7月11日の共同通信の報道によると安倍首相は夏に発表する戦後70年の「談話」で、先の大戦に関する「痛切な反省」を明記するも、「お詫び」の表明は見送るということだ。1995年の村山談話では「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と言っており、2005年の小泉談話では、「また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。」と言っている。安倍首相は、これらの談話を「踏襲する」と言いながら意図的に「お詫び」を取り除くということは、歴代政権の「お詫び」の撤回とも受け取られる行為であり、残るとされている「痛切な反省」の誠意さえも疑われる結果となるだろう。「痛切な反省」を本当にしているのならわざわざ「お詫び」を取るようなことはしないからだ。安倍政権は歴史否定によってアジア隣国との関係をこれ以上悪くなりようがないという程損なってきたがこの戦後70周年でこのような事実上の「お詫び撤回」を本当に行ったら、少なくとも安倍首相が退陣するまでは修復不可能になるであろう。
このブログでもおなじみの、『週刊金曜日』のジャーナリスト成澤宗男氏が再び書下ろし大作を寄稿してくれた。歴史を歪め、日本軍「慰安婦」の被害者を傷つけ日本の世界的評判を貶め続けてきた一国の首相の歴史否定と虚言の系譜を丁寧に追ったものだ。英語、中国語、韓国語にも翻訳され世界のジャーナリストや研究者が参考にした前作「安倍晋三と極右歴史修正主義者は、世界の敵である」の続編である。長いがしっかり読んでほしい。@PeacePhilosophy
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安倍晋三と「慰安婦」問題
―発言に見る、極右政治家の実像―
成澤宗男(ジャーナリスト)
序章
日本が戦後70年の「節目」を迎えようとしている現在、最も問われているのは、1945年8月15日以降、この国において旧大日本帝国に対する制度的・理念的決別の意志と、それを具体化するための措置がいかなるものであったのか、という総括であろう。だが今日、総括どころか、決別する努力を押し戻し、非難さえする勢力の根強さを日々見せつけられているように思える。
そもそも戦後とは、同じ敗戦国ながら「過去の克服」を掲げ続けているドイツと異なり、大日本帝国が国内外で手を染めた数々の犯罪行為に対し、反省と被害者への謝罪・賠償、責任者の追及、そして次世代への歴史教育実施等の措置を不十分に終わらせ、故意の怠慢を重ねてきた年月ではなかったのか。それは、対外的には朝鮮半島等の植民地支配、南京大虐殺に見られる中国大陸を始めとしたアジア太平洋戦争での占領地域における戦争犯罪、さらに日本軍「慰安婦」といった個別の具体的事例に戦後どのように向き合ってきたのかを検証すれば、より如実となる。
そして90年代初頭から公然化した比較的新しい歴史的課題であるこの「慰安婦」問題の経緯を考察して気付くのは、最初から現在までそうした「捏造」呼ばわりして貶める策動を一人の政治家が中心的に担い、継続し、現在もその言動によって内外に波紋を及ぼし続けているという特異性に他ならない。言うまでもなく、安倍晋三を指す。
安倍は、最初から「都合の悪い事実は認めたくない」「事実はこうであってほしい」という主観的願望を優先するあまり、他者と事実を基に理詰めで論議する姿勢に欠け、そこでは常に逃げ口上が用意されている。こうした人物が最高権力者に収まったがゆえに、過去の戦争責任についての重要なテーマの一つである「慰安婦」問題の解決が妨げられるのみか、心ない放言によって「慰安婦」にされた被害者が繰り返し傷つけられているのではないのか。
しかしながら、「慰安婦」の問題は、2014年8月の『朝日新聞』「誤報」騒動を契機に、それがあたかも「捏造」であったかのような政府・右派メディア一体となった虚偽宣伝が、戦後類例を見ないほどの激しさで今日も続いている。そのために、安倍のこれまでの言動が問題視されにくいような気運が生まれているのではないか。この論文では安倍の「慰安婦」に関する言動を追跡し、その歪曲の手口を検証する。こうした人物が「首相」であること自体、戦後70年にしてこの国がたどり着いた先に広がる限りなく貧しい政治光景を象徴していよう。
1 「キーセン」への固執と最初の攻撃
安倍が三代目の世襲政治家として初当選したのは、1993年7月18日に実施された総選挙であったが、同選挙で非自民の7党連立による細川政権が発足した5日前の8月4日、奇しくも「河野談話」(宮沢内閣での「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」)が発表された。そして安倍は、96年10月20日の次の総選挙で「二年生議員」となって以降、河野談話への攻撃を開始していく。この時期に「慰安婦」問題についての安倍の認識のゆがみが形成、固定化され、後に多くの指摘がありながら、今日に至ってもそれが解消される可能性はほぼ皆無となっている。
その歪みとは、そもそも「慰安婦」とは「売春婦」であるという強い思い込みに他ならない。その例が、97年12月に刊行された『歴史教科書への疑問』(展転社)なる本に記載された以下の安倍の発言であろう(傍線引用者。以下同)。
「実態は強制的に連れていかれたということになると、本人だけではなくて、その両親、そのきょうだい、隣近所がその事実を知っているわけですね。強制的にある日、突然、拉致されてしまうわけですから。(略)そうすると、周りがそれを知っているわけですね。その人たちにとっては、その人たちが慰安婦的行為をするわけではなくて、何の恥でもないわけですから、なぜその人たちが、日韓基本条約を結ぶときに、あれだけ激しいやりとりがあって、いろいろなことをどんどん、どんどん要求する中で、そのことを誰もが一言も口にしなかったかというのは、極めて大きな疑問であると言わざるを得ない。かつまた、今回、そういう話であれば極めて勇気がいる。
とすると、絶対一〇〇%慰安婦として行為をしていた人以外が手を挙げることは考えられないわけでありますが、そうではなくて、私は慰安婦だったと言って要求をしている人たちの中には、富山県に出ていたというようなことを言う人だっています。富山には慰安所も何もなかった。明らかに嘘をついている人たちがかなり多くいるわけです。そうすると、ああ、これはちょっとおかしいな、とわれわれも思わざるを得ないんです。
ですから、もしそれが儒教的な中で五十年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども(略)」
ここで示されているのは、①「慰安婦」として名乗り出た女性たちは「明らかに噓をついている人たちがかなり多くいる」②「慰安婦」は、「慰安所」での行為と本質的に同じことを「日常どんどんやっている」「キーセン・ハウス」が韓国にあることからも、「売春婦」に等しい―という認識だろう。
さらにそこから、③「売春婦」であるなら「自らの意思」で金銭と引き替えに、それを生業とする場(「慰安所」)に赴くから、決して「強制」されたのではない。④実際「日韓条約を結ぶときに」誰も「強制」されたと「一言も口にしなかった」のは、「強制」がなかったため―という結論が導き出される。
安倍が「慰安婦」問題で一にも二にも「強制」という用語に異常にこだわるのは、「慰安婦」を「商売女」呼ばわりした奥野誠亮や板垣正ら、安倍が早くから気脈を通じていた当時の自民党の極右議員らと共通する歪んだ思い込みに起因するのは疑いない。「強制性」が否定されたなら、即「慰安婦」が「女性の商行為」の一種である証明につながり、「商行為」である以上は国家の責任問題にはならない――という論法なのだ。仮に「売春婦」であったとしたら、「強制的な状況下での痛ましい」「生活」(河野談話)を余儀なくされても、それは気に留めるほどの問題ではないと本音では見なしている。こうした思考体質の者たちに、「慰安婦」問題を人権の問題として受け止める余地がどれだけあるのだろうか。
安倍は1997年5月27日の衆議院決算委員会で質問に立ち、河野談話を攻撃した。そこでの題材は、中学校用教科書の「慰安婦」記述であった。要は、「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はない」にもかかわらず、「ほとんどの教科書」が「強制性をかなり疑っている、強く示唆している」からけしからん、という的外れの「国会質問」に過ぎない。安倍のこうした無理解が、以前から長らく矯正されないまま今日まで固定化されているのを雄弁に示しているが、以下はその抜粋だ。
そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております。しかし、この彼の本あるいは証言、テレビでも彼は証言しました。テレビ朝日あるいはTBSにおいてたびたび登場してきて証言をいたしました。(略)
しかし、今は全くそれがうそであったということがはっきりとしているわけであります。この彼の証言によって、クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した。ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります。その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に記述が載ってしまった。これは大変大きな問題である、こういうふうに思っております
この発言に見られる誤認点を整理してみたい。
例によって「強制性」を取り上げているが、意図的か知力の不足によるものか不明だが、最初から問題を歪曲している。ある意味で、「慰安婦」=「売春婦」の思い込みと同様、この「強制」という意味の無理解は、安倍の「慰安婦」問題をめぐる誤認の二大要因を構成している。
河野談話には、「強制」という語が一ヵ所だけ登場する。すなわち、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という記述だ。これは、「慰安婦」が置かれていた「痛ましい」「状況」、すなわち彼女たちが追い込まれた「慰安所」での環境がいかなるものであったのかを示す。
ところが安倍は、この「強制」を論じる際に、必ず故吉田清治の「証言」を持ち出す。なぜなら安倍によれば、吉田「証言」とは「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にした」(2014年9月14日に放映されたNHK番組での発言)」という内容に他ならない。この「人さらい」云々の行為を含め、「慰安婦」にされるまでの形態だけを問題にし、そこで「強制」(あるいは「強制連行)があったか否かだけに焦点を置くるのだ。
その上で、「人さらい」のように「強制連行」して「慰安婦」にしたという吉田「証言」が「うそであった」以上、「慰安婦」という問題が存在するかどうか疑わしい―とする主張になる。しかしこのレトリックの欠陥は、河野談話で触れられている「強制的」とは、どのようにして「慰安婦」にされたのかという形態ではなく、「慰安婦」にされてからの状態を示している事実を勝手に無視している点にある。
つまり「人さらい」だろうが「甘言」だろうが、あるいは被害者が安倍のイメージするような「売春婦」だろうが本質的問題ではなく、河野談話は結果的に「本人たちの意思に反して集められ」、そこで「強制的な状況」下に置かれたことが、問題の本質であると見なす。これを無視し、勝手に「人さらい」をイメージさせる「強制連行」の有無に議論を矮小化するのだ。
だが、河野談話のこうした視座は、世界的にも国連や多くの各国政府、国際NGO等に共有されており、その埒外にあるのは安倍と安倍に代表される自民党や極右、及び彼らを有力顧客とする右派メディアだけであろう。したがって吉田「証言」が「うそであった」としても、それによって河野談話の「根拠が既に崩れている」という結論が導かれようがなく(後述するように河野談話の作成過程で、吉田「証言」は一切使われていない)、これほど幼稚なレトリックを今でも振りかざしているところを見ると、そもそも安倍は本当に河野談話を読んでいるのかという疑惑すら湧く。
百歩譲って安倍が主張するように「慰安婦」にされた過程が問題だとしても、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」という事実を認めるのであれば、それこそ「強制」ではないのか。加えて吉田「証言」が「うそ」であったとしても、それは1943年の済州島に限定された「証言」に過ぎず、中国大陸から東南アジアまでの全域で生じた「慰安婦」の悲劇をすべて代表しているのではない。
この「強制」のウソは、次から次へと新たなウソを生む。「(吉田)証言によって、クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した」などという安倍の発言もその典型で、おそらく一度たりとも読んでいないことの確実性では、河野談話よりもクマラスワミの「報告書」のほうがはるかに高そうだ。
なぜなら、日本も1996年に採択に加わったクマラスワミの「報告書」、すなわち「日本軍性奴隷制度報告書」で言及している吉田「証言」は、わずか4行足らず。しかも、安倍の覚えめでたく、以前は「(慰安婦の)七~八割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮出身の女性」(1985年刊『日本陸軍の本』より)と書きながら、今では「慰安婦」を「商売女」呼ばわりしている「歴史学者」秦郁彦の吉田「証言」に対する反論が、その何倍ものボリュームで並記されているからだ。
そもそもこの「報告書」が最も注目しているのは、「女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」という、「慰安所」における「軍事的性奴隷」としての悲惨極まる実態である。したがって、安倍のように「慰安婦」にされた過程が「強制連行」かどうかなどと問題視する発想は皆無だ。にもかかわらず、なぜ吉田「証言」によって「クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した」といった作り話が可能となるのか。
ちなみに、安倍は「ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっている」と述べているが、これがクマラスワミの「報告書」のことなのか、あるいは他の全般的な報道や国連機関の「報告書」等も含んだ「慰安婦」問題の言及の「根拠」という意味なのか、定かではない。だが、安倍の持論は、「『慰安婦』問題は『朝日』による吉田『証言』の誤報から生まれた」というものである以上、後者の可能性もある。もしそうであれば、妄想も極まれり、だろう。
吉田「証言」については改めて後述し、こうした安倍のような発想が根本的に誤りである所以を端的に示す次の一文だけを紹介するに留めたい。
『産経』に代表される「慰安婦」問題否認勢力によれば、「慰安婦」問題とは『朝日新聞』(以下『朝日』)が吉田「証言」などを利用して“捏造”したものなのだ、とされている。
先の記事(注=『産経』2014年5月21日付「歴史戦」「「第2部 慰安婦問題の原点2」のこと)は「朝日は慰安婦問題が注目されるようになった〔平成〕3年半ばからの1年間に、吉田を4回も紙面に登場させている」と、あたかも『朝日』が大キャンペーンを展開したかのように書き立てているが、朝日新聞社のインターネット・データベース「聞蔵IIビジュアル」で検索可能な一九八五年から今日までに「吉田清治 慰安婦」をキーワードとして検索したところ該当する記事はわずか一〇件にすぎない(ちなみに『産経』のデータベース「The Sankei Archives」では同様の条件で三八件が該当する)。そのうち氏の「証言」を詳しく紹介しているのは九一年の二つの記事であり、それ以外のものには氏の訪韓や講演活動を知らせるだけのものが含まれている。その程度のことであれば、例えば九二年八月一五日の『読売新聞』(以下『読売』)夕刊が、大阪で開かれた市民集会で吉田氏が「証言」したことを伝えている(読売新聞社のデータベース「ヨミダス」による)。そして九三年以降『朝日』が吉田氏の「証言」に依拠した記事を掲載したことはない。吉見義明・中央大学教授らの研究者も彼の「証言」を資料としては用いていない。九一年八月に元「慰安婦」の金学順さんが名乗り出たのを機に文字通り桁違いに増えた「慰安婦」報道のなかでは、吉田「証言」の重要性は極めて低い」(能川元一「『慰安婦問題=朝日新聞の捏造』説に反駁する」URLhttp://readingcw.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html)
2 第一次安倍政権の破綻の始まり
