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Friday, September 16, 2016

乗松聡子: 沖縄と九条-私たち(日本人)の責任 Satoko Oka Norimatsu: Okinawa and Article 9 - Our Responsibility as Japanese

※コメントがかなり寄せられています。下方ご覧ください。

3年前、2013年の秋に大阪で開かれた「9条国際会議」に海外ゲストとして招かれ、立命館大学の君島東彦氏がモデレータを務めた「アジアと9条」という分科会の中で発言しました。そのときのために用意した原稿「沖縄と九条―私たちの責任」(「私たち」とは「日本人」のことです)に今回少し手を入れたものを共有します。3年前の原稿を微修正だけで出すのは、残念ながら沖縄の迫害の状況は全く変わっていないからです。変わっていないどころか、辺野古新基地建設計画、北部訓練場ヘリパッド建設、伊江島米軍基地機能強化、沖縄離島の自衛隊配備など、自衛隊と米軍の進む一体化運用の中で日米による沖縄の軍事植民地としての搾取は減るどころかますます悪化しているからです。

また、なぜ今掲載かというと、2つ理由があります。1つは、出版の計画があったため、このトピック(日本人の沖縄への責任)については小出しにしないでまとまった発表形態を取ろうと思っていたからです。しかし事情も変わり、この件について意見を持っている自分も公にしっかり表明していかなければいけないと思ったからです。沖縄に過重に負担させている米軍基地を日本に「引き取る」という「県外移設」もいろいろな場面で議論されるようになってきているというのもあります。もう1つは、来る9月25日に開催されるシンポジウム「9.25シンポジウム ヤマトンチュの選択―問われる責任、その果たし方」(写真のチラシ参照)がまさしく自分の主要テーマにかかわるものであり、自分も意見表明によってこのシンポに間接的に参加する「責任」を感じたからです。「県外移設」をめぐる議論の本質の問いは、「日本が沖縄に対する植民支配と差別をどうやめていくか」ということです。参加する一人一人が、立場や意見の相違にかかわらず、日本人としてその問いに自分がどう向き合いどう行動するかが問われていると思います。 @PeacePhilosophy 乗松聡子

※追記: この「沖縄と九条ー私たちの責任」は、東アジア共同体研究所琉球・沖縄センターの紀要第二号(2016年10月25日発行)43-50ページに収録されました。

2013年10月13,14日 九条世界会議@大阪 「アジアと九条」分科会 


沖縄と九条-私たちの責任


乗松聡子(カナダ:ピース・フィロソフィー・センター代表)


はじめに

v  自分について
 自分は日本出身、高校時代2年を含めて通算約20年カナダ西海岸に住んでいる。2004年に始まった「バンクーバー九条の会」を作る動きに加わったことから、戦争の記憶と平和、社会正義や人権といった分野で、英語と日本語を使って教育活動や執筆をするようになった。2006年末からは「ピース・フィロソフィー・センタPeace Philosophy Centre」を立ち上げ、広島長崎の記憶や福島の核事故を中心とした核問題、アジアの戦争記憶、歴史認識問題、米軍基地問題、公正な世の中を作るための「市民力」を育む活動をしてきている。日本の「九条の会」呼びかけ人だった故・加藤周一氏は、「外国語を学ぶのは政府の嘘を見破るためだ」と言っていた。日本に届かない情報を日本語で届け、日本に留まりがちな情報を英語で世界に届ける努力をしてきている。今カナダではバンクーバーだけではなくトロントやモントリオールにも九条を守ろうというグループができており、広大な国だが東西がつながっている。

v  アジア各地域の人々と共に九条と戦争をかたる
 「アジアと九条」を語る場で忘れてはならないのは無論戦争の記憶である。日本がアジア太平洋全域を侵略しアジア同胞を殺し苦しめた歴史がなければ日本国憲法、九条はなかったであろう。日本は戦後、現在にいたるまで、アジアの一員として本当に復帰はしていないように見える。その典型が日本人の内向きな戦争記憶だ。広島・長崎の原爆被害や空襲被害、戦時の窮乏など、どれも重要だがそこまでに留まっている。日本人が「300万人が死んだあの戦争」と語るとき、深く認識欠如を感じる。日本人の死者の数しか勘定に入れていないからだ。領土問題を語るときも、多くの日本人はその背後に横たわる侵略と植民地化の歴史と記憶をほとんど知らない。そのために日韓、日中の間に修正困難な認識のギャップがある。マレー半島、フィリピンをはじめ東南アジアへの侵略については中国や朝鮮半島に対する危害以上に知らない。

 日本の歴史観は課題が多いが、戦争の教訓と反省と共に採用した日本国憲法は重要なものであると思う。私は、日本国憲法は、国籍を問わず、帝国日本に殺され蹂躙された全ての人々の無念や怒りを背負っているものだと思っている。殺された何千万人もの声なき声を背負って日々の活動をしているつもりだ。その中には今日ここにいるアジアの仲間の家族や親戚、その隣人たちが含まれているはずだ。それだけに今日の集まりの重みを感じ、皆さんとの出会いを有難く思う。戦争体験者が死にゆく中、体験が風化すると危ぶむ声があるが、だからこそ戦争の反省の上に作られた平和憲法を守り生かすことが大事なのである。「戦争体験者がいないと保てない平和」という考えに根本的なパラドックスがある。それが本当だったら人間は常に戦争をやり続け「戦争体験者」を生み続けなければ平和は創れないという矛盾した論理となる。戦争体験者がいなくても平和を創るために、憲法があるのだ。

