Wednesday, December 12, 2012

軍事攻撃されると原発はどうなるか: 藤岡惇 Japanese Nuclear Reactors as Possible Target of Military Attack: Fujioka Atsushi

(12月14日、著者による数か所訂正後再投稿しました。)     
@PeacePhilosophy より
ずっと多忙でひと月近くブログ更新ができませんでした。これからも頻度は少なくとも高質な記事を掲載していきたく思いますのでよろしくお願いします。

今回は立命館大学経済学部教授の藤岡惇氏による重要寄稿です(リンク歓迎、転載希望の場合はinfo@peacephilosophy.com へ連絡を)。昨今の日本には核兵器保持も辞さないといった好戦的政治家が台頭してきていますが、皮肉なことに日本はテロ攻撃にもろい原子炉と使用済み燃料プールで列島を取り囲んでしまっています。沖縄・伊江島の土地闘争における非暴力抵抗でガンジーにもたとえられる故・阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)氏は「武器を持つものは武器にて滅ぶ 核を持つ者は核にて滅ぶ」と言いました。日本はまず国中の原子炉と使用済み燃料という核テロの大被害を被る危険性を除去する方法を考えなければいけないのではないでしょうか。核武装などと言ってマッチョに息巻いている人たちには、核保有国であろうがなかろうが誰にでも日本に核攻撃ができてしまう状況をどうするのですかと聞きたいですね。
 
 
軍事攻撃されると原発はどうなるか
 
藤岡 惇
 

 
ゆっくりと爆発する原爆=原発 
 
19458月に広島に投下された一発の原爆のばあい、積んでいたウラン23510-15%にあたる800グラムが核分裂しただけであったが、それだけで広島市を壊滅させ、年末までに14万人の命を奪うなど、すさまじい破壊力を発揮した。
標準的な原子炉のばあい、毎日3キログラムのウランを「ゆっくりと核爆発」させ、その熱で大量の水を沸騰させ、蒸気圧の力で巨大なタービンを回し、毎時100万キロワットの電力を生み出す。標準的原子炉は、一日につき4発の広島型原爆に相当する核物質を燃やして、電気エネルギーに変えてきたのだ。
1基の標準的な原子炉は、どれだけの核分裂生成物(死の灰)を生み出すのか。補修や点検があるため、年間9か月しか動かさないと仮定すると、このタイプの原子炉を1年間動かせば、広島型原爆を1千発、10年間動かせば1万発、20年間動かせば2万発を爆発させたに等しい「死の灰」が出てくるだろう。
20101月現在、世界で稼働中の原子炉は437基だったが、そのうち54基が日本国内で動いていた。日本の原子炉の平均発電容量は89.3万キロワット、平均の稼働期間は20年を超えているのだから、広島型原爆100万発以上を爆発させたに等しい量の「死の灰」(放射能の減衰までに数百年かかるものも多い)が、日本で生み出されてきたことになる。
原子力発電(原発)とは、「ゆっくりと爆発する原爆」にほかならないのだが、原子力という暴龍を飼いならすことは可能だという言説が大量にふりまかれた。その結果、「魔法のランプ」内に暴龍を閉じ込め、闇を照らすランプの電源として、安全かつ安価に利用できると、国民の多くは信じ込まされてきたわけだ。


「福一」で何が起こったのか
 
2011311日から15日の間に、168発の広島型原爆が爆発したのと同量のセシウム137が福島第一原発(福一)の1-4号炉の格納容器の外にまき散らされた。いくつかの幸運に恵まれたおかげで、福一の敷地外の大気や海に放出された放射性物質は、まだ貯蔵量の1%以下に留まっているようだ。
原子炉には2つの「アキレス腱」があることを福一の核惨事が明白にした。第一の「アキレス腱」とは、原子炉の冷却水を循環させてきた「外部電源装置」であり、ここが破壊され、全電源が断たれると、数時間後には核燃料の溶解が始まり、炉心溶融にいたることが明らかになった。
いま一つの「アキレス腱」は、原子炉格納容器の外側に置かれている各原子炉付属の6つの使用済み核燃料プールと1つの共用プールだ。原子炉の本体は、圧力容器と格納容器という強固なコンクリート壁で2重に守られているので、自然災害であれ、軍事攻撃であれ、相当に強い力が働かないかぎり原子炉本体を破壊するのは容易ではないだろう。しかし外部電源装置も7つの核燃料プールも、ともに圧力容器・格納容器の外側にあるため、軍事攻撃は難しくない。
米国の専門家たちが深刻に危惧したように、使用ずみ核燃料プールがとくに弱い部分だろう。共用プールを除くと、他のプールは建屋の上部に位置しているため、燃料プールの底に穴が開くと、核燃料棒を冷やす水が抜け落ち、核燃料棒の溶融が始まり、水素爆発などを誘発するだろう。
福一には201210月現在、12,729本の核燃料棒(うち使用済燃料10,921本、新燃料496本、5-6号炉に装填中が1312本)が貯蔵されている。4号炉の核燃料プールには、福一で貯蔵している核燃料棒総数の12.0%にあたる1533本の燃料棒が冷却貯蔵され、そこにはチェルノブイリの原発事故で放出された量の10倍に達するセシウム137が含まれている。セシウム137というのは半減期30年、福島の汚染レベルを左右する重要な放射性物質だ。その他の放射性物質も加えると、広島型原爆5000発分に相当する莫大な量の放射性物質が4号機の核燃料プールに蓄えられている。
加えて、4号炉の西50メートルの建物内には、縦29メートル、横12メートル、深さ11メートルの「使用済み核燃料の共用プール」(199710月に竣工)がある。収容上限は6840本であるが、すでに6377本が貯蔵されているなど、満杯に近い。4号炉の燃料プールに保管されている核燃料の4.2倍、1-3号炉と5-6号炉の燃料プールに保管されている核燃料棒4819本の1.3倍の燃料棒がここに貯蔵されている。福一に保管されている核燃料棒総数の半分(50.1%)がここに集まっているのだ。1)
「魔法のランプ」のガラスは宣伝されたほどには強靭ではなく、誤動作や天変地異があれば壊れてしまうということを、チェルノブイリに続いてフクシマの核惨事が証明した。 
加えて「魔法のランプ」には、「アキレスの踵」があること、この踵を攻撃すれば、ランプは簡単に壊れてしまうことをフクシマははじめて明らかにした。「ランプの簡単な壊し方」がついに発見され、世界中の軍事集団が知ることになったわけだ。

