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Thursday, December 19, 2024

「爆撃」をテーマに 済州島での12.13南京大虐殺追悼集会 Nanjing Massacre Memorial at Altteureu Airfield, Jeju Island, Korea, themed "Bombing"

このブログで何度も紹介してきたが、済州島では2014年以来毎年12月13日に、旧日本海軍のアルドゥル飛行場の格納庫跡で南京大虐殺追悼集会が開かれている。1937年、ここを起点に南京への無差別爆撃が行われた。


案内によると、この歴史を済州島で記憶する理由は、「空襲や大虐殺に済州の人々が動員された歴史を記憶し、暴力のつながりを喚起する」、そして「済州が二度と加害者にならないように」ということだ。

今年のテーマは「爆撃」だった。「爆撃:南京。パレスチナ。アルドゥル。過去と現在を見て、異なる未来を作ろう」。南京の爆撃・虐殺と現在も続くパレスチナの爆撃・虐殺をつなげる。そしてさらに、軍事化が進む済州島を念頭に置いている。済州島では海軍基地を米軍が使用し、進む第二空港建設計画も軍事利用されるおそれがある。いっぽうでアルドゥル飛行場跡で「済州平和大公園」造成計画が進んでいるが、軍事を「平和」の名で覆い隠しこの飛行場の歴史を洗い流す「ピースウォッシュ」であるというもっともな批判がされている。

今回は「平和」という言葉よりも敢えて「爆撃」というテーマを選んだ背景には、ピースウォッシュを許さない、また、12月3日の「戒厳令」を受けて民衆の暮らしがまた戦争に脅かされるという危機感も背景にある。南京大虐殺被害者の追悼にはこれらの現在的な意味も込められている。再びこの島が戦争に使われることを許さないという住民の決意だ。

今年の集会の写真を、主催した「南京大虐殺87年を記憶する人々」から提供いただいた。


約50人が参加した。韓国語だが、詳しいレポートがこちらのサイトに載っている。https://cafe.daum.net/peacekj/UvsW/124 ぜひ写真や映像を見てほしい。

私は国際平和キャンプで2018年夏に済州島を訪れたその冬以来、この南京大虐殺追悼集会にメッセージを送らせていただいている。いつも取り次いでくれている Kaia さんに感謝している。今年もメッセージを送り、ドンソクさんが訳してくれた韓国語版を、Shichoさんが読み上げてくれた。以下、韓国語版と日本語版を紹介する。いつか、現地で参加したいと願っている。


済州島の友人たちへ

 

乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)

カナダよりこんにちは。今年も、済州島のみなさんが、12月13日に南京大虐殺追悼行事を行うことに深く敬意を表します。1937年当時、朝鮮は日本に植民地支配されていました。済州島の人々から奪った土地にアルドゥル飛行場を作り、戦争期間を通じて済州島の人々は日本軍に強制動員されました。日帝は植民地支配に加え、地元の人たちを加害に動員するという二重の罪を犯しました。それにも拘わらず、現在の済州島の人々が、アルドゥル飛行場から南京の爆撃が行われたことを悔いて追悼式を行っています。私は、深く頭を下げるしかありません。

ここバンクーバーでも、さる12月7日、中華街にて南京大虐殺追悼集会を行いました。この地も、先住民族から盗まれた土地なのです。当日は、南京出身の人や、日本に爆撃された重慶出身の人も来てくれました。日帝の傷跡を背負ったお年寄りも来てくれました。南京大虐殺や数々の日帝の残虐行為の記憶が、月日を超え、世代を超え、太平洋を超えた人々の中にも残っていることを痛感しました。

朝鮮半島はいまだに分断され、朝鮮戦争も終結していません。日本は、その起因となった植民地支配を行ったこと、そして現在までそれを反省もせず、統一を阻む外部勢力の一部となってきました。日本と大韓民国は米軍に支配されたままで、NATOの東アジア支部のような存在とされてしまっています。私は、日本の歴史責任に向き合いながら、アジアの同胞としての朝鮮半島の人々と手を組んで、現在の戦争をとめ、未来の戦争を防ぐ努力を続けていきたいと思います。南京大虐殺を記憶する日に、この誓いを新たにします。ネバー・アゲイン!

(のりまつ・さとこ)

 

제주도에 있는 친구들에게

 

노리마츠 사토코(피스 필로소피 센터 대표)

캐나다에서 인사드립니다, 안녕하세요. 올해도 제주도에 계신 여러분이 12월 13일에 난징대학살 추모 행사를 하시는 것에 깊이 경의를 표합니다. 1937년 당시, 조선은 일본에 식민지 지배를 받고 있었습니다. 제주도 사람들에게서 빼앗은 땅에 알뜨르비행장을 만들고, 전쟁 기간을 통틀어서 제주도 사람들은 일본군에게 강제로 동원당했습니다. 일제는 식민지 지배에 더해, 현지 사람들을 가해에 동원한다는 이중의 죄를 저질렀습니다. 그럼에도 불구하고, 현재의 제주도 사람들이 알뜨르비행장에서 난징 폭격이 행해졌음을 뉘우치고 추모식을 하고 있습니다. 저는 깊이 머리를 숙이지 않을 수 없습니다.

이곳 밴쿠버에서도, 지난 12월 7일, 차이나타운에서 난징대학살 추모 집회를 했습니다. 이 지역도 선주민족에게 빼앗은 땅입니다. 당일은 난징 출신자나 일본에 폭격당한 충칭 출신자도 집회에 와주셨습니다. 일제의 상흔을 짊어진 어르신도 와주셨습니다. 난징대학살이나 수많은 일제 잔학행위의 기억이, 세월을 초월해, 세대를 초월해, 태평양을 초월한 많은 사람들 속에 남아있음을 통감했습니다.

한반도는 아직도 분단되어, 한국전쟁도 종결되지 않았습니다. 일본은 그 기인(起因)이 된 식민지 지배를 하였고, 그리고 현재까지 그것을 반성하지도 않고, 통일을 막아서는 외부 세력의 일부가 되었습니다. 일본과 대한민국은 미군에게 지배받던 상태 그대로이며, NATO(나토)의 동아시아지부 같은 존재로 여겨지고 있습니다. 저는 일본의 역사책임과 마주하면서, 아시아의 동포로서 한반도 사람들과 손을 잡고, 현재의 전쟁을 멈추고, 미래의 전쟁을 방지하는 노력을 계속하고자 합니다. 난징대학살을 기억하는 날에, 이 맹세를 새로이 합니다. 네버 어게인!

(노리마츠 사토코)

 

Tuesday, December 17, 2024

青木茂さんの講演録画配信:「万人坑」とはなにか ~南京大虐殺の日に学ぶ中国人強制労働~ Webinar on Mass Graves(万人坑) of Chinese Forced Labourers: Recording

 12月13日(日本時間では14日)の、青木茂さんを講師にむかえたオンライン講演

「万人坑」とはなにか ~南京大虐殺の日に学ぶ中国人強制労働~

250人に登録をいただき、当日参加は100人と、大変盛会でした。

YouTube のURLは、

https://youtu.be/8OVFAoQurNs

日本語字幕版です。動画は講演本体のみです(Q&Aは含まれていません)。

動画公開は1ヶ月間有効(2025年1月18日まで)とします。

この動画は登録した人だけでなく期間内なら誰にでも見ていただけます。拡散をお願いします。

★この動画のダウンロード、録音、スクリーンショットは禁止です。

万人坑については青木さんのHPに詳しく書かれています。

http://yaris9304.starfree.jp/

HPには青木さんの著書が紹介されているのでぜひ購入し学びを深めてください。

ご関心をいただきありがとうございました。来年は第二次世界大戦終結:大日本帝国敗戦・崩壊80周年です。大日本帝国から被害を受けた人々の視点から戦争を記憶していくことがますます求められていると思います。





Thursday, December 12, 2024

「ノーベル賞に沸く日本、抜け落ちた視点」:『朝鮮新報』から転載 The Nobel Peace Prize for the A-bomb Victims and the U.S. Impunity

 日本被団協のノーベル平和賞授賞は、長年の被爆者の核兵器をなくすための運動が評価された結果で、意義深いことです。この授賞の知らせを受け、思うことを書いた記事が『朝鮮新報』10月30日号に掲載されました(URLは、https://chosonsinbo.com/jp/2024/11/28sk-35/)。

