Murakami Haruki |
Author Murakami chides Japan over WWII, Fukushima responsibility
作家のムラカミ、第二次大戦とフクシマへの責任について日本を注意
日本の英字新聞、The Japan Times にも AFP-JIJI 配信ということで
Murakami chides Japan for ignoring role in WWII, Fukushima disaster
ムラカミ、第二次大戦と福島の惨事における役割を無視していると日本に注意
と同様の見出しをつけている。
AFP記事は、
Japanese writer Haruki Murakami has chided his country for shirking responsibility for its World War II aggression and the Fukushima nuclear disaster in an interview published Monday.日本の作家、村上春樹は月曜に発表されたインタビューで、第二次世界大戦における侵略と福島の核惨事について責任回避している、と自国に対する注文をつけた。で始まり、日本人が自分たちを戦争の『被害者』だと思っていること、それでは中国や韓国が日本の戦時侵略行為に対して恨みを持つのも当然である、日本人は自分たちが加害者でもあったことを忘れがちである、フクシマについても全員が地震と津波の被害者だということになって誰も責任を取っていないといった発言をしていたと知り、これこそ今日本人が耳を傾けるべきメッセージではないかと思い毎日新聞のウェブサイトで探したら、簡単な紹介が出ていた。
村上春樹さん:インタビュー 楽観を目指す姿勢「若者に伝えたい」
http://mainichi.jp/shimen/news/20141103ddm001040190000c.html
この紹介では最後に、「来年で70年となる『戦後』に関連し、慎重な表現ながらも、戦争と原発事故に共通する日本の問題として『自己責任の回避』を指摘した」とあるが、タイトルからして随分異なるイメージだなと思った。原文は紙面でしか見られないというので原文を取り寄せた。毎日新聞11月3日朝刊の8面に特集記事が出ており、本人の文学者としてのヒストリーや海外での評価などについて「『孤絶』超え 理想主義へ」という見出しがついており、ページの左側に別枠で「日本の問題は責任回避」というセクションが設けられていた。インタビュアーの「来年は戦後70年。作中で日本の戦争を描くこともあった作家は何を思うか」という問いに対し、
・・・僕は日本の抱える問題に、共通して「自己責任の回避」があると感じます。45年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当に責任を取っていない。そういう気がするんです。例えば、終戦後は結局、誰も悪くないということになってしまった。悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目に遭ったと。犠牲者に、被害者になってしまっています。それでは中国の人も、韓国・朝鮮の人も怒りますよね。日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思います。原発の問題にしても、誰が加害者であるかということが真剣は追及されていない。もちろん加害者と被害者が入り乱れているということはあるんだけど、このままでいけば「地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった」みたいなことで収まってしまいかねない。戦争の時と同じように。それが一番心配なことです。と答えている。毎日新聞は「慎重な表現」としているが私には「慎重」どころか非常に直截的な批判に聞こえる。特に、日本が戦争における加害者であったという発想が希薄であるという傾向が「ますます強くなっている」という部分に注目したい。昨今、朝日新聞の誤報訂正に便乗して日本軍「慰安婦」(性奴隷制度)の歴史自体を塗り替えてしまおうという動きが安倍首相をはじめとする政府、マスコミや一般社会に広範に見られるが、村上氏はこのような動きを念頭に置いてこの発言をしたのではないかと思う。
冒頭のAFP報道はシンガポールを代表する新聞 Strait Times など世界中に発信されており、世界中のメディアから村上氏の「日本の戦争責任回避」発言が注目されている。韓国の中央日報「村上春樹『日本、戦争を起こして責任回避』」の報道はヤフーニュースにも紹介されている。東亜日報は論説文「村上春樹と塩野七生」において、村上春樹の発言を評価し、同じくノーベル賞作家で、日本の加害責任を重視し安倍氏を「憲法への畏れを持たない珍しい人間」と非難した大江健三郎などともに、「過去へ回帰しないよう内部でバランスを取る良心の声がさらに大きくなることを希望する」と論じた。
インタビュー記事全体を見ても、世界的な作家の村上氏が今の日本に対し苦言を呈したという意味ではやはりこの発言の重要度は突出している。「慎重」になっているのは村上氏ではなくこのインタビューの要の部分を日本国内で抑えめに報じている毎日新聞そのものではないかと思う。@PeacePhilosophy
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ReplyDelete内容自体に違和感は持ちませんが、村上の発言は今回もまたいつもと同様に、中途半端という印象は免れません。売れっ子の売文業のむずかしいところと想像はするのですが、現在日本が陥っている本質的な危機との対比においてはあまりに穏やかな発言でしょう。
そこを見透かされて、英文紹介記事でも chide くらいの言葉に留まったのではないでしょうか。これをcriticize とまでは言えないでしょう。わたしは村上に共感をもつ若い人たちによいインパクトを与えてほしいものと願っています。でも実質の影響力は何もなくて、話題の提供のみ、あとは忘れ去られてゆきそうな予感がします。(以上)
Ha-Ko said... おにうつぎさんのご意見に賛成です。村上春樹さんの発言は、彼は良心的らしい、革新的であるらしい、という印象しか、与えません。つまり、本気で怒っている感じ、自分自身の問題としている感じがありません。高みの見物のようです。村上さんは、村上さんの書いたものならなんでも読みたいという熱狂的なファンを獲得した作家なのだから、もっと、はっきり、強く発言してほしいし、すべきだと思います。
ReplyDelete村上春樹さんはエルサレム賞の授賞式で『壁と卵』と題したスピーチで勇気あるノーを表明して来ました。ところが日本の一部メディアからは発言内容が甘すぎる。もっと断固として非難してくるべきであったと村上春樹氏を責める論調が見られました。そうした日本国内の反応に対して村上氏はこのように述べています。エルサレム賞のスピーチはより踏み込んだ文言を盛り込んだものを含めて二通りを用意してあったが戦闘中のエルサレムの会場の雰囲気はあまりにも剣呑に張り詰めていて、とてもあれ以上の事が言い出せるようなものではなかった。つまり迂闊なことを言ったらいつ銃撃騒ぎが持ち上がっても不思議でないような会場だったということです。そのなかで口にできるぎりぎりの発言をして帰ってきたら、日本でずっと安全な場所から高見の見物をしていた同胞たちの一部からは逆に後ろ指をさされて批判を受けたという訳です。それはまるで後ろにいる味方からこっそりと狙い撃ちを受けたようなものだったと言っています。
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