『朝鮮新報』連載「私のノート 太平洋から東海へ」6回目(25年11月3日)から許可を得て転載します。
〈私のノート 太平洋から東海へ 6〉
2025年11月03日 09:00
寄稿
8月15日の「全国戦没者追悼式」で石破茂首相が語った「反省」とは何だったのでしょうか。10月10日発表の「戦後80年所感」で判明しました。既に退陣を表明し、自民党総裁も高市早苗氏に決まっていたので、「死に体」であった石破氏は、踏み込んだ反省もできたはずです。
「所感」は、「なぜ当時の日本は戦争を止められなかったか」という問いを設定し、文民統制の欠如、政治や議会の機能不全、メディアの翼賛化などを挙げながら説明する内容でした。しかし肝心の被害国に対する言葉が皆無でした。日本の首相が戦後初めて侵略戦争と植民地支配に「お詫び」を述べた1995年の「村山談話」の約5倍の長さの文を語りながら、日本が誰に何をしたのかの言及もなく、傷つけた相手への心からの一言もない、内向きで冷たい文と感じました。
またこの「所感」は、戦争の原因を、制度的欠陥に帰結させています。それなら、「文民統制」が行き届いて「強靭な民主主義」を築いたうえなら、戦争をやってもいいと言っているようにさえ聞こえます。制度はどうあれ、皇国思想の下、中国をはじめアジア諸国を蔑視し、侵略・植民地支配したこと自体を絶対悪とする、倫理的価値観が見えません。
何よりも、日露戦争の頃までは元老が軍を統制できていたとか、その後も大正デモクラシー下、政党が軍と政治を統合し、帝国主義的膨張は抑制されていたとか、1930年代以前の日本を肯定するような記述があります。これは1870年代以降日本に侵略され、強制併合された朝鮮や琉球を無視し、朝鮮・満洲への侵略戦争であった日清・日露戦争を良しとする考えです。
「所感」が出た直後、東京国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展に行きました。「戦後80年」に、「美術を手がかりとして、1930年代から1970年代の時代と文化を振り返る」とした展覧会の内容は、当時の日本の画家によって描かれた、占領地の風景、作戦記録画、戦争プロパガンダ絵画などでした。侵略戦争についてどの程度批判的な視点があるのか気になりましたが、概して淡々とした、観察者的な目線だったと感じました。
例えば、「アジアへの/からのまなざし」というセクションの説明は、「明治時代以降の日本は、台湾と朝鮮を植民地として領有し、アジアにおける帝国主義国家としてその圏域を拡張していきました」とあります。「植民地」や「帝国主義国家」が、日本の選択の結果というよりも、そこに自然にある風景であるかのように描かれています。
関連年表においても加害の記述は全くありません。「南京大虐殺」の代わりに「南京陥落」とありました。このような、戦争遂行者の目線から「玉砕」「特攻」作戦などを描いたこの展覧会でしたが、それでも見る者の想像力を掻き立たせ、日本が侵略戦争をいかにプロパガンダで覆い隠したかが伝わりました。
| 「南京空襲」(田辺至、1940)、「記録をひらく 記憶をつむぐ」展より |
この展覧会は、チラシも図録も作らず、「ひっそりと」やっていたということです。これについて知人は「右翼の街宣車に囲まれるのを恐れたのだろう」と言っていました。皇居と靖国神社に挟まれた立地にある美術館で戦争絵画展をやるにはそれなりの覚悟が必要だったでしょう。
しかし、やるなら堂々とやればよかったのです。展示の中には、言論の自由がなかった時代に画家が工夫し、反戦の意図を絵の中に織り込んだ作品もありました。皮肉にも、この展示自体が同じように微妙な手法を取らなければ成り立たないのだとしたら、日本が「主権在民」を手にしたこの80年は一体何だったのでしょうか。
もやもやした思いを抱きながら国立近代美術館を後にし、新大久保の「高麗博物館」の企画展示「植民地主義2025」に行きました。そこで会った韓国人留学生Jさんと立ち話をしていたら、かれも「記録をひらく 記憶をつむぐ」を見に行ったとのことでした。一つ、話しているうちにお互い「そうだよね!」と合意した点がありました。
展覧会では、アジア太平洋全域で日本から加害を受けた人たちの体験は描かれていなかったのに、終盤になって、広島原爆の被害者の体験が強調されていたのです。丸木位里と俊の「原爆の図」や、一般人による被爆の絵が十数点展示されていました。私は現場では何か急にトーンが変わったなと感じながらも、Jさんと話すまでははっきり言語化できませんでした。
Jさんは言いました。「今の日本で、“大東亜戦争”の言葉を使うナショナリズムが再び増大しています。その中で、国立近代美術館が広島の被害だけを持ち出したことが示唆することや、社会に及ぼす影響は極めて大きいと思います」
「石破所感」と「記録・・」展にはどちらにも、自国中心の歴史認識から抜けきれない日本の姿がありました。若者が中心に作ったという「植民地主義2025」展に目の覚める思いを抱きながら、展示会ハシゴした一日を終えました。
プロフィール
ジャーナリスト。東京・武蔵野市出身。高2,高3をカナダ・ビクトリア市の国際学校で学び、日本の侵略戦争の歴史を初めて知る。97年カナダに移住、05年「バンクーバー9条の会」の創立に加わり、06年「ピース・フィロソフィー・センター(peacephilosophy.com)」設立。英語誌「アジア太平洋ジャーナル」エディター。2人の子と、3匹の猫の母。著書に『沖縄は孤立していない』(金曜日、18年)など。19年朝鮮民主主義人民共和国を初訪問。世界の脱植民地化の動きと共にありたいと思っている。
(本連載は、反帝国主義、脱植民地主義の視座から日本や朝鮮半島をめぐる諸問題や国際情勢に切り込むエッセーです)
(転載以上)
★この記事で紹介した、高麗博物館の企画展「植民地主義2025」は、26年3月29日まで開催します。開館時間などは博物館のHPでご覧ください。
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