「山下俊一」という「3・11」後に生まれた病理
成澤宗男(ジャーナリスト)
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された際、長崎大学医学部の前身である長崎醫科大学は爆心地から約500㍍の丘の上にあった。木造の本舘や各種校舎は瞬時に倒壊し、火災も発生した。
大学の死者数は895人に及んだが、後に長崎の犠牲者の象徴的存在となる永井隆博士のように、自身も被曝・負傷したにもかかわらず献身的に患者の救援に献身した医師らの存在で、長崎大学医学部の名は国内外に不動の名声を確立する。もう一つの被爆地・広島には当時医科大学や大学医学部がなかったこともあり、「世界で唯一被曝した医学部」は後に医学界の被曝研究で良くも悪しくも揺るがないある種の権威を確立していく。
だが原爆投下から66年を迎えようとしていた昨年3月11日の福島第一原発事故以降、長崎大学医学部という名は、そこに籍を置いていた一人の教授の存在によって、逆に福島県民を始めとする多くの人々にとって拭いきれない不信の目にさらされるようになってしまったかのように思える。言うまでもなく、現在は福島県立医科大学副学長の座にある山下俊一に他ならない。
福島県知事の佐藤雄平の要請という形で昨年3月19日、「県放射線健康リスク管理アドバイザー」なる職に任命されて以降のこの男の数々の言動は、人命に直結するにもかかわらず、無責任極まりない内容で占められる。その異様さは、もはや医学的知識以前に人格的に何かの欠損部分を抱えているのではないかとすら思えるほどだ。
おそらく、なぜこうした人物がレベル7という危機的な原発事故にあえぐ福島にわざわざ長崎から招かれたかについては、県民自身誰も明確な回答を得てはいないはずだ。今になっても山下について、県健康増進課主幹の小谷尚克は「放射能に対する十分な知見の持ち主」などと在職の理由を語るが、「健康増進」などという当人の肩書きがブラックジョークに聞こえるほど、多くの県民には何の説得力もないだろう。任命した以上、後で解任といった結果にでもなれば責任問題に発展するので、それだけを恐れる役人根性以外未だ山下が県の公職に就いている現実を説明するのは困難に違いない。
では、なぜすでにまともな「知見」など持ち合わせていない事実を自分自身で明らかにしたような人物が、原発事故の渦中にある県から「アドバイザー」に要請されたのか。考えられる唯一の回答は、「長崎大学医学部」にあるらしい。福島県の医療行政に詳しいある医学研究者は、次のように語る。
「原発事故以前、福島県には放射能や被曝への医学的な対処や被曝について予備知識はありませんでした。県に一つしかない医学大学である県立医科大学もそう。だから、『専門家』の人事を県は政府筋に丸投げした」
「日本での被曝医療は、被爆体験から長崎大学と広島大学が世界的な『ブランド』になっており、今日も国からの『被曝研究費』の大半が流れています。そこで、丸投げされた側の政府筋は必然的に長崎大学の山下氏の名前を挙げた。単に、それだけの話なんです。裏事情もない。しかし原爆投下時はいざ知らず、格別優秀な学者がこの大学に現在集まっているわけではない。山下氏なんて、はっきり言って無能そのもの。格別何か悪意を持っているわけではないが、社会性と現場での経験に欠けた、非常に幼稚な男ですよ」――。
山下解任署名
この証言と符合しているのが、雑誌『選択』が2012年2月号で掲載した「子どもたちの被ばく 行政の無能で拡大する『人災』」と題した以下の記事だ。
「(山下など問題になった)被曝研究者による福島での諸々の発言は、科学的信念を貫くというより、自らを登用した福島県や政府の幹部を擁護しようとしたためだろう。事実、5月10日、朝のワイドショーに呼ばれた山下教授は、『国の基準が20ミリシーベルトということが出された以上、我々日本国民は日本政府の指示に従う必要がある』と発言し、失笑を買った。
