Tuesday, January 01, 2013

成澤宗男: 安倍晋三と極右歴史修正主義者は、世界の敵である Shinzo Abe, a Far-rightist, History Revisionist Prime Minister: Muneo NARUSAWA

See English version of this article in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus
"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History."
中国語版はここをご覧ください。安倍晋三 - 极右历史窜改主义者是世界和平的最大敌人
韓国語版はここをご覧ください。아베 신조와 극우 역사수정주의자는 세계의 적이다
新年のご挨拶を申し上げます。 

Peace Philosophy Centreのブログが始まったのは2006年秋、第一次安倍内閣の時代でした。戦争への反省をもとに作られた日本国憲法を基盤とする教育基本法が、議論も尽くさず、「タウンミーティング」におけるやらせ質問などの不正を経て改変されたのが2006年12月15日のことでした。そして6年後、安倍内閣は復活し、時計の針は戻されました。6年前に戻るどころか、安倍氏と下村文科相をはじめとする仲間たちは「未来志向」などと言いながら、実際は戦争の反省と被害への謝罪を表現した村山談話、河野談話、東京裁判を否定することによって侵略戦争と敗戦、現憲法までをも否定し、時計を戦前に戻そうとしているようです。原発についても安倍自民党は時計の針を半世紀戻しているように見えます。自民党は「原発ゼロは無責任」と言いましたが、「無責任」はまさしく、原発を地震大国に導入し、起こるべくして起こった大事故への責任感も皆無、原発再稼働どころか新設までしかねないこの政党に当てはまる言葉です。当サイトの2013年第一弾は、『週刊金曜日』の成澤宗男氏による、安倍復古主義首相の過去から現在に至る歴史否定の足取りを追う記事です。間もなく英訳も発表します。(1月10日追記、英語版発表しました。)
この記事はリンク歓迎、拡散を希望しますが、転載希望の場合は必ず info@peacephilosophy.comに連絡ください。       乗松聡子 @PeacePhilosophy 
(1月4日追記。一部元原稿が正確に掲載されていなかったところがあったため4日に訂正投稿してあります。)


安倍晋三と極右歴史修正主義者は、世界の敵である
 

週刊金曜日企画委員 成澤宗男

2013年1月2日

序章

 日本軍による南京大虐殺が起きて75年を迎えた2012年の12月、この恐るべき事件を歴史の記憶に刻み、伝え継ぐことによって二度と日本が他国と戦火を交えず、東アジアの平和を生み出すための教訓としようと考えた少なからぬ日本人にとって、極めて大きな試練が課せられた。

 同月16日に実施された総選挙の結果、前回の2009年8月の総選挙で敗北して野党に転落していた自由民主党が圧倒的多数を占め、再び政権の座に就いたのだ。しかも、首相に返り咲いたのは、極右歴史修正主義者の安倍晋三に他ならない。もはや、日本国内だけに留まらない段階となった。

なぜならこの自民党は、いまだ日本軍による加害の記憶が鮮明な中国や韓国、北朝鮮といった諸国に対し、この記憶自体があたかも歴史的に正確さを欠き、他国からの記憶の呼び起こしを求める隣国の声は不当な言いがかりであって、それに耳を傾けるのは「自虐的」と主張する歴史修正主義者の巣窟である。のみならず、自民党のこうした恥ずべき体質を最も雄弁に象徴するのが、安倍だからだ。

日本は19519月の対日講和条約の調印によって国際社会に復帰したが、日本から被害を受けたアジア諸国にとって前提とされたのは、日本が大日本帝国と決別し、自らの行為を加害者として隣国に心底から謝罪することであったはずだ。だが戦後のドイツ連邦共和国の出発点がナチズムとの決別とホロコーストへの謝罪であったのに反し、戦後日本の大半の時代を与党として君臨した自民党は常に歴史修正主義者の拠点であり続け、今もそれはまったく変わらない。

おそらく世界は、「ホロコーストはなかった」などと主張する政治家がドイツの首相に就任するという事態は想像しがたいだろう。だが南京大虐殺から75年たった現在、世界が目撃しているのは、日本の新首相が、今も南京大虐殺は「虚構」などと主張する歴史修正主義者の側に立つ政治家であるという驚くべき光景なのだ。

そのため、日本軍によっておびただしい数の人々が犠牲になり、その目撃者、体験者もまだ生存しているアジアの諸国民、そして北米を始めとしたアジア系コミュニティの人々は、この極右歴史修正主義者の首相に対し、「南京大虐殺は『虚構』だと考えているのか」、「日本が隣国を侵略したという歴史事実を認めるのか」と改めて質す正当な権利がある。

