Saturday, July 12, 2025

『朝鮮新報』より転載-ふたつのセトラー・コロニアリズム Settler Colonialism of Israel, and Canada: Repost from Choson Shinbo

第二次世界大戦終結から80年のこの年、「やられた側から戦争を記憶する」というテーマで、日本はもちろん、中国東北部、フィリピンや、沖縄、香港の旅をしていました。5月後半以降、旅ばかりが続き、ピースフィロソフィーのサイト更新ができていませんでした。旅の合間に、過去2回(25年4月と、6月)の『朝鮮新報』連載記事を2本、転載します。

イスラエルによるジェノサイドは今も続いています。それも食料配給所に集まった人たちを狙い撃ちするという卑劣な方法で。殺されたジャーナリスト、ホッサム・シャバットさんのアカウントは今も仲間たちの手で、ガザの子どもたちが殺され続けている残酷な状況を発信し続けています。https://x.com/HossamShabat 

カナダもイスラエルと同様、セトラー・コロニアリズムの国です。2つめの記事は、「タートル・アイランド」で起こり続けている先住民族女性殺害失踪 Missing and Murdered Indigenous Women and Girls についてです。


〈私のノート 太平洋から東海へ 3〉

パレスチナ人ジャーナリスト殺害 明けない夜はない

乗松聡子

2025年04月01日 

原文リンク→https://chosonsinbo.com/jp/2025/04/31sk-13/

ガザでまたジャーナリストが殺されました。3月24日、カタールのTV 局「アル・ジャジーラ」のレポーター、ホッサム・シャバットさんが乗っている車をイスラエル軍が銃撃し、23歳の若さで命を奪われました。シャバットさんはガザ北部に残って取材を続けた数少ないジャーナリストの一人でした。死後、シャバットさんの「最後のメッセージ」が、仲間によって、17万人のフォロアーがいるかれのXに投稿されました。


ホッサム・シャバットさんを悼むパレスチナのジャーナリストたち(ホッサムさんのXより

 

「あなたがこれを読んでいるということは、私は殺されたということです。おそらくイスラエル占領軍に標的にされたうえで。これが始まったとき私はたったの21歳でした。他のみなと同じように夢に満ちた大学生でした。過去18ヵ月間、私の生活のすべてを私の民族に捧げてきました。闇に葬り去られようとしている真実を世界に伝える決意で、北ガザの惨状を刻一刻と記録しました。道ばたでも、学校でも、テントでも、寝られるところならどこでも寝ました。毎日が生き延びるための闘いでした。何ヵ月も空腹の日々でしたが、民族のもとを離れることは決してしませんでした。私は神にかけて、ジャーナリストとしての務めを果たしました。真実を伝えるためならどんなリスクも厭うことはしませんでした。そして今、私はやっと休息を得ています。18ヵ月の間知らなかった休息です。パレスチナの大義を信じていたからこそやってきました。この土地は私たちのものです。この土地を守り、民族に仕えた上で死ぬことは人生で最高の栄誉でした。お願いです。ガザについて語ることをやめないでください。世界がそっぽを向くのを許さないでください。闘い続け、私たちの物語を語り続けてください。パレスチナが自由を得る日まで。最後に、ホッサム・サバット、北ガザより」

同日には朝日新聞通信員も務めていたムハンマド・マンスールさんもハン・ユニスの自宅で殺されました。これで、23年10月7日のハマス蜂起以来イスラエルによって殺されたジャーナリストは208人となりました。

シャバットさんは殺害される3日前の3月21日、「終わったと思って、ようやく休めると思ったのに、ジェノサイドが再び本格化して、また私は最前線に戻った」と投稿していました。イスラエルとハマスはトランプ次期大統領の働きかけもあって、1月19日に6週間の停戦を開始しました。「停戦」は、シャバットさんが「休めると思った」と言ったように、ガザにしばしの希望を与えました。しかしイスラエルは「停戦」中もガザの民間人殺戮を継続し、支援物資搬入を阻止するという戦争犯罪を重ね、同時に西岸地区への攻撃を激化させました。

