Saturday, September 27, 2025

日朝国交正常化のためには、日本人が変わらなければいけない (9月27日シンポジウム「日朝ピョンヤン宣言から23年 国交正常化を求めて」乗松聡子発言) Normalization of Japan–DPRK Relations Requires Change in Japan

 9月27日、日本教育会館にて日朝全国ネット主催シンポジウム「日朝ピョンヤン宣言から23年 国交正常化を求めて」が開催されました。会場は立ち見が出るほどの盛況でした。和田春樹さん、李柄輝さんとともに登壇させていただいたのは大変光栄でした。お呼びいただいた藤本さんはじめ日朝全国ネットのみなさまに感謝します。そこでの乗松聡子の発言内容をここに紹介します。朝鮮がロシアに連帯したウクライナ戦争についてちゃんと理解することは大事だったので踏み込んで語りました。会場から反発は出ず、逆に、賛同の声、「自分の言いたいことを全部言ってくれた」との声、出版社の人からも、「ロシアを悪者扱いするような本は出さないようにしている」といった声が聞かれ希望を感じました。質疑応答で話題になった、ジェフリー・サックスやジョン・ミアシャイマーの言論も日本にある程度浸透しているとも感じました。時代は動き、メディアリテラシーのある人にはもう、西側のプロパガンダは通用しなくなってきていると感じます。朝鮮が「グローバル・マジョリティ」の一員であるという認識をみなさんと共有しました。



日朝国交正常化のためには、日本人が変わらなければいけない

 

2025年9月27日 乗松聡子

 

こんにちは、乗松聡子です。カナダに通算30年住んでいる日本人です。一昨日到着しました。きょうは、お招きをありがとうございました。

まず結論を最初に言います。

いま、米国が率いる西側帝国主義が破壊的戦争を続けています。ガザのジェノサイドはその典型です。

日本は、西側帝国に組み込まれたままの「名誉白人」国家です。G7に非白人国家として一国だけ参加しているのが象徴的です。

いま、グローバルサウスによる、脱植民地の動きが高まっています。西側帝国に搾取されてきた国々が、もうやられっぱなしにならないと、手を結んでいます。BRICSや上海協力機構の発展が目覚ましいです。

対ロシア制裁やトランプ関税も、非西側の結束を高める結果となっています。世界の貿易の脱ドル化が進んでいます。

そのグローバルサウスはいまやグローバル・マジョリティとも呼ばれます。朝鮮はグローバル・マジョリティの一員です。逆に取り残されているのは米国の属国である日本です。 

日本には、米国の呪縛を解き、アジアに戻ってもらいたいと思っています。

東アジアの平和を阻む要素ではなく、平和をつくる一員となってほしいです。そのためには朝鮮、中国、ロシアを理解、尊重することは不可欠です。

日朝国交正常化のためには、変わらなければいけないのは日本です。以下の項目について順にコメントします。

n  呼称問題

まずは、「北朝鮮」という呼称についてです。国の名前でさえないこの呼称がいまだに蔓延しています。

これは朝鮮を国として認めていなかった植民地支配時代の名残だという批判があります。私もそう思います。

韓国のことは国名で呼ぶのに朝鮮についてはそれを拒否する。これは差別としかいえません。

わたしは2019年訪朝したときに、まず国名を説明されました。朝鮮民主主義人民共和国、略すときは「朝鮮」であると。「鮮やかな朝の国」と説明されました。

その旅の中で、早朝にテドンガンのほとりを歩いたとき、朝日が射した川面の鮮やかさに目を奪われ、その意味がわかりました。これが当事者の望む呼び方です。 

日本の戦争時代、北米にいた日系人は敵性外国人とされ強制収容所に送られ、JAPと呼ばれました。今もカナダに暮らしていて、日系人コミュニティの中にこの傷が深く残っていることを実感します。JAPと呼ばれてもいいと思っている日本人や日系人はいないでしょう。それと同じです。 

日本メディアは、2002年日朝会談まではおおむね「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と、併記する方法を取ってきました。これも問題だったのですが、会談で金正日国防委員長が「拉致」を認め、日本国内で憎悪感情が沸き起こりました。その年の年末、朝日新聞が、もう併用はせずに「北朝鮮」を使うと宣言し、NHKも2003年から変わりました

朝鮮は、「北朝鮮と呼ぶな」という要求を繰り返し日本に対して行っています。2003年1月29日づけの「労働新聞」で、朝日新聞による「北朝鮮」呼称決定を批判しています。2005年にも、「北朝鮮」と呼ぶことは「わが国の存在と権威を無視する行為だ」と言っています。

日本は国交を正常化するためにも、相手国をその国の名前で呼ぶという最低限のリスペクトを示してこそ、スタート地点に立てるのではないでしょうか。

n  拉致問題

拉致問題は重大な人権侵害でした。ただ、私がいまだに理解できないのは、ふつう事実認定と謝罪をすればそれが和解への第一歩になると思うのですが、この場合、それがきっかけで逆に朝鮮に対するヘイトが増したことです。 

広島と長崎の原爆投下や都市空襲においては民間人が何十万人も殺されていますが、米国は謝罪もしていません。それなのに日本人の大半はアメリカが大好きです。この違いは何なのでしょう。 

訪朝したとき、通訳ガイドをしてくれた金さんが言っていました。あの頃は日本との国交正常化の期待から、日本語熱が高まったが、いまや日本語への需要も減ってしまったと。あの日朝会談はやらなかったほうが良かったかもしれないと。それを聞いてとても悲しく思いました。 

この問題は、被害者中心主義で取り組まれたとは言い難く、日本の保守政治家や右翼運動家が、政治利用のために解決を先延ばしにしてきました。 

しかし、拉致問題を利用して朝鮮を敵視する政策が、なぜ政治的プラスになってしまうのでしょうか。日本の一般市民はそんなに朝鮮をヘイトしたいのでしょうか。ここに根本的な問題があると思います。 

