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Wednesday, August 24, 2016

長崎原爆朝鮮人被爆者追悼早朝集会メッセージ:高實康稔 Remembering Korean Victims of Atomic Bombs: Yasunori Takazane's Speech in Nagasaki

今年も「原爆投下」を記憶する広島と長崎の日が終わった。 今年は思うところがあって市の公式の式典には行かなかった。日本を戦争に導こうとする好戦的政治家が「核廃絶」などと心にもないことを述べる場にいるのは虫唾が走る。何より今年は、この10年、朝鮮人被爆者を無視・軽視する式典に平気で出られていた自分を恥じる機会があった。今年は、日本人として、朝鮮人被爆を招いた日本の植民支配と侵略戦争に対し謝罪と反省の気持ちをこめて、朝鮮人被爆を記憶する場所で8月6日の午前8時15分と8月9日の午前11時2分を迎えることにした。8月6日の朝は、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前にいたら、朝日新聞の記者に取材を受け、なぜそこにいるのかと聞かれたので上記のような思いのたけを伝えた。記者は熱心に話を聞いていたが結局記事になることはなかった。8月9日は毎年長崎の朝鮮人被爆者追悼碑の前で行われている「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼 早朝集会」に出た。「黙祷」のかわりに「沈黙」という言葉を使うなど、宗教色を排した進行に感銘を受けた。今年もこの集会で「メッセージ」を述べた高實康稔氏のスピーチテクストを、許可をもらって転載する。@PeacePhilosophy

 
 長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ 

 米軍がこの長崎の街にブルトニューム原子爆弾を投下したあの日から七一年目の朝を迎えました。私たちは朝鮮人原爆犠牲者に思いを馳せて追悼碑の前に集っています。どれほど無念であったことでしょう。この追悼碑は牧師で市議会議員でもあった岡正治先生の尽力によって一九七九年八月九日に建立されましたが、「無論、このささやかな追悼碑の建設によって、かつて日本帝国主義が、朝鮮を武力で威嚇し植民地化し、その民族を強制連行し、これを虐待酷使し、強制労働に従事させ、遂にはあの悲惨な原爆死に至らしめた戦争責任は決して消滅するものではない」、「さらにこの地上から核兵器が絶滅されるように積極的に行動する決意を新たにするものである」と述べられた建立式式辞をあらためて思い起こします。以来三七年、日本の戦争責任を追及するとともに核兵器の廃絶を願った岡先生のこの思いはどれほど達成されたでしょうか。

 九死に一生を得て帰国した韓国・朝鮮人被爆者の援護にしても、日本政府は国内被爆者との平等な待遇を拒み続け、在韓被爆者の積年の裁判闘争によって、不完全ながら被爆者援護法の適用が実現したのは二〇〇三年のことでしたし、医療費の平等支給が最高裁判決によって実現したのは戦後七〇年を過ぎた昨年九月のことでした。しかも朝鮮民主主義人民共和国の被爆者は未だに何の援護も受けられず完全に見捨てられています。加えて、被爆者健康手帳の取得に証人もしくは証拠資料を求め続け、本人の証言がどれほど信憑性が高くても、手帳の交付申請を却下する事例が跡を絶ちません。韓国の政府機関である強制動員被害調査委員会が動員と原爆被爆を認定していても何ら考慮されません。時の壁のみならず、日本の戦争責任という朝鮮人被爆者の歴史的背景を無視した暴挙といわざるを得ません。因みに申請者の証言数例が長崎在日朝鮮人の人権を守る会発行の『原爆と朝鮮人』第7集にあります。

 非人道的な兵器として核兵器の廃絶を訴える国際世論は高まりつつありますが、核兵器保有国の反対のみならず、日本政府もこの国際世論に背を向けて米国の核の傘に依存し、核先制不使用宣言の検討にさえ異議を唱えました。被爆国日本に対する内外の批判と失望はもとより避けられません。本年五月二七日、米国のオバマ大統領が広島を訪問して長文の所感を表明しましたが、原爆投下に対する謝罪はなく、「核兵器のない世界を目指す勇気」を表明したのみで具体的な対策が示されなかったことは衆目の一致するところです。「落胆した」という率直な感想が内外の被爆者から寄せられました。また、オバマ大統領は日本人被爆者と会い抱擁しましたが、そこには韓国人被爆者の姿はありませんでした。「現地を訪問した韓国人被爆者たちは、オバマ大統領が『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』を訪問しなかったことについて、残念な気持ちを隠せなかった」とハンキョレ新聞は速報で伝えるとともに、「韓国人被爆者に言及したのは不幸中の幸い」としつつも、「今日のオバマ大統領の訪問式典に韓国人被爆者は一人も入れなかった。今朝、あまりにも悔しいので広島市長に電話して、なぜ入れてくれないのかと抗議した」という広島での被爆者の声を報じています。「韓国人被爆者が一人も入れなかった」のは、広島市長の独断ではなく日本政府が「入れさせなかった」からに違いありません。韓国原爆被害者協会がオバマ大統領に「慰霊碑への献花」を事前に要請していただけに、日本政府はこれをも阻止した疑いがあります。韓国政府も同様の要望を「外交チャンネルを通じて米国政府側に伝えた」(同紙)とのことですが、韓国からの要請の有無にかかわらず、三万人もの朝鮮人が広島原爆の犠牲となったそもそもの原因を思えば、安倍首相こそはオバマ大統領と共に「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に赴いて謝罪すべきであったと確信します。それは一昨年八月に長崎を訪問したオリバー・ストーン監督が、「米国の原爆投下の失敗は無差別大量虐殺の国際法違反というだけではなく、日本国民に被害者意識を植えつけ、加害国日本を被害国に変貌させたことにある」と語ったことを彷彿とさせるからです。さらには、ノーベル平和賞を受賞したパグウオッシュ会議のジョゼフ・ロートブラット会長(当時)が長崎での講演(一九九五年夏)で、「マンハッタン計画は当初からソビエトが敵であり、ソビエトを打ち負かすために始められたものだということを最高責任者グローヴズ将軍から直接聞いた」、「従って、広島・長崎の破壊は第二次世界戦争の終結というよりも、冷戦の始まりを意味する」と語ったことからも明らかなように、原爆投下の目的が当初から対ソ戦略の一環であったことをオバマ大統領が知らないはずはないからです。

 以上の見地に立って、私はつぎのとおり、日本政府に要求します。

一、被爆者健康手帳の申請には最大限本人の証言を重視して対応すること

一、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者に被爆者援護法適用の道を開くこと

一、安全保障関連法を廃止し、憲法九条を厳守すること

一、日朝ピョンヤン宣言に基づき、朝鮮民主主義人民共和国と国交を正常化すること

   最後になりましたが、早朝にもかかわらず、多数ご参集くださいましたことに厚く御礼を申し上げます。

  二〇一六年八月九日 


長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表 髙實康稔


2016年8月9日 早朝集会

朝鮮人原爆犠牲者追悼碑の裏面の文言。

朝鮮人原爆犠牲者追悼碑横の説明版。

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