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Wednesday, July 05, 2017

7月7日、盧溝橋事件80周年を記憶する Remembering July 7, 1937 -- Marco Polo Bridge Incident and Japan's War Against China

7月7日。「七夕の日」であること以外には日本人の頭をスルーしてしまう日なのかもしれない。今年のその日は、日本の中国への侵略戦争が全面戦争かするきっかけとなった「盧溝橋事件」の80周年です。この日を記憶し、もう二度と戦争は行わないとの誓いを新たにするための「日中戦争開始80年 国会前市民集会」が7月7、8日に開催されます。主催は植松青児さんら「日中戦争80年市民フォーラム」です。以下ポスターを見てください。東京新聞にも報道されました。「レイバーネットTV第122号 : あなたは7・7を知っています?〜日中戦争80年を考える」も観てください。


「七夕」も元をただせば大陸から来たものです。豊かな文化を日本に与えた大陸を見下し牙をむいた日本。奪い、殺し、焼き尽くした。私たち日本人はアジア隣国に向き合う姿勢をいまだに誤っていないでしょうか?このブログに昨年の今ごろ「私にとっての中国 日本にとっての中国」を投稿してくれた長野県の有機農業家、小林はるよさんに、「7月7日」にむけて文を寄せてもらいました。小林さんが引用する、子どもたちが中国にいる日本兵に向けて書いた慰問文の例はショッキングなものであり、目をそむけたくなるような差別の言葉です。これが当時の日本人の姿勢を映し出した子どもの姿だったのだということを心に刻まなければいけません。そして、今現在も、多くの日本人がこの戦争の罪を学びもせずに当時と同じような侮蔑心や敵愾心を隣国の人たちに向けています。戦争に進む道を心の中から止めなければいけません。@PeacePhilosophy

日本にとっての中国 私にとっての中国(2)7月7日に寄せて

小林はるよ

 ハルピン近郊に実家のある中国人を家族(息子の伴侶)に持つ私にとっては、日本の毎日のマスコミ報道は読むのも聞くのもつらい。針の筵の上にいるようです。悪魔化という言葉がありますが、悪魔は日本の文化の中には存在しませんから、悪役化。中国が日本の報道の中で、不動にしてトップの悪役だからです。日本の首相が諸外国を歴訪する目的はつねに、「中国牽制」「中国封じ込め」。日本の反政府デモは何万人集まっても無視するのに、香港の反政府デモはカラー写真付き、大見出しで声援。中国内で種々起きる事故報道には「それ見たことか」と言わんばかりの熱がこもる。中国における「人権活動家」への「弾圧」報道は、怒りを込めて正義感いっぱい。その活動家は、アメリカ人の多くがすでにそう思っていないという「人権大国」アメリカに保護されて亡命というのだから笑ってしまいます。きわめつけは、いかに日本人が中国人を嫌いかという世論調査結果の報道。そんな調査をすること自体、不作法で非礼なことという意識はまるでない。

 歴史をふりかえれば、悪役はまさに逆です。日本では、日中開戦は7月7日の盧溝橋事件がきっかけとされることが多く、私も学校でそう習ったおぼろな記憶がありますが、そうされたことについては、開戦の時期を遅くみせるためという意図もあったのではないでしょうか。そもそも、日本軍はなぜ盧溝橋にいたのかという話なのですが、「事件」のずっと以前から、中国はヨーロッパの「列強」とその先兵になった日本に、領土を奪われ、軍を送り込まれ、疲弊しつつ、抵抗し戦い続けていたのです。悪役、加害者は日本のほうでした。マスコミの悪役報道がつらいのは、その悪意が私の家族に向けられている気がする恐ろしさのためばかりではありません。加害者が被害者を侮蔑したり嘲笑したりする、そのことがとても忌まわしく恥ずかしいのです。そして私は加害者側の一員として、そうした侮蔑や嘲笑を被害者側に知られたくない、知らせたくないのです。

