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Thursday, May 01, 2014

沖縄100人委員会4.28「屈辱の日」の三つの声明

4月28日、「沖縄の平和創造と人間の尊厳回復をめざす100人委員会」が発表した三つの声明をここに掲載する。昨年「主権回復の日」として沖縄を切り捨てたこの4月28日を祝う式典を行った安倍政権は、沖縄の激しい反対を受けただけではなく約半数の国会議員、都道府県首長が欠席する中で行われ、おまけに出席した天皇夫妻の前で突発的な万歳三唱を行い、海外からも異様な目で見られた(参考:歴史誤認識に満ちた「主権回復の日」式典(http://peacephilosophy.blogspot.ca/2013/05/blog-post_13.html
この日は安倍政権にとっても最大の「屈辱の日」であったに違いない。それを証拠に、今年は式典も行わず、去年のことはなかったことにしたいかの如くだ。反省したことは間違いないだろう。しかし沖縄への「屈辱」は続いている。これらの声明を重い気持ちで受け止めている。一人でも多くの人に読んでほしい。

以下新聞報道を参照。

「沖縄、屈辱続く」4.28反対100人委が声明(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=68113

沖縄に「屈辱」今も 平和100人委員会、4・28声明発表(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-224478-storytopic-1.html

 
 4.28と沖縄の現状に対する声明   

昨年4月28日、日本の「主権回復の日」として政府主催の式典が東京で開かれた。対日平和条約第3条によって、沖縄・奄美を切り離しただけでなく、沖縄・奄美を米国の軍事統治下に置くことを許したのである。日本の主権を回復するのであれば、背に腹はかえられないとの思いはあったとしても、沖縄分離に対して慙愧の念を抱いていたなら、この日を祝うのはお門違いである。しかも、対日平和条約第6条では発効後90日以内に占領軍が撤退しなければならないことを定めていたにもかかわらず、日米安保条約の同時発効によって、米軍中心の占領軍は一度も撤退せず、在日米軍と名前を変えて60年以上経つ現在も駐留し続けている。二律背反する「撤退」と「駐留」を2つの条約で約束させられたことは、それこそ「屈辱」そのもののはずである。いくら政治的意図があったにせよ、これらの対日平和条約や沖縄分離、安保条約のいきさつを知らずに、「主権回復の日」として式典を開催した為政者は、4.28の「屈辱」の意味を深く考えるべきである。

自らの意思に反することを強い力によって無理やり服従させられ、辱めを受けることを「屈辱」というなら、日米両政府は沖縄にどれだけの「屈辱」を与え続けているであろうか。1996年4月12日、5年から7年以内に普天間を返還するとの日米合意が発表された。あれから18年が経つ。約束どおり履行していれば、沖国大米軍ヘリ墜落事故はなかった!悔やみきれない「屈辱」である。返還するといわれて、それ以上の基地を無理やり押し付けて、受け入れないほうが悪いというのは世界の常識からかけ離れている。「撤退」と「駐留」と同様に二律背反する「返還」と「県内移設」を、今度はひとかけらも「屈辱」を感じない日本政府が特に強行しようとして沖縄に大きな「屈辱」を与えている。

昨年の「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」では万人の県民が集い、声を上げた。それ以降沖縄にもたらされた状況は、5月28日に国頭村沖に米軍F15戦闘機が墜落したことに始まる。6月には沖縄市サッカー場で枯葉剤製造会社のドラム缶が発見されダイオキシンが検出された。8月3日から、県民の反対にもかかわらず、オスプレイの追加配備が開始された。5日に宜野座村キャンプハンセン内へ米軍ヘリが墜落炎上したことから、しばらく配備を控えていたが、配備再開後9月末には完了して24機体制となった。11月には、県選出与党国会議員が県内移設反対の公約を撤回し、辺野古移設容認に転じた。与党幹部の強い力に服従させられ、唇をかみながら「屈辱」の表情を見せる者もいたが、「屈辱」を微塵も感じない変身振りを見せた者もいた。さらに立て続けに与党沖縄県連も県内移設容認に転換した。極めつけは、年末、県内移設反対の姿勢を評価して支えた県民の声も多かった県知事の裏切り、埋立て承認である。「屈辱の日」を知るはずの県知事から県民が「屈辱」を受けるとは、この上ない「屈辱」といえる