何より、日朝平壌宣言では、植民地支配で「朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えた」歴史への「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」にもとづいた、植民地支配の清算と同時に取り組む問題だったはずです。 

植民地支配時約2500万人いた朝鮮人のうち3分の1,約800万人が強制動員や日本軍性奴隷として動員され、多くの人が命を奪われました。

これについて朝鮮側には償いや清算が全く行われていないどころか、在日朝鮮人の人権侵害、朝鮮学校差別、ヘイトスピーチの蔓延という形で、解放後80年の現在も植民地主義が続いています。 

気の遠くなるような規模の植民地被害を全く語らずに、拉致、拉致とだけ叫ぶ日本メディアと日本人は、ダブルスタンダードを露呈しているとしか言い様がありません。 

日本に帰るたびに思いますが、日本の人たちは拉致被害者や家族の名前をよく知っており、自分の家族か親戚かのように語ります。メディアの影響でしょうが、これが正直不気味で怖いです。この人たちは、日本の植民地支配による被害者の名前を一人でも言えるでしょうか。 

拉致問題は、日朝平壌宣言がいうように、日朝の間に横たわる多くの人権問題の一つであるという認識に立ち返る必要があると思います。そのためには被害者意識に偏った日本人の歴史認識を問い直さなければいけません。 

n  朝鮮学校、幼稚園無償化排除問題

2019年9月、金丸信吾さんの訪朝団が宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使と会ったとき、朝鮮学校無償化除外の撤回がないかぎり「日朝関係は 1 ミリたりとも動かない」と言っています。朝鮮学校差別は国交正常化への大きな障害となっています。 

カナダでは日系人強制収容という歴史がありましたが、1988年にリドレスと呼ばれる、政府による謝罪と補償がありました。それは個々の被害者に補償しただけではなく、民族としての存在の権利を保障されたのです。そのおかげもあって、私はカナダで子どもを日本語学校に行かせ、日本文化に触れさせながら育てましたし、それで差別されたことはありません。 

私たちは好きでカナダに移住しましたが、朝鮮学校は、植民地支配があったゆえに奪われた文化や言語を取り戻すために作られたのです。本来は、償いの意味も含め、他の民族にもまして手厚くするのが当たり前です。 

しかし日本は正反対で、朝鮮学校を標的にして無償化から排除し、補助金を切り、存続の危機に追いやっています。これは民族抹殺、エスニッククレンジングの行為であると思います。

この問題は他の問題に比べ、日本政府の決断だけですぐ変えられる、比較的容易な問題です。明日にでも差別をやめるべきです。それで日朝国交正常化に一歩近づけます。

n  朝鮮半島の非核化

 「朝鮮半島の非核化」と、「朝鮮民主主義人民共和国の非核化」は全く違う概念であるのに、日本政府やメディアはこの違いをはっきりさせず、「北朝鮮の非核化」という概念を平気で語り続けています。

朝鮮にだけ非核化を求めるということは、すでに圧倒的に非対称な米国の核の脅威をまったく問題視せず、朝鮮にだけ身ぐるみはげということです。

相手の身になって考えてみればわかります。イラクやリビアのように敵視され指導者が残酷な方法で殺され、国を壊されたケースをみれば、朝鮮が核兵器をもって米国から身を守ろうとするのは当然のことです。

だから、非核化を語るのなら朝鮮半島における米国の核の脅威をなくすことが必要なのです。

先日、李柄輝先生の講座にオンラインで出たとき、「“朝鮮半島の非核化”とは朝鮮にとっては具体的にどういう意味なのか」ということを聞きました。

答えは、「米国は、弾道ミサイルから爆撃機・空母まで、多様な手段を通じて、迅速に朝鮮に核攻撃を加える態勢を維持している。そのような核攻撃能力を排除することが朝鮮半島の非核化である」とのことでした。

韓国と日本の米軍の存在自体が朝鮮にとっての核の脅威なのです。 

西側の言い分は、核のダブルスタンダードとしか言えません。西側の核はいいが、西側の敵の核は悪い。だから、ロシア、中国、朝鮮、イランの核は「悪い核」で、米国や同盟国の核は「良い核」だということです。イスラエルも核兵器を持っているのに査察も制裁もありません。

米国だけは何をやっても許される、という例外主義を日本も内在化しています。歴代の広島と長崎の式典での市長による平和宣言ではどこの国が原爆を落としたかを一度も言ったことがありません。日本被団協のノーベル平和賞の受賞スピーチでもそうでした。逆にロシアの核を名指しで批判していました。

敵視というのは戦争の前段階です。平和運動でさえ、政府と一緒になって特定の国を敵視するのです。戦争につながる敵対構造をあえて強化しながら核兵器廃絶などできないと思います。

n  グローバル・マジョリティの時代

9月3日に北京で開催された、「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80年記念大会」(この後は9.3と呼びます)では、習近平主席が、朝鮮の金正恩委員長とロシアのウラジミール・プーチン大統領とともにこの重要な節目を祝いました。画期的なことでした。 

しかし日本のメディア報道は、「良好な関係を誇示する」とか、「世界に結束を見せつける」という語調ばかりで、そこには加害国としての反省も、敗戦国としての謙虚さも見えません。

この催しは第一義的に、80年前の、大日本帝国を倒した記念日のお祝いです。日本人は米国と戦い、米国に負けたとしか思っていない人が多いので、この式典の意味がわからないのかもしれません。

米国の原爆投下が日本の降伏を決定的にしたかのように言われることが多いですが、実際はソ連の満州侵攻が大きな役割を果たしました。2月の日朝全国ネット創立パーティーにも来た、ピーター・カズニック教授など先進的な歴史家は、ソビエト侵攻のほうが大きな役割だったと言っています。

