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Wednesday, June 06, 2012

沖縄復帰40周年: 全国紙の社説比較(ジャパン・タイムズ フィリップ・ブレイザー記事和訳)

英字新聞「ジャパン・タイムズ」2012年5月27日掲載のフィリップ・ブレイザー(東京在住のジャーナリスト)による寄稿は、5月15日の沖縄復帰40周年記念日の主要全国紙の社説を比較検証している。

Anniversary of Okinawa's reversion highlights opposing press views

フィリップ・ブレイザー氏の鉢呂経産相辞任劇の批判も併せてどうぞ。


沖縄復帰40周年-対立する各紙の視点


フィリップ・ブレイザー

翻訳 酒井泰幸・乗松聡子

 去る2月に、玄葉光一郎外務大臣は岩国市長と山口県知事に、日本政府として米軍からの「追加的負担」をお願いすることはないと保証した(assured)。岩国には既に海兵隊の航空基地があり、米国は軍隊の一部を沖縄から岩国に移転するかもしれないと考えられている。(訳注1)

 主要メディアは岩国市長と山口県知事の安堵を報じる一方で、この発言で侮辱されたと感じたであろうもう一方の当事者、すなわち沖縄県民に触れることはなかった。おそらくマスコミは、沖縄県民は中央政府に見下されることに慣れているのでわざわざ報道する必要は無いと考えたのだろう。玄葉の安心させるための言葉(assurance)が政治的駆け引きのためのものだったのかどうかは別として、これが意味することは明らかだった。つまり、「我々政府はあなた方と共にありますよ(ただし「あなた方」とは本土の皆さんのことです)」という意味だ。

 沖縄復帰40周年に関する最近の報道の中で、この発言についての言及はなかった。この記念日は歴史を振り返る重要な機会であり、日刊全国紙の社説はどこもこの難題に手腕を振るった。しかし率直な印象としては、それらの社説が対象としている読者は、またもや、当事者(沖縄県民)ではなかったということだ。論説委員たちがどれほど沖縄の「痛み」(ほぼ全ての社説が使った言葉)に理解を示したとしても、この日本最南端の県を、国家の不可分な一部というよりは、属国のように見せる傾向があった。

 日本経済新聞においてはこの区別が明らかだった。ハイビスカスや赤瓦の街並み、チャンプルー、ドミファソシ5音階といった、沖縄の生活と文化の特色に触れたあと、沖縄の「文化・習俗」が「私たちの」日常生活の一部になったのだと主張し、次に経済格差について説明した。一人あたり県民所得が東京より約100万円低く、これは全ての都道府県で最低である(訳注2)。ところが1972年以降10兆円以上の資金が中央政府から注入されていて、そのほとんどが「[振興予算に]見合った成果とはとても言い難い」公共事業に流れた。この金は、沖縄県が在日米軍の74 パーセントを受け入れていることに対する「見返り」であった。

 この社説は、沖縄の救済は経済的自立の達成にかかっていると書き、沖縄県がアジアの他地域に近いことを利用した、民間主導による国際物流拠点の建設に言及した。「沖縄側にも国任せにしない努力が求められる」と日経は書き、この島には戦略的「価値」があるので、もし「米軍基地の削減」が「慎重に」実施されなければ、沖縄と日本の両者の安全保障が危険にさらされるだろうと付け加えた。(訳注3)

 経済発展と安全保障を天秤にかけるこの意図は、読売新聞でさらに露骨に主張され、「在日米軍再編への地元の理解を地道に広げる」ことが中央政府にとって「欠かせない」と締めくくっている。米軍再編とは、普天間基地から沖縄県内の辺野古に機能を移転することを含む計画で、地元住民が強く反対する動きである。この記事は「粘り強く」、「地道に」、「着実に」といった言葉を使ったが、日本が米軍を必要としているという事実を受け入れ、沖縄は潔く責任を果たすべきだという、編集者の基本的立場からそれることはなかった。

 より中道の毎日新聞と朝日新聞は、特に第二次大戦末期の迫り来る本土決戦に備える時間稼ぎのために帝国陸軍が沖縄を犠牲にしたときのような、歴史を通じた沖縄に対する「本土による差別」について言及した。この犠牲は戦後米国が沖縄を支配してからも続いた。1972年の本土復帰は「沖縄が願っていた」形(「基地のない『本土並み』の暮らし」)で沖縄県民を日本の懐に連れ戻すはずだったが、結果的に米軍はまだ居座っている。

 朝日・毎日と日経・読売の立場の間の主な違いは、沖縄の状況が「本土と同等」であるべきという意味の「本土並み」という言葉の使い方にある。保守的な2紙はこれを経済的観点から語っているのに対し、他の2紙は、米軍と空間を共有することから来る、毎日新聞が呼ぶところの「生活被害」を指しているのだ。

 米国による占領の後、沖縄が日本の他の地域と同じ状況に「復帰」したことはなかった。東京新聞は515日付社説で、意志に反して基地負担を強いられている限り、沖縄県民に他の日本人が享受しているのと同じ権利が与えられたとは言えないと論じた。日米安保条約は事実上、憲法に優先している。 米国は人権の擁護者でありながら、日本政府に対しては一部の自国民の人権に「無関心」でいることを許すどころか推奨さえしている。その人たちが、たまたま戦略的軍事的重要性があるとされているところに住んでいるという理由からである。騒音に悩まされ、さまざまな不都合を強いられ、安全な生活を脅かされてきた沖縄県民が耐えてきた屈辱は、米国人だったら到底我慢できるはずがないものである。

 日米安保条約のおかげで、米軍当局者は地域社会と直接対話する義務を免れている。鳩山由紀夫元首相は先日、地元紙の琉球新報に、米軍基地を沖縄県外に移転する選挙公約を守ろうと努力したと語った。彼が失敗した理由は、すでに普天間の辺野古移設を決定していた防衛省と外務省が、いかなる変更も阻止するためにできることは何でもしたからだった。鳩山は、この計画を白紙に戻して、米国と直接交渉がしたかったと語った。本土のメディアは鳩山を単純で甘いと嘲笑したという。しかし、彼は自分が誰だと思っていたのだろう? 総理大臣だということがわかっていたのだろうか・・・?

 実際このような交渉が実現していたら示唆に富むものとなっていたかもしれない。日本が米国に出て行ってほしいと求めたかどうかは、私は疑わしいと思うが、米国務省が、日米安全保障のために沖縄が苦しみ続けるべきということをどう正当化するかを聞いてみたかったものだ。それが外交であり、相手に安心を与える(reassurance)ということであろう。

訳注1:沖縄の負担軽減策の一環として、海兵隊普天間飛行場の空中給油機部隊などを岩国に移転することは合意ずみ。今回問題になったのは米軍から打診があった岩国への追加移転の件である。(参考:朝日2月17日報道 「首相、岩国への追加移転否定 沖縄の在日米軍再編」http://www.asahi.com/special/futenma/TKY201202170128.html

訳注2:2012年2月29日に政府が発表した2009年の一人当たり県民所得では、沖縄県は最下位を脱し、下位から二番目の46位となっている。参考:内閣府県民経済計算(平成21年度)http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/sonota/kenmin/kenmin_top.html 

また、上記のデータでは沖縄は一人あたり約205万円、東京は一人あたり約391万円なので、格差は100万円というより実際は200万円に近いといえる。

訳注3:日経5月15日社説「復帰40年の沖縄は自立に向かえるか」の中での、「安易に米軍基地を減らせば沖縄県ひいては日本の安全保障を損ないかねない」という表現を言い換えたものと思われる。

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