Friday, December 12, 2014

沖縄県新知事・翁長雄志氏の就任あいさつを聞いて

沖縄県翁長雄志新知事が県民の8割にも上るといわれる「辺野古新基地反対」の民意を託されて誕生した。 以下12月12日新知事就任あいさつの全文である。
 ハイサイ、グスーヨー、チューウガナビラ。
 平成26年第6回沖縄県議会の開会に当たり、提案しております議案のご説明に先立ち、県政運営に関する私の所信の一端と基本的な考え方を申し述べ、議員各位、ならびに県民の皆さまのご理解とご協力をたまわりたいと存じます。
 私は、去る11月16日の県知事選挙において、有権者多数の支持を得て当選いたしましたが、本議会に臨み、142万県民の知事として、その責任の重さにあらためて身の引き締まる思いであります。
 県民の皆さまのご期待に添うべく、全力で県政運営に取り組んでまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
 さて、これまで、私たちは、自ら持ってきたわけではない「基地」を挟んで「経済」か「平和」かと厳しい選択を迫られてきました。しかし、社会情勢の変化とともに、これらは両立し得るものとなってまいりました。
 私たちは、「経済と生活」「平和と尊厳」を県民一人ひとりが手にすることができるようになりました。このことをしっかり自覚した上で、「誇りある豊かさ」を求める沖縄県民の意思を明確に示さなければなりません。
 こうした考えの下、私は、議員各位、ならびに県民の皆さまと心を一つにし、県政運営に力を尽くしてまいる所存であります。
 県政運営に当たりましては、沖縄が持つ地域力、文化力、伝統力、人間力、自然力、離島力、共生力、経済力など、国内外の多くの人々を魅了する大いなる可能性を秘めたソフトパワーで沖縄の未来を拓(ひら)いていくことが重要であると認識しております。
 私は、こうした県民の誇りの上に沖縄経済や社会が成り立つ「誇りある豊かさ」を手にしていくことが今後の沖縄が目指すべき姿だと考えます。
 このような認識の下、県民の英知を結集してつくられた沖縄21世紀ビジョンで示された将来像の実現を目指して、うやふぁーふじ(先祖)から受け継いだソフトパワーを生かし、3つの視点から、沖縄を拓き、うまんちゅの笑顔が輝く沖縄を創りあげてまいります。
 一つ目は、沖縄の「経済」を拓く―経済発展プラン―の視点であります。
 経済振興につきましては、成長著しいアジアのダイナミズムと連動した「アジア経済戦略構想」を策定し、国際物流拠点の形成をはじめ、情報通信関連産業、観光リゾート産業の振興などのリーディング産業の拡充、強化を進め、沖縄の経済をさらに発展させてまいります。
 空手・古武道、組踊などの文化資源を守り育てながら観光資源化を図ってまいります。
 健康・医療分野、環境・エネルギー分野では、沖縄の地域特性を生かした産業の集積を図ってまいります。
 農林水産業につきましては、亜熱帯気候を生かした沖縄ブランドの確立や6次産業化などを図ってまいります。
 中小企業など地場産業の活性化を着実に進めつつ、沖縄の優位性を生かした新たなビジネスの動きについてもしっかりと捉えながら、広範な経済発展施策を展開してまいります。
 二つ目は、沖縄の「幸せ」を拓く―生活充実プラン―の視点であります。
 人と人とを結ぶ絆は、協働のまちづくりの礎となります。私は、こどもや高齢者の笑顔が輝き、女性や障がいのある方などの力が正しく生かされる活気に満ちた幸せ感あふれる社会を創り上げてまいります。それぞれの地域の宝を大切にしながら、そこに関わるすべての人々が尊重される生活充実施策を展開してまいります。
 こどもの貧困対策や待機児童の解消などに取り組み、こども環境・日本一の実現を目指すとともに、女性が輝く社会づくりや女性リーダーの育成などに取り組んでまいります。
 また、若者が希望を持てる社会を目指し、格差社会などの課題の解決に取り組んでまいります。
 少子高齢化社会を見据えた、健康・医療・福祉政策を実行するとともに、きめ細かな教育指導ができる少人数学級の導入の推進など教育施策についても力を尽くしてまいります。
 離島・過疎地域につきましては、県民全体でこれらの地域を支える仕組みを構築しながら、定住人口の増加につながる生活環境の整備や産業振興など各種施策を展開してまいります。
 三つ目は、沖縄の「平和」を拓く―平和創造プラン―の視点であります。
 今、過重な基地負担に立ち向かうことができるのは、先人たちが土地を守るための熾烈(しれつ)な「島ぐるみ闘争」でウチナーンチュの誇りを貫いたからであります。私は、基地の整理縮小を加速化し、豊かな生活に導く土地活用を図るとともに、近隣諸外国との平和交流を促進する平和創造施策を展開してまいります。
 私は、日米安全保障体制の必要性は理解しております。しかしながら、戦後約70年を経た現在もなお、国土面積の約0・6%である本県に約74%の米軍専用施設が存在する状況は、異常としか言いようがありません。そして、その米軍基地が沖縄経済発展の最大の阻害要因であることは明確であります。日本の安全保障が大事であるならば、日本国民全体で考えるべきであります。
 このような基本認識のもと、私は、日米両政府に対し、過重な基地負担の軽減、日米地位協定の抜本的な見直しを求めるとともに、騒音問題や米軍人軍属による犯罪など米軍基地から派生する諸問題の解決に取り組んでまいります。
 普天間飛行場の辺野古移設問題につきましては、この度の県知事選挙の結果を受けて、公約の実現に向けて全力で取り組んでまいります。国においては、現行の移設計画をこのまま進めることなく、わが国が世界に冠たる民主主義国家であるという姿勢を示していただきたいと思います。
この問題につきましては、埋め立て承認の過程に法律的な瑕疵(かし)がないか専門家の意見も踏まえ検証いたします。法的瑕疵があった場合は承認の「取り消し」を検討してまいります。
 私は、建白書の精神に基づき、県民が心を一つにし、共に力を合わせて、国内外に向けた働きかけを行っていくことが、基地負担軽減の実現につながるものと考えております。この問題の解決のため、県民の皆さまと力を合わせて全力で取り組んでまいります。
 以上の基本的考え方に基づき、私は、県政運営に関し、多くの公約を掲げました。未来を担う子や孫のために、「誇りある豊かさ」をいかに創りあげ、引き継いでいくか。県民すべてが生き生きと活躍できる協働のまちづくりの理念を大事にし、職員と一丸となって、その一つ一つの実現に邁進(まいしん)する覚悟であります。
 最後となりましたが、以上申し述べましたことに対し、議員各位、ならびに県民の皆さまには、ご理解とご協力を賜りますよう、重ねて衷心よりお願い申し上げ、私の知事就任あいさつとさせていただきます。
 イッペーニフェーデービル。
平成26年12月12日
沖縄県知事 翁長雄志
 2点コメントしたい。