朝鮮は、40年の植民地支配の中で独立のために闘いました。1945年9月2日、戦艦ミズーリにおける降伏調印式で日本を代表した重光葵外相が足をひきずる姿に、私は「朝鮮は戦勝国である」という証を見ました。 

1932年、大韓民国臨時政府の命を受けた独立運動家ユンボンギルが義挙した「上海天長節爆弾事件」で片足を失っていました。 

今回、西側諸国がほとんど参加しなかった中、韓国からウ・ウォンシク国会議長が参加したのも、抗日戦争の勝者の一員であるということを印象付けました。 

来賓の26か国のうち、アジア太平洋戦争で日本の被害を受けた国々は他にも、インドネシア、マレーシア、べトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどが参加していました。

これらの国々は日本帝国主義を倒した日を共に祝う資格があります。米国、英国など他の連合国も参加すればよかったのです。

BRICSプラスパートナー諸国の20か国は、いまや購買力平価(PPP)ベースで世界のGDPのおよそ半分を占めており、人口では世界全体の過半数を超える規模となっています。

文字通り「グローバル・マジョリティ」になってきているのです。

習近平主席が9.3の演説で触れましたがBRICS側はウィンウィンの関係を求めているのに米国はゼロサムの関係、つまり自らの覇権を維持することにしか関心がありません。

だから米国は対決姿勢を強め、制裁、関税などで他国を疎外しています。それが結果的にグローバル・マジョリティの国々の結束を強めています。

さきほど敵視政策の話をしましたが、米国は敵視どころではありません。この89月だけでも、ウルチ・フリーダム・シールド(米韓)、フリーダム・エッジ(日米韓)、レゾリュート・ドラゴン(日米)という、大規模演習を行いました。

米軍基地で中国や朝鮮を取り囲み、中国が言い出したわけでもない「台湾有事」という概念を作りだし、戦争を煽っています。

米国が、中国や朝鮮の目と鼻の先でやっていることを、中国や朝鮮が米国沿岸でやったらどうなのでしょう?許されるはずがありません。

それなのに西側メディアは、9.3の式典における閲兵式を、「米国主導の国際秩序に対する強硬姿勢」と言って批判しました。

これだけ威嚇しておいて、中国は、国内で閲兵式をやることさえ許されないのでしょうか。

逆に、日本や欧米が「国際社会」と呼んでいる西側諸国は、世界の人口の15%にも満たないマイノリティなのです。グローバル・マジョリティが力をつけ、西側諸国にもう搾取はさせないという非西側国の、脱植民地主義の動きが加速しています。 

朝鮮はその流れの中にいます。9.3の式典に金正恩委員長が行ったことは、その世界の流れに朝鮮も確実に加わったという宣言にも見えました。 

n  米国が仕掛けた戦争

ロシアの特別軍事作戦について西側では、Unprovoked という枕詞とともに、ロシアが突然ウクライナを侵略した戦争だというナラティブが席捲しました。実際は違います。端的に言うと、この戦争は30年以上前にさかのぼります。ロシアが始めた戦争ではありません。米国が始めた戦争です。

米国のジャーナリスト、スコット・ホートン氏が昨年「Provoked」という分厚い本を出しました。7000のソースを使った、700ページの本で、どれだけ米国がロシアを威嚇してきたかーパパブッシュからバイデンにいたるまで、徹底的に記述しています。

冷戦が終結し、存在意義がなくなったはずのNATOは約束に反して東方拡大を続けました。2014年、米国は、ウクライナのナチス勢力を利用して、ウクライナ政権を転覆させます。民主的デモを装って、その国を自分の思い通りになる政権に取り換える米国の常套手段です。

それ以来、ウクライナの傀儡政権は東部ドンバス地方のロシア系住民を徹底的に迫害しました。グラートというロケット弾で市民に対し無差別攻撃を行いました。ドンバスの内戦では、国連によると1万4千人が命を落としました。

和平のためのミンスク合意も、西側が踏みにじりました。21年12月ロシアから米国への安全保障のための条約案もすべて米国が拒絶しました。22年2月、ウクライナによるドンバス攻撃が激化する中、とうとうロシアはドネツクとルガンスクの独立を承認し、特別軍事作戦に踏み切ったのです。 

目的はウクライナ征服でも欧州侵略でもありません。自国と、ロシア系住民を守るためのウクライナ中立化、非ナチ化です。やりたくてやっているのではありません。

ウクライナ戦争の根本の原因を理解することは、朝鮮のロシア派兵を理解するためにも不可欠と思います。

米国およびNATOが束になってロシアを攻撃している中、ロシアも同盟国を持つことが許されていいはずです。

ロシアと朝鮮は24年、包括的戦略パートナーシップ条約を結び、その同盟関係のもとで朝鮮は派兵しました。派兵先は、ウクライナに攻撃されたロシア国内のクルスクの防衛に限定していました。

朝鮮兵は100人以上が戦死したと聞いています。ご遺族のお気持ちを思うと、計り知れない悲しみであったと想像します。

ただ、朝鮮がロシアと連帯したことについては、正しかったと思います。

ロシアの特別軍事作戦は、世界で内政介入と戦争を繰り返す西側帝国に対する、脱植民地主義の闘いの一つです。それに朝鮮が連帯したということは、朝鮮がthe right side of history、歴史の正しい側についたということです。

n  平和主義と脱植民地主義 

このような話をすると、絶対的平和主義の立場から、戦争はいけない、非暴力でやらないといけない、核兵器はいけない、といったことを言う人たちが必ず出てきます。

わたしはこのような見方を、平和主義をかざしながら、脱植民地の闘いを抑えつける、一種の帝国主義であると思います。

それは平和主義でさえありません。誰かを踏みつけた上での「平和」など、平和とは言えないからです。(クォン・ヒョクテ『平和なき「平和主義」』)。

米軍基地を押し付けられている沖縄の人が、「日本が受け入れると決めた米軍基地は、沖縄ではなく日本本土に置け」という当然の要求を、「基地はどこにも要らない」と言って抑えつけるのもこのパターンです。 