とりわけ韓国や北朝鮮、そして世界のコリアンにとっては、南京大虐殺と並んで大日本帝国が手を染めた最も残忍で恥ずべき犯罪の一つである従軍「慰安婦」について、「どのように認識しているのか」と安倍に質すことが急務である。なぜならこの首相は、今でも公教育の歴史の授業から、従軍「慰安婦」の既述を削除することに執着しているからだ。

このような人物が首相である限り、日本が国際社会復帰から61年が経とうとしている今日においても、改めてそこでの一員たりうる資格があるのか否かの正当性が根本的に問われるべきだろう。この作業の責務は、何よりもまず日本人が負う。同時に繰り返すようにアジアを始めとした世界の諸国民にとっては、そうした問いかけは正当な権利として与えられているはずだ。

1 安倍という政治家

 安倍は、自民党の中でも特異な存在である。この男は、外務大臣など要職を歴任し、自民党の総裁候補者の一人でもあった父親・安倍晋太郎の七光りで1993年に初当選して以来、一貫して党内有数の極右修正主義者として行動することにより、現在の地位を勝ち得たといってよいからだ。以下、その経歴を列挙する。 

  • 安倍は当選したばかりの19938月、自民党の「歴史・検討委員会」の委員となる。この「委員会」は右派の学者を招いて20回ほどの会合をもち、その検討内容をまとめて95815日(日本の敗戦記念日)に『大東亜戦争の総括』なる本を出版する。そこでは、大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争であり、アジア解放の戦争であった。 南京大虐殺、「慰安婦」などの加害はデッチあげであり、日本は戦争犯罪を犯していない。加害責任もない。 教科書には、侵略や加害についてありもしない既述があり、新たな「教科書のたたかい」(教科書を『偏向している』と攻撃する)が必要である――と既述してあった。現在の安倍も、同じ認識である。

  • 敗戦から50年目の19958月に侵略戦争への反省が盛り込まれた国会決議が採択されようとしていた動きに反対し、「歴史・検討委員会」のメンバーを中心とした右派の「終戦50周年国会議員連盟」が199412月に結成された際、安倍は事務局長代理に抜擢される。この「議員連盟」は、神道系を中心とした極右宗教集団と連携して「終戦50周年国民運動実行委員会」を運営し、「日本は侵略国家ではなかった」「戦争に反省する決議には反対する」という主張を盛り込んだ決議を、全国26県議会、90市町村議会で可決させた。
  • 党内のこうした右派議員は19966月、歴史教科書への攻撃を狙った「明るい日本・国会議員連盟」を結成し、安倍は事務局長代理となる。さらに安倍は19972月に結成された同じ歴史教科書への攻撃に特化した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(2004年に『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』と改名)の事務局長となった。
  • 安倍は常にこうしたグループの先頭に立ち、「従軍『慰安婦』は売春婦」だとして歴史教科書からの従軍「慰安婦」や南京大虐殺の既述削除に向けて奔走する。教科書を検定する文部科学省の官僚のみならず、教科書会社の社長や教科書執筆者に対しても、侵略戦争や従軍「慰安婦」の既述が「わい曲されている」などと詰問し、削除するよう圧力をかけた。
  • 安倍が官房副長官だった2001130日、日本の公共放送であるNHKが放映した番組「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」の制作に事前に介入し、従軍「慰安婦」を扱った箇所についてNHKの放送総局長に「ひどい内容だ」「公平で客観的な番組にするように」「それができないならやめてしまえ」と攻撃した。その結果、放映された番組の内容が大きく変更された。その中には、200012月に東京で開催された「女性国際戦犯法廷」の席上、日本軍による強姦や慰安婦制度が「人道に対する罪」を構成すると認定し、日本国と昭和天皇に責任があるとした部分の全面的カットが含まれる。 

2 「河野談話」への攻撃

 宮澤喜一首相時代の199384日、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(河野談話)が発表される。そこでは、官房長官の河野洋平が主に以下のような内容を述べていた。 

「調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」 

この河野談話に対し、同じ自民党ながら最も激しく攻撃したのが安倍であった。 

  • 安倍は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」とはかり、会合に河野を呼び、「確たる証拠もなく『強制性』を先方にもとめられるままに認めた」などと「談話」を攻撃したが、河野は屈しなかった。さらに安倍は1997527日にも衆議院決算委員会で「従軍『慰安婦』は強制という側面がなければ(教科書に)特記する必要はない。この強制性については、まったくそれを検証する文書が出てきていない」と発言している。
  • 安倍は幹事長当時の2004614日、日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が主催したシンポジウムの席上、「河野談話」を無視し、「従軍『慰安婦』という歴史的事実はなかった」と断言し、「文部科学省にも教科書改善(注=従軍『慰安婦』の記述削除)への働きかけを積極的に行っていく」と述べている。  