この程度の知見しかない研究者が、なぜリーダーになれるのか。それは、広島・長崎の医師を中心とした集団が、我が国の被曝医療を独占しているからだ。これは、『被曝ムラ』と称すべき存在である」
この記事によれば、「被曝ムラ」は「被曝研究」を名目にした潤沢な研究費を毎年得ており、「予算獲得力は突出している」。だが、「今回の原発事故で被曝ムラが何の役にも立たなかった」のは明白であり、「『安全です』と繰り返すだけで、みすみす子どもたちを被曝させてしまった」のみならず、「被曝のリスクを過小評価し」たと指摘する。
だがこの「アドバイザー」は就任以降、「県民健康管理調査」検討委員会座長、福島県立医科大学副学長といった要職に次々と就き始める。
これに対して同年6月、「3・11」直後から活動を始めた「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」や「グリーンピース・ジャパンなど6団体が、原子力災害対策本部の菅直人本部長(当時)や県知事らに「福島の子どもたちを守るための緊急署名」を提出したが、そこでの要求項目の一つは以下のように記されていた。
「低線量被ばくのリスクを軽視する山下俊一・長崎大学教授を、現在の福島県の放射線リスク・アドバイザーおよび県民健康管理調査検討委員会から解任すること。
現在、福島および関東圏における子どもたちの安全を確保する上で、もっとも注意を払うべきなのは、長期的な低線量被ばくの影響です。山下俊一・長崎大学教授は、低線量被ばくのリスクを軽視し、『100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全』との言動を福島県内で繰り返しています。原子力安全委員会は、20ミリシーベルトを安全とする委員や専門委員はいないと述べていますが、山下氏の言動はこれに反しています」
「低線量被ばくを軽視する人物が、県民の健康をあずかるリスク・アドバイザーであることは、非常に問題です。県民のリスク・アドバイザーなどには、低線量の被ばくリスクを認識する立場をとる科学者が求められます」――。
これまで県が、こうした声に真摯に対応した形跡は皆無だ。昨年9月から鳴り物入りで同検討委員会が始めた全県民に問診表を配布する「健康管理基本調査」が回収率20・8%という散々な結果に終わったのも、山下に対するこうした不信と無縁ではないだろう。
10分の1に「訂正」された数値
「健康管理基本調査」では、1年前の「行動」を細かく記入しなければならない「行動記録」の作成の煩わしさが不評を買ったこともあるが、民主党所属の石原信市郎県会議員は、「『調査』を実施した県の『検討委員会』の座長に山下俊一氏がいる限り、県民から信用されるはずがありませんから」と嘆く。
「昨年3月に山下座長が長崎大学から『アドバイザー』として来県した当初に、年間放射線量が『100ミリシーベルト以下なら安全』と言ったかと思えば途中から『安全かどうかわからない』と言い出してみたり。県に対する県民の信頼は地に落ちていますが、原因の多くはこれほどいいかげんな人物に放射能に対する県民の健康を任せている点にある」
石原は、今年の2月県議会の総括質問で山下を取り上げようとし、「県内の多くの父兄はこのアドバイザーが福島県県民健康管理調査に関わっていることに対し、自分たちがただ単にデータを取られるだけのモルモットにされるのではないかと不安を持っています」と質した上で、「人事の見直しを含めて県の対策を伺います」とする質問内容を事前にまとめていた。
だが、質問前の議会事務局との折衝で強硬に「(山下を)辞めさせることはできない」とねじ込まれ、その代わりに「別のアドバイザー」を新たに加えるからと言われたという。
県側がどう弁明しようが、山下に当事者能力があるのかどうかは本人の言動が証明している。有名な話だが、山下は昨年3月21日に福島市内で開催された講演会で、次のように発言している。
