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Monday, March 28, 2022

フランス人のアンヌ=ローレ・ボネル監督によるドキュメンタリー映画『ドンバス』(2016)と、「ウクライナ戦争に関するノート」Documentary Film Donbass (2016) by Anne-Laure Bonnel, and her notes on the war in Ukraine


日本の大学で教鞭を取っている友人のDennis Riches さんから一つのドキュメンタリー映画を教えてもらった。フランス人の アンヌ=ローレ・ボネルAnne-Laure Bonnel監督による『Donbass ドンバス』(2016)である。映画へのリンクは複数あるようだが、私は英語字幕がついているこのYouTube 映像を観た。

(3月29日追記:日本語字幕版がここにあります

衝撃であった。2014年ウクライナで、「マイダン革命」といわれる、米国をバックとしたクーデターが起こされ、ヤヌコビッチ大統領は国外脱出を余儀なくされ、新しく大統領になったペトロ・ポロシェンコ大統領の衝撃のスピーチで始まる。
年金生活者と子どもたちに給付金を与えるが、あの者たちには与えない!
我々の子どもたちは学校にも幼稚園にも行くが、あの者たちの子どもは地下室に留める!
あの者たちは何もできないからだ。
そうすることによってこの戦争に勝つのだ。
これは、2014年10月23日、ポロシェンコ大統領がオデッサで行った演説とのことだ。ポロシェンコ大統領が「あの者たち」と指していたのは、ロシア系の人々が多い、ウクライナ東部のドンバスのことである。同年12月にこの発言を知ったボネル監督は、年明け、2015年の1月に市民たちの声を聞くためにドンバスに行った。

あとは、自らの政府によって攻撃され、殺される人々の苦しみと町の惨状をこの映画で観てほしい。

ボネル監督がいまSNSで攻撃を受けているというので驚いた。2016年に発表したこの映画は、いま起こっている戦争のナラティブに影響を与えるために作ったわけでも何でもない。苦しんでいる人たちのいる所に行って、話を聞いて記録するという当然のことをしただけだ。それなのにこの戦争が始まってからこの映画について論争を起こし、ロシアのプロパガンダだ!とか騒ぐのは、日本の歴史修正主義者たちを思い起こさせる。しかし Dennis さんによると、彼女は最近になってフランスのメディアでも注目されておりいろいろインタビューを受けたりしているそうだ。その中には好意的なものもあるが敵対的なものもあるらしい。ひとつの例として日本語訳がついているものがここにある

あまりの圧力と脅しに監督はストレスを受けているようだ。3月22日、ボネル氏は、「ここでは、2014年以降のウクライナ情勢に関する地政学的な洞察を、私の調査や情報源から説明するので、ぜひ読んでみてください。リンクなど。 過去を理解し、現在を啓発する。」(フランス語ツイートの自動翻訳)と言って、フェースブックへのリンクを記してある。そこにある解説文を、Dennis Riches さんが英語に訳してくれた。それの日本語訳をここに紹介する。英語版は Dennis さんのブログにある。(注:翻訳はアップ後修正することがあります)


アンヌ=ローレ・ボネルによるウクライナ戦争に関するノート

2022年2月23日のロシアの攻勢の前に外交的に何が起こったかについて。強調したいのは、これは私が一度も支持したことのない攻撃であり、私は非難しているということ。しかし、事実を理解することは必須である。以下のノートは、私の調査の結果である。これは報道記事ではない。リンク、出典などすべて記載している。これは新しい情報ではない。

文脈設定:2014年以前。丁寧に読むこと。

複雑な状況

ウクライナの状況は、メディアが描いている以上に複雑である。この国は歴史的にも、言語的にも、宗教的にも多種多様である。

この国は、ヨーロッパ志向が強く、ナショナリズムが顕著な西部と、ロシア語を話すロシアびいきの人々が大半を占める東部に、深く分かれている。そこではウクライナのアイデンティティはほとんど感じられない。

