Monday, September 01, 2025

バンクーバー集会で読んだ:関東大震災102年「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会アピール Calling for a Thorough Investigation of the Massacre of Koreans after the Great Kantō Earthquake, 102 Years On

関東大震災102年。震災後の「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会が、「日本と朝鮮を結ぶ全国ネットワーク」(日朝全国ネット)の企画で8月29日に開催された。

朝鮮新報が詳しく報じている。

植民地主義の清算こそが責務/関東大震災102年集会、朝鮮人虐殺の真相究明求め

日朝全国ネットは今年2月に結成された、日本と朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の友好連帯を推進するためのネットワークである。活動は、①日朝国交正常化(日朝市民交流強化、朝鮮訪問活動、植民地支配の歴史清算)、②在日朝鮮人の権利確立(民族教育権の確立、朝鮮学校への差別撤廃、在日朝鮮人差別の排除)、③東北アジアの平和と安定(朝鮮戦争の終結と平和協定締結)である。2月7日現在、日朝全国ネットには18の中央団体、37の都道府県から68の地方団体、計86団体が参加し、国会議員、県議会議員、大学教授、記者、文化人など21人の個人も名を連ねていた。(結成総会の報道より)。

9月1日、Nikkei Vancouver for Justice 主催で、関東大虐殺のメモリアル集会がバンクーバーのダウンタウンで開催された。司会は落合ベックさんがつとめた。日系、コリア系、フィリピン系を含む多様なバックグラウンドをもつ若者たちが中心に運営した。アートギャラリー前で行い、通りがかる人たちも関心をもっていた。そこで発言を求められたので、日朝全国ネットの紹介と、「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会で採択されたアピール文を英語で読んだ。(英文はそのままの訳ではなく、内容を変えずに伝わりやすいように調節してある。)

快晴のレイバーデイにバンクーバーのダウンタウンで行われた関東大虐殺のメモリアル

乗松聡子がバンクーバー集会で読み上げた、東京での日朝全国ネット8月29日集会のアピール文:(実際読んだのは下方の英文)

関東大震災102年「朝鮮人虐殺の真相究明を求める」集会アピール 

 戦後80年、日本では特集記事も含めて戦争と平和の話題であふれた。しかし朝鮮半島にとって、この80年は、日本の植民地から解放された後の80年間であったことを忘れてはならない。8月15日を前後して、多くのマスコミも植民地支配に触れることは少なかった。戦後の日本社会は、加害の歴史を置き忘れてしまったかのように、80年後の今、被害の歴史ばかりを追いかけてはいないか。

 今から120年前、1905年に「乙巳保護条約」(第二次日韓協約)の締結が強要された。韓国の外交権を奪い保護国化するこの条約は、朝鮮半島の植民地化を決定づけ1910年の「韓国併合」へとつながる役割を果たした。その後36年間、日本は朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与え、関東大震災時の忌まわしき朝鮮人虐殺の悲劇も招いた。日本社会は、その歴史事実を忘れ去っているかのようだ。7月に行われた参議院議員選挙では、「日本人ファースト」を標榜し排外主義をあらわにする政党が躍進した。このことを、日本に生きる在日外国人、特に戦前の植民地支配の中で日本に生きることを余儀なくされた在日朝鮮人がどのように捉えたか、想像に難くない。

 2001年、ユネスコ総会は「文化的多様性に関する世界宣言」を採択し、「国際平和と安全保障実現のための最善策は、相互信頼と理解に基づいた文化的多様性、寛容、対話、協力の尊重である」と謳った。総務省は、2006年「地域における多文化共生推進プラン」を掲げ、外国人住民のための様々な施策の推進を進めている。文科省も、ことあるごとに多文化共生を謳っている。昨年度の日本における外国人数は、中長期在留者および特別永住者で約376万人、日本国籍を取得した人を合わせると、様々に外国にルーツを持つ400万人以上もの人々が日本で暮らしている。

 しかし、日本社会は決して外国人に優しい社会ではない。特に朝鮮半島にルーツを持つ在日朝鮮人は、戦前・戦後を通じて差別され続け、在留権、営業や渡航の自由、学ぶ権利や社会保障などの基本的人権が脅かされてきた。朝鮮学校における通学定期、大学入学資格付与など日本の学校では当たり前の権利も、闘争を通じてのみ獲得できた。現在も、高校授業料を無償とする「高等学校等就学支援金制度」は、朝鮮高校には適用されていない。この点でも、国際的には当たり前の民族教育を受ける権利が侵害されている。このような差別が、日本の法制度の中において日本政府の手によって行われていることに、私たちは強い憤りを感じざるを得ない。

 2023年、私たち「「関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動実行委員会」は、関東大震災100周年に際し、植民地主義を払拭し東北アジアにおいての日本の新しい未来を開くべく、日本政府に対して、植民地主義がもたらしたジェノサイドである朝鮮人虐殺事件の真相究明と犠牲者及びその遺族への謝罪を求めた。しかし、日本政府は事実を認めようとせず、私たちの要請にも応じようとしなかった。私たちは、戦前・戦後を通じて日本社会が払拭しきれずにきた植民地主義が、「日本人ファースト」なる主張を疑うことなく受け入れる人たちの認識の根底にあると確信している。戦後80年、「乙巳保護条約」から120年が経つ今、日本は東北アジアにおける新しい明日を切り開かなくてはならない。そのためにも日本社会は、植民地主義を払拭し、真の意味での多民族・多文化共生を実現しなくてはならない。

2025年8月29日

集会参加者一同


Calling for a Thorough Investigation of the Massacre of Koreans after the Great Kantō Earthquake, 102 Years On


Eighty years have passed since Japan’s defeat in the Second World War.

This year, Japanese society has been filled with talk of war and peace.

But we must not forget.

For the Korean people, these 80 years were the years following liberation fromJapanese colonial rule.

And yet, around August 15, when Japan reflects on war, few voices in the media mention colonial rule.

Postwar Japan seems to have forgotten its aggressive history.

Now, 80 years later, Japan portrays itself as a victim of the war.

Let us remember.
 One hundred and twenty years ago, in 1905, the “Eulsa Treaty” was forced upon Korea.

It stripped Korea of its sovereignty and made it a protectorate.

This treaty paved the way for the 1910 Japanese “Annexation of Korea.”

For 36 long years, Japan inflicted enormous pain and suffering on the Korean people.

And out of that history came the tragedy of the Great Kantō Earthquake—
 the massacre of Koreans.

But today, Japanese society acts as if these facts never happened.

In the recent election, a party that trumpeted “Japanese First,” openly embracing xenophobia, made great gains.

We can easily imagine how foreign nationals in Japan must have felt, especially Zainichi Koreans, whose ancestors were forced to live in Japan under colonial rule.

In 2001, UNESCO declared that cultural diversity, tolerance, dialogue, and cooperation— based on mutual trust—are the best guarantees of peace.

In 2006, the Japanese Ministry of Internal Affairs and Communications introduced its Plan for the Promotion of Multicultural Coexistence.

The Japanese Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology has also spoken of multicultural coexistence.

As of last year, more than 4 million people of foreign origin live in Japan.

But Japanese society is by no means kind to those who are not Japanese.

Koreans in Japan, in particular, have faced ongoing discrimination before and after the war.

 Their basic human rights— the right to live, to work, to travel, to learn, to be secure— have all been threatened.

Korean schools had to fight long battles just to secure rights taken for granted in Japanese schools, such as student commuter passes or the chance to enter university.

Even today, tuition support for high school students does not apply to Korean schools.

This is a violation of the right to heritage education, a right recognized internationally.

And what is worse— the Japanese government itself upholds this discrimination within the framework of Japanese law.

We cannot remain silent.

In 2023, on the 100th anniversary of the Great Kantō Earthquake,  our Action Committee demanded truth and accountability.

We called on the Japanese government to conduct a thorough investigation
into the massacre of Koreans— a genocide born of colonialism— and to apologize to the victims and their families.

But the Japanese government refused.  It denied the facts.  It ignored our appeal.

We are convinced of this:  the colonial mindset that Japan has failed to eradicate, before and after the war,  still lies at the root of society.
The very mindset that fuels those who accept slogans like “Japanese First.”

Now—80 years after the liberation of Korea,  and 120 years after the Eulsa Treaty—
 Japan stands at a crossroads.

The future of Northeast Asia demands a new path. 

Japan must cast off colonialism.

Japan must embrace true multiethnic, multicultural coexistence.

Only then can we open a new tomorrow.