「100マイクロシーベルト/hを超さなければ、まったく健康に影響を及ぼしません。ですから、5とか10とか20とかいうレベルで、外へ出ていいかどうかということは明確です。昨日も、いわき市で答えました。『今、いわき市で、外で遊んでいいですか?』と聞かれました。『どんどん遊んでいい』と答えました。福島も同じです。心配することはありません」
ところが後に福島県のHPでは、「訂正:質疑応答の『100マイクロシーベルト/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない』旨の発言は、『10マイクロシーベルト/hを超さなければ』の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます」との一文が掲載された。
だが文部科学省が様々な批判を浴びながら、昨年8月28日に発表した「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について」という通知では、「夏季休業終了後、学校において児童生徒等が受ける線量については、原則年間1ミリシーベルト以下とし、これを達成するため、校庭・園庭の空間線量率については……毎時1マイクロシーベルト未満を目安とします」とある。
つまり山下は、文部科学省ですら「毎時1マイクロシーベルト未満を目安とし」て「線量低減」を目指した数値の実に100倍を、「超さなければ、まったく健康に影響を及ぼしません」などと最初に口にしていた。ところが今度は、県によって100倍ではなくその10分の1(つまり文科省が示した数値の10倍)に「訂正」されたのだ。無論、同省の数値は学校現場で適用されるものだが、これほどの極端な間違い、及び訂正後の数字の整合性の無さを考えるなら、山下の資質は「アドバイザー」就任直後に問われていたはずではなかったのか。
二転三転する発言
もともと山下は、学術誌『日本臨床内科医会会誌』2009年3月号の「放射線の光と影」と題する記事で、次のように書いていた。
「長崎、広島のデータでは、少なくとも、低線量率あるいは高線量率でも発がんのリスクがある一定の潜伏期をもって、そして線量依存性に、さらにいうと被ばく時の年齢依存性にがんリスクが高まるということが判明しています。
主として20歳未満の人たちで過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません」――。
ところが「3・11」以降、周知のようにこれと正反対の言動をふりまき続け、県内外でさまざまな批判を浴びる。昨年4月1日には飯舘村のセミナーで「がんのリスクが上がるのは年間100ミリシーベルト以上。これ未満であればリスクはゼロ」、「(村の放射線量では)20歳以上の人のがんのリスクはゼロです」と発言したが、4月22日になって何と村全域が「計画的避難区域」に指定されてしまった。
そもそも山下は、福島県のローカル誌『財界ふくしま』の2011年6月号に掲載された「『チェルノブイリの経験から』~福島はこれからどうなるのか?」と題した記事で、「100ミリシーベルト以下をどう呼ぶかということについて、これははっきりとした発がんを証明することは出来ませんので、不確定不確実な領域と呼びます。人によってはこの領域も、危険であるという専門家もいれば、危険を証明することが出来ないので、危険はないという立場もあります」などと述べている。
だが、年間の放射線量が100ミリシーベルト「未満」について「リスクはゼロ」と断定する立場は、「はっきりとした発がんを証明すること」が不可能なため「不確定不確実な領域」とする立場と決定的に違う。無論、「10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません」という立場ともだ。いったい、こんな二転三転する矛盾した話を平気で口にする「知見の持ち主」の何を信じろというのだろう。