ノーベル平和賞受賞式のタイミングで、なるべく多くの人に読んでもらいたく、許可をもらって下に転載します。

授賞式に、大韓民国の被爆者が招待されたことはよかったですが、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者の存在には触れられもしませんでした。いわずもがな、被爆時は朝鮮半島は分断されておらず日本の植民地支配下に置かれていました。日本人は植民地支配の責任からも、また分断に責任を負う側の者としても、朝鮮人被爆者を同等に扱わなければいけないと思います。朝鮮人は、被爆者のうち1割ほどをしめ、死亡率も日本人より高かったのです。植民地支配のゆえに被爆させられたのであって、日本で被爆したあと海外に移住した人と一緒に「在外被爆者」として扱ってはいけないと思います。また、これは歴代の広島と長崎の「平和宣言」にも言えることなのですが、無数の民間人の上に原爆を投下した米国の責任が全く問われることはなく、授賞スピーチでもどの国が落としたのかという端的な事実にさえ言及がありませんでした。そして現在の「ロシアの核の脅威」と、ロシアが名指しされ、それこそ核兵器を実際に使った上謝罪さえせず、第二次大戦後も、冷戦終了後も常に核の脅威で世界を支配してきた米国が完全に免罪されています。核の使用に言及したイスラエルの閣僚に触れていますが、イスラエルは米国の援助なしにはパレスチナに対する攻撃を行うことはできません。これも米国がやっていることなのです。授賞演説を行った被団協の田中煕巳代表委員とは、何度も交流させていただいた、尊敬する人です。2016年オバマ大統領が来広したときも、米国に対して厳しい責任追及をする姿勢を持っていました。田中氏は実際、広島で「死が落ちてきた」と、原爆を天災であるかのように言ったオバマ大統領を批判していました。今回、米国を完全に免罪した授賞スピーチが、田中氏の本心であったとは思いたくありません。私は以下転載する『朝鮮新報』の記事では、「米国の民間人大量虐殺の被害者がノーベル平和賞を授賞するのは画期的である」と書きましたが、その本質が全くかき消されてしまったといえると思います。要するに、案の定、世界の覇権国である米国と、この賞の選考を行うノルウェーも含む西側連合に都合のいい賞として演出されたということです。 本当に核戦争を防ぎ核兵器をなくしていくには、米国という最大の脅威から目を背けていては、目的を達することはできません。

以下、転載です。

 

〈私のノート 太平洋から東海へ 1〉ノーベル賞に沸く日本、抜け落ちた視点/乗松聡子

2024年11月02日 06:00

寄稿

私は日本出身でカナダに通算30年住むジャーナリストの乗松聡子です。朝鮮新報に連載させていただけることを大変光栄に思うと同時に、重責を感じています。日本社会は、朝鮮学校差別をはじめ、過去に40年間朝鮮を植民地支配した責任に向き合おうとしていません。米国は一国覇権を維持するため、言いなりにならない中国、ロシア、朝鮮に「新冷戦」をしかけ、朝鮮戦争を終結させ東アジアに平和をもたらす動きを妨害しています。日本も、私が住むカナダも、米国とその属国で成る「西側連合」の一員として、朝鮮に対する威嚇と挑発を繰り返しています。私は一日本人として、また一カナダ人としても、この終わらない植民地主義を是正する動きの一端を担いたいと思っています。

さる10月11日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を授賞するというニュースが駆け巡りました。私は、日米の大学生が共に広島・長崎を旅する学習旅行で、2006年から19年にかけて被爆者の通訳を務めた経験からも、「二度と自分たちのような被爆者を生まない」ための国際的運動が認められたことに感慨を覚えました。とりわけ、西側の価値観に偏る傾向のあるノーベル平和賞が、米国による民間人大量虐殺の被害者に授与されたのは画期的でした。

と同時に、日本のメディアの論調が「日本のノーベル平和賞授賞は1974年の佐藤栄作氏以来」(10月12日NHK)などと言いながら、「日本の授賞」と位置づけていることに懸念を感じます。授賞したのは、被爆者であり、米国による原爆投下につながった戦争をそもそも起こした「日本」ではありません。また、日本メディアは、「核の脅威」として、ロシア、中国、朝鮮民主主義人民共和国のみを挙げ連ね、世界最大の「核の脅威」であり、実際に子どもたちの上に原爆を落とした戦争犯罪者である米国やその同盟国の核を免罪しています。

何よりも、被爆者の10人に1人は朝鮮人であったという事実が抜け落ちています。広島ではおよそ5万人の朝鮮人が被爆、うち3万人が死亡、長崎では2万人の朝鮮人が被爆、うち1万人が死亡したと言われています。広島・長崎にいた朝鮮人は、植民地支配が故に日本に暮らさざるを得ず、自分たちが始めたわけでもない戦争の中で、米国が日本を標的に落とした原爆に巻き込まれました。その上被爆後も差別され、医療や支援が行き届かなかったという二重、三重の被害を受けたのです。とりわけ、朝鮮半島に帰還した約2万3千人の被爆者のうち2千人ほどが朝鮮民主主義人民共和国に帰国しており、その方々は被爆者援護法も適用されず見捨てられたままです。現在は生存者も僅かになっていると聞いています。

2019年7月、「韓国の広島」と言われる陜川を在日朝鮮人の友人と一緒に訪問しました。原爆投下時広島にいた朝鮮人は陜川出身者が多かったのです。被爆二世で、生まれつきの骨の病気を抱え、息子が脳性麻痺を患う韓正淳さんは、「日本には、朝鮮人を犬のように使った責任を、米国には、核兵器を人間に対して使った責任を問いたい」と言っていました。2歳で被爆した韓国原爆被害者協会陜川支部長の沈鎮泰さんは、16年オバマ大統領の広島訪問の際来日したところ、関西空港で入管に3時間も足止めを食らった経験を話しながら、「植民地支配の上に原爆を受けた自分たちが、その上犯罪者扱いされた」と悔しそうに語りました。


陜川原爆被害者福祉会館近くの慰霊閣には1千以上の朝鮮人犠牲者の位牌が祀られている
(2019年7月22日 筆者撮影)

陜川訪問後に行った釜山の「国立日帝強制動員歴史館」ではこう展示してありました。「全体の原爆被害者の約1/10に該当する朝鮮人の死亡は57・1%であり、全体の33・7%に比して非常に高い。日本は二つの都市における惨状を大々的に広報し、反戦平和を全世界に訴えている。反戦平和は、人類が共栄するための普遍的価値である。しかし、誰が言うかによりこの意味合いはかなり変わる。日本は反戦平和を叫ぶ前に戦争加害に対する痛切な反省とともにその事に対する責任を負う姿勢を見せなければならないはずだ。」侵略戦争や植民地支配の責任は語らずに、普遍的「平和」や「反核」を語るだけのことが多い日本人に対する強烈なメッセージであると思いました。

私は、このような理由から、日本人が原爆被害を考えるとき、まず第一に、朝鮮人被爆者のことを考えるべきではないかと思っています。日本被団協のノーベル平和賞の授賞式には、朝鮮と韓国の被爆者団体の代表者を招待してほしいと願っています。


プロフィール

ジャーナリスト。東京・武蔵野市出身。高2,高3をカナダ・ビクトリア市の国際学校で学び、日本の侵略戦争の歴史を初めて知る。97年カナダに移住、05年「バンクーバー9条の会」の創立に加わり、06年「ピース・フィロソフィー・センター(peacephilosophy.com)」設立。英語誌「アジア太平洋ジャーナル」エディター。2人の子と、3匹の猫の母。著書に『沖縄は孤立していない』(金曜日、18年)など。19年朝鮮民主主義人民共和国を初訪問。世界の脱植民地化の動きと共にありたいと思っている。

★★★

以上、『朝鮮新報』からの転載でした。

Tuesday, December 10, 2024

Satoko Oka Norimatsu's speech at the Nanjing Massacre Memorial Vigil in Vancouver 乘松聡子在温哥华南京大屠杀纪念聚会上的讲话 乘松聡子在溫哥華南京大屠殺紀念聚會上的講話

 Here is the text, in English, with Chinese translation (simplified and traditional) by Arc Zhen Han, of my speech at the Nanjing Massacre Memorial Vigil, held in Chinatown, Vancouver, BC, Canada, on December 7, 2024. With the video compiled and subtitled by E. Kage. See more information here

 

 Nanjing Massacre Memorial Vigil Address 

December 7, 2024

Satoko Oka Norimatsu 

Hello my name is Satoko Oka Norimatsu. I am a writer and organizer for historical justice and decolonization of East Asia and the Pacific. I am originally from Tokyo, Japan, and since 1997, I have lived here, in the traditional territories of the Musqueam, Squamish, and Tsleil-Waututh nations. Thank you so much for coming to our memorial, on this cold winter day. 

Growing up in Japan, I never learned about the history of the Japanese Empire’s wars and colonization. When I was 17, I got an opportunity to study at an international school in Victoria, and then, for the first time, I learned about the Japanese Empire’s war crimes and atrocities, from fellow Asian students from Singapore, Indonesia, the Philippines, and China. This was the beginning of my journey. As a citizen of Japanese ancestry, my responsibility is to help bring awareness to this history, to fight the history denialism, and to help bring justice to the victims, families, and members of the victimized communities. 

Today, December 7, marks the 83rd anniversary of the 1941 Japanese surprise attacks against the British and the United States’ colonies in Southeast Asia and the Pacific. Japan waged these attacks to continue the empire’s aggressive war and occupation in China that had been continuing since their invasion of Manchuria in 1931 and establishment of the puppet state of Manchukuo in 1932. 