v  自分と沖縄のつながりのはじめ
 バンクーバーで2006年6月に開催された「世界平和フォーラム」にバンクーバー九条の会の一員として参加した。今にしてみれば、6月26日ブリティッシュコロンビア大学での「日本の憲法9条平和のための人類共通の宝」会議での体験が自分の沖縄とのつながりの原点だった。君島東彦さん(立命館大学)や、今回海外ゲストとして来ているロベルト・サモラさんやピースボート共同代表の川崎哲さんとパネルを共にしたが、我々パネリストが長く話すぎて、沖縄から参加していて発言を希望した平和教育家・活動家の大西照雄さんの時間がなくなってしまった。最後「一分で」と言われた大西さんは、「沖縄のことは一分では話せない」と言って発言を拒否、会場には気まずい空気が流れた。振り返ると、その後の自分がたどったのは、あの沈黙から受け取ったもの、あのとき大西さんが言おうとしていた言葉を見つけ出すための道のりだったような気がする。あのとき、我々が話し過ぎて大西さんの時間を奪ったことは、9条と安保の矛盾を沖縄に押し付けながら「平和」を装う日本の罪を、まさに象徴していた。大西さんは今年の6月、がんで亡くなった。貴重な時間と自らの健康を沖縄への暴力と迫害に対する抵抗運動に費やさざるをえず、たたかいの中で死んでいった。今回の会議ではあのとき大西さんの(すなわち沖縄の)時間を奪った、私を含む「共犯者」たちの多くが一堂に会していることに意義を見出す。私は今回ここに大西さんと一緒に参加しているつもりだ。


九条と沖縄

v  憲法は沖縄、朝鮮、台湾を切り捨てることにより始まった
日本国憲法を語る際、忘れてはならないのは、憲法が切り捨てた人々である。1945年12月の衆議院議員選挙法改正で女性は参政権を得たが、朝鮮人・台湾人の選挙権は停止され、米軍政下にあった沖縄も施行の例外扱いとなった。現憲法を審議した46年の国会に沖縄選出議員はいなかった。新崎盛暉氏は、『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別 』(高文研)の中で「平和憲法は、沖縄を除外することによって成立した」という。また、憲法制定の段階で日本側は、法の下の外国人平等が保障されることのないように占領軍案を変更した。施行の前日、天皇は最後の勅令「外国人登録令」を出し、在日朝鮮人と台湾人を外国人とみなし、憲法から切り捨てた。

v  日本からの侵攻、併合、「捨石」とされた沖縄戦と米軍占領
 沖縄は独立した琉球王国であったが、1609年に薩摩の侵攻を受け、1879年には武力で日本に併合され王国が滅ぼされた。龍谷大学の松島泰勝氏は『琉球独立への道』(法律文化社、2012年)において、この「琉球処分」として知られるものを「国際法においても違法な琉球併合」と指摘した。「戦後、北朝鮮と韓国はそれぞれ独立したが、同じように廃位、廃国された琉球は現在も日本の植民地のままである」(13頁)という記述を読んであらためて思った。この「アジアと九条」という分科会の中で、沖縄と、ここに参加している韓国、台湾、中国、ベトナムには共通項目がある。どこも日本の植民地化や侵略を経た国や地域だということだ。沖縄はとりわけ、現在進行形で日本の迫害を受け続けている植民地なのだ。

 1963年生まれの松島氏が1972年の沖縄の日本への「復帰」の頃、学校で「方言札」の体験をしていたと知ってショックを受けた。これは戦前戦中に行われていた強制同化教育の一環と思っていたので、自分と同世代の氏が小学校時代に体験しているとは、改めて自分の認識の甘さを痛感した。

 カナダでも19世紀後半から20世紀終盤まで、先住民の子どもたちが寄宿学校に入れられて地域、家族、言語、文化、誇りを、政府と教会組織により徹底的に剥奪された。日本人のほとんどは被植民地化の体験がないからこのような民族抹消政策のことを聞いても「かわいそう」程度にしか思わないのではないか。私もそうだった。私は日本に日本人として生まれた。ある国や地域で主流派の一員として育った人間にとって、差別される民族や植民地化された人々の、世代を超えたトラウマを理解するのは相当の勉強と想像力が必要である。自らが差別される体験をした方がいいと思うときさえある。学校で日本語を話したら舌に針を刺されたり、「野蛮な日本人性は洗い流さなきゃだめね」と言って体を洗われたりする屈辱を想像してみてほしい。子を持つ親は、自分の子がそのようにされることを想像してみてほしい。これらはカナダの寄宿学校での例だが、沖縄も併合後、同化教育、皇民化教育が行われ、日本人になる教育が徹底的に行われた。

 沖縄では強制併合後、同化教育、皇民化教育が徹底的に行われた。挙句の果てに太平洋戦争時は日本の国体(天皇制)を守る盾、あるいは「捨石」として使われ、約50万の県民は徴兵・軍協力・労働を強いられた。地上戦に巻き込まれて米軍から攻撃を受け、友軍であるはずの日本軍からも守られることはなく虐待・虐殺され、15万にも及ぶ県民が殺された。日本人にならされた上に日本人扱いされず裏切られたのである。世代を超えて人々の心に深く残る沖縄戦のトラウマは、日本人が想像するとすれば、植民支配された挙句、日本全土が陸戦となり2千万人が殺されたと思えばどうか。
 
 沖縄は日本から切り離され米軍直接統治下に置かれ、日本が新憲法によって得た民主主義、平和主義や基本的人権とは無縁の27年間を送った。1952年にはサンフランシスコ平和条約で日本は主権を回復したが沖縄は形を変えて引き続きアメリカの支配下に置かれた。この条約によって沖縄などを、アメリカを「唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」との提案が国連にされた場合日本が同意すること、それまではアメリカが沖縄に対する「行政、立法および司法上の権力の全部及び一部」を行使するとされたのである。『憲法と沖縄を問う』(法律文化社、2010年)第一章で井端正幸は当時国際法規となっていた「領土不拡大の原則」、国連憲章にうたわれた「人民の同権および自決の原理」や「主権平等の原理」に照らし合わせるとこれは国際法違反であった疑いがあると言っている(7頁)。

