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Tuesday, October 04, 2016

沖縄戦を学ぶ平和教育の場に、「靖国神社遊就館と同じ」と誇示する旧日本軍兵器が展示されている。

琉球新報10月2日「論壇」に載せてもらった。沖縄戦を学ぶ平和教育の場として知られる南城市の「糸数アブチラガマ」に旧日本軍の大砲と魚雷がことし3月から展示され、大砲の方は靖国神社遊就館に同じものが展示されているということをわざわざ誇示するような文言が説明版に付け加えられた。

まずこの「論壇」を読んでください。読みにくい場合は絵をクリックすれば拡大できるはず。


写真なしの記事では説明しづらい部分もあったので、このブログ投稿で写真も含めて補足する。

この問題について沖縄の新聞では、沖縄タイムスが5月に報道している。

『糸数壕近くに大砲展示「慰霊の場に不適」平和ガイド 「平和学習のため」南城市説明』 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/31143 (5月18日)

会員でないと全部読めない記事なので、私の記事にはなくこの記事にある事実を要約すると、
  • 大砲の方は「大里農村環境改善センター」、魚雷の方は「佐敷の老人福祉センター」に保管されていたが、「平和学習の拠点であるアブチラガマに展示した方が多くの人に見てもらえる」との市議の提案などもあり、約300万円の移設予算案が昨年度(2015年)の議会で可決された。
  • この記事ではガマを案内する「ゆうなの会」の當山菊子代表の声として「兵器は、アブチラガマにあった物ではない。展示がだめなのではなく、他の場所、または資料館でなら理解できる」と引用している。それに対し市は「平和祈念公園は祈りの場だが、人間の愚かさを示す兵器も展示している」と説明したようだ。また、沖縄国際大学の吉浜忍教授のコメントとして「兵器がなぜそこにあったのかという歴史を考えてもらうためにも、本来、発見現場での展示が望ましい」「移設するにしても、設置場所や説明文は、委員会を立ち上げて議論すべきではなかったか」とある。

また、この「論壇」の冒頭で書いたように、沖縄の季刊誌『けーし風(かじ)』(1993年創刊)7月号の記事「沖縄戦追体験の場に旧日本軍の大砲を展示」で宇根悦子氏が問題提起している。ここからポイントを取り出すと、

  • 「糸数壕は沖縄戦当時、地元住民の避難壕、旧日本軍の陣地壕、野戦病院壕として使用された。野戦病院が南部へ撤退していくとき、重傷兵約二百名が置き去りにされ、殺された」「近年は平和学習や観光で訪れる見学者が増え、年間数万人が入壕する。
  • 宇根氏が5月に東京の人たちを案内したときに大砲の展示に気づき、その後南城市政策調整課に講義と撤収を求めるメールを送った。その後観光商工課から来た返信メールには、3月に南城市が展示した説明として、「平和学習に役立てるために展示した。ご理解ください」とあった。宇根氏の怒りはおさまらない。
  • 宇根氏は過去の同様の問題に言及する。ひとつは2002年ごろ、沖縄県平和祈念資料館前庭に、旧日本海軍の魚雷が展示された。資料館監修委員会に諮らずに当時の県(当時の県知事は稲嶺恵一氏)が独断で展示した。魚雷展示のあと、修学旅行生がその前で記念撮影をするなど、平和祈念公園のシンボルとされてしまった。人々の批判が集まり、魚雷は地下埋没型の展示となる。
  • 2005年には西原町が町立図書館の入り口に旧日本軍の大砲を展示。目的は「平和教育」とされる。町民からの批判で撤収を求める署名運動が展開、「大砲は姿を消した」。
8月23日友人たちと訪問したときの写真をここに紹介する。

左の建物が、糸数アブチラガマ見学の案内所ともなっている南城観光総合案内センター。道をはさんで、展示されている大砲の砲身は角度によってはこの、平和学習の拠点になっている建物をターゲットにしているようにも見える。

道をはさんで、赤いズボンの人の右側、足元にあるのが二つの兵器の説明版。糸数アブチラガマを見学する人は右方の案内センターでヘルメットをかぶったりして準備した後、これらの説明版の前を取って左方面の壕入口まで行く。

これが二つの説明版。左側が魚雷の説明、右側が大砲の説明。



これが大砲の説明だが、南城市が3月にここに移設したときに付け加えた文言「現在砲としては、靖国神社遊就館にも展示されている。 平成28年3月移設 南城市」とある。

論壇で指摘した、文言が削除されているようなスペースというのは上の写真を見ればわかる。説明版の石には2本の切れ目が入っていて、上の方は、本文と「平成15年12月 大里村教育委員会」を分けている。「・・・をうけたといわれている。」の直後から切られており、文の途中で切られたように見える。黒い説明版の板の下に、もともと説明版がはられたいたときの枠組みであったかのように見える線があるのがわかるだろうか。数行の説明が削られたのではないかと疑う理由である。もう一本の線は、今回新たに付け加えた「靖国」のくだりなので、この線は説明がつく。