The Empire of Japan’s aggression against China goes back further, the first Sino-Japanese War of 1894-95, the military intervention with the Boxer Rebellion in 1900, the Russo-Japanese war of 1904-5, the military invasions to Shandongs in 1927-28. In 1927, my father was born in Hankow, now part of Wuhan, Hubei Province. My grandfather was the president of a newspaper company in the Japanese colony in Hankow. When my father was 2 months old, his family went back to Japan, and my grandfather died immediately after that. I deeply regret that my grandfather took part in the Japanese occupation of China. 

Japan intensified its aggression against China after the Lugou Bridge Battle on July 7, 1937, waged a full-scale battle in Shanghai in August that lasted for 3 months, afflicting thousands of civilians, then marched on to Nanjing in early December. This is when the Japanese Army committed the Nanjing Massacre: the mass slaughters of tens of thousands of Chinese POWs, unarmed soldiers, and random, brutal killings of tens of thousands of civilians, and savage raping and killing of tens of thousands of women and girls. If you have read Iris Chang’s Rape of Nanking, or any other literature on the Nanjing Massacre, no one would argue that it was one of the worst, most horrendous atrocities in human history. These Japanese military leaders and soldiers, heavily indoctrinated with the emperor-centred fanatic racist ideology that made them believe that Japanese were a superior race to their Asian neighbours, were capable of conducting the most ferocious, inhuman acts against fellow human beings. 

Nanjing Massacre was not the only massacre in the war. There were countless massacres, bombings, forced labour, rape and sexual slavery, chemical and biological warfare, “kill-all, burn-all, and loot-all” conducts throughout the war until Japan finally surrendered in August of 1945. Next year, 2025, marks the 80th anniversary of the end of the WWII, which meant liberation of all the Asia-Pacific countries and regions under the Japanese occupation. Today, the Japanese government, its political leaders, media, education, and the society in general are largely in denial or in ignorance about the unspeakable suffering that the Japanese wars brought to the people of the Asia-Pacific and POWs of Allied nations. It is a shame. 

There are, however, people in many parts of Japan who take this history to heart, and hold commemorative and educational events around the time of the Nanjing Massacre Memorial Day --- as far as I am aware, in Osaka, Tokyo, Yokohama, Nagoya, Kobe, Hiroshima, Kochi, Nagasaki, and Okinawa. While the Japanese government ignores it, hundreds of Japanese citizens visit Nanjing, to attend the National Memorial Ceremony held there on December 13. I was there in 2007, the 70th anniversary, and 2017, the 80th anniversary. The scarf I am wearing today is from the Nanjing Massacre Memorial Hall, with the Chinese velvet cress, the symbol flower for the remembrance for Nanjing. 

Here, I join my colleagues in Japan and beyond, renewing our pledge for “Never Again,” never again to allow our country to be an aggressive military power and wage wars, the promise of the Article 9, the war-renunciation clause of the Japanese post-war Constitution. 

On this 87th anniversary, I would like to express my deepest condolences for the victims and families of the Nanjing Massacre, and for the victims and families of the countless atrocities by the Empire of Japan. Never again. Thank you. 


Satoko Oka Norimatsu is Co-Chair of Article 9 Canada, Director of Peace Philosophy Centre, Co-author of Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman and Littlefield, 2018). 


简体字 Simplified Chinese version:

你好,我的名字是乘松聡子(Satoko Oka Norimatsu)。我是一名致力于东亚和太平洋地区历史正义与去殖民化的作家和活动家。我来自日本东京,自1997年以来,我一直生活在加拿大温哥华——穆斯克姆族、斯阔米什族和特斯雷沃图族印第安人的传统领地。非常感谢大家在这个寒冷的冬日来到我们的纪念活动。

在日本成长的过程中,我从未学过关于日本帝国战争和殖民化的历史。17岁时,我有机会在加拿大维多利亚市的一所国际学校学习,那是我第一次从来自新加坡、印度尼西亚、菲律宾和中国的亚洲同学那里了解到日本帝国的战争罪行和暴行。我追求历史正义的旅程由此开始。作为一名拥有日本血统的公民,我的责任是帮助唤醒人们对这段历史的认识,抵制历史否定主义,并为受害者、他们的家庭以及受害社区的成员争取正义。

今天是12月7日,也是日本对东南亚和太平洋地区的英国和美国殖民地发动突袭的83周年。日本发动这些袭击是为了延续其帝国在中国的侵略战争和占领,这场战争自1931年侵占满洲并于1932年建立伪满洲国以来便一直持续至二战结束。

日本帝国对中国的侵略可以追溯得更早,包括1894年至1895年的中日甲午战争、1900年参与镇压义和团运动的军事干预(八国联军)、1904年至1905年的日俄战争,以及1927年至1928年对山东的军事入侵(山东出兵)。1927年,我的父亲出生在汉口,现在是湖北省武汉市的一部分。当时我的祖父是汉口日本租界一家报社的社长。当我的父亲只有两个月大的时候,他们一家返回日本,而我的祖父在回国后不久就去世了。我深深地为我的祖父曾经参与日本在中国的租界占领行为感到遗憾和抱歉。

日本在1937年7月7日卢沟桥事变后加剧了对中国的侵略。8月,日本在上海发动全面战争,这场战斗持续了三个月,为成千上万的平民带来了巨大的痛苦。随后,日军于12月初进军南京。在此期间,日本军队犯下了南京大屠杀的暴行:屠杀了数万名放下武器的中国战俘、手无寸铁的士兵,以及随机残忍杀害的数万名平民,同时还有对数万名妇女和女孩的野蛮强奸和杀害。如果你读过张纯如的《南京大屠杀》或其他关于南京大屠杀的文献,你一定会认识到,这是一段人类历史上最残酷、最恐怖的暴行之一。这些日本军官和士兵在以天皇为中心的狂热种族主义意识形态的洗脑下,被灌输了日本人优于邻近亚洲民族的种族优越感,因此他们竟能对同为人类的同胞实施如此残暴、非人道的行为。

南京大屠杀并不是战争中唯一的屠杀。在战争期间,从始至终直到日本最终在1945年8月投降,发生了无数的屠杀、轰炸、强迫劳动、强奸与性奴役、化学与生物战,以及“杀光、烧光、抢光”的暴行。明年,2025年,将是第二次世界大战结束80周年的纪念日,也是所有曾被日本占领的亚太国家和地区的解放纪念日。然而,今天,日本政府、政治领导人、官方媒体、教育界乃至很多社会成员,对日本战争给亚太地区人民以及盟军战俘带来的难以言说的苦难,基本上持否认或无知的态度。这是一种耻辱。

然而,在日本的许多地方,也有很多人铭记这段历史,并在南京大屠杀纪念日附近举行纪念和教育活动。据我所知,这些活动在大阪、东京、横滨、名古屋、神户、广岛、高知、长崎和冲绳都有举行。尽管日本政府对此置若罔闻,但每年仍有数百名日本公民前往南京,参加12月13日举行的国家公祭日。我曾于2007年南京大屠杀70周年和2017年80周年时到南京参加纪念活动。我今天佩戴的围巾来自南京大屠杀纪念馆,上面有南京大屠杀纪念的象征花——紫金草。

在这里,我与日本及世界各地的同仁一道,重申我们的承诺:“决不再来”,绝不再让我们的国家成为一个侵略性的军事力量并发动战争。这是日本战后宪法第九条——放弃战争条款——的庄严承诺。

在这第87个纪念日,我谨向南京大屠杀的受害者及其家属,以及日本帝国无数暴行的受害者及其家属,致以我最深切的哀悼。战争和伤害决不再来。谢谢。


乘松聪子(Satoko Oka Norimatsu)是加拿大第九条会(Article 9 Canada)共同主席、和平哲学中心(Peace Philosophy Centre)主任,并合著了《抵抗之岛:冲绳对抗日本与美国》(Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States,罗曼与利特菲尔德出版社,2018年)。


繁體字 Traditional Chinese version:

你好,我的名字是乘松聡子(Satoko Oka Norimatsu)。我是一名致力於東亞和太平洋地區歷史正義與去殖民化的作家和活動家。我來自日本東京,自1997年以來,我一直生活在加拿大溫哥華——穆斯克姆族、斯阔米什族和特斯雷沃圖族印第安人的傳統領地。非常感謝大家在這個寒冷的冬日來到我們的紀念活動。

在日本成長的過程中,我從未學過關於日本帝國戰爭和殖民化的歷史。17歲時,我有機會在加拿大維多利亞市的一所國際學校學習,那是我第一次從來自新加坡、印度尼西亞、菲律賓和中國的亞洲同學那裡了解到日本帝國的戰爭罪行和暴行。我追求歷史正義的旅程由此開始。作為一名擁有日本血統的公民,我的責任是幫助喚醒人們對這段歷史的認識,抵制歷史否定主義,並為受害者、他們的家庭以及受害社區的成員爭取正義。

今天是12月7日,也是日本對東南亞和太平洋地區的英國和美國殖民地發動突襲的第83週年。日本發動這些襲擊是為了延續其帝國在中國的侵略戰爭和佔領,這場戰爭自1931年侵占滿洲並於1932年建立偽滿洲國以來便一直持續至二戰結束。

