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Thursday, June 20, 2013

8月来日予定のオリバー・ストーン:米国の原爆投下と「超大国文化」を批判、日本に根強く残る軍国主義に懸念

8月来日予定の映画監督オリバー・ストーン氏が共同通信にインタビューを受けました。

http://english.kyodonews.jp/news/2013/06/230235.html

U.S. film director Stone says Japan should stop bowing to U.S. whims

By Marcie Kagawa
LOS ANGELES, June 13, Kyodo
オリバー・ストーン監督
 

上記のURLは購読者でないと読めないようですが、このインタビューの和訳をここに紹介します。 (訳:Peace Philosophy Centre)



米映画監督オリバー・ストーン氏
 
「日本は米国の気まぐれに屈するのをやめるべき」


マリス・カガワ

  ロサンゼルス発、6月13日、共同。日本は米国と不健康な関係を持ってきたが、「政治的主権」を回復すべきだと、アメリカの映画監督 オリバー・ストーン氏は最近のインタビューで語った。

  戦争映画や政治的映画を何本も監督してきた、筋金入りの反戦論者である66歳のストーン監督は、米国の日本との関係を「腐敗」していて「胸が悪くなる」と評し、現在の日米の力関係においては、日本はアメリカの気まぐれに翻弄されていると主張した。 

 「まさに、あなた達(日本)は私達(米国)と一緒にベッド・インしている状態だ。しかしあなた達には経済力があるのに政治的主権を持っていないように見えるから奇妙なのです」と彼は語った。「もしアメリカの利害関係から自由になることができれば、日本は世界における確固たる地域勢力になれるはずです。」 

   第二次世界大戦が終わって以来、米国は日本をアジアにおける衛星国にして自国のために利用した、とストーン監督は語る。ベトナム戦争時は在日米軍基地を出撃拠点として使った。

 「マッカーサーは最初から、極東地域で共産主義を封じ込めるという米国の国益に奉仕する衛星国を作るつもりだったのではないでしょうか」と彼は語った。 「日本は、金で買われた衛星国家とされ、その憲法は常に破られていました。」

米国はさらに、ヨーロッパと中東からアジア太平洋地域に重点を移す戦略において、中国を封じ込めるために日本を利用し続けていると、ストーン監督は付け加えた。
 
    憲法の破られ続けている部分とは、9条のことで、それは「理想主義的で、美しい概念」だとストーン監督 は語った。 

    9条は、日本国民は戦争を放棄し、いかなる軍隊も保持しないと宣言している。日本は、専守防衛目的であるとして「自衛隊」と呼んでいるものを保持しており、在日米軍の存在も許している。
 
「自衛隊とは何を意味するのか分かりません」とストーン監督は語った。「あらゆる軍隊は自衛のためのものだから、日本は本質的に憲法を、9条を覆しています。自衛隊が何を意味するのであれ、それを好きなように呼んでいるのですから。」
 
   ベトナム戦争中にアメリカ陸軍で兵役を務めたストーン監督は、この国の指導者たちの言葉遣いと行動から、日本に根強く軍国主義が続いていることが分かると語った。

  「日本には軍国主義的な感覚が多く存在し、かつての帝国が今も息づいていることは、安倍首相と佐藤首相から明らかです」と、現首相の安倍晋三と、1964年から1972年まで首相を務めた佐藤栄作を引き合いに出して語った。

 「安倍氏はいくつか非常に愚かな発言をしました。神社について話すことを始め、第二次世界大戦の戦没者が祀られている神社に参拝し、韓国人や中国人に謝罪しないのは、日本にとって危険なことです。良くないことです」


「ドイツ人は謝罪して前へ進みました。日本人は、なぜか一部の人々が非常に頑迷です。」 

   ストーン監督は他の日米問題、特に第二次世界大戦でのアメリカの原爆使用についても積極的に発言してきている。

    「米国で目にする態度といえば、ああ原爆なんて知るもんか、70年も前の事だっていうのに、というような無感覚な態度です」と彼は言う。「これが米国の独占的超大国文化の根拠となっている神話なのですよ。それで米国人は世界を支配する権利を得たような気になってしまうのです。」 

    「米国人は原爆が対日戦争終結を早めたからいいことだったと思っているのですよ。この問題についてよくわかっていなくても、原爆がいいことだったとして自らの道徳基準を作ってしまうのですよ。」

    「毎年、本当の追悼碑に行くとしたら、それは広島と長崎なのです。私達は、原爆投下が不必要だったことを人々に思い起こさせなければなりません。」

    今年の8月、ストーン監督はアメリカン大学のピーター・カズニック教授と共に2013年原水爆禁止世界会議に参加するため広島と長崎を旅する【訳注:二人はこの大会のためだけに来日するのではない。正しくはここを参照】。二人が製作した10話からなるドキュメンタリー番組と、その書籍である「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」(原著は2012年、日本語版は2013年)のプロモーションも兼ねての旅である。 

    8月の旅で、ストーン監督は【訳注:カズニック教授も】東京と沖縄にも足を伸ばす予定だ。

==共同

このインタビューの日本語版を沖縄タイムスが掲載しています。
「米基地 沖縄に苦しみ」(2013年6月16日)
http://michisan.ti-da.net/d2013-06-14.html

オリバー・ストーン、ピーター・カズニックの8月来日の情報はここを見てください。
 
今夏8月、『もう一つのアメリカ史』のオリバー・ストーン監督、ピーター・カズニック教授が来日-広島、長崎、東京、沖縄で公開イベント開催!