例えば2004年の大統領選挙では、親欧米派のヴィクトル・ユシェンコが西部で80%以上の得票を獲得し、対立候補のヴィクトル・ヤヌコヴィッチが東部で80%以上の得票を獲得するなど、選挙のたびにこの二極分化が表れている。

また、もう一つの要素も想起されなければならない。1991年の独立以来、ウクライナは政治的所属に関係なく、国を略奪するエリートたちによって支配されてきた。ヤヌコビッチ大統領がこのダイナミズムの一部であることは遺憾だが、彼だけがそうであるとは言い難い。最も「民主的」と紹介された2004年革命の指導者たちもまた、汚職の機会を徹底的に利用してきた。特に、オレンジ革命の女神であり、ウクライナの「ジャンヌ・ダルク」であるユリア・ティモシェンコは、その好例である。

ガス産業で財を成した実業家(国営炭化水素会社SEUUの社長を務めた)である彼女は、90年代半ばから政治に関与するようになった。エネルギー担当副首相だった2001年1月、SEUU社長だった1996年にロシアのガスを不正に輸入したとして、「密輸と書類の偽造」でクチマ大統領に罷免された。

ティモシェンコは逮捕され、数週間の服役を経験した。そして2009年、彼女はウクライナとロシアの間で結ばれたガス契約に基づく不正蓄財の罪で、7年の禁固刑を言い渡された。ヤヌコビッチ政権下での彼女の抑留は政治的有用性を持っていたが、メディアの純粋なイメージとは正反対のこの女性に対する証拠は圧倒的であり、それは決して恣意的な抑留ではなかった。

このようにエリートの腐敗が蔓延した結果、国は破綻し、その指導者たちは悲惨な財政状況に対処することになったのである。無能で腐敗したヤヌコビッチではあったが、逆説的にもこれが彼の理解であった。2013年11月にヴィルニュスで調印される関税協定で提案された欧州の援助(6億1000万ユーロ)では不十分と考え、ヤヌコビッチは200億ユーロへの増額を要求したが、ブリュッセルはこれを拒否した。また、彼はロシアの申し出に好意的に応じるために一転した。モスクワは、150億ドルの直接支援と天然ガスの超低価格の継続を申し出ていた。ウクライナの貿易の大半はロシアを相手国としたものであり、その戦略部門は、240以上の協定を結んでいるロシア経済と高度に統合されているため、この提案は金銭的魅力に加え、矛盾のないものであった。

この新しい貿易協定の見通しが、西部地域の親西欧・反ロシアの民族主義政党や活動家の反発を招いたのであった。しかし、2013年11月にヤヌコビッチ大統領の打倒を掲げて起こった「民衆」運動は、その大義の正当性の有無にかかわらず、西側諸国が言うところの民主主義のルールをすべて反故にした。この運動は一連の違反行為を行い、政治家やメディアが慎重にそれらを報道しないようにした。

「革命」は、民主的に選ばれた大統領を攻撃した。ヤヌコビッチは、欧州安全保障協力機構(OSCE)によって透明で公正とみなされた選挙プロセスの後、2010年の大統領選挙で勝利した。したがって、たとえ彼が腐敗していたとしても、選挙結果は完全に正当であり、合法的であった。

「革命家」たちは、2015年に大統領選挙が行われる予定だったにもかかわらず運動を開始した。つまり、反対派が自分たちの主張するように民主的な振る舞いをしていたのなら、ヤヌコビッチを排除するのに1年待つのが妥当だったのである。しかし、彼らは選挙の1年前に違法に政権を転覆させることを好んだ。これは反民主的な反応であった。

この「革命」は、西側メディアが伝えているような平和的なパレードのイメージとはかけ離れた、デモ隊の側からの極端な暴力行為をその特徴としていた。デモには迅速に武器が導入され、多くの警官が射殺された。

この「革命」運動の最も活発な要素は、超国家主義の超急進派グループ(プラヴィイ・ゼクトール、UNA-UNSO、スヴォボダ、トリズブ、「ホワイトハンマー」などの民兵たち)だったからである。

