To view articles in English only, click HERE. 日本語投稿のみを表示するにはここをクリック。点击此处观看中文稿件한국어 투고 Follow Twitter ツイッターは@PeacePhilosophy and Facebook ★投稿内に断り書きがない限り、当サイトの記事の転載は許可が必要です。peacephilosophycentre@gmail.com にメールをください。Re-posting from this blog requires permission unless otherwise specified. Please email peacephilosophycentre@gmail.com to contact us.

Tuesday, May 28, 2019

元カナダ兵日本軍捕虜 ホラス(ジェリー)・ジェラード氏を偲ぶ Remembering Horace (Gerry) Gerrard (January 19, 1922 - May 22, 2019), a Canadian Hong Kong Veteran

日本が1941年12月8日未明、マレー半島上陸続いて真珠湾攻撃によって「太平洋戦争」を開始した、その数時間後に大陸側からの日本軍の攻撃で始まった香港における英国軍との戦い(現地時間8日午前7時開始)については知らない人が多いのではないだろうか。英国側は14,000人(植民地インド兵、現地兵を含む)に対し日本側はその3倍以上という、圧倒的な兵力の差と英国側の装備不足や戦略のまずさもあって、12月25日英国軍は降伏した。

英国軍のうち1,975人は、英国の求めに応じてカナダ政府が派遣した二大隊であった。香港は実際に戦争になったら守り切れないということは明白であったが、駐屯軍を増強して蒋介石や米国に対し香港防衛の意思を示すといった、軍事よりも外交政治的動機による決定だった。宗主国の体裁や面子のために若きカナダ兵たちは太平洋を越えて絶望の待つ任務に就くことになる。

結果、1,975人のうち、290人が戦闘で死亡、生き残った者は捕虜として、3年8カ月の過酷な奴隷労働生活を強いられた。飢えと病気と暴行の日々の中で267人が死亡、合計死傷者は1,050と全体の半数を超え、第二次大戦におけるカナダ軍で最も高い死傷率だった。帰還した者も戦後心身の傷に苦しみ続けその影響は子や孫の世代にまで及ぶ。(カナダ政府退役軍人省のサイト  Canadians In Hong Kong を参照)

ジェリー・ジェラード氏(2016年10月6日、バンクーバー島のジェラード氏の自宅で。筆者撮影)

2016年10月6日、その時点で生存していた十数名の元カナダ香港戦参戦兵の一人、ジェリー・ジェラード氏(94歳)をバンクーバー島ビクトリア市郊外の自宅でインタビューし、『週刊金曜日』2017年2月10日、17日号にわたって掲載された。
(記事はここに転載してある。「知られざるカナダ兵日本軍捕虜の歴史」まだの人はぜひ読んでほしい。)

そのジェラード氏がさる5月22日に、ビクトリア市内のホスピスにて亡くなったという報せが届いた。享年97歳。Canadian Hong Kong Veterans (カナディアン・香港ヴェテランズ)と呼ばれる人たちで、2016年10月の時点で、生存していた18人のうち、証言できるほどの体力のある人はもう西海岸に一人、東部に一人しかいないと言われていた。ジェラード氏はその西海岸の人であった。

ジェラード氏のストーリーをここで読んで欲しいが、氏はは1941年12月25日の敗戦で捕虜になった後、最初の一年は香港の収容所で栄養失調や病気に悩まされながら強制労働させられ、1943年1月に船で日本に護送された500人の連合軍捕虜のうちの一人であった。横浜の、日本鋼管鶴見造船所東京第三派遣所に配置され、ここでも虐待と寒さ、脚気に耐えながらの奴隷労働の日々を送る。1945年3月10日未明の東京大空襲の際は、収容所内の防空壕で、閃光と爆音の中で一晩を過ごす。その後岩手県の釜石にあった日本製鐵大橋鉱業所(仙台俘虜収容所仙台第四分所)に移送、そこで8月の日本敗戦、つまり解放の時を迎える。かの地でもう一度冬を越すなど考えられなかったジェラード氏は「これで生きて帰れる」と実感したという。
体験を語るジェラード氏(右)。左は元捕虜2世で、
取材に同行したリー・ネイラー氏(左)。筆者撮影