第一、高すぎるという様々な方面からの抗議にもかかわらず、政府でさえ「避難基準」として定めている数値は年間20ミリシーベルトだ。「100ミリシーベルト以下をどう呼ぶか」などという議論にどれほどの意味があるのか。それでもこの国の「被曝ムラ」では、「避難基準」の5倍の放射線量まで達しなければ「はっきりとした発がんを証明することは出来ません」という説が主流である。それによって結果として年間20ミリシーベルトが低い数値であるかのような錯覚を与え、「避難基準」にされている異常さを国民が認識できないようにしていると言わざるをえないだろう。
この種の山下の放言は尽きない。同年5月24日に公明党郡山支部が開催したセミナーでは、会場で「3カ月の乳児を育てている。子どもは大人の10倍、放射線への感受性が強いといわれているので心配だ」という質問が出たが、それに対する山下の回答は、「子どもの方が放射線の影響を強く受けるということは、正確には分からない。しかし、単位面積で考えると体が小さい方が影響があるのかもしれない」という信じがたい内容だった。
「ベルゴニー・トリボンドウの法則」で知られているように、放射線発ガンに関する感受性は、分裂を繰り返している細胞ほど高くなる。胎児や子供は成人と比較して細胞分裂や物質代謝が盛んなため、被曝時の年齢が10歳以下の場合、生涯にわたるガンの確率は成人に比べて数倍高くなるのは「正確には分からない」のではなく医学上の常識だ。「体が小さい方が影響があるのかもしれない」などという珍説を唱える「知見の持ち主」は、世界でも山下ぐらいだろう。
「セシウムで病気にならない」
山下は前述の『財界ふくしま』で、セシウムについても驚くべき記述を残している。
「半減期が30年のセシウム137は、実はこの地域(注=ベラルーシを指す)にまだ存在しています。汚染されたキノコを食べる、あるいは汚染された野菜を食べるということを、子供も含めて現地ではこの25年間続けています。……にもかかわらず放射性セシウムでは何ら疾患が増えていません。このデータはチェルノブイリ笹川プロジェクトが出した一つの結論であります」――。
この「チェルノブイリ笹川プロジェクト」については詳しく述べる余裕はないが、「1991年5月から1996年4月までの5年間で現地周辺12万人の調査解析を終了し、その検診結果」を得たとされる(山下「チェルノブイリ原発事故の健康問題」「プロジェクト」については、「山下教授と笹川財団」を参照)。
その現地における主要参加メンバーが、重松逸造や山下を弟子筋とする長瀧重信という「被曝ムラ」の名だたる御用学者であることだけで、「プロジェクト」なるものの実態が容易に想像されよう。そもそも「放射性セシウムでは何ら疾患が増え」ないのであれば、厚生労働省が今年になって食品中の放射性セシウムの新基準値を適用するなど対応措置をとること自体がまったく無意味になろう。
山下は、カトリックさいたま教区サポートセンターが発行した山下の講演録である『ほんとうに大丈夫?放射能』というパンフレットの中でも、「セシウム137に明らかな発がんリスクは証明されていません」「チェルノブイリ事故ではセシウムの被害は出ていません」などと断言している。
だがセシウムと「疾患」の因果関係については、このほど刊行されたベラルーシの元ゴメリ医大学長であるバンダジェフスキー博士の『人体に入った放射性セシウムの医学的生物学的影響―チェルノブイリの教訓 セシウム137による内臓の病変と対策 ―』(合同出版)を越える業績は存在しないだろう。死体解剖によって心臓や腎臓、肝臓などに蓄積したセシウム137の量と臓器の細胞組織の変化との環境を調べ、セシウム137による被曝が低線量でも危険だと結論付けた同書は、「チェルノブイリ事故ではセシウムの被害は出ていません」などと公言する山下の、根本的ないかがわしさを浮き彫りにしている。