★青色の部分

「私は、日米安全保障体制の必要性は理解しております。しかしながら、戦後約70年を経た現在もなお、国土面積の約0・6%である本県に約74%の米軍専用施設が存在する状況は、異常としか言いようがありません。そして、その米軍基地が沖縄経済発展の最大の阻害要因であることは明確であります。日本の安全保障が大事であるならば、日本国民全体で考えるべきであります。」

在日米軍基地というのは日本を守るためというよりも米軍の中東や中央アジアにおける軍事展開のための前進基地として存在してきた。翁長氏は「日本の安全保障が大事であるならば」と言っているが、ここは「日米安保、つまり在日米軍基地が大事であるならば=日本が米軍の世界的軍事展開に国と主権を差し出し続けたいならば」と言い直すべきであろう。

それはともあれ、日本人の約8割が日米安保体制を肯定し、日本人は自らの選択によって日米安保を維持し推進する政府を選んでいるのだから、翁長氏が言うように安保の負担は「日本国民全体で考えるべき」なのは当然である。我々日本人は翁長氏が勝ったと喜んでいる場合ではなく、沖縄の凄まじい不平等な米軍基地負担を平等にしなければいけない。日本人が持つと合意している米軍基地は国土の割合でいえば沖縄には0.6%だけ置けばいいのであってあとの99.4%は日本に置くべきなのである。普天間基地が返還され、そこに所属していた部隊や装備でグアムに移転しない分は日本にある基地で受け入れるのは当然である。沖縄の負担が0.6%に減るまで日本の各地で受け入れることだ。いや、これまで日本が沖縄に行ってきた不当な差別を考えたらゼロにして基地のない県にして余りあると思う。日本人は全員、平等に、自分の住んでいる近くの地域でも受け入れるように動かなければいけない。私の故郷の東京都にもあまり使われていないといわれる横田基地がある。沖縄の基地機能を受け入れられる余地があるはずだ。