 
原発が軍事反撃の絶好の標的となるのはなぜか 

 911日事件を口実にして、ブッシュ2代目政権は、反テロ地球戦争を戦うための「米軍再編」を実施した。冷戦期の遺産である宇宙利用技術、情報のネットワーク技術、精密誘導技術を活用して、新型の戦争システムを編み出そうとした。そのシステムは、「宇宙ベースのネットワーク中心型戦争」と呼ばれた。
その結果、米国の保有する軍用機の3割余は無人機となり、米本土の安全な空軍基地内から操縦され、軍事衛星編隊によって精密誘導された無人飛翔体がアフガン・パキスタンの地上の標的にたいして、ミサイルを放ってきた。オバマ政権発足以来、非戦闘地域での無人機攻撃は240件以上発生し、「テロ組織関係者」とされる2千人以上が、裁判もなしに突然、命を奪われてきた。多数の無実の市民や子どもたちが巻き添えになったこともあり、攻撃された地域や国の民衆と政府の怒りを買ってきた。2)
米国にかんする限り、宇宙の軍事利用は「宇宙の殺人利用」という新段階に入った。このような「宇宙ベースのネットワーク中心型戦争」のシステムを円滑に動かすためには、「盾」と「矛」、防衛兵器と攻撃兵器の双方が必要だ。「盾」の中軸が「ミサイル防衛」システム。「ミサイル防衛」と称してはいるが、実体は敵ミサイルを攻撃・撃墜する「ミサイル攻撃」兵器にほかならない。
「矛」の役割を担う攻撃兵器のグレードアップ戦略の中軸になりそうなのが、「無人宇宙戦闘機」の開発(たとえばX-37B)だ。「無人の宇宙戦闘機」とは耳慣れぬ用語だが、撃墜されないように進路や速度を自由に操れ、地上20キロ(航空機の航行上限)から100キロ(人工衛星の軌道の下限)までの空間(成層圏・中間圏)、さらには宇宙圏まで航行でき、世界のどの地点へも30分以内で到達できるという次世代ミサイルのこと。3「矛盾」という熟語の語源になった古代中国の武器商人と同様に、新型の「矛」と「盾」とを同時に開発し、不安を煽って、同盟諸国に売り込もうとする「矛盾の商戦」が後に控えている。
ところで新型戦争システムを構築する上で、「弱い環」があることも浮かび上がってきた。宇宙衛星編隊、サイバー空間、それに核施設の3つがそれだ。4なかでも新型戦争システムの現下の最大の弱点は、核施設、とくに原発だというのが、衆目の一致する認識となっている。米軍に抵抗する側にすれば、核施設の狙い撃ちこそが、もっとも容易で有効な反撃策だと考えるだろう。新型戦争に米国が注力すればするほど、米国とその同盟国の核施設を狙うことで、反撃しようとする動きが強まることは避けられない。
 
 
軍事攻撃を受けると原子炉は破壊される――中東の経験 
 
イラクのサダム・フセイン政権は、バクダット郊外のアル・ツワイサ核施設に、フランスから輸入したオシラク原子炉を設置し、プルトニウムの濃縮を行おうとしていたのであるが、198167日にイスラエル空軍機によって破壊される事件がおこった。米国製のF14戦闘機8機が2つの編隊を組み、アラブ諸国のレーダーに捕捉されないように、地上30メートルの低空を時速670キロの速度で1100キロを飛行し、オタシク原子炉を破壊した。「オシラク原子炉のドームは火の玉を吹き上げて、轟音とともに最後の大爆発を起こした」という。核燃料を入れる前であったために、放射性物質の噴出は避けられたが、強固に作られたとされる原子炉の圧力容器であっても、爆撃されると簡単に壊れてしまうことが分かった瞬間であった。5
 その後、198711月にイラクがイランで建設中の原発を攻撃したし、19911月の湾岸戦争の際には、米軍が「イラクの原子炉に決定的損傷を与えた」と発表している。
20079月になると、シリア政府が東部のデルソールに建設中であった「施設」をイスラエル空軍機が爆撃・破壊する事件がおこった。翌年の084月に米国政府は、この施設は、シリアが北朝鮮の支援のもとで建設していた原子炉であり、核兵器開発が目的だったと述べ、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長も、11524日に「この施設は原子炉だった可能性が濃厚」と指摘している。6
201096日にはイスラエル空軍機が、再びシリアの首都ダマスカスの北東郊外に建設中の原子炉を核兵器材料(プルトニウム)の生産炉だとみなして、爆撃し破壊したし、最近では、核兵器の製造の最終段階に来たとされるイランの核施設を破壊するために、イスラエル軍が電撃攻撃を仕掛けるという情報がたびたび流れている。
これらの事例をみると、高性能爆弾(あるいはこれを搭載したミサイル)を使えば、原子炉本体を破壊できることは明らかだ。
 

なぜイスラエルやヨルダンでは原発の建設に積極的ではないのか 
 
中東諸国のなかでイスラエルとヨルダンには油田が乏しいために、両国ともエネルギーの確保に苦労してきた。とくにイスラエルは、百発以上の核兵器、地上発射の核ミサイル、核ミサイル搭載の潜水艦と爆撃機という3本柱の核運搬手段をもつ「核大国」であり、高度な核能力をもちながら、発電用原子炉を1基も建設・稼働させずにきた。それはなぜか。地上に原子炉を建設すれば、軍事攻撃の絶好のターゲットとなることをイスラエル支配層が自覚していること、地下深くに原発を作ったとしても、軍事攻撃される悪夢を払えないし、コストアップとなると考えているからであろう。
これにたいして中東の親米国のヨルダンのばあい、首都アンマン近郊に原発を建設するとし、2014年初めに加圧水型原子炉の建設契約を結び、2020年に稼働開始という計画であった。原子炉の受注をめぐっては三菱重工とフランスのアレバ社の合弁企業と、ロシアの企業が競っていた。しかし2011年の「アラブの春」運動が軍事的騒乱に発展するにいたると、2012513日にヨルダンの原子力委員長が「原発発注を34年延期することもありうる」と言明した。隣国シリアの内戦が激化すると、爆弾テロが波及し、原発が標的となることを懸念したからだと解説されている。7
 
 
911事件の衝撃 
 
2001911日の同時多発テロ事件は、多くの謎を残す奇怪な事件であったが、少なくとも、つぎのことを明らかにした。すなわち民間飛行機をハイジャックして、軍事目標につっこむならば、民間機は「ミサイル」に変えることができるということだ。ハイジャック犯の乗っ取った「即席ミサイル」がニューヨーク市北郊のインディアンポイント原子力発電所に突っ込んでいたとしたら、世界貿易センタービル崩壊時の何百倍、何千倍もの被害が生まれたことだろう。
2001911日の同時多発テロ事件以来、原子力発電施設はゲリラ勢力の格好の攻撃目標となると、国際原子力機構(IAEAは警戒を呼びかけてきた。8米国の原子力規制委員会(NRC)も、20022月に、原発に航空機が激突しても事故を拡大させない態勢づくりを国内の原発に義務づけた。この指令は、住民にパニックを起こさせないために非公開とされたが、対策を義務付けた行政指令の条項から、「B5b」と呼ばれている。『朝日新聞』の砂押博雄記者たちは、こう説明している。「B5bに基づいて06年にまとめられた指導文書によると、米国内の原発(104基)を対象に全電源喪失事故に対応するため、持ち運びできるバッテリーや圧縮空気のボトルなどの配備・・・を義務づけている。・・・日本の保安院は06年と08年に米国に職員を派遣し、NRC側からB5bに関する詳細な説明を受けた。・・・だが原発での全電源喪失やテロは『想定外』として緊急性の高い課題とは考えず、伝えていなかった」。9
その結果、米国の各原発には150名の武装警備員が配置されているが、日本のばあいはゼロのままだ。10オバマ大統領のよびかけで、201041213日に米国の首都で、47カ国の代表を集めて、核テロ攻撃の防止策を話し合う初の「核保安サミット」が開かれた。国家だけでなく、いまや非国家の武装組織も、核物質や核爆弾の入手に全力をあげており、この事態を放置していては、彼らが小型核爆弾を使って、あるいは核物質を原材料にした粗製核兵器を用いて、要求を貫こうとする前夜にあること、この核テロこそが、現下の核危機のなかでも最大の緊急課題であるとオバマ政権が考えていることが浮き彫りとなった。11
 