彼らは特によく訓練され組織化されていたため、訓練を受けた治安部隊の隊員を捕虜にすることができた。したがって、一部の者たちの暴力が他の者たちの暴力に勝っていたのである。しかし、これらのグループは、ヒューマニズム、民主主義、寛容といったヨーロッパの価値観とは何の共通点もなく、彼らの指導者の中にはキエフの新政府に参加した者たちもいる。しかし、西側諸国は彼らを支援し、今も支援し続けている。

この「革命」は、ウクライナの一部、つまり親欧米派の西半分の利益のみを擁護した。ヤヌコビッチを選んだ人々や、ロシアとの貿易協定に賛成した人々の票をないがしろにしたのだ。さらに悪いことに、東部地域の人々の最も基本的な権利を侵害した。実際、新臨時政府は就任するや否や、人口の30%近くがロシア語を話すウクライナの第二公用語としてロシア語の使用を禁止した(クリミアではロシア語話者は70%にも上る)。これはまさに挑発であり、少数民族尊重の原則を否定するものであった。

この「革命」は、非民主的で、特に暴力的で、過激派が多く含まれ、国内の少数派を代表しているという驚くべき特徴をもっていたのである。これこそ、西側が支持する大義名分の正体だ。マイダン革命」は、官僚と西側メディアが与えた以外の正統性を持たない、路上からの自称政府を誕生させたのである。

現在の危機は、EUが東方への影響力を拡大し、ウクライナに対するロシアの影響力を低下させたいと考えた結果の一部である。EUは、ロシアが提示するような資金援助をキエフに対して提供できなかったが、間接的に炎の原因を作ったのである。

しかも、EUはモスクワに大きな恨みを持つポーランドやバルト諸国の影響を受けて反ロシア的な態度をとってきた。これらの国は、西欧諸国の伝統にも利益にも反する欧州の対ロ姿勢の硬化に大きく寄与している。これらの東欧からの新規参入者は、2003年のイラク侵攻においてアメリカに盲従し、ほとんどの場合、ヨーロッパの軍備よりもアメリカの軍備を購入することを好んだことを、ここで思い出してみよう。彼らの目には、ブリュッセルの支援よりもワシントンの支援の方がより重要なのだ。

この危機に際して、西側諸国の態度は、冷戦時代の遺物である反ソビエト主義の一環として、ロシアに対する非常に強い疑心暗鬼によって特徴づけられていた。

NATOにとっては、2022年3月2日、NATOのアンデルス・ラスムセン事務総長が語ったように、「ロシアがウクライナでやっていることは、国連憲章の原則に反している。これは欧州の平和と安全を脅かすものだ。ロシアは軍事活動と脅迫をやめなければならない。」

西側の態度は、その矛盾の程度が全く見えていないように見える。(1) 「プーチンのクーデター」を非難しておいて、民主的に選ばれた大統領に対するキエフの暴力的な性格を非難しないことがどうしたら可能なのか。(2)国民の一部(西ウクライナ)に「正当な権利」を認め、それ以外の地域には同じ権利を否定することができるのか?

西側は、自分たちに都合の良いときには国際法を尊重し、自分たちの利益に反するときには国際法を逸脱するようで、"善 "と "悪 "の定義を常に変動させることによって自分たちの行為を正当化しようとしていることは明らかである。

ロシアの反応に憤慨している人たちに問うてみたいが、以下のときに同じぐらい激しく抗議したのだろうか。(1) 米国がイラクに不法に侵攻し、いわゆる大量破壊兵器の存在について虚偽の証拠を提出し、国連の反対を無視して同国を破滅的な状態のままにしたとき。(2) フランスを中心とする西側諸国がリビアで国連決議1973の枠を完全に超え、「民間人の保護」をカダフィ打倒のための作戦に転換し、その結果、知られているような嘆かわしい結果を招いたとき。(3) エドワード・スノーデンが米国NSAの国際的なスパイ行為と米国住民の盗聴の範囲を明らかにしたとき。