 ファシスト日本から沖縄を救ったかに見えた「民主主義国家」米国は沖縄という「戦果」を人権や民主主義とは無縁の価値観で扱い、頻発する米軍の事故や犯罪が正当に裁かれることはなく、その間に新基地建設、日本の米軍の沖縄移動が加速した。沖縄には日本国憲法もアメリカ合衆国憲法も適用されない「憲法番外地」であった(井端、同頁)。

v  沖縄は日本国憲法を求めて「復帰」、そして再び裏切られる
 沖縄は日米が決めた沖縄の日本への「復帰」「返還」を経て日本の憲法が自分たちに適用されることを求めたが、実際は米軍基地が集中させられた現状はほとんど変わらず今に至っている。日本は日本国憲法を頂点とした「憲法法体系」と同時に日米安保条約を中心とした「安保法体系」(日米地位協定など)が同時にあるが、実際は後者が前者を浸食し続けた(井端、同頁)。沖縄の「復帰」は、米軍基地を「安保法体系」に編入したという意味に過ぎなかった(前掲書新垣勉、第2章14頁)。現在の日本において、自分たちが求めてたたかって憲法を得たのは沖縄だけだ。それなのに、日本の一部となったとき憲法と一緒になってついてきた、いや憲法の上段に置かれたのがこの「安保法体系」だった。
 よく、「日本の米軍専用基地の74%が、面積が日本の0.6%しかない沖縄に集中させられている」という数字が使われているが、それはどういう意味を持つのか。同じ面積を取ったら、そこにある米軍基地の面積は、沖縄では日本の472倍という計算になる。想像を絶する不平等だ。基地のある陸地だけでなく、空や水域までもが演習用に占領されている。そして基地があれば起こる事件、事故、犯罪や騒音、環境汚染はその地域全体で負わなければいけないリスクだ。

 戦後も戦争ばかりやってきた米国の基地とされた沖縄は、戦争放棄や戦力不保持、交戦権禁止からは無縁であり、「武力の威嚇」のもとで戦後を送ってきている。したがって九条が適用されたことはいまだかつてないと言える。「復帰」40年たっても日本は沖縄への責任を果たしていない。それなら、沖縄は独立して独自に自らの憲法に「九条」的な非戦非武装条項を設け、松島泰勝氏が述べるように、琉球は国として日本から分かれ、『戦争の島』から『平和な島』へと生まれ変わるというビジョンを具体的に掲げるのは理にかなったことだ。沖縄が求めた日本国の憲法は、日本国から離れることによってしか実現できないのだとしたら誠に皮肉なことである。


日本と沖縄

v  「独立論」について
日米による沖縄への仕打ちがあらゆる民主主義的方法を使って訴えても変わらないということもあり、沖縄では独立の気運がだんだん高まってきている。「琉球民族独立総合研究学会」という学会もできているし、松島氏のように独立に向けて現実的な理論体系を築いている人たちがいる。それに対する日本の反応はどうか。日本の人たちは沖縄の独立の可能性に脅威を感じ「封じ込め」ようとする人たちが多いような気がする。独立はできれば避けたい、基本的には、してはいけないことである、という前提があるとしたら私はそれに疑問を投げかけたい。

 オリバー・ストーンが8月に来沖した際、沖縄平和祈念資料館見学 の後に囲み取材があったが、ある日本のジャーナリストが「沖縄の独立論をどう思うか」と聞いた。あのときオリバーは賢明な答えをしていた。「沖縄の独立について私は意見を述べる立場にはない I am not in a position to state my opinion about independence of Okinawa」と。独立するかしないかは当事者たちの決定であり、外部の人間、ましてや植民者として沖縄を支配してきた日本人がこうしろとかああしろとかいう権利はない。ヤマト人の「こうしろああしろ」に辟易して自己決定権を発揮し独立するのだから!日本で、沖縄の味方と称する人たちにも「僕は沖縄独立論者だ」とか「やっぱり沖縄は日本であってほしい」とか言う人がいるが、その辺の矛盾がわかっていないのではないかと思う。沖縄の独立を云々する前に、沖縄が独立を叫ぶようになった背景としての、日本による沖縄の長年の迫害に直面し是正することこそが、私たち日本の人間の責任ではないか。しかし根本は、独立してもしなくても自己決定権は尊重されなければいけない。沖縄の決定を日本側は尊重し、受け入れて適応していくのだ。沖縄が独立を選んだら、日本の一部としての沖縄を守るどころか危害を加え続けたことを認めて謝罪し、対等の国同士として外交関係を築き直すべきである。沖縄が独立を選ばなくとも、過去の蛮行に償う努力をしながら現在の不平等を解消し、沖縄の尊厳と人権、文化と伝統を尊重し、対等な関係を築くように全力を尽くすべきだ。

v  安保を容認しながら九条や反核を訴える矛盾と、沖縄への基地押し付け
 沖縄のことを学ぶようになってから、日本の平和運動とか憲法9条を守る運動や反核運動は非常に矛盾に満ちたものだと思うようになった。4月の核拡散防止条約2015年再検討会議準備委員会で、南アフリカなど非核保有国が「いかなる状況下でも核兵器が使用されないことが人類生存のためになる」という「核兵器の人道的影響に関する共同声明」を出したが、日本政府は賛同しなかった。これに対して平和運動家たちが怒りを表明したが、そういう時こそ私たちは自らを振り返らないといけないのではないか。日本政府は米軍基地と核の傘の幻想のもとに安全保障策をとっている。それに対して日本の人たちは7、8割が安保を認めているというデータがある。

 安保を認めながら反核とか9条を守れとか、どうして言えるのか。日本は北朝鮮やイランの核保有を責める前に、核使用国、大量保有国である米国を責め、そしてその米国と同盟を組んでいる自分たちを責めないといけない。日米安保をやめよう、新しい日米関係を築こうという形で運動しないといけない。安保を温存しておいて、その中で平和とか反核とか言っても説得力がない。自戒を込めて言っている。どうして私たちは普段から、反核や平和運動に費やす同じぐらいの情熱で脱安保を叫ばないのか。それは、安保のつけ、つまり米軍基地被害の大半を沖縄に押しつけたままでいるからではないか。

v  偽善的植民者からの脱却を
 1948年、冷戦に日本を利用するために米国の陸軍省は日本の憲法を変えて再軍備をする提案をした。米国務省の冷戦戦略のブレーンであったジョージ・ケナンが同年、占領中の日本に来て、マッカーサーと会話をしたとき、マッカーサーは日本の再軍備には反対しながら沖縄の重要性を強調し、沖縄に十分な米軍、特に空軍があれば日本を守れるとした(Foreign Relations of the United States, 1948, Volume VI, PP.699-712)。このように米国にとって、「沖縄の米軍基地と日本の憲法九条は同じ政策の裏表」となった(ラミス『要石:沖縄と憲法九条』晶文社、2010年、188-9頁)。