2006年9月26日に首相に選出された安倍は、翌年の9月12日、国会での所信表明演説後に各党の代表質問を受ける当日になって、突然政権を投げ出すという異例の形で、一期目を終えた。そもそも安倍のような「極右政治家」が首相になること自体、近隣諸国との関係を阻害する結果しかもたらさないのは最初から自明であったろうが、任期中に見せつけた一連の「慰安婦」をめぐる混迷や失言、言動不一致が、政権投げ出しに劣らずこの政治家の本質を明白に示していただろう。
おそらく首相になった安倍が、気楽に「極右政治家」気取りのままではいられないという現実を知らされたのは、06年10月6日に開かれた衆議院予算委員会で、共産党の志位和夫議員の舌鋒鋭い質問を浴びた際ではなかったか。
志位議員は冒頭、安倍の当選以来の歴史修正主義的言動を、実例を挙げながら取り上げたが、安倍は「歴史認識については、政治家が語るということは、それはある意味、政治的、外交的な意味を生じる」という不可解な逃げ口上を使い、「そういうことを語ることについては謙虚でなければならない」などと答弁した。
これに対し志位議員が、「首相は、首相になってからの答弁では、歴史観を語らない方が謙虚なんだ、政治家は歴史観を余り語るべきじゃないんだということをおっしゃるけれども、首相になるまでは、さんざん、それこそ、植民地支配、侵略的な行為、それを言うこと自身が自虐史観であり、歴史観をゆがめる、そういう立場で行動してきたじゃないか。これは説明がつかない矛盾じゃありませんか」と追及した。
だが、安倍は「今急に、随分昔の議員連盟で出した文書を出されても、私も何とも答えようがない」などと、苦しい言い訳で逃げの一手に終始する。それに対し志位議員は、たたみかけるように「慰安婦」問題に触れていく。以下、そのやり取りを紹介しよう。
志位 私が本会議質問でこの問題をただしたのに対して、首相は、いわゆる従軍慰安婦問題についての政府の基本的立場は河野官房長官談話を受け継いでいると答弁されました。しかし、河野談話を受け継ぐと言うのなら、首相の過去の行動について、どうしても私はただしておきたい問題があります。
ここに、1997年5月27日の本院決算委員会第二分科会での議事録がございます。安倍議員の発言が載っております。「ことし、中学の教科書、七社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。」「この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないか」「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」、こう述べられております。そして、結局、これは、教科書から従軍慰安婦の記述を削除せよという要求です。さらに、教科書にこうした記述が載るような根拠になったのは河野官房長官の談話だとして、談話の根拠が崩れている、談話の前提は崩れていると河野談話を攻撃しています。
河野談話を受け継ぐと言うのだったら、私は、首相がかつてみずからこうやって河野談話を攻撃してきた、この言動の誤りははっきりお認めになった方がいい、このように考えますが、いかがでしょうか。
安倍 この河野談話の骨子としては、慰安所の設置や慰安婦の募集に国の関与があったということと、慰安婦に対し政府がおわびと反省の気持ちを表明、そして三番目に、どのようにおわびと反省の気持ちを表するか今後検討する、こういうことでございます。
当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。
また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。
志位 今、狭義の強制性については今でも根拠がないということをおっしゃいましたね。あなたが言う狭義の強制性というのは、いわゆる連行における強制の問題を指していると思います。しかし、河野談話では、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、」とあるんですよ。政府が自分の調査によってはっきり認めているんです、あなたの言う狭義の強制性も含めて。これを否定するんですか。本人たちの意思に反して集められたというのは強制そのものじゃありませんか。これを否定するんですか、河野談話のこの一節を。
安倍 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。
志位 今になって狭義、広義と言われておりますけれども、この議事録には狭義も広義も一切区別なく、あなたは強制性一般を否定しているんですよ。そして、河野談話の根拠が崩れている、前提が崩れている、だから改めろ、こう言っているわけですよ。
ですから、これも、河野談話を認めると言うんだったら、あなたのこの行いについて反省が必要だと言っているんです。いかがですか。広義も狭義も書いてないです、そんなこと。あなたが今になって言い出したことです。
安倍 当時私が申し上げましたのは、いわば教科書に載せることが、中学生の教科書に載せることが適切かどうかということを申し上げたわけであります。 そして、私が累次申し上げておりますように、私は、今内閣総理大臣の立場としてこの河野談話を継承している、このように思います。
志位 今の総理の答弁は全く不誠実です。中学生の教科書に載せることだけを問題にしたんじゃない。強制性がないと言ったんですよ。これだけ反省すべきだと言ったのに、あなたは答えない。
強制性の問題については、先ほど言ったように、その核心は慰安所における生活にある。慰安所における生活が、強制的な状況のもとで、痛ましいものであった、これは河野談話で認定しています。これを裏づける材料は、旧日本軍の文献の中にたくさんあります。
(略)
あなたは、政府の基本的立場は河野官房長官談話を受け継ぐとはっきりおっしゃったんですよ。ならば、あなたは、これまで河野談話を根拠が崩れていると攻撃して、歴史教科書から従軍慰安婦の記述を削除するように要求してきたみずからの行動を反省すべきではないか。そして、この非人間的な犯罪行為によって犠牲となったアジアの方々、とりわけ直接被害に遭われた方々に対して謝罪されるべきではないかと私は思います。もう一度答弁をお願いします。
安倍 ですから、私が先ほど来申し上げておりますように、河野官房長官談話の骨子としては、いろいろな苦しみの中にあった慰安婦の方々に対しておわびと反省の気持ちを表明しているわけでありまして、私の内閣でもそれは継承しているということでございます。
志位 河野談話を継承すると言いながら、みずからの誤りについての反省を言わない。これでは、心では継承しないということになりますよ。
一読して理解できるように、安倍の「答弁」はまったく答弁になっていない。「慰安婦」問題の国会答弁はすべてこの調子だ。無論、「反省」などせず、自身が今になって「心」とは裏腹に、河野談話を「受け継ぐ」と表明する自己矛盾についても、認めようとはしない。このような権力者に「おわびと反省」などと口にされること自体、「慰安婦」にされた被害者女性らにとっては最大級の侮辱に等しいだろう。
そもそも、彼女らが仮に「家に乗り込んでいって強引に連れてい」かれたのではないとしても、あるいはその「証拠」がなかったとしても、それが何だというのか。結果として「慰安婦」にされ、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という事実認定以外の何が必要なのか。この点を「核心」とする河野談話を「受け継ぐ」と表明したなら、「狭義の強制性と広義の強制性があるであろう」などという、被害者の側からすればまったくの無意味で、セカンドレイプそのものの言動が生まれる余地はあるはずもない。
したがって、安倍にとって河野談話とは、それを公の場で「受け継ぐ」などと、思ってもいないことを公言することで、自身の二枚舌を証明する格好の題材になっている。のみならずそれは、「歴史認識については、政治家が語るということは」云々の妄言と同様、「慰安婦」問題を追及され、あるいは何かの言質を取られそうになった際に、「受け継ぐと言っているのだからそれ以外の話はいいだろう」とばかりに用いる、下手な逃げ口上の方便にもなっていよう。
第一、「受け継ぐ」つもりなら、河野談話の「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」というくだりはどうするつもりなのか。本人も認めたように、吉田「証言」がどうのこうのと、先頭に立って「慰安婦」の「歴史教育」を妨害してきたのは安倍自身ではないか。自分で真逆のことをやってきておいて突如「受け継ぐ」だの「おわびと反省」だのと言い出しても、自身の二枚舌を如実に証明するだけの話だ。
3 繰り返される迷走劇
翌2007年、安倍は9月の退場まで「慰安婦」問題をめぐり失点に次ぐ失点を重ねる。そこでは、自身の「持論」が米国から何らかの好ましくない反響を呼ぶといったんは「謙虚」さを装うものの、ほとぼりが冷めたと判断したかあるいは情勢を見誤ってか、また「持論」を公にし、再度米国から何らかの反響があると、同じようにあわてて言動を改める――というパターンが見受けられる。こうした米国への卑屈さは、明らかに「戦後レジームからの脱却」などと大それたことを公言する「政治家」として矛盾していようが、安倍の「政治信条」らしきものとは、最初からその程度なのだろう。
当時、安倍にとって懸念事項となったのは、1月31日に米国議会下院外交委員会に「慰安婦」問題について謝罪を求める決議(121号決議)案が提出され、これに内外の関心が高まったことにあった。一方で前年の2006年には、4月から使用される中学校教科書本文から「慰安婦」の記述が一掃され、10月25日には官房副長官の下村博文(現文部科学大臣)が河野談話の見直しを言及。さらに、かつて安倍が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を母体とする「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が、やはり見直しに向けて動き出している。
「自民党の議員連盟『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』(会長・中山成彬元文科相)が13日、1年ぶりに活動を再開した。……当面のテーマは、慰安婦問題に関する平成5年の河野洋平官房長官談話。首相も今国会の答弁で旧日本軍によるいわゆる「狭義の強制性」を否定していることを受け、議連内に小委員会を設置し、見直しを念頭に研究を進めることを決めた」(『産経』06年12月14日付)
安倍の「お仲間」の歴史修正主義者たちのこうした動向が米国でも警戒され、121号決議案が提出されたのは想像に難くない。だが、「お仲間」たちの動きに刺激されてか、前述のように志位議員の追及には逃げ回りながらも、安倍は07年3月1日に「持論」をつい口にしてしまう。
「安倍晋三首相は1日、慰安婦への旧日本軍関与の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話について、『強制性を証明する証言や裏付けるものはなかった。だからその定義については大きく変わったということを前提に考えなければならない』と述べ、談話見直しに着手する考えを示唆した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
首相は昨年10月の衆院予算委員会で、旧日本軍による直接の連行などいわゆる『狭義の強制性』について『いろいろな疑問点があるのではないか』などと答弁し、否定する立場を表明してきた。ただ、『政府の基本的立場として受け継いでいる』とするなど河野談話の見直しには慎重な意向も示していた」(『産経』07年3月3日)
安倍の特徴は、国会で「持論」を正面から反駁されると、逃げ口上を乱発してすぐ支離滅裂になるくせに、後になるとまた同じ「持論」を平気で繰り返す点にある。しかも、果たして自身が自身の言動をどこまで理解しているのかどうかさえ疑わしい場合があり、とりわけ「強制性」と「強制連行」の意味の違いに関してそのような疑念が湧く。それを示しているのが、07年3月5日に開かれた、参議院予算委員会における民主党の小川敏夫議員との質疑応答だろう。以下はその抜粋だ。
小川 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。
安倍 ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。
そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。
(略)
小川 一度確認しますが、そうすると、家に乗り込んで無理やり連れてきてしまったような強制はなかったと。じゃ、どういう強制はあったと総理は認識されているんですか。
安倍 この国会の場でこういう議論を延々とするのが私は余り生産的だとは思いませんけれども、あえて申し上げますが、言わば、これは昨年の国会でも申し上げましたように、そのときの経済状況というものがあったわけでございます。御本人が進んでそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また、間に入った業者が事実上強制をしていたというケースもあったということでございます。そういう意味において、広義の解釈においての強制性があったということではないでしょうか。
小川 それは、業者が強制したんであって国が強制したんではないという総理の御認識ですか。
安倍 これについては、先ほど申し上げましたように、言わば、乗り込んでいって人を人さらいのように連れてくるというような強制はなかったということではないかと、このように思います。
小川 だから、総理、私は聞いているじゃないですか。家に乗り込んで連れていってしまうような強制はなかったと。じゃ、どういう強制があったんですかと聞いているわけですよ。
安倍 もう既にそれは河野談話に書いてあるとおりであります。それを何回も、小川委員がどういう思惑があってここでそれを取り上げられているかということは私はよく分からないわけでありますが、今正にアメリカでそういう決議が話題になっているわけでございますが、そこにはやはり事実誤認があるというのが私どもの立場でございます。
小川 アメリカの下院で我が国が謝罪しろというような決議がされるということは、我が国の国際信用を大きく損なう大変に重要な外交案件だと思うんです。
それで、事実誤認だから、じゃ、そういう決議案をもしアメリカ下院がすれば、事実誤認の証言に基づいて決議をしたアメリカ下院が悪いんだと、だから日本は一切謝罪することもないし、そんな決議は無視する、無視していいんだと、これが総理のお考えですか。
安倍 これは、別に決議があったからといって我々は謝罪するということはないということは、まず申し上げておかなければいけないと思います。
この決議案は客観的な事実に基づいていません。また、日本政府のこれまでの対応も踏まえていないということであります。もしかしたら委員は逆のお考えを持っているのかもしれませんが、こうした米議会内の一部議員の動きを受け、政府としては、引き続き我が国の立場について理解を得るための努力を今行っているところでございます。
小川 河野談話は、単に業者が強制しただけでなくて、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に対する軍の関与を認定したと言っておるわけです。このことについて総理は認めるんですか、認めないんですか。
安倍 ですから、先ほど来申し上げておりますように、書いてあるとおりであります。
小川 書いてあるとおりは、書いてあるのは事実ですよ、書いてあるのは。総理がそれをそういうふうに思っていますかと聞いているんです。
安倍 ですから、書いてあるとおりでありまして、それを読んでいただければ、それが政府の今の立場であります。
小川 私は、この問題についての国際感覚あるいは人権感覚といいますか、全く総理のその対応について、私は寂しい限り、むしろ日本の国際的な信用を損なうことになっているんじゃないかと思いますが。
すなわち、下院において、そこで慰安婦の方が証言された、それが事実誤認だからもういいんだと言って通るほど、この国際環境は甘くはないと思います。むしろ、こうした人権侵害についてきちんとした謝罪なり対応をしないということのこの人権感覚、あるいは過去に日本が起こした戦争についての真摯な反省がやはりまだまだ足らないんではないかという、この国際評価を招く、こうした結果になっているんではないでしょうか。どうですか、総理。
安倍 私は全くそうは思いません。小川議員とは全く私は立場が違うんだろうと思いますね。戦後60 年、日本は自由と民主主義、基本的な人権を守って歩んでまいりました。そのことは国際社会から高く私は評価されているところであろうと、このように思います。これからもその姿勢は変わることはないということを私はもう今まで繰り返し述べてきたところでございます。