 
原発ストレステストをめぐる欧州連合の攻防 
 
 2011517日にドイツのレットゲン環境大臣が、「脱原発」のスケジュールを決めるにあたって、飛行機の墜落にたいする備えが不十分な原発を優先的に廃炉にしていくという方針を明らかにした。彼はこう述べた。ドイツには17基の原子炉があるが、そのうち「4基は小型機墜落への防護基準を満たしていない。残る13基すべても、大型機墜落への備えが十分ではない」と。12 脱原発派の議員やオーストリア・ドイツなどは、原発のストレステストの実施にあたっては、人為的ミスや自然災害だけでなく、航空機の墜落への耐性やテロリストの軍事攻撃に見舞われた際の耐性という観点も含むように主張している。これにたいしてフランスや英国といった原発維持派は、このような軍事攻撃の可能性は少ないし、住民の不安を煽り、コストアップを招くとして、反対している。13
 
 
日本のばあいはどうか 
 
東芝の原発技術者であった小倉志郎さんといえば、福一の建設に際して、原子炉系の機器のエンジニアリングに携わった人。小倉さんは、『季刊リプレーザ』という雑誌(第3号、リプレーザ社、2007年夏号)に山田太郎の筆名で「原発を並べて自衛戦争はできない」という卓抜なタイトルの論文を書き、次のように述べた。「まず、一番先に知っておいてほしいことは、原発の設計条件に、武力攻撃を受けても安全でなければならない、などということは入っていないということである。・・・現在ある商業用原発55基は、いかに発電コストを小さくできるのかという経済性を最優先で設計されているから、武力攻撃を受けた場合、どうなるかは少なくとも設計上はわかっていない・・・。肝心の原子炉が停止の後に行わねばならない冷却は、武力攻撃を受けた場合にできるのだろうか。・・・(冷却系システムの)多くは、原子炉建屋の外の補機建屋、あるいは屋外にむき出しで置かれているものも多い。屋外にあるこれらの機器は、小さな通常爆弾でほとんどが破壊されるか、機能停止に至るであろうし、補機建屋などは、危機を風雨から護る目的で、武力攻撃に対する強度などはもっていない。・・・原子炉建屋内の使用済み核燃料の貯蔵プールはどうなるであろうか。燃料プールは、原子炉建屋の最上階にある。つまり燃料プールの上には、建屋の天井があるのみである。この天井は、その上に機械を設置しないので、天井自体の重さを支える強度しかない。つまりごく小さな通常爆弾に対しても無防備と言ってよいであろう。・・・
別のほとんど防御不可能な攻撃は、巡航ミサイルによる原発への攻撃である。これはレーダーに検知されない低空で飛んでくるもので、防ぎようがない。・・・自爆を覚悟すれば、ジェット戦闘機によっても巡航ミサイル的効果を得ることは可能である。仮想敵国の兵士が「自爆」を覚悟するほどの憎しみを日本に対して持つとすれば、こういう攻撃も可能性を否定できない。・・・最後に、次のことをおぼえておいてください。原発にたいする武力攻撃には、軍事力などでは護れないこと。したがって日本の海岸に並ぶ原発は、仮想敵(国)が引き金を握った核兵器であること。ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、再び人が住めるように戻る可能性はない」と。


地下深くに移設する可能性とコスト 
 
「戦争や原発をターゲットにするテロ事件は起こりうる」ことを想定し、敵軍やテロリスト集団が原子炉を攻撃してきても、安全を保てるという条件がないかぎりは、原発は認めてはならぬという慎重論が、欧米では少なくない。敵のミサイル攻撃を受けても、それなりの耐性があるのは地下式原発であろう。冷戦下では「軍事司令部と同様に、原子炉は地下深くに設置すべきだ」という意見が強まり、1960年代には、地下埋蔵型の原子炉がスウェーデンでは2基、ノルウェイ・スイス・フランス・米国では各1基ずつ建設された。
日本でも、1975年に「原子力地下立地検討会」が通産官僚主導で作られ、その研究成果が82111日付けの『読売新聞』で報道されたことがある。このような背景のもとで1991年に自民党内に「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」(地下原発議連)が結成され、会長に平沼赳夫議員、事務局長に山本 拓議員が就任した。14ただし当時は、原発の安全性を信じる人が多く、地下式にすれば原発建設コストが、普通の原発に比べて15倍から2倍かかるというレポートもあり、地下式原発促進論は盛り上りに欠けた。東京電力自身、「地上でうまくいっているのに地下はやめてくれ」という態度を打ち出したこともあり、「地下原発議連」はスポンサーを失い、休眠状態に入る結果となった。
それが、福島第一原発の事故を受けて、息を吹き返した。11531日に4人の首相経験者や与野党党首が顧問に名をつらねるかたちで、「地下式原発政策推進議員連盟」が再発足した。同議連の山本 拓事務局長は、メディアの取材に答えて、つぎのように述べた。「地下式原発は、事故が起きた時、放射能を容易に封じ込めることができる。ただ、当時は原発にたいする安全神話が非常に強く、議論が進まなかった。が、今回の事故で放射能漏れが起きた。では今後どうするかと考えた場合、地下につくるしかないのではないか。そこで・・・もう一度検討することになりました」と。原子力工学の専門家の宮沢慶次・大阪大学名誉教授も「確かに、地下原発は放射能の封じ込めが容易です。また耐震性に関しても地上よりも地下のほうが、揺れの影響が少ない。津波の心配もなく、テロへの対策もしやすい」と口をそろえた。
しかし軍事司令部とは異なり、原発のばあいは、大量の冷却水が必要であり、沿岸部に建設することが不可欠となる。このような海沿いの地下深くに、最新型のミサイル攻撃や核攻撃を受けても安全なレベルの原発を建設しようとすれば、どれほどの巨費が必要となるかは想像を絶する。とても地上型原発の建設コストの15倍から2倍では収まらないであろう。15

 
福一の作業員として軍事要員が入り込む可能性 
 
5年間で100ミリシーベルト、または1年間で20ミリシーベルトの被曝線量を浴びた作業員は、原発の仕事を続けてはならないという規制があるために、福一の事故収束作業から離れることになった作業員が20123月の段階で167名となった。ベテランの原発労働者から離職する状況のなかで、毎日3千人の現場作業員が必要とされる状況が福一では続いている。
もともと原発で危険な仕事に従事する作業員の確保は容易ではなく、暴力団関係企業から人材派遣をうけて必要人員を確保することが多かった。じっさい2012年秋に東電が調べたところ、福一で働く一般作業員2423名のうち47.9%にあたる1160名が、人材派遣業に雇われ、偽装請負の状況で働いていたことが判明した。16
事故収束作業員のリクルートが困難となるにしたがい、軍事攻撃を意図した要員が作業員を装い、福一原子炉に接近することが容易となるだろう。関連して、福一をはじめ日本の原発は、不法侵入者の予知や摘発の仕事を2001年に設立されたイスラエルのテロ摘発を業務とする軍事企業のマグナ(Magna B.S.P)社に委託しているという情報が流れているが、この点の真偽の調査も求められる。17