3 首相時代の二枚舌

安倍は2006926日、首相に選出される。だが、一国の代表としてそれ以前の極右歴史修正主義者の姿を貫くことは最初から無理があった。そのような姿勢は自民党、あるいは日本国内で通用はしても、到底国際社会では多大な嫌悪感と反発を招くのは明らかだった。特に安倍が醜態をさらしたのは、従軍「慰安婦」をめぐる問題であった。 

  • 安倍は2006104日、衆議院本会議で、河野談話について「政府の基本的立場は、河野談話を受け継いでいる」と答弁した。これに対し、安倍を支持していた右派勢力から批判があがったためか、200735日の参議院予算委員会で、「河野談話をこれからも継承していく」と述べながらも、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」などと答弁し、河野談話の「強制性」について修正が必要との考えを示唆した。
  • 米下院議会で2007131日、「『慰安婦』問題で日本政府に対し謝罪を求める決議」案が民主党のマイク・ホンダ議員によって提出された際、安倍は「決議が採択されても謝罪するつもりはない」「慰安婦を日本軍兵士が拉致・強制したとの『狭義の強制性』の証拠はない」などと繰り返した。「河野談話」自体、政府の名において「従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と「謝罪」しているにもかかわらずだ。しかも「強制」されたのでなく彼女たちがあたかも「自主的」に「日本軍兵士」の相手をしたと言わんばかりのこの発言は、米国の『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』、『ボストン・グローブ』といった各紙に批判された。
  • このためか、結局安倍は外国(特に欧米)の目を最後まで無視するわけにはいかなかったようだ。BBC2007427日、訪米した安倍がブッシュ大統領とキャンプデービッドで会談した際、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)」と発言したと報じている。また、米『ニューズウィーク』430日号は、訪米に先立って安倍をインタビューした記事を掲載したが、安倍は「私たちは、戦時下の環境において、従軍慰安婦として苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)と発言している。ここでは「強制性」を明らかに認めており、二枚舌と批判されても仕方なかった。 

4 再び牙をむく

 安倍は2007912日、国会での所信表明演説を行った直後、各党の代表質問を受ける当日になって突然政権を投げ出し、辞任するという前代未聞の醜態を演じた。世論から「無責任」との批判が浴びせられるが、何ごとも忘れやすい国民の性格に助けられて2012926日、再び自民党の総裁に選出される。その前後から、前の首相時代に保守派や右翼を失望させた「失敗した歴史修正主義者」の汚名を挽回するかのように、再び極右的言動を強めていく。

  • 名古屋市長の河村たかしが220日、中国共産党南京市委員会の幹部と面会した際、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と語り大きな問題になった。これに対して右翼勢力は36日、東京都内で「『河村発言』支持・『南京虐殺』の虚構を撃つ」と題した「緊急国民集会」を開いたが、安倍はそこに「河村支持」のメッセージを送った。さらに同年83日と924日には、右翼勢力の「機関紙」ともいえる『産経新聞』に「河村たかし名古屋市長の「南京」発言を支持する意見広告」 が掲載されたが、安倍は主な「呼びかけ人」の一人となっている。
  • 2012828日付の『産経新聞』で、安倍は首相時代に自身が「引き継いでいく」と明言したはずの「河野談話」について、また一転して「(自民党が与党に復帰すれば)見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」と発言した。しかも「見直し」の対象は、1982826日に、宮澤喜一官房長官が、教科書の検定にあたっては「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」を定めると発表した「宮澤談話」=「近隣諸国条項」敗戦から50年経った1995815日、村山富市首相が発表した「談話」の二つも含まれる。
この「村山談話」には、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と記されている。なおこの「村山談話」についても安倍は前首相時代、「政府の認識」だと答弁していた。 

  • なお、安倍新内閣の菅義偉官房長官は1227日の記者会見で、「河野談話」について「学者や専門家の研究が行われている。そうした検討を重ねることが望ましい」と見直しを示唆した。前首相時代に一度は実質的に認めた従軍「慰安婦」の「強制性」を、また蒸し返す可能性が高い。菅官房長官はこの会見で「村山談話」については、「歴代内閣の立場を引き継ぐ考えだ」と述べたが、その3日後の12月30日、安倍は産経新聞の単独インタビューに答え、「村山談話は、社会党の首相である村山富市首相が出された談話だ。21世紀にふさわしい未来志向の談話を発出したい」と言っている。安倍は「村山談話」が発表された当時、これに攻撃を加え、前首相時代には「引き継ぐ」と変えながら、首相を辞めた後に「見直す」と公言した。また首相に返り咲いたと思ったら一週間も経たないうちに「引き継ぐ」と「見直す」との矛盾したメッセージを世に対して送っている。
  • 2012410日、自民党本部で党の「文部科学部会」と「日本の前途と歴史教育を考える議員連盟」の合同会議が開かれた。そこでは文部科学省の担当者が呼ばれ、高校の教科書検定について報告したが、安倍は従軍「慰安婦」の記述について「動員された」「かりだされた」とする記述があると非難し、「自分は総理のときに、『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか?なぜ(政府答弁を)無視するのか?」と詰問し、また「強制性」を問題にした。安倍によれば、従軍「慰安婦」について記述すると、「常識からかけ離れた教科書」(2011510日に都内で開かれた右翼の集会での発言)なのだという。なおこの席では、自民党議員たちは、「中学校の教科書から従軍『慰安婦』の記述が削除されたのに、高校の教科書に記載されている」との批判が相次いだ。
なお、この「『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか」という安倍の主張はおかしい。安倍が示しているのは前首相時代、辻元清美衆院議員の質問書に対する2007316日の閣議決定をへた答弁書のことだ。ここでは「河野談話」について、「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承している」と言明している。 