もう1点

★黄色の部分

普天間飛行場の辺野古移設問題につきましては、この度の県知事選挙の結果を受けて、公約の実現に向けて全力で取り組んでまいります。国においては、現行の移設計画をこのまま進めることなく、わが国が世界に冠たる民主主義国家であるという姿勢を示していただきたいと思います。
この問題につきましては、埋め立て承認の過程に法律的な瑕疵(かし)がないか専門家の意見も踏まえ検証いたします。法的瑕疵があった場合は承認の「取り消し」を検討してまいります。

翁長氏には前職の仲井眞知事が下した辺野古埋め立て承認の取消や撤回をしてほしいとの県民の期待が寄せられたが、知事選の公約として取消や撤回を約束することはなかった。これは「保革をこえた」枠組みの中での保守側への配慮とされたが、ご自身にその気があれば、当選後すぐに取消や撤回を行うという意思の宣言はできるはずだ。しかし「法的瑕疵があれば取消を検討、法的瑕疵がなくても撤回を視野に」と言い続けており、それは知事選前と変化がなかった。

変化がないどころか、この就任あいさつでは、「法的瑕疵があれば取消を検討」と言っているがずっと言っていた「撤回」の可能性に触れていない。

「撤回」の可能性はなくなってしまったということだろうか。法的瑕疵が仮にないと判断されたら承認については何もしないという意味なのだろうか。国に対して「民主主義を尊重し移設計画を進めないでください」と言うことで国が作業をやめるのだったらとっくの昔にやめているだろう。県民は座り込みや県民大会、世論調査や選挙のたびに民意はもうこれ以上示せないほど示してきている。あとは知事の権限を使って前任者が県民を裏切って承認してしまったものを取消か撤回をすることが翁長氏の責任と思う。少なくとも県民のそのような期待を託されて当選したのだ。

この挨拶の中でも知事選の主要争点とされた辺野古新基地問題の優先順位や比重は、知事選で県民に託された民意を反映するには小さすぎる。

ずっと言っていた普天間基地の「国外県外移設」も言っていない。辺野古基地「阻止」も言っていない。

承認から1年も経っている。今から「専門家」とじっくり埋め立て承認に「法的瑕疵」がないかを調べるというのか。埋め立て申請の根拠となった環境アセス自体に欠陥がたくさんあったことは専門家が口を揃えて言っている。翁長氏はこの美しい海を埋め立ててはいけないとずっと言っている。それだけで十分な撤回の理由ではないのか。そもそも「県外」と言って辺野古移設反対の民意を受けて知事になった仲井眞氏が民意を裏切ったのは「法的に問題がないから」という理由であった。この埋め立て問題を「法的な問題」のみに還元して語るのは仲井眞氏の土俵に乗っているとは言えないか。埋め立ての本格作業は来年6月から始まると言われている。一刻の猶予もないのではないか。

翁長氏は県民の信託に背くことがないようにお願いしたい。         @PeacePhilosophy

Wednesday, December 10, 2014

NHK内部文書「オレンジブック」を明らかにした英紙「ザ・タイムズ」記事の和訳 A Japanese tranlsation of The Times article that revealed the NHK internal document

 We are introducing a Japanese translation of Richard Lloyd Parry's article in The Times on October 17, "Japan's 'BBC' bans any reference to a wartime 'sex slaves'," in which he revealed an internal NHK document called "Orange Book" that tells NHK English-language news reporters to use and not to use specific terms to refer to some controversial historical and political issues such as the Nanjing Massacre, the Japanese military sex slavery, and territorial issues.