 「戦時中」に子どもたちが日本軍兵士宛に書いた慰問文を調査する活動をしている方々がおられます。それらの原文は戦地に送られたのでしょうが、時報という地域発行の印刷物の中に、「戦意発揚」のために掲載されました。子どもたちの文が、破棄されずに残った理由の1つは、それがアメリカと戦う兵士宛でなく、そのほとんどが中国にいた兵士に宛てたものだったからでしょう。仮に「鬼畜米英をやっつけてください」と書いたものがあったとしたら、日本のことですから、アメリカに命じられなくても廃棄してしまっていたかもしれません。戦後にも、中国へ向けられたヘイトスピーチなど、廃棄する必要は、感じられなかったのです。

 日本人には、1945年の「敗戦」はアメリカへの降伏であり、アメリカとの戦争に「力負け」したためのものと思っている人が多いようです。じっさい、戦後にものごころついた私も、長いあいだそう思っていました。戦後の反戦論や反戦感情は、アメリカと開戦に至ったのは、「あれは、まずかった」判断ミス、避けるべきであったし、避けられたはずというニュアンスを帯びていた気がします。けれども、1945年の「敗戦」に至る日本の戦争は、時間的にもじっさいの戦場という意味においても、中国相手のものであったこと、真の敵が中国であったこと、真の目的が中国征服であったことを、子どもたちの慰問文が語っています。

 そのほとんどが中国にいた日本兵に宛てられた子どもたちの慰問文は、日本の中国侵略の時間の長さ、抵抗の激しさを示し、同時に子どもたちの中国と中国人に対する敵対意識と侮蔑感情を正直に語っています。侵略する側は、侵略を合理化するために、侵略される側の非を捏造し、侮辱するのです。そのうちの3例だけここに記します。
 「支那の国は、自分の土地で戦ひをされて首府までとられてしまっても、まだわが国にあやまらなず、がまんづよいといえばそうだが、言ひ替えれば本当に馬鹿なのだと思ひます。」(昭和13年) 
 「大きくなったら、ひこうきにのるへいたいになって、しなの兵隊がうんといるところにいってばくだんをおとして、おくにのためにはたらきます。」(昭和14年)
 「兵隊さんにあのにくらしいチャンコロの兵隊を負かしてください。」(昭和14年)

-上田小県近現代史研究会ブックレット No.23 
「『時報』にみる子どもたちと戦争」(桂木惠 著、2015年)より

 子どもが、ここまで残酷な、今で言うヘイトスピーチを書くことについて、子どもが進んで、自発的に書くだろうか、強制されたのではないかと思う人もいるようです。けれども子どもは明白にであれ、暗黙のうちにであれ、こう書けば大人に褒められる、こう書くことを大人に求められていると感じて書いたにすぎません。子どもは、身近な大人、少し大きくなれば共同体の中の大人の価値観や判断基準を理解し、それらとの同一化を志向しながら成長するのです。子どもは大人の鏡、ある年齢以下の子どもの全ての言動についての責任は、大人にあります。ですから、慰問文に表れた中国と中国人への敵愾心、蔑視等々は、私も含めた日本社会の大人の成員全体のものです。

 今日、中国悪役化は、敗戦以前のように、兵士への慰問文に書かれたように、悪意剥き出しにではなく、中立的、客観的な、より洗練された装いをとって、さりげなく進行し、浸透しています。それにしても日本はいつまで、隣国を敵視したり、蔑視したり、無視したりを続けるつもりでしょう。そんなことに、いったいどんな「得」があるのでしょう。

こばやし・はるよ
岡山県出身。無農薬栽培「丘の上農園」経営。「言葉が遅い」問題の相談・指導に携わってきた。長野県在住。

過去の小林さんの投稿
私にとっての中国 日本にとっての中国
終戦記念日に寄せて―被害者であるまえに加害者だった―

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