Participants of Gathering Calling for a Thorough Investigation of the Massacre of Koreans

今年も来てくれた、祖父が関東大虐殺のサバイバーであるというイム・テビン牧師


Thursday, August 21, 2025

アラスカでプーチンはBRICSを代表していた:ペペ・エスコバール In Alaska, Putin Represented BRICS: Pepe Escobar

西側からは見えない視点を常に提供し、多極化が進む世界を鋭く観察するジャーナリスト、ペペ・エスコバール氏による、トランプープーチンのアラスカ会談の意義を解説した記事の翻訳です。The Cradle の8月18日の記事です。米国は久々にロシアを対等な国としてリスペクトをもって迎えました。プーチン大統領はロシアだけではなくBRICSを代表してアラスカに来たのです。この重要な点を西側メディアは完全に落としています。「プーチンが停戦を拒否した」かのような西側メディアの喧伝にまどわされてはいけません。ロシア政府とその国民が求めているのは恒久的な平和です。ミンスク1,2合意のように、西側とウクライナが簡単に裏切るようなものは求めてはいません。トランプ大統領もやっとプーチン大統領自身からこの戦争の根本的背景について説明を受け、納得しているようです。

エスコバール氏は同時に、トランプがこの戦争に区切りをつけることは、軍産複合体に裏付けられたディープ・ステートと決別することではなく次の戦争(対中国)に乗り換えることを意味しているかもしれないとの警鐘もならしています。

8月21日のナポリターノ判事とのインタビューも、この記事をわかりやすく嚙み砕く内容となっています。インタビューの訳はここではしませんが、YouTubeの字幕の自動翻訳を使って見てみてください。

 

以下、The Cradle の記事の訳です。(翻訳はアップ後修正することがあります)

アラスカ会談の核心

プーチンとトランプの会談によってベールが取り払われ明らかになったことがいくつかあった。それは、ワシントンがロシアを同等の大国と見なしていること、ヨーロッパはアメリカの便利な道具に過ぎないことだ。


ペペ・エスコバール

2025年8月18日

アラスカ会談の意味はウクライナ問題だけではない。アラスカ会談は主に、世界の二大核保有国が信頼を再構築し、制御不能な列車のように核衝突へと突き進む高速鉄道にブレーキをかけようとした場だった。

この高レベル会談は、米大統領ドナルド・トランプがロシア大統領ウラジーミル・プーチンと企画したものだ。トランプの気まぐれな性格を考えれば、うまくいくという確実な保証はなかった。しかし、新たなパラダイムが生まれつつある兆しがある。ロシアは事実上、アメリカから対等な大国として認められたのである。これは、少なくとも最も必要とされる場における高次外交が復活したということを意味する。

一方でヨーロッパは、無力な指導者たちを次々とワシントンに派遣し、「皇帝」にひれ伏している。EUの運命は決まった。地政学的無意味という名のゴミ箱行きだ。

モスクワ側が意味深に「アラスカ」を会談場所として提案する前から、トランプとプーチンがすでに個人的に話し合い決定していたことは秘密のままだ。その全内容が漏れることはないだろう。

しかしトランプ自身がアラスカを「10点満点の10」と評価したことは極めて重要だ。

ロシアの派遣団に直接アクセスが可能な情報筋によれば、当初5対5の形式で予定されていた会談は3対3に縮小されたが、シルアノフ財務相なども事前に意見を出していたという。そこから伝わった核心はこうだ:

「米国のウクライナへの直接的な武器供与をすべて停止することが、解決への重要な一歩として(プーチンから)強く提示された。アメリカ側は殺傷兵器の供与を劇的に減らす必要があることを受け入れた。」

その後、ボールはヨーロッパ側に渡る。上記の情報筋は次のように詳述している:

「ウクライナの予算800億ドルのうち、自国で賄えるのはせいぜい200億ドルにも満たない。ところがウクライナ国立銀行は『税収だけで620億ドルを集めている』と主張している。しかしこれは虚構だ。人口は約2,000万に減少し、戦場で100万人を超える取り返しのつかない人的損失を出し、産業は壊滅、支配下にあるのはマイダン前の領土の7割にも満たない。そんな状況でその規模の税収が成り立つはずがない。」

つまりNATO/EU連合には深刻なジレンマがある。「財政支援か軍事支援か、どちらか一方を選べ。両方同時には不可能だ。さもなければEU自体の崩壊が早まるだけだ。」

これと比較すべきは、トランプがTruth Socialに書いた一節だろう:
「ロシアとウクライナの恐ろしい戦争を終わらせる最良の方法は、停戦協定ではなく平和協定に直行することだと全員が判断した。停戦協定は多くの場合維持されない。」

これに元ロシア大統領メドベージェフの言葉を加えれば:

「ロシア大統領は米国大統領に対し、ウクライナ紛争終結の条件を詳細に提示した・・・最も重要なのは、戦闘終結交渉の成果を実現する責任を双方がキエフとヨーロッパに直接負わせたことだ。」

超大国同士の歩み寄りが進んでいると言えるだろう。ただし悪魔は細部に宿る。

アラスカに来ていたのはBRICSでもあった

アラスカでプーチンはロシア連邦だけでなくBRICS全体を代表していた。会談発表前にすでに中国の習近平国家主席と電話会談を行っており、ロシア・中国パートナーシップがこの「新グレート・ゲーム」の地政学的台本を書いているのだ。

さらにBRICS首脳は連続的に電話会談を重ね、ブラジルのルラ大統領の言葉を借りれば「トランプ関税戦争」に対抗する統一的なBRICS戦線を形成していた。トランプ政権2.0の「混乱帝国」は、特に主要5カ国(ロシア・中国・インド・ブラジル・イラン)に対しハイブリッド戦争を仕掛けている。

この意味でプーチンが小さな勝利を収めたことは確かだ。トランプはこう述べたのだ。「ロシア産石油を買う国への関税は今のところ不要だ…今後2~3週間で検討するかもしれないが。」

もちろん不安定さは残るが、米国との高次対話の継続は、ロシアにとってBRICS仲間の利益を直接推進する窓口となる。たとえばエジプトやUAEのように、ユーラシア経済統合へのさらなる参入を、制裁や関税攻撃、そしてそれに伴う蔓延するロシア恐怖症によって阻まれている国々にとっても重要である。

しかし残念ながら、これらはいずれもイランには当てはまらない。ワシントンのイランに対する政策は、その隅々に至るまでシオニスト陣営の鉄の支配下にあるからだ。

トランプとプーチンが長期的な戦略を描いていることは明白だ。トランプはキエフの「小物役者」(注:ゼレンスキーのこと)を排除したいが、旧来型のクーデターや政権交代の手法は使わないつもりだ。彼にとって重要なのは、ロシアの鉱物資源や北極圏開発に関する将来の巨大取引なのだ。

プーチンもまた、いかなる譲歩も許さない国内批判に対応しなければならない。西側メディアが必死に流す『ザポリージャやヘルソンの前線凍結と引き換えにドネツク共和国全域を獲得する』という話は馬鹿げた話であり、それはロシア連邦憲法に反する。

さらに、国家的優先課題であり安全保障問題でもある二つの地域――北極圏と極東――の開発に米国企業をどう関与させるかも課題となる。これらは2週間後、ウラジオストクで開かれる「東方経済フォーラム」で詳細に論じられる予定だ。

結局のところ、「金の流れを追え」だ。米露双方のオリガルヒは一刻も早く利益あるビジネスに戻りたがっている。

敗北した豚に口紅を塗る

プーチンは、セルゲイ・ラブロフ外相──この日“マン・オブ・ザ・マッチ”として誰もが認める存在であり、ソ連風ファッションも話題を呼んだ──を伴って、ついに150分もの時間をかけ、ロシアの特別軍事作戦(SMO)の根本的な目的を詳細に説明し、長期的な和平への論理を提示することができた。その要点は、ウクライナの中立、ネオナチ民兵や政党の禁止と解体、そして NATO のこれ以上の拡大を認めないことだった。

地政学的に見れば、アラスカからどのような展開があろうとも、少なくともモスクワとワシントンが戦略的な時間的余地を確保したという事実は否定できない。それは両大国の勢力圏を互いに尊重する新たな試みにすらつながるかもしれない。

だからこそ、大西洋主義の陣営――ヨーロッパの古い財閥から成り上がりの成金政治家に至るまで――がパニックに陥っているのも不思議ではない。ウクライナは「ユーロゴミ」政治家たちにとって巨大なマネーロンダリング装置だからだ。カフカ的な(注:不条理な) EU 機構は、すでに加盟国や EU 納税者を破産させている。しかしそれはトランプの問題ではない。

「グローバル・マジョリティ」と呼ばれる世界の大多数の地域では、アラスカ会談は大西洋主義のほころびを、まざまざと示した。つまり、米国が望んでいるのは従順なヨーロッパであり、緊張戦略の下に従属させることだ。そうでなければ EU は軍事的増強に踏み切れず、持ってもいない金で法外に高いアメリカ製兵器を買うことはできない。