日本帝國對中國的侵略可以追溯得更早,包括1894年至1895年的中日甲午戰爭、1900年參與鎮壓義和團運動的軍事干預(八國聯軍)、1904年至1905年的日俄戰爭,以及1927年至1928年對山東的軍事入侵(山東出兵)。1927年,我的父親出生在漢口,現在是湖北省武漢市的一部分。當時我的祖父是漢口日本租界一家報社的社長。當我的父親只有兩個月大的時候,他們一家返回日本,而我的祖父在回國後不久就去世了。我深深地為我的祖父曾經參與日本在中國的租界佔領行為感到遺憾和抱歉。

日本在1937年7月7日盧溝橋事變後加劇了對中國的侵略。8月,日本在上海發動全面戰爭,這場戰鬥持續了三個月,為成千上萬的平民帶來了巨大的痛苦。隨後,日軍於12月初進軍南京。在此期間,日本軍隊犯下了南京大屠殺的暴行:屠殺了數萬名放下武器的中國戰俘、手無寸鐵的士兵,以及隨機殘忍殺害的數萬名平民,同時還有對數萬名婦女和女孩的野蠻強姦和殺害。如果你讀過張純如的《南京大屠殺》或其他關於南京大屠殺的文獻,你一定會認識到,這是一段人類歷史上最殘酷、最恐怖的暴行之一。這些日本軍官和士兵在以天皇為中心的狂熱種族主義意識形態的洗腦下,被灌輸了日本人優於鄰近亞洲民族的種族優越感,因此他們竟能對同為人類的同胞實施如此殘暴、非人道的行為。

南京大屠殺並不是戰爭中唯一的屠殺。在戰爭期間,從始至終直到日本最終在1945年8月投降,發生了無數的屠殺、轟炸、強迫勞動、強姦與性奴役、化學與生物戰,以及“殺光、燒光、搶光”的暴行。明年,2025年,將是第二次世界大戰結束80週年的紀念日,也是所有曾被日本佔領的亞太國家和地區的解放紀念日。然而,今天,日本政府、政治領導人、官方媒體、教育界乃至很多社會成員,對日本戰爭給亞太地區人民以及盟軍戰俘帶來的難以言說的苦難,基本上持否認或無知的態度。這是一種恥辱。

然而,在日本的許多地方,也有很多人銘記這段歷史,並在南京大屠殺紀念日附近舉行紀念和教育活動。據我所知,這些活動在大阪、東京、橫濱、名古屋、神戶、廣島、高知、長崎和沖繩都有舉行。儘管日本政府對此置若罔聞,但每年仍有數百名日本公民前往南京,參加12月13日舉行的國家公祭日。我曾於2007年南京大屠殺70週年和2017年80週年時到南京參加紀念活動。我今天佩戴的圍巾來自南京大屠殺紀念館,上面有南京大屠殺紀念的象徵花——紫金草。

在這裡,我與日本及世界各地的同仁一道,重申我們的承諾:“決不再來”,絕不再讓我們的國家成為一個侵略性的軍事力量並發動戰爭。這是日本戰後憲法第九條——放棄戰爭條款——的莊嚴承諾。

在這第87個紀念日,我謹向南京大屠殺的受害者及其家屬,以及日本帝國無數暴行的受害者及其家屬,致以我最深切的哀悼。戰爭和傷害決不再來。謝謝。


乘松聰子(Satoko Oka Norimatsu)是加拿大第九條會(Article 9 Canada)共同主席、和平哲學中心(Peace Philosophy Centre)主任,並合著了《抵抗之島:沖繩對抗日本與美國》(Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States,羅曼與利特菲爾德出版社,2018年)。


Monday, December 09, 2024

バンクーバー中華街での南京大虐殺追悼集会 Nanjing Massacre Memorial Vigil in Chinatown, Vancouver 溫哥華華人街舉行追悼南京大屠殺的集會 温哥华华人街举行追悼南京大屠杀的集会

チャイナタウン「中華門」の下で集会をしました。

This post is in Japanese. Please use a translation program to read it. 这篇文章是日文的。请使用翻译软件阅读。這篇文章是日文的。請使用翻譯軟體閱讀。
司会をつとめた Nikkei Vancouver 
for Justice のベックさん(右)
とメガンさん(左)

12月7日午後5時から、バンクーバーチャイナタウンにて、南京大虐殺追悼集会を行いました(Nikkei Vancouver for Justice, カナダ9条の会、ピース・フィロソフィーセンター共催)。この時期のバンクーバーは雨ばかりですが、なぜかこの集会の間のために雨が止まったかのような幸運に恵まれ、屋外で無事に追悼集会を行うことができました。
予想以上の、50人かそれ以上の人が来てくれました。若者中心に運営したイベントであったことは歴史記憶を継承する上で意義深かったと思います。Nikkei Vancouver for Justice のベックさん、メガンさん、またチャイナタウンで活動するチャイニーズ系の若者たちがたくさん手伝ってくれ、よいコラボレーションとなったと思います。日系人や日系移民も10人ほど来てくれました。
南京出身のビルさん(左)。
右は広東語と北京語両方の通訳をつとめてくれたカリナさん。

ビルさんは、曽祖父母が日本軍による南京爆撃で命を奪われたと話してくれました。きょうこの日まで遺体も見つかっておらず、ちゃんとした埋葬もできていないとのことです。当時家族の遺体を見つけることができた人も、判別がつかないほど痛ましい状態になって、集団で捨てられていたと。軍隊だけでなく、占領を手助けするために日本の植民者も招き入れられたことは、いま現在パレスチナの人々がされていることと同じだと、ビルさんは指摘しました。

南京出身のジェーンさん

ジェーンさんは、歴史を知るにつけ、やはり、アジア太平洋地域での日本の帝国主義と、パレスチナにおけるセトラー・コロニアリズムの「点と点がつながってきた」と言いました。太平洋戦争時、米国やカナダでの日系人強制収容はよく語られますが、ジェーンさんは、北米の日系人が、募金を集めたり、慰問袋を送ったりして、日本の中国侵略戦争に加担した事実を指摘しました。これは、カナダで南京大虐殺記憶の日を制定する動きに対し日系人団体が積極的に反対した動きと通じるとの指摘はまさしくその通りと思いました。

重慶出身のアリエルさん


アリエルさんは2年前にアイリス・チャン著『レイプ・オブ・南京』を読み始めたが最初の数ページで吐き気がして読み進めることができなかったそうです。昨年久々に中国を訪問し、高速鉄道で移動中に南京駅に停車しました。車窓越しに南京を見て、ここで20万人もの血が流れたのだということに想いを馳せたとのことです。アリエルさんはは1939-41年に日本軍から繰り返し爆撃を受けた重慶の出身です。祖母は当時6歳で、「日本の爆撃から逃れるために山奥の洞窟の奥深くに逃げ込んだことを思い出し、目に涙を浮かべた」とのことです。

いまでも日本を許すことはできない、との言葉を重く受け止めました。

いまカナダに生きる若者たちの心と体の中にも、日本の中国侵略戦争の傷跡が世代間の痛みとして生々しく残っていることを痛感した晩でした。

★★★★★★★

私も主催者代表としてスピーチをしました。スピーチ原稿はここで読めます。日系として、日本人として、南京大虐殺の歴史を語り継ぎ、日本の歴史修正主義とたたかう責任があるという話をしました。また日本政府とは違い、日本各地に、南京大虐殺と被害者を記憶し二度と日本の侵略戦争を許さないという、憲法9条の約束を守る活動をしている人たちがいるという話もしました。元の英語バージョンと、友人の韓真さんによる中国語(簡体字、繁体字)の翻訳がついています。日本語版をいまのところ作っていないのでAI翻訳などで読んでください。@PeacePhilosophy 乗松聡子

会場に設置した 祖先供養の祭壇



Monday, December 02, 2024

ウェビナー:隠蔽か?止まらない沖縄の米軍性犯罪 日本語字幕版 Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa - YouTube available with Japanese subtitles

 北米時間で10月4日(日本では5日)に行った沖縄関心グループのオンラインセミナー

Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa 

ウェビナー:隠蔽か?止まらない沖縄の米軍性犯罪 

の日本語字幕版ができました。(Q&Aの部分は割愛してあります。下方にある英語版にはついています)

登壇者:

高里鈴代 基地:・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表・元那覇市魏

アレクシス・ダデン コネチカット大学教授

コメンテイター

スティーブ・ラブソン ブラウン大学名誉教授

司会:

エリン・ジョーンズ 翻訳家、リサーチャー



English version, with the Q&A section, is here. 

Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa 

Suzuyo Takazato, Alexis Dudden, and Steve Rabson
Moderated by Erin Jones 

Thursday, November 21, 2024

December 7: バンクーバーで南京大虐殺追悼集会を開催します Nanjing Massacre Memorial Vigil will be held in Vancouver 南京大屠殺追悼會將在溫哥華舉行

私たちは「バンクーバー」と呼ばれる、先住民族のムスキウム、スコーミッシュ、ツレイワトゥッシュネイションの、盗まれた土地の上に存在する者たちです。

この12月で、1937年の南京大虐殺から87年になります。南京大虐殺とは、専門家の笠原十九司氏による定義は「日中全面戦争(1937-45年)の初期、1937年12月、中国の当時の首都・南京を攻撃・占領した日本軍が、中国軍の兵士・軍夫ならびに一般市民・難民に対しておこなった虐殺、及び中国人女性に対しておこなった凌辱、食料・物資・財産の略奪、人家・建物・施設の放火・破壊など、戦時国際法や国際人道法に反した不法・残虐行為の総体」です(『南京事件70周年国際シンポジウムの記録』日本評論社、2009より)。

私(ブログ運営人・乗松聡子)は2007年の南京大虐殺70周年のときに初めて南京を訪れて以来3回南京に行きました。地元バンクーバーでも、毎年この時期は、関連シンポジウム参加、追悼集会、映画会、海外の追悼集会との連携、などで、大日本帝国が行った残虐行為を忘れずに「ネバー・アゲイン」の誓いを、仲間と共に新たにしてきました。

きたる12月7日(土)午後5-7時、チャイナタウンの中華門前(50 East Pender St., Vancouver, BC) で、南京大虐殺87年の追悼集会を行います。カナダ9条の会、ピース・フィロソフィー・センター、Nikkei Vancouver for Justice など、日本にゆかりのあるグループや個人と、チャイナタウンにゆかりのある有志の仲間と共に企画しました。スピーチ、追悼の時間などを予定しております。ぜひご参加ください。屋外ですので暖かい服装で来てください。雨天決行。お問い合わせは南京大虐殺追悼集会実行委員会まで nanjingvigil@gmail.com 



この行事に加え、「万人坑」の専門家である青木茂さんを迎えてのオンライン講演会を行います。こちらをご覧ください。

Wednesday, November 13, 2024

オンライン講演会 「万人坑」とはなにか~南京大虐殺の日に学ぶ中国人強制労働~ 講師:青木茂さん Webinar on Mass Graves(万人坑) of Chinese Forced Labourers


カナダ9条の会主催、ピースフィロソフィーセンター・Nikkei Vancouver for Justice 共催オンライン講演のご案内です。北米、中南米の人たちにも参加しやすい時間帯となっています。ぜひご参加ください。リアルで参加できない場合、登録した人には事後録画を送ります。参加費は無料です。

申し込みリンク:https://tinyurl.com/4rhz99t7

日時:2024年12月13日金曜日午後5時(太平洋時間);午後8時(東部時間)

(日本時間では、12月14日土曜日午前10時です。)


「万人坑」とはなにか 

~南京大虐殺の日に学ぶ中国人強制労働~

2024年12月13日は、南京大虐殺87年を記憶・追悼する日です。南京大虐殺は、大日本帝国が中国に対して行った残虐行為の代表的なものですが、これだけ残酷な事件でも「氷山の一角」だったのです。日本の1931年から45年までの侵略戦争の間、中国全土で日本企業は炭鉱や鉄鉱などの鉱山や軍事基地、ダムなどの建設現場などに中国人を大量に連行し強制労働させ、過労、飢え、衰弱死などで亡くなった人たちを山野などに捨てました。その「人捨て場」は「万人坑」と呼ばれます。「万人坑」を専門に20年間調査研究を行ってきた青木茂さんからお話を聞きます。

講師:青木茂さん

2000年、内蒙古自治区のハイラル近郊にある沙山万人坑を訪問して以来これまでに中国の42箇所の万人坑を現地で調査してきた。著書は『南京大虐殺から雲南戦へ』(2024)、『中国に現存する万人坑と強制労働の現場』(2022)、『万人坑に向き合う日本人』(2020年)、『華南と華中の万人坑』(2019)など多数。青木さんの仕事についてはHPを参照:http://yaris9304.starfree.jp/

申し込みリンク:https://tinyurl.com/4rhz99t7

問い合わせ先:peacephilosophycentre@gmail.com


★12月7日は、カナダ・バンクーバーで、南京大虐殺追悼集会を行います。詳しくはこちらを見てください。

Thursday, October 31, 2024

『日本の進路』24年11月号より転載:深圳の悲劇を中国敵視の道具にするな~友好こそが、被害者への追悼になる~ Japanese government and media used the Shenzhen tragedy as another China-hating weapon

『日本の進路』購読はこちらを
 『日本の進路』24年11月号に寄稿した記事を転載します。読者からは、「日本のメディアには出ない重要な視点」「被害男児が日本人と中国人のダブルだとは知らなかった」といった感想が寄せられています。子どもが殺された悲劇を極端に政治化し中国敵視に利用した日本のメディアと政府に反省を求めます。

深圳の悲劇を中国敵視の道具にするな

~友好こそが、被害者への追悼になる~

ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子


火がついた嫌中

 中国・深圳市で9月18日、日本人学校の男子児童が殺害された事件について、日本のメディアは連日大きく取り扱い、日中間の外交問題として政治化した。

この日は1931年、関東軍が南満州鉄道を爆破した「柳条湖事件」の日で、その後15年間にわたる満州植民地支配と中国全土に対する侵略戦争を記憶する「9・18」の日であった。そのことから日本では、中国の「反日教育」が招いた結果であると語られ、中国に対する嫌悪が主要メディアでもネットでもエスカレートした。この3カ月前の6月24日、蘇州の日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲撃され、親子が怪我をした事件もあった。

 しかし、日本の嫌中傾向はこれらの最近の事件がきっかけになったわけではない。20世紀後半に経済大国化した日本はいまや衰退傾向で、近年、目覚ましい発展を遂げた中国を苦々しく思う心情がある。その上、米国はオバマ政権下で始まった、中国の台頭を阻止し一極支配の維持を狙うべく「アジアピボット(軸足移動)」(2011年)を進めている。対米従属の日本は12年に「尖閣諸島国有化」で、中国の国民感情を逆撫でした。

西側メディアはことさら中国について否定的な報道ばかりするようになる。世論調査でも、日本では中国に対し否定的な感情を持つ人が10年代以降は常に8割を超えるようになり、9割を超えることも少なくなくなった。


歴史記憶を「反日」と責める加害国・日本

 「反日教育」と言うが、中国や韓国や東南アジア諸国など大日本帝国の植民地支配や侵略戦争の被害を受けてきた国々がその歴史を伝えることは当たり前である。

「反日」と言う人ほど、日本が中国に何をしたのかを知らないし知ろうとしない。大日本帝国の中国に対する残虐行為で代表的なものは南京大虐殺(1937―38) であるが、それさえ日本では政治家が率先して否定している。日清戦争時の旅順大虐殺 (1894年)、満州侵攻後の平頂山虐殺(1932年)、民間人を「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす」作戦を行い、重慶などの都市の無差別爆撃し、毒ガスや細菌兵器を使った。約4万人が日本に強制連行され約7千人が亡くなった。満州をはじめ中国全土でも、日本企業が経営する炭鉱や鉱山などで膨大な数の中国人が強制労働させられて亡くなった。その「人捨て場」であった「万人坑」が今も中国各地に存在する。

 もしこのような被害を日本が受けていたら、ましてやこれらの歴史を後世に教えることを加害国から批判されたらどう思うのか。広島・長崎の原爆被害を語り伝えることは「反米教育」なのか。日本がやられたことについては「継承」の大切さを語り、自分たちがやったことを語られると「反日」と騒ぐことこそダブルスタンダードだ。


深圳事件の「父親の手紙」

 深圳の事件は10歳の子が母親の眼前で襲撃され、その後治療の甲斐なく亡くなるという残酷な犯罪だった。日中両国の市民にできることといえばその地の法律で公正に裁かれることを願いながら、共に追悼し、遺族に寄り添うことではないだろうか。事件後、現場を訪れ献花し手を合わせる人が絶えないことは広く報道されている。

9月20日、殺された男児の父親によるという手紙が、香港のフェニックス・ニュースや「星島網」など各社が報道しSNSでも広く拡散された。日本のSNSでは「偽物だ」といった否定も見られたが、台湾の報道等で父親の会社や名前も確認されており、真正なものに見える。

 内容には、日本領事館や会社から発言を止められているようなことを匂わせる表現があり、それでも伝えたいという父親の思いが伝わってくる。

この手紙は、男児が日本人の父親と中国人の母親の間に生まれた「日本人でもあり中国人でもある」と明記され、「何が報道されようと、彼が日本人と中国人の両方のルーツを持つという事実は変わらない」とある。「日本人が殺された!」と大騒ぎしているメディアに対して抗議しているようにも読める。

「私たちは中国を恨まない、同じく日本も恨まない。国籍に関係なく、私たちはどちらの国も自分たちの国だと思っている」とあり、「歪んだ考えを持つ一握りの卑劣な人間の犯罪によって、両国の関係が損なわれることを私は望まない」としている。