氏は、横浜の収容所のとき、赤十字が来たとき一度だけ僅かばかりの給料をもらった(それも食事代を引かれた!)だけで強制労働に対する対価はなかった。日本政府は責任は取らず、1998年にカナダ政府が肩代わりという形で元捕虜一人に24000ドル(約200万円)支払った。

2011 年、民主党政権時代に、日本政府は、カナダ元捕虜たちにもうしわけ程度の謝罪をした。それも、この記事を読んでくれればわかるように、謝罪とはいえない屈辱的な形であった。なにが一番屈辱的だったかといえば、密室で行われ、総理が署名した正式文書もなく、日本メディアも一切取り上げなかったことだ。日本の人たちが知り得なかった「謝罪」だったのだ。

口先だけのお詫びの言葉や僅かばかりの見舞金などよりも、加害国の一般市民がその歴史を知り、後世に語り継ぎ、その国の子どもたちの教育に生かすことができてこその「謝罪」であると思う。それを日本政府は全くやっていない。

だからこそ、ジェラード氏の体験を、一市民として聴き取り、日本語で日本の媒体に届けることができたことは貴重であったし、この機会をくれた『週刊金曜日』と担当編集者の成澤宗男氏、そしてジェラード氏を紹介してくれたリー・ネイラー氏(彼も元カナダ兵捕虜の二世)に感謝している。ジェラード氏は、「あなたたちはこの歴史を明るみにしてくれて有難いと思う」と言ってくれた。できれば日本の製品は買いたくないと思っていた氏が、日本人の私に会ってくれたのも、決して気持ちのいい体験ではなかっただろうが、最後に一緒に写真も撮ってくれた。
ジェリー・ジェラード氏と筆者。(2016年10月6日、バンクーバー島のジェラード氏の自宅で。リー・ネイラー氏撮影)

特に最後、「日本政府には、あなたたちは自国の人たちに謝罪はしたのですか、と問いたかった」と言っていたのが心に残る。自分や仲間たちの苦しみを背負いながら、日本の戦争被害者にまで思いを馳せていたジェリーさん。それを思い出すと、ジェリーさん亡き今、この歴史を語り継ぐ責任を痛感する。

ジェリーさんに感謝と、追悼の気持ちを届けたく思います。

2019年5月28日 乗松聡子


バンクーバー島の新聞、Times Colonist に出たお悔み記事。

Horace (Gerry) Gerrard (January 19, 1922 - May 22, 2019)
https://www.legacy.com/obituaries/timescolonist/obituary.aspx?n=horace-gerrard-gerry&pid=192995245 

お薦めサイト:POW研究会 

お薦め映画:
ジョナサン・テプレツキ監督、コリン・ファース、ニコル・キッドマン主演レイルウェイ・マン」(2013年)

★アンジェリーナ・ジョリー監督アンブロークン」(2014年)

このサイト内の関連記事:

知られざるカナダ兵日本軍捕虜の歴史-『週刊金曜日』より An Interview with Gerry Gerrard, a Canadian Hong Kong veteran (Weekly Kinyobi) 

週間金曜日より―「アンブロークン」は、47日間の漂流と2年の過酷な捕虜生活を生き抜いた男の物語 From Shukan Kinyobi: Film/Book UNBROKEN


1 comment:

  1. It's really sad to learn about Gerry's passing.

    I had the privilege to have interviewed Gerry back in 2012 to talk about his experience in the concentration camp after he was captured by the imperial Japanese army during the Battle of Hong Kong (1941). The interview is available at https://youtu.be/1CmjzCMT5HE

    ReplyDelete