同時に、米国オリガルヒの私的な強欲がロシア・ビジネスに向けられているにもかかわらず、ワシントンの傀儡支配者たちが本当に望んでいるのは、ユーラシア統合の破壊であり、その延長として BRICS や SCO (上海協力機構)といった新しい多極的世界秩序を構想するあらゆる多国間組織の解体である。

もちろん、NATO の「降伏」など――戦略的に全面的敗北を喫しつつある今でさえ――受け入れがたいタブーだ。トランプは、せいぜい“豚に口紅”を塗るように、派手な演出で取り繕いながら、本来ならディープ・ステートからの脱却戦略になり得るものを、結局は次なる「永遠の戦争」へと仕向ける形で売り出そうとしている

プーチンも、ロシア安全保障会議も、BRICS も、そして「グローバル・マジョリティ」も、その点に幻想は抱いていない。


ペペ・エスコバールは、The Cradle のコラムニストであり、Asia Times の編集主幹を務めるとともに、ユーラシアを中心とした独立系地政学アナリストである。1980年代半ば以降、彼はロンドン、パリ、ミラノ、ロサンゼルス、シンガポール、バンコクで特派員として生活し、活動してきた。著書は数え切れないほどに上り、最新作は『Raging Twenties』である。

Wednesday, August 20, 2025

9月6日、カナダ・バンクーバーで 「やんばる世界自然遺産展」と解説トークが開催されます。"World Heritage Site Yanbaru" Exhibit and Talk will be held in Burnaby and Vancouver, BC, Saturday September 6

バンクーバーおよび近郊で、9月6日(土)、「やんばる世界自然遺産展 解説トークつき」が開催されます。午前と午後の回、会場が違うので注意してください。

9月6日(土)

午前10時から バーナビーの日系ヘリテージセンターにて

午後1時15分から バンクーバー日本語学校にて

どちらも、Mayu Nakano さんによる、解説トークがあります!

くわしくはチラシをご覧ください。

(このイベントは日本語で行います)



撫順、北票、阜新、瀋陽―侵略の爪痕が残る遼寧省の旅 Tracing the Scars of Japanese Aggression in China: A Journey Through Liaoning Province — Fushun, Beipiao, Fuxin, and Shenyang

6月に、撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部 第九次訪中団(撫順・瀋陽・北票・阜新・旅順・大連 )」の旅に参加した感想文を、ここに転載します(私はスケジュールの都合で旅順・大連には行きませんでした)。感想文は8月中旬に書いたものです。この旅を企画してくれた野津加代子さんや、一緒に参加した皆さんに読んでもらうようなトーンで書いておりますので少し「うちわ」っぽい雰囲気があることをお許しください。また、一般の読者のためにいくつか注をつけています。ハイパーリンクはネット転載のために独自につけたものです。この旅の募集要項、日程などはこちらをご覧ください。きたる11月にも、「撫順の受け継ぐ会 関西支部 第10次訪中団 ~ 成都・重慶・廠窖・常徳 ~」が計画されています。関心のある人はこちらを見てください。@PeacePhilosophy (文章と写真の無断転載・転用はしないでください)


撫順、北票、阜新、瀋陽―侵略の爪痕が残る遼寧省の旅

「撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部 第九次訪中団」に参加して

 

乗松聡子

新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践

 1950年、新中国は、中国侵略戦争で残虐の限りを尽くした日本戦犯969人をソ連から引き渡され、遼寧省の撫順戦犯管理所に収容しました。また、敗戦後山西省などに残留して国共内戦に参戦した日本兵ら140名は、山西省の太原戦犯管理所に収容しました。1956年にそれぞれ瀋陽と太原で、「最高人民法院特別軍事法廷」で戦犯裁判を行いました。6年の収容中に死亡した人を除く1062人が戦犯裁判の対象になりました。そのうち有罪になったのはたったの45人で、量刑でも最高で懲役20年という、「寛大な」判決でした。

 残りの1017人は起訴免除とされました。1964年までには全員釈放され帰国し、元戦犯たちは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成し、戦後、加害証言を中心とした平和活動に従事しました。この戦犯裁判と戦後の元戦犯たちの歩みについては石田隆至・張宏波共著『新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践』(社会評論社、2022年)に大変詳しいです。「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の旅の体験と合わせて読み、学びを深めました。

 私がこの歴史に初めて触れたのは太平洋を超えた、私の住む地、カナダのバンクーバーと言われる、先住民族のスクオミッシュ族、マスキウム族、ツレイル・ワウトゥース族の土地においてでした。2006年、この地で「世界平和フォーラム」が開催されたときに、地元の歴史家・人権活動家の鹿毛達雄さん(2022年死去)らが「Miracle of Fushun」という分科会を持ったときでした。残酷な戦争犯罪を犯した元日本兵らが、撫順の収容所で手厚い処遇を受け、新中国の指導のもと、学習や文化活動も自由に行う中で自分たちの罪を自覚していったという歴史は私にとって衝撃的で感動的であり、一度撫順の地を訪ねてみたいと思っていました。

向抗日殉難烈士謝罪碑 
(中帰連により、1988年建立)
 それから約20年が経ち、チャンスが訪れました。昨年、カナダ9条の会として青木茂さんを講師に迎え「万人坑」のオンライン講座を開催しました。「万人坑」に一度行きたいと言っていた私に、青木さんが「こういう旅があるよ」と教えてくれました。この機を逃したくないと思い、飛びつきました。野津加代子さんをはじめ、加害の歴史に向き合う貴重な仲間たちと出会うことができたことはこの旅からもらった何よりものギフトでした。

 旅の醍醐味は、自分が予想していなかったビックリに出会うことです。今回も各地のビックリや衝撃から、いくつか紹介したいと思います。

撫順

 撫順でのビックリは、戦犯管理所の資料館(撫順戦犯管理所旧跡陳列館で、やはり偽満洲国の戦犯として収容されていた愛新覚羅溥儀についての大きな特設コーナーがあったことでした。清朝の最後の皇帝から偽満洲国の傀儡皇帝となり、日本の敗戦とともにソ連の捕虜となり、日本戦犯と同様に新中国に引き渡され「改造」されました。何もできなかった溥儀が、靴紐を結ぶ、靴下を繕う、洗濯をするといった、基本的なことまでここで学んだと聞きクスっとしました。

戦犯・溥儀が裁縫を学ぶ姿の再現
 しかしここまでに溥儀に焦点を当てるのはなぜかと思ったら、展示内に答えがありました。「古今東西、廃除された皇帝の末路は、それぞれの違いはあっても断頭台に送られる運命から逃れることはできなかった」が、中国共産党は、殺さずに、「末代皇帝の改造をやりとげた、これは世界の奇蹟である」(周恩来)というのが強調点だったのです。それを聞いて私は、日本の傀儡国の皇帝であった溥儀がここで改造されたのなら、一番の戦犯である天皇ヒロヒトもここで改造すべきだったと思いました。他の日本戦犯と一緒に風呂に入って食事をして縫物をして、自分の罪状をわからせることによって、徹底的に日本の脱帝国化ができたのかもしれないと想像をはたらかせました。

 日本語で戦犯管理所の説明をしてくれた徐銘さん、横断幕とフルーツ、中国警察のテディベア(非売品!)までお土産で用意してくださった趙虎所長に感謝します。露天掘りや、「青草溝万人坑」があったという場所を案内してくださった、傳波教授と、若い歴史研究家の李想さんに出会うことができたのも光栄でした。

北票

北票鉱工記念館に向かう参加者たち
 さて、本題は万人坑です。撫順から4時間かかるバスの中で青木さんにみっちり講義を受けた上で北票に入りました(注:「万人坑」について詳しくはこちらを参照)。
現地で歓迎してくれた、北票鉱工記念館の劉鵬遠前館長と、パートナーの方(微信を交換しましたが、本名はわかりません)の笑顔が忘れられません。新築中の「台吉万人坑遺址」では、当初、中の写真は一切禁止ということで、私はそこにあった説明パネルを手書きで写そうと思いましたが、途中で突然撮影OKとなり、写真に収めることができました。グーグル画像翻訳によると、内容は: 