「河野談話」では、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と、その「強制性」を認めている。 

安倍首相時代の2007年の答弁書では、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と述べているが、特に「河野談話」と食い違っているわけではない。なぜなら、「河野談話」を取りまとめた当時の 石原信雄官房副長官は、次のように認めているからだ。 

「結局私どもは通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証するような物的証拠は結局見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち16人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦にされたことは間違いないということになりましたので」、「調査団の報告をベースにして政府として強制性があったと認定したわけです」(アジア女性基金オーラルヒストリー・プロジェクトの聞き取りより、200637日)。 

したがって安倍が今になって、教科書に「動員された」「かりだされた」という記述があるのを怒るのは不思議である。「資料」ではなく、従軍「慰安婦」にされた女性自身の聞き取りからそのような記述は裏付けられているのであって、何もおかしくはない。「変更」などなかったのは、安倍自身も含め歴代内閣が「河野談話」を「継承」すると宣言しているからだ。安倍は、わずか5年前の自分の行為の意味もわからないほど愚かなのか。

  • 安倍は20121226日、新内閣の閣僚を発表したが、19人の閣僚中、これまで一貫して教科書から従軍「慰安婦」や南京大虐殺の記述を削除させる策動を続けてきた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーが約半数の9人加わっている。さらに、神道勢力を中核とする日本最大の右翼団体である「日本会議」と連携している「日本会議国会議員懇談会」に加盟する閣僚が、安倍も含めて実に13人もいる。安倍新内閣の極右的性格を雄弁に示している。
  • 安倍が任命した新閣僚で、最も警戒を要する一人は文部科学大臣の下村博文である。この男は「日本会議国会議員懇談会」の幹事長であり、極右歴史修正主義者として安倍と共に「教科書攻撃」を一貫して続けてきた。安倍が再び自民党の総裁に選任された直後に新設した「教育再生実行本部」の本部長であり、今回の総選挙に際し、自虐史観に基づく偏向教育の中止「宮澤談話」による教科書検定での「近隣諸国条項」の廃止愛国教育の強化――といった党の「教育に関する公約」を作成した。下村氏は、日本の侵略の歴史を認めたり、反省することが「自虐史観」だと主張している。今後、日本の歴史教科書の記述がどのように改悪されるか、国内外での注視が必要であろう。   

5 世界が今後日本を警戒すべき理由

安倍は新首相になって再び、日本国内で極右歴史修正主義者として振る舞いながら、米国に出向くと「大変申し訳なく思う」とか「責任を感じている」などと口にする二枚舌を使うつもりなのか。日本国民ならず全世界の人々は、それを決して許すべきではない。

安倍は2012828日、テレビに出演し、「河野談話をそのまま維持すれば韓国と真の友好関係を結べない」という趣旨の発言をした。だが、韓国の人々にとってみれば、安倍のような人物が首相となり、あるいは「有力政治家」でいられ、さらには自民党のような恥を知らない徒党が支配的である限りは、日本に対して永遠に「真の友好関係」を築けるとは考えないだろう。これは韓国のみならず、アジア、ひいては全世界の国々にとっても同様のはずだ。

 改めて繰り返す。安倍のような極右歴史修正主義者たちが権力の頂点を握った日本が今問われているのは、国際社会の一角を占める正当な資格があるのか否かである。

 下村は2012年10月3日、アパホテルチェーンのオーナーとの会談で、「前回の安倍政権が掲げた『戦後レジームからの脱却』は、東京裁判史観や河野談話、村山談話など日本の近現代史の全てを見直すということです」と述べている。この「東京裁判史観」とは、安倍や下村など極右歴史修正主義者がよく口にするが、要するに日本を侵略国家として裁いた1946年5月3日から1948年11月12日まで開廷された極東軍事裁判は勝者による裁きであり、日本を侵略国家として裁いたのは認め難いという主張が前提にある。