福一4号炉の核燃料プールのゆくえ 
 
軍事攻撃(テロ行為も含む)が行われた場合、もっとも攻撃されやすく、戦略的に大きなインパクトを及ぼすと予想されるターゲットは、やはり4号機の核燃料プールと次項で触れる使用済み核燃料貯蔵の共用プールであろう。4号機の核燃料プールは一定の応急措置はとられていはいるが、なお青天井に近いし、原子炉の格納容器の外にあるから攻撃されやすい。周辺海域を航行する漁船から短距離ミサイルを撃ちこまれたり、航空機が自爆攻撃をしかけたら、あるいは福一の作業員に扮した軍事要員が核燃料プールを攻撃したとしたら、4号機プールの冷却装置は簡単に破壊されるだろう。あるいはプールの底に穴が開くと、冷却水は落下し、冷却不能に陥るだろう。
 2012611日から15日にかけて、4号炉の燃料プールを守る応急措置として、縦11メートル、横13.7メートル、厚さ4センチで重さ60トンの鉄板をかぶせる工事が行われ、18 同年1012日からは、原子炉建屋南側最上部の壁を切断する作業が始まった。同年123日に開かれた政府・東電中長期対策会議の場で、プール内に貯蔵された1533本の使用済み核燃料の移送作業の開始時期を当初の201312月から同年11月中旬に早めるとともに、燃料移送のための容器を1台から2台に増やすことで、取り出し完了期間を当初予定の2015年末から2014年末に早めるようにしたいと東電は述べたという。4号炉燃料プールの将来に政府・東電がいかに深刻な懸念を寄せているかの現れであるが、1年前倒しが可能かどうかは未知数であり、注目していきたい。19

 
使用済み核燃料の共用プールは安全か 
 
 4号機の核燃料プールには広島型原爆5000発分に相当する放射性物質が貯蔵されていることはすでに触れたが、4号炉の西50メートルのところにある使用済み核燃料の共用プールには、福一に貯蔵・装填されている12,729本の核燃料のうち、50.1%にあたる6377本が保管されている。共用プールのほうには、4号炉の核燃料プールの4.2倍にあたる放射性物質、広島型原爆に換算すると21千発分に相当する放射性物質が貯蔵されており、30度程度の水温で冷却されている。
 もし共用プールの冷却機能が止まり、6377本の核燃料が溶融したとすると、あるいは爆撃されて、21千発分の放射性物質が吹き上げられたとすると、チェルノブイリの事例の比でないほどの深刻な核惨事が現出することになろう。
共用プールは、そのような重要な役割を果たすにもかかわらず、この施設の任務も所在地も、政府・東電は積極的に明らかにしない方針をとってきた。試みに、「福一の核燃料共用プール」でインターネット検索をしていただきたい。共用プールの真実の姿を政府・東電は一貫して隠そうとしてきたことに気付かれるであろう。
それはなぜか。味方の弱点――アキレス腱は、可能なかぎり、隠し通すことが戦争に勝つ秘訣だからだ。共用プールの重要性をテロリストや対立国に知られ、この施設が福一のアキレス腱にほかならず、軍事攻撃されると、一たまりもなく破壊され、日本国土がすさまじい放射能汚染に見舞われることを、敵側に感づかれることを政府・東電は懸念していたからであろう。
2012625日に政府・東電中長期対策会議が開かれ、同年12月から共用プールから核燃料を取り出す作業を始め、201311月には半数の核燃料を取り出すという方針を決めた。20これが実現するならば、福一のアキレス腱を人知れずに消していく作業の第一歩となることだろう。、
重度の心臓疾患を抱えた患者はマラソンを走る体力を失ってしまう。人の心臓を原子炉ないし核燃料プールにたとえてみると、冷却水は血液、冷却水を送るパイプは冠動脈だ。パイプが詰まると、心臓の発作や麻痺は避けられない。
それと同様に、日本という国はフクシマをかかえることで、もはや戦争ができない体になってしまった。このような体で戦争に立ち向おうとすると、原子炉や核燃料プールのなかの核物質の爆発と放出は避けられない。フクシマの核惨事を契機に、すでに客観的には、このような状況に入ったことを自覚する必要があろう。


軍事攻撃を想定して原子炉のストレステストをやりなおせ
 
イスラエルがイラクの研究用原子炉施設を爆撃した1981年の事件をうけ、日本の外務省が日本国際問題研究所(当時の理事長は中川融元国連大使)に原発への攻撃がなされたばあいの被害予測の研究を委託していたが、19842月に同研究所は、「原発攻撃のシナリオ」報告書をまとめ、外務省に提出していた。最近になってこの報告書を入手した朝日新聞の鈴木拓也記者は、つぎのような記事を書いた。報告書は①送電線や原発内の電気系統を破壊され、全電源を喪失したケース、②格納容器が大型爆弾で爆撃され、全電源や冷却機能を喪失したケース、③命中精度の高い誘導型爆弾で格納容器だけでなく原子炉自体が破壊されたケース、に分けて被害を予想した。それによると②のケースが起こっても、緊急避難を怠ったばあいは、平均3600人、最大1.8万人が急性死亡し、住めなくなる地域は平均で周囲30キロ圏内、最大で87キロ圏内となると予測した。仮に③のケースが起こったならば、「さらに過酷な事態になる恐れが大きい」と記した。ところが「反原発運動への影響を勘案」して、「この報告書は部外秘とされ、50部限定で外務省内のみに配布し、首相官邸や原子力委員会にも提出せず、原発施設の改善や警備の強化に活用されることはなかった」。21
 原子炉への爆撃対策は、その後もほとんど手つかずのままだ。鈴木記者はこう続けている。「警察庁は2001年の米同時多発テロを受け、国内の全原発に訓練を受けた警備隊員を配置。2年に1回程度、テログループの侵入を想定した警察と自衛隊の共同訓練を実施している。青森県六ヶ所村の再処理工場は近くに米軍三沢基地があるため、設計段階で米国の研究所に施設の鉄筋コンクリートと航空機の衝突実験を依頼し、衝撃に耐えられる強度を設定した。だが原子力安全・保安院は『原発と航空機衝突の可能性は極めて低い』として対策を講じていない。再処理工場の衝突実験もエンジンがかかった状態での墜落までは想定していない。まして爆撃やミサイル攻撃などの対策は手つかずだ」と。22
 医師で広島県医師会長を務める碓井静照さんも、こう説いている。「原発の場合、コンクリート製の建屋外部遮蔽壁の厚さは12メートルとされるが、DC10など百トンを超える大型旅客機の衝突で、少なくとも13メートル程度までのコンクリート壁は破壊される」、他方「日本の原子力施設で唯一航空機の墜落を想定しているのが、青森の日本原燃六ヶ所再処理工場だ。航空自衛隊の訓練地域から10キロメートルしか離れていないから、約20トンの戦闘機衝突にも耐えられるように設計されている」。23
自衛隊陸将補であった池田整治さんがプロの目から警告しているように、朝鮮戦争が再開されると、丸裸状況にある福島第一、とりわけ格納容器外に置かれている6つの核燃料貯蔵プールと共用プールとは絶好の標的となるだろう。24このような軍事攻撃が発生したばあいに、日本の原子炉は、どの程度の耐性をもち、どの程度安全なのかという問いをたてて、ストレス検査は行われる必要がある。