人間の地下室型納骨堂

この納骨堂は実は肉塚墓で、全国の集団墓地でも前例のないものです。この納骨堂は1943年に建てられ、60平方メートルにも満たないこの土地に、亡くなった鉱夫たちの遺体240体以上が埋葬されました。日本帝国主義統治後期、中国侵略戦争の撤退とともに、日本帝国主義の本性はより露呈し、鉱夫たちはより非人道的に政治的迫害と経済的搾取を受けました。苦しむ鉱夫たちは囚人のようにあらゆる政治的権利を剥奪され、不満があれば政治犯、思想犯、容疑者などさまざまな罪に問われ、拷問を受けました。極度の生活苦のため、坑内では大事故が続発し、ますます多くの鉱夫が拷問を受けて死亡しました。歴史の記録によると、山東省武定県から捕らえられた500人の労働者のうち、1年足らずで生き残ったのはわずか12人でした。遺体の切断率は97%にも達しました。拷問の末に殺害された人々は、証拠隠滅のためこの谷で焼却されました。3つの大きな穴が掘られており、この穴もそのうちの一つです。骨の形態から判断すると、4人から6人が木製の檻に入れられていたようです。穴の深さは1メートルで、2層から5層に重なっていました。さらに腹立たしいのは、炭鉱で負傷したり病気になったりして、もはや石炭を掘ることができなくなった鉱夫たちも埋葬されていたことです。

あまりの残酷さに言葉も出ません。80年以上経った今、日本から私たちが来て、被害者の方々とガラスごしの対面をしているのです。何と声をかけたらいいのかもわかりませんでした。ただ、この人たちには親や子や姉妹兄弟や、愛する人がいたはずだ・・・その人たちがこの遺骨と対面したらどうでしょう。私の息子が強制動員され、知らないうちに故郷から遠く離れたこの地で虫けらのように使われ、使い物にならなくなってこんな風に捨てられていたとしたら・・・息子の顔が重なりました。これが自分の家族だったら、誰もが、土だらけの骨に頬ずりしながら泣き崩れるでしょう。しかし見渡すと、一人一人の人生に思いを馳せる気持ちの余裕もなくなってしまうほどの膨大の骨の量でした。この人たちはみな、青木さんが言う「侵略の本質」としての「資本家・企業家の金儲け」のために殺された人たちなのです。

阜新

 阜新では、国家AAAA級の観光地と定められている万人坑の記憶施設の立派な施設「遺址陳列館」「抗暴青工遺骨館」「死難労工遺骨館」に目を見張りました。

阜新万人坑死難鉱工紀念碑
 遺址陳列館の前には「70,000」という数がでかでかと提示され、南京大虐殺記念館の「300,000」を思い出しました。恥ずかしいことに私はこの旅に参加するまで阜新という地名も知りませんでした。改めて、日本の侵略の牙は、「偽満洲国」とされた中国東北部の隅々まで張り巡らされたのだと実感しました。陳列館では、パンフレットや館内展示には要所要所に日本語訳があり、日本人がそんなにたくさん来そうな場所ではないのに、ちょっとビックリしました。私はその答えは自分で見つけたと思っています。館内には「青木茂著書コーナー」がありました。青木さんが足繫くこの地に通い、関係者と交流を深めた結果ではないかと思います。また、日本語解説を置くということは、「日本人にこそ来てほしい・来るべきだ」というメッセージもあると感じました。陳列館の終盤部分にあった言葉:

歴史を忘れず、未来に立ちむかうことは、常に世界の人々の共通の願いであり、平和的発展は今の時代のテーマとなっている。中国人民は世界各国の人民とともに、中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利の成果を、最大の決意と努力をもって断固として守り、この屈辱の歴史を二度と繰り返さないように努力する。

今年、抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利80周年の年に、ファシズム側だった国の一員として、この言葉を深く胸に刻みます。

阜新万人坑遺址陳列館の展示より 強制労働現場の再現

瀋陽

瀋陽二戦盟軍戦俘営旧址陳列館
 瀋陽での私にとってのビックリは、連合軍捕虜約2000名が収容されていた、「奉天俘虜収容所」の跡にある「瀋陽二戦盟軍戦俘営旧址陳列館」でした。私は2月にフィリピン戦跡巡りに行ってきたばかりでした。「バターン死の行進」でオドネル収容所に送られた米軍の捕虜も多数ここに連れてこられていて中にはジョナサン・ウェインライト将軍など将校級の人たちもいたと知り、心を揺さぶられました。数年前に高嶋伸欣さんとマレーシアとシンガポールの旅もしましたが、マレー半島で英軍を率いて、山下奉文司令官に対し降伏したアーネスト・パーシバル将軍もここにいたと知り感動しました。日本敗戦の際、マッカーサー元帥はパーシバルとウェインライトを45年9月2日戦艦ミズーリにおける日本の降伏文書調印式に招いた、その写真も展示されていました。この二人は日本の対英米戦の期間ほとんど俘虜として過ごし、解放されたばかりで調印式に臨んだのです。どれだけ感慨深かったであろうかと思いを馳せました。

 私はスケジュールの都合があって大連と旅順は行かず、瀋陽で離脱しました。瀋陽では万人坑の専門家、李ビン剛教授との交流の機会に感謝しています。青木さん、野津さんが長年中国に通い、築いた人脈と信頼の上に成り立っている旅に参加させていただいたことに心から感謝し、学んだことを書き語ることによって自分の役割を果たしたいと思います。


(転載以上)

ここには書ききれていないたくさんの経験についてはまた別の機会に記します。

撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部についてはこちらをご覧ください。

今回、旅程にあった大連と旅順には行けませんでしたが、2017年、南京大虐殺80年の訪中のときにこれらの場所を訪れています。以下の報告をよかったらご覧ください。

上海、南京、大連、旅順の旅



Monday, August 18, 2025

パレスチナの権利のために闘うジャーナリスト、イブ・エングラー氏が左派政党NDP党首選に立候補 Journalist Yves Engler Runs for NDP Leadership

カナダ・モントリオール拠点のジャーナリスト、イブ・エングラー氏は、イスラエルによるパレスチナ人ジェノサイドをやめさせるためのカナダの政治家に対する直接行動でよく知られています。昨年は、Xでシオニストの発言を批判しただけでモントリオール警察から逮捕され5日間拘束されるという信じられない事態さえ起こりました。カナダのイスラエルロビーは強く、警察権力までもが、カナダの権利と自由憲章(憲法)で保障されている表現の自由という、基本的人権まで踏みにじり、協力しているのです。彼がこのたび、カナダの左派政党 NDP New Democratic Party (新民主党)の党首選に立候補することになりました。NDPは、前ジャグミート・シン党首がカナダの主要政党の党首としては唯一、ジェノサイドをジェノサイドと呼ぶという当たり前のことを言った、そういう党です。社会民主主義的政策を取り、社会的弱者の味方です。格差をなくし、深刻な住宅不足問題を解決し、先住民族の土地への権利を尊重し、環境と先住民族の権利を侵害するオイルサンド開発を中止し、ガザの破壊をやめ、カナダはNATOから脱退すべきと訴えています。


イブ・エングラー氏の出馬表明文の訳です:

