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Saturday, December 16, 2006

(Japanese) Some Thoughts on the new Fundamental Law of Education

These are my thoughts on the new Fundamental Law of Education of Japan.

新教育基本法について

日本国憲法に基づいた教育基本法が新しいものになる、と12月15日、国会で可決されました。

主権者である市民が投票したことにより(またはしなかったことにもよって)選ばれた代表者が採決した法律については、主権者としてまた責任を持っていかなければいけないと考えています。

日本の教育への想いを込めて、新法に対する自分なりの考えを十点にまとめて記したいと思います。

下記文科省ウェブサイトの、現行法と、新教育基本法の法案の対照表を見ながらお読みいただければより明確になると思います。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/houan/siryo/hikaku.pdf


1)前文冒頭が「われら」から「我々日本国民は」に変わりました。この違いは何を意味するのでしょうか。日本で教育を受ける人たちは、日本国籍を持つ人だけではありません。この「国民」という言葉が、「日本国籍を持つ人」という意味ではなく、「日本国に住む民」という意味であるということを解釈します。今後の改正ではその点を明確にすることを期待します。

2)前文に「公共の精神を尊び」という表現が加えられました。子供は大人が尊ぶものは尊び、大人が尊ばないものは尊びません。市民の代表者である国会議員、そして国会議員でないすべての大人たちもこの「公共の精神」を尊んでこそ子供もそれに倣うようになるのです。「公共の精神」とは、自分以外の人たちのことを思いやるということです。自分以外の人たちの意見を尊重するということです。そして自分以外の人の意見を操作したりするのではなく、反対意見を無視したりするのでもなく、人々に率直に意見を表現できる場を提供し、真摯に耳を傾けるということです。私たち大人がまずこの「公共の精神」の手本を子供たちに示したいと思います。それなくしては、「公共の精神」が教育の場で育つことはあり得ません。

3)前文に、現行法と同じく、「日本国憲法の精神にのっとり」という表現があります。ここでの「日本国憲法」は現行日本国憲法を指すものです。日本国憲法は1947年に制定されたもののままなのに、同じ憲法にのっとる教育基本法が変わるというのは非論理的な面があります。また、将来もし日本国憲法を変えることを国民が選択した場合、この新教育基本法が「のっとる」対象は変わるわけであり、教育基本法をそのままにすることは論理的にできません。今後日本国憲法を変える論議をもしするのなら一緒に教育基本法を再度改正する審議をする必要があり、それでなければ「日本国憲法の精神にのっとり」という表現は全く意味を持たないことになります。

4)前文と第一条で、「個性ゆたかな」「個人の価値をたっとび」「自主的精神に充ちた心身」という表現が削除されました。この意味は何でしょうか。それは、私の理解では、それらの表現が持つ価値観自身を否定しているものではなく、新法第二条第二項にある「個人の価値を尊重」と並び、新前文の「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成」という表現に凝縮されているという理解をします。個性と個人の価値、自主的、自発的精神の発揮なくての「豊かな人間性と創造性」の実現は不可能だからです。

5)新法前文にある「伝統の継承」、第二条第五項にある「伝統と文化を尊重し」という表現における「伝統」、「文化」とは、教育を受ける人一人一人がが継承したいと思い自ら選択する伝統、文化であると解釈します。「伝統」や「文化」は教育を受ける人やその家族や祖先が住む、または元々住んでいた地域によって異なるものであり、一人一人にとっての多様な「伝統」や「文化」の尊重や継承が認められるという理解をしています。今後の改正ではこの多様性の保証を明記することを期待します。

6)新法第二条第五項における「我が国」と「郷土」も上記5)と同じように、教育を受ける一人一人にとっての「我が国」と「郷土」は多様なものであり、それが地球上どこにあってもいい、そして複数あってもいいという解釈をしています。この点も将来の改正での明記を提案します。

7)現行法第五条(男女共学)が削除され、男女平等については新法第二条第三項で触れられています。この男女平等の規定に続く「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し」という表現は、社会は男女半々で形成されているという事実に基づき、社会のすべての場面において男女が人口比率を反映する形で参画するための教育を目指すのだということを言っていると理解します。 また、このことは教育の目標のひとつとして将来の改正で明記されることを期待します。