植民地支配しておいて、ユンボンギル義士のような蜂起行動を「テロリスト」と呼ぶのもそのパターンです。80年近くにおよぶイスラエルによるパレスチナ民族浄化という背景で起こった23年10月7日のハマスの蜂起についても、テロリスト扱いがいまだに西側に蔓延しています。 

圧倒的非対称の構造で長年抑圧しておいて、被抑圧のほうが少しでも抵抗すると、暴力的だ!テロだ!といって100倍返しをするのです。 

非難すべきはどちらでしょうか。

あらゆる平和的、外交的、政治的手段を奪われた民族が武装蜂起することを、奪っている側が責めることはできません。法政大学のシン・チャンウ教授の著書『植民地戦争』にあるように、「抵抗する側の視点」からの正当性を持つ戦争です。 

日本の人たちは、「9条」や「平和」や「核廃絶」という、聞こえのよい言葉に乗せた「帝国主義的平和主義」を振り返る必要があります。 

沖縄や韓国の軍事化を前提にしながら語る「9条の平和」。米国の核の傘を前提に語る「核兵器廃絶」。日本を被害者として宣伝する「唯一の被爆国」という概念で、その暴力性は増幅します。 

いまこそ、日本人はやられた側に立っての捉えなおし、語り直しが必要と思います。植民地支配されたことのない民族だからこそ、想像力をはたらかせる必要があります。 

n  日朝全国ネットの役割

 世界で、グローバル・マジョリティによる、大きな脱植民地の流れ、多極化とも言われる流れに朝鮮が参加しています。米国および西側諸国はこのままゼロサムの闘いを続け滅亡の道を歩むのか、それともウィンウィンの新しい世界秩序に参加するのかの岐路に立っています。

日本はアジアに位置しながら、なお「脱亜入欧」の道を歩み続けています。果たして、このまま米国に従属し、戦争と破壊の道をともにするのでしょうか。それとも、再びアジアの一員となり、地域の平和と自己決定権に貢献するのでしょうか。

朝鮮との国交正常化は、日本が「グローバル・マジョリティ」に受け入れられる可能性があるかどうかを示す、試金石になるのではないかと考えます。

それを可能にするため、日朝全国ネットは、朝鮮への理解と友好を推進する活動をどんどん行っていけばいいと思います。自分たちがマジョリティであると、自信を持っていいと思います。 

(おわり)

Friday, September 19, 2025

シンポジウム 日朝ピョンヤン宣言から23年 - 国交正常化の進展をもとめて Symposium Commemorating the 23rd Anniversary of Japan-DPRK Pyongyang Declaration - Towards the Normalization of Diplomatic Relations

イベントのお知らせです。

「日本と朝鮮を結ぶネットワーク」(日朝全国ネット)戦後80年企画第三弾ということで、シンポジウムが9月27日(土)、東京の日本教育会館にて開催されます。

日朝全国ネットは今年2月に結成された、日本と朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の友好連帯を推進するためのネットワークです。活動は、①日朝国交正常化(日朝市民交流強化、朝鮮訪問活動、植民地支配の歴史清算)、②在日朝鮮人の権利確立(民族教育権の確立、朝鮮学校への差別撤廃、在日朝鮮人差別の排除)、③東北アジアの平和と安定(朝鮮戦争の終結と平和協定締結)です。詳しくは結成のときの報道をご覧ください。

「日本と朝鮮を結ぶ全国ネットワーク」結成/ 中央・地方86の友好団体が参加

ブログ運営人の乗松聡子が登壇します。ふるってお越しください。お問い合わせの電話番号、メールアドレスはチラシに記載されています。↓


日朝平壌宣言とは、2002年9月17日に北朝鮮の首都ピョンヤンで、日本の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が署名した共同宣言です。両国の国交正常化を目指すための基本文書として位置づけられています。

日本語の原文(外務省HPより)



Thursday, September 18, 2025

東京の中国大使館で、映画『南京照相館』の特別上映会開催!央视新闻(CCTV)報道の日本語訳 Film Dead To Rights screening was held at the Chinese Embassy in Tokyo

会場で参加者が撮影。

(9月19日追記。乗松聡子のビデオメッセージの原稿を、下方に貼り付けました。ネタバレになる内容ではないです) 

9月17日、東京の中国大使館で、中国中央広播電視総台主催で、映画『南京照相館』の特別上映会がありました。私は招待をいただきましたがカナダにいて行けなかったのでビデオメッセージで参加させていただきました。央视新闻(CCTV)による中国語の報道をここで日本語に勝手に訳して紹介します。(自分が「ベテランジャーナリスト」と呼ばれており大変恥ずかしく、本物のベテランジャーナリストの皆さんに申し訳ないですが、翻訳なのでお許しくださいm(__)m)(★AI訳で、私は翻訳の正確さを確認する能力をもたないので、翻訳がおかしいと思われる場合は原文を参照ください。 翻訳はアップ後修正することがあります。 )

いま全世界で上映中で高い評価を得ているこの映画、日本での上映をするべきと思います。 


《南京照相馆》在日本专场放映 日本观众呼吁正视历史深刻反思

(以下翻訳)
《南京照相館》が日本で特別上映 日本の観客が歴史を正視し深く反省するよう呼びかけ

17日、中央广播电视总台(中国中央広播電視総台)の主催、中国駐日本大使館の協力による映画《南京照相館》日本特別上映イベントが東京で行われた。日本国際貿易促進協会、日中労働者交流協会、東京都日中友好協会、ならびに日本の高校・研究機関、メディア・出版機関の代表、そして在日華僑華人など150人余りが鑑賞した。上映終了後、日本の観客はその場で深い議論を交わし、口々に作品は真実で衝撃的であると述べ、日本社会に対し歴史を正視し、平和を大切にするよう呼びかけた。