私は新民主党の党首選に立候補します。カナダには、資本主義と帝国主義に挑みつつ、脱植民地化・脱成長・経済民主主義を推進できる主流派の声が必要です。 当初、NDP社会主義者会議からの出馬要請を断るつもりでした。しかし、私が特に挑戦できる重要課題が2つあります。それは「ガザにおけるイスラエルのホロコーストに対するカナダの共犯関係」と「前例のない軍事費の増大」です。 何十万ものカナダ人が、この国がイスラエルの大虐殺を支援していることに憤っています。私は「ジェノサイド・ロビー」に立ち向かうことを信頼してもらえるでしょう。学生自治会副会長として、2002年にベンヤミン・ネタニヤフに対する抗議の後、コンコルディア大学から追放されました。15年前には『カナダとイスラエル:アパルトヘイトを築く』という本を書きました。私はカナダの加担の規模を理解しており、ガザでの戦争犯罪に関与した者をこの国で裁くよう推進し、若者をイスラエル軍に参加させるよう「誘導」する機関を調査するよう求めます。イスラエルへの政府助成付き寄付を禁止し、パレスチナ政治囚連帯ネットワーク「サミドゥーン」の資格を剥奪し、ヨルダン川西岸での占領を監督する治安部隊へのカナダの支援をやめさせます。 私たちはイスラエルのホロコーストに反対する大衆蜂起を「カナダ化」する必要があります。しかし同時に、ガザによって政治化された人々を、カナダの外交政策・軍国主義・不平等で環境破壊的な現状へのより広範な批判へと導く必要もあります。左派はパレスチナ動員を体系的な挑戦へとつなげることに成功していません。反体制的なNDP候補者がその助けとなるかもしれません。 リベラル党や保守党がガザのホロコーストを支持していることに憤る人は、彼らにさらなる暴力の手段を与える見通しに恐怖すべきです。しかし実際にそうなっています。マーク・カーニー首相は、過去70年間で最大の軍事拡張を約束しました。土曜日の『グローブ・アンド・メール』でマイケル・ワーニックはこう述べました。「これは短期的な問題だと考えるのは間違いだ。今後6~7回の予算編成で財務相を悩ませ、おそらく次の2回の連邦選挙にも影響するだろう」と。カーニーの大規模な軍拡を賄うために、元カナダ公務員長はGSTに加えて新たな2%の「防衛・安全保障税」を求めています。 ワーニックの提案には反発が必要です。戦費を賄うための公務員や社会保障の削減にも反対すべきです。軍事拡張が始まる前から、カナダ政策代替センターは、カーニーの公約が「現代史上最悪の公務員削減」につながる可能性が高いと結論付けていました。 カーニーの戦費計画は、社会保障の大幅削減をもたらし、権威主義的・人種差別的・家父長制的な制度を強化するだけでなく、兵士や武器の増加によってさらなる国際的殺戮や支配を引き起こします。イスラエルのホロコーストを支援してきた政治家たちの「殺す手」を強めることは無謀を通り越しています。 しかし、現NDP指導部は、軍事費拡大を真剣に押し返すこともできません。彼ら自身がその制度や米国の外交政策、好戦的なNATO同盟を推進してきたからです。体制派候補ヘザー・マクファーソンはNATO議会協会に属し、カナダがウクライナの加盟を推進するよう主張しました(ジャン・クレティエン元首相でさえ、NATO拡大がロシアの違法侵攻を挑発する一因となったと認めています)。私が著書『Stand on Guard for Whom: A People's History of the Canadian Military』で詳述したように、我々はNATOから脱退し、米軍との関係を減らし、軍事費を削減すべきです。 公共政策の他の分野での知識や経歴はそれほど強くないかもしれませんが、過去25年間、私は環境・先住民・フェミニスト・その他の社会運動を支援してきました。 政治的言論を守る一環として、私は活動家への国家監視をやめさせ、情報機関を弱体化させ、テロリストリストを廃止します。Land Back を推進する一環として、先住民の司法権拡大を目指します。カナダの生態学的負荷を大幅に減らすために、アルバータ州のオイルサンドを即時廃止に向けて動きます。 資本主義の「無限の消費と利益最大化の欲望」は、人類の長期的な存続を危機にさらしています。我々は、地球・人間の精神・民主主義に対するその戦争を拒否する代替を構築しなければなりません。 『Economic Democracy: The Working Class Alternative to Capitalism』において、亡き叔父アル・エングラーは、資本主義の「1ドル=1票」に基づく経済体制を「1人=1票」に基づく経済民主主義へと置き換える、平等で民主的なビジョンを提案しました。私は通信・エネルギー・製紙労働組合(現Unifor)で働いていた際、経済民主主義へのいくつかの措置を推進することに成功しました。国営の通信会社設立を求める広く流布した呼びかけを作成し、オイルサンド労働者を代表する労組にエコ・ソーシャリストのビジョンを推進し、「なぜ政治では民主主義があるのに職場ではないのか」と mainstream で論じました。 立候補の目的は党首選に勝つことですが、それは現実的には困難です。より現実的な目標は、議論を「中道のぬるま湯」から引き離すことです。そのためには多くのボランティアの支援と数千人の新規党員登録が必要であり、他候補に本気の運動であることを認識させなければなりません。勝つためには2万5千人にNDP党員登録をしてもらい、現党員の大きな一部に大胆な変革を選ばせる必要があります。これは険しい道のりですが、カナダ人の半数はイスラエルがガザでジェノサイドを行っていると信じており、何万人もの人々がカナダの共犯関係に憤っています。 2か月前、私はオタワでの2万人規模の反ジェノサイドデモで演説し、イスラエルのホロコースト開始6週間後にはモントリオールで5万人の行進に参加しました。 バンクーバー市議会のショーン・オールの勝利や、ニューヨーク民主党予備選でのゾーラン・マムダニの勝利が示すように、変革への欲求は確かに存在します。どうなるか見てみましょう。

エングラー氏サポーターのツールキットはここにあります。 

カナダの権力構造に直接立ち向かうエングラー氏には妨害が生じるだろうと思いましたがやはりすごいようです。NDP執行部に対するレターキャンペーンがいま展開されています。元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ氏など影響力のある人たちもこのレターキャンペーンに参加しています。

ジェノサイド支持者にNDP党首選を乗っ取らせないでください

暫定NDP党首ドン・デイヴィス様、全国理事ルーシー・ワトソン様

NDP党首選が正式に始まる前から、ガザにおけるイスラエルのジェノサイドを支持する人々が、イスラエルの犯罪を可能にするカナダの役割を批判してきた著名な人物を排除しようとしています。こうした動きは、党内の民主的議論を損なうものです。

元ユダヤ防衛同盟代表のメイヤー・ワインスタイン、トロント・サン紙コラムニストのブライアン・リリー、そして反パレスチナ的な発言で失脚した元ブリティッシュコロンビアNDP閣僚のセリーナ・ロビンソンといった人物たちは、イヴ・エングラーを党首選から排除するよう呼びかけています。

現在「イスラエル・ナウ」という団体を率いるワインスタインは最近こう投稿しました。「イスラエル・ナウはNDPに立ち向かい、イヴ・エングラーを切るか、党名をNDPからカナダ・ナチ党に変えるかを迫るだろう」と。リリーはワインスタインの投稿を拡散し、ロビンソンは「ユダヤ人とイスラエル人に対する公然たる偏見」を理由に「イヴ・エングラーを立候補資格から失格にすべきだ」という呼びかけを支持しました。

NDPは、ガザにおけるイスラエルの民族浄化を支持する人々に譲歩してはなりません。党は、政治的検閲を推進する者たちに、党首選の候補者が誰になれるかを左右させてはならないのです。

ジェノサイドの擁護者が、NDP党員が選べる党首候補を決める権利を持つことなど許されません。

政治的立場の違いに関わらず、すべての党員には立候補する権利があり、またすべての党員には決定する権利があります。

エングラー氏のNDP党首へのキャンペーンに注目していきます。 


Sunday, August 17, 2025

8月15日は、朝鮮が日本の植民地支配から解放された「祖国解放の日」「光復節」です。August 15 is the Liberation Day for Koreans

 8月15日は朝鮮民主主義人民共和国にとっては「祖国解放の日」、大韓民国にとっては「光復節」でした。日本の植民地支配から解放されて80周年という感慨深い日なのです。当日の、金正恩委員長と、李在明大統領の演説は、日本人として全文しっかり読むことが必要と思います。読むと実にいろいろなことに気づかされます。

李在明大統領の演説については、市民団体「歴史正義と平和な韓日関係のための共同行動(韓日歴史正義平和行動)」が、「李在明大統領は強制動員や日本軍『慰安婦』問題などの、光復から80年が過ぎても解決されていない歴史懸案に具体的に言及もしなかった」と批判しました。ハンギョレ新聞でも報道されています

こういった点は踏まえつつ、日本人としてはやはりこの日に、日本が朝鮮を植民地支配した歴史を振り返るためにも、胸に手を当ててこの二つの演説を読むことは大事ではないかと考えます。朝鮮半島が分断されたままで朝鮮戦争も終結を見ないでいる状態には、米国の属国として朝鮮に対する敵視政策を続けている日本にも責任があるのです。

ちなみに私は、「日本人ファースト」のように排除的な文脈で使われることが多いことからも、ふだんは「日本人」という言葉を使わないようにしていますが、戦争責任や植民地支配責任を考える主体としての集団を指すときは「日本人」という表現を積極的に使います。

金正恩委員長の演説は「朝鮮新報」にアップされていました。李在明大統領の演説は韓国政府のサイトにアップされていました。AIの助けを借り、ネットで出回っている翻訳も参考にした日本語訳をここに掲載します。(翻訳はアップ後修正することがあります)    @PeacePhilosophy 乗松聡子


金正恩元帥が祖国解放80周年記念大会で行った演説


親愛なる同志たち、友人たち!

愛する平壌市民、全国の人民、人民軍将兵たち!

私たちは今日、国を取り戻した数千万の歓喜で限りなく震えた解放の広場で、80年前のあの感激を再び抱いています。

わが国家の誕生と発展の神聖な道程を高く思い起こす今日の祝典は、人民の運命を転換させた不滅の精神と数十年にわたる困難な抗争の歴史とともに、長き80年を歩んできた新しい朝鮮の歴史が、いかに尊厳と栄誉の頂点に位置づけられたのかを示す時代的照明であり、誇り高い総決算となります。

この意義深い場で、祖国の独立と繁栄のためにすべてを捧げた抗日革命闘士と愛国烈士たちに、彼らが遺した自由と繁栄の基盤の上で尊い生活を享受してきた全ての後孫の名において、崇高な敬意を表します。

尊く神聖なる祖国に燃える愛と無限の知恵を捧げ、富強と発展の新時代を創造している全国の人民と我が軍の将兵に熱い挨拶を送ります。

また、我が人民の解放偉業に血を捧げた赤軍将兵の戦闘的功績を厳粛に追憶し、烈士たちに崇高な敬意を表します。

あわせて、我が人民の解放節を両国の共同の祝日として祝賀し、厚い信頼と友情の心を共にしているロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領と、我が国を訪問したヴャチェスラフ・ヴォロージン同志をはじめとするロシアの貴重な賓客、親しい戦友と兄弟的人民に温かい挨拶を送ります。

同志たち!