 
「宇宙の火」降下の本質の直視を  

「宇宙の火」(核反応エネルギーの火)を司ってきた「核の天龍」は、地球生命圏に降下することで、親(原爆)と子(原発)という双頭の顔をもつ「核の暴龍」となって、地表でとぐろを巻く時代が始まった。この出生の物語をハワイ在住の画家の小田まゆみさんが、的確に描いている(付図を参照)。原発推進勢力は、頭部の双頭のところだけに視野を限定し、「平和のためのアトム」と「戦争のためのアトム」とは区別でき、分離できると宣伝してきた。

「地上でとぐろをまく双頭の天龍」(小田まゆみ 作)
 
 

この点に触れて、フランスの海洋学者で冒険家でもあるジャック=イブ・クストーは、19765月の国連の会議で次のように警告した。「平和的な原子と好戦的な原子とを長期間分離しておくには、私たちは、あまりにも国家感情が強すぎますし、強烈な攻撃性を克服できていません。平和目的の原子だけを抱きしめながら、戦争目的の原子を憎むことなど、できないのです。私たちが生き延びようとするならば、両方とも棄てさることを学ばねばなりません」と。
資本主義の苛烈な競争の現実、および私たちの人間的発達の状況をリアルに直視するならば、やはりクストーが説いたように、双頭の龍を2つの龍に切り裂き、分離することは、現状では不可能ではないか。私たち人間は、「宇宙の火」を制御できるだけの高みに達していないという現状を謙虚に、かつ正確に見据えよう。
「宇宙の火」というのは核反応にもとづいているため、いったん燃え出すと、数万年も消えないのであって、、ニュートン力学の次元を超えた現象だ。にもかかわらず、ニュートン力学次元の技術を用いて制御すれば、安全に利活用できると人々は思わされてきた。いったん破綻すると、「カタストロフィ」(影響が時間的にも空間的にも無限定に広がり、制御不能となるタイプの破局)となるにもかかわらず、「リスク」(管理が可能なタイプの危機)であるかのように「錯覚」させ、「リスク管理」という従来型手法を用いて対処できると思わされてきたと言ってもよい。25
「核の時代」とは、人が戦争を絶滅しないかぎり、戦争のほうが人を絶滅させる時代のことだが、このような核爆発(放射性物質の爆発的な放出を含む)を引き起こす能力を一群の核大国の独占から開放し、すべての政治・軍事勢力に平等に与えたことが、フクシマの最大の意味であった。
第一次世界大戦の惨禍が国際連盟とパリ不戦条約を生みだし、第2次世界大戦の19451月までの惨禍が国際連合憲章を生みだし、広島・長崎の核の惨事が国連憲章を超えた高みをもつ日本国憲法9条を生みだしたとすれば、フクシマの惨事は原発があるかぎり、どんな政治・軍事集団であれ、多少の冒険(自爆攻撃など)を覚悟しさえすれば「核爆発誘発能力」をもつという新しい時代の到来を告げた。

 
日本を「東アジアのイスラエル」に変えてもよいのか 
 
 「中国や北朝鮮の膨張や侵略を抑止してもらうために、日米安保条約も在日米軍基地も必要ではないか、米軍の傘がないと不安だ」と考えている日本人は少なくない。現段階では沖縄をのぞけば、むしろ多数を占めているのかもしれない。
 しかし東アジアだけにとどまらず世界全体に睨みをきかす「米国の軍事拠点」としての位置を、在日米軍基地は与えられてきた。米軍にとっての日本の位置というのは、中東におけるイスラエルの位置と似ているし、日本の軍事的台頭をそのように見なす人々は東アジアには少なくない。在日米軍を「日本における妖怪=軍国主義勢力の復活を抑止する『びんの蓋』だ」とみる人々をあわせるとむしろ多数派を占めていることを、私たちは自覚しておいたほうがよい。

 ただし日本とイスラエルの間には、一つの相違がある。イスラエルはアラブ民衆からの敵意を正確に認識し、地下式も含めて1基の原発も設置してこなかったが、日本のばあい、こと原発にかんしてはコスト削減のために、「憲法9条があるから原発への軍事攻撃など想定外」とみなして、支配層が率先して「平和ボケ」をあおってきた経緯があることだ。その結果、軍事攻撃されたら容易に破壊されるタイプの原発を地上に54基も建設し、広島型原爆100万発分に相当する「死の灰」を地上に蓄えてきたわけだ。
 日本の原発のテロ対策をイスラエル企業のマグナ(Magna B.S.P)社に委託しているという説もあるが、このような背景のもとで「日本のイスラエル化」を推進するとすれば、どのような結末を迎えるのかを想像する直観力が、いま切実に求められているのではないか。

 
真実の共有と和解・共生を 
 
今から93年前の191935日に、朝鮮半島に広がる3・1独立運動の報を聞きながら、孫文の良き支援者であった宮崎滔天は、こう書いた。「朝鮮彼の如く、支那此の如く、・・・嗚呼、何らの不祥事ぞや、今や我国に一つの友邦無し。・・・罪を軍閥にのみ帰するなかれ、総て是れ国民の不明に基づくの罪なり。国民今に於いて自覚せずんば、遂に亡国あるのみ」と。26
滔天が予想したとおり、2か月後の191854日、ベルサイユ講和会議で戦勝国日本への山東省譲渡が決まったとの報道に怒った北京の大学生約3000人が、「反日デモ」を繰り広げた。いわゆる54運動の開始であるが、この運動は瞬くうちに各地に飛び火し、日貨排斥運動が中国全土に広がった。
日本帝国による朝鮮統治の不当性を認め、朝鮮独立運動の志士たちへの弾圧を日本政府(天皇)は公式に謝罪してほしいという見解を2012814日に韓国の大統領が述べ、日本軍「慰安婦」や竹島(独島)の帰属問題とも重なって、南北朝鮮で野田内閣への批判が高まった。その1か月後の129月になると野田内閣が発表した尖閣諸島の国有化措置をきっかけとして、再び中国全土で日貨排斥運動の嵐が吹き荒れたことは記憶に新しい。
仮に福一から大規模な核物質の再放出が起こり、東京圏の全住民が圏外に避難する必要に迫られたとしよう。このような可能性は、今も相当の確率で存在する。東京圏には3500万人が住んでいるし、2歳未満の乳幼児とその母親、および妊婦など、遠距離避難が切実に求められる「放射能弱者」層だけで数百万人にのぼるだろう。風上の地に彼らを避難させようとすれば、結局は、私たちの父祖の故郷――2千年前に弥生人たちがやってきた朝鮮半島と台湾・中国大陸に避難させてほしいと両国に頼むしかないのではないか。
今帰属先をめぐって憎悪の炎が燃え上がっている尖閣(釣魚)列島と竹島(独島)とは、あわせても6.48平方キロしかない。ソ連に返還を求めて係争している北方4島は5036平方キロだから、面積はその0.13%、日本の国土面積と比較したばあい、その58千分の1にすぎない。尖閣(釣魚)・竹島(独島)問題は当面は、北方4島並みに棚上げし、父祖の出身地たる「西方浄土」の地に乳幼児と母子とを緊急避難させてもらえる関係を築いておくことのほうが大切ではないか。
今から65年前、原爆ドームの深い影を背負って、アジアの2千万の戦争犠牲者と被爆者の血と脂を墨にして、日本国憲法9条が起草されたとすれば、福一で無残に破壊された4基の原子炉の深い影を背負うことで、憲法9条が新たな生命力を獲得する時代が始まったように思われる。