8)新法第四条は現行法第三条を内容的にはそのまま引き継いだものでありますが、上記1)で述べたように、日本で教育を受けるのは日本以外の国籍、または日本以外の文化的背景を持つ人もたくさんいます。次回教育基本法を改正するときは、「国籍」、「文化的背景」という条件を付け加えることを提案します。また差別の理由となるものは他にもたくさん在り得るので、全てをこの条文で列挙することは不可能でしょう。したがって、「門地によって」の後に、「また他のあらゆる理由によって」という表現を付け加えることを提案します。

9)新法第十五条において、「教育上尊重」されなければいけないことが三点列挙されていますが、それぞれにおいて、「教育上尊重する」ということが具体的にどういうことを指すのか明確化される必要があります。たとえば、「宗教に関する寛容の態度」を「教育上尊重」するということは、教育を受けるものが養わなければいけない態度という意味なのか、どんな態度でも尊重しなければいけないという意味なのかが不明確です。「宗教に関する一般的な教養」を「教育上尊重」するということは、そういう教養を身につけるために教育をすべきということなのか、宗教についての教養をすでに持っている人を尊重すべきということなのかが不明確です。また、何が「一般的」であるかというのも人によって見方が異なります。殊に宗教についてとなるとそれぞれがどのような宗教をどのように信じるか信じないか、どの宗教についてどの程度の教養を持つかというのは本当に多様なものであり、「一般的」という表現を使うには最も適さない分野であると思います。実際の教育現場で意味を持つ条項となるように、今後の改正ではこの条項の明確化を期待します。

10)新法第十六条の「教育は、不当な支配に服することなく」という表現は、現行法にもありますが、誰による不当な支配に誰が服することなくという明確な表現なしでは、また、どのような支配が不当であるのかという定義なしでは意味を持ちません。今後の改正でこれらの点の明確化を期待します。

自分自身この文章で不完全、不明確な部分もあると思います。コメントを歓迎します。

乗松聡子

2 comments:

  1. 三宅信雄さん12:21 am

    さて、今度成立した教育基本法についてのあなたの考えを聞かせていただきありがと
    うございました。これに関する私のコメントあるいは意見を申し上げます。

    先ず日本の民主主義及びそれに基づく選挙について、私のこれまでの経験に基づく考
    えを言います。

    日本は1945年の敗戦とアメリカの占領によって政治体系が大改革され、47年5月に
    日本国憲法が施行されました。この憲法はその成立の過程を調べると、アメリカ主導
    でかつ他の連合国との合意が得られるよう当時のGHQが原案をつくったもので、日
    本からすれば多くの人が言っているように与えられたもので、自主憲法とはいえませ
    ん。しかし主権在民に基づくその憲法は国民にとってはすばらしいもので、そのため
    に60年間も変えられずに、現在も生きています。(制定を主導したアメリカは9条
    を中心に改正を望んでいるにもかかわらず)
    しかしこの憲法は、国民が欧州各国のように血を流して勝ち取ったものではなく、与
    えられたものであるだけに国民意識に弱さがあることは否めません。つまりこの憲法
    の基本である、国民主権、民主主義が多くの国民にとって本当に身についているかと
    いうと、疑わしいのです。未だ1890年施行の天皇主権に基づく帝国憲法の意識か
    ら抜け切れていません。上に従うのがよいとする「お上」意識は今も残っています。
    特に地方に行くとその点ははっきりします。(私は嘗て仕事の関係で、新潟県の片田
    舎の企業城下町に6年ほど住んでいまいた)
    一方この憲法は国民にとってはよいものの、為政者にとっては都合よくありません。
    そもそも憲法は、国民の権利はうたいますが、国民を規制するものではなく、立法
    府、行政府、司法などの為政者を規制するためのもの(憲法第98条及び99条)で
    すから。ですから為政者は早くから憲法改正を志しているのです。
    さて、この憲法に基づく選挙です。日本の選挙法は制度として欧米に勝るとも劣らな
    い民主的方法で行われています。ただし、外国籍日本居住者と在外日本人の選挙権に
    ついては、未解決の多くの問題を抱えていますが。
    問題は選挙する国民一人ひとりの意識の問題です。自分の1票の価値、それによる意
    思表示の大切さをどれだけ考えているのか?いつも選挙の度に考えさせられます。
    次に立候補した候補者あるいはその属する政党の唱える政策がすべて自分の考えと一
    致すことはありません。政策はたくさんあるからです。ですから、その数ある施策の
    中で、自分が重要と思われる政策と一致する人あるいは政党に票を投ずるのです。当
    選しても他の政策については自分とちがう政治を行われることもしばしばです。他国
    でもそうでしょうが、日本人が政治に求めるのはやはり経済的なこと、経済的に豊か
    になろうとする暮らしのことが第1です。憲法、外交、などはあまり票にならないと
    いわれています。
    そして大事なことは、戦前から変わり切っていない国民意識です。地方では未だ地
    縁、血縁が支配しています。地方の有力者というのが選挙で今も生きています。(国
    政選挙では地方に行くほど住民数に対する定員が多いのも問題です)に次に職場(仕
    事)をとおしての支配です。政治家が公共工事をなかなか削れないのも、票を集める
    機構のすぐれている建設業界(わたしも仕事上この業界と接することが非常に多くあ
    り、実感しました)依存が多いためでしょう。