今年に入っても、名護市長選で辺野古移設反対を訴える稲嶺氏が当選し、民意が明確になったにもかかわらず、国は辺野古埋立てを強行して「屈辱」を与えようとしている。高江ヘリパッド建設強行然り、与那国への自衛隊配備強行然り、現在の沖縄が受けているものは、平和を脅かし、人間の尊厳をおとしめる「屈辱」以外の何ものでもない。

 

2014年4月28日   沖縄の平和創造と人間の尊厳回復をめざす100人委員会
 



辺野古新基地と高江ヘリパッドの建設中止を求める声明

 
沖縄・やんばるからの訴え 

 「辺野古ボーリング調査阻止・座り込み10周年」を迎えた4月19日、海上パレード&集会が辺野古の海と浜で開催され、約500人の参加者が「埋め立て阻止」の声を上げた。辺野古新基地建設計画に反対して地域住民が立ち上がり、行動を開始した時から17年余、「新基地NO」の市民意思を示した名護市民投票からも16年以上が経つ。

10年前の4月19日、新基地建設に向けたボーリング調査を強行するためにやってきた作業車や作業員を、泊まり込んでいた多くの住民・市民・県民の抗議によって追い返したその日から海岸での座り込みが始まり、今日まで1日も休まず続けられている。カヌーや小船、ボーリングやぐらの上で、夏の焼けつく暑さにも、冬の身を切るような寒風にも、作業員の暴力にも耐えた1年に及ぶ過酷な海上阻止行動によってリーフ上埋め立て案を廃案に追い込んだのである。それは地域住民・名護市民だけでなく県内外、世界にまで広がった支援と共感の輪による勝利であった。

にもかかわらず、辺野古新基地建設を強行しようとする日米両政府は、新たにV字形沿岸案を当時の名護市長と県知事に受け入れさせ、オスプレイ配備をひた隠しに、海上自衛隊まで投入して違法不当な環境アセス調査や手続きを推し進めてきた。これに対し名護市民は、2010年の市長選挙で「海にも陸にも新たな基地はつくらせない」公約を貫く稲嶺進市政を誕生させ、オール沖縄の「県内移設反対」の流れを作り出した。県民世論に押されて、条件付き賛成だった仲井眞弘多知事も「県外移設」の姿勢に転換したが、しかし、沖縄差別に満ちた安倍自民党政権の恫喝やカネの力にし、民意を踏みにじって昨年末、辺野古埋め立てを承認した。

今年1月名護市民は稲嶺市長を大差で再選させ、民意をさらに明確に示したが、安倍政権はそれを嘲笑うかのように、市長選のわずか2日後に埋め立て手続きを開始し、刑特法や特別立法、警察や海上保安庁などあらゆる権力を総動員して市民・県民の抵抗を弾圧する姿勢を見せている。

来日したオバマ米大統領と安倍首相の会談を受けて4月25日に発表された日米共同声明は、「(辺野古への)早期移設および沖縄の基地の統合は、長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする」と明記した。これは、辺野古新基地建設によって沖縄を半永久的に米軍基地の頸木に繋ごうというものであり、断じて受け入れることはできない。

一方、東村高江では、世界でも稀有の生物多様性を誇るやんばるの森を切り裂き、集落をぐるりと取り囲むオスプレイ用ヘリパッドの建設が、地域住民の強い反対を蹴散らして強行されている。生活を守るために抗議の座り込みを行う住民を国が「通行妨害」で訴えたスラップ訴訟など、権力を振りかざした人権侵害が横行していることは、この国に民主主義は存在しないことを示すものである。

しかしながら私たちは、この間、日米両政府のどんな圧力・攻撃にも屈せず、子や孫たちの未来のために基地反対の意思を貫いてきた。次世代の生きる基盤である自然と平和、人権を守ること、それらのすべてを破壊する戦争と軍事基地に反対することは、今を生きる私たちの義務であり、責任である。私たちのこのたたかいに対して、米国をはじめ多くの国際的著名人・有識者が熱い支持を表明するなど世界的な共感が大きく広がりつつある。