イスラエル軍のガザからの撤退などを含む停戦第二段階への移行を妨害したのは明らかにイスラエルであるのに西側メディアは「ハマスが停戦拒否した」かのような印象操作をしました。3月18日、イスラエルは本格的な攻撃を再開、この日だけで400人のパレスチナ人(うち200人近くは子ども)を殺しました。イスラエルは米国の支援がなければパレスチナ占領も攻撃もできません。トランプ大統領がこれを許したのです。シャバットさんの最後のレポートはこの大虐殺についてでした。

いま、「ジェノサイド」がバイデンからトランプにバトンタッチされたことは動かぬ事実となりました。これを「民主主義」を標榜する米国および西側諸国が止めようとせず、逆に国内でジェノサイドを批判する者を「反ユダヤ主義」とレッテルを貼り、デモを禁止したり、声を上げる人を標的に拘束・逮捕したりといった表現の自由の否定が行われています。多数の例から一つ挙げると、3月26日にタフツ大学のトルコ出身の博士課程学生ルメイサ・オズトゥルクさんが自宅の外で、覆面をした私服のICE(米国移民関税執行局)職員に取り囲まれ拉致され、ルイジアナのICEの施設で抑留されています。米国は、ICJ(国際刑事裁判所)でイスラエルを訴えた南アフリカのエブラヒム・ラスール大使も追放しました。しかし大使はケープタウン空港で市民による熱い歓迎を受け、「私はこの“ペルソナ・ノン・グラータ”(好ましからざる人物)という烙印を、誇りのバッジとして身につける」と語りました。アパルトヘイトと闘い、何度も拘束や自宅軟禁されたことのあるラスール氏は、明けないかに見える夜の長さを知っていると同時に、明けない夜はないことも知っているでしょう。

シャバットさんが、「ジャーナリストになりたい!」と目をキラキラさせて語るパレスチナの女の子を励ます動画が拡散されています。民族と正義に殉じたシャバットさんと無数のパレスチナ人の遺志を胸に刻み、「夜明け」に向かって行動し続けたいと思っています。


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〈私のノート 太平洋から東海へ 4〉

タートルアイランドに暮らして

乗松聡子

2025年06月29日

原文リンク→https://chosonsinbo.com/jp/2025/06/28-sk/

カナダの内陸部マニトバ州のウィニペグ市の埋め立て処分場では現在、3年も前に殺害された女性たちの遺体捜索が行われています。2022年の春、白人至上主義の男が、マルセデス・マイランさん(26歳)ら先住民族の女性4人に次々と性暴力を加え殺し、ごみとして捨てました。事件が発覚してからも州警察は埋め立て地の捜索をしようとせず、「先住民族の命を軽んじている」との批判の声が高まりました。23年10月の選挙で新たに州首相となった先住民族のワブ・キニュー氏のリーダーシップの下、24年末にようやく遺体捜索が始まりました。マイランさんら2人の遺体ともう1人の遺体の一部はすでに見つかっており、まだ見つかっていない1人を引き続き捜索中です。

先住民族女性失踪殺害を記憶する日「レッド・ドレス・デー」の集会(5月5日)で、被害者の写真を掲げる先住民族の女性たち

これはカナダでは決して珍しい事件ではなく、もう何十年も社会問題となっている「先住民族女性失踪殺害」がいまだに起こっているケースです。先住民族、とくに女性は失踪しても殺害されても警察はなかなか動きません。それどころか先住民族は、警察自体から性暴力を受けたり、警察との接触の中で命を奪われたりする事件も多発しています。カナダは、英仏など欧州人が、先住民族の土地を奪って作ったセトラーコロニアル(入植植民地主義)国家です。もうすぐ建国158年になりますが、先住民族はいまだに社会のあらゆる側面で制度的・構造的差別を受けています。