11月18日のブログ投稿「親日家・元駐日英国大使ヒュー・コータッツィ「極右思想は日本の民主主義への脅威か」Hugh Cortazzi: Does right-wing extremism threaten Japan’s democracy?」で翻訳したコータッツィの記事に、10月17日付の「ザ・タイムズ」の記事への言及があった。今日はその記事の翻訳を紹介する。この記事は、NHK内部文書「オレンジブック」により、NHKが国際放送の担当者に、南京大虐殺や「慰安婦」問題についててこの表現はだめ、この表現をするようにといった細かい通達をしていることを明らかにしたものだ。

この記事の筆者、リチャード・ロイド・パリ―氏はツイッターでこの「オレンジブック」の「最重要ポイント」のイメージを公開している。





「日本のBBC」は戦時「性奴隷」へのいかなる言及も禁止する




リチャード・ロイド・パリー、東京発


20141017

南京大虐殺[Rape of Nanking] への言及禁止は日本の公共放送局NHKによる編集独立性の放棄と見なされる 

日本の公共放送局NHKは、報道において悪名高き南京大虐殺[ Rape of Nanking]、戦時中の日本による性奴隷の使用、また中国との領土紛争へのいかなる言及も禁止した。これはNHKによる編集独立性の放棄であるとの批判が起きている。 

本紙が入手した秘密の内部文書で、NHK英語放送のジャーナリストたちは、日本の政治で最も物議を醸してきたこれらのトピックを報道する際には特定の言い回しをするように指示を受けた。これらの規則は、日本の保守国家主義的首相である安倍晋三氏の政権の立場を反映しているように見える。 

今回この件が明るみになる以前にも、安倍氏の友人であり彼に指名されたNHK会長が、NHKは日本政府の立場に異議を唱えるべきではないと主張していた。これは中国と韓国の怒りを買うだけでなく、安倍氏の下に日本が国家主義に向け急速に右傾化していくことを恐れるリベラルな日本人をも憤慨させるだろう。 

この103日付のNHK文書は、プロデューサーと翻訳者の手引き書、いわゆる「オレンジブック」から要点をまとめている。 

「従軍慰安婦」の見出しがある。これは帝国陸軍によって前線の売春宿で働くことを強制された人々を指す婉曲表現で、その多くは中国人と韓国人だった。この文書には、「those referred to as comfort women [慰安婦と呼ばれる人々]またはthose known as comfort women [慰安婦として知られる人々]とする」と書かれている。 

「従来のso-called comfort women [いわゆる慰安婦]は使わない。原則として、従軍慰安婦についての説明はしない。 be forced to [ 強制された]brothels [売春宿]sex slaves [性奴隷]prostitution [売春]prostitutes [売春婦)]などは使わない。」 

中国が領有権を主張している離島、尖閣諸島についての項で、この手引きは「dispute [紛争]」、「disputed islands [係争中の島々]」という言葉の使用を禁止し、尖閣諸島が日本に所属していることは明らかなので見解の相違はあり得ないとする政府の主張に沿うことを求めている。 

issue [問題)]は『領有権の問題は存在しない』という日本の立場を表現する場合のみ使用可」と、この文書には書かれている。 

何十万人もの中国人男女と子供が帝国陸軍により虐殺された1937年の南京事件(南京大虐殺)については、この手引きによると「the Nanjing Incident [南京事件]」と呼ばなければならない。 

この文書はさらに、「the Nanjing Massacre [南京大虐殺]は海外要人の発言などの直接引用が必要な場合に限定し、引用であることを明確にする」と記している。(訳注1)

処刑された戦犯を含む日本の戦没者が神道の神として祀られている靖国神社への言及では、「war-related shrine [戦争に関係する神社]」、「war-linked shrine [戦争に繋がる神社]」、「war shrine [戦争神社]」のような英語表現を、NHK職員は避けなければならないとしている。 

日本の国会議員の一団が1017日、秋季例大祭が行われている靖国神社に参拝した。ミラノでヨーロッパとアジアの首脳と会談中の安倍氏は、真榊(まさかき)と呼ばれる供え物を奉納した。

新たに指名されたNHK会長の籾井勝人は1月に、日本による戦時中の性奴隷の使用を擁護し、それはヨーロッパにもあったと主張して物議をかもした。 

ジャーナリズムの経験を持たない実業家の籾井氏は、NHKは韓国や中国(訳注2)の領土問題に関する日本政府の立場を国際的に放送すべきだとも述べた。「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない」と彼は語った。 

上智大学の政治学教授、中野晃一は「かつては日本のBBCとなることを目指していた我が国の公共放送局が、ますます中国中央電視台(中国国営放送)の鏡像のようになっていくのを見ると、心が痛む」と語る。