ここに、仲井眞知事に辺野古埋め立て承認撤回を求め、日米両政府に辺野古新基地建設断念、普天間基地の閉鎖・撤去、高江ヘリパッド建設の中止・断念を強く求めるとともに、ジュゴンの棲む生物多様性豊かな清ら海、ノグチゲラやヤンバルクイナの棲むやんばるの森を「平和の海」「平和の森」として子々孫々に継いで行くことを決意し、「100人委員会」の声明とする。

沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会 2014年4月27日



与那国島の自衛隊新基地建設に反対する声明

 2014年4月19日、与那国島に陸上自衛隊基地建設に向けた起工式が開かれた。自衛隊の新基地建設だ。自民党安倍政権は、自衛隊の国防軍化を目指している。しかも、集団的自衛権の行使も認めようとしている。それは常に海外で戦争をしてきているアメリカの戦闘に参加することになる。皇国日本の軍隊が、海外で数多くの人びとを殺戮してきた悪夢のような歴史の道に再び踏み込もうとしている。尖閣諸島問題をめぐって、中国との間で沖縄戦再来前夜のような緊張が続いているさなか、国境の島・与那国島への自衛隊基地の新設は、国体護持のための捨石作戦で多くの住民に被害をもたらした痛哭の歴史の二の舞になりかねない。

2010年、日本政府は、防衛大綱に「島嶼防衛」(沖縄の宮古郡・八重山郡への自衛隊配備)を盛り込み、辺野古新基地建設とを併せて、沖縄全域の軍事要塞化を目論んできた。それは尖閣諸島での対中関係の緊張によって好機到来とばかりに、沖縄県海域での「離島奪還を想定した日米合同軍事演習」を企み、その軍事演習が矢継ぎ早に実施されてきた。しかも、陸上自衛隊の一部海兵隊化も狙っている。このような状況であればこそ、私たちは、過ぎし時代を思い返したい。

1972年5月15日に「日本復帰」した沖縄へ、自衛隊が配備されることになった。そのとき、自衛隊=旧日本軍と捉えた沖縄住民は、沖縄への自衛隊配備に猛烈な反対運動を展開した。その運動の激しさは、「自治体での自衛官募集業務協力拒否」、「自衛隊員の住民登録拒否」、「自衛隊員、家族の民間アパート入居拒否」などと、今日では想像できないほど激しい拒絶意識のもとに取り組まれていった。それは、1972年5月のNHKの沖縄住民意識調査の結果によると、自衛隊の沖縄配備に「反対」41%、「どちらかといえば反対」20%と、有権者の61%が反対の意思を表明していたので、住民世論の総意と言っても過言ではなかった。

また、その14年前の1958年1月18日、沖縄タイムス紙に沖縄青年連合会理事会が、「去る12月末突如として問題化した自衛隊募集の件について、われわれ沖縄青年連合会3万5千人会員並び8万青年は、次の理由を挙げて絶対に反対するものである。」と「自衛隊募集に反対」と意見広告を出している。

その理由として次の主な点をあげ、声明を発表している、「自衛隊は名称はどうであろうともまがいのない軍隊である。この事は国会に於いて憲法を改悪してまで軍備を合法化しようとしている事からも明らかである。」「最近本土に於いては自衛隊希望者が募集人員にも達せずその為に沖縄に目をつけたという事は、われわれに対する侮辱である。」「世界平和に対するわれわれの考え方は力の均衡による平和ではなしに、立場の相違や考え方の差を越えてあらゆる民族の共存を尊重することであり、国連軍縮委員会に於いて目下真剣に検討されていることも、段階的な軍縮でなければならず、究極に於いて一切の軍備を廃止することであり、このことのみが原水爆の脅威より人類の滅亡を救い、永遠の平和と繁栄を達成する只一つの残された道である。」「『もう二度と絶対に戦争は繰り返さない』と固く誓ったわれわれ沖縄県民は、全人類の先頭に立って世界平和を絶叫する立場にあり、再軍備に結びつき、戦争につながる自衛隊募集には絶対に反対し、全勢力を挙げて粉砕する事を声明する。」

 この声明文を発表した沖縄青年たちは、現在、80歳前後であろう。私たちは、過ぎし時代の沖縄住民の自衛隊に対する意思を思い起こし、自衛隊新基地の建設に強く反対する。

 

 沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会   2014年4月27日

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