しかも「県民健康管理調査」検討委員会が昨年の「健康管理基本調査」前に作成した『甲状腺検査 目的と概要』と題した文書では、「チェルノブイリで唯一明らかにされたのが、放射性ヨウ素の内部被ばくによる小児の甲状腺がんの増加であった」という信じがたい記述がある。セシウム137ではなく、ヨウ素だけが問題だと言わんばかりだ。
これも「チェルノブイリ笹川プロジェクト」が及ぼした害悪の一例であることは容易に考えられるが、この点で長瀧重信も同様だ。内閣官房の政策調査員として、「首相官邸災害対策ページ」というHPに「チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。例外は小児の甲状腺がん」など記述している。
またも誕生した「アドバイザー」
ここまで事実をわい曲する「専門家」が、政府と原発事故被災県の中枢に居座っている現実は、「3・11」を契機に露呈したこの国の歪みを象徴していよう。
日本弁護士連合会は昨年11月15日、福島県に『福島第一原子力発電所事故による被害者の健康管理調査の適正確保等を求める意見書』を提出したが、山下に関連して次のような警告が含まれていた。
「現在進められている福島県による県民健康管理調査は、それを実質的に担う『県民健康管理調査』検討委員会の委員の経歴・役職等から、座長である山下俊一氏をはじめ低線量被ばくの健康への影響については否定的な見解に立つ委員が多数を占めていると推察される。
低線量被ばくによる健康被害の発症については、専門家の間でも意見が分かれていることや、報道等を通じ、国民の間でも放射線被ばくに関する関心、不安が広がっていることを勘案すると、『県民健康管理調査』検討委員会の構成員には、低線量被ばくによる健康被害の可能性を指摘する複数の専門家はもちろん、実際に放射線の脅威にさらされ、不安を感じながら福島県内での生活を余儀なくされている市民や父母の代表、さらにはマスコミ関係者等の有識者も委員に加えるべきである」――。
もっとも、県の原発事故後の被曝に対処する行政にとって最大の問題とは、山下という人物がその責任がある組織のトップに就いていること自体にあるのであって、それは「低線量被ばくの健康への影響については否定的な見解に立つ委員が多数を占めている」以上の重大性を持つはずだ。
それでも県が、この『意見書』すら耳を傾けた形跡は皆無である。それどころか、問題の「県民健康管理調査」検討委員会は意趣返しのような対応をした。『意見書』が提出された20日後の12月5日、「福島県『放射線と健康』アドバイザリーグループ」なる組織を旗揚げしたのだ。
これは検討委員会によれば、「放射線に関する適切な情報の普及を図ることが重要であることから、専門的な見地から広く助言等を行うため」に、「①市町村からの要請に応じて、放射線量の測定結果を評価し、還元方法等について助言等を行う。……② 住民と直接触れ合う機会の多い医療従事者・学校関係者・市町村職員等を対象とした市町村や県が主催する講演会、研修会(勉強会)等での講師を担うことで、県民の放射線に関する理解の促進を図る」というのが「主な用務」とされる。
その「講師」を務める「グループ員」は16人いるが、当の山下自身が加わっているほか、山下と同じく根拠のない「安全神話」を振りまいている県の「アドバイザー」の神谷研二(広島大学原爆放射線医科学研究所長)や高村昇(長崎大学大学院教授)をはじめ、他に長崎・広島両大学の関係者が5人、「被曝ムラ」の牙城である放射線影響研究所(放影研)からは1人。HPで「およそ100ミリシーベルトまでの線量では、放射線とがんについての研究結果に一貫性はなく、放射線によりがん死亡が増えることを示す明確な証拠はありません」などと「解説」している「牙城」の一角である放射線医学総合研究所(放医研)からは2人が名を連ねるなど、一見して「低線量被ばくの健康への影響については否定的な見解に立つ委員が多数を占めていると推察される」のは明らかだ。
すべて「良性」?