    前置きが長くなりました。本論の教育基本法のことに入りましょう。

    貴意見1)について:私は貴意見に賛成です。しかし、作成者の考えは、「日本国
    民」とは「日本国籍をもつ人」と解していると思います。国会質疑でもこの点は出な
    かったように思います。
    2)は私も全く同意見です。「子どもは親爺の背中を見て育つ」と昔から言われてい
    るとおりで、大人を見習って成長するのです。これは、「公共精神」だけでなく、第
    2条5項の「伝統」、「文化」、「郷土」、「我が国」にも言えることです。ことさ
    ら「愛せ」と教えなくても、素敵な自然があり、国民の意思に沿う政治が行われてい
    れば自然と「愛する心」が生まれてきます。学校で生徒の「愛国心」を評価の対象に
    しようとする動きもあり、懸念されています。
    3)これまでの教育基本法は、1946年11月3日の公布された日本国憲法に則っ
    てつくられたものです。今この憲法を改正しようという(私は反対ですが)動きがあ
    る中で、教育基本法の改正を先にすることは順序が逆です。この点貴意見と同じで
    す。
    4)そのとおりで特にコメントはありません。
    5)と6)について:今度の改正で自民党は「愛国心」を入れることが最大の目的
    で、第2条が争点になりました。同じ与党である公明党との妥協のため、「愛国心」
    というストレートな表現を「我が国と郷土を愛する」というふうに変えました。従っ
    て(作成者の意識としては)ここでいう国とは日本国のことで、生徒の多様性は考え
    ていないでしょう。この点、北米のように他民族が集まってつくっている国と、日本
    では、国民も政府も意識が違うと思います。
    むしろ、「国」とは、「国民」か「お上(行政)」かということをはっきりさせない
    と、政府に悪用される怖れがあります。
    7)、8)、9)について:特にコメントありません。同意見です。

    10)について:これは非常に問題のある条項で、反対意見が多くありました。従来の
    法は、「不当な支配」について誰による支配かの定義がなく、意見が分かれていまし
    た。例えば、東京都教育委員会による学校での国旗掲揚、君が代斉唱の強制に反対し
    て処分された教員が、裁判所に提訴したところ地裁で勝訴した例があります。しかし
    今度の法では、その後に「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき
    であり」という文言がはいりましたので、教育委員会の指示(現場の教員にとって
    は、憲法、法律などよりもこれが一番大切で、これに逆らうと処分されます)に従わ
    ない行為は違反とされ、このような判決は得られなくなると思います。