中野氏はこうも言う。「政府が定義した『国益』をメディアは推進すべきという見解を安倍政府は取っているので、NHKを政府の代弁者にすることで活用していると信じているようだ。」 

NHKの広報担当者は「私たちは国際基準や指針に従って常により適切な表現を使うよう心がけています」と語った。 
 

訳註:元の記事は「South Korea and Japan」となっているが、籾井氏の発言が「尖閣や竹島」についてなのでこれは China と書くべきところを間違ってJapan と書いたと判断し、訳は「韓国と中国」としてある。 

(翻訳 ピース・フィロソフィー・センター)
 
★投稿後訳語を微修正することがあります。

訳注1:
NHKが「南京大虐殺」(the Nanjing Massacre)ではなく「南京事件」(the Nanjing Incident)と言わせようとしていることを報道するこの記事では、南京大虐殺のことを「the Rape of Nanking」と呼んでいる。英語では the Nanjing Massacre the Rape of Nanking も両方とも南京大虐殺を意味する言葉として使われている。日本では、このNHKの指示から察することができるように「大虐殺」の印象を弱めようと「南京事件」と呼ぶときもあるが、「南京大虐殺事件」の略として「南京事件」と呼ぶこともあり、日本語においては「南京事件」と呼んだからといって南京大虐殺を否定しているとは限らない。実際1937年12月南京攻略時から数か月間、日本軍により殺害だけではなく強姦、放火、略奪といった幅広い残虐行為が行われた。殺害だけではないので、それら全体の残虐行為を指して「南京大虐殺事件」と呼ぶという学者もいる。しかし英語においては南京大虐殺を the Nanjing Incident と呼ぶことはほとんどなく、the Nanjing Incidentは別の歴史的事実を指して使われている用語でもある。英語においては、NHKが指示するように南京大虐殺the Nanjing Massacreを外国要人が使っているのを引用するとき以外は禁止し、the Nanjing Incident「南京事件」と呼ぶとなると、混乱と誤解を招く可能性がある。史実を歪曲する試みと見られても仕方ないであろう。ちなみに日本政府は、数や規模には触れないまでも南京大虐殺のことは、「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」と認めているし「南京大虐殺」という言葉も使っている。外務省英語ページでも Nanjing Massacre と表記している。籾井氏が政府の言いなりに報道させたいのならばこの点は押さえるべきであろう。 

訳注2:
の記事は「South Korea and Japan」となっているが、籾井氏の発言が「尖閣や竹島」についてであることからもこのJapan は間違いで正しくはChina のはずである。
 
★訳文中のハイパーリンクは訳者が加えたものである。

Sunday, December 07, 2014

Suicide as Protest – Two Self-immolations under the Abe Regime(英文記事)安倍政権下で二度も起こっている焼身自殺事件

Reposted from The Asia-Pacific Journal: Japan Focus. アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』より転載。

Suicide as Protest – Two Self-immolations under the Abe Regime
 
December 7, 2014

Satoko Oka Norimatsu  


A screen shot from ANN news on the Hibiya self-immolation incident
On the evening of November 11, 2014, a man set himself on fire at Hibiya Park in Tokyo, an area where government buildings are concentrated. The act was a protest against both the “July 1 Cabinet Decision,” which paved the way to lifting the constitutional ban on [Japan’s exercise of its right to] collective self-defense, and the new US military facility construction at Henoko and Takae in Okinawa.  

Just four and a half months earlier, in Shinjuku, a major Tokyo commercial and entertainment district, another man from Saitama, north of Tokyo set himself afire in the middle of a busy shopping street, barely escaping death. His name has not been reported but Asahi Shimbun’s follow-up article two month later describes him as a previously homeless man in his sixties now living on welfare. This self-immolation occurred on June 29, in the midst of a national debate over re-interpretation of Article 9 of the constitution that would allow Self Defense Forces to fight wars outside Japan in support of its allies, namely the United States. His act was witnessed by hundreds, many of whom photographed it and posted on social media sites.

June 29, Shinjuku. Protest speech before a Saitama man set himself on fire (see more photos and video on MailOnline.)
In contrast to the international media that acted quickly, the major Japanese media followed slowly, with the exception of NHK, which blacked out the incident at a time when the Abe administration was bent on eliminating the constitutional restriction on Japan’s overseas military action. The incident took most observers by surprise, as self-immolation as an act of political expression is, as Temple University Japan’s Jeff Kingston writes, “a last-resort demonstration of defiance normally confined to despotic states.”  