△《南京照相館》日本特別上映イベント

中国駐日本大使の吴江浩氏はイベント会場でのあいさつの中で、真実の歴史は映画よりもさらに残酷であり、今回の上映イベントを開催するのは歴史を記憶し、平和を守るためであって、憎しみを引き継ぐためではないと指摘した。

大使は強調した――
「私たちは日本各界の有識者とともに、歴史を鑑として未来に向かい、共に歴史の真相と人類の良知・正義を守り、歴史の悲劇を二度と繰り返させてはならない。両国の人々が世世代代にわたって友好であり続けるようにしたい。」

△中国駐日本大使・吴江浩氏によるあいさつ

日本NHKテレビ番組の常任ゲストであり、著名な翻訳家の神崎多実子氏は、《南京照相館》が強調しているのは平和を呼びかけることであり、同作品をめぐって日本で現れている中傷の声はまさに日本社会における歴史認識の深刻な問題を反映していると述べた。

彼女は率直に語った――
もし日本が加害の事実をひたすら回避し、被害の物語だけを一方的に強調し続けるならば、日本は危険な状況に陥り、また日中両国関係の健全な発展も実現できないだろう。


日本の著名な翻訳家・神崎多実子氏による発言

日本の軍事問題評論家・小西誠氏は、《南京照相館》は南京大虐殺の痛ましい歴史を明らかにしただけでなく、今日の日本社会に依然として存在する歴史否認の現象をも映し出していると指摘した。

彼は述べた――
中国政府と人民は常に寛大な胸懐と平和への願いを示してきた。この映画は重要な教育的意義を持ち、より多くの日本国民が見るべきである。

△日本の軍事問題評論家・小西誠氏による発言

日本青年代表であり、東京都日中友好協会副理事長の井上正順氏は、今回のイベントは両国の青年層および異なる世代の間で歴史の記憶をめぐる健全な対話を展開するための重要な契機となったと述べた。

彼は強調した――
日本が歴史を正視し、「二度と戦争を起こさない」という約束を着実に実践してこそ、日中両国関係を友好協力の方向へ健全に発展させることができる。

東京都日中友好協会副理事長・井上正順氏による発言

カナダ在住の日本のベテランジャーナリスト・乗松聡子氏はビデオ通話を通じて、映画は歴史の痛みを強く感じさせるものであり、日本が映像作品を利用して「被害の物語」を強調する一方で、《南京照相館》に「反日」というレッテルを貼るのはきわめて不合理であると述べた。

彼女は指摘した――
かつての加害者である日本人は、この映画を真剣に鑑賞し、深く反省すべきである。

△日本のベテランジャーナリスト・乗松聡子氏による現場でのビデオ発言

複数の観客は総台(中国中央広播電視総台)の記者の取材に応じ、第二次世界大戦からすでに80年が経過し、日本の多くの若者は歴史への認識がますます曖昧になり、正しい歴史観を形成することすら難しくなっていると述べた。

戦争の歴史に全面的かつ客観的に向き合い、反省することは、両国関係を健全に発展させる鍵であり、双方の理解と相互信頼を深める重要な基盤でもある。こうした上映活動は非常に必要であり、日本の右翼勢力が本作を悪意をもって中傷する状況の中で、鑑賞の機会を得られることはきわめて貴重であり、この映画はより多くの人々が見るべきだ、と語った。

(翻訳以上)

原文の中国語報道はここです。

ほか、このような報道があります。

驻日本大使吴江浩出席《南京照相馆》放映会https://mp.weixin.qq.com/s/xxmbnYzuQ32ejo0l2-ENzg 

《南京照相馆》东京放映 中日人士共呼以史为鉴https://h.xinhuaxmt.com/vh512/share/12738441?docid=12738441&newstype=1001&d=1350126&channel=weixin

以下、乗松聡子のビデオメッセージです。

25年9月17日 東京の中国大使館での映画「南京照相館」特別上映会へのメッセージ

みなさんこんにちは。乗松聡子と申します。このたび、中国大使館での映画「南京照相館」の上映会にお招きいただき、ありがとうございます。

私はいまカナダ・バンクーバーにおり、直接伺うことができないため、このようにビデオメッセージで参加させていただくことをお許しください。

南京大虐殺をテーマにした映画はいままで、「映画 Nanking」、「アイリス・チャン」、「ジョン・ラーベ」「南京!南京!」など観たことがありますが、「南京照相館」は、私にとって、いままでにない特別な体験になりました

私は封切りの8月15日の前日の夜、先行上映していた、隣町のリッチモンドという、チャイニーズ系の住民が多い町の映画館で観ました。

劇場は満席でした。若い人たちが目立っていました。映画の終盤、劇場のあちこちからすすり泣きが聞こえてきました。私も泣きました。終わった後も、座席に残って号泣している人がいました。圧倒される体験でした。


1) 映画で歴史に埋没した

とにかく、主人公のみなさんに、感情移入しました。

郵便局員が、にわかに写真館の技師となったアータイ(阿泰)、生き延びるために日本軍に従ったグアンハイ(広海 Guǎnghǎi)、駆け出し女優のユィシウ(毓秀 Yùxiù)、写真館店主のラオジン(老金lǎojīn)、妻のイーファン(宜芳 Yífāng)と、子どもたち。祖国のために戦ったソン(宋)警官。(注:名前は、映画の中で主に呼ばれていた名前または愛称)