ウクライナは、2014年4月のジョン・ブレナンCIA長官のウクライナ訪問に示されるように、米国政府の援助の恩恵を受けており、そのことを隠すこともなかったのである。(参照:https://www.huffpost.com/entry/john-brennan-ukraine_n_5147869)

しかし、ウクライナの内政における米国の影響力は、2014年12月2日に米国人のナタリー・ジャレスコがウクライナ財務大臣に任命されたことで、まったく新しい次元に突入したのである。ウクライナはそれにもかかわらず、彼女の就任当日にウクライナ国籍を付与する配慮までした。このシカゴ生まれの米国人官僚の経歴は、ネットで見ることができる。1992年から1995年まで在ウクライナ米国大使館経済部第一部長を務めるなど、国務省でさまざまな役職を歴任している。また、ウクライナ財務省のトップに任命される前は、ウクライナで6億ドル以上の資産を保有する投資ファンド「ホライズン・キャピタル」のCEOを務めていた。

最後に、フランスでジャーナリストのルノー・ジラールが2014年のウクライナ革命を取り上げ、ローラン・ファビウス外相のやり方を嘆いたことを忘れてはならない。「誰も理解していない」とジラールは書いている。「2014年2月21日、ローラン・ファビウス外相が中国に行くためにキエフ(当時、警察と、親ロシア政権に対する親欧州派の抗議者の間の暴動に悩まされていたウクライナの首都)を離れたことはひどい間違いであった。ドイツとポーランドのカウンターパートが交渉し、親ロシアのヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領と3人の野党指導者の間の歴史的な合意を取り付けようとしていたため、この旅の重要性を誰も理解していなかったのである。ひどい外交的失敗があった。」(https://www.europe1.fr/international/Ukraine-affrontements-meurtriers-a-Kiev-645748)

したがって、ウクライナの危機、そして内戦は、歴史にしばしば見られるように、まったく予測不可能な不幸な出来事の連続の結果なのである。一方、この危機の最初と最中の欧州外交は、あまりうまくいかなかった。この合意をウクライナに提案したとき、EUの主要な政治家が「ロシアが提示したのと同じ条件で提供する」と粛々と演説することが必要だったでしょう。我々はこの問題をブリュッセルのEU本部に任せることを好んだが、それは間違いだった。

失敗した外交使節団について

2014年2月19日(水)、パリでフランソワ・オランド大統領とアンゲラ・メルケル首相の会談が企画された。キエフでは人々が互いに銃を撃ち合い始めていた。流血を止めるために、フランスの大統領とドイツの首相は、それぞれの外交のトップをそこに派遣することにした。翌日、ファビウス外相とシュタインマイヤー外相はワルシャワに立ち寄り、シコルスキ外相を伴ってウクライナへ向かった。その場で、ヤヌコビッチと野党指導者との話し合いが行われていたことは、誰もが知るところである。この事実があれば、殺人は防げたはずだ。これはすでにかなりの成功だった!交渉は一晩中続いた。とても大変な交渉だった。2014年2月21日(金)、欧州トロイカ(訳者注:3人の外相)は見事にウクライナ国内の政治的合意に達した。

その日、午後5時頃、アルセニー・ヤツェニュク、オレハ・タイフニボク、ヴィタリ・クリチコの3人が親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領と握手している姿が目撃された。残念ながら、理解しがたいことに、ヨーロッパの閣僚たちは、この生まれたばかりの奇跡の子(訳者注:見守らないとすぐ違反されかねない繊細な合意という意味)を守ることができなかった。彼らはその場を立ち去ったのだ。

2月21日の合意は驚異的な成功だっただけに、「子守が必要な子ども」であることは分かっていたはずである。この合意は、特に憲法改正、早期選挙、国民統合政府を定めたものだった。

その夜、欧州の閣僚が帰国すると、マイダンの群衆からブーイングを受けた3人の野党指導者は、署名を放棄した。ヤヌコビッチ大統領は怖気づき、キエフを離れ、ハリコフに向かった。