The Japanese media response to the November 11 event was swifter than it was to the earlier self-immolation. The story was covered by NHK, Asahi, Yomiuri, Mainichi, and Jiji, but their reports were uniformly based on the information provided by the police – the man was seen on fire at around 6:55 PM, November 11 in Hibiya Park, and he died shortly after being taken to a hospital; he had a camera set up to film the event and left a note addressed to Prime Minister Abe and the two parliamentary leaders, demanding nullification of the July 1 Cabinet Decision and the Henoko/Takae construction.  

Most Japanese newspapers ran a small story buried inside the paper. Internationally, BBC, Telegraph, Daily Mail, Independent and RT were among those that provided coverage, but interestingly there did not seem to be any US mainstream media coverage of the second incident, in contrast to the June self-immolation when the New York Times and CNN were among those that quickly reacted. Whether this had anything to do with the fact that the second suicide protested not just the Japanese government’s policy but also the construction of new US military facilities in Okinawa is unknown. But many of those that did report the November 11 self-immolation only mentioned opposition to constitutional revisions as the motive, making no mention of the US military base issue. 


Nitta Susumu's letter of protest at the scene of his self-immolation and sent to several media outlets.

The November 11 protest letter reads:  

President of the House of Representatives 

President of the House of Councilors 

Prime Minister Abe Shinzo
 

Statement of Protest 
 

Immediately nullify the unconstitutional, invalid “July 1 Cabinet Decision”!  

Without delay, withdraw any security-related bills and revision of the United States-Japan Defense Guideline based on the above decision.  

Promptly stop military base construction in Henoko and Takae in Okinawa, associated with the above moves.

I demand that both Houses of parliament pass a resolution to nullify the July 1, 2014 decision by the National Security Council and the “Cabinet Decision on Development of Seamless Security Legislation to Ensure Japan’s Survival and Protect its People”.

With my death, I plead.

November 11, 2014 Nitta Susumu

I have sent this statement to some media organizations.

Nitta’s article on the cover of June 15 edition
of newsletter "Shiso Undo"

Nitta Susumu, was a member “Katsudo Shudan Shiso Undo (Activist Group Thought Movement),” a socialist group established in 1969 that upholds “proletarian internationalism” and calls on the proletariat to “overcome the capitalistic modern age as a whole.” In the front page lead article of the group’s newsletter “Shiso Undo (Thought Movement)” dated June 15, two weeks before the Cabinet decision, Nitta condemned Abe’s attempt to re-interpret the constitution via a cabinet decision, saying that this “denies constitutionalism, and issues a death sentence to the pacifist principle of Article 9 and the constitutional revision process stipulated by Article 96, thereby undermining people’s sovereignty.”

Perhaps for Nitta, the “death sentence” to the war-renouncing constitution was worth defying with his own death.

Nitta’s posthumous essay was published on November 26 in the group’s journal “Shakai Hyoron (Social Review)”. In the article titled “The July 1 Cabinet Decision is Unconstitutional and Invalid – Calling for Re-construction of the Movement against Destruction of the Constitution!”, Nitta, a former court clerk, stresses on the unconstitutionality and (therefore) invalidity of the “July 1 Cabinet Decision” and calls for nullification of it. He criticizes the mass media for presenting the Cabinet Decision as if it constitutionally legitimizes the use of Japan’s right to collective self-defense. He also criticizes the pro-constitution movement, including himself, for “being caught in the mass media’s trap” and buying into the government-created perception that the Cabinet Decision was sufficient to do what it claimed it did.

It was not immediately clear why Nitta had chosen November 11 for his protest, whereas the June 29 event occurred during the days leading up to the Cabinet Decision of July 1. But November 11, 1967 was the day when Yui Chunoshin, a 73-year old esperantist self-immolated in front of the Prime Minister’s residence, condemning Prime Minister Sato Eisaku’s support of the U.S. war in Vietnam and demanding that Sato negotiate harder with the United States for return of Okinawa and   Ogasawara islands.