地下室で、みながなけなしの食べ物を持ち寄り、支え合いました。

過去に観た南京大虐殺の映画では、私はあくまで日本人として、日本の加害に向き合うために観ていたと思います。

でもこの映画では、我を忘れ、登場人物になりきってしまいました。

特にユィシウに同化しました。彼女が泣くときは一緒に泣きました。

映画の中で、歴史の中に生きる一人の人間として埋没したのです。それによって今までよりさらに、被害者の身になってこの歴史を観られるようになったような気がします。


2) 日本軍が破壊したものを目の当たりにした

私が一番心を揺さぶられたシーンは、家族が別れ別れになる前夜、ラオジンが、中国の数々の風光明媚な景色が描かれているバックスクリーンを、見せる場面でした。

紫禁城、万里の長城、杭州の西湖、・・・天津や武漢の風景もあったと記憶しています。

生き延びてこの美しい祖国を守りたい。もう二度と侵略を許さないという、この映画の強いメッセージを受け取りました。

これを見て思い出したのが2007年、はじめて南京を訪れたときです。友人の家族にホームステイさせてもらいました。

そこの家の人たちに、孫文の墓である中山陵、紫禁山、夫子廟、玄武湖公園などに連れていってもらい、地元の食事をご馳走になりました。

私は虐殺の歴史を学びに行ったつもりだったのですが、虐殺関係の施設よりも、かえって、このように、南京の歴史、文化、地元の人たちの生活を目の当たりにすることで、日本軍が破壊したものが何だったのかが、より明確に浮かび上がってきたのです。

映画のこのシーンも、そのような効果があるような気がします。

南京の友人に聞きましたが、ラオジンを演じた役者、ワン・シャオさんは完璧な南京ことばを話していたそうです。

南京出身の彼にとっては演技以上の意味がある映画ではなかったかと想像します。


3) 日本の人にこそ見てほしい。平和を共に作るために

この映画が世界中で公開されているのに日本の人だけが見られないのはおかしいです。

虐殺当時も、日本の人たちは何が起こっているかも知らず、全国で提灯行列や旗行列をやっていました。

それを繰り返してはいけません。この映画は捕虜の処刑、無差別殺りく、女性への暴力などを描いていますが、あまりにも残酷なところは見る人の想像に託している部分もあります。

子どもでも見られるような配慮がしてあると思いました。

それなのに日本では、「反日」とレッテルを貼られています。

日本の人は、広島や長崎の原爆の体験や、空襲などの被害の記憶を、体験者の話を聞いて、映画もつくり、語り継いでいます。

それなのに、中国の人たちが、日本軍の残虐行為を語り継ぐことを「反日」と言うのは、矛盾していませんか。

ほんとうは、加害側の日本人こそが進んで学び、語り継ぐことです。

最後に、伊藤秀夫中尉を演じた原島大地さんは97年生まれ、父が日本人、母が中国人の俳優のようです。

南京大虐殺の日本軍人の役を演じることは容易なことではなかったと思います。

彼のような存在が、日中の若者が、過去の痛みを忘れず、ともにこれから平和をつくる、象徴となれると思います。

この映画に参加した日本の人たちの勇気に敬意を表し、見習いたいと思います。

ありがとうございました。


Sunday, September 14, 2025

関東大震災朝鮮人虐殺102年茅ヶ崎 追悼と講演の集い The Kanto Massacre 102nd Anniversary: Memorial Gathering and Lecture by Professor Kim Puja

 関東大虐殺の追悼式は、東京、埼玉、神奈川、群馬、千葉など各地の虐殺現場で開催されていますが、今年は茅ヶ崎で初めて開催されました。私は呼びかけ人の一人となりビデオメッセージで参加させていただきました。UPLANによる追悼式と、金富子さんの講演の動画と、メッセージの本文をここに共有します。

 

関東大震災朝鮮人虐殺102年茅ヶ崎 追悼と講演の集いへのメッセージ

きょうわたしは、セトラーコロニアル国家であるカナダの一部、バンクーバー市にいます。この地は、先住民族のムスキウム、スコーミッシュ、ツレイワトゥッシュというネイションの、伝統的な土地の上にあります。

この地にはカナダと先住民族の間の正式な取り決めもなく、奪われた土地とも言えます。

震災後、関東全域で流言を流し、軍隊、警察、民衆が、約6700人かそれ以上といわれる朝鮮人を惨殺しました。

800人にも及ぶと言われる中国人、さらに、日本人の社会主義者や、朝鮮人と誤認された人たちなども殺されました。

背景には日本による朝鮮の植民地支配と、3.1独立運動など抵抗運動に対する弾圧がありました。

関東大虐殺は、朝鮮民族の構成員を意図的に敵視し、大量に殺害したことで、まぎれもなくジェノサイドと言えると思います。

ジェノサイドといえば、私の住むカナダも少なくとも二つの意味で当事者です。

ひとつめは、カナダによる、先住民族に対するジェノサイドです。

カナダ政府とキリスト教会は、19世紀半ばから20世紀後半にいたるまで、先住民族の子どもたち約15万人を、全国に140箇所ほどあったインディアン・レジデンシャル・スクールという強制同化施設に送り、そこでは精神的、肉体的、性的虐待が横行しました。