小川委員は殊更そういう日本の歩みをおとしめようとしているんではないかと、このようにも感じるわけでございます。
小川 大変な暴言でありまして、私は、アメリカの下院でそうした決議が出ると、出るかもしれない、既に委員会では決議が出ているわけで、今度は下院、院全体で決議が出るかもしれないと。そのことによって生ずる我が国のこの国際的な評価、これが低下することを憂えて言っているんですよ。
小川議員の、最後に出てくる「既に委員会では決議が出ている」という発言は、下院外交委員会が同決議案を採択したのは同年6月26日だから正確ではないが、安倍の答弁はいい加減すぎる。河野談話を「受け継ぐ」とは一言も述べない代わりに、①「どういう強制があったのか」、②「業者が事実上強制をしていた」のが「広義の強制性」なら「軍の関与を認めるのか」、という肝心の点については、今度は「河野談話に書いてあるとおり」としか答えない。
①
については、河野談話に沿って「本人の意思に反して」、「強制的な状況の下での痛
ましいものであった」とされる「慰安所における生活」を強いられたのが「強制」の実態であるという模範回答をすれば、最初から「強制」が「狭義」であったか「広義」だったかなどとこだわる愚かさを認めねばならないから、これは言えない。
②
は、河野談話が「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安
所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と書いてある程度は知っているだろうから、記述自体が感情的に面白くないので自分の口からはこれも言いたくないのだろう。
もっとも、河野談話をまともに読んではいないと十分に推認される安倍のことだ。捨て台詞的に「書いてあるとおり」と逃げただけという可能性も否定できない。それにしても、堂々と「決議案は客観的な事実に基づいていません」と公言しておきながら、翌月に訪米してわざわざ議会関係者と会見した際に、「日本政府のこれまでの対応も踏まえていない」といった種の発言を一言も述べた形跡がまるで見当たらないのはなぜなのだろう。
無論、安倍が米国には卑屈で、従属体質丸出しの政治家だからにほかならないが、小川議員とのやり取りがあった4日後の3月9日、安倍は参議院予算委員会では、一転して「慰安婦の問題につきましては、慰安婦の方々が極めてこれは苦しい状況に置かれた、辛酸をなめられたということについては本当に我々としては心から同情し、また既におわびも申し上げているところであると、このように思うわけでございます」と答弁している。
小川議員が「過去に日本が起こした戦争についての真摯な反省がやはりまだ足らないんではないか」と質しただけで、むきになって「日本の歩みをおとしめようとしている」などと見当外れの反発を示した姿勢とはかなり様相が違う。
この理由については、一連の「強制はなかった」という類いの安倍の発言が、米国メディアの相次ぐ反発を呼んだ点と無縁ではないだろう。例えば3月6日には、『ニューヨーク・タイムズ』がコラム、7日には『ロサンゼルス・タイムズ』が論文と社説、そして8日には『ニューヨーク・タイムズ』が長文の記事を掲載した。そのうち、「日本は恥を免れることはできない」(Japan can’t dodge this shame)と題した『ロサンゼルス・タイムズ』の社説は、次のように安倍を手厳しく批判している。
「欧州諸国では、ホロコーストの否定は罰せられるべき犯罪だ。ところが日本ではこれとは対照的に、戦争犯罪は決して十分には訴追もされなかったし、そのようなものとして認識もされず、大半の犠牲者は救済されはしなかった。先週、日本の安倍晋三首相はこうした無責任さを利用する形で、第二次世界大戦中に日本軍にサービスするため、女性たちが性的に束縛されるのを強制されたという「証拠」はないなどと断言した。このことは実際には、こうした(「慰安婦」という)憎むべき行為による何千もの犠牲者を、売春婦、あるいは噓つきであるとレッテルを貼っているのだ。それによって国際的な怒りが生じた後、安倍は姿勢を後退させたが、動かしがたい歴史的事実を否定することにより、生き残った被害者女性たちは、もう一度(日本の)犠牲になったのである」
ここで安倍が実質的に同一視されていると見ていい「ホロコーストの否定」論者が、欧米で極度に否定的な評価を下されているかを考慮すると、当時の安倍に対する米国の不信と嫌悪がどれほどであったか容易に想像がつく。米国の歓心を買うことに汲汲とする自民党の歴代首相の一人として、さすがの安倍もこうした報道を無視するわけにはいかなかったのだろう。そのことと、かつて「噓つき」呼ばわりした「慰安婦」に対し、「心から同情し、また既におわびも申し上げている」などと神妙めいた姿勢に転じたのは、無関係ではあるまい。
さらに、そのような発言があった3月9日、安倍はジョン・トーマス・シーファー米駐日大使(当時)から、「日本が河野談話から後退していると米国で受け止められると破壊的な影響がある」(『産経』2007年3月10日付)と警告されたという。以下は、当時の米国内の雰囲気を伝える記事(『朝日』2007年3月9日付)の抜粋だ。
米国内で、従軍慰安婦問題をめぐる波紋の広がりが止まらない。ニューヨーク・タイムズ紙など主要紙が相次いで日本政府を批判する社説や記事を掲載しているほか、震源地の米下院でも日本に謝罪を求める決議案に対して支持が広がっているという。こうした状況に米国の知日派の間では危機感が広がっており、安倍政権に何らかの対応を求める声が出ている。
8日付のニューヨーク・タイムズ紙は、1面に「日本の性の奴隷問題、『否定』で古傷が開く」と見出しのついた記事を載せた。中面に続く長いもので、安倍首相の強制性を否定する発言が元従軍慰安婦の怒りを改めてかっている様子を伝えた。同紙は6日にも、安倍発言を批判し、日本の国会に「率直な謝罪と十分な補償」を表明するよう求める社説を掲げたばかりだ。(略)
今回の慰安婦問題浮上の直接のきっかけとなった米下院外交委員会の決議案をめぐっては、安倍首相が1日「強制性を裏付ける証拠はなかった」と発言したのを受けて支持が広がっている。
05年末までホワイトハウスでアジア問題を扱っていたグリーン前国家安全保障会議上級アジア部長は、「先週、何人かの下院議員に働きかけ決議案反対の合意を取り付けたが、(安倍発言の後)今週になったら全員が賛成に回ってしまった」と語る。米国務省も今週に入り、議員に対し日本の取り組みを説明するのをやめたという。
6日に日本から戻ったばかりのキャンベル元国防次官補代理は、「米国内のジャパン・ウオッチャーや日本支持者は落胆するとともに困惑している」と語る。
「日本が(河野談話など)様々な声明を過去に出したことは評価するが、問題は中国や韓国など、日本に批判的な国々の間で、日本の取り組みに対する疑問が出ていることだ」と指摘。「このまま行けば、米国内での日本に対する支持は後退していく」と警告する。
現在日本に滞在中のグリーン氏も「強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心はない。問題は慰安婦たちが悲惨な目に遭ったということであり、永田町の政治家たちは、この基本的な事実を忘れている」と指摘した。
名だたるジャパン・ハンドラーズの一員であるグリーンでさえ、「慰安婦」問題のポイントは外してはいないが、安倍は米国からの批判を気に留めた形跡はあるのに、この程度の認識にすら至らなかったようだ。それどころか、さらに混乱に拍車をかけるような行為に打って出る。本人が今でも誇らしげにしている、3月16日の閣議決定なるものだ。
4 虚構の「閣議決定」
閣議決定と言っても、毎年国会議員から膨大に提出される質問主意書に対し、基本的に政府が答弁書を作成し、回答するだけ。安倍内閣は07年3月16日、民主党の辻元清美議員が同月8日に提出した「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」に対し、答弁書で回答しているが、安倍はこの質問書について、首相一期目における「慰安婦」問題についての、最大の獲得ポイントであるかのように今日まで吹聴し続けている。
まず辻元議員の質問主意書を、要点だけ紹介しよう。そこでは冒頭、次のように一連の安倍の発言とそれに関連する動きを列挙している。
米国議会下院で、「慰安婦」問題に関して日本政府に謝罪を求める決議案(以下決議案)が準備されている。これに対し安倍首相が総裁を務める自民党内部から「河野官房長官談話」見直しの動きがあり、また首相自ら「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と述べ、談話見直しの必要性については「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことから、米国内やアジア各国首脳から不快感を示す声があがっている。
その上で、以下の質問に続く。
一 《安倍首相の発言》について
1 「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい。
2 「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と安倍首相は発言しているが、政府は首相が「なかったのは事実」と断定するに足る「証拠」の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか。予算を含めた調査結果の詳細を明らかにされたい。
3 安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か。
(略)
そして、これに対する以下の答弁書の傍線が、安倍の言う閣議決定となる。
一の1から3までについて
お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。
調査結果の詳細については、「いわゆる従軍慰安婦問題について」(平成五年八月四日内閣官房内閣外政審議室)において既に公表しているところであるが、調査に関する予算の執行に関する資料については、その保存期間が経過していることから保存されておらず、これについてお答えすることは困難である。
(略)
この答弁書の「一の1から3までについて」は、明らかに辻元議員の質問趣意書の回答にはなっていない。安倍が今でも吹聴する閣議決定とは、「強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかった」という安倍の発言に対し、そう「断定するに足る『証拠』の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか」といった質問への回答だが、内容は、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」などと、質問の一部を同義反復しているだけに過ぎない。
ところが後になって、2012年9月14日に行われた自民党総裁選立候補者の共同記者会見の席上、安倍は「河野談話の核心をなすところは強制連行。朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった。子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。新たな談話を出すべきではないか」とした上で、「(第一次)安倍政権のときに、『強制性はなかった』という閣議決定をしたが、多くの人は知らない。河野談話を修正したことを、もう一度確定する必要がある」(『朝日』2012年9月16日付朝刊)と述べている。
もし総裁選で安倍が述べたように2007年3月、河野談話を「修正」する閣議決定をしたなら、実に驚くべきことだ。同年の4月、つまり翌月の米国メディアの取材、及び続く訪米時に、「河野談話を受け継ぐ」と何度も明言しているのだから。
ならば安倍は、首相になった時点で「受け継ぐ」と表明した河野談話を07年3月の閣議決定で突然「修正」し、かつ翌月になってまた方針転換して、米国人の前で「受け継ぐ」と述べて歓心を買った、ということなのか。
無論、いくら安倍の思考が支離滅裂であっても、そのような真似をしたのではない。なぜなら肝心の閣議決定には、何と最後の方で「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない」と明記してあるからだ。閣議決定の「修正」が、「継承」と相容れるはずがない。
安倍の「歴史修正主義」とはこの程度で、事実認識の客観性など二の次であり、自分の主観的願望、またはそれからくる偏見の類いが即事実だと思い込む。その証拠に、河野談話のどこをどう読めば、「核心をなすところは強制連行」などという解釈が成り立つのか。いくら安倍が自慢げに「家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった」などと述べようが、そのことと「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と認めている河野談話は、何の直接的関係もない。
である以上、そうした閣議決定なるものが、河野談話の価値をいささかなりとも左右するものではないはずだが、なぜ安倍はそれほど吹聴できる内容であるかのように誇らしげでいられるのだろう。
さらに、安倍は自民党総裁選に勝利し、総選挙を控えた2012年11月30日に開催された日本記者クラブ主催の党首討論会に臨んだ際、以下のような発言をしている。
河野談話についてはですね、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において「それを証明する事実はなかった」という事は閣議決定しています。そもそも、まぁ朝日新聞の星さんの(笑)朝日新聞の誤報による、吉田清治という、まぁ詐欺師のような男が作った本がまるで事実かのように、これは日本中に伝わっていった事でこの問題がどんどん大きくなっていきました。その中で、果たして人を人さらいのように連れてきた事実があったかどうかという事については、それは証明されていない。という事を閣議決定しています。ただそのことが内外にしっかりと伝わっていないという事をどう対応していくか。ただこれも対応の仕方によっては真実如何とは別に、残念ながら外交問題になってしまうんですよ。
ストレートに「河野談話についてはですね……、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において『それを証明する事実はなかった』という事は閣議決定しています」という箇所を読めば、河野談話とは、後の「閣議決定」によって「証明」不能と談じられた欠陥品ということになる。
いずれにせよ、河野談話憎しのあまりか、あるいはそれまで「受け継ぐ」などと心にもない誓約を言い続けざるを得なかった反動からか、いくら事実に反していようが自身が「河野談話を修正した」かのような強い願望に由来する妄想を膨らませ、そうした仮想現実の中に浸って一人悦に入るという、文字通りの自慰的行為を繰り返しているだけなのだ。
おそらく、河野談話を持ち出す際に、始終吉田「証言」に触れるのは、「証言」が「めちゃくちゃ」であるとの評価である以上、それによって河野談話を葬れると勝手に思い込んでいるからだろう。だが、安倍は公式に河野談話を見直するような度胸は持ち合わせていない。だからこそ、「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という記述を閣議決定に盛り込ませて、繰り返すように河野談話を自分が膨らませた夢想の中で「修正」した気になっているだけなのだ。
それでも、こうした夢想癖は形式上、現実に引き戻されたような結末にはなっている。なぜなら2007年4月20日のそれこそ閣議決定で、安倍は「持論」の「狭義の強制性」を何と事実上撤回しているのだ。
それに先立つ4月10日、辻元議員は再び質問主意書を提出し、安倍が鬼の首を取ったかのように自慢しているその1ヶ月前の3月の答弁書、つまり閣議決定がまったく質問には回答していない内容であったため、以下の項目を再度盛り込んだ。
「1
安倍首相のいう『狭義の強制性』とは、どのような定義によるものか。『家に乗り込んでいって強引に連れていった』以外にどのようなケースがあるのか。具体的に示されたい。
2 安倍首相のいう『狭義の強制性』以外は、すべて『広義の強制性』になるのか。安倍首相の見解を示されたい」
そして4月20日に閣議決定された答弁書には、以下のように記されていた。
平成五年八月四日の内閣官房長官談話は、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、当該談話の内容となったものであり、強制性に関する政府の基本的立場は、当該談話のとおりである。