1945年8月15日は、朝鮮人民にとって生命のような自主的尊厳を取り戻した運命転換の起点であり、偉大な勝利の日です。

過去、世界を席巻した列強の侵略戦争によって悲惨な境遇を経験した国と民族は多かったが、日帝植民地統治時期のわが国ほど徹底的に踏みにじられ、すべてを奪われた受難の国はかつてありませんでした。

五千年の歴史に最大の恥辱を残し、人民の怨恨と悲痛が深く刻まれた亡国の流れを止めたのが祖国解放でした。

我々が祖国解放の事変を、単に植民地から独立国家への転換としてではなく、代を超えて敬虔に記念すべき偉業とするのは、そこに朝鮮人民の尊い魂と犠牲が注がれているからです。

日帝植民地時期は、朝鮮人民の受難の歴史であると同時に、不義に屈せず血で綴られた抗争の歴史でもあります。

日本帝国主義は、朝鮮の精神と魂まで根こそぎ抹殺しようと、歴史上類を見ない暴圧と悪行を働きました。しかし、我が人民の堅固な独立精神を挫くことはできず、犠牲をいとわぬ愛国的抗日闘争は片時も途絶えることがありませんでした。

アジアの強国として君臨した日本軍国主義を相手に、朝鮮人民の優れた息子娘たちが繰り広げた武装闘争は、祖国と子孫の運命を背負い、苛酷な苦難と痛ましい犠牲を耐え抜いた決死の血戦でした。自主の立場を一貫して貫いた抗日革命の成果は、朝鮮人民が切り開いた自力独立の道程を鮮やかに証明しました。

それは決して歴史の流れが自然に生み出した事変ではなく、全人民的な抗日力が犠牲を恐れず支えた自主精神の勝利であるところに、解放偉業の革命的性格と政治的意義があります。

8月15日とともに、我が人民は失われた主権・領土・資源・歴史・文化のすべてを取り戻し、自由と運命開拓の可能性を手にし、民主的発展と幸福の偉大な事業の主人として堂々と歩み始めました。

過去80年のように歴史の場面が変わり、時代の名が新しく刻まれようとも、人民が自らの意志と闘争で勝ち取った8月15日の重みと価値は、変わることも削がれることもない絶対的なものです。

同志たち!

今日、我々は解放80周年を、先烈たちの前に、祖国と後代の前に、最も誇らしく神聖な歩みを刻んできた無限の誇りと栄光をもって迎えています。

命をかけて切り開いた偉大な歴史があっても、それを命をかけて守る継承がなければ、また先烈が遺した貴い成果があっても、代々それを守り輝かす闘争がなければ、国と民族の血脈は断たれ、栄光の記憶を持つ権利さえ失われることでしょう。

今日、我々がこのように盛大に祖国解放節を祝えるのは、先烈の血が染み込んだこの土地の上に、強大で繁栄する国家を建設するための闘争の道程が正々堂々とあったからです。

8月15日は、民族の宿願であった自由と独立が実現した勝利の日であり、受難の歴史を永遠に終わらせる強国建設の闘争が始まった日です。

8月15日を分岐点として始まった、朝鮮共産主義者と人民の新たな歴史的使命は、最初の一歩から既存の観念と公式を超える未曽有の開拓であり、反革命に命をかけた敵国との不利な激戦を伴う、実に困難な課題でした。

解放とともに、我が国の社会発展を逆行させようとした勢力とその基盤は崩れました。しかし、新たに独立した国々を再び隷属させるための侵略戦争と分裂工作、新植民地主義政策の先頭に立った帝国主義勢力、さらに先進国と後進国の差を永遠に固定しようとする支配主義勢力の圧力と干渉は、我々に計り知れない挑戦と難関をもたらしました。

しかし、それらすべては朝鮮人民の強い自尊心と剛健さの前に無力でした。

再び外勢に蹂躙されるまいとする自主の信念は、暴政と強権よりも強く、誇り高く幸福な生活を創造しようとする愛国の情熱と努力は、苦難と試練を克服しました。

そのように苛烈な年代に、政治も経済も国防も自らの方式で築き上げてきた輝かしい富国強兵の歴史には、国家建設と活動の不変の原則としての自主路線の生命力とともに、命は捨てても自尊は捨てない朝鮮人民特有の強靭さが刻まれています。

自ら選んだ理念と制度を守り、自分の祖国を強大で繁栄する国にするために歩んだこの道程で、我々が受けた痛みと苦難は数百数千冊の書物にも収めきれません。

しかし、我が人民には、それを栄光と幸福として記憶するに足る尊い闘争の誇りと、築き上げた歴史と現実に対する特別な自負があります。

自主的な生活と未来を保障する政権を自ら樹立し、守り、どんな勢力も手出しできない強大な力を自分の手で築き、自分の方式で繁栄を実現している——これこそが、誰も体感できない朝鮮人民だけの誇りです。

まさにその力、その誇りとともに我が祖国は、自主と正義、尊厳と平和を守る強力な砦となり、歴史を逆行させようとする帝国主義の横暴と強権を打ち砕き、人類の解放偉業に無視できない貢献をしています。

自らの闘争、自らの力と知恵によって、革命先烈たちの願いと青春が輝いて生き続ける富強繁栄の国を建設し、解放80周年を祝う我が人民の感激と誇りは限りありません。

祖国解放80周年は、我が人民が隷属と屈従を打ち破った自主独立の基盤の上に築き上げた祖国繁栄の記念碑であり、徹底した自主意識と不屈の闘争によって祖国の地位と名声を新たに刻んだ尊厳と栄光の分岐点です。

同志たち!

新しい朝鮮の誕生が記された歴史の日から80年の歳月を振り返るこの時刻、改めて胸に迫るのは偉大なる人民への限りない敬意です。

我々の記憶の中には、様々な年代と時代に戦闘的業績と功勲で祖国の勝利と栄誉を支えてきた数えきれぬ名があり、我々の心には夢も愛も青春もこの地に埋めた無数の英雄の魂が生きて躍動しています。

祖国と革命の道で命を惜しまず捧げ、愛する子供たちさえためらわず送り出し、その道から戻らぬ息子娘を持ったとしても、それを悲しみではなく栄光と受け止める、この国人民特有の強靭さは、抗日の時代から今日まで一世紀を通じて曇りなく継承されてきました。

今にして思えば、それは決して抗日革命という歴史の一区間、当時の厳しい環境で発揮された特別な感情や衝動ではなく、自国の勝利と栄光に捧げる人生を最も価値あり幸福なものとみなす我が人民の高潔な人生観であり、朝鮮人民の偉大さの発露であり、いつも続き必ず受け継がれる血脈のような精神であり伝統なのです。

この不滅の継承こそが朝鮮人民の第一の優秀性であり偉大さです。

歴史と現実は、この国の政権を支えるのがいかなる人民であり、どんな信念と精神が革命の継承性を守っているのか、そして朝鮮の強大さがどこに根ざしているのかを明白に示しています。

人民大衆はその本性ゆえに正義であり力ある存在ですが、この世界に朝鮮人民ほど正義に満ち、強靭で誇り高い人民はいません。

このような人民を誰も屈服させることはできません。そして、このように愛国的で誇り高い人民が建設し支える国家は、永遠に強大で不滅です。

私はこの場を借りて、祖国への真摯で不変の愛と、屈することのない強靭さをもって、自らの時代の歴史的使命と義務に無限に忠実な我が人民に、崇高な敬意と衷心の挨拶を送ります。

同志たち、友人たち!