結局、「県民健康管理調査」検討委員会が、自分で自分を新たに「福島県『放射線と健康』アドバイザリーグループ」に任命した形だが、すでに設置段階で2011年12月から翌年1月まで、県内10町村の「講師派遣」が決定されている。山下が原発事故直後から演じた「安全キャンペーン」を、今度は一般の住民ではなく教員を含む地域自治体の役人を対象に吹き込むのが狙いだろう。
だが、物言わぬ役人たちはともかく、繰り返すように県民の山下に対する「信頼度」が好転した兆しはない。それどころか、このような人物に県民の、特に被曝の影響が大人よりも深刻な子どもたちの命と健康を守れるのかという疑問がさらに増している。そうした懸念が表面化したのは、18歳以下の「甲状腺検査」だった。
「県民健康管理調査」検討委員会は昨年10月から実施した18歳以下の県民約36万人を対象とする甲状腺エコー検査の先行調査(警戒区域などに指定された浪江町、飯舘村、川俣町山木屋地区が対象)に関し、翌年1月になって、検査した計3765人のうち、29・7%にあたる1117人に5ミリ以下の結節(しこり)か20ミリ以下の嚢胞が見つかったと発表した。さらに0・7%の26人からは、5・1ミリ以上の結節と20・1ミリ以上の嚢胞があったという。
これにいて山下はすべて「良性」だとし、「原発事故に伴う悪性の変化はみられない」と新聞紙上でコメントした。だが、「良性」ではあっても3割もの子どもたちに結節や嚢胞が見られたという事実は見過ごされるべきではない。にもかかわらず、「原発事故に伴う悪性の変化はみられない」というコメントで、何を言いたいのか。「原発事故に伴う良性の変化がみられた」ということなのか。
そもそも、最初に福島の子どもたちの甲状腺異常が発見されたのは、同県ではなく彼らが短期滞在していた長野であった。以下は、昨年の『信濃毎日新聞』10月4日号の記事の抜粋である。
「認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信大病院(ともに松本市)が、福島県内の子ども130人を対象に今夏行った健康調査で、10人 (7・7%)の甲状腺機能に変化がみられ、経過観察が必要と診断されたことが3日、分かった」
「今回の調査で1人が甲状腺ホルモンが基準値を下回り、7人が甲状腺刺激ホルモンが基準値を上回った。甲状腺機能 低下症と診断された例はなかった。信大病院の中山佳子小児科外来医長は『現時点では病気とは言えないが、経過観察の必要があるので、再検査を受けるように 伝えた』としている」
「JCFの鎌田実理事長(諏訪中央病院名誉院長)は『いろいろ意見はあるが、被ばくの可能性は捨てきれないと思う。継続してフォローしていくのはもちろん、福島の新たな希望者がいれば、健康調査の枠を広げるつもりだ』と話している」――。
長野で子どもたちが受けたのは血液検査、尿検査だが、肝心の福島でこれが実施されない理由について県側からの納得できるような説明は未だ聞かされていない。しかも「被ばくの可能性は捨てきれない」という
理解が、なぜ当の福島県で論議されていないのか。
病理的現象の好例
さらに、福島での次の甲状腺エコー検査は2年後まで待たなければならないが、山下は今年1月16日、わざわざ日本甲状腺学会員に対し、次のようなメールを送っている。
「一次の超音波検査で、二次検査が必要なものは5、1㎜以上の結節(しこり)と20、1㎜以上の嚢胞(充実性部分を含まない、コロイドなどの液体の貯留のみのもの)としております。したがって、異常所見を認めなかった方だけでなく、5㎜以下の結節や20㎜以下の嚢胞を有する所見者は、細胞診などの精査や治療の対象とならないものと判定しています。先生方にも、この結果に対して、保護者の皆様から問い合わせやご相談が少なからずあろうかと存じます。どうか、次回の検査を受けるまでの間に自覚症状等が出現しない限り、追加検査は必要がないことをご理解いただき、十分にご説明いただきたく存じます」――。
これだと、保護者はセカンドオピニオンを他の医者に仰ぐこともできないどころか、成長期の子どもたちが2年間も無検査状態を強いられてしまう。なぜそれまでに「継続してフォローしていく」ことが禁じられねばならないのだろう。
このメールについて、琉球大学名誉教授の矢ヶ崎克馬(物性物理学)は、「とても危険だ」と怒る。