 だが対日講和条約は第11条で「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」する(Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan)と規定している。この「戦争犯罪」は、言うまでもなく中国を始めとしたアジア諸国への侵
略を指す。

安倍や下村が「東京裁判史観」を「見直す」ならば、論理的に考えると政府としてこの裁判の無効を宣言し、同時に日本との講和条約に署名した世界48ヵ国に破棄を通告しなくてはならなくなる。それがいかに非現実的で愚かなことか、安倍に象徴される日本の極右歴史修正主義者は理解できないらしい。

彼らは侵略の事実を頑として認めようとせず、「自存・自衛の戦争」と居直り、その事実を認めることは「自虐史観」と非難するのだ。しかも教科書を通じ従軍「慰安婦」や南京大虐殺の事実を教えることに対しても、執拗に妨害し続けている。このような勢力が再び権力を握ったことは、日本の民主主義と国際上の信頼性にとって大きな脅威である。同時にそれは、アジアを始めとした国際社会への挑戦なのだ。

この極右歴史修正主義者の挑戦に対し、世界は反撃すると共に、安倍が一歩国外に出たならば、現地で抗議行動が取り組まれ、開催されるだろう記者会見で報道関係者が上記に記した事実を確認する質問を提出することを強く望む。それは、安倍が国際的視野からすればいかに自身が恥知らずで、卑劣な存在であるかを思い知らせるための最も有効な方策となるだろう。

安倍に象徴される日本の極右歴史修正主義者は、ドイツのネオナチと同様に、自国民のみならず世界にとっても共通の敵なのだ。


Thursday, December 27, 2012

「バトンタッチ!」中沢啓治さんを追悼して Remembering Nakazawa Keiji

2011年8月4日、日本、米国、中国、韓国ら出身の大学生を対象に
証言する中沢さん。左は近藤紘子さん、右はこのブログ筆者の乗松聡子。
12月24日、バンクーバーの自宅でクリスマスディナーの支度をしているときにニュースが飛び込んできた。 『はだしのゲン』で知られる漫画家、広島原爆被爆者の中沢啓治さんが12月19日に亡くなられたと。信じられない思いだった。病気だとは聞いていたが、こんなに早く逝ってしまうとは、思いもよらなかった。中沢さんを心から尊敬していた私は動揺し、客人を招いてのパーティはやっとの思いで乗り切った。

 昨年(2011年)8月4日、広島で、1995年から続いているワシントンDCのアメリカン大学と立命館大学による広島・長崎の平和の旅の参加者ー学生、教員合わせて50余名を対象に中沢さんが証言したときに通訳を務めた。訃報を聞いて、そのときの体験が昨日のように蘇ってきた。この旅にいつも同行する被爆者、近藤紘子さんの父親、故・谷本清牧師の功績を記念する谷本清平和賞を中沢さんが受賞した縁で、近藤さんが中沢さんのトークを手配した。会場は広島市立大平和研究所教授の田中利幸さんが提供。

 私は『はだしのゲン』は原爆を伝える文学の中でも突出したものであると思っている。原爆被害の描写のリアルさ、被爆者を美化せずその人間性の複雑さを描写しきった点、そして被爆の被害だけではなく、日本の軍国主義と植民地主義、トルーマンの原爆投下責任、天皇の戦争責任、アジア隣国への加害についてもタブーはなしに、するべき批判をしている。これは戦争中から戦争を批判し非国民扱いされ、投獄・拷問されても信念を貫き通した父親の影響によるものだろう。私は昨年、その中沢さんに会えて通訳ができる光栄に恵まれ、尊敬の念に心躍らせ通訳に臨んだ。


講演後学生たちと。
中沢さんの体験は、『ゲン』を読んで知っていたので覚悟はしていた。辛い体験を通訳するための心のタフさというのは身につけていたつもりだったが、このときは被爆者の通訳をして6年、初めて最中に泣き崩れるという醜態をさらしてしまった。『ゲン』を読んだ人は知っているだろうが、原爆が落ちたとき、小学校の塀の陰にいて奇跡的に助かった啓治さんは帰宅し、母親は助かっていたが父親と姉、弟が壊れた家の下敷きになっていた。姉はもう死んでいるようだったが父と弟は生きていた。火の手が迫るなか、どうしても救い出せない状況の中、「一緒に死ぬ」と泣き叫ぶ啓治さんの母の手を隣人が無理に引いて逃げた。お母さんは極限状況の中、自分が出産直前であったこと、啓治さんが生き残っていたことで、生き残る勇気を得たのだろう。しかし、夫と、焼かれるわが子が「おかあちゃん!あついよ!あついよ!」と助けを呼ぶ声を後にして逃げなければいけない母親のことを思うと、これ以上むごいことはあるのか、と・・・言葉にはならない。通訳などできない。

