Peace Journalist 菊野由美子
28日は横浜港大桟橋でピースボートの帰港を出迎え、横浜公園まで30分ほどのパレードをした。このゆっくりで短いパレードにパンチを効かせてくれたのは、先導車から軽快に聞こえてくる関西弁での呼びかけだった。「9条はええでぇ~。」「皆さん、ここは横浜ですけど関西弁でやらせてもらいますわ!」などなど、その呼びかけは、私たちが自然に沿道のたくさんの人々に笑顔で手を振れるように誘導してくれていたかのようだった。このように、地域ごとの工夫を凝らしたアイデアに感心したり、心のこもったお食事に癒されたり、9条ピースウォークに参加していなければ分からない“裏話”がいくつもある。 その中で、銭湯の楽しさもあった。各宿泊地では、浴室やシャワー室が備わっていないことが珍しくなく、その場合は近くの銭湯を紹介された。その中には、銭湯の番台から男湯、女湯両方の脱衣室が見えるような昔ながらの古い銭湯もあった。ウォーカーの一人の女性が脱衣室で足にサロンパスを貼っていると、番台のおかみさんがみんなで使ってね、とたくさんの湿布をサービスしてくれ、9条ピースウォークの話が脱衣室で始まったりもした。まだ、乾ききらない髪を春の心地よい夜風にさらしながら、みんなとおしゃべりしながら帰る道はなんとも楽しい。 また、今までの報道映像では、デモ隊と警察が衝突する場面を頻繁に見がちだが、9条ピースウォークにそれはありえない。ウォーク中、常に「警察の皆さんに守られている。」と感じて歩いていた。信号で止まっていたとき一人の警官が、「今日はこれが終わったら、一杯いこうか!」と他の警官に話していたのを聞いて、「はい、そうしてください!一緒に行けるといいですね。」と声をかけると私たちは笑い出した。ウォーカーの中にも、警察の方に「お疲れ様です」と声をかけている人を見かけることがよくあった。世界中のあちらこちらでピースウォークがあると聞く。そのほとんどがこのように平和に穏やかに行われているのだ。
29日は、1日で20km以上歩く最後の本格的ウォークだ。横浜の桜木町駅前を8時30分に出発し、総持寺で昼食休憩、そして東京都大田区と川崎市の境を流れる多摩川にかかる六郷橋たもとの神社で休憩し、ここで横浜地区から東京地区へとバトンタッチされた。
9条ピースウォーク横浜地区実行委員長の日巻清次さんにお話を伺った。「白紙の状態から1ヶ月足らずで準備をしてきて反省点もあった。しかし、この9条ピースウォークで各地域の九条の会がネットワークでつながったことは初めてで、これは大きな財産です。そして、自分たちにもこのようなイベントができるのだという大きな自信ができた。次につなげたいです。」と話され、「今、大役を終えられて一番何がしたいですか?」と聞くと、「ぐっすり眠りたい。」と満足そうなお顔でにっこり笑われた。その後ひたすら歩き、今日の目的地の品川区大森海岸駅に到着し、解散した。
5月1日は、御茶ノ水駅近くの東京YWCAで交流会があり、その後30分ほどのパレードを行なった。各地域での交流会でいつもスピーチしているイラク帰還兵のAsh Woolson さん
がここでも壇上に上がり思いを語ってくれた。
「私は、戦争は正義のために行われるものであると教育され、そう思っていたのだが、イラクに派兵されてからそれが全くの偽りであったことを目のあたりにした。戦争に勝ち負けはない。市民も兵士もただすべてのものを失い傷つくだけだ。皆が敗北なのだ。イラク駐屯中に、米軍戦車がイラク人の女の子を轢き死亡させてしまった時、ヤギの値段の半分ほどの賠償金を家族に払いに行った。そこでも、仕返しを恐れて家族に銃を向けたまま金を渡す。イラクの子供たちは手榴弾を投げてくるから近寄るなと警告されていたため、いつでもイラクの子供たちに銃口を向けていた。私には2歳半の子供がいる。誰かが私の子供に銃口を向けている場面など恐ろしくて想像できない。今のイラクの内戦では、シーア派とスンニ派両方に武器を渡しているのはアメリカだ。そして今、約30万の帰還兵が戦地での後遺症による心の病やアルコール依存症に苦しみ、毎日平均約17名の帰還兵が自殺している。私たちは、戦争を’乗り越えていかなければらないことを気付いて、その気付きを実現させなければならないと強く信じている。」