藤岡惇(ふじおか・あつし):
立命館大学経済学部教授。以下、立命館大学ウェブサイトの藤岡氏のプロフィールページ「研究者からのメッセージ」より。
 
 若いころは、コミュニティの自尊と自治の能力を育むような「開発」のありかたを求めて、「米国内の第3世界」と呼ばれていた南部地域の経済開発と公民権運動の調査研究にとりくんできた。住民参画型の調査を志したので、米国の草の根NGOに随分お世話になった。その成果は、2つの著作ーー『アメリカ南部の変貌』と『サンベルト米国南部分極化の構図』(いずれも青木書店)にまとめられている。その後、冷戦期の核戦略を主軸にした軍拡が、どのように米ソの経済を荒廃に追い込み、「冷戦の勝者はじつは日本」といった評価を生み出したかの研究に転じた。ソ連解体後に、米国がいかに「日本の経済力の封じ込め」戦略に転じ、軍事技術の「含み資産」を商業世界に開放し、経済覇権の回復に役立ててきたかを、米国の宇宙空間とサイバー空間の支配戦略を軸にして研究している。社会派エコロジストとしての視点から、人間ー自己中心主義の極ともいうべき「宇宙軍事化」の動きをどのように自然と人間を中心にした持続可能な平和経済づくりの方向に転換したらよいかについても、世界のNGOの人たちとともに研究している。毎夏日米の学生たちが、広島・長崎の地で、核の時代の意味と平和な世界づくりの道を探究しあっているが、この国際交流プログラムの世話もしてきた。1970年京都大学経済学部を卒業、経済学博士(京大)。 '79年本学へ。山歩きとジョギングが趣味で、好んで比良山系を歩く

当ブログの過去の藤岡氏による投稿

藤岡惇: 福島で進行中の核の大惨事をどう見るか ― 「双頭の天龍」を地球生命圏に降下させた危険を見据えよう (英訳は The Asia-Pacific Journal: Japan Focus に掲載

米国はなぜ2発の原爆を投下したのか





1)福島県庁のホームページ内の「原発の状況」、『読売新聞』2011318日。
 
2)『朝日新聞』2012814日。
 
3)たとえばX-37B “Space Plane”:Still No Clear Mission,at a High Price, Union of Concerned Scientists,Nov.2012.
 
4)宇宙衛星の防護の弱点については藤岡 惇『グローバリゼーションと戦争――宇宙と核の覇権めざすアメリカ』、サイバー戦争のしくみとリスクについては、リチャード・クラークほか(北川知子ほか訳)『世界サイバー戦争――核を越える脅威』2012年、徳間書店を参照してほしい。
 
5)ロジャー・クレイア(高沢市郎訳)『イラク原子炉攻撃!――イスラエル空軍秘密作戦の全貌』2007年、並木書房、247ページ。
 
6)『時事ドットコム』2011525日付け。
 
7)『朝日新聞』2012515日。
 
8)ヘレン・カルディコット(岡野内 正ほか訳)『狂気の核武装大国アメリカ』2008、集英社新書。
 
9)「SAPIO特集―世界原発戦争とテロの交差」『SAPIO2011615日号、89ページ。『日本経済新聞』2012116日。
 
10)『朝日新聞』201253日。
 
11)『朝日新聞』2010413日。
 
12)『朝日新聞』2011518日。
 
13)今井佐緒里「原発ストレステストをめぐる欧州連合の攻防」『世界』20126月号、204213ページ。『朝日新聞』2011526日。
 
14)山本 拓『地下原発―共存のための選択』1992年、文明堂書店。
 
15)「こんなご時世なのに動き出す『地下原発議連』の思惑」『週刊新潮』2011519日付け、28ページ。
 
16)『朝日新聞』2012124日。
 
17)「福島第一原発にイスラエルの会社の『謎』」『週刊現代』2011522日号。
 
18)『日本経済新聞』201269日・616日(夕刊)。
 
19)『Days Japan201212月号、9ページ。『日本経済新聞』20121127日。
『産経新聞』2012124日。
 
20)『共同通信』2012625日。
 
21)『朝日新聞』2012731日。
 
22)『朝日新聞』同上。
 
23)碓井静照『放射能と子ども達』2012年、ガリバー・プロダクト。
 
24)池田整治『原発と陰謀』2011年、講談社、2531ページ。
 
25)関 曠野「ヒロシマからフクシマへ」『現代思想』20115月号。
 
26)和田春樹「東北アジアの隣人と新しい関係を築こう」『世界』20116月号、110ページ。

カナダ(バンクーバー)で市民たちが南京大虐殺75年を祈念する集いを開催 Nanjing Massacre 75th Anniversary Commemorated in Canada (Vancouver & Toronto)


南京大虐殺事件75周年という大事な節目にあたってカナダ西海岸バンクーバーでは、作家のジョイ・コガワ氏をはじめ日系、中華系、ヨーロッパ系等さまざまな背景を持つ市民たち60人が12月9日、「ヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウス」(代表作『OBASAN』―邦訳は『失われた祖国』という題で中公文庫から1998年に出版―で知られるコガワ氏が、戦時のカナダ政府による日系人強制収容の被害にあうまで幼少期を過ごした家が保存されている)に集まりました。その後発表したプレス・リリースの英語版、日本語版を以下に紹介します。On December 9, a gathering and a roundtable discussion were held to commemorate the 75th anniversary of Nanjing Massacre at the Historic Joy Kogawa House in Vancouver. See below for the press release that was issued following the event.

座談会の様子。一番左がジョイ・コガワ氏。
12月9日の催しには報道関係者も多数来ていました。報道された中で英語の記事は以下です。Media reports available in English

Global Times
http://www.globaltimes.cn/content/749902.shtml
Xinhua
http://news.xinhuanet.com/english/world/2012-12/08/c_132027877.htm

中国語の記事は以下です。In Chinese
民報
http://www.mingpaovan.com/htm/News/20121210/vasa.htm?m=0
星島日報
http://news.singtao.ca/vancouver/2012-12-10/community1355136746d4240621.html


ジョイ・コガワハウスの前でキャンドルを手に
歌う "We Shall Overcome"
日本では、戦時中の日本の加害の歴史を語ると「反日」といった反応を示す人もいますが、広島長崎原爆の話をして「反米」とは言えないし、ナチスのホロコーストの話をして「反独」とは言えないのと同じように、歴史を語り継ぎ、二度とこのような惨事を起こさないように生かしていく精神は、自国が加害側にあったか否かで違いがあってはならないはずです。日本では選挙戦の中,概ね忘れられてしまっているように見えるこの重要な日ですが、トロント市議会では全会一致で、75周年を記憶する宣言が可決されました。バンクーバー、トロントと、カナダの東西を代表する都市でこの重要な歴史の一幕を記憶、祈念する催しが持たれていることを日本の人たちに知ってもらいたいです。

プレスリリース(英語)
Press Release

December 11, 2012 

Community calls for observance of 75th anniversary of Nanjing Massacre

Representatives of Japanese and Chinese Canadian communities along with other concerned Canadians call for truth, reconciliation, and understanding in an effort to collaborate and move forward in a grassroots peace action. 