 こうやってそもそもセットとしてスタートした九条と沖縄米軍基地がサンフランシスコ条約における沖縄切り離しによって強化され、「復帰」による日米安保体制の沖縄への適用でさらに強化され、17世紀以来の日本人の沖縄への植民地主義を背景にますます強化されて今日にいたる。ということは、沖縄をそのままにしている限り、私たちは九条を守ろうとすればするほどその「セット」としての構造を肯定し強化していることになる。九条の美しい平和主義を唱えながら沖縄を抑圧、差別する偽善的植民者としての自分たちを強化してしまうのである。したがってこの偽善から脱却するには九条擁護だけではなく脱安保のために真剣に運動しなければいけない。そして、脱安保が実現するまでは、日本が置くと合意した米軍基地は、沖縄ではなく日本に置くべきである。つまり脱安保運動をしながら、安保をなくすまでは米軍基地は本来あるべき日本に戻すということである。安保がなくなるまで、と沖縄に我慢させようとする人もいるかもしれないが、沖縄にしてみれば「復帰」後40年間起らなかったことがこれからすぐ起こるとどうしたら信じられるのか。沖縄をこのままにして平和と人権を奪い続ける九条運動はそれこそが日本国憲法違反だ。逆に、偽善と植民地主義から脱する行為により、平和と人権をうたう日本国憲法実現により近づくと言えるのではないか。沖縄への責任を果たすことは、沖縄だけでなく日本のためでもある。

 (質疑応答時間で、米軍基地は沖縄ではなく日本に置くべきであるとの発言への反論を受けて)基地は誰だって嫌である。しかし誰だって嫌なものをどうして私たちは沖縄に押し付けてそのままでいられるのか。私たち日本人は沖縄に対し、現在進行形の差別と植民地主義の加害者であるという意識がなさすぎるのだ。私たち「平和主義者」はいつも米国が悪い、自民党が悪いと他者を責めて自分は何かいいことをやっている気になっている。だから自分が加害者であることを突きつけられると居心地が悪い。反論するのは自由だが、その居心地の悪さから逃げないでほしい。

v  沖縄と対峙する日本-変えるのは私たち自身
 もう一つ私たちの無責任さを表している現象があって、それは私たちがよくとなえる沖縄との「連帯」とか沖縄への「応援」、さらに「賞賛」と言ってもいい意識である。私は沖縄の現状に対する日米の責任を知れば知るほど、これらの概念に違和感を持つようになった。行動をともにする米国人には「沖縄市民の抵抗運動に支持を表明したい」と言う人がいる。これは善意に基づいた言葉であるとは思うのだが、やはり私は聞くたびに違和感を覚える。そもそも運動を起こさなければいけなくなる状況を作ったのは自分たち米国なのだから、米国政府と米国の軍隊に、沖縄への迫害をやめろと働きかけるのが米国人としての第一の責任なのではないかと。

 沖縄の地道な運動、体を張っての基地建設反対運動に携わる人々を英雄視する傾向についても、そもそもの問題への自らの加担から目を背けている無責任さがある。他のことができているはずの貴重な時間を沖縄の人たちに費やさせて運動をしないといけないような状況に追いやっている張本人、真犯人は我々日本人と、米国人なのだ。沖縄の運動や抵抗を褒めるのではなく、沖縄の人々がこのような運動をしなくてもいいように、日本と米国を変えていかなければならない。

 沖縄の運動に加わるために日本人が沖縄に行ったり沖縄に移住したりすることは、沖縄の「味方」の日本人にとって心地いいことである。しかし上にも書いたように日本人が沖縄に対峙するというのは九条と引き換えに沖縄に基地を押しつけそのままにしておいた自分たちに直面することであり心地いいわけがないことなのである。それで何かやっている気になって自己満足になってはいけないと思う。これは自分自身に対して言っていることだ。沖縄のことをがんばっている(と思っている)私たち日本人は沖縄の人たちに感謝されることも多く、それでいい気になってしまいがちだ。そして感謝して気もちよくしてくれる人とばかり仲良くしたがり、自分たちがいまだに加担している差別や抑圧のことを指摘する人は煙たがって避ける。それではいけないと思う。感謝されても、沖縄の現状を変える結果を生み出していない限りいい気になってはいけない。「連帯」とか「応援」とか心地いい世界では決してない。

 私たち日本人の責任は、「連帯行動」をすること以上に、沖縄に迫害を与え続けている集団の一部としてこの集団自身を変えていくことだ。それこそが私たちが守りたい九条の、日本国憲法の精神に沿った行為なのである。そして沖縄の現状をそのままにしたうえでの九条運動は、たとえ九条が守れたとしても、九条と日本国憲法そのものに反する行為なのだ。

(終)


※これは、2013年10月13日関西大学において開催された「9条国際会議」の分科会「アジアと九条」の中での発表のために用意した原稿を、2016年9月、ブログでの共有のために微修正したものです。実際の発表で話したのはこの文の要旨でありこの通り話したのではありません。質疑応答の中でやり取りされた内容の一部も文中に挿入してあります。

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16 comments:

  1. 小林はるよ3:20 am

     聡子さんの今日の更新記事、私、気持ちは全く同じと思います。

     私は沖縄が反基地闘争に、安保廃棄や護憲を掲げることはないと思います。それは本土人の責任です。この点で私は「アリの一言」さんにはいつも、違和感がありました。翁長さんの姿勢や、本土の問題には鋭かったし、沖縄に関する情報もいちばん早く出ていたから、愛読していましたけど。