オリバー・ストーン、ピーター・カズニック著『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』早川書房から1-3巻発売中。ドキュメンタリーシリーズはNHKBS1が放映。




 

1 comment:

  1.  共同通信のインタビュー、興味深く読ませていただきました。是非、日本、あるいは日米関係をテーマにした映画を撮っていただきたいと思います。

     私がオリバー・ストーン監督を知ったのは1986年のことでした。アメリカの暗部に切り込んだ「サルバドル」という映画が作られたと知り、アメリカからビデオを取り寄せたことを思い出します。

     エル・サルバドルでもアメリカを後ろ盾とする政権が「死の部隊」を編成して殺戮を繰り返し、オスカル・ロメロ大司教も暗殺していましたが、こうした状況から日本のマスコミは目を背けていました。

     ところで、共同通信のインタビューでひとつ、気になることがありました。「軍国主義」という用語です。

     確かに、戦前の日本、特に1936年に二・二六事件が引き起こされてから軍部の影響力が強まりますが、それでも軍人が独裁者になったわけではありません。

     事件を引き起こした将校たちは、元老重臣を殺害して天皇親政を実現すれば、政治の腐敗や農村の困窮を解決できると信じていたようです。「天皇は悪くない、悪いのは側近だ」ということでしょう。

     同じように、「軍国主義」という用語には、悪かったのは軍隊だという意味合いを感じさせます。が、天皇は絶対的な存在でした。二・二六事件の処理を見ても、明らかでしょう。軍の内部では、階級に関係なく皇室の人間が上だったとも聞いています。

     例えば1937年に日本軍が南京を攻撃、街を破壊し、財宝を略奪し、住民を虐殺したとき、形式的なトップは中支那方面軍司令官の松井石根大将でしたが、実際には上海派遣軍司令官だった朝香宮鳩彦中将が上だったようです。つまり、責任者をひとり上げろと言えば、松井ではなく朝香宮だということです。

     よく「関東軍の暴走」ということが言われますが、クーデターは別にして、軍隊で指揮系統が無視されることは考えにくいと思います。そう見えるのは、別の強力な指揮系統が存在するからでしょう。皇室の関係者が関東軍を動かしていたと考えれば納得できます。

     その皇室は、遅くとも大正時代からウォール街と密接な関係にありました。そのカギを握る人物は大正天皇の妻、つまり貞明皇后です。

     貞明皇后は子どもの頃にアリス・ペリーというアメリカ人の少女と親しくなりました。後にアリスが結婚した相手がジョセフ・グルーです。1932年から41年まで駐日アメリカ大使を務めた人物です。

     ジョセフの親戚、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥と結婚していますので、日本の皇室はグルー夫妻を介してモルガン財閥とつながっていたことになります。1923年に関東大震災が起こり、JPモルガンが復興資金を調達すると、日本経済に対しする影響力は一層、強くなりました。

     その一方、1924年に治安維持法を公布、28年に山東出兵、張作霖爆殺、30年にはJPモルガンが望んでいた金解禁と続き、31年には満州事変が勃発、ルーズベルトが勝利した大統領選のあった32年に「満州国」の建国が宣言されました。

     日本経済に大きな影響力を持つJPモルガンが反対したなら、こうしたことはできなかったでしょう。1932年にグルーが駐日大使として日本へ来たことを考えると、その後も日本政府/皇室はウォール街と連絡を取り合っていた可能性が高いと思います。

     戦後日本の進路を決めたのはジョン・フォスター・ダレスと昭和天皇だと関西学院大学の豊下楢彦教授は指摘しています。ダレスはウォール街の大物弁護士であり、アメリカ巨大資本の代理人です。戦前から続く皇室とウォール街との関係が機能したのでしょう。そのウォール街が日本を「右旋回」させるために使ったのがジャパン・ロビーですが、その中心にはジョセフ・グルーがいました。

     日本の支配層は遅くとも大正時代からJPモルガンの影響下に入りました。この関係は少なくとも真珠湾攻撃まで続き、降服直後に復活しています。「軍国主義」という用語を使うと責任を全て軍部に押しつけてしまうことになり、こうした関係が見えにくくなるような気がするのですが、いかがでしょうか?

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