この「論壇」が出た直後、読んでくれた人からフェースブック経由で「これが大里にあったときの説明板だと思いますが、すでに切れ目はあるみたいです」と、このサイト「沖縄本島中南部お散歩マップ」の一ページを紹介された。

前の設置場所は「沖縄県南城市大里仲間928に位置する、南城市立図書館大里分館(大里農村環境改善センター)敷地内」ということだ。沖縄タイムスのニュースにこの場所は記されていたが、驚いたのは、ここは南城市立図書館の分館だったということだ。このサイトの筆者は、ここでも砲身が図書館入口に向かっていることを指摘し、「図書館入口に砲身が向かっているが、南城市では図書館に展示することに反対運動はなかったのだろうか。同時期に、榴弾砲を図書館に展示した西原町では、反対運動で、目立たない場所への移転を余儀なくされた」と言っている。この西原町の反対運動とは、宇根悦子氏が上で述べているもののことであろう。

要するに、この大里の図書館前に設置された大砲は、同時期に西原町の図書館前に展示された「榴弾砲」が反対運動で別の場所に移されたのに比べ、反対運動もおこらず、今年の3月になって糸数壕前に「靖国の遊就館と一緒」という説明とともに移設されたということだ。

ちなみにこの西原町の「榴弾砲」は、「お散歩マップ」の人によると、反対運動によって「西原町立図書館前」から、「西原町与那城124 の西原町中央公民館の建物の左から裏に回ったところ」に移されたようだ。説明版には

『この榴弾砲は、去る太平洋戦争の沖縄戦において、日本軍が使用した大砲で、平成16年12月、西原町幸地集落南西部の陣地壕跡から発見された。西原町は、この榴弾砲が原型を留めないほどにすさまじい日米両軍の戦闘がくりひろげられた激戦地で、当時の住民の約47%の尊い命が犠牲になった。破壊された榴弾砲をこの地に展示することにより、戦争の悲惨さ、愚かさを認識するとともに戦争のもたらす恐ろしさ、悲しさを語り継いでいくてがかりとしてほしい。二度とあの忌まわしい戦争を起こしてはならないという誓いと、平和の尊さを実感し、さらには平和教育の資料として役立つことを願い、終戦60年の節目にあたりこの榴弾砲を展示する。平成17年8月15日 西原町』

とある。写真はここ。これが、西原町図書館前にあったときのものをそのまま移したのか、移設したときに新たに作ったのかははっきりしないが、文言としては、戦争の愚かさ、悲惨さを強調し、「二度とあの忌まわしい戦争を起こしてはならない」という誓いとともに展示されたということで、「靖国と一緒」だと誇示している現在の糸数壕前の大砲の文言とは趣を異にしている。(注:「あの忌まわしい戦争」は沖縄が起こした戦争ではないので、「二度と起こしてはならない」という文言が適切だとは言わない。せめて「起こさせてはならない」というべきだろう。しかし戦争の否定をかたらない碑文や戦争を肯定する碑文よりはベターだという意味で比較した。)※この注は10月5日追記

また、「論壇」の読者が指摘していたのは、現在の糸数壕前の大砲の文言が一部削られているように見える件について、これは大里の図書館前にあったときからすでにそうだったということである。ことし3月の南城市への移設のときに削られたのではなさそうだ(写真はここ)。それでは、文言の一部が切られているのではないかという疑いが本当だったらいつ切られたのか、また、切られた部分は何という言葉だったのか、というのがますます気になる。これは私の勘ぐりであるが、西原町の「榴弾砲」の説明文が、戦争の愚かと悲惨さを強調する文言を含んでいることから、同様の文言があったのではないかという推測ができる。しかしこれはもちろん調べてみないとわからない。

誰か、関心と問題意識を共有する人、調べてみませんか。

また、今回の糸数壕前の、「靖国」の言及を伴う兵器展示は、南城市大里の図書館前に展示されたときに問題視されず、西原町のような反対運動も起こらなかったことの一つの帰結ともいえるのではないか。

「論壇」にも書いたが、平和学習の場での兵器展示に対する問題意識がもっともっと広まることを望む。沖縄戦の記憶の場所が、少しずつ、じわじわと、「靖国化」されることを許してはいけないと思う。

@PeacePhilosophy 乗松聡子




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