     聡子さんの今度の論考では2点、引っかかるところがあります。1点目は、では私たち、日本人、ダンプカーの通り道の石ころの1つにでもなれないかと沖縄に出かけていた人間たちはどうすればいいのということでしょうか。沖縄の闘争を支援するというのならまず日本政府を変えるべきだ。時間もお金もできたときに、出かけていっても、沖縄の闘争にとって、何の役にも立たず、ナイチャー風を吹かせて嫌がられ、何かと負担をかけるばかり。というのであれば、結論としては、行くべきではないということになりますね。そんなお金があるのなら、沖縄の人たちがより多く参加できるための、資金としてカンパすべきなんでしょうね。

     もう1点は、「安保を容認しながら反核や9条を守れ」と言うことの問題性を書いておいでですが、「反核や護憲を主張する人で、安保を容認している人」はいないと思います。「安保に反対しながら、沖縄への基地集中を容認する人」はたくさんいると思いますが。そして、「安保を容認しながら、あるいは安保を支
    持しながら日本への沖縄基地移転に反対する人」は、日本人のほとんどですけど。

     そして後の2つの考え方の根拠はけっきょくのところ「中国脅威論」というに尽きるのではないでしょうか。日本の極度の対米従属は、中国への極度の、理不尽な敵視と裏腹の関係だと私は思います。日本人の中にひどく深く食いいってしまった「中国脅威論」を克服しないと、対米従属も終わらないのではと思います。

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    1. コメントをありがとうございます。第一点目についてですが、私自身沖縄に何度も足を運んでいます。行けばわずかな時間で申しわけないと思いながらも抵抗の現場に加わります。現に現場で阻止行動をしている人たちの中には日本人がたくさんいます。その人たちはみなさんそれぞれの事情や選択で沖縄に来たわけですし、それを十把一絡げにまとめてジャッジする資格は私にはありません。その人たちの具体的貢献を軽視するような印象を与えてしまっていたらそういう意味ではありませんでした。私は私を含む日本人の沖縄への向かい合い方、責任の取り方における姿勢について主に問うています。個々のケースにおいてそれぞれの人がどう行動すべきかは、それぞれの責任と選択で行うことであり、私がどうしろというようなことではありません。

      第二の点ですが、「「反核や護憲を主張する人で、安保を容認している人」はいない」この観察には私は疑問を呈します。私は、反核や護憲をがんばっている人で安保を容認している、またはしているとしか思えない人にたくさん会ってきています。反核運動家の中には、安保はそのままで日本は核の傘から出られる――あたかも安保反対が反核運動の障害になるかのように言うような人もいます。安保を廃止のが大変だから、大変「そう」だから、安保のことは言わないでおいて最大公約数を取っていこうというようなアプローチです。そうやって事実上安保を容認しているのです。

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    2. 「けっきょくのところ「中国脅威論」というに尽きる」とのご意見についてですが、「中国脅威論」が影響を及ぼしていることには賛成しますが「尽きる」ということではないと思います。今ほど中国が脅威視されていないときも沖縄迫害や対米従属はあったわけですから。しかし「中国脅威論」にあまりにも影響され日本の多くの人たちが思考停止に陥っていることは間違いないと思います。

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    3. 小林はるよ1:53 pm

      聡子さんのご意見への再意見ですが、1点目に関連して。個人の行動について。そうですね、けっきょくのところ、自分の行動については、それが自分の最善の結論と思うならと、誰がなんと言おうと、誰にどう批判・否定されようと、するしかないですね。

       沖縄に移住して現地の人たちといっしょに反対運動に参加して、具体的な役割を担っている方々については、私にできないことをしてくださっている方々と思って深く感謝しています。そうした方々が、日々、植民者側の人間としての自覚をもって(辛さを抱えて)参加しておられることも察しています。

       「安保を容認しながら、反核運動や護憲運動をする」そうした人々はいないのではと私が言ったことについてのご意見。そう言えば、いわゆる「シングルイシュー」論があったことを思い出しました。反原発のデモの中で、反原発以外の主張を唱えることが許されない、というような。沖縄の基地建設問題についてのプラカードを掲げることも不可だったようです。私は、そうした日本の反体制運動の視野の狭さが、今の悲惨な政治状況を招いたと思います。ただ、聡子さんのご意見では、安保の廃棄を主張しないことは、安保を容認していることと同じということになるようですが、私はそう言ってしまえば、一億総ざんげ論になると思います。私は、主張するかどうかよりも、じっさいの行動が廃棄につながる政治的行動になっているかどうかが大事だと思うのですが。

       「中国脅威論」。今は「中国脅威論」というかたちをとっているのでそう、書きましたが、その内実は、日本の長い歴史の中にある、中国をはじめとするアジア諸国への領土拡大欲望です。庶民の中にあったとは思いません。支配層の中にあって、明治維新で庶民のレベルにまで浸透させられた。その領土拡大欲の最初のターゲットが、琉球王国だったと思います。

       薩摩藩の財力は琉球を収奪することで蓄えられて、それが明治維新のさいの薩摩藩の役割を支えたそうです。日本人はこのあたりの歴史を学ばなくてはなりませんね。目を覆ってしまうほどの、恥ずかしい野蛮さ。

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  2. 日本にとって中国が脅威に思えるのは、アジアにおいて日本の帝国主義が中国帝国主義に末変わるのを恐れているからでしょう。 日本は今でもネオ帝国主義の上にあり、その力をアジアで利用しているんです。 私たちが謳歌する日本の豊かさはこのネオ帝国主義があるが故なのです。 日本の企業はアジアの至る所にあり、日本政府はこれを守るために軍事国家と変貌する必要があるのです。 しかし、憲法はこれを許さず、帝国を軍事的に守る事はアメリカに力を借りなければできない事ですから、安保条約は決して破棄出来るものではありません。 合衆国に逆らう事は国を逆さまにしてもできる事ではないのです。 とすれば、根本的問題の根源であるアジアにおける日本の資本投資や企業やの存在を問題にしなければならないでしょう。 合衆国は日本を含めた欧州のボディガード会社であり、日本がボディガードである合衆国を必要としているのです。この仕組みは日本のみにならず、欧州人が16世紀以降海外から搾取を始めてから形作られたのでした。 これを覆して、行き過ぎたグローバライゼイションの速度を弱め、バランスを採るにはどうしたら良いのでしょうね? まずは、日本企業に戻ってきてもらう事でしょうか?