そもそも、安倍が3月の閣議決定で明確に「河野談話を受け継ぐ」としたのだから、本来、翌4月20日の閣議決定以外の答弁はありえないはずだ。すると、談話の「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という事実こそ「強制性」の実態であって、安倍がこだわる「軍や官憲によるいわゆる強制連行」、つまり「慰安婦」にされるまでの形態については、当然にも何の意味も持たなくなる。同時に、それを「直接示すような記述」の有無についても同じことだ。
であれば、4月20日にこのような閣議決定をするくらいなら、最初から「広義」だの「狭義」だの、「人さらい」がどうのこうのと繰り返す必要は、まったくなかった。にもかかわらず、安倍は現在もこの3月の方の閣議決定だけをあたかも何か自分の得点であったかのように思い込んでいるのには、呆れるのを通り越してもはや不気味な印象さえ受ける。もともと、「歴史認識は専門家に任せるべき」などという逃げ口上を使うことに躊躇しないぐらいだから、最初から理論的整合性などまるで通用しないのだろう。
だが、安倍が2007年3月の閣議決定に現在も固執している以上、あえてそれがまともな評価に堪えないという理由をさらに追加せねばならない。つまり、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という記述は、実は以前から歴代政権によって何度も繰り返し述べられてきた認識なのだ。この事実を、辻元議員は2013年3月8日の衆議院予算委員会で、次のように追及した。
この十年前、政府はどのような答弁をしていたかというのが(提出した資料の)左にございます。これは片山虎之助委員に対する政府の答弁です。
「政府といたしましては、二度にわたり調査をしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見当たりません。総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで判断した」
(略)要するに、河野官房長官談話を出した前提を、歴代の内閣は同じように答弁してきたんですよ。強制的に集めるとか、通達を、強制的に出せとかはないけれども、証言や総合的に資料を考えて河野官房長官談話を出しましたという。
つまり辻元議員は、2007年の閣議決定なるものは「十年前」の政府答弁と同一であり、あたかもそれと違った内容を閣議決定したかのような安倍の発言は、「矛盾しているんじゃないですか」と質した。さらに同議員は、安倍が2012年の自民党総裁選時に「修正」したと発言したことに対し、「河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。修正されたんですか。どうですか」と詰め寄った。
これに対し安倍は最初の質問について、「質問主意書というのは、皆さんが出されるのは重たいんですよ、閣議決定しますから。閣議決定、全員の閣僚のいわば花押を押すという閣議決定なんです。(略)そこで、いわばその重たい閣議決定をしたのは初めてであります」とし、「何の矛盾もしていないということは、はっきりと申し上げておきたいと思います」と答弁している。
だが、すぐ後で述べるようにこれもウソであり、同じ閣議決定は以前にもあった。そして形式はともかく、一般の国会答弁と閣議決定が同じ内容である以上、「初めて」であろうがなかろうが、後者が何か特別の意味を持っているかのような安倍の主張は「矛盾」と見なして差し支えあるまい。
しかも安倍は、河野談話を「修正されたんですか」という最も肝心な質問には返答せず、無視を決め込んでいる。当然だろう。河野談話の閣議決定による「修正」とは、安倍がふける夢想の世界の架空話でしかないからだ。
そもそも、閣議決定がそれほど「重たい」のであれば、2007年4月の閣議決定について、以後まったく安倍による言及がないのはなぜだろう。それとも、閣議決定とはその都度、重さが異なるというのか。
なお、この2007年3月の閣議決定が特段の新味はないという主張は、辻元議員が2013年5月23日に自身のブログに掲載した「橋下徹大阪市長の慰安婦を巡る発言の背景となった安倍首相の『閣議決定』に関する発言について」という一文で、仔細に埋設している。以下、その抜粋。(URLhttp://www.kiyomi.gr.jp/blogs/2013/05/23-933.html)
<歴代の内閣の答弁>
E)片山虎之助委員の質問に対する平林博官房外政審議室長による政府答弁(1997年1月30日参議院予算委員会)
「政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。」
F)板垣正委員の質問に対する村岡官房長官の政府答弁(1998年4月7日総務委員会)
「第一点は、先生今御指摘になられましたように、政府が発見した資料、公的な資料の中には軍や官憲による組織的な強制連行を直接示すような記述は見出せなかったと。第二点目は、その他のいろいろな調査、この中には、おっしゃったような韓国における元慰安婦からの証言の聴取もありますし、各種の証言集における記述もありますし、また日本の当時の関係者からの証言もございますが、そういうものをあわせまして総合的に判断した結果一定の強制性が認められた、こういう心証に基づいて官房長官談話が作成されたと、こういうことでございます。」
さらに、安倍首相は「いわばその重たい閣議決定をしたのは初めてであります」(2013年3月8日の辻元の予算委員会質問に対する答弁)と、歴代内閣で初めて、「強制連行を直接示す記述はなかった」ことを閣議決定したと答弁している。ところが、これも虚偽答弁である。
すでに1997年11月21日、高市早苗議員の提出した質問主意書に同じ内容の答弁(G)が橋本内閣によって閣議決定されている。
G)高市早苗議員の質問主意書「慰安婦」問題の教科書掲載に関する再質問主意書(1997年11月21日)に対する答弁書
「いわゆる従軍慰安婦問題に関する政府調査においては、発見された公文書等には、軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった。他方、調査に当たっては、各種の証言集における記述、大韓民国における元慰安婦に対する証言聴取の結果等も参考としており、これらを総合的に判断した結果、政府調査結果の内容となったものである」
上記のように、河野官房長官談話について、第一次安倍内閣で新しい内容の閣議決定をしたわけではない。第一次安倍内閣は、歴代の内閣と同じ答弁や閣議決定を繰り返したに過ぎないのであって、河野官房長官談話を見直す根拠は存在しない。
にも関わらず、第一次安倍内閣であたかも新しい認識を示したかのような答弁を繰り返し、河野官房長官談話を見直す根拠にしようとする安倍首相の姿勢は、国民をあざむこうとしていると言わざるを得ない。
つまり2007年3月の閣議決定とは、いくら安倍が「重たい」だの「初めて」だのとウソを並べても、内容的には過去の政府の国会答弁、及び閣議決定と何も変わりはしない。ただそれが一点だけ違うのは、他の答弁・国会決議で記述されていた「総合的に判断した結果一定の強制性が認められた」という趣旨の表現を、安倍は削っているだけなのだ。
つまり、吉田「証言」→「めちゃくちゃ」→強制連行→ウソ→「慰安婦」問題→捏造、というありもしない六段論法を自分だけの夢想で固定化している安倍は、それがゆえに吉田「証言」にも通じると思い込んでいる「強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった」という記述だけに飛びついて、河野談話の攻撃に使えると思い込んでいるのだろう。だからこそ、自分の気にくわない肝心の「総合的に判断した結果一定の強制性が認められた」という結論を勝手に除外し、その重要な結論を除外するならば無意味となる「記述は見られなかった」という類いの箇所だけを、意識的にか、無意識的にか振りかざしているに過ぎない。
5 米国への卑屈と「謝罪」
それでも結果的にこの3月の閣議決定は、再び各国から懸念材料と見なされてしまう。韓国の外交通商部は17日、「非常に遺憾」と表明。また『ワシントン・ポスト』は24日付けで「安倍晋三のダブルトーク」と題した論評を掲載し、以下のように断じた。
安倍氏は女性を『慰安婦』にしたことについて日本政府が直接に関与したことを否定するのが、北朝鮮に対し(拉致問題の)回答を要求する上で道徳的な権威を強化するのではと考えているのかもしれない。だが、それは逆だ。安倍氏が日本の拉致された市民の悲運を知った国際的な支援を求めるなら、日本自身の犯罪の責任を率直に認め、日本が(強制性を否定することで)中傷した犠牲者に謝罪すべきである。
安倍にとり、訪米も迫ってきたため以後さすがに不用意な発言は控えるようになる。また、民主党の小川議員に示したような挑戦的姿勢も同様だ。その典型が、3月26日の参議院予算委員会における共産党の吉川春子議員に対する対応だろう。
逃げ口上、あるいは捨て台詞的な性格は変わらないにせよ、安倍は一人の議員の答弁時に、河野談話の「継承」、あるいは「河野談話で申し上げている」といった類の発言を実に12回も口にしている。少なくともこの数字だけ見るならば、1993年に河野談話が発表されて以降の歴代首相で、安倍ほど河野談話に限りなく忠実たらんとする姿勢を示した首相は存在しない。
なお、AFPの4月4日ワシントン発の記事は、「ジョージ・W・ブッシュ大統領は3日、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で、安倍晋三首相が謝罪したことについて評価した。国家安全保障会議(NSC)のゴードン・ジョンドロー報道官によると、2人はこの日、電話で会談した。ブッシュ大統領は、安倍首相が『旧日本軍が強制的に連行した証拠はない』との認識を示した自身の発言に対し前月の参議院予算委員会で謝罪したことについて、満足感を示し、『今の日本は第2次大戦時の日本ではない』とコメントしたという」と報じている。
だが、前述の安倍による吉川議員への答弁で、「旧日本軍が強制的に連行した証拠はない」との発言を「謝罪」したというのは、正確ではない。以下の答弁を読んでも、それは明らかだ。
吉川 安倍総理に慰安婦問題についてお伺いいたします。安倍総理は、3月1日の夜、官邸で記者団の質問に答えて、93年の河野官房長官談話について、当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だと語られました。そうですか。
安倍 既に今まで何回か答弁を申し上げているわけでございますが、私は河野官房長官談話を継承していくということを申し上げているわけでございまして、そしてまた慰安婦の方々に対しまして御同情を申し上げますし、またそういう立場に置かれたことについてはおわびも申し上げてきたとおりでありまして、今まで答弁してきたとおりであります。
吉川 当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だと、このようにおっしゃったんですか、おっしゃらないんですか。
安倍 私は、今まで累次この場においてもまた本会議の場においても答弁をしてきたとおりでございまして、それを見ていただければ分かるとおりであります。
吉川 そういう発言はなかったと、取り消されるんですね。
安倍 累次、今まで答弁してきたとおりでございます。ですから、今、吉川議員がおっしゃったことも私は答弁をしてきた中の中身でございます。
吉川 総理が記者会見で官邸でおっしゃったかどうかだけを私伺っているんですけれども。
安倍 強制性について私が申し上げたことは、記者会見で申し上げたことはすべてこれはニュースにもなっておりますから、それはそのとおりであります。
吉川 官房長官談話では、広範な地域に慰安所が設置された、慰安所は軍の要請によって設置された、慰安所の管理運営、慰安婦の移送について旧日本軍が直接又は間接に関与したとしております。これはお認めになるんですね。
安倍 先ほど答弁をいたしましたように、河野官房長官談話を継承しているということは、この官房長官談話を正に引き継いでいるわけでありますから、その中身も、それを引き継いでいるということでございます。
吉川 さらに談話では、慰安婦の募集について、本人の意思に反して集められた、官憲が直接これに加担したこともあった、慰安所の生活は強制的状況で痛ましいものであったと言っていますが、これもお認めになりますか。
安倍 河野官房長官談話を継承すると、このように申し上げております。
吉川 お認めになるんですね、今言ったこと。
安倍 そうです。
吉川 河野談話の内容と、それから首相官邸での記者会見の強制性はないという発言は矛盾すると思いますが、談話を受け継ぐとおっしゃるならば、この発言は取り消されたらいいと思うんです。いかがでしょう。
安倍 そうした発言も含めて今私は答弁をしているわけでございますが、この河野官房長官談話を継承していくということでございます。
言ったのか言わなかったのか、あるいは認めるのか認めないのかという単純な質問さえ、答弁したなら面白くない気分になるためなのか、いつまでもグズグズして明言しない。安倍の性格が如実に現れているが、肝心の「強制性を裏付ける証拠がなかった」という発言が、河野談話の「慰安所の生活は強制的状況で痛ましいものであった」との認識と矛盾するという指摘についても、またもや河野談話を逃げ口上に使い、回答不明のままにしている。
これをどう解釈すれば、3月1日の発言の「謝罪」になるのか。最初から「謝罪」などする気などなく、だからこそ今に至るまで「強制」の証拠がどうのこうのという例の3月の閣議決定を得意げに吹聴しているのだろう。
また、「慰安婦の方々に対しまして御同情を申し上げます」云々のくだりが「謝罪」だとしたなら、すぐにでも隣国に出向き、被害者女性の前で同じ台詞を言うのが道理だ。しかし、そんなことを金輪際するはずもない。口先だけで、本心では「謝罪」の気持ちなどはなから皆無だからだ。それが証拠に、安倍は首相を辞めた途端、河野談話を再び口汚く罵り始めている(後述)。
こうした二枚舌に加え、「ナショナリスト」に特有な米国への卑屈さが加わったのが、2007年4月の訪米を前後する一連の恭順劇に他ならない。その第一弾が、米『Newsweek』誌へのインタビューであった。
同誌のインタビューが行われたのは、訪米前の4月17日で、4月30日号に掲載。安倍はそこで、「戦時慰安婦として徴用された方たちに、心の底からの同情の意を表さなくてはなりません。一人の人間として私は同情の意を表したいと思います。そしてまた日本国の総理大臣として、慰安婦の方たちに謝罪する必要があります」と述べている。
さらに、「日本軍がこの女性たちをそのような状況に強制したのだと信じてるか」という質問には、「戦時慰安婦の問題に関しましては、私の政権は河野談話を守り続けると一貫して申し上げております。私たちは、当時の状況下で慰安婦としての苦難と苦しみを味わうように、これらの女性たちを強制したことに責任を感じています(We feel responsible for having forced these women to go
through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the
time)」という回答だ。
無論そこでは、1ヶ月少し前の米下院議会決議案に対する批判など、おくびにも出していない。そして安倍が、「慰安婦」問題で「女性たちを強制した」と明言した例は、おそらくこれ以外にないであろう。
さすがに、『産経』は4月27日付の「正論」欄で、西尾幹二の全体としてはピント外れながら、読んだ安倍が頭を抱えたに違いない以下のような指摘が一部ある論説を掲載している。
「狭義の強制と広義の強制の区別」というような、再び国内向けにしか通じない用語を用い、「米議会で決議がなされても謝罪はしない」などと強がったかと思うと、翌日には「謝罪」の意を表明するなど、オドオド右顧左眄(さべん)する姿勢は国民としては見るに耐えられなかった。
そしてついに訪米前の4月21日に米誌「ニューズウィーク」のインタビューに答えて、首相は河野談話よりむしろはっきり軍の関与を含め日本に強制した責任があった、と後戻りできない謝罪発言まで公言した。
とりあえず頭を下げておけば何とかなるという日本的な事なかれ主義はもう国際社会で通らないことをこの「保守の星」が知らなかったというのだろうか。
大変な「保守の星」がいたものだが、米国に気に入られるためなら自身の言動といかに矛盾し、整合性を失おうが、そして本心で思っていようがいまいが、さらにはそうした態度が客観的にはどれだけ見苦しいかどうかはお構いなしに、米国に気に入られるためだけのことをペラペラと口にする。これが、首相第一期目で安倍が「慰安婦」問題で演じた迷走劇の結末であるといって過言ではない。