「日本では18歳未満の甲状腺異常のデータはありません。しかし子どもの甲状腺がんが多発しているベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故前はその発病率が100万分の1でした。それを考えれば、今回約3割の子どもたちから結節や嚢胞が見つかったという事実は極めて重大です。本来なら悪性に転化する可能性があるので半年ごとにしっかりとした検査をしなければならないのに、なぜ2年間もの間、追加検査の必要がないなどと言えるのか」
山下俊一という存在は、疑いなく「3・11」後に子どもたちの被曝を放置し、強制し続けるような役人の非人間性と腐朽、頽廃が生んだ様々の惨状や病理的現象の好例に他ならない。その根深さは、福島以外では山下の所業を正面から追及する声が乏しいという点に留まらず、あろうことか『朝日』のように他の医療団体と組んで昨年9月、がん対策の「将来性ある研究や活動等を対象に贈る」という「朝日がん大賞」の対象者にする新聞社まで現れたことでも示されている。
これに対し、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の世話人一同は9月3日、次のような抗議文を同社に提出している。
「貴社の9月1日付けの新聞を見て、わたし達『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』の一同、また、一緒になって、福島の子どもたちを守る市民運動に参加している関係者は愕然とし、同時に怒りを抑えることができませんでした。
なぜ、山下俊一氏の行っている行為がこのような形で評価されるのか、理解に苦しみます。氏の発言が、子どもたちを守ろうとしている福島の親たちをどれだけ苦しめてきたのか、またこれからも福島医大の副学長として福島県民を苦しめるつもりなのか、貴社の選考の基準には入っていなかったのでしょうか。
山下俊一氏は、3月の下旬から福島県に入り、『年間100ミリシーベルトでも問題ない。妊婦でも子どもでも危険はない』という発言をくりかえしてきました」
なぜ、山下俊一氏の行っている行為がこのような形で評価されるのか、理解に苦しみます。氏の発言が、子どもたちを守ろうとしている福島の親たちをどれだけ苦しめてきたのか、またこれからも福島医大の副学長として福島県民を苦しめるつもりなのか、貴社の選考の基準には入っていなかったのでしょうか。
山下俊一氏は、3月の下旬から福島県に入り、『年間100ミリシーベルトでも問題ない。妊婦でも子どもでも危険はない』という発言をくりかえしてきました」
『朝日』の醜態
「当時の同氏のこの発言は、福島市政だよりにも掲載され、福島県内で『安全神話』を築き上げてきました。
同氏は医学系の雑誌には、低線量被ばくのリスクを指摘する記事を書きながらも、福島では逆に低線量被ばくのリスクをまったく否定する言動をとったのです」(中略)
「実際には、福島では、多くの地域では、本来であれば、一般人の出入りが禁じられる放射線管理区域以上の高い汚染が広がり、チェルノブイリ事故と比較しても安心・安全とはいえないレベルの状況が続いています。同氏の発言は、多くの方の避難を躊躇させ、また、福島に住み続けることについて安心感を得させ、家族不和まで生んでいるのです。さらに、『危険かもしれない』という市民が憂慮の声をあげられない空気をつくりだしました。
この世に家族ほど大切なものがあるでしょうか。子どもほど大切な存在があるでしょうか。それなのに、同氏がつくりだした『安全神話』により、家族を守れずに、私たちがどれほど苦しんだか、言葉には言い尽くせないほどです。わたし達福島県民は、それでもなんとか明るく前向きに生きようと日々戦っているのです。
私たちは、このように山下俊一氏が、県の放射線リスク・アドバイザー、県民健康管理調査委員会の座長にあることに強い危機感を覚え、同氏の罷免を求める署名運動を行い、6607筆の署名を得ました。また、全国の署名運動では、1ミリシーベルト順守と避難・疎開と併せて同氏の罷免を求める要請項目を加えましたが、4万筆以上の署名が集まりました。
このような市民運動は一切報道せず、山下俊一氏のような人を『がん大賞』を授与するとは、御社の新聞社としての良識が疑われます。
わたし達は山下氏への『がん大賞』授与の撤回を求めるとともに、貴社紙面において謝罪を掲載することを求めます。
あわせて、このような批判があったことを、きちんと報道していただくことを求めます」――。
同氏は医学系の雑誌には、低線量被ばくのリスクを指摘する記事を書きながらも、福島では逆に低線量被ばくのリスクをまったく否定する言動をとったのです」(中略)