5月3日は、バンクーバー9条の会から代表として派遣された学生Yashar とJoshuaを連れて日比谷公園での憲法集会と銀座パレードに参加した。物々しい警官の警備の中、右翼街宣車からの叫び声を浴びながら歩いた。写真(上右)はイラク帰還兵Ashさん(帽子を被っている)とバンクーバーからの学生の様子。
5月4日、9条ピースウォークが幕張に入ってきたところを写真に収めることができた。会場に入るための長蛇の列の横を拍手に迎えられながら入ってきた。皆うれしそうだった。71日を歩き続け、延べ人数7000人という参加者と各地でサポートしてくださった数え切れない方々の平和への思いを携えて、9条世界会議の壇上へとメンバーたちは上がった。「戦争は最大の環境破壊である」と力強く伝えた若者、加藤上人が「平和への祈り」のメッセージをやさしく、かみしめるよう述べられる様子を見て胸が熱くなった。私はこの9条ピースウォークが私自身の心に平和をもたらしてくれたことに感謝したい。
さて、ここで番外編である。これは、5月1日のピースウォークのパレードが終わった後、個人的に7名のお坊さん方と、9名ほどの9条ピースウォークのメンバーで国会近くにある憲政記念館へと急いだ。そこでは、改憲派の議員や著名な方々が集まって、憲法改正に向けた話し合いを行っていたのだ。お坊さんのお一人が言う。「我々は彼らの集会を阻止しに行くのではない。彼らの心の奥底に必ずある善を信じて、仏性を呼び起こす為にひたすら唱えます。もし、何か言われても暴言をはいたりしないように。非暴力で彼らの善を信じてひたすら唱えます。」私はお坊さんの横や憲政記念館の入り口の横にちょこんとただ、ただ座っていた。そうして一つ気が付いたことがる。憲政記念館に入っていく議員さんは、なぜみんな黒いスーツを着ているのだろう?彼らの乗る車はなぜすべて黒塗りなのか?何かに怯えて、黒塗りで防護しているように見えた。それと対照的に9条世界会議では、色とりどりの服を着て、音楽を奏でて、カラフルな照明があたっていた。もしかすると、皮肉にも民衆をコントロールしたいとしているあの黒いスーツに身を固めた人達のほうが、自由がなく、がんじがらめでいつも何かに怯えているのではないだろうか? 彼らたちをそうさせてしまったのは何なのだろう?一緒にカラフルな服を着て、肩を寄せて歌うにはどうしたらいいのだろう?と思いながらお経とともにただ座っていた。
最後に、9条ピースウォーク実行委員として約1年間準備に係わってこられた増井さんご夫婦からメッセージです。
増井信様:初めての9条ピースウォークの企画でしたが、無事に成し遂げる事ができ大勢の方々
も参加していただき本当に嬉しく思っています。昨秋バンクーバーでお目にかかった方々がご参加くださったことも心強く皆様に感謝しています。
増井幸子様:数え切れない方々の支えで9条世界会議も9条ピースウォークも成功しました。
お目にかかれなかった多くの方々にも心から感謝しています。今回9条を大切に思う仲間がこんなにも多く居られる事を知りとても頼もしく思いました。また、バンクーバーなど多くの海外からの参加者のお話に触れ、やはり「9条は世界の宝」である事の確信を得る事ができました。今回繋がる事のできた皆様とのご縁をこれからも大切にしたいと思っています。皆様、平和な世界を目指して共に頑張りましょうね、どうぞお元気で。きっとまたどこかでお目にかかれますように。
草の根運動を育てていくためには、「原始的な方法が一番」と教えてくれたウォーカーの一人の言葉の意味を体験させてくれた9条ピースウォークだった。
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