Sunday, December 9, more than 60 people crowded into the tiny living room at Historic Joy Kogawa House to commemorate the 75th anniversary of the Nanjing Massacre and to start a historic roundtable discussion.  
 
The roundtable included the following discussants:

  • Joy Kogawa of Historic Joy Kogawa House
  • Theka Lit of BC Association for Learning and Preserving the History of WWII in Asia (ALPHA)Judy Hanazawa and Tatsuo Kage of the Japanese Canadian Citizens Association Human Rights Committee
  • Satoko Norimatsu of Peace Philosophy Centre and Vancouver Save Article 9 Group
  • Bill Chu of Canadians for Reconciliation Society
  • Ellen Woodsworth, former Vancouver City Councillor

The goodwill expressed called for ongoing cooperation and understanding between Japanese and Chinese Canadians to overcome the tension between their home countries. The Japanese captured the Chinese city of Nanjing in December 1937. The Nanjing Massacre on December 13, 1937, led to the death of 250,000 to 300,000 people and the rape of 20,000 to 80,000 women and girls. The atrocity and unhealed historical wounds contributed to the longstanding tension between Japan and China, which flared recently over disputed ownership of islands in the East China Sea.

 “It is urgent that people of the world overcome old animosities in order to address dangers our planet faces today,” said Joy Kogawa. “Canada is a space where this can be demonstrated.”

“We need to be educated about and observe events like the Nanjing Massacre to honour those who were victimized, to call for justice for this inhumanity which affects us all, and most of all, to learn by working together, to create a world which will no longer allow this,” said Judy Hanazawa of the Greater Vancouver Japanese Canadian Cultural Association. 

“We have to work harder to help make the Nanjing Massacre penetrate into public consciousness,” stated Thekla Lit, president of BC Association for Learning and Preserving the History of WWII in Asia (ALPHA).  “As Iris Chang, author of The Rape of Nanking, reminded us that unless we truly understand how these atrocities can happen, we can't be certain that it won’t happen again.”  

Satoko Norimatsu of the Peace Philosophy Centre said, “In Japan, unfortunately, Nanjing Massacre has been largely ignored, downplayed, or even negated. If there is any attention, it is often about the debate on how many people were killed. I believe on this commemorative day, we should simply put aside the debate and humbly and solemnly remember and reach our hearts to the victims of the horrendous crime.” 

“It is agonizing to see post-WW2 Japan being so misled by self-interests as to deny its WWII atrocities committed in Nanjing, China,” said Bill Chu of Canadians for Reconciliation Society. “As Christmas signifies peace and hope, let us try to seek liberation from untruths and reconciliation with neighbours, for the sake of our shared humanity.” 

The gathering at Historic Joy Kogawa House on December 9 was but one of numerous commemoration events to be held across the country. Toronto City Council has unanimously voted for a week of education around this historic event, proclaiming this to be Nanking Massacre Awareness Week.   

Participants at the gathering called for the public to observe the 75th anniversary of the Nanjing Massacre on Thursday, December 13. 

For more information, or to interview Joy Kogawa, Judy Hanazawa, or Thekla Lit or any of the discussants listed above, please email kogawahouse@yahoo.ca or call 604-897-7438. 

ends/more
 
Note to Editors:

1. Information on Historic Joy Kogawa House
Historic Joy Kogawa House is the former home of the Canadian author Joy Kogawa (born 1935). It stands as a cultural and historical reminder of the expropriation of property that all Canadians of Japanese descent experienced after the bombing of Pearl Harbor in 1941. Between 2003 and 2006, a grassroots committee fundraised in a well-publicized national campaign, and with the help of TLC, The Land Conservancy of BC, a non-profit land trust, managed to purchase the house in 2006. The Historic Joy Kogawa House Society hosts a writer-in-residence for three months each year and sponsors writing workshops, educational tours, and reconciliation events.
 
Contact: Historic Joy Kogawa House Society: Ann-Marie Metten / kogawahouse@yahoo.ca
 
2. Information on JCCA Human Rights Committee
The Greater Vancouver Japanese Canadian Citizens Association is a non-profit organization representing the Japanese Canadian community in Vancouver and the surrounding area. Established in 1990 as a standing committee of the JCCA, the Human Rights Committee has been dealing with human rights, race relations, and discrimination related issues. 

Contact: JCCA Human Rights Committee: Judy Hanazawa / jhanazawa@shaw.ca 

3. Information on Peace Philosophy Centre
Peace Philosophy Centre was established on January 1, 2007, to promote the creation of peace by peaceful means, invites people with diverse opinions to enter into open dialogue and equal participation. It facilitates personal growth and leadership, and connects like-minded people locally, and around the world.

Contact: Peace Philosophy Centre: Satoko Oka Norimatsu / info@peacephilosophy.com  

4. Information on BC Alpha
B.C. ALPHA (Association for Learning & Preserving the History of WW II in Asia) was established in January 1997 and works alongside other chapters of ALPHA across Canada to foster understanding, redress, and reconciliation related to the tragedies of World War II in Asia.  

Contact: BC Alpha: Thekla Lit / bcalpha@alpha-canada.org 

5. Information on Canadians For Reconciliation Society
Canadians For Reconciliation Society is a non-profit with a focus to reconcile the relationship between Canadians and Indigenous People, as well as the history between Canadians and Chinese. Its work with City of New Westminster resulted in the first formal apology to the Chinese community from a Canadian city for its past discriminatory policies.
 
Contact: Canadians For Reconciliation Society: Bill Chu / ccia@shaw.ca   

ends/all


プレス・リリース日本語 Press Release in Japanese

2012年12月11日プレスリリース(日本語版)
 

バンクーバー市民による南京大虐殺75周年祈念行事
 

日系カナダ人、中華系カナダ人団体の代表者をはじめ、関心をもつ他のカナダ人たちが草の根の平和活動で協力し合うことによって真実と和解を求め、相互理解を進めることを呼びかけています。 

12月9日(日)、60人以上の人々がヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウス(戦時日系人強制収容の体験を元に書いた代表作『OBASAN』等で知られる作家ジョイ・コガワが収容前の幼少期を過ごした家が史跡指定されている)の小さなリビング・ルームに詰めかけました。南京大虐殺75周年を祈念し、歴史的な座談会に参加するためでした。 

座談会での主な発言者は以下でした。

  • ジョイ・コガワ(ヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウス)
  • テクラ・リットBCALPHA、アジアにおける第二次世界大戦の歴史を学び保存する会)ジュディ・ハナザワ、鹿毛達雄(グレーター・バンクーバー日系カナダ市民協会人権委員会)
  • 乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター、バンクーバー九条の会)
  • ビル・チュー(和解のためのカナダ人協会)
  • エレン・ウッズワース(前バンクーバー市議会議員) 
 