実際、安倍が4月26日に訪米し、大統領のブッシュとの首脳会談、及びブッシュと並んでの共同記者会見で示したパーフォーマンスは、「保守の星」への期待者をさらに失望させる内容だったのは間違いない。
外務省のHPにある「日米首脳会談の概要」(27日)によると、「慰安婦問題については、安倍総理からの説明に対し、ブッシュ大統領より安倍総理の発言は非常に率直かつ誠意があり、その発言を評価するとの発言があった」とだけ書かれてある。
さらに、その直後に開かれた日米首脳の共同記者会見では、「慰安婦」の関連では以下のやり取りがあった(首相官邸のHPより)。
(安倍総理に対し)慰安婦問題について、ブッシュ大統領に説明したのか。またこの問題について改めて調査を行ったり、謝罪をするつもりはあるのか、また(ブッシュ大統領に対し)人権問題について、またアジアの歴史認識についての貴大統領のお考えをお聞かせ願いたい、との問いに対し)
(安倍総理)慰安婦の問題について昨日、議会においてもお話をした。自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えている、と述べた。またこのような話を本日、ブッシュ大統領にも話した。
(ブッシュ大統領)慰安婦の問題は、歴史における、残念な一章である。私は安倍総理の謝罪を受け入れる。自分は、河野談話と安倍総理の数々の演説は非常に率直で、誠意があったと思う。私は安倍総理と共に日米両国を率いていくことを楽しみにしている。安倍総理は安倍総理の思うところを率直に語ってくれた。その率直さを私は評価する。我々の仕事は、過去から教訓を得て、将来に生かすということである、そしてそれは正に安倍総理がしっかりとなさっていることである。
日米首脳会談でのやり取りは、性格上、内容がそのまま公表されることはない。だが外務省のHPによれば、少なくとも安倍が切り出して「説明」し、そこで安倍がブッシュに対し「謝罪」を口にしたことは間違いないだろう。また、「同情」は日本でも発言していたが、外国で「極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ない」とは、見方によっては政府の責任を認めたに等しい。
無論、繰り返すように、米国の世論を意識してジグザグを繰り替えしながらも軌道修正し、そのまま米国で神妙顔しても、すべては二枚舌に過ぎない。責任意識など、本来は皆無だろう。実際、この訪米は後日談があり、安倍は6年後になって、驚くべきことに07年4月の日米首脳会談で「慰安婦」の話は「まったく出てなかった」と言い出した。
『産経』2011年11月23日付のインタビュー記事によると、「(平成)19年4月の日米首脳会談で、慰安婦問題でブッシュ大統領に謝罪されたとされたが」という問いに対し、安倍は「ブッシュ氏が記者会見でそう述べたが、会談ではその話はまったく出ていなかった。そもそも日本が(当事国でもない)米国に謝罪する筋合いの話ではない」と返答している。
これについては、2013年3月8日に開かれた衆議院予算委員会で、辻元議員から以下のように追及されている。
辻元 アメリカに行かれて、前回のとき、ブッシュ大統領に対してこの問題で釈明をしたということを、ブッシュ大統領みずからがそのときの記者会見でおっしゃいましたよね、安倍から釈明があったということを。(略)
安倍 今、事実関係において間違いを述べられたので、ちょうどいい機会ですから、ここではっきり述べさせていただきたいと思いますが、ブッシュ大統領との間の日米首脳会談においては、この問題は全く出ておりません。
ブッシュ大統領が答えられたのは、その前に私が既に述べている慰安婦についての考え方として、いわば、二十世紀においては戦争や、人権が著しく侵害された時代であった、そして女性の人権も侵害された、残念ながらその中において日本も無関係ではなかった、二十一世紀においてはそういう時代ではない、人権がしっかりと守られていく、女性の人権も守られていく時代にしていきたいということを述べていたことについての評価として述べたわけでありまして、その事実関係が違うということだけははっきりと申し上げておきたいと思います。
おかしな答弁だ。辻元議員が、6年前の訪米時の「記者会見」で、ブッシュが安倍の「釈明」があったと述べたのではないかとだけ念を押したのに、安倍は「日米首脳会談」で「慰安婦」問題は「出ておりません」と答弁している。辻元議員の質問と合致しないまま、『産経』でのインタビューを繰り返しているだけだ。
しかし、いくら「事実関係が違う」などと高飛車に出ても、外務省のHPには「慰安婦問題については、安倍総理からの説明に対し」云々とが明記されている。またも安倍は、「この問題は全く出ておりません」などとウソをついたのだ。事実、この問題はいとも簡単に終息する。
辻元議員は質問主意書(2013年5月8日)で、外務書のHPに登場する2007年訪米時の「日米首脳会談の概要」を取り上げ、「安倍首相からブッシュ前大統領に対して慰安婦問題に関する何らかの説明があったことを意味するか。また安倍首相から説明があったのは、日米首脳会談での席上ということでよいか」と質した。
率直に「意味する」「よい」と答弁すればいいものを、これに対する政府答弁書(同年5月17日)では、いかにも尊大風に「事実関係」を認めている。
御指摘の外務省ホームページの記述及び当該記述中のジョージ・W・ブッシュ米国大統領(当時。以下「ブッシュ大統領」という。)の発言に関する記述は、いずれも平成十九年四月二十七日(現地時間)に行われた日米首脳会談及びその後の昼食会における安倍晋三内閣総理大臣(当時)の説明及びブッシュ大統領の発言を踏まえたものである。
なぜ安倍は、これほど幼稚なウソをついたのか。おそらくいかに米国には卑屈であっても、訪米時に二枚舌で意に反して心にもないことを口にした以上、本人には面白からぬ気持ちが残っていたのだろう。
特に、共同記者会見では「申し訳ないという気持ちでいっぱい」などと、一番口にしたくないことを言わざるを得ず、それに先立つ首脳会談でも当然同じような発言をしなかったはずはない。ブッシュの「安倍総理の謝罪を受け入れる」というコメントがあったのも、そのためだ。安倍がいくら「ブッシュ氏」の記憶違いのような言い訳をしても、説得力はない。
そして、人前で「謝罪した」と明らかにされたことが、安倍には感情的に不愉快であり、いっそのこと首脳会談で「慰安婦」問題自体が出なかったという設定にしたかったのだろう。安倍にとっては、自分の感情に好都合で、自分だけの夢想で「そうであってほしい」という願望だけが事実なのだから。そのため、「その事実関係が違う」という国会答弁も、確信的虚言というよりは、本気でそう考えていた可能性を排除できないかもしれない。
いずれにせよ、この訪米から5ヵ月足らずで安倍は首相の座を投げ出し、「慰安婦」問題をめぐる迷走劇はいったん終息する。野党の一員になった安倍は、二枚舌を使う必要性からもはや解放された。だが、今度は首相時代の発言と正反対の発言を再び繰り返すことで、改めて二枚舌の本性を自ら立証することになる。
6 再びの「極右」・「歴史修正主義者」と白旗
すでに、2007年3月の閣議決定に関する安倍の野党時代の発言を紹介したが、この時期に自身の本音を最も雄弁に語ったのは、2010年10月8日に公開された動画であろう。以下は、それを文字に起こしたものだ。共に登場している新藤義孝は、超党派の極右議員集団「創生『日本』」の副幹事長である自民党衆議院議員。安倍は2009年11月からこの集団の会長になっているが、集団自体は2012年9月以降休眠状態になっている。
安倍 日韓併合100年を迎えて、今、政府は、2つのとんでもないことを企んでいます。1つは、併合100年を迎えて、菅総理の談話を出そうとしているということ。これは、村山談話、河野談話のような、歴史認識を示そうということなんですね。
村山談話あるいは河野談話とおそらく相通じているのはですね、日本という国を貶めてみせて、そして、自分は良心があるんですよと、自分の良心を示そうとする、これは極めて卑劣で、そして、国益を損なう行為ですね。
自分が、何か、良心のある、優しい人間ですよ、ということを示して、自己満足に浸る。一方、国や私たちの先人たちを、まさに命を賭して守ろうとしたこの国を貶め、その行為すら貶めることにつながるんですね。
歴史認識、過去の歴史についての評価は、これは歴史家に任せるべきなんですよ。政府が歴史認識を示そうとして声明を出そうとすればですね、これは政治の場ですから、どうしても政治的・外交的配慮をせざるを得ない。事実の探求よりも政治的あるいは外交的配慮に重点を置かざるを得ないというのが、これが自明の理なんですね。
かつ、そうした配慮を行ったところでですね、村山談話、河野談話が結果として示しているように、問題の解決にはまったくならないと。
新藤 日本のためには何も変わっていない。
安倍 何も変わっていない、むしろ・・・
新藤 むしろ手足を縛られてしまった。
安倍 特に河野談話はそうでしたね。日本というのは、従軍慰安婦を性奴隷として、いわば、女性を貶めたと、とんでもない国だということを認めてしまったことになったんですよ。で、これはですね、じゃあ、事実そうじゃないですよということを説明しようとしても、これを払拭するのは大変でした。私が総理の時にもそういう問題があった。
これは、強制連行という事実はありませんよと、国会で答弁しただけでですね、アメリカでも大変話題になった。
新藤 従軍ではなかった。
安倍 ええ、ええ。
.
新藤 それは、確か、歴史教科書を考える若手議員の会、私も幹事を務めておりましたし、幹事長でいらっしゃいましたね。
安倍 あの時ですね、7社の教科書全部に従軍慰安婦の記述が載りましたね。これはおかしい。我々は事実を冷静にみんなで勉強しましたね。その結果、強制連行を示す資料はまったくなかった。
新藤 しかも、証言者は嘘をついていた。
安倍 嘘をついていたということも明らかになった。あれを取りまとめた石原副官房長官はね、私の前で涙を見せましたね。まさか教科書に載るとは思わなかった、間違っていたと、忸怩たる思いがあると、こうおっしゃったんですね。
新藤 それから、河野官房長官は、我々がお尋ねしたらば、事実の確認はしていなかったと、しかし、客観的な全体の状況から事実と推測したというお話しでしたね。
安倍 あれ、唖然としました。私も総理の時に、いわば強制連行、狭義の意味、狭義の意味というのは正確な意味ということで使ったんですが、それを示す事実はないということを答弁もさせていただいた。まあ、それが反響を呼んでしまったんですが。
それと同じようなことをですね、今、菅政権はやろうとしている。しかも、それはまさに左翼政権がやろうとしているわけですから、国益ではないんですよ。自分たちの心情を満たそうとしているだけですね。
新藤 ですから、安倍会長がおっしゃるように、歴史の評価は歴史家に任せるべきだと。
安倍 ええ。
.
新藤 しかも、政府の歴史認識に関わるものは、既に今までもう出してきていて、なぜ今回。日韓の併合100年というのは、韓国側にとっては重要かもしれませんが、我々にとっては、これを積極的にコメントするようなものではないわけだから、だから今回新たに談話を出す必要は、我が国にとってはないじゃないかと、こういう整理でございますか。
安倍 基本的にそうですね。ですから、我々は、この談話発出を阻止したいと、谷垣総裁にも、ぜひ菅さんにそう言っていただきたいと、党として声明を出してもらいたいと申し上げました。
この安倍の発言を知ったら、「慰安婦」にされた犠牲者たちはどう思うだろう。彼女たちはウソつき呼ばわりされており、彼女たちに「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」(河野談話)と謝罪する行為は、「自己満足」どころか、「極めて卑劣」とまで罵られる。
ならば、彼女たちはそもそも最初から謝罪を受ける対象ですらないのか。そして彼女たちは、いったい何をしたからといって、これほどまでに口汚いセカンドレイプを受けねばならないのか。
安倍や、傍で嬉嬉として相づちを打っている新藤ら自民党を始めとしたこの国の保守、極右の人格の崩れ方は、ここまですさまじい。しかも彼らのような連中が、あろうことか権力の座にいるのだ。そして、国家の外交とは、多かれ少なかれまずは隣国と正常な関係を構築することに優先順位を置く。だがこの国では、隣国が忘れようとしても忘れられないほどの多大の苦痛と屈辱をもたらされた記憶が鮮明に蘇る節目に、それをもたらした側として「コメントするようなものではない」と平気で言い放つような人物が、最高権力者に収まっている。
他者の痛みがわからず、わかろうともせず、あるいはわかり、わかろうとするのは人間性の不可欠の構成要素であるという意識すらないのは、歴史修正主義者の宿痾の一つだが、いまや日本の政治(及びそこに参与している有権者)自体も同じ宿痾を抱えているということなのか。
そもそも「歴史の評価は歴史家に任せるべき」というなら、なぜ安倍らはかくも執拗に「慰安婦」の問題で「事実そうじゃないですよ」などとばかりに介入し続けるのか。まともな歴史家なら「従軍慰安婦を性奴隷として」扱ったというのを定説と見なすが、では安倍はこうした歴史家の判断に「任せる」とでもいうのか。
政権を投げ出した後、ほとぼりが冷めたのを見計らったようにまた「持論」を言いたくなったのだろが、これでは以前に一国の首相としての公の発言が、ほぼすべてウソだったと自分で吹聴しているに等しい。わざわざ米国くんだりで述べた、「元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情する」というのもウソ。河野談話を「受け継ぐ」というのも、まったくの口先だけ。当然だろう。あれほど何度もこの種の答弁をしたのだから、本人の言い分に即したら、当の自分自身こそが「卑劣」になってしまう。だが、公人としてこうしたウソを限りなく繰り返す行為こそ、社会常識では「極めて卑劣」と呼ぶのだ。
それにしても、安倍の学習能力のなさはもはや治癒不能なのだろうか。まだ、「狭義」だの「広義」だのにこだわりたいのだろうが、繰り返すように安倍が「強制連行という事実はありませんよと、国会で答弁」しようがしまいが、「性奴隷として、いわば、女性を貶めた」事実の否定には何らならない。「甘言」で「慰安婦」にされた被害者の存在を裏付ける資料も、多く存在する。無論、安倍の言動とは正反対に、旧日本軍が「強制連行」で女性を「慰安婦」にした事実を裏付ける資料・証言も数多く存在する。占領下のインドネシアで1944年に起きたオランダ人女性35人に対する強制連行・強制売春事件を裁いた、オランダ軍のバタビア臨時軍法会議資料、及びこの事件のオランダ政府調査報告書は、その典型だろう。
第一、2007年4月の、「強制性に関する政府の基本的立場は、当該談話のとおりである」という「重い」はずの閣議決定は、どうなったのか。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」(河野談話)という事実をそれこそ改めて閣議決定したのなら、今さら「強制連行」がどうのこうのと言い出す必要性はない。
それでも、安倍は2012年12月の総選挙後に再び総理の座につく。そして、また一期目のパターンを性懲りもなく繰り返す。「慰安婦」問題で「持論」を述べ、米国などから反発を受けたり、国会で厳しく批判されるとすぐ引っ込めるというパターンだ。最初の威勢の良さは、『産経』の2012年12月31日付に掲載された「日本は今、多くの国から侮られている」というタイトルのインタビュー記事で示されている。
そこで安倍は、「慰安婦」問題について「平成5年の河野洋平官房長官談話は官房長官談話であり、閣議決定していない談話だ。19年3月には前回の安倍政権が慰安婦問題について『政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった』との答弁書を閣議決定している。この内容も加味して内閣の方針は官房長官が外に対して示していくことになる」と述べている。
いまさら「閣議決定していない」と言われても、それがどうしたという話だが、2007年4月の閣議決定があるなら、いったい何を「加味」することになるのか。しかも、性懲りもなく河野談話の「修正」の意図を公言した後、外国から例によってまた批判され、警戒の目で見られると、いつものように腰砕けになった。
まず、『ニューヨーク・タイムズ』が2013年1月2日付で、「日本の歴史を否定するさらなる試み」(Another Attempt to Deny
Japan’s History)というタイトルで、安倍を「朝鮮半島や他の地域の女性を性奴隷としたことを含む第二次世界大戦中の侵略に対する謝罪を修正しようとしているようだ」と批判。「過去の犯罪を否定し、謝罪を弱めようとしているいかなる試みも、野蛮な戦時中の支配下で惨禍を被った中国やフィリピン、韓国の怒りを買うだろう」と警告している。
