7月18日、都立南大沢学園養護学校に根津公子教諭を訪ねた。 といっても、校門の外でである。根津さんは、卒業式や入学式で「君が代」斉唱のとき起立を拒否し、繰り返し都教委
私は、映画「君が代不起立」英語字幕版のことを今年初めに知り、早速友人を通じて注文し、カナダ・バンクーバーで小規模な上映を2回行った。その映画に登場する教員の一人であり、「停職出勤」を続ける根津さんに会いたく、メールしたところ、快く承諾していただき、今回の訪問に至った。17日には、やはり被処分者である、近藤順一さん(八王子市立第五中学校夜間学級教員)が根津さんの応援に来ていた。お二人に、朝の登校時からお昼まで、校門の外で、いろいろなお話を伺った。
根津さんの処分の履歴については彼女のホームページを見てもらいたい。ここには、教育における軍国主義復活を食い止めようとがんばってきた根津さんが1994年以来どのような処分を受けてきたのかが記されている。授業で「従軍慰安婦」のことを教えたら処分されたということもあったという。現在の停職6ヶ月というのは今までの処分でも最も重いものだ。停職は6ヶ月までであるということを言い渡され、次は免職という最終的な処分が待っているのではないかと予想されるとのことである。それでも根津さんは戦い続けている。
根津さんによると、現在、停職処分を受けている教員は彼女も含め3人いるということである。全国の自治体の中で、広島県、新潟県、北九州市等、「君が代」不起立に対して処分をしてきた教育委員会はあるものの、戒告、減給に留まるもので、停職という重い処分は、東京都だけであるという。東京都では、入学式・卒業式における国歌斉唱、国旗掲揚の手続きの詳細を定めた「10・23通達」により、抵抗する教員への締め付けをますます強化させてきている。
根津さんと近藤さんと過ごした南大沢学園校門前での朝、たくさんの学びや気づきがあった。門に入っていく生徒や保護者、教員たち一人一人に挨拶をしていく。ほとんどの人たちは好意的に挨拶を返している。今朝は非難訓練が行われていたが、訓練の騒音を前にし、校門に入りづらそうにしていた生徒が一人いた。根津さんは「この子はいつもこの時間に来て少し考えてから入るのよ」と言い、その子に付き添い校門を通るのを手伝ってあげていた。そういった動作一つ一つから、根津さんが、抵抗として「停職出勤」を続ける間も、子どもを第一に考える姿勢というものが伺える。
校門前にはさまざまなドラマがあるようだ。以前校門前「出勤」していた別の学校でも、不登校の子が、校門前で根津さんと会話をするようになり、その学校の校長からも、その子の様子はどうだ、と聞かれるといったこともあったという。このように処分中にも学校の外で、根津さんは学校や子ども達に役立つような教育活動をするという結果になっているようである。
根津さんには、バンクーバーでの「君が代不起立」の上映で出た感想や質問の一部を伝えることができた。その一つは、Yさん(30代、2児の母)の感想だった。彼女は上映後涙を流し、その理由とは、「自分は日本で学校に通っている間、一度も根津さんや河原井さんのような先生に出会えなかった」ということだったのである。リスクがあっても自分の意志を通す姿を生徒に見せるような先生という意味だったと解釈している。
私も、今回、根津さんに、自分に正直に生きるということはどんなことなのか、直に教わりたいという気持ちがあった。映画の中で、根津さんが、過去に一度だけ「君が代」斉唱のとき座ってしまったことを語っていて、そのとき心から、もう自分に絶対嘘をつくまいと誓ったという言葉が印象に残っていた。その点をもう少し突っ込んで聞きたかった。そのときは、教育委員会と自分の間に立って苦しんでいた校長のために起立したという事情があったらしいが、立っているときにある情景が浮かんだという。それは戦争中、上官の命令で中国人捕虜を打て、と命令された一兵卒のイメージだった。自分はそれと同じ立場にあるのではないか、それならやはりできない、と。
私は根津さんに訪ねた。ホームページでメールアドレスも公開しているが、嫌がらせのメールが来たりするのではないかと。もちろん来るとの答えだった。でもそういう人たちがどんな考えを持っているかというのを知るのが役立つとのことだった。もし自分が癌にかかっている可能性があるとしたら、それを知りたいと思うか知りたくないと思うか、それと似ていると根津さんは語った。私は、自分だったらやはり知りたいであろうと思った。しかしやはり自分は、自分に対する優しい言葉は聞きたいが厳しい言葉は聞きたくないのではないかと思ったので根津さんにこの質問をしたのだ。
根津さんは自分の意見に賛成しろと人に伝えているのではなく、むしろ異なる意見を歓迎している。根津さんの訴えることを私なりにまとめるとそれは、「自分で考え、自分の意見を持ちそれが自由に表現できる場を与える場を保障すること、そのことこそが教育であり、そうでないものは教育とは言えない」ということだと思う。そういう意味で、日の丸君が代を、その意味を教え、議論を歓迎することもなく強制することは、教育とは言えないのである。
根津さんは語った。逆風はあっても、自分に正直に生き続けることで、逆にどんどん楽になってきている。今、幸せか否かと聞かれたら、はっきり「幸せ」であると言えると。私はそこに、自己矛盾も裏表も何もない、まっすぐな人間の生き方を見た。根津さんは以前の「勤務先」のある学校では、生徒の一人から、「自分の言いたいことは言っていいんだということがわかった」という声を聞き、それが本当に嬉しかったという。「言いたいことを言ってはいけない」という雰囲気を作り出している教育の現場の中で根津さんは、「停職出勤」を通してこれだけの教育的影響を人々に与えているのだということがわかる。そして、私もその中の一人である。
私の質問に辛抱強く答えていただいた根津さん、近藤さんに心から感謝の意を表したい。そして、君が代不起立による免職という、前代未聞の人権蹂躙が私の愛する日本の地で行われることがないよう、できることをしていきたいと思う。
乗松聡子
(写真1枚目は、 校門前で登校する生徒たちに挨拶する根津さん、近藤さん。昼近くになって、根津さんを支援する会のメンバーで、元教員である、牧江寿子さんと牧野一恵さんが加わった。牧野さんはおにぎりとコロッケを持ってきてくれて、私まで一緒にご馳走になってしまった。牧野さんは毎週こうやって根津さんに昼食を差し入れしているとのことだ。2枚目の写真は、左から、牧江さん、近藤さん、根津さん、牧野さん)