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Thursday, September 07, 2017

【ボツ原稿掲載】バンクーバー「原爆展」における広島長崎の旅についての講演の記録 【Censored Text】My Talk on the Hiroshima/Nagasaki Study Tour during the Vancouver A-bomb Exhibit (August 5, 2017)

8月5,6日バンクーバー9条の会が行った「原爆展」の報告記事をフリーランスライター、三島直美さんが書き、『バンクーバー新報』8月31日号に掲載されました。この原爆展の一環として5日に乗松聡子、6日に落合栄一郎さんによる講演が行われました。三島さんの報告記事では二人の講演を共にレポートしてくれていましたが、発行直前になって、私の講演の記事のみが不掲載と決定されました。

今回、三島さんがこのブログにそのボツ原稿を提供してくださいましたので、ここに紹介します(私の講演の記事だけを単体で出しても背景がわかるように三島さんは導入部分などに付け加えてくれました)。この原稿がなぜ不採用になったのか、バンクーバー新報が提示した理由は「今回は『原爆』にフォーカスをあてた記事を掲載するという方針にもとづ」くから落合さんの講演のみ(このリンクの10ページ目で見られます)掲載したということでした。しかし、この記事を読めばわかるように、私の講演は、最初から最後まで「原爆」についてでした。ちなみに落合さんの講演は「原発」を扱った部分も多く、全てが「原爆」についてではありませんでした(もちろんだからこそ素晴らしい講演だったのですが!)。理由になってませんね。

それではボツになった本当の理由は何だったのでしょうか。みなさん、考えながら読んでくださいね。 乗松聡子

2010年度の広島長崎学習の旅より。8月4日、原爆ドームをバックの集合写真。


日米学生の広島・長崎訪問ツアーを引率して

乗松聡子さん講演

三島直美

バンクーバーでは毎年夏に「パウエル祭」が開催される。日本の文化や伝統を紹介する日系コミュニティのお祭りで、すでに40年以上続いている。

ここで毎年「原爆展」(バンクーバー9条の会主催)が開かれている。会場はバンクーバー日本語学校並びに日系人会館。この地で100年以上の長い歴史を持つ日本語学校で、戦後唯一日系コミュニティに返還された建物でもある。

同展は、2006年にブリティッシュ・コロンビア大学で開催された世界平和フォーラムに参加した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がフォーラム終了後、関連資料を9条の会に寄贈したことから始まった。
今年は偶然にも8月5日、6日にパウエル祭が開催された。そして5日にピース・フィロソフィ・センター代表・乗松聡子さんが講演。例年は広島・長崎訪問ツアーに同行しているため、この原爆展に参加するのは実は今回が初めてと自己紹介で笑った。

講演中の8月5日午後4時15分に、広島は8月6日午前8時15分を迎えた。オンライン生中継で広島平和記念式典とつなぎ、バンクーバーでも黙とうを捧げた。

以下、講演内容を要約する。

 ツアーは、京都の立命館大学とアメリカ・ワシントンDCのアメリカン大学が協力して行われている。参加者は日米の学生。出身地は日本、アメリカ、中国、韓国、フィリピンなどで、2都市への訪問を通して原爆について学ぶ。乗松さんは約10日間のこのツアーの通訳兼引率を2007年から担当している。

 この訪問ツアーは1995年に始まった。当時アメリカン大学の学生だった直野章子さん(現広島市立大学広島平和研究所教授)が、同大学ピーター・カズニック教授と立命館大学経済学部藤岡惇教授に前年から働きかけて生まれた旅だ。95年はちょうど、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館で原爆投下50年を記念して開催される予定だった原爆展が物議を呼び、中止された年でもあった。これを受けて直野さん、カズニック教授などの尽力により、アメリカン大学で7月に原爆展を開催。この2大学の広島長崎学習の旅は以降、1997年を除いて毎年行われている。
 乗松さんは、それぞれの国で戦争や原爆について違う教育を受けた学生たちとのツアーは興味深いと話す。アメリカの多くの学生は、原爆は第2次世界大戦を終了させるため必要だったと教わる。日本の学生は、原爆投下と被害にあった被爆者たちの苦しみを学ぶ。一方、韓国の学生は日本の朝鮮植民地化の歴史に詳しく、中国の学生は日本の中国侵略についてよく知っている。
 教育背景によって学生の戦争の捉え方が異なるため、ツアーではまず「あの戦争とは何だったのか」を捉え直すことから始めると紹介した。目的は原爆を学ぶこと、そしてそれぞれの歴史観をお互いに学ぶ機会にすること。そのためできるだけ多くの被爆者体験談を聞く機会を設けている。