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    1. 「帝国の仕組み」についての理解は賛同いたします。しかしこの論考の主題は日本人の、沖縄に押し付けた基地についての責任の取り方です。このコメントはその主題に全くタッチしないコメントと思います。日本ネオ帝国を守るには9条の制約のせいでアメリカに力を借りなければいけないから安保条約は絶対破棄できないというのは現実を見ていない発言です。日本は巨大な軍隊を持っています。安保条約は絶対破棄できない、国をさかさまにしても合衆国にさからえないというのを既成事実のように言いますがそう主張する現実に基づいた理由がありません。安保条約には破棄条項があります。破棄できないということはありません。

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  3. 上原Hopkinson江吏子3:20 pm

    胸がいっぱいになりました。復帰前に沖縄で生まれ育った者として、やっとこのようなPhilosophyが出てくることが心強いです。ありがとうございます。アイルランドの土地で私もできることをやっていこうと思っています。

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  4. 小林はるよ11:46 pm

     ピースフィロソフィーセンターの新しい記事「沖縄と九条ー私たち(日本人の責任)」が、9月25日のシンポジウムへの参加の意味合いで掲載されたことを知りました。

     私も参加できないのですが、この問題についてはずっと考えてきたので、意見表明をして参加したいと思います。私は沖縄の米軍基地を普天間基地、日米政府が辺野古に予定している新基地も含め、全て日本(北海道、本州、四国、九州)に移設するのは、当然のことと思います。

     沖縄を除く日本人の8-9割が安保条約を消極的にであれ支持している―現に安保条約を憲法の上においている政府に圧倒的な支持を与えているーのですから、沖縄の米軍基地は全て日本(北海道、本州、四国、九州)に移設すべきです。沖縄戦以来の歴史的経過を考えれば、あまりにも当然です。

     そして、安保条約を支持している日本人の多数と政府の論理と切り結ぶことのできる論議は、この主張しかないと思います。

     そのさい、この主張をする人々が、具体的な候補地を挙げる必要はないと思います。候補地の決定は、政府がすべきことです。

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    1. はるよさんの「あまりにも当然」という感覚は私も共有します。私は、日本が置くと決めた基地を日本が撤去するまでは日本に置くというあまりにも当たり前のことに頭ごなしに反対する日本人が信じられません。どういう道理も論理も通じないと思います。私のこの問題への関心は、沖縄に置かれている日本の基地を日本に戻すという当然のことについてもそうですが、それに反対する人たちへの批判が中心になっていくと思います。これは、地元にできつつあった「慰安婦像」問題について、慰安婦像そのものを作りたいと強く思っているわけではないですが、慰安婦像に反対する日本人が信じられず、自分の議論はおもに反対への批判にあることに似ています。もちろん基地と慰安婦像では問題が異なりますが、日本の基地を沖縄に押し付け日本でひきうけることを拒否する姿勢と、慰安婦像に目くじらを立ててけしからんと運動する日本人に共通しているのは「植民地主義」です。そういう意味で私の批判は日本人の植民地主義批判なのです。

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  5. 鬼原悟(広島県在住の「日本人」)1:48 pm

     乗松さんの論稿(「沖縄と九条―私たちの責任」)は、「県外移設」に反対の私にとってもきわめて重要な問題提起です。2つの側面から考えたいと思います。

    (1)日米安保廃棄と県外移設

    沖縄の米軍基地の元凶である日米安保条約への賛否と、沖縄米軍基地の県外(「本土」)移設への賛否は、次の4つに分かれるでしょう。
     A=日米安保に賛成し、県外移設に反対
     B=日米安保に賛成し、県外移設に賛成(推進)
     C=日米安保に反対し、県外移設に賛成(推進)
     D=日米安保に反対し、県外移設に反対
     Aは安倍政権はじめ歴代日本政府、そして多くの「本土」の日本人でしょう(どこまで意識的かは別にして)。Bは潜在的には沖縄でも「本土」でも相当数にのぼるのではないでしょうか。それが顕在化している代表が翁長知事でしょう。私の立場はDです。
     県外移設が論議される場合、まず注意が必要なのは、BとCが区別されず一体化して捉えられる傾向があることです。同じ県外移設論でもBとCでは天と地の開きがあります。両者は区別されるべきです。具体的に言えば、県外移設の点だけからCが翁長知事を支持することは重大な錯誤だと言わねばなりません。
     もう1つ最近気になるのは、本来Cだと思われる人が、「県外移設」を優先的に主張する中で、「日米安保反対」事実上棚上げにし、Bに接近しているのではないかと思われることが、しばしばあることです。ミイラとりがミイラになるこうした現象は要注意です。

     乗松さんはCの立場から、「脱安保が実現するまでは、日本が置くと合意した米軍基地は、沖縄ではなく日本に置くべきである。つまり脱安保運動をしながら、安保をなくすまでは米軍基地は本来あるべき日本に戻すということである」と主張します。これはきわめて重要な指摘で、「県外移設」論のポイントはここにあると思います。
    結論から言えば、私はこの主張にも同意できません。問題は、「脱安保運動」と米軍基地を「日本に戻す」(本土移設)の関係です。
     私は日米安保体制が沖縄の基地問題はじめ諸悪の元凶だと考えています。したがって最も重視するのは、どうすれば日米安保条約・軍事同盟を廃棄して日本を非同盟・中立の国にするか、その世論(国民的意思)を大きくすることができるかです。
    そこで問題は、米軍基地を本土に移設することが、日米安保廃棄への道に沿うことなのか、ということです。私にはそうは思えません。沖縄の基地(普天間でも嘉手納でも)について、安保廃棄への道と同じベクトルの主張は、「移設」ではなく「撤去」、「無条件撤去」です。「移設」と「無条件撤去」は両立しません。「普天間基地は無条件で即時撤去せよ」の主張こそ安保廃棄に沿う主張だと考えます。したがって「県外移設」には賛成できません。
     ここで問題になるのは、この考えは「安保がなくなるまで、と沖縄に我慢させようとする」(論稿)ものだという指摘です。他の「県外移設」論者、「基地は本土へ引き取る」論者の多くも、「日米安保支持80%」の世論状況では安保廃棄がいつのことになるかわからない、それまで沖縄への差別・植民地状態を放置するのか、というところにあると理解しています。この問題を考えるために、2つ目の側面に移ります。