そのあと関係者で食事に行ったのだが、中沢啓治さんは私が席を外している間、アメリカン大学の引率ピーター・カズニック教授に、このように強い感情的反応をした通訳は初めてだ、と、肯定的に話してくれていたようだ。それを聞いてほっとした。この食事の席上で、中沢夫妻の前に座ることができて、『ゲン』を読んで疑問に思っていたことをいろいろ聞くことができた。特に『ゲン』に出てくる、日本人から差別を受けながら、戦争に反対するゲンの家族の味方になってくれた朝鮮人の隣人の朴(パク)さんが実在する人だったと聞いて嬉しかった。また、漫画では、原爆で死んだ弟にそっくりな原爆孤児「隆太」という子が出てきて、母親とゲンは家族の一員として家に迎え入れたということになっていたが、やはりその子も実在していた。死んだ弟に似ているという部分は脚色だったようだが、「隆太」がその後悪の道に足を踏み入れた経緯などは事実に沿っていたようだ。今その方はどうしているのですか、と聞いたら中沢さんは苦笑し、「刑務所にいるよ」と言った。
2011年8月4日、食事会で、中沢啓治ご夫妻と。
奥さんのミサヨさんはずっと中沢啓治さんの仕事を支えてきた。

 そのときの中沢さんのトークが、手違いで録音も録画もしていなかったことをずっと悔やんでいたのだが、亡くなったと聞いて後悔の念はより強まった。あのとき聞いた話と似た記録はどこかにないかと思って探したら、中国新聞が今年の7月に15回シリーズで中沢さんのインタビューを掲載していた。同紙が核廃絶・平和推進のために日本語と英語で提供しているウェブサイト「ヒロシマ・ピース・メディア・センター」で全部読むことができる。昨年聞いたお話はほぼこれに沿っているもので、中沢さんの最期の年となった2012年半ばにこの企画をした中国新聞に心から感謝している。

食事会で関係者と記念撮影。前列右から近藤紘子さん、
中沢夫妻、アメリカン大学教授カズニックさん、後列右から筆者、
立命館大学教授の藤岡さん、中沢さんの映画の製作にかかわる
渡辺さん、広島市立大平和研究所教授の田中さん。
中国新聞ヒロシマ・ピース・メディア・センター
「『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん」15回連載インタビューはここから見られる。(2023年4月追記。現在は中国新聞デジタルのページにあり、有料会員しか読めない設定になっている)。

英語版は、各回のページの右上のところで "English" のボタンをクリックすると見られる。15回分のリンクリストは以下にある。
My Life: Interview with Keiji Nakazawa, Author of “Barefoot Gen"
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/index.php?topic=Features_en&page=2
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/index.php?topic=Features_en
(2023年4月追記。現在はこれらのリンクは切れており、英題で検索すれば探し出せる。第一回目はここにあるが全15回のリンクのリストはなさそう。)

最終回で中沢さんが使った言葉「バトンタッチ」は、昨年8月4日の証言後のQ&Aでも繰り返し出てきた、中沢さんの若い世代へのキーワードであると思う。昨年の殴り書きの通訳ノートをもとに、おもにQ&Aで中沢さんが世界から集まった学生たちに伝えたことを書き記しておきたい。
父は京都で滝沢修などと一緒に演劇をやっていたこともあり、反戦思想があった。そのせいで投獄され、1年半経って帰ってきたときには歯ぐきがボロボロになっていて気力もない人間になってしまっていた。塩を一切与えないという拷問を加えられていたのである。自分たちは学校では天皇のために死ね、と教えられた。「東条さん、東条さん、えらい人」といった歌を教わり、家で歌っていたら「バカたれ!」とおやじに怒られた。東条は悪い奴だ、そんな歌はうたうなと。

バトンタッチがしたい。戦争はいけない。平和憲法を守り戦争をしない世にしないといけない。これだけの犠牲を払った上でこの憲法を得たのだ。戦争をしないということは民主主義の根幹である。人類は核兵器をまだもっているが、広島長崎の教訓がわからないのか。人類の滅亡と背中合わせなのだ。恐ろしい地球に我々は生きている。核のない世界をまず築かないといけない。自分はもう72歳、先は見えている。(アメリカ人の学生たちに対して)アメリカに戻って多くの人に伝えてほしい。

20世紀を繰り返してはいけない。自分は若い世代にバトンタッチがしたい。自由に交流できる世界をつくり、自分たちの経験を継承して、戦争をなくしていってほしい。戦争は儲かるものだ。「死の商人」たちが儲けて市民が犠牲になることを許してはいけない。
  中沢さんは、亡くなる前に「やりたいことは全部やった」と言っていたそうである。それを聞いたときに、はっと思った。私たちがしなければいけないことは、立ち止まって泣いていることではなく、彼から受け取ったバトンを受け取り走り続けることであると。ゲン(中沢さん)のお父さんがいつも言っていたように、踏まれれば踏まれるほど強くなる麦のように生きることであることを。このようなむごい別れが繰り返されないように、戦争と暴力を止めることを。