「実際には、福島では、多くの地域では、本来であれば、一般人の出入りが禁じられる放射線管理区域以上の高い汚染が広がり、チェルノブイリ事故と比較しても安心・安全とはいえないレベルの状況が続いています。同氏の発言は、多くの方の避難を躊躇させ、また、福島に住み続けることについて安心感を得させ、家族不和まで生んでいるのです。さらに、『危険かもしれない』という市民が憂慮の声をあげられない空気をつくりだしました。
この世に家族ほど大切なものがあるでしょうか。子どもほど大切な存在があるでしょうか。それなのに、同氏がつくりだした『安全神話』により、家族を守れずに、私たちがどれほど苦しんだか、言葉には言い尽くせないほどです。わたし達福島県民は、それでもなんとか明るく前向きに生きようと日々戦っているのです。
私たちは、このように山下俊一氏が、県の放射線リスク・アドバイザー、県民健康管理調査委員会の座長にあることに強い危機感を覚え、同氏の罷免を求める署名運動を行い、6607筆の署名を得ました。また、全国の署名運動では、1ミリシーベルト順守と避難・疎開と併せて同氏の罷免を求める要請項目を加えましたが、4万筆以上の署名が集まりました。
このような市民運動は一切報道せず、山下俊一氏のような人を『がん大賞』を授与するとは、御社の新聞社としての良識が疑われます。
わたし達は山下氏への『がん大賞』授与の撤回を求めるとともに、貴社紙面において謝罪を掲載することを求めます。
あわせて、このような批判があったことを、きちんと報道していただくことを求めます」――。
『朝日』は、こうした福島の人々のうめきにも似た悲痛な抗議に一切耳を傾けなかった。「撤回」もしなければ「謝罪」も「批判」の「報道」もすべて知らぬ存ぜぬを決め込んだその態度は、保身のためか山下の非を認めようとはしない小谷尚克ら県幹部の姿勢と何ら変わるところはない。ここまで大メディアとは、醜くなれるものなのか。
昨年末からの民主党政権によるありもしない「冷温停止状態の達成」を理由とした「事故収束言」や原発輸出、そして大飯第3、4号機を皮切りにした停止中の原発再稼働の目論見など、レベル7まで達した原発事故を早くも忘れてしまったかのような「現状回復」の動きがなしくずしに進んでいる。その中で、福島で繰り返されている「県民健康管理調査」検討委員会を筆頭とした行政による錯誤と「安全神話」復活の目論見は、確実に県外では関心の対象から外れてきているのではないか。
だが、いまだ予断を許さない危機的状態が深刻度を増しているように思える福島第一原発の1~4号機の実態、そして放射能に曝され続けている子どもたちを始めとする県民の今後の健康問題は、将来に向けた安易な楽観論を容易に覆す可能がある。その時期がいつ訪れるか予測困難だが、その時点で過ぎ去った時間を振り返ると、山下という人物のおぞましさに人々が改めて気付く機会が必ずあるのではないか。取り戻せない時間を悔やむ、絶望の念と共に。
(文中敬称略)
成澤宗男
1953年、新潟県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。政党機関紙記者を務めた後、パリでジャーナリスト活動。帰国後、衆議院議員政策担当秘書などを経て、現在、週刊金曜日編集部企画委員。著書に、『オバマの危険』『9・11の謎』『続9・11の謎』(いずれも金曜日刊)等
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1953年、新潟県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。政党機関紙記者を務めた後、パリでジャーナリスト活動。帰国後、衆議院議員政策担当秘書などを経て、現在、週刊金曜日編集部企画委員。著書に、『オバマの危険』『9・11の謎』『続9・11の謎』(いずれも金曜日刊)等
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私のブログ記事にリンクさせていただきました。
ReplyDeleteです。
私のブログに転載させていただきました。
ReplyDeletehttp://ameblo.jp/global7ocean/entry-11354235323.html
こちらに転載させていただきました。
ReplyDeletehttp://tamagodon.livedoor.biz/archives/51886497.html?1424588833#comment-form