印象に残った体験談

 11年間通訳として引率し、多くの体験談を聞く機会があったがその中で印象に残っている話を紹介した。
 一人は近藤紘子(こうこ)さん。生後8カ月で被爆。爆心地から1.1キロ地点にいたが母親と共に奇跡的に助かる経験を持つ。父は、原爆乙女の渡米治療を支援した谷本清牧師。彼女は10歳の時にアメリカTV番組「This is Your Life」に家族と共に出演。そこで原爆を投下したエノラゲイ副操縦士ロバート・ルイスさんと対面する。子どもながらに、爆弾を落とした人間は悪い奴で、会ったらパンチしたり蹴ったりしてやろうと思っていたが、実際に会うと本人も後悔しトラウマに苦しんでいることを知り、和解と許しを学んだという。近藤さんは2012年1月にバンクーバーを訪問し講演した。

 2011年には漫画「はだしのゲン」原作者、中沢啓治さんの話を聞く貴重な機会を得た。漫画の内容は本人6歳の体験談が基になっている。中沢さんは原爆で、父、姉、弟を亡くしている。助けを求める子供たちを迫る火の手から逃げるため救うことができなかった母親の話に胸を打たれた。あとで本人に「いままで自分の通訳をしてあそこまで泣いた人は初めてだ」と言われたと笑った。中沢さんは日本の植民地支配や侵略戦争に向き合った数少ない被爆者でもあったと紹介した。父から受け継いだ反戦の意思を最後まで貫き2012年に他界した。

 2013年にはアメリカ人映画監督オリバー・ストーンさんが広島・長崎を訪れ同行した。ベトナム戦争を題材にした3部作などで知られるアカデミー賞受賞監督の2都市初訪問。アメリカン大学のカズニック教授と親交があり訪問が実現した。彼のお気に入りは、長崎の「岡まさはる記念長崎平和資料館」と紹介した。

 長崎の被爆者では谷口稜曄(すみてる)さんに毎年話を聞いていた。被爆者の写真を見たことがある人なら必ず一度は目にする、焼けただれた背中をむき出しにしてうつぶせで寝ている少年、その本人。奇跡的に一命を取りとめた。それでも2年間は寝たきりの状態が続いた。明日自分は死ぬのではないかという不安がその頃常にあったという。毎年話を聞いていた谷口さんが昨年は参加できなかったと心配していた。そんな谷口さんの願いは、「自分が生きているうちに原爆が地球上からなくなること」。それは全ての被爆者の願いでもある。(谷口さんは今年8月30日(日本時間)ガンのため亡くなった。88歳だった。)

 2016年5月、アメリカのバラク・オバマ大統領が現職アメリカ大統領として初めて広島を訪問した。乗松さんも広島を訪問し現地の雰囲気を感じ取った。大統領の訪問は概ね好意的に取られていたが、謝罪を求める声や被爆者との対話が少なかったなど批判する声もあった。オバマ大統領は2009年「核なき世界」の実現を提唱してノーベル平和賞を受賞した。ただ「自分が生きている間に実現するのは難しい」の言葉は被爆者を失望させた。

 乗松さんが関わってきた2大学による広島・長崎訪問ツアーは、「残念ながら今年が最後」になるという。しかし、カズニック教授が「何らかの形で続行することを計画している。興味がある人はカナダからでも参加できるので連絡してほしい」と語った。

乗松聡子さんプロフィール
ピース・フィロソフィ・センター代表。バンクーバー9条の会ディレクター。著書に『沖縄の怒‐日米への抵抗‐』ガバン・マコーマック共著など

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