さらに、『日経』は1月6日付朝刊で、「オバマ米政権が日本政府に対し、旧日本軍の従軍慰安婦の強制連行を事実上認めた『河野談話』など過去の歴史認識の見直しに関して慎重な対応を求めていたことが分かった。見直しは韓国や中国など近隣諸国と日本の関係の深刻な悪化につながりかねず、オバマ政権が重視するアジア太平洋地域の安定などにも悪影響を与えるとみているためだ」と、ワシントンにおける安倍への懸念を報道。
また、同記事は「米側は昨年末、複数の日本政府高官にこうした意向を伝えた。オバマ政権高官は日本経済新聞の取材に『特に“河野談話”を見直すことになれば米政府として何らかの具体的な対応をせざるをえない』と述べ、正式な懸念を示す声明の発出などの可能性に言及。談話の見直しの動きを強くけん制した格好だ」と伝えている。
1月13日には、シドニーで開かれた日本・オーストラリア外相共同記者会見で、ボブ・カー外相は「慰安婦」問題について触れ、この問題は「近代史で最も暗い出来事の一つ」とした上で、「河野談話の再検討は誰の利益にもならない」と安倍を牽制。
続いて米ニューヨーク州上院議会は1月29日、日本軍「慰安婦」は犯罪であり、第2次世界大戦当時20万人の女性が慰安婦として強制動員されたという事実を確認し、前年6月に建てられたニューヨーク州内の「慰安婦」碑は、「慰安婦」の苦痛を象徴し、人間性に反する犯罪行為を想起させる象徴となったとする内容の決議を採択した。
こうした一連の動きは、それまで河野談話見直しを含む好き放題の発言を繰り返してきた安倍に対するプレッシャーとして働く。少なくとも以降、急速に河野談話の「見直し」という課題は現実性を失い、結局安倍はまたも白旗を掲げる結果になる。そうした安倍の迷走ぶりを追及したのが、2月7日の衆議院予算委員会における民主党の前原誠治議員の質問であった。
前原 先般、一月三十一日の衆議院の本会議で、共産党の志位委員長の質問に対して答えられた安倍総理の答弁、非常に奇異に感じました。
どういうものであったかということでありますけれども、志位委員長が、河野談話、従軍慰安婦に関する質問をされたわけでありますけれども、それに対して安倍総理は、いわゆる河野談話は当時の官房長官によって表明されたものであり、総理である私からこれ以上申し上げることは差し控え、官房長官による対応が適当であると考えます。むちゃくちゃおかしい答弁なんですよ。
つまり、誰が談話を出したかということで、官房長官が談話を出したわけであって、菅さんがこの問題に対してずっと関心を持たれていたという記憶は全くありません。菅さんのいろいろな議事録を読ませていただいたって、官房長官がこの問題に関心を持っておられたということはない。総理である安倍総理が、御自身が、このことはまさにみずからの政治信念としてやってこられた問題ではないですか。
したがって、このことを聞かれたら、談話を出したのは官房長官だから官房長官に答えさせるということではなくて、御自身が答えられることが当たり前のことではないですか。
安倍 いわゆる河野官房長官談話でありますが、この官房長官談話は閣議決定されたものではなく、当時の河野官房長官が、官房長官の談話として出されたものであります。
この談話については、とかく、日本と韓国の外交問題に発展をしていくことにつながっていくわけであります。そこで、私としては、また政府としては、この問題についていたずらに外交問題、政治問題にするべきではない、こう考えております。
その観点から、官房長官の談話でありますので、安倍政権においては菅官房長官がこの問題についてはお話をさせていただく、お答えをするということを決めたところであります。
前原 今までの総理の発言をちょっと御紹介しましょうか。今の答弁は国民に対して全く説得力のないものだということがわかると思います。ある意味では、これは政治家安倍晋三という方がライフワークで取り組んできているテーマなんですよ。
平成9年5月27日、総理を二回やられているお方が決算委員会の分科会でこのことをやられている。一年生のときだと思います。主張は一貫しているんですよ、今まで、総理のおっしゃっていることについては。それは申し上げます。
例えば、この5月27日の決算委員会の分科会でいうと、いわゆる従軍慰安婦の強制性について質問されているんですね。
河野談話の前提となっているものが、いわゆる16人の慰安婦の方々の聞き取りになっている、あるいはほかの方々の証言になっているけれども、そのほかの方々の証言がうそであった、でっち上げであったということをまさにおっしゃった上で、この河野談話はそういったものを前提としているので見直すべきだということをおっしゃっているんです。そのとおりですよね、今まで総理がおっしゃってきたことは。
それで、予算委員にもおられますけれども、辻元清美代議士が質問主意書を出されている。
先ほどの河野談話というのは閣議決定されていません、おっしゃるとおり。閣議決定されていませんけれども、辻元さんの質問主意書に対する政府答弁、これは閣議決定ですね。これについては、河野官房長官談話に関連して、政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかったということを書いてあるわけです。これは閣議決定されている。
この二つをもって、後でまた聞きますけれども、政治問題化、外交問題化するとおっしゃっているのであれば、これは自己矛盾になるわけでありますけれども、総理は、一回目の総理をやめられて、そしてその後もこの問題については何度も何度も発言されているんです。
去年の5月12日、産経新聞の「単刀直言」というインタビュー。かつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ。これは総理がおっしゃっているんです。去年の5月ですよ。
これは一議員であったということを酌量したとしても、次以降は自民党の総裁選挙のときにおっしゃっている。申し上げましょうか。
去年の9月12日、自民党総裁選挙立候補表明。強制性があったという誤解を解くべく、新たな談話を出す必要があると御自身がおっしゃっている。菅さんがおっしゃっているんじゃない、御自身が総裁選挙でおっしゃっている。総裁になれば政権交代で総理になる、そういう心構えで総裁選挙に出た総理がおっしゃっている、御自身が。
そして、討論会、9月16日。河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている、安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある、孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない。総裁選挙の討論会でおっしゃっている。これは御自身の発言ですよね。
安倍 ただいま前原議員が紹介された発言は全て私の発言であります。そして、今の立場として、私は日本国の総理大臣であります。私の発言そのものが、事実とは別の観点から政治問題化、外交問題化をしていくということも当然配慮していくべきだろうと思います。それが国家を担う者の責任なんだろうと私は思います。
一方、歴史において、事実、ファクトというものがあります。ファクトについては、これはやはり学者がしっかりと検討していくものであろう、こう申し上げているわけであります。
そして、その中におきまして、例として挙げられました、辻元議員の質問主意書に対して当時の安倍内閣において閣議決定をしたものについては、裏づけとなるものはなかったということであります。いわば強制連行の裏づけとなるものはなかった。でも、残念ながら、この閣議決定をしたこと自体を多くの方々は御存じないんだろう、このように思います。
ですから、そのことも踏まえて、いわば歴史家がこれを踏まえてどう判断をしていくかということは、私は必要なことではないだろうか、こう思うわけであります。
しかし、それを総理大臣である私自身がこれ以上踏み込んでいくことは、外交問題、政治問題に発展をしていくだろう。だからこそ、官房長官が、もう既に記者会見等で述べておりますが、歴史家、専門家等の話を聞いてみよう、こういうことであります。私は、これが常識的なとるべき道であろう、このように考えております。
前原 幾つかおかしな点がありますね。総理は、一度総理をやられた方なんですよ。総理をやった重みの中で、自分の御発言というものがどういう外交問題、政治問題化するということはわかられた上で総理をやられたんでしょう。そういう意味においては、総理をやられた方というのは、安倍さん、一度やられた方が言っている言葉というのは、今の答弁では通用しませんよ。だって、あなたは総理をやられたんだから。
そして、この間の総裁選挙で、まさに、自分が総理になって、日本国の総理大臣に再びなるんだという思いの中で発言をされていることなんですよ。発言をして、総理になったら、総理になったから外交問題、政治問題になるからやめますというのは、自己矛盾じゃないですか。そうじゃないですか。
しかも、言ってみれば、この発言というものが外交問題、政治問題化するということをみずから認めているようなものじゃないですか。一回総理をやって重みを知っている方が、総裁選挙でこのことについて言及して、ここまで言っているんですよ、孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかないということを総裁選挙のときにおっしゃっているんですよ。それで総理になったんじゃないですか。総理になったら政治問題化、外交問題化する、そんなことをわからずに、あなたは総裁選挙のときに発言したということになりますよ。
安倍 大分私の意図をねじ曲げて御発言をされているんだと思いますよ。整理をいたしますと、まずは、さきの第一次安倍内閣のときにおいて、質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまりそれは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります。
しかし、それまでは、そうだったと言われていたわけですよ。そうだったと言われていたものを、それを示す証拠はなかったということを、安倍内閣においてこれは明らかにしたんです。しかし、それはなかなか、多くの人たちはその認識を共有していませんね。
ただ、もちろん、私が言おうとしていることは、20世紀というのは多くの女性が人権を侵害された時代でありました。日本においてもそうだったと思いますよ。21世紀はそういう時代にしないという決意を持って、我々は今政治の場にいるわけであります。女性の人権がしっかりと守られる世紀にしていきたい、これは不動の信念で前に進んでいきたいと思っています。
そのことはまず申し上げなければいけないし、そしてまた、慰安婦の方々が非常に苦しい状況に置かれていたことも事実であります。心からそういう方々に対してお見舞いを申し上げたいと思う、この気持ちにおいては歴代の内閣と変わりはない。しかし、今の事実については、そうではない、それを証明するものはなかったということをはっきりと示したわけであります。
そして、私がずっと言い続けてきたことは、これは違うという事実があるのであれば、それはある程度アカデミックな世界においてもちゃんと議論をしてもらいたいということであります。
しかし、今、私が総理大臣として正面からこの問題について、先ほど申し上げましたような言いぶりになることによって、結果として外交問題になっていくんですよ。ずっとそうだったじゃないですか。それはとるべき道ではなくて、これは私は何もやらないとかそういうことではなくて、官房長官において、安倍内閣の官房長官ですよ、安倍内閣の官房長官において、どう対応していくかということについて検討していくということ。官房長官が勝手にやるわけではないですから、私のもとで官房長官が対応していく。これは総理大臣の口から発信するべきことではなくて官房長官から発信すべきものだという仕分けを、この安倍政権においては行ったということであります。
前原 ねじ曲げていないんですよ。先ほどから申し上げているように、総理の主張はずっと一貫しているんですよ、このことについては。
つまりは、河野談話の前提となったものについての、その強制性、広義、狭義の議論がありましたけれども、狭義のという意味においては、それは証拠がなかったと。そして、辻元議員の質問主意書にお答えになって、そういう軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接、記述は見当たらなかったと閣議決定したんだ、だから、総裁選挙のときにも、みずからが、そういう事実を知らない方が多いから新たな談話を出す必要があるんだということの中でこの議論になっているんでしょう。
だから、そのことを私は、その前提で談話をつくる、先ほど少し違った答弁をされました。安倍内閣の考え方として、いわゆる談話を出すのは菅さんであって、安倍総理の、安倍内閣の考え方を踏まえたものなんだ、その前提は、今まで主張されたように、今までの河野談話、そして辻元議員に対する閣議決定、これを踏まえたものということで、あとは学者に議論してくれという前提でいいんですね。(略)確認します。河野談話プラス閣議決定というものを踏まえた談話ということを指示されているということでいいですね。それを、学識経験者も踏まえて、新たな談話をということでいいですね。
安倍 それが談話という形がいいのかどうかということも含めて、まずは学識経験者の方々からいろいろなお話を伺わなければならないということです。
つまり、河野談話がありました。そして、この河野談話に対して安倍政権のときの閣議決定がありました。これをあわせたものとしてどう考えていくかということについて、有識者の方々のまずはお話を伺っていくということになっていきます。
前原 先ほど申し上げましたように、繰り返しになりますけれども、自民党総裁選挙で、政権交代がかなり確実視されている総裁選挙でおっしゃっていることについてですから、そこは、もし確信犯で信念を持ってやってこられたのであれば、堂々と私は答弁されるべきだと思いますよ。そのことだけ申し上げておきます。
しかし、よくもこれだけ極度に説得力が乏しい逃げ口上を次々に思いつくものだ。「信念」などなく、外圧があるとすぐ白旗を揚げる一方で、妄言を繰り返しているだけの人物だからこそ、逃げ口上は不可欠となるのだろう。だが、「談話は当時の官房長官によって表明されたもの」だから「官房長官による対応が適当」だの、「総理大臣として踏み込んでいくこと外交問題、政治問題に発展をしていく」から「歴史家、専門家等の話を聞いてみよう」だのといった言い訳が、まがりなりにも議会制民主主義を制度化したどの国で通用するだろうか。
河野談話とは官房長官の一存ではなく、当時の内閣全体の責任で発表した以上、それは外交上の公約に等しい。それを「受け継ぐ」と言明した以上、河野談話をめぐる諸問題は当然内閣の最高責任者である首相の責務に帰するのだ。だからこそ安倍は、2007年3月の河野談話についての閣議決定を、自分の手柄のように吹聴できているのではないのか。
しかも、安倍がそれほど「外交問題、政治問題に発展」するのを忌避したいのであれば、なぜ韓国側の反発が容易に予測可能な2007年3月の無意味な閣議決定に手を染め、それを二期目になっても吹聴するのか。
2015年1月29日の衆院予算員会で、安倍は米国教科書の「慰安婦」記述について、「がくぜんとした」だの「訂正すべきことは訂正すべきだと発言してこなかった結果、米国でこのような教科書が使われている」などと発言。教科書を発行した米マグロウヒル・エデュケーション社に外務省を使って是正するよう抗議させているが、これこそ「外交問題、政治問題に発展」させる行為ではなかったのではなかったか。
その前年の10月には、日本自身が賛成した1996年採択の「日本軍性奴隷制度報告書」(クマラスワミ報告)に関し、『朝日』が吉田「証言」を「修正」したという理由にもならない理由で、安倍はあろうことか外務省に報告作成者のクマラスワミ弁護士本人へ「修正」を要求させたが、同じようにこれによって「外交問題、政治問題に発展」させたのではなかったのか。
一事が万事この調子で、信憑性や合理性、真実性、誠実さがすべて極度に乏しい安倍の公的発言についていちいち指摘するのも空しくなるが、「女性が人権を侵害された」などということだけは軽々しく口にしない方がいい。「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけ」、「従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」という「官房長官」の談話に対し、「国を貶め」るだの、「極めて卑劣」だのと陰口をたたいたのが安倍ではないか。当の安倍にそんなことをしたり顔で言われたら、戦時中に人権を侵害された当の女性たちがどれほどいたたまれない気持ちになるか、想像するのは困難ではないからだ。