6000人かそれ以上の子どもたちが命を奪われたと言われています。

カナダ政府は今世紀になってからサバイバーへの謝罪と補償を行い、真実と和解委員会を設置しました。

カナダ議会は、22年、インディアン・レジデンシャルスクールを「ジェノサイドであった」と認めています。

また、先住民族の女性が失踪と殺害の被害者になる事件が何千件も起きていて現在も繰り返されています。

これらについても政府が委託した独立調査機関は「ジェノサイド」であったと結論づけており、カナダ政府もそれを受け入れています。

ふたつめは、米国や欧州諸国と同様、カナダは、イスラエルがパレスチナで行っているジェノサイドに加担してきています。

カナダは、イスラエル占領地の治安部隊に協力しています。

カナダ人の若者をイスラエル軍に入隊させています。イスラエルを支援する団体が政府の補助金を受けています。

カナダ政府は、人道危機であるとしながらも、イスラエルの戦争犯罪を糾弾することもなく経済制裁をすることもありません。

イスラエルを批判する運動を「ユダヤ人差別」だとレッテルを貼り、弾圧することも多々あります。

このようにカナダは現在進行形の2つのジェノサイドの当事者であるといえます。

9月1日にはここバンクーバーでも、日系やコリア系などの若者たちが中心となって、関東大虐殺の被害者を記憶するメモリアルが開催されました。

地元の教会の牧師、イム・テビンさんは、おじい様が関東大虐殺のサバイバーであるということを話してくれました。

今回、天野秀明さんに、6月28日の茅ヶ崎虐殺のフィールドワークの動画や資料をいただき、私も、茅ヶ崎の虐殺について学ぶことができました。

茅ヶ崎で殺された朝鮮人の方々は、2023年にカンドクサンさんが発見された資料で、5人の方の殺されたときの状況とお名前がわかり、その前にわかっていた2人と合わせ、現在のところ7人の方が殺されたことが確認できていると聞いています。

調査されている皆さんが言うように、実際はもっと多かったと思います。

9月3日の午前2時頃、茅ヶ崎のじっけんざか十字路で殺された25才のハ・ユハクさん、同日午前10時ごろ、ほんそんの鉄道線路で殺された、キム・ガリャンさん、キム・ポンゲさん、キム・チェヒさん、キム・キーマンさん。

当時日本にいた朝鮮人は若い独身男性が多かったと聞いています。

おそらく、この方たちのご両親は、日本にいる息子さんの帰りを待ちわびていたでしょう。

解放までの22年間、待ちわびていたでしょう。解放後も、ご自分たちが亡くなるまで待ちわびていたでしょう。

祖国から遠く離れた場所で、こんな残酷な殺され方をしたのに、当時警察はろくに捜査もせず、犯人たちがなんの代償も払うこともなくその後ものうのうと生きていたかと想像すると、ご遺族の無念や怒りはいかほどであったろうかと思います。

ご遺族が息子さんの死の状況を知らずにこの世を去られたとしても、その不安や無念や悲しさは想像することもできません。

いまだに事実認定も、調査も、謝罪もしていない日本政府の人間たちは、自分たちの息子が、きょうだいがやられたらという想像さえ働かせることができないのでしょうか。

きょう、心から、被害者の方々とご遺族の方々への追悼の気持ちを伝えたいと思います。

そして、日本政府と日本社会が、この歴史上最悪のヘイトクライムに向き合い、事実を認め、真相究明し、責任を取ることを求めたいと思います。

真相究明に取り組む、神奈川実行委員会、茅ヶ崎の会の方々の、真実と正義のための活動に深く感謝し、連帯したいと思います。         乗松聡子 





Monday, September 01, 2025

バンクーバー集会で読んだ:関東大震災102年「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会アピール Calling for a Thorough Investigation of the Massacre of Koreans after the Great Kantō Earthquake, 102 Years On

関東大震災102年。震災後の「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会が、「日本と朝鮮を結ぶ全国ネットワーク」(日朝全国ネット)の企画で8月29日に開催された。

朝鮮新報が詳しく報じている。

植民地主義の清算こそが責務/関東大震災102年集会、朝鮮人虐殺の真相究明求め

日朝全国ネットは今年2月に結成された、日本と朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の友好連帯を推進するためのネットワークである。活動は、①日朝国交正常化(日朝市民交流強化、朝鮮訪問活動、植民地支配の歴史清算)、②在日朝鮮人の権利確立(民族教育権の確立、朝鮮学校への差別撤廃、在日朝鮮人差別の排除)、③東北アジアの平和と安定(朝鮮戦争の終結と平和協定締結)である。2月7日現在、日朝全国ネットには18の中央団体、37の都道府県から68の地方団体、計86団体が参加し、国会議員、県議会議員、大学教授、記者、文化人など21人の個人も名を連ねていた。(結成総会の報道より)。

9月1日、Nikkei Vancouver for Justice 主催で、関東大虐殺のメモリアル集会がバンクーバーのダウンタウンで開催された。司会は落合ベックさんがつとめた。日系、コリア系、フィリピン系を含む多様なバックグラウンドをもつ若者たちが中心に運営した。アートギャラリー前で行い、通りがかる人たちも関心をもっていた。そこで発言を求められたので、日朝全国ネットの紹介と、「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会で採択されたアピール文を英語で読んだ。(英文はそのままの訳ではなく、内容を変えずに伝わりやすいように調節してある。)

快晴のレイバーデイにバンクーバーのダウンタウンで行われた関東大虐殺のメモリアル

乗松聡子がバンクーバー集会で読み上げた、東京での日朝全国ネット8月29日集会のアピール文:(実際読んだのは下方の英文)

関東大震災102年「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会アピール 

 戦後80年、日本では特集記事も含めて戦争と平和の話題であふれた。しかし朝鮮半島にとって、この80年は、日本の植民地から解放された後の80年間であったことを忘れてはならない。8月15日を前後して、多くのマスコミも植民地支配に触れることは少なかった。戦後の日本社会は、加害の歴史を置き忘れてしまったかのように、80年後の今、被害の歴史ばかりを追いかけてはいないか。

 今から120年前、1905年に「乙巳保護条約」(第二次日韓協約)の締結が強要された。韓国の外交権を奪い保護国化するこの条約は、朝鮮半島の植民地化を決定づけ1910年の「韓国併合」へとつながる役割を果たした。その後36年間、日本は朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与え、関東大震災時の忌まわしき朝鮮人虐殺の悲劇も招いた。日本社会は、その歴史事実を忘れ去っているかのようだ。7月に行われた参議院議員選挙では、「日本人ファースト」を標榜し排外主義をあらわにする政党が躍進した。このことを、日本に生きる在日外国人、特に戦前の植民地支配の中で日本に生きることを余儀なくされた在日朝鮮人がどのように捉えたか、想像に難くない。

