくなる。地産地消とかやってた努力が無に帰す。

厳しい基準を持つところから買う必要がある。生活クラブとかグリーンコープとか。基準が厳しいので安心して食べることができるかもしれない。牛乳で放射性出た、栃木で。その後聞かないでしょう。なぜかというとブレンドしてる。薄いのとまぜてブレンドして測って売っている。みなさんが等しく被曝している。適度に危険な牛乳にしている。

自衛策:一リットルの水に1グラムの木炭をくだいてガーゼにいれて下に沈める。一晩置いたあとに利用。厚生省のHPに実験結果がある。放射性ヨウ素100%取れた、と書いてある。一リットルに1グラム、一晩。スミはゴミ箱に捨てていい。その水を使う。食べ物:放射性ヨウ素を吸い込んだときに普通なら吸収される。放射性でないヨウ素でまんたんになったら排泄される。甲状腺を満タンにしておくのがいい。医師たちの団体は声明だした。ヨウ素剤を医師の処方の元に飲みなさい、何の効果もないそれ以外は、と。甲状腺検査をするときヨウ素が満タンになると検査できなくなるから海草を食べないように依頼する。ヨウ素はあらかじめ放射能でないヨウ素で満タンにする必要ないと言う。一日ミリグラム単位。千分の1グラム。普段通り昆布だしの味噌汁を飲む。とろろ昆布とかをかじればいい。ワカメと昆布比べると昆布が多い。昆布使ってほしい。とろろ昆布とか。食べすぎたらよくない。少量でいい。ガンの当たりくじに当たらない方法は何か。紫外線も遺伝子壊す。体の内側に免疫というのがある。免疫という救急車。こわされた遺伝子を直す。バランスで決まる。いっぱい壊されるのを避けよう。免疫力を高めよう。

マスクをする大切さ

もう一つ重要問題。食べ物のみものの5.5倍の重さをとりこんでいるー空気。重さはなんと5.5倍を取り入れている。花粉用のマスクをつけてほしい。チリと一緒に飛んでくる。チリが飛んできたときに止めるのは花粉用のマスク。放射性ヨウ素の場合は水に溶けやすい。湿らせたハンカチ、ガーゼ。宮城県は仙台含めて小中高大学生幼稚園生についてはマスクを義務付ける必要あり。福島では長崎大の先生がでたらめ言っているので誰もマスクをしていない。放射能汚染の度合いを政府は発表しない。後になってSPEEDIという機関が発表。スロモーだった。自分たちで市民が測った。

3月12日、水素爆発で1号炉がふっとんだ。濃い放射能が漏れてたまたま風向きー福島、郡山、中通を通じて南北に流れた。仙台にも汚染広がった。南相馬が一番かわいそうだった。南相馬から被曝の多い福島に行ってしまった。データを政府が公表しなかった。余分な被曝を強いられた。

福島市放射能高い。黄色い小学校は放射能レベルが放射線管理区域なみのレベル。赤いところは上回っている。レントゲンの鉛の扉がしまる、その内側のレベル。それが黄色いレベル。赤はそれより濃い。18歳以下の人は労働法上入ってはいけない。そこに常時子どもたちが学校にいる限り居続ける。こんなのは即刻対比命令出さないといけない。そんなとこにいちゃいけない。20mSVまで被曝してもしょうがないということにしちゃった。もともと限度は1mSV。10万人のうちそれだって5.5人死ぬんだ。子どもだということに配慮もせずに20mSVにしてしまった。チェルノブイリで起こったことが起こってしまう。

偏西風が吹く日本、浜岡を止める必要

日本は偏西風地帯。常に西から東に流れる。福島第一での事故はある意味で不幸中の幸い。東のはじっこの原発だったから。海側に流れた。玄海原発とか島根とか伊方とか若狭の原発だったらどうなってたか。偏西風なので大阪も東京も名古屋も東京も汚染。西側から原発を止めないといけない。とくに浜岡。東海地震というのは起こることが決まっている。必ず起こる。日本で予知が進んでいる。その震源予定の真上に浜岡がある。原発を動かせるような場所ではないからこれはまずいの一番に止めなくちゃいけない。

原発補償制度 日本の保険会社が保険かけて保険会社が再保険といってかける。ロイズ保険。ロイズ保険に即座にことわられています。日本のような地震国で原発が動かせるわけないだろう。じゃあということで自身による原発事故については免責にしちゃった。600億円以上は払わなくていいことにしちゃった。やっと加入した。今は1200億円に増えている。地震は免責だから保険下りない可能性も。

現在地球は地震の活性期にきている。今回の地震についてはインターネットのHPで紹介しているものがある。すごい地震の数。女川を再開するなんてあり得るだろうか。正常な神経か。日本に原発は向かない。やめるべき。