Yui Chunoshin, on the cover of
Higa Kobun's biography of Yui

Yui, like Nitta, committed the act in the heart of the power centre of Japan. And like Nitta, Yui sent his letter of protest to the major newspapers. But when Yui died, major media provided far more extensive coverage. According to Higa Kobun, an Okinawan journalist who published Yui’s biography in 2011, Tokyo Shimbun printed Yui’s 3 1/2-page letter in full, and other major papers summarized it. In Nitta’s case, only Tokyo Shimbun, a left-leaning regional newspaper distributed in Tokyo and adjacent prefectures, mentioned having received Nitta’s letter, but they did not publish it and their reporting was minimal. Other newspapers made no mention of receipt of the letter. There was not even coverage of Nitta’s death in the Okinawan newspapers, despite the fact that his reasons for choosing death included his protest against US base construction in Okinawa.

In 2014, Yui’s political suicide seems largely forgotten. Japanese press coverage of Nitta’s suicide made no reference to either Yui’s or the Shinjuku incident in June, whereas the foreign media referred at least to the Shinjuku incident. None of the media referred to Yui’s self-immolation in reporting the Shinjuku incident in June. Some instead mentioned famous author Mishima Yukio’s dramatic hara-kiri death in 1970, which had a totally different context from self-immolation in desperate defiance against the government by a nameless man. Nitta’s act is perhaps closest to Yui’s in 1972 in character (self-immolation as protest against national policy), which is doubtless why he chose Yui’s anniversary for his protest.

During the almost half century since Yui’s death, there have been at least four other politically motivated suicides: first a 17-year old boy Shirakawa Kazuo self-immolated in front of the U.S. Consulate in Osaka in April 1968 protesting the Vietnam War; second a 26-year old Okinawan man, Uehara Yasutaka, fatally crashed a motorbike into the front gate of the Parliament Building in Tokyo in May 1973, a year after Okinawa’s reversion to Japan; third a 29-year old man, Funamoto Shuji, self-immolated in front of U.S. Air Force Kadena Base in Okinawa in June 1975 protesting Crown Prince Akihito’s planned visit to Okinawa the following month, after abandoning his plan to assassinate Akihito.

Finally, as Higa Kobun notes, another self-immolation occurred under the Kishi Administration. On June 3, 1959, Kobayashi Hideo, a 42-year old Buddhist monk from a Zen temple in Hiroshima, came to the Prime Minister’s residence, told security police he wanted to see Prime Minister Kishi Nobusuke, then suddenly committed hara-kiri, stabbing his neck to finish the job. His protest was against the revision of the Ampo treaty and Japan’s continued sacrifice of Okinawa as a U.S. missile base and its people. Kishi rammed through the Ampo revision in 1960 in the face of powerful opposition.

Kishi, a former unindicted class-A war crimes suspect in Sugamo Prison, and his younger brother Sato Eisaku, both of whom became Prime Ministers who “were met with death, as the ultimate form of protest, by a pacifist citizen, and both are about Okinawa,” Higa comments. The current Prime Minister Abe Shinzo is Kishi’s grandson, and Sato’s grandnephew. 

Kishi-Sato-Abe. With the addition of two incidents in a single year, self-immolation invoked by their pro-US military policies and Okinawa base policies have become a pattern as one form of response to the dark legacy of the political family that has retained power at the highest level throughout the postwar era Japan.

Strikingly, five of the seven above-mentioned protest suicides in the post-war Japan, directly pertain to Okinawa. One of them was committed by an Okinawan (the 1973 motorbike crash), and another occurred in Okinawa (self-immolation protesting the visit of the Crown Prince). It should not be taken lightly that Japan’s and the United States’ Okinawa policies have met not only one of the most powerful and sustained mass protest movements since the 1950s, but have also repeatedly prompted such desperate acts.  

It must also be must be noted that in 2014 alone, two such protests occurred for the first time in decades, both under the 2nd Abe Shinzo administration, and both as a vehement response to Abe’s attempt to destroy what constitutes the core of Japan’s post-war identity, Article 9. 
 

