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Sunday, December 15, 2019

南京大虐殺82周年 バンクーバーで追悼集会を行う Commemorating the 82nd Anniversary of the Nanjing Massacre, in Vancouver

12月13日、南京大虐殺82周年を記憶し被害者を追悼するための式典が南京の「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」で開催された。これについて日本のメディアは、おしなべて、「習近平主席ら共産党指導部の出席はなく、対日関係への配慮が見られる」といった報道をした(例:朝日NHK日経共同時事)。この歴史においては加害国である日本のメディアが、このような歴史記憶の場を「どの程度“反日”なのか」といった角度からの関心でしか報道しないことは大変嘆かわしいことだ。日本の総理大臣は毎年、8月6日の広島と8月9日の長崎の原爆投下の式典に出席するのが恒例となっている。この歴史と被害者を重んじる姿勢から行っているのであってその時々の日米関係に「配慮」したりしなかったりした結果ではない。この歴史記憶行為が「反米」なだと言う人も日本にはまずいない。広島・長崎の原爆投下が米国の非人道的兵器による非戦闘員の大量虐殺であったことと同様に、南京大虐殺も、日本軍による中国の市民と捕虜に対する大量虐殺・強姦・略奪事件であった。記念日にはその歴史を認め、後世代に継承し、二度と起こさない・起こさせない決意を新にするのは当然である。その上で関係国間の友好や和解を語ることができるのだ。広島と長崎についてはそのような姿勢で臨めるのに、南京大虐殺など、日本の加害行為についてはその記憶行為自体を「反日」と位置付けるこのダブルスタンダードを改める必要がある。

12月14日、ここバンクーバーで開催した、南京大虐殺の被害者を追悼し東アジアの平和を考える集会(ピース・フィロソフィーセンター主催)の冒頭で上のような話をした。この集会には、日本各地、沖縄、カナダ、韓国などいろいろな場所の出身者が集まり、私が夏に朝鮮半島を旅した経験や、セラピストの加藤夕貴さんが、今年は南京で開催された、平和構築のセミナーNARPI(Northeast Asia Regional Peacebuilding Institute) に参加した体験などを共
12月13日、済州島の旧日本軍アルトゥル飛行場格納庫
跡前での追悼式典。
有した。また、前日に、南京大虐殺追悼集会を行った韓国・済州島の市民たちからの連帯メッセージを読み上げた。
(済州島での南京大虐殺追悼行事の背景についてはここを参照。)


最後に、夕貴さんをファシリテイターとして、南京と済州島に思いを馳せながら、皆で一つの「ビジョンボード」を作った。被害者への追悼の意を表す白い花の周囲に、それぞれが、いろいろな色や材料を使ってメッセージを表現した。


同じ日に、南京の友人から「現代快報」のニュース映像が届いた。

国家公祭仪式众多国际友人寄语和平
https://www.pearvideo.com/video_1632431

この映像には、南京での式典に参加した日本人二人が登場する。一人は南京大虐殺研究者の松岡環氏。私は2017年12月、松岡氏が引率するツアーに参加し南京に行った(その旅についてはここに詳しく書いたので参照されたい)。もう一人は、「第17次 真宗大谷派平和法要友好訪中団」団長の、山内小夜子氏である。山内氏は、この「悲惨な加害の歴史」を心に刻み、「この悲しみの日を二度と繰り返さないために私たち日本人ができることは何なのか、考え学ぶために来ている」と語っている。

アジア太平洋戦争終結75周年となる2020年を、揺るぎない歴史認識と共に迎えたいと思う。

@PeacePhilosophy 乗松聡子

参考記事

2018年のバンクーバーでの追悼行事
Nanjing Massacre Memorial Events in Vancouver, and Jeju 南京大虐殺追悼集会 in バンクーバー、そして済州島
https://peacephilosophy.blogspot.com/2018/12/nanjing-massacre-memorial-events-in.html


1 comment:



