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Wednesday, April 27, 2011

総務省による「インターネット上の流言飛語」を取り締まる要請について

歴史における記録として、この総務省による「インターネット上の流言飛語」を通信会社に取り締まらせる要請を投稿しておく(リンクはここ)。下方参照。これにはインターネット上では批判が続出し、ツイッターで112万人以上(4月29日現在)のフォロアー(読者)を持つソフトバンクの孫正義氏も批判している。
充分な確証無しに「直ちには健康被害無し」も「危険だ」も、どちらも流言飛語になり得る。大丈夫と言われて被曝して「申し訳ありませんでした」と言われても取り返しがつかない。  (孫正義4月6日ツイッターより)
歴代委員長を含む原発推進派学者の重鎮たちも認める深刻な事態。未だにそれを認めず、安全だと言い過ぎる事も「安全流言飛語」の可能性有り。 」(孫正義4月16日ツイッターより)
原子炉の状況についての情報を隠すことや、内部被曝や低線量被曝のリスクを隠すこと、福島と同じく「レベル7」とされたチェルノブイリ事故の夥しい人体と環境への影響を過小評価することも「安全」という「流言飛語」を流していることにならないか。この通達は、具体的にどんな情報を「流言飛語」と呼ぶのか明記していないが、隠されている情報を調査し、提供することを「流言飛語」と呼び統制することは許されない。これが出たとき、私は「ネットで言論活動する私たちは一層気を引き締め、根拠や出典をはっきりさせ責任ある発言をしよう」と仲間たちに呼びかけた。ネットであろうと伝統的メディアであろうと信頼できる情報もそうでないものもある。責任ある言論活動をする必要性は、ネットだけではなく、既存メディアや政府自身にもあることを強く訴えたい。


1 comment:

  1. たんぽぽ舎4月27日のお知らせから引用します。大メディアで報道されている
    ことと現実の相違がここでもよくわかります。

    ★3.「国は何を知っているんだろうか・4/27公開討論会の感想」

     4月27日(水)、原子力安全委員会や保安院などの担当者を呼び、国会議員と市
    民による「福島原発事故に関する公開質疑~事態の見通しと対応策」が開かれま
    した。詳細報告はやりとりの分析を経て後ほど行うこととし、とりあえずの感想
    などを書きます。
     結局は手探りなのだという実態が一つは見えました。心底恐ろしいことです。
     保安院の前川防災課長が「本当に分からない」という言葉をなんども繰り返し
    ました。特に深刻なのは、1号機に水を入れ続け、図らずも格納容器内で「水の
    棺桶」=「水棺」状態になっていることに対し、原子炉建屋が重量に耐えられる
    のか、放射性物質の放出が無いのかという問いに対し「答え」がないのです。普
    通、そんなことを前提にして格納容器は設計されていませんから、水圧、重量、
    あるいは余震の揺れなどで破壊される可能性は否定できない、徐々に水を入れな
    がら様子を見ているところと言うのです。
     今の原発が置かれている状況を象徴するかの発言に、言葉を失います。
     今後、水素爆発や水蒸気爆発は起こりえるのかどうかについても「起こる可能
    性は相当低いのでは無いかと」考えているそうです。つまり起こりえるというこ
    との裏返しです。
     再臨界の可能性についても同様で、一部に言われていた「物理的、原理的にあ
    り得ない」と言うことは一切無いことがわかりました。
     3・11前に私たちと国が議論をするときは、原発や核燃料施設に関する安全
    対策や安全性については、いつも「地の果てほど」の違いを感じてきたのですが、
    今日はそう感じませんでした。そう、私たちの感覚と国の感覚が近づいてしまっ
    た。これは粉飾しようもない現実の前には、大きな「見解の相違」などがなくな
    っていることを意味していると思うと、国や東電と「安全体制に問題有り」と丁
    々発止やり合っていた時期、もはや帰ってこない時期を懐かしくさえ感じてしま
    う自分がそこにはいました。

    (たんぽぽ舎お知らせからの引用)

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