ヤヌコビッチが逃げたというが、この言葉は侮蔑的である。ウクライナの憲法は、大統領が行きたいところへ旅行することを禁じてはいなかった。バリ島で1ヶ月の休暇を過ごすことだってできたはずだ。国外に出ることは違憲ではない。キエフを発った翌日、彼は退陣し、ロシア人たちはクーデターだと言ったが、ヤヌコビッチの出国を禁止するものは何もないので、彼らがそう言う理由はまだあった。翌日曜日、ラーダ(ウクライナ議会)は、ウクライナ東部地域の第二公用語としてロシア語を認めることを放棄する、嘆かわしい採決を進めた。フィガロのルノー・ジラール記者によれば、これは外交上の大失敗であり、世界中のアカデミーで教えられることになるだろうという。

ジャック・シラク政権下の元外相ユベール・ヴェドリーヌは、現在の外交状況において、欧米とロシアの間で「過ちは共有されている」と考えている。「私たちは、一連の嘆かわしい歩みによって、現在の状況にたどり着いたのです」と元大臣は説明する。「私が『過ちは共有される』と言ったのは、西側諸国のロシアに対する態度のことで、あたかも我々がまだソ連を相手にしているかのような態度である。アメリカ側は、一種の侮蔑を示すような行為を繰り返している。欧州連合側には、ウクライナをロシアから切り離そうという意志があり、また、ロシア側を非難すべきこともたくさんあった。」

そして今、2022年を迎える。

情報源と参考文献(フランス語)

Editorial by Éric Denécé, “Ukraine: the world is upside down!” CF2R, no. 33, March 2014, https://cf2r.org/editorial/ukraine-le-monde-a-lenvers/

Thomas Guénolé and Katerina Ryzhakova-Proshin, “Ukraine: stop Manichaeism!”, Slate.fr, December 24, 2013.  www.slate.fr/tribune/81479/ukraine-halte-manicheisme

Eric Denécé, “Intervention en Syrie : la recherche d’un prétexte à tout prix,” CF2R, Editorial no. 32, September 2013, https://cf2r.org/editorial/intervention-en-syrie-la-recherche-dun-pretexte-a-tout-prix/

“Eric Denécé, “The dangerous drift of American ‘democracy,’” CF2R Editorial no. 31, August 2013, https://cf2r.org/editorial/la-dangereuse-derive-de-la-democratie-americaine-2/

On February 8, 1976, a referendum was held in Mayotte for the island’s annexation to France. The UN considers this referendum of 1976 as null and void, and condemns the violation of the territorial integrity of the Comoros and asks France to leave Mayotte.  http://www.comores-actualites.com/actualites-comores/la-crimee-est-russe-et-mayotte-est-francaise-ou-est-le-probleme/?

Hubert Védrine, “Five proposals to get out of the Ukrainian crisis,” Rue 89, March 8, 2014.  http://rue89.nouvelobs.com/2014/03/08/hubert-vedrine-cinq-propositions-sortir-crise-ukrainienne-250511

(注:ボネル氏の文章に紹介された参考資料を Dennis Riches 氏が整理した)

以上


参考:

オリバー・ストーン『Ukraine On Fireウクライナ・オン・ファイア』(日本語字幕つき)

オリバー・ストーン『Revealing Ukraine 』(文字通りに訳せば「ウクライナを明らかにする」だが、この日本語字幕版では「乗っ取られたウクライナ」というタイトルで紹介されている)

(これらの映像は各所で検閲削除されているのでリンク切れの場合はキーワード検索で新たに探してください)


1 comment:

  1. 映画をご紹介くださってありがとうございます。

    まず、「オリバー・ストーン オン プーチン」を見てから、
    「Ukraine On Fire」、「Revealing Ukraine」、
    最後にこの作品「Donbass」を見ました。

    たぶんこの順番で見て正解だった気がします。
    とてもショックです。
    でも知ることができてよかったです。
    感謝します。

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