    なおこの教育基本法が審議されている間、国民の間から多くの反対意見が出て、国会
    議員会館前は、大勢の反対者の座り込みが連日行われていました。
    また、NHKや新聞などのマスコミによるアンケート調査では、賛成も反対もありま
    したが、もっとも多いのは、「もっとよく考えて立法すべきで、今すぐ成立させるの
    は反対」という意見でした。
    しかし新しく就任した阿部首相はこの法律をとおすことを第1方針に掲げて可成り強
    行採決の形で成立させました。(ここにも前述のように、国民が選挙するとき、この
    問題を第1に考えて候補者やその政党を選んだのではないという表れがでていま
    す。)

    長々と書きました。そちらでの考えと可成り焦点が違っているかもしれません。戦
    前、戦中、戦後を生き、ずっと日本国内だけに住んでいる一人の老人の意見としてお
    聞きください。  三宅信雄

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  2. 三宅さま

    お忙しいところご丁寧なコメントをありがとうございます。感謝の気持ちで一杯
    です。経験も浅い若輩である自分が戦争の経験に基づき創られた憲法、教育基本
    法について何か言う中で、思慮の浅い点も多々あると思います。三宅さんのよう
    に原爆という想像もし難い地獄を体験され、また戦後日本企業の中で日本社会が
    どう変わりどう変わっていないかということを目の当たりにされてきた方にコメ
    ントをいただけることは本当に光栄なことであり勉強になります。ありがとうご
    ざいます。

    憲法は為政者の権利を規制するものだということは、九条の会に参加していろい
    ろなものを読んで初めて知りました。昨年UBCで講演された憲法学者の早稲田
    大学・河野洋教授が言われたことは目からうろこが落ちる思いで聞きました。民
    主主義は立憲主義と相反するものであると。民主主義 democracy は、異なる意
    見をまとめて政策とするために多数決主義を取っています。多数決の論理で物事
    が進むと、少数派の人権が侵害される可能性が出てきて、それから少数派を守る
    ものが憲法であると。このことは憲法学者の間では常識であり、このことを日本
    の学校で教えないのはほとんど政府の謀略ではないかと思うくらいであるとのご
    意見でした。

    海外にいる日本国籍を持つ人の選挙権は、今までは比例代表区に限られていまし
    たが、私の理解が間違いでなければ今度から地方区の選挙にも参加できることに
    なっています。海外の有権者は約80万人いると言われますが、実際その人たち
    が投票しているかというとこの投票率は非常に低いようです。バンクーバーでい
    つか見た数字では、BC州の日本有権者のうち実際に投票するのは10%ほどの
    ようです。これは残念な数字で、もっと引き上げていかなければいけません。イ
    タリア、フランス等には、「海外選挙区」というのがあり、自国以外にすんでい
    る自国籍民を代表する国会議員が存在するようです。日本の国政に多彩な意見を
    反映させるには、また自文化中心主義的な保守層が大勢を占めることを防ぐため
    に日本国内の外国籍保持者、日本国外の日本国籍保持者の参政権を広げていくの
    は大事なことと思います。

    しかし三宅さんのおっしゃるように、日本各地の地方に根付く地縁、血縁の習慣
    というものがある限り、そして三宅さんの指摘される建設業界などを中心とした
    産業と政治の癒着や、民衆から起こったわけではない日本の民主主義が本当には
    まだ根付いていないといった現状が、本当に民の声を反映した政府を作るのを困
    難にしているのでしょう。