私が80年代にカナダに高校留学したとき、エバンという、先住民族のクラスメートがいました。かれの父親が小さいとき、寄宿学校に連れていかれそうになったけれど母親、つまりエバンの祖母が、父親を隠して行かせなかったと話してくれました。これは、19~20世紀にかけて、カナダ政府とキリスト教会が運営した強制同化施設「インディアン・レジデンシャル・スクール」のことでした。エバンの父親はその時は幸運でしたが、ほとんどの場合は強制力が強く、警察が拉致同然に連行したり、拒むと保護者が逮捕されたりしました。

全国に139校あった寄宿学校に約15万人の先住民族の子どもたちが送られ、民族の言葉も習慣も誇りも奪われ、聖職者による性暴力や虐待が横行しました。6千人かそれ以上が命を落としたと言われています。先住民族自身による長年の闘いの末、2007年に和解協定が結ばれ、08年に当時のハーパー首相は国会で、先住民族の代表者たちを前に謝罪しました。しかしサバイバーやその子孫に深刻なトラウマを残し、依存症や貧困などの社会問題としていまだに深い傷跡が残っています。

私は97年に大学院留学でカナダに戻り、その後、永住資格を取って暮らし始めてからこの歴史を学びました。自分も、盗まれた先住民族の土地の上に住む植民者なのだという自覚を持つようになりました。私の住む家は、住所はバンクーバー市ですが、スコーミッシュ、マスキアム、ツレイ・ワウトゥスという先住民族の伝統的領域の上にあるのです。さらに、この3民族を含む何十もの民族が属する言語文化集団が「コースト・セイリッシュ」と呼ばれ、その領域はカナダのブリティッシュコロンビア州南部と、米国のワシントン州北西部まで広がっています。

昨今末、次期米国大統領に決まっていたドナルド・トランプ氏が当時のジャスティン・トルドー首相に向かって「カナダを51番目の州にする」と言って大騒ぎになりました。就任後もカナダ製品に高関税をかける政策でカナダ人の怒りを買い、米国製品をボイコットするカナダ人が続出しました。

トランプ大統領は、北緯49度線の国境を「昔、誰かが人工的に引いた意味のない線」と言いましたが、これはある意味では正しいのです。1846年、当時勢力争いをしていた米英が、先住民族に相談することもなく、ロッキー山脈以西を49度線で分割する条約を結びました。この線はコースト・セイリッシュの領域の真ん中を突っ切り、多くのネイションが分断されました。自分の家の中に、ある日突然線を引かれ自由な往来も許されなくなったようなものです。その後、英国の植民地だったブリティッシュコロンビアもカナダ連邦に加わり、この線は米加国境として引き継がれました。

今、愛国心が高まっているカナダ人も、49度線国境自体が帝国主義の産物であるということを、忘れてはいけないと思います。亀の形に似ている北米は「タートルアイランド」と呼ばれ、先住民族から見たら一つの島なのです。私はこの地で暮らしながら、カナダの植民地主義に向き合わねばと思うようになりました。と同時に、出身国の日本を外から見て、日本の植民地主義やマイノリティー差別にこそ取り組まなければいけないと思うようになりました。それぞれ人生の半分ずつを過ごした二つの地への、私のコミットメントです。


プロフィール

ジャーナリスト。東京・武蔵野市出身。高2,高3をカナダ・ビクトリア市の国際学校で学び、日本の侵略戦争の歴史を初めて知る。97年カナダに移住、05年「バンクーバー9条の会」の創立に加わり、06年「ピース・フィロソフィー・センター(peacephilosophy.com)」設立。英語誌「アジア太平洋ジャーナル」エディター。2人の子と、3匹の猫の母。著書に『沖縄は孤立していない』(金曜日、18年)など。19年朝鮮民主主義人民共和国を初訪問。世界の脱植民地化の動きと共にありたいと思っている。

(本連載は、反帝国主義、脱植民地主義の視座から日本や朝鮮半島をめぐる諸問題や国際情勢に切り込むエッセーです)

以上、『朝鮮新報』より。

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