    (2)思想論と運動論の峻別

     「県外移設」をめぐる議論で痛感するのは、思想論(考え方)と運動論(運動の進め方)の混在です。
     例えば、前述の「安保がなくなるまで基地負担は平等に」という主張は、考え方としては私も異論はありません。「日本による沖縄の長年の迫害に直面し是正することこそが、私たち日本の人間の責任」(論稿)だと私も考えるからです。
    「日米安保反対」と唱えていれば自分の責任が免ぜられるとも思っていません。「日米安保反対」を主張する人間にも、「日米安保賛成80%」「沖縄への基地集中」という現状には結果責任があります。
    ただし、その結果責任は、日米安保を推進する政府やそれを支持する人々のそれとは質的にも量的にも大きな違いがあります。誤った世論を推進している者と、その世論を変えることができない者の責任の違いです。この違いは区別されなければなりません。その区別をさせないところに「一億総ざんげ」論が生まれます。
    しかし違いはあっても責任があることは確かです。したがって、「日米安保がなくならないうちは、基地負担は平等に」という考え方に賛成です。ただし繰り返しますが、それは考え方(思想論)においてです。
    そこから「基地は本土へ」「本土へ引き取る」となると、考え方を超えて運動のスローガン(目標)になります。その段階で賛成できません。理由は(1)で述べた通りです。
    思想論と運動論を分離することはできないでしょうか。思想論、つまり乗松さんが論稿で詳述しているような「九条と沖縄」「沖縄と日本」「植民地主義と日本人」などの知識と思想を広め、共有することと、県外移設のスローガンと切り離して、前者を推進することはできないでしょうか。その知識と思想を日米安保廃棄の世論と運動につなげることはできないでしょうか。

    冒頭、A~Dに分類しましたが、実はEが存在します。日米安保も県外移設もどうでもいい、わからない、自分とは関係ないという層です。そしてこのEこそが「日本国民」の大多数ではないでしょうか。その層にどう働きかけていくか。それこそが最大の課題であるり、そのためにどうすればいいか、知恵を出し合いたいものです。(終)

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    1. 小林はるよ12:25 pm

      思想論と運動論の峻別

      「思想論と運動論の峻別」は、私も同感です。ただ、鬼原さんは「安保条約廃棄」が運動論で、「県外移設」が思想論だと書いておいでですが、私は「安保条約廃棄」が思想論で「県外移設」のほうが運動論だと思います。というより運動論になりうると思います。現に、沖縄では明確に運動論になっています。基地建設阻止運動に参加している沖縄の人々のあいだにも、少し前までは「嫌なものはどこに持っていっても嫌でしょう」と言ってくれる人もいたようですが、おそらく今となっては、限りなく0に近いでしょう。
       私は運動論として「安保条約廃棄」が第一に来なければ、安保を容認していることになるという考え方は、これも思想論と運動論の混同だと思います。いわゆる「日本の安全保障」を論議すること自体が、憲法9条の否定を意味するという、「雰囲気」が護憲論者にあり、今も残っていると思います。でも、ここにも思想論と運動論の混同があります。
       私はいわゆる自衛のためであってもいっさいの武力を持たないという本来の9条の考え方に賛成であり、この考え方は、歴史の流れからみて、倫理的にみて、正当だと思っています。つまり、核兵器を持ってしまった人類はこの考え方に立てなければ、いずれ自ら消滅することになるだろうと思います。でも、とくに憲法は、国民の多数派の支持を得なければ実効性を持たないと思うので、護憲派は自らの正当性を訴えるだけではなくて、国民多数の支持、共感がどこにあるかを冷静にみきわめて、それを得るための努力をすべきであったと思います。それは運動論になりますが、そうした運動論を採ることは、非武力という思想信条を捨てることではありません。運動論は一時的、戦略的に、相互譲歩的に、参加者の総意で同意されて、運動論になりえますが、それは参加者個々の個人的信条のあり方まで拘束してはならないと思います。共通の運動論に立てているならば、その参加メンバーのあいだでは、思想信条の違いは当然のことと考えるべきだと思います。
       私はオール沖縄による県外移設の主張は当然の主張であり、沖縄以外の日本人、とくに沖縄も闘いを支持するという人々がこの主張の当然性を認めることが遅きに失したと、心から申しわけなく思い、自分の認識の弱さを恥じます。
       私に関していえば、戦前の日本への回帰があまりに怖ろしく思えたので、米軍が日本にいることがまだしも、戦前の日本への回帰の防止になるのではないかという思いを、20年ぐらい前までは、拭えていなかったのです。終戦後にアメリカ軍を解放軍だととらえた人たちの認識を引きずっていたことになります。アメリカ軍部は終戦後の最初から今に至るまで、日本を反共の砦として位置づけていたのであり、そのために使えるのなら、日本をまた狂信的なカルト国家にすることも辞さないという構えでいると、今では思います。
       鬼原さんは、「米軍基地を本土に移設することが、日米安保廃棄への道に沿うことなのか」
      と問い、「私にはそうは思えません」と書いておられます。私はこの点に関して、まさに沖縄に米軍基地を置くことが日米安保が存続できる条件をつくっていると思うのです。米軍基地を沖縄以外の日本に置かないことによって、日本人の目から米軍基地の存在を隠すことによって、日米安保は存続しえていると思います。ですから、「米軍基地を本土に移設する」世論が、沖縄以外の日本で現実的な政治勢力になれば、そうした世論の変化は「日米安保廃棄への道に沿う」ことになると思います。