    私の教育基本法についての考えの1)「日本国民」についての解釈には、自分の
    期待を込めた意図的なオトボケみたいなものを入れていました。なのでご指摘の
    通り、実際にはこれは「日本国籍を持つ人」という理解をされているのでしょう。
    私は憲法が外国籍の住民の権利をもっと認めるべきだという主張に賛成ですが、
    教育法についてはこれは憲法よりも更に重要と思っています。日本の教育法なの
    で日本国籍者のことだけを言っていればいいということは全く通用しないのです。
    子供はどこの国にいても教育を受ける権利があります。私たちのように海外に住
    む日本人は、自分たちの子供たちが、地元の学校で分け隔てなく教育を受けてい
    ることについて本当に感謝しています。もちろん完璧とはいえず、差別も存在し
    ますが、人種や文化的背景がもとになる差別を絶対に許さない法律、そして意識
    というものが教育現場に根付いています。今まで何百万人の日本人子女が、そう
    いった制度に守られ、海外の教育資源の恩恵にあずかってきたでしょうか。日本
    人は、自分たちの子供は海外で差別なく教育を受けるが、日本では外国籍の子供
    は日本国籍の子と違う扱いをしていいという論理は国際的にも全く通用しないの
    です。友達の家のおもちゃは使わせてもらうが自分のおもちゃは友達に使わせな
    いという指導をする親がいたとしたら当然孤立しますね。

    5)6)についても、日本ではそういう理解はされていないということはわかっ
    ています。しかし、「我が国」とか「郷土」がどこの地であるということも定義
    はされていません。なのでそれを逆手に取って、自分にとって自由な「我が国」
    や「郷土」の定義をしても教育基本法違反とはいえないのではないか、恐れられ
    ている愛国心の強制がもしあったとしたらそれから身を守るための理論武装にな
    れないかという期待を込めて書いたものでした。

    また、確かに日本は北米に比べると目に見える他民族度というのは低いと思いま
    すが、私は価値観の多様性というのはいわゆる日本民族と認識されている人たち
    の中にも多く存在し、それをやはり憲法や教育基本法でも守っていかないといけ
    ないと思っています。外国籍の人を意識した多様性を認める法律を作ることによ
    り、結果的に日本民族といわれる人たちの人権も向上すると思います。

    10)の「不当な支配」についての議論で三宅さんが仰るように、改正法が日の
    丸君が代強制に反対する職員や生徒の思想の自由、表現の自由を保護できなくな
    る可能性があるということに同感です。

    この条項は、現行法も新法も両方、あまりにもわかりにく過ぎます。何を言って
    いるのか解釈しないとよくわからない法律というのは、避けえるなら避けた方が
    いいと思います。あえてあいまいなままにするのは、法律を作る側があいまいに
    することで何か得をするからでしょう。主体を入れなくても文が通用してしまう
    日本語の特性をフルに活用してもいます。「教育は不当な支配に服することなく、
    この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」という表現は本当に
    不可解です。この2つの文節が論理的にどうつながれるかを示す言葉(「従って」
    とか「しかし」など)がなく、「、」即ち読点にその論理的整合性を問うしかな
    いのです。要するにAnd なのか But なのかということです。現行法は、これは
    And と解釈していいでしょう。しかし新法の場合、これは But の意味と解釈し
    て初めて論理的な解釈ができると思います。「教育は不当な支配に服さないけれ
    ど、法律に従わなければいけないよ」ということです。「教育は不当な支配に服
    さず、したがって、法律に従う」というのでは全く意味が通じません。法律の条
    項の中に事実的な But が入ってくると、その条項の本当に言いたいことが But
    の前なのか But の後なのかということを判断する必要があります。私は人の書
    いたものや話すことの中で、特に日本語のときは、ほとんどの場合核心部分は
    「しかし」の後に来ると思います。この条項に反対する人の多くは、この But
    の後「教育は法律に従って行われなければいけないよ」がこの条項が本当に言っ
    ていることだと主張しているわけで、私もそれに賛成します。

    教育基本法については、考えれば考えるほど、三宅さんが世論についてご指摘さ
    れるように、審議や討論が足りなかったと思います。日本での反対運動について
    は市民団体の方々のメーリングリストからかなり情報が入ってきていました。大
    手メディアではほとんど触れられていませんでしたね。バンクーバーの人たちも、
    日本の皆さんの頑張りに刺激を受け、遠くからではありますが、安倍首相や国会
    議員にメールやファクスで訴えてきました。

    改めて私の書いたものについて考えていただきコメントをいただいたことを心よ
    り感謝致します。三宅さんのコメントをきっかけにまた考えが広がりました。

    感謝の気持ちを込めて

    乗松聡子

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