2012年12月27日 

乗松聡子 @PeacePhilosophy


Monday, December 24, 2012

Holiday Greeting: 平和の最大の敵は無関心である。戦争の最大の友も無関心である。(阿波根昌鴻) "The biggest enemy for peace is indifference. The biggest friend for war is also indifference." (Ahagon Shoko)


With  Best Wishes for the Holidays・・・

阿波根昌鴻 Ahagon Shoko

沖縄・伊江島の「ヌチドゥタカラの家」に行って欲しい。沖縄戦で息子を亡くし、米軍に暴力的に接収された伊江島の土地を取り戻すため、生涯非暴力抵抗・説得・教育活動に尽くした阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)氏の平和思想を学び行動に結びつけたいThere is a peace museum called "Nuchi du Takara," meaning "Life is Treasure," on Iejima (Ie Island), half an hour ferry ride from the Motobu Peninsula of Okinawa Island, which honours leader of the residents' movement for return of their farm land,  late Ahagon Shoko (1901-2002). After the Battle of Okinawa, much of the farmers' land was forcefully confiscated by the occupying US military, and still today, one third of the island is occupied as the US Marine Corps training ground. Ahagon insisted on non-violent resistance, persuasion, and education, and is known by many in Okinawa and beyond as "Okinawa's Gandhi." To learn more about Ahagon and the history of resistance in Iejima, see below articles: 

--I Lost My Only Son in the War: Prelude to the Okinawan Anti-Base Movement (Ahagon Shoko and Douglas Lummis)

--Beggars’ Belief: The Farmers’ Resistance Movement on Iejima Island, Okinawa (Jon Mitchell)




すべて剣を取るものは剣にて亡ぶ(聖書)
基地を持つ国は基地で亡び
核を持つ国は核で亡ぶ(歴史)
Ahagon's words that signify his philosophy of peace are written on the outside wall of the museum and everywhere in the facility, which also offers accommodation and a lecture room. On the left of the door says "Those who take weapons perish by weapons (The Bible). Those who have military bases perish by military bases. Those who have nuclear weapons perish by nuclear weapons (History)." 

Inside the museum--- clothes worn by those who were victimized by the Battle of Okinawa. It says "We want people who need weapons and wage wars to wear these clothes." 


館長の謝花悦子(じゃはな・えつこ)さんと。後ろは事務局長の山城弘子さん。
(2012年11月26日)
Author (right) with Jahana Etsuko (in the chair), Director of the Museum. At the back is Yamashiro Etsuko, administrator. 



平和の最大の敵は無関心である
戦争の最大の友も無関心である
"The biggest enemy for peace is indifference. 
The biggest friend for war is also indifference."


伊江島はいまだに島の3分の1が海兵隊基地として取られたままである。沖縄戦や戦後の土地接収を経て、もうこれ以上の受難が許される場所ではないのに、2012年10月からさらにオスプレイ訓練が、夜間も含め行われるようになった。
Twelve of MV-22 Osprey were deployed in Okinawa, despite the all-island opposition at the beginning of October 2012 (See also Okinawan's message for US Marine Corps). As if Iejima had not suffered enough, the island is now being used daily for Osprey training, causing intense noise and fear among the residents, of the accident-prone aircraft. 

真謝地区の、米軍基地と隣接した場所にある「団結道場」。1961年に建てられ、「伊江島土地を守る会」の集会場として使われた。
"Danketsu Dojo" (Solidarity Training Centre)built in 1961 and used by Ahagon and his colleagues for return of their land.

今こそ団結してオスプレイの訓練中止、配備撤回をさせなければいけない。無関心を敵とし、平和のために声をあげ、暴力に抵抗し、行動しなければいけない。As Ahagon said, make indifference our enemy, and concern and action our friend. Osprey training must be stopped, and the aircraft must be overall removed from Okinawa. 


阿波根昌鴻氏と伊江島のたたかいについての参考図書

『命こそ宝 沖縄反戦の心』(岩波書店)
『米軍と農民 』(岩波書店)



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今年も当サイトの記事を読んでいただきありがとうございました。
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--- Satoko Oka Norimatsu, Director, Peace Philosophy Centre

Saturday, December 15, 2012

米国務省記者会見記録には「中国に『尖閣は日米安保適用』と伝えた」などどこにも書いてない

日本のメディア―NHK共同通信読売産経毎日、等―は、14日に国務省記者会見でベントレル報道官が、「領空侵犯」について米国が中国に懸念を伝え「尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲であると直接伝えた」と報道しているが、国務省の14日記者会見記録の該当部分を見るとベントレル報道官は「日米安保条約」などどこにも一言も言っていないことがわかる。