この事件を中国敵視の材料に使いたい日本の一部政治勢力にとってはさぞ都合の悪い手紙であったろう。


「暴支膺懲」の勢いの日本政府

 石破茂氏は自民党総裁に選出された直後に、フジテレビの「The Prime」に出演した。司会者は、中国の「領空侵犯」「空母”遼寧”による接続水域航行」、自衛隊護衛艦「さざなみ」の台湾海峡初通過など日中の軍事的対立に注目させた上で深圳の事件を出して、「強い対抗措置」や「大使召還」といった言葉で敵意を煽った。

石破氏も怒りを露わにし「9・18」の日を「反日的」報道や情報が多く出る日と言っていた。自民党では比較的戦争責任を理解していると言われている石破氏でさえ「反日」という言葉を使う。その後石破氏は10月4日の所信表明演説で、中国の「東シナ海や南シナ海における力による一方的現状変更の強化」とセットでこの事件を持ち出し、「断じて看過しがたい」と言った。

戦時の「暴支膺懲」という言葉を思い出す。この事件が戦争準備に使われているのだ。

 殺人は当然どこの国でも許されないことだが、100%防ぐことなどできない。日本でも中国人が殺傷される事件が起きている。昨年11月、千葉県松戸市で中国人女性が日本人男性2人に殴打されて死亡した。今年7月には、大阪で中国人観光客が日本人男性に刺された。これらの事件が外交問題に発展したという話は聞いていない。

9月23日、ニューヨークで行った会談にて上川陽子外相は中国の王毅外相に対し、「根拠のない悪質で反日的なSNS投稿等は、子どもたちの安全に直結し絶対に容認できない」として、「早急な取り締まりの徹底を強く求め」た。

SNSでの極端な発言はどちらの国にもある。中国政府は悪質なサイトや投稿は削除する対策は取っている。だが、ふだんは中国の情報統制を批判している日本が、こういうときだけ「もっと統制しろ」と中国に指図しながら、自分たちは何もしていない。


「日本人でも中国人でもある」

 殺された子は、「日本人でも中国人でもある」子である。国籍が日本だからといってその子が日本人で、それ以外ではないということではない。この子の中国人アイデンティティを無視して「日本人が殺された!」とだけ言うのは、「中国人なら殺されても無視していい」と言っていることと一緒である。

また、もしこの子の父親が中国人で母親が日本人であったとしたら、日本の政府やメディアはここまでこの子を「日本人」として見たであろうか。「子どもは父親の家の子」という家父長制的考えがあったのではないか。事件への反応はジェンダー問題もはらむと思う。

 日本政府とメディアは、被害児童の中国人アイデンティティを引き剥がし、日本の中国敵視の道具に使ったことを反省してほしい。

今こそ日中の市民が交流と友好を深め、ネット上に流れる憎悪的な言論にも共に立ち向かえるような信頼関係を築くことが大事ではないか。それが被害者への一番の追悼になるのではないかと、私は思う。

(転載以上)


Tuesday, September 24, 2024

深センの日本人学校生徒殺害事件:被害に遭ったのは日本人でもあり中国人でもある「沈」さんという男の子 The victim of the murder of a Japanese school student in Shenzhen is half-Japanese and half-Chinese whose family name is reported as 沈 (Shen)

昨日からきょうにかけてXに投稿したことを一部修正して記す。

深センで殺害された中国人と日本人のミックスの男の子の父親によるものということで拡散されている手紙

Facebook でも王景賢さんが翻訳をシェアしている。

これについてだが、さきほど、中国出身で米国で大学教員をしている友人にこの手紙について聞いてみた。その友人によると、香港のフェニックスニュースをはじめとする報道各社が報道し、中国では広く拡散されたが、その後多くの媒体は削除したようだ。その背景には、この記事を受けて中国市民の、この犯罪と、極端なナショナリスト思想を持つ者たちへの怒りが爆発したことが背景にあったようだ。

圧倒的多数の中国市民はこの犯罪に怒り、悲しみ、遺族への追悼の気持ちと日中友好への思いを表明している。事件現場を訪れ花をたむける人が絶えない。フェニックスニュースの報道を友人がシェアした証として、スクリーンショットをここに置く。


「3天前」とあるが、それは友人がこの報道をシェアした9月20日、3日前のことだ(北米時間)。見出しは「深センで殺害された10歳日本人男児の父親「航平は日本人であり中国人でもある」と投稿ーフェニックスニュース」

星島網のニュースは今でも読むことができる。

Sintao Daily 星島網のニュースの見出しは「深センで日本人児童襲撃|亡くなった児童の日本人の父親が、中国を憎んでいるわけではなく、悲劇が二度と起こらないことを願っていると手紙で述べたとネットで報じられている。」である。

亡くなった子は父親が日本人で母親が中国人のようだが、もしこれが逆で、父親が中国人で母親が日本人だったり、中国名を名乗っていたりしてたら日本の政府メディアやナショナリストたちのリアクションはまったく異なっていたであろう。この事件への反応はジェンダー問題、家父長制問題でもある。

中国人でもあり日本人でもあるミックスの子を「日本人が殺された!」と大騒ぎするのは、逆にこの子の半分である中国人アイデンティティを完全に無視していることになり、「中国人なら殺されても無視していい」って言ってるのと同じですよ。命の選別とも言っていい。このことを受けて、複数のアイデンティティを持つ子たちがどれだけ動揺して、大人への信頼を失っているかと思う。

もし日本で、日本人と米国人を親にもつ子が日本人に殺されて、米国政府、メディア、民衆までもがいっせいに「米国人が殺された!日本はこわい!日本はけしからん!反米教育のせいだ!」みたいに騒がれたらみなさん、「被害者は日本人でもあるのに」って思いません?ふつうだったら殺された子の属性を取り上げて大騒ぎするのではなく、許されない犯罪として、死者を悼み、その国の法律で裁くのを見守るのが当然なのに、今回の大騒ぎはやっぱり日本人(政府、メディア、民衆)に蔓延している中国敵視がベースにあるとしか思えないです。

中国で、日本による中国侵略戦争の歴史を教えることが「反日教育」とか言う人たちは、米国による広島・長崎の原爆投下や全国の都市空襲を記憶し教えることを「反米教育」だと思っているのでしょうか。自国中心主義的なダブルスタンダードはやめよう。
と書いた後に、「中国の公式通報記録では、被害男児の苗字が沈です。」とのリプをもらった。たしかにこの星島の報道にもそうある。

父親の手紙であるとされる文書には「小山純平」という名が記されている。これが本当なら、日本人の「小山」さんを父に、中国人を母に持つ子どもの姓が「沈」さんだということになる。日本は結婚したもの同士に同じ姓を強制的に使わせる国だが、中国はそうではなく、それでも子どもの姓は父親の姓に合わせることが多いようだがが、母親の姓のときもある。また、ミックスの子どもたちは、ときと場合に応じて父の姓と母の姓を使い分けたり、セットで使ったりすることもある。だからこれは十分有り得ることだ。

先日Xでも書いたが、複数の国籍の間に生まれた子の「国籍」をどうするのかというのは国の規定やその家族の事情などいろいろなことを鑑みた上でその家族が決める個人的な選択だ。ある子が日本国籍を持っているからといってその子のアイデンティティが「日本人」でそれ以外ではないということではない。この子は中国人でもあり日本人でもある子だ。いずれにせよ、ある人が殺されたときその国籍の如何で政治的な意味づけをするのは間違っている。殺人事件は許されないことであり、その地の法律で裁くことだ。

いまわかっている情報では、被害に遭ったのは日本人でもあり中国人でもある「沈」さんという男の子であるということだ。

しかし上の「花」アカウントさんが言うように、日本政府やメディアは、「沈」さんという名前であると報じられていることも無視している。この子が中国人でもあり日本人でもあるというダブルのアイデンティティを持つこともほとんど語らない。なんとしても「日本人がやられた!」というナラティブに固執したいのであろう。

日本市民は政府やメディアのナラティブに惑わされず、この事件の被害者を中国の市民と共に悼み、被害者と遺族の痛みに心を寄せるという当たり前のことをしてほしいと思う。@PeacePhilosophy  


 

Tuesday, September 17, 2024

Webinar on October 4 (October 5 in Japan): Cover-up? Sexual Assaults Continue in Militarized Okinawa 10月5日(日本時間)英語ウェビナー:隠蔽か?止まらない沖縄の米軍性犯罪 

REGISTER NOW at this link: 登録リンクはこちらです!

https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_LyCB7l6ZQ3yp2rBNR03XpA



    In March of this year, a man stationed at Kadena Airbase in Okinawa was indicted for the kidnapping and sexual assault in December 2023 of a girl under 16. Only when it was reported in the local media on June 25 did the Japanese government in Tokyo inform the Okinawa Prefectural Government of the indictment. It was also revealed that a Marine was charged with attempting to sexually assault a woman in May. The delayed reporting of these cases is widely viewed in Okinawa as a Japanese government cover-up.