朝鮮の解放をめぐる決戦の記録には、世界反ファシズム戦争の前線で英雄的に戦った赤軍将兵の功績が鮮やかに刻まれています。わが人民はロシア人民の優れた息子娘たちの崇高な国際主義的偉業を鮮明に記憶しています。

帝国主義・植民地主義に反対する兄弟姉妹的人民の民族解放闘争を支持し声援したロシア人民の正義の理念と努力は、血によって結ばれ厚みを増した朝露関係の貴重な遺産となっています。

今日、朝露の友好関係は歴史に類を見ない同盟関係へと発展し、新ナチズムの復活を阻止し、主権と安全、国際的正義を守る共同の闘争の中で強化されています。

両国はいつの時も歴史の正しい側に立ち、覇権に反対し、公平と正義を要求する人類の志向と要求を、断固とした闘争で代弁してきました。

今年、人類は世界を隷属化しようとしたファシズムを打倒し、その犯罪的蛮行に終止符を打った第二次世界大戦終結80周年を迎えます。

しかし今日の国際舞台では、甚大な破壊と犠牲の代償で成し遂げられた世界反ファシズム戦争と民族解放闘争の成果を消し去り、逆転させようとする危険な行為が公然と行われ、主権国家の権利と利益を侵害する帝国主義者の極端な蛮行がかつてなく深刻化しています。

歴史の中で失われた政治的支配権を取り戻そうとする野望の下、絶え間ない戦争と威嚇政策によってヨーロッパとアジア、さらには世界全体を右傾化・一極化しようとする極めて横暴で無謀な策動を粉砕することは、平和を愛し正義に忠実な国と人民が担うべき歴史的任務であり、それは進歩勢力の強力な連帯と共同闘争を要求しています。

朝鮮とロシアは今、国の尊厳と主権、世界の平和と安定のための闘争の最前線で、再び正義の歴史を創造しています。

崇高な理念と真実の友情で結ばれ、革命を血で支えた歴史と伝統を基盤とする朝露団結の力は無尽です。

我が党と政府は今後も自主と正義のために、時代と歴史が与えた使命に忠実であり、この道程で兄弟姉妹のような両国人民はいつも勝利者の栄誉ある名声を共にするでしょう。

同志たち!

偉大な人民が築き育てるこの国は、歴史の厳しい挑戦と困難の中でも繁栄と発展への力強い前進を続けています。

強大で無窮に繁栄する祖国の今日と明日のために命を捧げた先烈の前に、この地で代々生き続ける後代の前に、我々世代が担う使命は実に重いものです。

偉大な強国のために、子孫万代に輝く愛する祖国の永遠の安寧と繁栄のために、屈することなく我々の前の挑戦を克服していきましょう。

闘争を通じてさらに強くなった我々の力で、我が人民特有の自尊と気質で、祖国をさらに偉大に高めていきましょう。

朝鮮人民の尊厳と栄光の偉大な歴史は、千年万年にわたり代々永遠に輝くでしょう。

偉大なる朝鮮人民万歳!
栄光ある我が祖国、朝鮮民主主義人民共和国万歳!



李在明大統領による 第80周年 光復節 記念演説


尊敬する5,200万国民の皆さん、

700万在外同胞の皆さん、

そして独立有功者とご遺族の皆さん、

80年前の今日、私たちは奪われた光を取り戻しました。

三千里の山河を感激で明るく照らしたその光は、決してただ得られたものではありませんでした。解放への不屈の意志、主権回復への強烈な渇望の中で、自らを燃やした無数の人々の犠牲と献身によって勝ち取られたものでした。

光復節は単に独立を達成した日ではありません。
自らの手で未来を定め、自らの生活を選択する自由と権利を取り戻した日なのです。

この80年間、大韓民国はまばゆい成果を成し遂げました。

植民地から解放された国々の中で唯一、産業化と民主化を同時に実現し、軍事力世界5位、経済力世界10位圏の先進民主国家として堂々と立ちました。

尊敬する金九先生が願った文化強国の夢も現実となっています。
世界の人々が韓国語で歌い、映画・ドラマ・漫画・文学など私たちが生み出したコンテンツを楽しんでいます。

再び奪われることのない富強な国をつくるという独立闘士や愛国先烈たちの情熱があったからこそ可能だったのです。

「飲水思源」——水を飲むときその源を思えという言葉のように、大韓民国の今日を築いた先烈の犠牲と献身を顧みることは、自由と豊かさを享受する私たちの当然の責務です。

誇らしい抗日闘争の歴史を顕彰し、独立有功者の名誉を守ることは、共同体の過去と今日、そして未来を守ることです。

独立闘争の歴史を否定し、独立運動家を侮辱する行為は、もはや決して許されてはなりません。

すべての人のために犠牲を払った方々を顧みなければ、再び危機が訪れたとき、果たして誰が共同体のために先頭に立つでしょうか。

共同体のために特別な犠牲を払った方々に敬意と尊崇の心を寄せれば寄せるほど、私たちの共同体は一層強固になるのです。

我が政府は独立闘争の歴史を正しく記憶し、記録し、国民と共に作っていきます。

生存しておられる愛国志士の方々に格別の敬意を尽くし、
独立有功者遺族への補償範囲もさらに広げます。
海外に眠る独立有功者の遺骨返還を積極的に推進し、叙勲を受けられなかった未叙勲独立有功者を発掘し、すべてがふさわしい待遇を受けられるようにします。


尊敬し愛する国民の皆さん、

我々の曲折の歴史は「光の革命」へと至る長い過程でした。
奪われた光を取り戻し、その光を守るための闘争の連続でした。

3.1運動の偉大な精神は臨時政府へとつながり、半島を越えて世界中に独立闘争の炎となって広がり、ついに我々は再び光を取り戻しました。

分断と戦争の暗い絶望の中でも、国民は希望を捨てず、独裁の厳しい寒さの中でも尊い光を守り抜きました。

4.19革命と5.18民主化運動、6.10民主抗争によって民主化の光を明るく照らし、世界史に例のない二度の無血平和革命によって、この地が国民主権の生きる民主共和国であることを天下に宣言しました。

昨年末から今年にかけて続いた「光の革命」は、かつてタゴールが歌った「東方の灯火」が、五色のペンライトの輝きとなって光り輝いた感激の瞬間でした。

暗闇があったから光の大切さを知り、光があったからこそ暗闇に立ち向かう勇気を持てました。

光復で取り戻した光を再び奪われぬように、独裁と内乱から守った光が二度と消えぬように、私たち皆で共に守りましょう。

それこそが「光の革命」の真の完成であり、先烈の崇高な犠牲に応える道だと信じます。


尊敬する国民の皆さん、

我が先祖たちは苦難の中でも富強な国、共に豊かに暮らす世界を夢見ました。

死を目前にしても東洋の平和を説き、侵略の苦痛の中でも高い文化の力を願いました。

しかし思いがけぬ分断は、この切なる願いを遮る障害となりました。

分断体制は国土を断ち切っただけでなく、大きな壁となって国民を分裂させました。

私利を追う勢力は分断を口実に果てしなく国民を分断し、国論を裂きました。

民主主義を抑圧し国民主権を制約するだけでなく、戦争の惨禍へ国民を追い込もうとする無謀な試みさえためらいませんでした。

いま私たち内部の壁を壊さねばなりません。
そうしてこそ先祖たちが望んだ国へ進めるのです。

憎悪と嫌悪、対立と対決では何も解決できず、むしろ国民の生活と民主主義を深刻に脅かすだけだということが、この80年で得た痛切な教訓です。

分裂と排除の暗いエネルギーを、包容と統合、連帯の明るいエネルギーに変えるとき、社会はよりよい未来へと大きく飛躍できるでしょう。

国民は常に危機の前で小さな違いを超えて大きな一つに団結してきました。

国を失った悲しみを乗り越え命を懸けて独立を勝ち取ったのも、戦争の廃墟を越えて目覚ましい産業化を遂げたのも、金集めでIMF外貨危機を克服したのも、そして武力による内乱から憲政秩序を守ったのも、すべて国民でした。

しかし残念ながら政治は、国民の期待と水準に達していません。

いま政治文化も変えなければなりません。
政治が私益ではなく公益を追求する機能を回復し、国民が政治を心配する異常な状況を終わらせるとき、内に根を張った葛藤と嫌悪の壁も初めて消えるのです。

