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Friday, August 05, 2016

ヒロシマの日に―被爆者・米澤鐡志のオバマ広島訪問批判 Hibakusha Yonezawa Tetsushi's Criticism of Obama's Visit to Hiroshima

今日は広島原爆71周年の日。ブログ運営者は、例年のようにアメリカン大学と立命館大学合同の広島・長崎平和学習の旅の仕事で広島に来ている。この旅でいつも被爆証言をしてくださる広島被爆者で『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』(小学館、2013年)の著者、米澤鐡志さんに、オバマ大統領の広島訪問にあたって書いた文の掲載を許可いただいた。@PeacePhilosophy 
米澤さんの本



オバマの広島訪問について 


私はオバマ大統領の被爆地広島訪問がきれいごとで済まされ、安倍のアジア侵略の否定とオバマの世界戦略が組み合わさる忌まわしい同盟が日本のマスコミをはじめとして、日本の戦争責任やアメリカの人類に対する犯罪を、歴史から葬り去ろうとする流れが許されないと思った。

今回のオバマ訪問についてマスコミは歓迎ムードを作り出した。安倍はその失政を覆い隠すためにサミットと広島開催を最大限に利用した。

残念ながら、日本の戦争責任、なかんずくアジア侵略を批判、反省しながら、アメリカの原爆投下の誤りを指摘して反核運動を続けその軸になって、「核と人類は共存できない」と訴えてきた、多くの指導者が鬼籍にはいってしまった。

そのため多くの被爆者が有名無名を問はず、オバマの広島訪問を歓迎、ないし好意をもって対処していた。「はだしのゲン」の中沢啓治夫人は、中沢が生きていたらオバマ来広を喜び、「謝罪してほしい」と思っただろう、と談話している。中沢は作品の中で原爆投下をナチのホロコートと同じと言っていた。

しかし他の被爆者や遺族はやはりマスコミが作りだす歓迎ムードの誘導に乗せられている。

式典の後のオバマ大統領と被爆者坪井との握手も私には空々しく感じられたが、直後に抱擁し涙を流していた森重昭という人はアマチュアの歴史家で、被爆死をした米軍捕虜の研究をしていた人らしい。一般には知られておらず、一部の米空軍関係者しか知られていないようだ。最初は当時の米軍捕虜を式典に招くという構想だったらしいが、前記森氏が被爆者であったこともあり,登場したようだ。安倍の配慮かアメリカ側の要求かはわからないが、謝罪を拒むアメリカ側をどうしても、広島に連れていきたかった安倍の意向が伺われる。

私も複数のマスコミ取材を受けたが、その中で述べたのは、戦争終結のための原爆使用説は、当時の敗戦必至の日本の状態を見ればウソであることは明らかであり、本当のことはトルーマン大統領が戦後政治を見据えた使用であったということだ。

しかし「核」の管理が現在でもできないことを考えれば、この原爆使用は明らかに人類や地球に対する「犯罪」であり、未来永劫批判されなければならない。その後「核」をもって世界支配を目論んだアメリカ政府の歴代の大統領も同罪に近い。

オバマが登場間もなくプラハで核廃絶の演説を行ったとき、歴代大統領と違い、核廃絶の具体的処置に着手するであろうと歓迎した。しかしIAEAという五大核保有国を軸にしたダブルスタンダードの核廃絶の障害になる制度を支持したし、核弾頭削減も全く行詰まり、それどころかイスラエルの核保有を黙認し、イン・パの核保有を認めて来た。 

私が中学生時代、被爆2年後には、あのT字型の相生橋の下の川の中にはまだ骨が散乱していた。広島の土の下には、特に爆心近くには無数の骨肉が埋まっている。米軍最高司令官が謝罪なしにそこを土足で、まして岩国基地で米兵を激励した後、オスプレイまで動員して下り立つことは死者に対する冒涜以外のなにものでもない。先日もある広島の友人と話していたら「トルーマンは悪いがオバマはその時はまだ生まれとらんのじゃけん、わしらに戦争責任を問うのと同じで納得できん」と言っていた。日本人の感覚には、自分の父や親せき.兄が犯したアジアの人々に対する戦争犯罪を、終わったことにしようとする風潮が多いが、こうした考えが安倍を生み出し、ヘイトスピ-チを生み出している。

ともあれオバマは、日米同盟の強化とアベノミクスの失敗を糊塗するために来日したと思って間違いないだろう。

今回のオバマ日程を見てみよう。先述したように、基地岩国から広島に入り慰霊碑に献花した。これも外来者の儀礼的のもので、マスコミや一部の評論家が言う哀悼、謝罪ではない。その後、原爆資料館を視察した。これは被爆者の多くが一番望んでいたことであり、それはあの残酷と悲惨を見ればどんな人でも、核の恐ろしさを認めるだろうと思ったからだ。しかし滞在したのはわずか10分、模型の地図を見る時間もないぐらいの短時間であった。被爆者との面会とやらも、屋外でハグし合う程度でまったく素通り状態であった。

オバマの声明も具体的なものはなく、彼自身が認めているように「核のない世界の実現は私の生きているうちは難しい」とは、私のように反核運動を65年以上続けた老人が言うならまだしも、世界最強の大国で最初の原子爆弾を落とした国の、最高の権限を持つ人間の言葉とは思えない。これは「核廃棄は見込みありません」と正直に告白したとしか思えない。

謝罪については、アメリカの世論について云々があるが、先述したように原爆投下正当化は米国の犯罪を隠蔽させたものだ。最近では、原爆投下が間違っていたか否かの世論は六分四分ぐらいになっている。アメリカン大学のピーター・カズニックのように数十年前からトルーマンの犯罪と告発している歴史家もおり、映画監督のオリバー・ストーンや多くの著名人がその意見を支持している。オバマ自身がその気になれば、謝罪できることである。

核と言えば原発もしかりで、かつてアメリカのアイゼンハワー大統領が「核の平和利用」を唱えたが、それも原発をはじめとする膨大な軍事産業を輸出させるための「核拡散」であった。

原爆も原発も人類破滅の恐ろしい凶器であり、最初に使用した道義的責任というのなら、自ら率先し、具体的行動として「核」の完全廃棄を行うべきである。

日本の平和憲法のように!


2016年5月27日     

原子爆弾被爆者 米澤鐡志


よねざわ・てつし

1934年8月生。45年8月、広島にで爆心地から750メートルのところで被爆。原爆症で母と妹を失う。自身も頭髪が全部ぬけ、40度以上の高熱が2週間続くも、奇跡的に回復。戦後は原水禁運動に参加。立命館大学卒業後、病院事務職に就く。69-94年まで(財)高雄病院事務長。現在も各地で積極的に被爆証言、平和活動を行う。京都府宇治市在住。米澤さんのHPはここ


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