この会では、日系と中華系のカナダ人が、日中( 中日)間の緊張を乗り越えるために引き続き協力と理解を推進していくことを目指す前向きの意向が表明されました。1937年12月13日に日本軍は南京城を攻略しました。南京大虐殺(日本語版注:文末参照)では25万人から30万人ともいわれる数の人が殺され、2万人から8万人に及ぶともいわれる女性たちや子どもたちが強姦されました。この残虐行為と癒されぬ歴史の傷跡はその後日中間に長い緊張関係をもたらし、最近では東シナ海におけるいくつかの島の領有権をめぐる論争をきっかけに過熱する結果となりました。

「世界の人々が古くからの敵意を乗り越え、今地球が面しているさまざまな危険に立ち向かうことが緊急の課題です。・・・そしてカナダはそれができる場所なのです。」(ジョイ・コガワ) 

「南京大虐殺のような出来事について学び、祈念していくことは犠牲者を追悼するため、そしてこのような非人道的な行いに対して正義がもたらされるよう、そして何よりも、協力し合ってこのようなことを二度と起こさせないような世の中を作るために必要なことなのです。」(ジュディ・ハナザワ、グレーター・バンクーバー日系カナダ市民協会人権委員会) 

「『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の著者、アイリス・チャンが『このような残虐行為がどうして起こりうるのか本当に理解しなければ、二度と起こらないという確信を持つこともできない』と念を押していたように、「南京大虐殺の記憶が公衆の意識に根付いていくためにさらなる努力が必要です。」(テクラ・リット、アジアにおける第二次世界大戦の歴史を学び保存する会[BCALPHA]代表) 

「日本では残念ながら南京大虐殺は概ね無視されているか、過少化されているか、否定さえされている状況です。また、南京大虐殺に注目が集まるとしたら、殺された人々の人数について論争するときが多いのです。しかしこの祈念の日においては、このような論争は脇において、謙虚かつ厳粛な気持ちをもって、この惨たらしい犯罪の被害者たちに思いを馳せることが大事であると信じています。」(乗松聡子、ピース・フィロソフィー・センター) 

「第二次世界大戦後の日本が利己主義により間違った方向に進まされ、自らによる戦時中の残虐行為である南京大虐殺を否定するようになっている様を見ることは非常な苦痛をともなうことです。・・・クリスマスは平和と希望を象徴する催しであることもあり、我々が共有する人間性のために、虚偽からの解放と隣人との和解を求めていきたいと願います。」(ビル・チュー、和解のためのカナダ人協会) 

12月9日に開催されたヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウスにおける集いはカナダ各地で開かれていた祈念行事の数々の一つでありました。トロント市議会は全会一致で可決し、この歴史上の出来事を学ぶ週間を設け、「南京大虐殺啓発週間」を宣言しました。 

この集いの参加者たちは、12月13日(木)には広く一般の人々が南京大虐殺75周年を記憶、祈念するように呼びかけました。 

詳しい情報をお求めの方は、また、ジョイ・コガワ、ジュディ・ハナザワ、テクラ・リット他、上記の発言者にインタビューをご希望の場合、kogawahouse@yahoo.ca Eメールか 604-897-7438に電話を下さい。 

【日本語版注】「南京大虐殺事件」の概略

(笠原十九司『南京事件』岩波新書、1997年、214-218ページより)

 「日本の陸軍ならびに海軍が、南京攻略戦と南京占領時において、中国の軍民にたいしておこなった、戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為の総体のこと。」「不法残虐行為」は、負傷兵、投降兵、捕虜、敗残兵や一般市民の集団あるいは個別の殺戮、婦女の強姦、輪姦、殺害、略奪、放火等を指す。事件発生の区域は、「南京城区とその近郊の六県を合わせた行政区としての南京特別市全域。」事件発生の期間は、「日本の大本営が南京攻略戦を下令し、中支那方面軍が南京戦区に突入した三七年一二月四日前後からはじまる。大本営が中支那方面軍の戦闘序列を解いた三八年二月一四日が南京攻略作戦の終了にあたるが、南京における残虐事件はその後もつづいたので、南京事件の終焉は、日本軍の残虐行為が皆無ではないまでも(近郊農村ではあいかわらずつづいていた)、ずっと少なくなった三月二八日の中華民国維新政府の成立時と考えることができる。」
 
犠牲者の数についての議論は同書218-228頁を参照。南京大虐殺事件をめぐる論争については笠原十九司『南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書、2007年)参照。日本政府は南京大虐殺について、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できないと考えています」(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html )としている。 

以下、関係各団体の紹介です。 

1. ヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウス
ヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウスはカナダの作家、ジョイ・コガワ(1935年生)が昔住んでいた家です。1941年真珠湾攻撃後、全ての日系カナダ人が体験した[カナダ政府による]財産没収を文化的歴史的に記憶するために保存されています。2003年から2006年にかけて、草の根の努力で立ち上げられた委員会が全国的に保存のためのキャンペーンを行い、TLC(The Land Conservancy of BC )という非営利団体の助力により、2006年に家の購入をすることができました。ヒストリック・ジョイ・コガワ・ハウスは、毎年3か月間作家招聘プログラムを行い、執筆ワークショップ、見学ツアー、和解のためのイベント等を主催しています。
連絡先: Historic Joy Kogawa House Society: Ann-Marie Metten アン=マリー・メッテン/ kogawahouse@yahoo.ca
2. JCCA 人権委員会
JCCA(グレーター・バンクーバー日系市民協会)はバンクーバーとその周辺地域の日系カナダ人コミュニティーを代表する非営利団体です。人権委員会は、1990年にJCCAの常任委員会として創立し、人権、人種間関係、差別に関する問題等に取り組んできました。 

連絡先: JCCA Human Rights Committee: Judy Hanazawaジュディ・ハナザワ / jhanazawa@shaw.ca 

3. ピース・フィロソフィー・センター
2007年1月に創立。平和的方法で平和を創りだすことを目指し、多様な意見を持つ人々を招き入れ、開かれた対話と平等な参加を促す学びの場を提供します。個人的な成長とリーダーシップを育み、地元、また世界における同じ目的を共有する人々をつないでいきます。 

連絡先: Peace Philosophy Centre: Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子/ info@peacephilosophy.com  

4. BC ALPHAの紹介
B.C. ALPHA (アジアにおける第二次世界大戦の歴史を学び保存する会) は1997年に、カナダ中にある他のALPHAの支部とともに設立された。会の目的は、アジアにおける第二次世界大戦中に起こった数々の悲劇に関して理解を深め、過去の不正を正すことと、和解を促進することである。 

連絡先: BC Alpha: Thekla Lit テクラ・リット/ bcalpha@alpha-canada.org 

5. 和解のためのカナダ人協会
和解のためのカナダ人協会」はカナダ人と先住民族との間の和解をその中心課題とし、カナダ人と中国人の間の歴史にも焦点を置いた非営利団体です。ニュー・ウェストミンスター市が、カナダの市としては初めて過去の中国系コミュニティに対する差別的政策に対して正式に謝罪したのも、この協会が同市と交渉した結果でした。

連絡先: Canadians For Reconciliation Society: Bill Chu ビル・チュー/ ccia@shaw.ca