     Sexual assaults have plagued Okinawa ever since U.S. forces first arrived there in 1945. According to Okinawa Women Act against Military Violence (2023), there have been 655 rapes, attempted rapes, and attempted kidnappings. These figures are just the tip of the iceberg; sexual violence is always under-reported. With U.S. and Japanese courts hardly delivering any justice for the victims, whose families and communities are hosting the bases purportedly for the protection of people throughout Japan, these assaults have sparked some of the largest demonstrations and sustained grassroots action against U.S. bases. In the aftermath of the 1945 battle, American soldiers kidnapped women and girls from refugee camps and raped them. A five-year-old was raped and murdered in 1955. In recent decades Okinawans have organized huge anti-base rallies, such as after the gang rape of a 12-year-old girl in 1995, and after the rape and murder of a 20-year-old woman in 2016.


   Okinawa reverted from twenty-seven years of U.S. military occupation to Japanese administration in 1972, but the bases still occupy large areas of land, with U.S. forces numbering some 26,000. Okinawans are burdened with 70% of the total U.S. military presence in Japan. Yet their island chain accounts for only 0.6% of the nation's total land area and about one percent of Japan’s population. In addition to sexual assaults, the bases bring noise from military airfields that interrupt classes in schools and disturb the sleep of local residents. Leakage of PFAS "forever" chemicals poison the drinking water. Aircraft crashes and drunk-driving kill local residents.


We, the Okinawa Interest Group, invite you to join us on the 4th of October (the 5th in Japan) with two featured guest speakers, Suzuyo Takazato and Alexis Dudden.


Suzuyo Takazato, Co-chair of Okinawa Women Act against Military Violence and a former member of the Naha city council, helped establish a rape crisis center for the victims of military sexual violence and has worked for peace by resisting the militarization of Okinawa.


Alexis Dudden, Professor of History at the University of Connecticut and Visiting Professor of Japanese Studies at the National University of Singapore, helped organize a 2015 letter signed by a group of American academics condemning Japan’s denial of the history of its military sex slavery. A recent piece of hers, “Okinawans must not be overlooked in new US–Japan counter-crime forum”, has been published in the East Asia Forum.


Steve Rabson, a member of the Okinawa Interest Group and professor emeritus of Brown University will comment on the guest speakers’ talks.


As with our previous “open press conference,” we will set aside time for participants to ask questions to our two speakers. Let’s gather online to study and benefit from the insightful analysis of two leading feminists on topics such as the patriarchal values that run deep in the military community of the U.S. bases in Okinawa.


Contact: okinawastatement2024@gmail.com


Sunday, September 08, 2024

神奈川新聞にとりあげられました Kanagawa Shimbun reported "Nikkei Diaspora Statement on Japan’s Denial of the Great Kanto Earthquake Korean & Chinese Massacre of 1923"

 「1923年の関東大震災後の朝鮮人・中国人大虐殺に関する国家責任を否認する日本政府に対する日系ディアスポラ市民団体による共同声明 Nikkei Diaspora Statement on Japan’s Denial of the Great Kanto Earthquake Korean & Chinese Massacre of 1923」が、神奈川新聞に取り上げられました。

「関東大震災時の虐殺否定は卑劣」北米の日系人グループが日本政府を非難

https://www.kanaloco.jp/news/social/article-1106835.html

関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺を巡り、米国やカナダで平和教育活動を行う「ピース・フィロソフィー・センター」など複数の日系人グループは1日、歴史を否定する姿勢をとる日本政府を「卑劣」と非難し、普遍的人権の擁護を尊重し、支持するよう求める声明を出した。

 声明では、歴史学者らは大震災時の虐殺について「ジェノサイド(民族大量虐殺)として国家が責任を負わねばならない国際的犯罪だと主張してきた」と指摘。十分な証拠や生存者の証言があるにもかかわらず日本政府が「率先して歴史を否定」していることは、「帝国主義的価値観と野望の再起を示唆する卑劣な姿勢」と非難した。

 また、人種差別主義者が、差別対象の集団について「国や社会にとって危険」などと思い込むような偏見は、「大量虐殺を可能にする」と懸念。その上で、加害者や子孫がこれらの「負の遺産」を継承しないよう「国家は歴史を認め、国家責任をとり、過去の過ちを精算すべき」と強調し、人権侵害の被害者に対する国際法の基準である、公式謝罪や真相解明、被害者や遺族への賠償などを求めた。



 

 

Saturday, August 31, 2024

1923年の関東大震災後の朝鮮人・中国人大虐殺に関する国家責任を否認する日本政府に対する日系ディアスポラ市民団体による共同声明 Nikkei Diaspora Statement on Japan’s Denial of the Great Kanto Earthquake Korean & Chinese Massacre of 1923

「関東大震災絵巻」(淇谷 作;新井勝紘氏がネットオークションで入手)より、朝鮮人虐殺場面と見られる画面 The part that appears to be a scene of slaughter of Koreans in the aftermath of the Great Kanto Earthquake 1923, from Kanto Daishinsai Emaki, by Kikoku, discovered by Arai Katsuhiro) 

Today, September 1 (August 31 in North America), marks the 101st anniversary of the Great Kanto Earthquake in 1923, after which over 6,000 Korean and about 800 Chinese people were killed by the Japanese police, military, reserve soldiers, vigilantes, and other civilians, encouraged by the propaganda by the Japanese government that Koreans were committing crimes (they were not). It is one of the worst hate crimes of human history and yet so little known outside of Japan. It happened in the context of the Japanese colonial rule of Korea (1910-45), when Japanese colonial authorities were more and more fearful of the growing Korean resistance. Today, more than a dozen Nikkei groups mostly based in North America have together issued a statement demanding the Japanese government to recognize the history, not deny it, and take measures to right the wrong. Peace Philosophy Centre is one of the endorsers of this statement, and we can be reached at peacephilosophycentre@gmail.com. 

きょう9月1日は、1923年の関東大震災後の朝鮮人や中国人の大虐殺事件の101周年です。この節目にあたり、米国とカナダの、日系の市民グループが集まって声明を出しました。この歴史は日本国外ではあまり知られておらず、日本国内では逆に否定論がはびこり、日本政府や東京都もこの歴史を認めないという異常事態が続いています。以下、英語版、日本語訳と続きます。当ピース・フィロソフィー・センターも賛同団体の一つですのでお問い合わせ等は peacephilosophycentre@gmail.com で受けられます。

Nikkei Diaspora Statement on Japan’s Denial of the Great Kanto Earthquake Korean & Chinese Massacre of 1923

August 31, 2024

Vancouver, San Francisco, Los Angeles

Today we speak in one voice on the 101st anniversary of the Great Kanto Massacre — the violent mass murder of over 6,000 Koreans and an estimated 800 Chinese throughout the Kanto region of Japan, solely on the basis of their ancestries.

Historians have asserted that the Kanto Massacre was an act of genocide: an international crime for which the state must be held responsible. However, Japan denies its own history, despite an abundance of evidence and survivor testimonies. 

We unequivocally condemn Japan’s denial of state responsibility in the Kanto Massacre as a cowardly act that signals an alarming resurgence of imperial values and interests. The majority of Korean and Chinese victims of the Kanto Massacre were pushed out of their homelands colonized by Imperial Japan. These migrants fueled the imperial war machine as disposable labor, in weapons factories, infrastructure development, mining, and so on. During the Japanese aggressive war against China from 1931 to 45, Japan forcefully mobilized women and girls from Korea, China and other areas, in the Japanese military sexual slavery system. It was through their exploitation that the Imperial Japanese government pursued nation-building and waged wars of aggression throughout the Asia Pacific.

We are a diverse group of North America-based diaspora, predominantly Nikkei, Zainichi Korean, and Zainichi Chinese of diverse genders, representing more than a dozen social justice organizations throughout Turtle Island, also known as the United States and Canada, where European settlers committed genocide against the Indigenous people to steal their land, resources, and traditional knowledge. Settlers went on to benefit off the enslavement of people from the African continent, and following emancipation, Asian ‘coolies,’ in their imperial pursuit of Manifest Destiny on their backs. 

For ten months now, we have seen the live-streaming of genocide funded by our tax dollars — of well over 40,000 Palestinians, according to Gaza’s health ministry — by the settler-colonial state of Israel, which has been waging a 75-year campaign to dehumanize and erase the Palestinian people with American weapons, under the cover of the U.S. in the name of “military necessity” and “national security.” 

Today, in the United States, there is increasing hate and violence against LGBTQ people. In 2024, more than 600 legislative bills against transgender people have been submitted, 44 of which have been signed into law. We believe it is not a coincidence that hate crimes against LGBTQ people are on the rise. When the state controls sexual, gender and reproductive functions of the population and excludes specific groups as a burden or threat to the whole society, then history has already shown us they can be subject to wholesale violations, if not elimination. 

During WWII, support among Americans and Canadians for the mass incarceration of their fellow citizens solely due to their Japanese ancestry was considered patriotic. Therefore, we know firsthand that racism is the real threat to human rights. Racist assumptions of inherent criminality, immorality, and defectivity are precisely what makes genocide possible, and are directed against victims of genocide the world over, including against the Koreans and Chinese in Japan in 1923. 

