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Monday, March 11, 2019

大槻とも恵:不可視化される性暴力と『創』が語る「リベラルズム」への問題提起 -広河隆一氏の「手記」を受けて- 


先日、『創』4月号で広河隆一氏が自らの性暴力・セクハラ事件について書いた「手記」を批判する投稿「『創』4月号の広河隆一氏の「手記」は、自らの性暴力を認めたものではなく、セカンドレイプに他ならない」をアップしました。それを読んで、現在UCバークレーでポストドクトラル・フェローとして研究に従事する大槻とも恵氏が寄稿してくれました。ここに紹介します。(乗松聡子 @PeacePhilosophy)



不可視化される性暴力と『創』が語る「リベラルズム」への問題提起
-広河隆一氏の「手記」を受けて-


大槻とも恵 (社会学博士)

Postdoctoral Fellow, University of California, Berkeley



2019年4月号『創』に、女性に強制的に性行為を要求した問題で渦中にいる写真家広河隆一氏の手記が掲載された。タイトルは「『性暴力』について謝罪し30年遅れで学ぶ」とある。タイトル見た瞬間にまず思ったのが、なぜ「性暴力」と括弧がついているのかという疑問である。日本語でも英語でも、コンテキストによるとはいえ、「」には、その名詞で呼ぶこと及び書くことへ疑問・議論の余地があるという含みがある。しかし、広河氏が告発した女性たちへ行った行為は性暴力である。そこに疑問を挟む余地はない。しかし、広河氏の手記の中では、性暴力という言葉が一貫し括弧でくくられて記述されている。私は、むしろこの括弧つきの性暴力という名詞の使用方法に、広河氏及び編集部がこの事件の本質を認識していない事が露呈されていたと考えている。


記事の冒頭にある「はじめに」には、『創』の編集部の言葉として、「なぜ、そんことが起きていたのか?何が問題だったのか?」を検証することが、この手記掲載の目的であると書かれていた。しかし読者の多くは、この後者の問い自体が問題と感じたのではないだろうか。なぜなら、何が問題だったかが、広河氏と編集部にはまだ自明ではないようなのだから。広河氏が告発した女性たちに行った行為はレイプである。それが犯罪として司法にかけられるかは法律と制度の問題であるが、広河氏が女性たちの身体・心に冒したことはレイプである。なぜなら、その性行為に合意は存在しなかったのだから、強制的な性行為、つまり性暴力・レイプ以外の何ものでもなく、ゆえに括弧を付ける必要はない。


でもまさに、その事実(広河氏が女性たちをレイプしたり、セクハラ・パワハラ行為に及んだこと)を「事実ではない」ことにするのが、広河氏の手記の目的であることは、読んでいくと明白である。本文で何度も繰り返されるのは、被害者との間に「合意があった」こと、それは広河氏を最初にインタービューした田村栄治氏も認めている「事実」であり、ただ問題は広河氏が30年経って「本来の合意ではなかったとようやく気付いた」という醜い自己弁護である。過去何十年にも渡って日本軍「慰安婦」問題をはじめとする戦場での女性への性暴力を取材してきた広河氏が、今になって「性暴力を理解していなかった。」と、己の罪を弁解するために放った言葉の意味は深刻である。


広河氏の手記の何が問題だったのかをさらに考えてみたい。


広河氏は、手記の中で「Days で扱った「女性への性暴力」と、私の「女性への性暴力」はどこが違っていたのだろう」(本文より引用)という問題提起をしているが、広河氏、そしてDays Japanがすべき事は、Days がこれまでに取材してきた女性への性暴力と、広河氏が犯した女性への性暴力の共通点に焦点を向けることではなかったのか。なぜなら、そこから性暴力の根幹となるものが見えてくるからだ。両者の違いは、前者は戦争・紛争時に犯された組織だった性暴力であるのに対し、広河氏のは個人の独断で平時に行われた性暴力、それのみである。あえてもう一点の共通点を挙げるのなら、両者の犯罪が成立した背景には、その事を知っていながら、権威に逆らうことを恐れ何も言わなかった周りの人間たちの存在であろう。手記を読むと、その二つの違いは、広河氏の場合だと「傷つけたという認識」や、それが「性暴力という認識」がなかったこととしたいようだが、それは戦争・紛争下での性暴力の加害者も同様である。性暴力の加害者は、被害者がその後一生背負うトラウマなど全く考えることもなく、その身体と心を犯し続けている。そして、広河氏はそういった性暴力の加害者なのだ。


広河氏の手記のもうひとつの問題は、彼がもはやジャーナリストという信用・立場を完全に喪失しているにも関わらず、まだ読者たちに「教える」立場でいようとすることだ。己の罪を理解するために、ジェンダー専門の学者たちが書いた本から学んだ浅い知識を、あたかも読者にレクチャーするように本文内で「披露」している。しかもその内容は情けないほどに陳腐である。例えば、ある専門家が「男性たちが最も恐れるのが、セクハラは受け取る側の主観で決まると言う、よく聞くセクハラの常識。した側、言った側に全く悪気がないとしても、相手が不快に思えばそれはセクハラに当たるのだという説明です」(本文より引用)と、広河氏は述べている。これが、何十年もの間、女性への性暴力を世界中で取材してきた元ジャーナリストの書いたものかと思うと、怒りよりも情けなさを覚える。広河氏の意図は明白だ。つまり、セクハラ・性暴力と呼ばれるものは、感情的に反応する女性のあくまでも「主観的」な考えであり、ゆえに「客観的」に物事を考える男性の「脅威」であるということだ。広河氏が冒した行為は、告発者だけでなく、当事者でない我々が客観的に見ても、レイプ・性暴力である。広河氏は、これらの本を引用しながら、自分の行った行為を「不本意な合意」のもとに起きた「非身体的な暴力」と位置付けたいようだ。広河氏が引用した本を読んでいないが、己の罪を弁護するために「つまみ食い」のように引用された本の著者たちも大迷惑であろう。