無駄な発電施設を作るほど儲かる電力会社

1030円の電気料金 1,000円に30円を上乗せしている。もうけすぎないように3%までの適正報酬ということにしてある。電力会社がこの仕組みのもとで大儲けしたい。その場合、必要な費用を1兆円にすればいい。架空のニーズと無駄な施設を作ればいい。「もんじゅ」は、試運転中に事故おこして止まった。なんの電気も生んでない。1兆円かけちゃった。電力会社は焼け太りする。300億円利益を載せて電気料金を取っていいことになっている。無駄な施設を作りまくる。総括原価方式。

水道料金。ダム。安いのは1カ月20トン800円。赤穂市。高いのは山形の酒田。ガスタンダムというので同じ量で4200円。どこも沖縄以外原発もってる。無駄なカネを使うおかげで電気料金が高くなる。「原子力が安い」と政府は言う。原子力は5.9円。水力は13.6円。資源エネルギー庁のデータという。

原発は一番高くつく

設置許可申請書を出している。国立国会図書館にある。発電単価というのがのっている。原発は13.9円。5.9円じゃない。一番高い水力発電より高い。原発はめちゃくちゃ高い。これは原発だけのコスト。高速増殖炉は入ってない。六ヶ所村3兆円入ってない。放射線管理費用も入ってない。原子力は無茶苦茶高い。そのおかげで日本の電気料金は高くなった。先進国で一番高い。アメリカより3倍高い。5,6流国に落ちているのはそのせい。アルミ精錬。鉄鋼精錬。銅の精錬みな海外に行っちゃった。4分の1の企業が自家発電してる。電気が高すぎる。国際競争力をさまたげている。経団連が反対すべき。経団連の会長は各地域電力会社の社長がやってる。電力会社と心中する形で日本が衰退している。

行動の指針ー3つの方向性

たて 政治家に影響をおよぼす。
よこ 多くに伝える、ムーブメント
ななめ 全く別の仕組みを作る。alternativeを作る。

電気はまず、消費を減らせる

電気はためられない。消費の最大部分に合わせなければいけない。ピークは一年間8760時間のうち10時間以下。発電所を限りなくピークにあわせるのではなくピークを下げればいい。

日本の電気消費の4分の3は企業が消費している。家庭は4分の1。夏場のピーク時の91%の消費は企業。電力会社は企業に節電を言うべき。家庭は使えば使うほど高くなる。節電しないと家計にひびく。事業者は逆。使えば使うほど安くなる。企業は使えば使うほど安くなるのでもっと使えばいい、もっと安くなる。消費の多い月に消費を増やす。

日本の発電所は58%しか動かない。ドイツや北欧は72%。夏場は40%がエアコン消費。アメリカでは500万世帯のエアコンを1時間に「5分消す」のをやっている(誰も気づかない)。日本はピークをふやせば発電所を作れる。もっと高いの作れば作るほど、無駄を作れば作るほどもうかる。

電力の問題は家庭の問題じゃない。事業者の問題。消費を減らす。電源について自然エネルギーとか考える。自然エネルギーに切り替えることをすぐ言う必要ない。消費を減らせる、その前に。

すぐれた自然エネルギー技術を持つ国、日本

太陽光は高いのにまだ原発よりは安い。ヨーロッパでは2009年新しく作られた電源の60%が自然エネルギーによるものだった。スペインでは風力が一番。安いし、CO2は少なく、すぐ設置できる。日本の人は自然エネルギーを「高く、不安定で、子どものおもちゃのようなもの」と思いこまされているが、それは日本が情報鎖国だから。

日本は自然エネルギーの技術が進んでいる。例:洋上風車、ゆっくり回り鳥を殺さない風車。日本は国土が狭いというが、海を入れると12倍。実は日本は海洋王国なのである。波力発電では9mX15mのイカダのような装置。「エネルギーは命がけで作る」時代は終わっている。日本は降水量多く、水車に適している。

送電線を公共財にして、エネルギーを民主化すべき

小さな段差をうまく利用すれば、ダムは不要。送電線を電力会社が握っている。専制支配で思うがままになっている。送電線を国有化することを提案したい。送電線を公共財とする。発電は、発電・送電・配電の段階がある。83カ国では「国定買い取り制度」があるが、日本は太陽光発電のみしか買い取らない。エネルギーを民主化する必要がある。東電から借金のカタに送電線を取りあげればいい。

電力会社は巨大な広告費をかける。10社あって、電事連もCMを出している。計1500億円の広告費で、トヨタの1054億円より1.5倍も多い。電力会社は独占企業なのになぜCMが必要なのか。被災地にその分送るべきだ。独占企業にCMをさせるべきではない。