7 「追い風」の中で
安倍は、「安倍政権においては菅官房長官がこの問題についてはお話をさせていただく」どころか、自身の「ライフワーク」である河野談話の毀損、あるいは見直しの意図を第二期目のスタートから隠してはいなかった。前述の2012年末の『産経』でのインタビューでは、早々と「専門家の意見などを聞き、官房長官レベルで検討したい」と述べ、事実上、何らかの形で無傷にしてはおかないと宣言している。無論、繰り返すように本気で見直すほどの度胸はないから、二期目では迂回的な手段を選択した。すなわち、「検証」である。
前述の前原議員による質問の際、安倍の腹心の官房長官である菅義偉は、「前回の安倍内閣でこの問題について閣議決定をした。そうした経緯も踏まえて、内外の有識者だとか歴史学者、そうした人たちが今研究をしているわけでありますから、これは当然、学術的観点からもさらなる検討を重ねていく必要があるだろう、これが今の私たち安倍内閣の立場であります」と述べている。
菅は、安倍が会長の「創生『日本』」副会長、安倍が特別顧問の「日本会議国会議員懇談会」副会長、安倍が事務局長をしていた旧「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が改名した「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーであり、同じ極右議員として、安倍と「慰安婦」問題の認識は同一と見なしていい。こうした安倍や菅が称する「検証」が、最初から「学術的観点」に留まるはずもなかった。
2014年6月20日、安倍内閣は河野談話の「検証結果」と称し、「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯:河野談話作成からアジア女性基金まで」と題した「報告書」を公表した。検討委員を務めた5人のうち、「歴史学者」とみなされたのは前述の秦郁彦であり、最初から何らかの「結論ありき」と見なされた。そしてそのいかがわしさは、「報告書」の冒頭に登場する以下の記述で早くも証明されていただろう。
河野談話については2014年2月20日の衆議院予算委員会において、石原元官房副長官より、1.河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない、2.河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある、3.河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が活かされておらず非常に残念である旨の証言があった。
これだと、あたかも韓国側の事情のせいで「検証」が余儀なくされたかのような表現だが、こんな言いがかりめいた主張を振りかざして、隣国の反応がどのようなものになるのか少しは考慮する余地もなかったのか。何よりも河野談話によって「いったん決着した日韓間の過去の問題」を20年近くに渡って蒸し返し続け、韓国の被害者を侮辱し、かつ一貫して「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」(河野談話)るのを、教科書からの「慰安婦」記述削除等、妨害し続けているのは安倍と自民党(及びその片割れの公明党)だ。いったい何のいわれがあって、日本の極右勢力が策動し続けている河野談話の毀損の一環に他ならない「検証」の理由を、被害国である韓国の側に押しつけるのか。
そもそも河野談話は学術論文でなく、日韓の本来公表はされない実務者同士の外交交渉を不可避とした以上、一方的に当事国が「検証」と称して「すりあわせ」がどうのこうのと内情を公表するなどというのは、外交上、韓国側の信頼を損ねる行為だろう。
ここでは、「報告書」の内容については以下の点だけを指摘するのに留める。
1、以前から『産経』等の右派メディアが主張していた、虚偽宣伝が破綻した。特に『産経』は、河野談話が吉田「証言」を「下敷き」にしている(2014年5月21日)などというまったくのデマを口実に河野談話を攻撃してきたが、報告書では、吉田「証言」が談話の作成には何ら使われなかった事実が示されている。
2、これも『産経』の報道に見られる「談話は裏づけされていない『慰安婦』の証言を使用している」「『すりあわせ』で韓国側の意向が無理に談話に反映されている」といった虚偽宣伝が、すべて破綻した。前者については、証言の聞き取りが行われたのは談話がほぼ完成をみた後であり、後者については韓国側に対し「歴史的事実を曲げた結論を出すことはできない」と日本側が言明していた。
つまり安倍は、「藪をつついて蛇を出す」式のヘマをやらかしたといえ、逆に河野談話見直しを主張する従来から繰り返されてきた言い分を自ら、つぶした形となった。だが一方で、本人が溜飲をさげたであろう以下のような側面もあったのは否定できない。
3、「一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというものであった」という、安倍好みの河野談話の本質とは関係のない無意味な記述が盛り込まれている。
4、 本来は公表しない日韓の交渉過程に登場する「(韓国側が)金銭的な補償は求めない方針だ」という相手側の姿勢を暴露し、韓国政府をけん制する形になった。かつそうした裏事情を細かく列挙することで、「河野談話の内容が事実に基づいたというよりは外交交渉の結果であった」ような印象を与え、「談話の意義を低めようという意図」(『ハンギョレ』電子版2014年6月20日)がある程度実現した面は否定できないだろう。
だが、そもそも「報告書」では、「日韓間でこのような事前のやりとりを行ったことについては、……マスコミに一切出さないようにすべき」と日本側から提起があったと明記されている。もはや安倍がやらせたこのような「検証」とは、もはや修復できないほどの決定的な不信感と不快感を韓国側に与える結果になったのは想像に難くない。いったい隣国に対し、そうした挑発的な態度を取ることが、日本にとって何のメリットになるのか。
一方で、安倍が仕組んだ河野談話「検証」が疑いの余地なく演じた役割は、皮肉にも他ならぬ安倍自身の「卑劣」ぶりを万天下に証明したという点であったろう。つまり前出の①とは、『産経』等の右派メディアだけではなく他ならぬ安倍自身にも向けられていたにもかかわらず、その事実を指摘されると、またも不可解な言動に終始する結果となった。以下、2014年10月3日に開かれた、衆議院予算委員会における、辻元議員との「検証」をめぐるやり取りの抜粋。
辻元 総理にお伺いしたいんですが、総理はかつて、この問題、何回も国会で発言をされ、また、決算委員会でこういう発言をされているんですね。「この河野談話について、ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります、その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に載ってしまった、これは大きな問題である」
要するに、河野談話は吉田清治なる人の証言が根拠で既に崩れているけれども、官房長官談話は生きているというのは問題だというように御指摘をなさっているんです。
今回、総理みずからが調査された結果、この吉田清治なる人物の証言、河野談話に何か影響を及ぼしているわけではないということですから、この当時の総理の御認識は間違いというか、違っていたということになりますが、いかがでしょうか。
安倍 まず、そのときの発言は、私、まだ、質問通告がございませんから、わからないのでお答えをしようがございませんが、しかし、河野談話について、そこでは、強制性については事実上認めていない、こちら側は。韓国側とのやりとりの中でそうなのでありますが。河野洋平官房長官がいわば記者会見の中でそれを事実上お認めになったということであります。そして、それとの、河野官房長官談話と河野官房長官のお答えが合わさって、いわばイメージがつくり上げられているのは事実であります。
それに吉田証言がどのようにかかわっていたかはわかりませんが……(辻元議員「わかりませんというのは、何で」と呼ぶ)いや、吉田証言が河野官房長官のお答えにどのようにかかわっていたかはわかりませんが、吉田証言自体が強制連行の大きな根拠になっていたのは事実ではないか、このように思うわけであります。
辻元 もう一回申し上げますけれども、正式の国会の場で総理は、この吉田証言を根拠にしている河野談話、これは問題だという趣旨の発言をされているので、(略)ですから、関係がなかったということは、これをお取り消しになる、この認識は違っていたということかと聞いているんですよ。
これは、韓国も含めて、世界じゅう見ていますよ。はっきりおっしゃった方がいいですよ、今まで間違っていたということを。河野談話は吉田証言が根拠で崩れていると既に国会でおっしゃっているわけですよ。いかがでしょうか。(略)御自分の認識違い、今回の検証で明らかになったじゃないですか。認められたらどうですか。
安倍 私、まだその発言自体を精査はしておりません。いずれにせよ、今申し上げましたように、河野談話、プラス、いわばそのときの長官の記者会見における発言により、強制連行というイメージが世界に流布されたわけであります。
つまり、その中において、河野談話自体が、事実上、いわば強制連行を認めたものとして認識されているのは事実でありますが、文書自体はそうではない。いわば、河野談話それ自体について今回検証したわけでありますし、我々は、河野談話については継承するというふうに申し上げているところでございます。
相変わらず、安倍が「私、まだその発言自体を精査はしておりません」といった理解不能な言葉を並べながら虚言を繰り返す以上、こちらも逐次指摘せざるをえないが、「検証」対象となった河野談話が吉田「証言」と無関係であると判明した以上、返答に窮したのだろう、今度は河野官房長官の、当時の「記者会見」を持ち出した。
この「記者会見」とは、「今年6月に政府が発表した河野談話の検証報告によると、河野氏は93年8月4日の談話発表時の会見で、強制連行があったのかと記者に問われ、『そういう事実があったと。結構です』と述べていた。一方で河野氏はこの時、別の質問に『強制ということの中には、物理的な強制もあるし、精神的な強制というものもある』『ご本人の意思に反して、連れられたという事例が数多くある』などと答え、日本の植民地だった朝鮮半島などで、慰安婦が意思に反して「強制」的に集められた例があるとの認識を示していた」(『朝日』2014年10月21日付)という。
そもそも安倍が「河野談話について、そこでは、強制性については事実上認めていない」などとウソをつき、最初から共通した事実関係の認識に立とうとしない以上、何を質問してもまともな答弁を期待しようがないが、安倍が言うように「河野官房長官談話と河野官房長官のお答えが合わさって、(強制連行の)いわばイメージがつくり上げられ」たのではなく、「記者会見」での発言のみが「イメージ」に関連した問題となろう。もし「河野談話自体が、事実上、いわば強制連行を認めたものとして認識されているのは事実でありますが、文書自体はそうではない」としたら、なおのことだ。
である以上、「河野談話、プラス、いわばそのときの長官の記者会見における発言により、強制連行というイメージが世界に流布された」のなどという事実無根の話が、なぜ河野談話は吉田「証言」を「根拠」としたかのような安倍の説に対する、辻元議員の疑問への回答になるのか。
結局安倍は、無意味で不正確な発言を羅列することで時間切れに持ち込み、吉田「証言」が「河野談話に何か影響を及ぼしているわけではない」という「検証」でも実証された事実を認めることから逃亡したに等しい。だが、「検証」の後に安倍が表明せざるをえなかったのは、改めての「河野談話の継承」であった。
これでは、いったい何のための「検証」であったのか理由が判然としなくなり、しかも客観的には、長年の吉田「証言」を河野談話否定の根拠とする論法がもはや常識的に考えれば使えなくなった以上、安倍にとっては自分で自分の首を絞める結果になった面があるのは否定できまい。だが、安倍は、結果として2014年夏以降の右派メディアのすさまじい規模の大宣伝で救われる。あるいはその渦中でなされた上記答弁は、こうした大宣伝に気を良くして居直った面も濃厚であったかもしれない。
『朝日』は2014年8月5、6日付で、「慰安婦問題を考える」と題した検証記事を特集し、「吉田(清治)氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」と訂正した。これを期に、『産経』や『読売』を筆頭に、『夕刊フジ』、『週刊新潮』、『週刊文春』、『週刊ポスト』、『SAPIO』、『Will』、『正論』、『Voice』といった媒体が一団となり、戦後の言論史上、一新聞社に加えられた攻撃としては空前の規模に達し、異様なボルテージの高さで「国を貶めた」だの「反日」「売国」といった前時代的な罵声を『朝日』に浴びせた。
こうしたメディアの主張が基本的に安倍の夢想と次元を同じくしている以上、いかに虚偽に満ち、事実よりむき出しの悪意が支配していようが、流出する情報量で圧倒したことで、安倍にとっては自身の論理破綻を見えなくする絶大な援護射撃となったのは間違いない。そのような数々の記事は、「書き得」にしないためにもその悪質さの再検証がなんとしても必要だろうが、ここでは余裕はないので割愛する。それでも、共通する見当違いだけは指摘しておく。その典型が『産経』の同年8月6日付「主張」で、吉田「証言」が『朝日』も認めたように虚偽であった以上、「河野洋平官房長官談話などにおける、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹は、もはや崩れた」のだそうだ。
いったい、多くはない本文量の河野談話のどこに「慰安婦が強制連行された」などと書かれてあるのか。談話が示すように、「本人たちの意思に反して集められた」のなら「強制連行」と解釈される余地は十分あるが、右派メディアは安倍と同様、吉田「証言」がイメージするような「人さらい」の如き形態以外、そのようには解釈しない。河野談話に書かれてもいない「主張」をいくら吉田「証言」を持ち出して「崩れた」などと断定しても、書かれていない以上、「崩れ」ようがない。
しかもそのつい数ヶ月前、安倍自身がわざわざ「検証」して、最終的に河野談話が吉田「証言」と何の関連性もない事実をせっかく明らかにしてくれたのに、その労を無駄にするような真似をすべきではない。そんなことでは、安倍の御用新聞というせっかくの役割も果たせないではないか。もっとも御用新聞だから、「証言」が「虚偽」だったから談話も「崩れ」たなどとおかしな断定をするのかもしれない。そんな論法は吉田「証言」以上の虚偽であって、「崩れた」のは河野談話の「主張」ではなく、『産経』の「主張」自身だろう。
他の右派メディアも多かれ少なかれこの調子で、肝心の『朝日』は腰砕けになって言われ放題に甘んじた。それでも、『朝日』の「慰安婦」報道について検証する「第三者委員会」は2014年12月22日、「報告書」を発表したが、東京大学大学院情報環境教授の林香里委員がそれとは別個に独自発表したレポート「データから見る『慰安婦』問題の国際報道状況」は、一連の右派メディアの度が過ぎた『朝日』バッシングを、根底から覆す力を秘めていたように思える。
このレポートは、1990年以降の米・英・仏・独・韓5カ国の新聞の「慰安婦」報道を検証した前例のない緻密さが特徴の労作であるが、ここでは結語の、以下の部分だけの紹介に留める。
この国際報道調査のもっとも端的な結論は「朝日新聞による吉田証言の報道、および慰安婦報道は、国際社会に対してあまり影響がなかった」ということになるかもしれない。可能な限りの客観的データを示したつもりであるが、慰安婦問題をここまで混迷させ、国内社会及び国際社会を分断しかねない状況に追い込んでしまったのは、朝日新聞のせいだという声も、依然あるだろうと思う。
しかし、こうした慰安婦問題への朝日の報道の影響の存否をめぐる議論は、慰安婦問題の一部でしかない。調査者としては、朝日新聞の報道の影響が限定的であったという結論を出したことは、すなわち、慰安婦問題の解決に向けて、私たちが再びスタート地点に立ったことを意味するのではないかと考えている。
国民に対し、『朝日』は「国賊」であり、「国を貶めた」とあらん限りの罵声を上げて憎悪を扇動した以上、これらの右派メディアは、林教授のこのレポートに対し「客観的データ」に拠って反論する道義的責務を負う。このレポートの結語を認めるのであれば、彼らはおそらくは国民を欺くデマのプロパガンダに血道を上げるという、悪質極まる行為に手を染めた事実を認めねばならなくなるからだ。無論、そうした責務すら彼らが意識すらするはずがないのは、『産経』や『読売』を筆頭にしたこれらメディアの今日の紙(誌)面が、雄弁に示している。