もうひとつの問題点は、広河氏が自分の行為の問題を、あたかも醜く年老いた男が、若い女性を「くどいた事」という、全く本質とは関係ないことへ転換しているところである。老人=醜い=恋愛をしてはいけないという、本末転倒な発想である。また、この論点のすり替えは、若いイケメンの男性であれば、彼の行った行為はセクハラにあたらなかったと言っているようなものである。


最後に、この手記を書いた広河氏本人と、この手記の掲載を決めた『創』の編集部たちが共有する大きな問題点を指摘したい。彼らは、広河氏が起こした事件を、「現代という時代が作った犯罪・性暴力」と捉えていないだろうか。つまり、広河氏がレイプをした時代は、その行為は「性暴力」でも「セクハラ」でもなかったのに、ここ数年の#Me too運動の高まりなどで、女性たちの告発が「トレンド」・「主流」になった「時代が構築した性暴力」というニュアンスを感じ取った読者もいたのではないだろうか。しかし、これは完全に間違った解釈であり、危険な印象操作である。その問題を検証するために、広河氏自身が過去に取材してきたという日本軍「慰安婦」問題と照らし合せてみたい。


フェミニズム・スタディーズの学者・上野千鶴子氏が1999年に英文で発表した “The Politics of Memory: Nation, Individual and Self” (History & Memory Vol 11 (2) 1999)*という論文の中で、日本軍「慰安婦」たちが、戦後まもない時代に男性によって執筆・制作された小説、エッセイ、映画などでしばしば語られてきたことを指摘している。つまり彼女たちの存在は決して「知られていなかった」存在ではなかったということである。しかし冷戦が終わり、1980年後半から1990年代にかけて日本軍「慰安婦」の存在が「旧日本帝国軍による戦争犯罪の被害者」として注目を浴びるようになったのは何故なのか?その問いに、上野氏は戦後と冷戦後の違いついて、前者では日本軍「慰安婦」たちは、「可哀そうな女性たち」の「悲劇」として男性に描写されていたのが、冷戦後に、それまで沈黙を強いられた元日本軍「慰安婦」たちが、自ら証言に立ち、旧日本軍を告発したことにより、それが単なる「悲劇」などでは到底収まり切れない性暴力・戦争犯罪だったことが明るみになったことによると論じている。


今回の広河氏の過去の性暴力が明るみになった背景にも、日本軍「慰安婦」が「悲劇」から戦争犯罪として認識されるようになった過程と多くの共通点がある。被害者が勇気を出して告発したことで、それはセクハラなどでは済まされない「合意不在」の「性暴力」だったという事実が明るみになった。広河氏が冒した暴力は、「時代が構築した暴力」では決してなく、むしろ「時代が可視化した卑劣な性暴力」だったという事なのだ。


広河氏の今回の手記は、セカンド・レイプといっても過言ではないほど酷い内容のものだった。ゆえに、この手記の掲載を決めた『創』の編集部の責任も大きいと言えるだろう。『創』の編集長である篠田博之氏は、今回の掲載決断についてこう述べている。


世論が一色になっている時に違った声や異論に目を向け、考えるための素材にしてほしいと思うからだ。「敢えて火中の栗を拾う」のも時として必要と考えている。特に何かの事件について議論する時に当事者の生の声を聞くことは必要だ。 https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190307-00117311/



篠田氏は、これまでにも幼児連続誘拐・殺人事件で死刑になった宮崎勤や和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚と10年以上に渡って面会を重ねたり、昨年死刑が執行されたオウム真理教の元教祖麻原彰晃の三女や家族との交流などについて、公の場で積極的に発言してきた人物である。つい最近では、遺族から強い反対があったにも関わらず、相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が初めて書いた獄中手記をやはり『創』で掲載している。私自身、上に抜粋された篠田氏の考えには同感である。しかし、今回の広河氏の手記掲載に関しては、もっと違う形での発表を考えるべきではなかったろうか。なぜなら、篠田氏がこれまで取材・面会してきた相手と違い、広河氏と篠田氏の間には多くの共通点があるからだ。まず二人とも、現代の日本で「リベラル」と呼ばれる雑誌の(元)編集長であること。そして広河氏が日本の写真業界の重鎮で圧倒的な権威を持っていたように、篠田氏も「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長や、大学講師、東京新聞などでコラムを持つ、やはり言論界の重鎮であり、「権威」として見られていることは想像に難くはない。そして二人は1947年(広河氏)、1951年(篠田氏)生まれと、まさに同時代を生きながら「社会正義」を問い続けていた知識人・文化人である。ゆえに、今回の手記に関しては、篠田氏に対談・インタービューという形で、とことん広河氏に向き合って欲しかった。広河氏の手記には、海外取材に連れて行かれ、二週間に渡ってレイプされ続けた女性については全く言及していなかった点など、篠田氏は追及するべきではなかったか。また広河氏と向き合うことで、篠田氏自身もご自分が持つ権威について自問することも出来たのではないか。しかし篠田氏は、ただ広河氏に自己弁護・加害意識の否定をする機会を与えただけでなく、被害者へのセカンド・レイプも容認してしまった。写真界・言論界を牽引してきた戦後生まれのリベラル知識人二人の共同作業には、倫理もメディアの教育(Pedagogy)的な意味合いすらなかったことに、愕然としているのは私だけではないだろう。



*この論文のオリジナル(日本語)は、上野千鶴子著『ナショナリズムとジェンダー』に収められている。

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