日本は省エネ製品がすぐれている。先進国のうち一番。ヨーロッパの3分の2、米国の3分の1しか使っていない。日本は省エネ製品、バッテリー、電気自動車、自然エネルギー、IT技術、全ての分野で強い。なぜ原発をやるのか。

田中優プロフィール(田中優ブログより)
1957年東京都生まれ。地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、環境、経済、平和などの、さまざまなNGO活動に関わる。現在「未来バンク事業組合」 理事長、「日本国際ボランティアセンター」「足温ネット」理事、「ap bank」監事、「一般社団 天然住宅」共同代表を務める。現在、立教大学大学院、和光大学大学院、大東文化大学の非常勤講師。 著書(共著含む)に『環境破壊のメカニズム』『日本の電気料はなぜ高い』『どうして郵貯がいけないの』(以上、北斗出版)、『非戦』(幻冬社)、『Eco・エコ省エネゲーム』『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』『戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法』『世界から貧しさをなくす30の方法』(以上、合同出版)、『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』(岩波書店)『地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか』(扶桑社新書)『おカネで世界を変える30の方法』『天然住宅から社会を変える30の方法』(合同出版)『今すぐ考えよう地球温暖化! 1~3』(岩崎書店、子ども向け)『おカネが変われば世界が変わる』(コモンズ)『環境教育 善意の落とし穴』(大月書店『幸せを届けるボランティア 不幸を招くボランティア』(河出書房新社))『原発に頼らない社会へ』(ランダムハウス)他多数。

Wednesday, May 11, 2011

「子ども20ミリシーベルト問題」を特集したフジTV・日本医師会声明「20mSVの科学的根拠が不明確」

(この5月11日の投稿、5月12日の日本医師会の声明を加えて、5月13日に再投稿しました。)

★文科省が4月19日に定めた、福島の学校や保育園で、1時間あたり3.8マイクロシーベルトを超えない限り校庭活動は制限されない(1日8時間屋外、16時間屋内を前提とし、屋内の被曝量は屋外の4割と仮定した上で)という方針は、政府が従来定めていた一般人の被曝許容限度である年間1ミリシーベルトを20倍にし、年間20ミリシーベルトまでの被曝が許容されていることになる。これについては福島をはじめ全国の市民の間で反対運動が起こっていた。ネットでは共有されていた問題意識がマスメディアに取りあげられることはほとんどなかったが、5月10日、フジTV画期的な特集を組んだ。このサイトでも取りあげてきた、小佐古参与辞任から、福島の被曝に関するアドバイザーで「御用学者」との批判の高い山下俊一氏の発言、アメリカの医師団体PSRが日本政府の限度引き上げを「衝撃的」と言った記者会見、そして福島の親たちが汚染された校庭の土を厚労省、文科相の官僚に突き付けた5月2日の対政府交渉までが網羅されていた。福島の子どもたちを守るために勇敢に声を上げた医療ジャーナリスト伊藤隼也氏に感謝し、それを取りあげたフジTVを評価し、これからも圧力に負けず、良心に恥じない報道を続けるよう応援したい。

★(5月13日追記)5月12日、日本医師会が「子ども20mSV」に強い懸念を表明する声明を出しました。20ミリシーベルトの基準の「科学的根拠が不明確」とし、特に小児の放射線感受性の高さから、国に対し「できうる最速・最大の方法で、子どもたちの放射線被曝量の減少に努めることを強く求める」としている。「とうとう日本医師会までもが警鐘声明」とツイッターで知らせたところ反響はものすごく、ほとんどが「遅いが評価できる」との声だった。また、「マスメディアが報道しなければ意味がない」との声もあった。今のところマスメディアで、ネット報道しているのは産経新聞で、朝日はネットにはないが5月13日の朝刊に記事があったとの情報が入っている。それ以上の報道が今のところ見当たらない(情報歓迎)。原発を推進した学者たちの声明のときのように、マスメディアはこの政府方針を批判した日本医師会の声明を報道するのに及び腰なのではないかと懸念を抱く。

★この問題については FoE Japan をはじめとするNGOが政府に対する要請行動を続けている。現在、第二次署名を集めている。くわしくは下記リンクを参照。

子どもに「年20ミリシーベルト」撤回を求めるオンライン署名 第2弾

署名フォームはこちら。

要請の詳細はこちら。】[第2弾]子ども20ミリシーベルト基準の即時撤回および被ばく量の最小化のための措置を求める緊急要請

海外の専門家からの憂慮の声続々。

2011.5.10 フジTV・とくダネ 福島の子供たち 20ミリシーベルト問題

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