 

「安保適用」と解釈されたのはどうやらこの部分のようだ(ブログ運営者による翻訳つき)。

QUESTION: On the Chinese plane flying over the Senkaku Island airspace, Toria said that she had – she didn’t have anything new to say. And yet to me it seems like quite a bit of escalation, and I think the Japanese Government considered it such as well. Does the State Department really believe that this is nothing new, this air incursion?
質問:尖閣諸島空域に中国の航空機が飛んだことについて、トリア(訳者注:ビクトリア・ヌランド報道官の前日の会見を指す)は今回のことで何も新しいことを言うことはないと言っていました。しかし私にとってはこれは事態のエスカレーションのように見えますし、日本政府もそのように受け取っています。国務省は本当に今回の領空侵犯を何も新しいことではないと考えていますか。

MR. VENTRELL: Well, let me just say that we are concerned by the flight of a Chinese Government airplane near the Senkakus. It’s important to avoid actions that raise tensions and to prevent miscalculations that could undermine peace, security, and economic growth in the region. And so we’ve raised our concerns with the Chinese Government directly and made clear that U.S. policy and commitments regarding the Senkakus Islands are longstanding and have not changed.
ベントレル氏:私がいえることはただ、我々は中国政府の航空機が尖閣諸島の近くを飛んだことに懸念(concerned)を持っているということです。緊張を高めるような行動を避けること、この地域の平和、安全保障、経済的発展を妨げる判断ミス(miscalculation)を伏せぐことが大事です。だから中国政府に対して直接懸念を伝え、米国の尖閣諸島に関する方針(policy)とコミットメント(commitment)は長期にわたるもので(longwithstanding)これまでと変わっていないということを明確にしました。

会見全体を見回しても「安保条約」に触れているところはどこにもなく、報道のされ方からも、どうやらメディアは、この「米国の方針とコミットメントは長期にわたるもので、これまでと変わっていません」の部分を「尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲である」と解釈してあたかも国務省がそう言ったかのように報道しているようなのである!!!見回したところ各社、見出しには「米、中国に懸念を伝達」と、事実に沿ったものになっているところが多いが本文ではおしなべて「尖閣安保適用」と言ったかのごとくに書いてある。NHKに至っては記事の見出しまでが「米 中国に尖閣は日米安保適用と伝える」となっている!
 
これを過大解釈、ねつ造の次元にある報道と思うのは私だけだろうか。私は2009年以来、国務省、国防省の会見や米国要人の発言がいかに日本のメディアや官僚や政治家によって歪曲されて報道されてきたかを追ってきている(ここクリック)ので、今回も「米国が中国に尖閣安保適用通達」報道を見て「臭い」と感じてすぐ原文に行ってみたら、やはりそんな言葉はどこにもなかった。会見外でオフレコで言ったとでもいうのかそれならそう書くべきであるが、報道では「会見で」と言っている。ベントレルが本当に会見中にそう言ったのだったら、その発言自体をNHKは放映するのが当然であると思うが、NHKが放映したベントレル発言(リンクはそのうち切れると思うが12月15日時点ではhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20121215/k10014204231000.html)は上の発言のうち、

And so we’ve raised our concerns with the Chinese Government directly and made clear that U.S. policy and commitments regarding the Senkakus Islands are longstanding and have not changed.(だから中国政府に対して直接懸念を伝え、米国の尖閣諸島に関する方針とコミットメントは長期にわたるものでこれまでと変わっていないということを明確にしました。)

の部分だけである。「安保条約のことは言っていません、この発言をそう解釈しました」と認めているようなものである。ベントレル氏によって具体化を避けて示された「方針」と「コミットメント」を「安保条約が尖閣に適用する」と解釈したのだとしたら、それは解釈であると明記すべきである。あえて私が解釈すれば、米国の尖閣諸島についての「方針」は、沖縄返還時、尖閣諸島の施政権は日本に返すが領有権については立場を明らかにしないといっている、その立場のことではないかと思う。米国の「コミットメント」については曖昧であり確信はないが、ベントレルが言っているようにこの地域の平和を保ち経済発展を守るためのコミットメントとも取れるし、実際に安保条約を適用させて尖閣を米国の武力で中国から守る用意があるコミットメントとの解釈もあり得ると思う。実際にクリントンもパネッタも過去に「尖閣に安保適用」と言っているのであるから。

しかしそういう解釈が有り得るということと、ベントレルが言ってもいないことを言ったかの如くに報道していいかということは別問題だ。

言語のギャップを利用することにより、尖閣問題において米国が日本の味方であるかのように演出するための恣意的、作為的な報道をするのは倫理的に大きな問題があるとは言えないか。騙されないようにしっかり監視している人間がいるということを忘れないでほしい。@PeacePhilosophy