  1. 30万人の南京大虐殺の直接責任者で主犯は、昭和天皇の甥の朝香宮鳩彦親王(あさかのみややすひこしんのう)である。




    南京大虐殺、日本軍が20万から30万を南京大虐殺の直接責任者で主犯は朝香宮鳩彦親王(あさかのみややすひこしんのう)である。

    「捕虜は取るな!捕虜は全員殺せ」と命令した

    昭和天皇の甥の皇族:朝香宮鳩彦親王と言う上海派遣司令官、陸軍中傭である。

    このブログ記事を2016年1月8日の情報発信で書いた。これを裁定する。


    戦後、免責され、皇族離脱し、趣味の世界、ゴルフ三昧に明け暮れ(93歳迄生き)た朝香宮。その朝香宮を上海に派遣したのが最大最高の戦争犯罪人、裕仁。


    ジョン・ラーベンの映画に出てくる香川俊之。

    その背後に居てうなだれている将校は

    「捕虜は国際条約に基づいて殺さない」という風に抵抗したのですが、

    「俺が捕虜を取るなと言ったのに聞かないのか!」と言って、結局捕虜全員を殺させたんですね。それが映画に出てくる。


    朝香宮の名をそのまま取るのは失礼だという事で、朝香の香を霞にした。それが埼玉県朝霞市の市名。

    72年の米国ベストセラー。Backer miniの「天皇の陰謀」という本。価値ある。

    ネットで和訳が見れる。昭和天皇の戦争責任を暴露。天皇の戦争責任を書いた。


    戦後の昭和天皇は、自分の命、中国とかソ連とか等々、極東委員会のメンバーとして日本に進駐してきたら自分が再度、戦争犯罪人として死刑要求されるので、

    11回もマッカーサーに命乞いをした。極東委員会の影響を排除してくれと、

    共産主義の防波堤になってくれという事をマッカーサーに頼んだ。11回もですよ。マッカーサーはそれに対して曖昧な回答しかしなかった。

    マッカーサーが考えていたのは、GHQが撤退した後、国連の信託統治形式にするという考えだったが、昭和天皇は「これはダメだと、マッカーサーは自分達を守ってくれない」という風に、マッカーサーを見切って

    マッカーサーの頭ごなしに、国務長官の顧問だったダレスに直接交渉し、ダレスに、反共、共産党政権、中国、ソ連の等々の極東委員会の影響を排除して欲しいと、

    自分の命を守って欲しいと、天皇制を護持して欲しいと、いう風に、直接談判して、その為ならなんでもするよと、

    どれ程、長期間、どれ程多くの米軍が日本に、どこでも駐留してもいいですよという事を提案したんですね。それをきっかけに、沖縄に米軍が駐留するという事になった。

    だから、沖縄を切り捨てて、自分の命乞いをしたというのが実態です。

    朝日新聞は、その事をスルーして、たまたま和歌が出てきて、取り上げ「天皇は平和を希求し、戦争を憎む。それに悩む人間天皇だ」という美化キャンペーンを始めた。


    天皇こそが正真正銘の売国奴。天皇は戦後の象徴制を無視。沖縄が棄民される原因。

    天皇にとって、日本国憲法なんて関係無いんです。第二の帝国憲法そのものなのです。


    朝日新聞がついに「戦争犯罪人でありファシストであり5000万人のアジア人を殺した最大最高の元凶』昭和天皇・裕仁の『美化キャンペーン』を始めた!

    50分~https://www.youtube.com/watch?v=UGo_bfGIgp4




    日本軍が20万-30万人を虐殺した【南京大虐殺】の直接責任者は、『捕虜は取るな』『捕虜は全員殺せ』と命令した昭和天皇の甥朝香宮鳩彦親王上海派遣軍司令官・陸軍中将だ!

    【画像】:

    朝香宮鳩彦親王(あさかのみややすひこしんのう)上海派遣軍司令官・陸軍中将

    20160107朝香宮鳩彦王

    日本非公開の映画『南京のシンドラー ジョン・ラーベ』の冒頭で、香川照之が演ずる朝香宮鳩彦親王(あさかのみややすひこしんのう)上海派遣軍司 令官・陸軍中将が、数千人の捕虜をとらえた若き司令官小瀬少佐に対して、『誰が捕虜を 取れと言った!』『捕虜は取るな!捕虜は全員殺せ!と言った だろう!』『明朝までに自己責任でかたをつけろ!』と命令する場面が出てくる。

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