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    2. コメントをありがとうございます。

      ひとつひとつのコメントに答えたいと思いますが時間ができたときに少しずつ答えていきます。

      みなさんのコメントを読むことで自分の考えがまた明確になってきました。

      私が本文で書いたように、また多くの人が述べているように歴史的に沖縄に存在する米軍基地は米国や日本が置いてきたものです。米軍がやりたい放題であった「復帰」(1972年)前に沖縄に基地が集中させられ、それ以降は米軍基地ごと日米安保体制に組み込まれ、今にいたるまで基地面積は2割程度しか減っていません。もしサンフランシスコ条約発効(1952)で沖縄が日本から切り離されていなければ、つまり沖縄も一緒に占領状態から解放されていたら、沖縄にここまで基地が集中することはなかったはずです。沖縄におもに基地が集中していったのはこの、沖縄だけが米軍占領下に残されていた1952年から1972年の間です。1972年から現在まで沖縄の基地は2割ほど減っていますがいまだに、たくさんの人が言及するように、日本の約0.6%の面積に米軍専有基地の約74%が集中している状態があるのです。ということは日本の責任とは歴史的にはサンフランシスコ条約以降沖縄返還までの、沖縄が置き去りにされた20年間に対する責任ともいうことができるのです。その歴史的責任を日本は果たしていないのです。ここを多くの日本人は認識していないと思います。「県外移設」への訴えは、たんなる沖縄の米軍基地を平等に全国に分配する運動ではありません。日本は沖縄に対する歴史的責任(植民支配責任、戦争責任、戦後の切り捨てに対する責任)を果たせという当然の声であると思います。

      「日米安保条約廃棄への道」を重視する鬼原さんですが、少なくとも歴史的に見て、日米安保条約廃棄運動は全く成功していません。沖縄の人々から見ると、沖縄の脱植民地化の道筋(平等への道筋)が、66年も全く達成できておらず達成できる見通しもほとんどない目標に「沿う」形を取りなさいと言われることは、半永久的にこのまま基地過重負担のままでいろと言われることと同等に聞こえるのではないでしょうか。沖縄の人々にとって、この「安保廃棄に沿う主張」を要求されることはとてつもない絶望感を生み出すものではないですか。そのような、最終目標とはわかりつつも全く見えないゴールに「沿え」と言われることは、やはりあまりにも無責任と思われるのではないでしょうか。言い換えると、全く安保廃棄において業績を上げてこれていない私たちは、沖縄の人たちに「安保廃棄に沿う」主張を要求する資格はないのではないかと思います。私たちこそ、安保廃棄へ道へ実効性のある運動を生み出さないといけないのです。それが全然できていない。じゃあ、米軍基地を本来あるべき場所(日本)に戻そうという運動によって安保廃棄への世論を喚起し、実効性のある運動にしていこうというオルタナティブをどうして却下できるでしょうか。相対的に見ても、ある運動を何十年もやってきて全く業績を出せていないのに、他の方法がダメだとどうしてすぐ言ってしまえるでしょうか。そこに「植民地主義」があると言われても仕方がないのではないでしょうか。もちろん、基地を本来の場所に戻すのは安保廃棄のためのただの代替案ではありません。沖縄と日本の双方向的脱植民地化に必須の要素です。これについてはまた別の機会に書きます。

      読者のみなさんへ注:鬼原さんには、この投稿欄に意見は一度載せるがそれに対する批判やコメントがあってもそれには返答はしない(ここで討論はしたくない)ということをあらかじめ伝えられています。だから、これを読む人は、鬼原さんが返答しないということで小林さんや私からの返信を読んだ上で無視しているということではないことをご承知ください。それでも私は鬼原さんが提起した点について自分のコメントをしていきたいと思います。今日はこれくらいにしておきます。 乗松聡子

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    3. もう一度鬼原さんの書いたものをよく読みましたが、鬼原さんはこう書きます。

      「したがって、「日米安保がなくならないうちは、基地負担は平等に」という考え方に賛成です。ただし繰り返しますが、それは考え方(思想論)においてです。
      そこから「基地は本土へ」「本土へ引き取る」となると、考え方を超えて運動のスローガン(目標)になります。その段階で賛成できません。理由は(1)で述べた通りです。」

      そこで、日本の基地は日本に置くという当然のことが「考え方」としてはわかるが実際には行えないという理由を(1)のセクションに探しましたが、どこを指すのははっきりわかりません。日本の基地を日本に置くという行為が安保廃棄に沿わないという部分なのかなと思いますが、そう述べつつ、それでは安保廃棄まで沖縄が我慢しなければいけないという問題も認識しています。それについてどう述べるのかと思ったら、その問題を考えるために(2)のセクションに進んでいるわけです。そして(2)のセクションに進んだら、「引き取る」ことに賛成できない理由(つまり安保がなくなるまで沖縄が我慢しなければいけない理由)は(1)に書いたとおりとあります。これはAという言葉を辞書で引いたらBとあり、Bを引いたらAとあるようなケースで、ループしています。つまり、安保がなくなるまで沖縄が我慢しなければいけない説得力のある理由は示せていないので、示してほしいと思います。鬼原さんがこれをもう見ていない可能性があるので、他の人でもいいです。示してください。なぜ安保廃棄するまで沖縄が待たなければいけないのですか。

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  6. 琉球新報社が昨年(2015年)から文化面で展開してきた「県外移設」をめぐる論考を一挙HPで掲載。リンクはここです。http://ryukyushimpo.jp/special/entry-358187.html

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  7. 9.25シンポは琉球新報9月30日版に詳報が出ておりますが、私はもうすぐ発表されるはずの映像を見てからコメントしたいと思っています。

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    1. このリンクに、琉球新報の詳報記事を置いております。
      https://www.dropbox.com/s/ap057zjodous4e0/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%B9%B4%EF%BC%99%E6%9C%88%EF%BC%93%EF%BC%90%E6%97%A5%E3%80%80%E9%AB%98%E6%A9%8B%E3%80%81%E6%88%90%E6%BE%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D.jpg?dl=0

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