だが、それ以上に指弾されるべきは、「慰安婦」問題があたかも「捏造」されたかのような右派メディアのデマに悪乗りして、それを自己正当化の手段にし始めた安倍の所業だろう。
終章 悪行の栄え
安倍は前出の辻元議員が登壇した同じ2014年10月3日の衆議院予算委員会で、自民党の「お仲間」である稲田朋美と以下のようなやり取りを交わしている。
稲田 私は、弁護士時代からこだわってきたことがあって、それは、日本の名誉を守るということであります。それは、殊さら、日本がよいことをしたとか、日本はすぐれた国であるということを言うのではなくて、いわれなき非難に対しては断固反論をするという当たり前のことを言ってきたわけであります。
ことしの八月五日、慰安婦問題について、朝日新聞が三十二年たって誤りを認め、謝罪をいたしました。これにより、慰安婦を奴隷狩りのように強制連行したという吉田清治氏の証言が虚偽であって、さらには、慰安婦と挺身隊を混同したということは誤りだったということが認められたわけであります。
(略)
しかし、現在、国際的に慰安婦問題は非常に憂慮すべき事態になっております。国連勧告やらアメリカの非難決議、そして、慰安婦の碑、慰安婦の像が建てられています。そこで何が言われているかといいますと、戦時中の日本が二十万人の若い女性を強制連行して、性奴隷にして監禁をした。さらには、あげくの果てに殺害までしたという、あたかも日本が誘拐監禁、強姦致死の犯罪集団であるという汚名を広められているわけですが、それは全くの虚偽であるということであります。この吉田証言の虚偽を根拠として、日本の名誉は地落ちていると言ってもいいと思います。
(略)
このように世界じゅうで広まっている、日本に対するいわれなき不名誉な汚名を不作為によってそのままにしておくことは、私は、将来に禍根を残すというふうに思っております。総理は、若手議員のころから、教科書から慰安婦の記載を削除して日本の名誉を回復するために尽力をされていたわけですけれども、今回の慰安婦問題をめぐる状況、そして、世界じゅうで地に落ちているこの日本の名誉を回復するために、政府としてどのように取組まれるのか、お伺いをいたします。
安倍 本来、個別の報道についてコメントすべきでないと思っておりますが、しかし、慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘をされたように、日本のイメージは大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。この誤報によってそういう状況がつくり出された、生み出されたのも事実である、このように言えますし、かつては、こうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました。
いくら「身内同士」の気軽さがあるといっても、不規則発言を連発するのは控えるべきだ。米国詣でで、「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱい」なとど神妙顔をした安倍が、今度は「多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えた」のは日本人自身だと言い出したことに、整合性を見出すのはほぼ不可能だろう。加害と被害の関係性が明白な「慰安婦」問題で、両者が共に「傷つき、悲し」むなどということはあり得ない。
安倍のこうした発言に象徴される「人間として、また総理として」の致命的な欠落部分は、あたかも自分たちこそ被害者であるかのようなふりをする言動に接したなら、「慰安婦」にされた被害者がいったいどのような思いに至るかという想像力すら微塵も持ち合わせていない点にある。彼女らの存在も眼中にないかのようなそうした言動は、戦後70年を前にして、この国のモラルハザードが究極まで進行した現実を物語っていたのではないか。
しかも、安倍の発言には、事実関係が何ら反映されていない。吉田清治著『私の戦争犯罪』が出版されたのは1983年だが、そのことによって「慰安婦」問題が社会的に大きな反響を呼んだ形跡はない。『朝日』は1992年8月以降、吉田「証言」を取り上げず、1997年3月31日付で、吉田「証言」を「真偽は確認できない」として訂正記事を出す。
『産経』の大阪社会部が『人権考-心開くとき』という本を刊行し、その中で「終わらぬ謝罪行脚」というタイトルで、「1992年(平成4年)8月、ソウル市内で開かれた集会。元従軍慰安婦、金学順さん(69)の前で、深々と頭を下げる日本人がいた。『申し訳ありませんでした……』太平洋戦争中、山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん(79)だった」云々と、吉田「証言」を肯定的に紹介した単行本を出版したのは、1994年の5月だ。二言目に『朝日』の誤報を強調する『産経』ですら97年3月になっても、「傷つき、悲しみ、苦し」んだ形跡はこれもないから、また安倍が妄想を稲田に吐き出しただけだろう。
事実関係として、国内外で「慰安婦」問題が衝撃をもたらしたのは、 1991年8月に韓国で金学順さんが元「慰安婦」として名乗り出し、同年12月に金さんを含む三人の元「慰安婦」の女性が日本政府を相手取って賠償を要求する訴訟を起こしたのがきっかけだ。
吉田「証言」はその頃には専門家から資料価値も否定されており、別に吉田「証言」によって「日本のイメージは大きく傷ついた」とか、「言われなき中傷」が世界ではびこるといった「状況がつくり出された、生み出された」というのは、断じて「事実」でも何でもない。もし、『朝日』の「この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えた」というのが、昨年8月の『朝日』の「訂正」によってだとしたら、それは「多くの人々」が右派メディアに扇動されての結果だろう。
前出の林委員の「レポート」でも、興味深い結論が示されている。
吉田証言の欧米各紙への影響を探るため、キーワード検索で「Seiji Yoshida」を検索した。その結果、調査期間全体で7回出現し、記事にして6本に引用および言及が見つかった。しかし、6本のうち、3本は、2014年8月の朝日新聞の吉田証言記事取り消しに関するものだったので、これまでの慰安婦問題のイメージ形成に関して限定するならば、3本のみ該当することになる。これらの記事のうち、目立ったものは、1992年8月8日付ニューヨーク・タイムズの吉田清治氏への単独インタビューであった。このインタビューでは、吉田氏に「強制連行」の様子を聞くとともに、後半部分では秦郁彦氏の反論、済州島での調査も併記しつつ、当時の日本の慰安婦問題の当時の全容を詳しく記述している。
つぎに、吉田証言を多く引用しているG.HicksのThe Comfort Women. Japan’s Brutal Regime of
Enforced Prostitution in the Second World Warの言及回数を調べたが、こちらも4回のみで、直接大きな影響を与えたという認定はできなかった。
他方で、欧米の慰安婦報道の一連の記事を確認していくと、「吉田清治」という名が出ておらず、Hicksの著作が引用されていない場合でも、日本軍による慰安婦の「強制連行」のイメージは繰り返し登場する。こうしたイメージは、表II-10 で見たように、朝鮮半島以外で被害に遭った慰安婦が一定の割合で引用されていることを考え合わせると、日本軍の強制性のイメージは、20年のなかで輻輳的につくられていったと考えられる。したがって、今日、欧米のメディアの中にある「慰安婦」というイメージが、朝日新聞の報道によるものか、他の情報源によるものかというメディア効果論からの実証的な追跡は、いまとなってはほぼ不可能である。
(略)
(米韓の国際関係に影響力をもつ専門家である)彼女/彼らの言葉によると、米国の場合、
吉田清治氏による強制連行の話は、日本のイメージにほとんど影響ないとする一方、慰安婦問題は一定の悪影響を与えているとする意見が多く見られた。つまり、彼女/彼らが「慰安婦問題が日本のイメージを傷つける」というとき、吉田清治氏に代表される「強制連行」のイメージが響いているのではなく、日本の保守政治家や有識者たちがこの「強制性」の中身にこだわったり、河野談話について疑義を呈するような行動をとったりすることのほうが、日本のイメージ低下につながると話している
もう、事実は明らかだ。吉田「証言」、及び『朝日』のそれについての報道で、「日本のイメージは大きく傷ついた」という安倍の断定は、何の事実の裏付けもない。それどころか「大きく傷ついた」としたなら、皮肉にもその原因は他ならぬ安倍や稲田、菅のような「日本の保守政治家や有識者たちがこの「強制性」の中身にこだわったり、河野談話について疑義を呈するような行動をとったりする」ことの影響が、はるかに大であるということだ。
では、「かつて1人の男の作り話が、これほど日本の国際イメージを損ない、隣国との関係を悪化させたことがあっただろうか。朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治のことだ。吉田の虚言を朝日新聞などメディアが無批判に内外で拡散し、国際社会で『性奴隷の国、日本』という誤った認識が定着していった」(『産経』2014年9月8日付)などという、それこそ文字通りの完全な「作り話」が、なぜここまで肥大化したのだろうか。
それは、別に『朝日』のせいでも何でもない。安倍や極右議員が事実関係を無視し、吉田「証言」で河野談話を葬り、あるいは貶めることができると勝手に思い違いして、事あるごとに吉田「証言」を不正確に取り上げ、『産経』ら右派メディアがそれを援護射撃したからだ。
例えば、1985年から1992年までの国会で、「吉田」証言を取り上げた発言は3回あるが、いずれも好意的評価をしている。だが『朝日』が1997年3月31日付で吉田「証言」の訂正記事を出すと、途端に安倍を先頭にしてそれを取り上げる自民党や民主党の「慰安婦」問題否定論者が急増。2007年までにその数は13回にのぼっている(以上の指摘は、ブログ「誰かの妄想・はてな版」の記事「1992年以降に吉田証言に現給油しているのは否認論者ばかりなんですけどね」に依る。URL
その結果、『朝日』が2014年8月に吉田「証言」の「訂正」記事を出した結果、「吉田『証言』の誤報」という一点だけで、「慰安婦」問題は最初から真摯に検討するには値せず、問題自体が「捏造」の類いであって、国家責任が問われるどころか、それを主張するのは言いがかりに等しいかのように見なす思考・態度が全肯定されるかのような雰囲気が拡散された。これが、安倍への追い風になったのは言うまでもない。
気を良くした安倍は、さらに妄想をたくましくした放言を重ねていく。中でも噴飯物であったのは、2014年9月14日に放映されたNHKの番組で、「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にしたという、そういう記事だった。世界中でそれを事実だと思って、非難するいろんな碑が出来ているのも事実だ」(『朝日』2014年9月15日)と発言したという。
ところが、米ュージャージー州のパリセイズ・パークで初めて「慰安婦」の碑が建てられたのは、吉田著『私の戦争犯罪』が出版されてから実に27年もたった目の2010年10月だ。当然だろう。最初から米国を始め各国では吉田「証言」などほとんど知られておらず、安倍流の吉田「証言」=「強制連行」=「人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にした」という妄想とは縁がないからだ。
しかも碑の建立は日本への「非難」というよりも、人権侵害の歴史を忘却せぬためという意味が大きい。「慰安婦」がらみの数々の問題を、安易にすべて吉田「証言」と『朝日』のせいにするのは、安倍のような夢想癖にはうってつけだろうが。
ただ、「朝日新聞が取り消した証言について、事実として報道された事によって(日韓の)2国間関係に大きな影響を与えたわけです」(『産経』2014年8月9日)というくだりは、いくら妄想であっても笑い話ですみはしないだろう。まったくの虚偽であるどころか、安倍が自身の責任を厚顔にも『朝日』にすり替えているからだ。「事実」は、他ならぬ『朝日』2014年8月28日付の次の記事の方が、はるかに正確に伝えている。
韓国では,長く続いた軍事独裁政権が終わり,社会の民主化が進んだ1990年代にはいって,慰安婦問題に光があたり始めた。その大きな転機となったのは,1990年1月に尹 貞玉(ユン・ジョンオク)梨花女子大教授(当時)が日本や東南アジアを訪ね,韓国紙ハンギョレ新聞に連載した「挺身隊『怨念の足跡』取材記」だった。
同年6月,参院予算委員会で当時の社会党議員が,慰安婦問題を調査するよう政府に質問したのに対し,旧労働省の局長が「民間業者が軍とともに連れて歩いている状況のようで,実態を調査することはできかねる」と述べ,韓国で強い批判の声が上がった。この答弁に反発した金 学順さんが翌1991年8月,初めて実名で「慰安婦だった」と認めると,その後,つぎつぎに元慰安婦が名乗り出始めた。
これを受けて,韓国政府は1992年2月から元慰安婦の申告を受け付け,聞きとり調査に着手した。また,支援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」も1993年2月,約40人の元慰安婦のなかから信憑性が高いとみた19人の聞きとりを編んだ証言集を刊行した。女性たちは集められ方にかかわらず,戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ,暴力や爆撃におびえ,性病,不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語った。
現役の韓国政府関係者によると,朝日新聞の特集記事が出たのち,吉田氏はなんと証言したのかとの問い合わせが韓国人記者から寄せられるなど,証言そのものは韓国では一般的にしられているとはいえないという。
1980年代半ばから1990年代前半にかけて,韓国外交当局で日韓関係を担当した元外交官は「韓国政府が慰安婦問題の強制性の最大の根拠としてきたのは元慰安婦の生の証言であり,それはいまも変わっていない。吉田氏の証言が問題の本質ではありえない」と話す。
寡聞にして、安倍がこれと異なる事実関係を提示し、吉田「証言」が対韓関係に「多大きな影響を与えた」という主張を立証した例を、右派メディアの記事も含めてお目にかかったことがない。前述の林委員の分析によっても、吉田「証言」の「影響」が対韓関係に与えた影響はほぼ皆無と見なしうる。
逆に「多大な(悪)影響を与えた」のは、韓国側も是とした河野談話を攻撃し続け、「広義の強制」だの「狭義の強制」だのと言辞を弄して被害者を怒らせ、「検証」と称して本来外交上の秘匿事項にすべき「慰安婦」問題の協議事項を一方的に公表し、挙げ句の果てに「傷ついた」のはあろうことか日本人であるかのように居直った安倍ではないか。だからこそ今に至るまで、韓国とのまともな首脳会談すら実現していないのだ。
愚かにも安倍は、2014年9月14日に放映されたMHKの番組で、「朝日新聞が世界に向かってしっかりと(吉田「証言」を)取り消す努力が求められている」と述べたという。だが、『朝日』」がいくら「しっかりと」「努力」しようがしまいが、隣国を含め「世界」は吉田「証言」など最初からほとんど知らず、問題にもしていない。ましてや「慰安婦」問題の認識形成上、参考とされるべき重要な対象とされた形跡も乏しい。むしろ「取り消す努力が求められている」のは、その数多さから困難は予測されようが、安倍自身の膨大な妄言の数々だろう。
だが、一連のかくも厚かましく、デマそのものの妄言が、白昼堂々、公共放送によって格別の抗議も疑念の提示も見られないまま国民の間に伝播している様は、『朝日』攻撃が始まった2014年8月以降の、この国の理性の究極的な崩壊状況を見事に象徴していよう。なおかつそうした現実は、この瞬間にあっても好転した兆しをいささかも見せてはいない。(終)
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成澤宗男(なるさわ・むねお)
1953年、新潟県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。政党機関紙記者を務めた後、パリでジャーナリスト活動。帰国後、衆議院議員政策担当秘書などを経て、現在、週刊金曜日編集部員。著書に、『オバマの危険』『9・11の謎』『続9・11の謎』(いずれも金曜日刊)等。
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