沖縄出身の日中関係の専門家である、泉川友樹さん(沖縄大学地域研究所特別研究員)が5月3日に東京で開催された「あらたな戦前にさせない! 守ろう平和といのちとくらし 2023憲法大集会」でスピーチした原稿を Facebook にアップしていて、その内容に深く感銘を受けました。泉川さんの許可をもらってここに転載します。
日本と中国はこのような悲惨な歴史を乗り越え、1972年9月29日に「日中共同声明」を発出し、戦争状態の終結を宣言しました。声明で日本は戦争を反省し、中国は友好のために戦争賠償の請求を放棄すると明記されました。そして、中国の内戦により分断状態にあった台湾については「台湾は中華人民共和国の不可分の領土の一部である」との中華人民共和国の表明を日本は十分理解し尊重することになりました。台湾を巡る問題を考える時、私たちは自身が起こした侵略戦争の処理として中国と交わしたこの重い重い約束を決して忘れてはいけません。
胸に刻まなければいけない泉川さんの言葉です。また、琉球人の泉川さんからの、「国防上の負担を沖縄に過度に背負わせていることに対する主権者としての責任を自覚し、それぞれの方法で改善に向け努力していくべき」という言葉も一日本人として重く受け止めます。
「あらたな戦前にさせない! 守ろう平和といのちとくらし 2023憲法大集会」でスピーチする泉川さん |
皆さんこんにちは、泉川と申します。私は憲法が定める主権者の一人として、また「日本国籍を持つ琉球人」の一人として、沖縄が過度に背負わされている日本全体の問題について、私の専門である日中関係も交えながらお話しさせていただきます。
昨年は沖縄の「復帰」50周年でした。50年前、沖縄の人々は憲法が適用され、米軍基地が縮小されることに大いに期待しました。しかし残念ながら現状はご存じの通りです。
私の実体験をお話しします。1995年、沖縄で少女が米海兵隊と海軍の兵士にレイプされました。沖縄県民の怒りが爆発し、85000人が参加したといわれている大規模な抗議集会が開かれました。当時私は高校生で学校を休んで参加しました。今は亡き母が「うちなーんちゅ(沖縄人)なら行ってこい!」といったのを私は今でも忘れることができません。その後、普天間基地の返還が決まりましたが、1ミリたりとも動いていません。その普天間基地の隣に私の母校があります。2004年、米軍の輸送ヘリが大学の事務棟に墜落しました。私は留学を終えて戻って来たばかりで、その日は母校にあいさつに行こうとしていました。もう少し行くのが早かったら、私は今ここでスピーチすることはできなかったかもしれません。
現在でもこうした状況は変わっておらず、むしろ悪化しているとさえいえます。問題を解決しない政府・政権を生み出しているのは主権者である私たち一人一人です。国防上の負担を沖縄に過度に背負わせていることに対する主権者としての責任を自覚し、それぞれの方法で改善に向け努力していくべきだと考えます。
さて、この現状を政府や一部政党が正当化する根源は「中国脅威論」です。私たちは中国とどのように向き合うべきなのでしょうか?
沖縄が「復帰」した1972年は日中国交正常化の年でもありました。1931年9月18日に瀋陽で発生した満州事変は中国との戦争の発端となり、1937年7月7日に北京で起きた盧溝橋事件で日中は全面衝突に至りました。12月13日には南京大虐殺がありました。日本と中国はこのような悲惨な歴史を乗り越え、1972年9月29日に「日中共同声明」を発出し、戦争状態の終結を宣言しました。声明で日本は戦争を反省し、中国は友好のために戦争賠償の請求を放棄すると明記されました。そして、中国の内戦により分断状態にあった台湾については「台湾は中華人民共和国の不可分の領土の一部である」との中華人民共和国の表明を日本は十分理解し尊重することになりました。台湾を巡る問題を考える時、私たちは自身が起こした侵略戦争の処理として中国と交わしたこの重い重い約束を決して忘れてはいけません。
今年は日中共同声明の成果を深めた「日中平和友好条約」が締結・批准されて45周年です。憲法第98条2項は条約の遵守を定めており、日中平和友好条約には内閣のみならず国家全体を拘束する効力があります。したがって「台湾有事は日本有事」などと国会議員が無責任に発言するのは「専守防衛」からも許されませんが、それ以上に「日中平和友好条約」の精神にも反しています。私たちは煽られるのではなく、これまでの中国との外交を踏まえた上で、台湾を巡る問題が平和的に解決されるように促していくべきです。軍事介入を示唆して緊張を高めるべきではないと考えます。
昨今は関係の緊張ばかりがクローズアップされていますが、日本と中国は国交正常化以降、平和共存の道を歩み大きな成果をあげてきました。2022年の日中貿易総額は43兆円であり、政府が5年で増額するとしている防衛予算に匹敵する額を日中両国は1年でやりとりしています。このような現実を無視した勇ましい空論は有害であり、不要です。
もちろん、両国には意見の相違もあります。しかし、例えば尖閣諸島を巡る問題では2014年11月に「4項目合意」を発表し、考え方の違いを認識しつつ不測の事態の発生を回避することで一致しています。現在、尖閣周辺海域が緊張しているように見えるのは排外主義団体や地元議員が日中両国の外交努力を無視し、尖閣領海で「実力」を行使して中国海警局の侵入を誘発しているからですが、政府間では今年4月に防衛当局間のホットラインが開設されるなど、危機管理の仕組みが作られています。
このように、日本と中国はこれまで外交によって関係を発展させ、対立をコントロールしてきました。今後もこのような対応を図り、外交を後押しして防衛当局の暴走を止めるべきです。沖縄県議会は3月30日に政府に対し中国と対話と外交によって平和的に問題解決を図ることを求める意見書を可決しました。こうした取り組みが他の自治体でも行われることが「中国脅威論」を奇貨として軍拡を進める政府・政権への私たちの回答になる、と私は考えます。
最後に私の夢をお話しします。冒頭でも述べた通り、私は琉球人です。1879年の琉球処分までは日本の外に確かに存在していた「琉球國」は、「万国津梁(ばんこくしんりょう)」、すなわち全ての国をつなぐ架け橋となることによって平和と繁栄を確保してきました。私はその先人の遺産を受け継ぎたいと考えています。
冷戦の終結が宣言された場所はワシントンでもモスクワでもなく、地中海に浮かぶマルタ島でした。沖縄は新冷戦を終結させる「東洋のマルタ島」になるべきではないでしょうか? 日米中の首脳が沖縄で固い握手を交わす、そんな日を夢見て私はこれからも努力していきます。それが憲法前文にある「平和を希求する国際社会において名誉ある地位を占める」ことになると信じます。
ご清聴ありがとうございました!
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