古いイデオロギーと陣営に基づく分裂の政治から脱し、対話と譲歩に基づく連帯と共生の政治を共に作っていこうと、この場を借りて改めて提案し、強く訴えます。

先祖が願った富強な国、共に豊かに暮らす国、国民主権が完全に実現する真の民主共和国に向かって、共に手を取り合い進んでいきましょう。


尊敬し愛する国民の皆さん、

分断によって続いてきた南北対立は、私たちの生活を脅かし、経済発展を制約し、国の未来に深刻な障害となっています。

古い冷戦的思考と対決を超え、平和な朝鮮半島の新時代を開かなければなりません。

敵対状態の持続は、南と北いずれの住民にも何の利益ももたらさないことを私たちはよく知っています。

平和が揺らぐとどんな不幸が起こるか、すでに過去の歴史を通じて痛いほど体験しました。

平和は安全な日常の基礎であり、民主主義の土台であり、経済発展の必須条件です。

戦って勝つより、戦わず勝つより、戦う必要のない状態――すなわち平和をつくることこそ最も重要ではないでしょうか。

度重なる浮き沈みの中でも続いてきた南北対話は、前政権の間に完全に途絶えてしまいました。

もつれた糸玉であればあるほど、忍耐を持って一つひとつ解きほぐしていかなければなりません。

遠い未来を語る前に、今すぐ信頼回復と対話の復元から始めることが順当な道でしょう。

信頼は言葉ではなく行動で築かれます。

国民主権政府は就任直後から、ビラ散布の中止、大北向け拡声器放送の中止などの措置を講じてきました。

今後もわが政府は、実質的な緊張緩和と信頼回復のための措置を一貫して取ってまいります。

南と北は敵ではありません。

南と北は互いの体制を尊重し認め合いながら、平和的統一を志向するその過程にある特別な関係であると、私たちは定義しました。

南北基本合意書に込められたこの精神は、6.15共同宣言、10.4宣言、板門店宣言、9.19共同宣言に至るまで、南北間のすべての合意を貫いてきた精神です。

わが政府は既存の合意を尊重し、可能な事案についてはすぐにでも履行していきます。

まず、現在の北側の体制を尊重し、いかなる形の吸収統一も追求せず、一切の敵対行為を行う意思もないことを明確にいたします。

特に、南北間の偶発的衝突を防止し、軍事的信頼を構築するために、「9.19軍事合意」を先制的かつ段階的に復元してまいります。

さらに、公利公営・有無相通の原則に基づき、南北住民の生活を実質的に改善できる交流協力の基盤を回復し、共同成長の条件を整えていきます。

光復80周年である今年こそ、対立と敵対の時代を終え、平和共存と共同成長の朝鮮半島新時代を共に切り開いていく適期であると考えます。

信頼を回復し、断絶された対話を復元する道に、北側が応えてくれることを忍耐強く期待します。

一方で、平和な朝鮮半島とは「核のない朝鮮半島」であり、周辺国との友好的協力を基盤とする朝鮮半島です。

非核化は短期に解決できるものではない、複雑で極めて難しい課題であることを認めます。南北、そして米朝対話や国際社会の協力を通じて平和的解決の糸口を探しつつ、朝鮮半島の平和と南北関係発展に対する国際社会の支持と共感を広げていきます。


尊敬する国民の皆さん、

今年は光復80周年であると同時に、韓日国交正常化60周年を迎える年です。

過去を直視しつつ、未来へ進む知恵を発揮すべき時です。

韓日両国は長きにわたり曲折の歴史を共有してきたため、日本との関係を確立する問題は常に重要であり、難しい課題でした。

私たちの傍らには、今なお過去の歴史問題で苦しんでいる方々が数多くおられます。

立場を異にする大きな葛藤も存在します。

同時に私たちは独立志士たちの夢を忘れてはなりません。苛烈な日本帝国の植民地支配に抗しながらも、いつの日か韓日両国が真の隣人となれるという希望を捨てなかった、その先烈たちの切なる願いを引き継いでいかなければなりません。

日本は庭を共にする隣人であり、経済発展において切り離すことのできない重要なパートナーです。

60年前の韓日国交正常化当時、両国国民の往来はわずか1万人余りに過ぎませんでしたが、今では年間1200万人の人的交流の時代に入りました。

私たちの国力もまた、当時とは比べ物にならないほど成長しました。

韓国と日本が産業発展の過程で共に成長してきたように、両国が信頼を基盤に未来のために協力するとき、超格差の人工知能時代の挑戦も十分に共に乗り越えていけるでしょう。

国益中心の実用外交の原則に立ち、シャトル外交を通じて頻繁に会い、率直に対話しながら、日本と未来志向的な共生協力の道を模索してまいります。

信頼が厚くなればなるほど、協力の質も高まるものです。

日本政府が過去の痛ましい歴史を直視し、両国間の信頼が損なわれないよう努力してくれることを期待します。

そうしてこそ、互いにより大きな共同利益と、より良い未来が開かれると信じます。


尊敬する大韓民国の主権者である国民の皆さん、

私たち皆は今、巨大な変化の「渦」の中にいます。

サプライチェーン再編と通商秩序の急激な変化、先端技術競争に伴う産業大転換、気候危機によるエネルギー転換、この複合的な危機を賢明に乗り越えなければなりません。

韓米関税協議は一つの波に過ぎません。

これからも次々と別の波が押し寄せてくるでしょう。

急変する秩序にきちんと対応できなければ、国家の未来が揺らぎ、国民の暮らしが脅かされることになります。

変化する国際情勢に追いつけず、列強の狭間で押しつぶされ、ついには国権を奪われた120年前の乙巳年の過ちを二度と繰り返してはなりません。

2025年の乙巳年は、当時とは違うものでなければなりません。

高い波に飲み込まれて難破するのか、危機を機会に変えて再び跳躍するのかは、全て現在の私たち自身にかかっています。

一歩遅れれば苦しい追随者の身に甘んじることになりますが、たとえ大変でも半歩先に出れば、無限の機会を享受する先導者となれるのです。

半導体、人工知能など先端科学技術を育成し、変化に積極的に対応しなければなりません。エネルギー高速道路をはじめとするエネルギー転換の速度を高め、未来を先頭に立って切り開いていかなければなりません。私たちの文化もさらに磨き上げ、ソフトパワーで世界を先導しなければなりません。

そうしてこそ、私たちは新しい100年の飛躍を迎えることができるのです。

歩んだことのない道ではありますが、私たちはこれまでそうしてきたように、いくらでもやり遂げることができます。先祖たちが取り戻した自主独立の光が、わが国民が成し遂げた民主主義の光が、私たちの未来を照らす道しるべとなってくれるからです。

偉大なわが国民の底力が再び発揮されるならば、暗闇の中でも道を失わず歩んできたように、私たちが進むべき道も見失うことなく見出すことができるでしょう。

世界を先導する大韓民国、

平和と繁栄に満ちた国、

国民主権の光が消えない国へと、

国民の皆さん、ともに進んでいきましょう。

ありがとうございます。

(翻訳以上)

敗戦80年のNHK報道 NHK Reporting of the "80th Anniversary of the End of the War"

 8月15日は日本にとって敗戦80周年でした。この日の日本の報道をみながら連続投稿しました。タイポを直した上で再掲します。

8月15日のNHKニュース9の「終戦80年特集」をみてあらためて日本の歴史認識の歪みを感じた。

「ニッポンが戦った先の大戦。戦没者は、およそ310万人に上りました」と言ってる。「先の大戦」と日本政府やメディアがこういうときは概ね、1941年12月8日に日本が対中国侵略戦争続行のため、東南アジアや太平洋の米英などの植民地を攻撃して始まった3年8カ月の侵略戦争を指している。これによって1931年以来続いていた日本の対中国侵略戦争が欧州側で1939年以来続いていた第二次世界大戦に組み込まれた。「ニッポンが戦った」って・・・なんか「先の大戦」が真空状態から湧いてきて、それになぜか日本も参加した、みたいな言い方。日本が仕掛けた戦争だろうが! 昨日も言ったが「310万人」という日本人の死者数(これも推定にすぎない)だけを使い、大日本帝国が殺した何千万もの人を完全に無視している。
いきなり冒頭で天皇の言葉に注目してたから 何かと思ったら、「語り継ぐ」という言葉が入った!ということだった。何を?と思ったら「戦前・戦後の苦難を今後とも語り継ぐ」んだって。そもそも戦没した310万人の日本人しか対象にしてない「日本人ファースト」式典だから、「語り継ぐ」のも日本人の「苦難」を語り継ぐっていうことなんだろう。この日本の自己被害者化を上塗りするような言葉がそんなに素晴らしいの?
靖国神社のおぞましい風景。
閣僚からは小泉農水相と加藤財務相が参拝。恥を知れ。小泉の靖国参拝は約20年前の父親のコピペ。おそらく歴史も知らないし何にも考えてない。石破は式典で「反省」と言ったと評価されてるが、玉串料納めたと。これで「反省」とやらは、ちゃらになる。保守支持層のための内向きの行為と言う人もいるが、被害国にとってはそんなことドーデモイーことだ。
言わされてる学生に罪はないので顔は隠す。知覧の特攻記念館でのスピーチとのこと。「特攻隊員の方々が必死につないできたいま」????意味もわかんないが、よくある「先人たちの犠牲があったから今の平和がある」論だろう。特攻隊員にされて殺された若者たちは、生きていたほうが良かったに決まってるじゃないか。「殺されたから今がある」とか因果関係ゼロのレトリックで戦争や殺人を肯定しちゃだめ。こういう考え方を若者に植え付けるのはダメ。

「当時」???🤣🤣🤣 対米従属の一方的な報道しかせず、毎日中国に対する戦争を煽っているメディアが何をいうか(NHKだけじゃない、日本の主要メディアは全部そう。)「終戦80年」戦争は一国じゃできない。せめて日本と闘った国々、日本に被害を受けた国々の人たち、この「終戦の日」を「解放の日」「戦勝の日」ととらえる国々の声とか少しでも拾わないのか。