 2001年、ユネスコ総会は「文化的多様性に関する世界宣言」を採択し、「国際平和と安全保障実現のための最善策は、相互信頼と理解に基づいた文化的多様性、寛容、対話、協力の尊重である」と謳った。総務省は、2006年「地域における多文化共生推進プラン」を掲げ、外国人住民のための様々な施策の推進を進めている。文科省も、ことあるごとに多文化共生を謳っている。昨年度の日本における外国人数は、中長期在留者および特別永住者で約376万人、日本国籍を取得した人を合わせると、様々に外国にルーツを持つ400万人以上もの人々が日本で暮らしている。

 しかし、日本社会は決して外国人に優しい社会ではない。特に朝鮮半島にルーツを持つ在日朝鮮人は、戦前・戦後を通じて差別され続け、在留権、営業や渡航の自由、学ぶ権利や社会保障などの基本的人権が脅かされてきた。朝鮮学校における通学定期、大学入学資格付与など日本の学校では当たり前の権利も、闘争を通じてのみ獲得できた。現在も、高校授業料を無償とする「高等学校等就学支援金制度」は、朝鮮高校には適用されていない。この点でも、国際的には当たり前の民族教育を受ける権利が侵害されている。このような差別が、日本の法制度の中において日本政府の手によって行われていることに、私たちは強い憤りを感じざるを得ない。

 2023年、私たち「「関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動実行委員会」は、関東大震災100周年に際し、植民地主義を払拭し東北アジアにおいての日本の新しい未来を開くべく、日本政府に対して、植民地主義がもたらしたジェノサイドである朝鮮人虐殺事件の真相究明と犠牲者及びその遺族への謝罪を求めた。しかし、日本政府は事実を認めようとせず、私たちの要請にも応じようとしなかった。私たちは、戦前・戦後を通じて日本社会が払拭しきれずにきた植民地主義が、「日本人ファースト」なる主張を疑うことなく受け入れる人たちの認識の根底にあると確信している。戦後80年、「乙巳保護条約」から120年が経つ今、日本は東北アジアにおける新しい明日を切り開かなくてはならない。そのためにも日本社会は、植民地主義を払拭し、真の意味での多民族・多文化共生を実現しなくてはならない。

2025年8月29日

集会参加者一同


Calling for a Thorough Investigation of the Massacre of Koreans after the Great Kantō Earthquake, 102 Years On


Eighty years have passed since Japan’s defeat in the Second World War.

This year, Japanese society has been filled with talk of war and peace.

But we must not forget.

For the Korean people, these 80 years were the years following liberation fromJapanese colonial rule.

And yet, around August 15, when Japan reflects on war, few voices in the media mention colonial rule.

Postwar Japan seems to have forgotten its aggressive history.

Now, 80 years later, Japan portrays itself as a victim of the war.

Let us remember.
 One hundred and twenty years ago, in 1905, the “Eulsa Treaty” was forced upon Korea.

It stripped Korea of its sovereignty and made it a protectorate.

This treaty paved the way for the 1910 Japanese “Annexation of Korea.”

For 36 long years, Japan inflicted enormous pain and suffering on the Korean people.

And out of that history came the tragedy of the Great Kantō Earthquake—
 the massacre of Koreans.

But today, Japanese society acts as if these facts never happened.

In the recent election, a party that trumpeted “Japanese First,” openly embracing xenophobia, made great gains.

We can easily imagine how foreign nationals in Japan must have felt, especially Zainichi Koreans, whose ancestors were forced to live in Japan under colonial rule.

In 2001, UNESCO declared that cultural diversity, tolerance, dialogue, and cooperation— based on mutual trust—are the best guarantees of peace.

In 2006, the Japanese Ministry of Internal Affairs and Communications introduced its Plan for the Promotion of Multicultural Coexistence.

The Japanese Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology has also spoken of multicultural coexistence.

As of last year, more than 4 million people of foreign origin live in Japan.

But Japanese society is by no means kind to those who are not Japanese.

Koreans in Japan, in particular, have faced ongoing discrimination before and after the war.

 Their basic human rights— the right to live, to work, to travel, to learn, to be secure— have all been threatened.

Korean schools had to fight long battles just to secure rights taken for granted in Japanese schools, such as student commuter passes or the chance to enter university.

Even today, tuition support for high school students does not apply to Korean schools.

This is a violation of the right to heritage education, a right recognized internationally.

And what is worse— the Japanese government itself upholds this discrimination within the framework of Japanese law.

We cannot remain silent.

In 2023, on the 100th anniversary of the Great Kantō Earthquake,  our Action Committee demanded truth and accountability.

We called on the Japanese government to conduct a thorough investigation
into the massacre of Koreans— a genocide born of colonialism— and to apologize to the victims and their families.

But the Japanese government refused.  It denied the facts.  It ignored our appeal.

We are convinced of this:  the colonial mindset that Japan has failed to eradicate, before and after the war,  still lies at the root of society.
The very mindset that fuels those who accept slogans like “Japanese First.”

Now—80 years after the liberation of Korea,  and 120 years after the Eulsa Treaty—
 Japan stands at a crossroads.

The future of Northeast Asia demands a new path. 

Japan must cast off colonialism.

Japan must embrace true multiethnic, multicultural coexistence.

Only then can we open a new tomorrow.

Participants of Gathering Calling for a Thorough Investigation of the Massacre of Koreans

今年も来てくれた、祖父が関東大虐殺のサバイバーであるというイム・テビン牧師