Satoko Oka Norimatsu is Director of the Peace Philosophy Centre, a peace-education organization in Vancouver, Canada, with a widely-read Japanese-English blog peacephilosophy.com. She is co-author with Gavan McCormack of Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States, Rowman & Littlefield, 2012. The Japanese translation is 『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』(法律文化社、2012and the Korean translation is저항하는 , 오끼나와: 미국과 일본에 맞선 70년간의 기록창비, 2014. She is also co-author with Oliver Stone and Peter Kuznick of 『よし、戦争について話そう。戦争の本質について話をしようじゃないか!Let’s Talk About War. Let’s Talk about What War Really Is!』(金曜日、2014. She is a Japan Focus editor.

 
Related Article:



Wednesday, December 03, 2014

転載:『週刊金曜日』、ろくでなし子さんと北原みのりさんの逮捕に抗議

賛同の意とともに転載します。週刊金曜日サイトから。

この件は英語でも報道されています。ジャパンタイムズデイリーメールなど。
 
ネット署名は 「芸術家・ろくでなし子氏の即時釈放を要求します」(Change.org)

金曜日の抗議文にこうある。「ろくでなし子さんの一連の作品は、女性の性を商品化する「わいせつ」物を氾濫させている男性的な社会に対して疑義を唱える表現活動です。」

やはりそうだったのかと思った。ろくでなし子さんの最初の逮捕のときから、これは表現の自由とか「わいせつ」の定義とかよりもジェンダーの問題と思った。

一連の逮捕は「わいせつは男の特権だ、女は引っ込んでろ!」というメッセージではないでしょうか。私にはそう受け取れます。@PeacePhilosophy

追加:ろくでなし子さんの弁護士の山口貴士氏のツイッターより。

ろくでなし子弁護団【カンパ口座の案内】 (ゆうちょ口座から) 記号:14100 番号:56560871 名称:ロクデナシコシエンベンゴダン (他銀行から) 金融機関名:ゆうちょ銀行 支店名:四一八支店 口座種別:普通 番号:5656087 名義:ロクデナシコシエンベンゴダン

『週刊金曜日』、ろくでなし子さんと北原みのりさんの逮捕に抗議


警視庁が12月3日、漫画家のろくでなし子さんと作家の北原みのりさんを逮捕した件で、『週刊金曜日』は同日、逮捕に抗議するとともに、一刻も早い2人の釈放を求める抗議声明文を発表した。
平井康嗣・編集長名での抗議声明では、ろくでなし子さんの『週刊金曜日』連載が、再逮捕のきっかけになった可能性について言及するとともに、「自由な表現活動に対する重大な侵害と暴力行使でしかありません」と批判している。
抗議声明文の全文は次の通り。
(『週刊金曜日』編集部)

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ろくでなし子さん、北原みのりさん逮捕への抗議声明文
 
本日12月3日、ろくでなし子さんが警視庁小岩署にわいせつ物頒布等の容疑で再逮捕されました。今年7月12日に続く逮捕です。

ろくでなし子さんは、自身の女性器を主題にした作品の発表をつづけてきました。

ろくでなし子さんの一連の作品は、女性の性を商品化する「わいせつ」物を氾濫させている男性的な社会に対して疑義を唱える表現活動です。いまだに一連の作品を“刑法違反のわいせつ物”ととらえる警視庁の不勉強さにはあらためて残念な思いを抱きます。

また、今回の再逮捕のきっかけの一つとして、『週刊金曜日』における、ろくでなし子さんの連載漫画が考えられます。

この漫画では小岩署での勾留体験がつまびらかに描かれています。その中で、警視庁小岩署の不当な取り調べや、そもそもの容疑理由の不明朗さも明らかにされてきています。

警察や司法当局が自らの不都合な事実を隠ぺいするために、または報復的に、ろくでなし子さんの逮捕に及んだとすれば、これは自由な表現活動に対する重大な侵害と暴力行使でしかありません。

さらに今回は、北原みのりさんも同日、わいせつ物公然陳列容疑で警視庁に逮捕されました。北原さんも『週刊金曜日』に連載を持つ作家です。北原さんも性を女性が取り戻すために活動を続けてきた代表的な人物の一人です。

ともかく不当な理由で国民の平穏な生活を侵害することはやめてほしい。一刻も早く2人が釈放されること、そして強硬な捜査を取りやめることを強く、強く求めます。

抗議の意思表示として、ろくでなし子さんが「わいせつ」と表現について考える対談を来週発行の12月12日号に掲載します。

                                                                2014年12月3日
平井康嗣・『週刊金曜日』編集長