All future generations deserve a country that has resolved its past mistakes so future descendants of perpetrators do not have to inherit problems for which they are not personally responsible. Acknowledgment of the Kanto Massacre is a necessary first step towards a genuinely post-imperial Japan. Furthermore, we demand the Japanese government meet international standards for state accountability to victims of human rights violations that include, but are not limited to, an official state apology, full investigation and disclosure of the truth, reparations to victims and victims’ families, guarantees of non-repetition, and teaching this history in the textbooks for future generations. 

To deny state responsibility, and the racism that it promoted, comes at too much of a cost, shattering the real possibility of equality and peace. For example, the arsonist who in 2021 burned Zainichi Korean residential buildings in Utoro, Kyoto, as a show of hostility toward Koreans. Back in 1923, under the government's blessings and encouragement, it was the civilians and leaders of fire stations or local neighborhood groups that took up arms and “valiantly” went after the “criminal” Koreans in Emperor’s name. 

You — the Japanese government — are responsible to humanity, and above all to your own constituents of today and tomorrow. In the name of all peace-loving people of Japan and Nikkei around the world, we call on the government of Japan to take the opportunity now to respect and uphold the value of human rights today, in order to guarantee a future that is inhospitable to genocide against any group and thus, can promote lasting peace and security for all.

Lastly, but not least, we wish to convey our collective condolences to all families of victims. May the souls of our ancestors rest in peace, and their memory a source of our collective solace and strength. 

We are: (organizations listed in alphabetical order) 

Article 9 Canada, Canada

Eclipse Rising - US/Japan

Hiroshima Palestine Vigil Community, Hiroshima

J-Town Action and Solidarity, Los Angeles

Nikkei Decolonization Tour (NDT), San Francisco Bay Area/Japan

Nikkei Resisters, San Francisco Bay Area

Nikkei Uprising, Chicago

Nikkei Vancouver for Justice, Vancouver

Nodutdol, US

NoNukes Action Committee, San Francisco Bay Area

Paper Cranes for Palestine, Toronto

Peace Philosophy Centre, Vancouver

San Francisco Comfort Women Justice Coalition, San Francisco Bay Area

Trans Rescue Action, San Francisco

Youth Forum Fukuoka, Fukuoka


日本語訳 


1923年の関東大震災後の朝鮮人・中国人大虐殺に関する国家責任を否認する日本政府に対する日系ディアスポラ市民団体による共同声明


2024年9月01日

バンクーバー、サンフランシスコ、ロサンゼルス


関東大震災後の虐殺から101年目の今日、6,000人を超える朝鮮人および推定800人の中国人が、朝鮮人や中国人と言う属性のみを根拠に日本の関東地方全域で大量に殺害された事件(以降「関東大虐殺」と称する)について私たちは結束して声をあげる。


歴史学者たちは、関東大虐殺はジェノサイドとして国家が責任を負わなければならない国際的犯罪であると主張してきた。しかし日本政府は、十分な証拠と生存者の証言があるにもかかわらず、自ら率先して歴史を否定している。


私たちは、関東大虐殺に対する日本の国家責任の否定を、憂慮すべき帝国主義的価値観と野望の再起を示唆する卑劣な姿勢であるとして断固として非難する。 関東大虐殺の朝鮮人と中国人被害者の大多数は、大日本帝国によって植民地支配された祖国をやむなく後にした人々であった。 大日本帝国は、これらの人々を使い捨て労働力として、兵器工場、インフラ開発、鉱山などに配置し、侵略戦争を支えるために酷使したのであった。また、1931年から45年までの日本の侵略戦争の間、日本軍は朝鮮や中国、その他の地域から女性や少女を強制的に、日本軍の性奴隷制度のために動員した。 大日本帝国政府は、これらの人々を踏み台にして、国家建設を進め、アジア太平洋全域で侵略戦争を繰り広げたのである。


私たちは、主に日系人、在日朝鮮人、在日華僑や在米コリアンからなる、北米を拠点とする民族や性・ジェンダーも多様なディアスポラのグループであり、「米国」「カナダ」として知られているタートルアイランド(注:大陸の形状が亀に似ることから、「亀の島」の意の名称が定着したと言われる)全域に所在する十以上の社会正義団体を代表している。 このタートルアイランドにおいて、欧州人の入植者たちは、先住民族の人々に対してジェノサイドを行い、先住民族の土地、資源、伝統的知識等を略奪した。その上アフリカ大陸の人々を奴隷にし、奴隷解放後はアジアの「クーリー」(注:19世紀産業革命後、欧州帝国や大産業らが挙ってアジアから大量に「輸入」し搾取した労働者たちを指す。大日本帝国も満州等でクーリーを動員した)を労働源に領土拡大を推し進めた。


私たちは10ヶ月もの間、現在進行形のジェノサイドが絶え間なく報道されるのを目の当たりにしてきた。ガザ保健省によると4万人をゆうに超えるパレスチナ人が、私達の税金によって殺戮されているのだ。入植者植民地主義国家イスラエルは、「軍事的必要性」や 「国家安全保障」の名の下に、アメリカが供給する武器を使い、アメリカの庇護の中、75年間にわたってパレスチナ人の人間性ないし命も奪う作戦を展開してきた。


今日、アメリカ社会ではLGBTQの人々に対する偏見、ヘイトクライムやスピーチなどが増大の傾向にある。 2024年には、トランスジェンダーの人々の権利を奪う600以上の法案が提出され、その内44が法制化された。 LGBTQの人々に対するヘイトクライムが増加しているのは偶然ではない。 国家が国民の性、ジェンダー、そしてリプロダクティブ・ライツ、とりわけ中絶の権利を管理し、特定の集団を社会全体に対する負担や脅威として「他者化」する時、それらの集団が大規模な人権侵害の対象となり、ひいては虐殺にもつながることは、歴史が既に証明している。


例えば、第二次世界大戦中、アメリカ及びカナダ社会においては、同じ市民であるにも関わらず、属性のみを根拠に日系人を大量収容することを支持した者は模範的な愛国者と賞賛された。人種差別は人権に対する真の脅威であることを、私たちは身をもって知っている。人種差別主義者が、差別の対象とする集団は本来犯罪を犯したり、不道徳であったり、欠陥を持つ傾向があり、国や社会にとって危険か負担な存在だと思い込む様な偏見は、まさに大量虐殺を可能にするものであり、その差別的偏見は、1923年の日本における朝鮮人や中国人に対するものを含め、世界中で大量虐殺の被害者に向けられてきたものである。


加害者や加担者らの子孫が、歴史の負の遺産を継承することがないように、国家は歴史を認め、国家責任をとり、しかと過去の過ちを清算するべきである。関東大虐殺に関する国家責任を認めることは、真の意味で日本が帝国主義から脱却するために不可欠な一歩である。 さらに私たちは、日本政府が人権侵害の被害者に対しても国際法によって定められた基準を満たすことを要求する。その基準とは、国家の公式謝罪、調査と情報公開を伴う真相解明、被害者と遺族への賠償、再発防止の保証、そして教科書への記載を含めこの歴史の教育を含めるが、これらに限定されるものではない。


関東大虐殺に関しての国家責任の否認は国家が差別を伝播した事実の否認でもあり、それは社会にとって多大の代償を負わせ、平等と平和の実現を妨げるものである。2021年に京都のウトロ地区、在日コリアン居住地で、日本人青年が朝鮮人から日本社会を「守る」と言う目的で放火した事件は当時の差別偏見が継続していることを示している一例である。 1923年当時、政府の推進と奨励の下、武器を取り、天皇の名の下に「犯罪者」視された朝鮮人を「勇敢に」排除したのは、消防署や地元の町内会の指導者たちだった。


日本政府に率直に伝えるが、あなた方は人類に対して、とりわけ今日と明日の日本市民に対して責任があることを強調したい。 平和を愛するすべての日本市民と世界中の日系人の名において、私たちは日本政府に対し、いかなる集団に対してもジェノサイドが再発しない未来を保証し、すべての人々のための恒久的な平和と安全を促進するため、普遍的人権の擁護を尊重し支持することを求めるものである。そして最後にこの場を借りて、ご遺族の方々に対し、謹んで追悼の意を表明したい。


賛同団体一覧(アルファベット順に列挙しています)


Article 9 Canada, Canada

Eclipse Rising - US/Japan

Hiroshima Palestine Vigil Community, Hiroshima

J-Town Action and Solidarity, Los Angeles

Nikkei Decolonization Tour (NDT), San Francisco Bay Area/Japan

Nikkei Resisters, San Francisco Bay Area

Nikkei Uprising, Chicago

Nikkei Vancouver for Justice, Vancouver

Nodutdol, US

NoNukes Action Committee, San Francisco Bay Area

Paper Cranes for Palestine, Toronto

Peace Philosophy Centre, Vancouver

San Francisco Comfort Women Justice Coalition, San Francisco Bay Area

Trans Rescue Action, San Francisco

Youth Forum Fukuoka, Fukuoka


Tuesday, August 06, 2024

石田隆至:日中友好に後ろ向きの社会で、平和の片鱗を見いだすー秋田県大館市の「中国人殉難者慰霊式」参加レポート(月刊『日本の進路』より転載)Remembering the Chinese victims of forced labour by Japan: Visiting Hanaoka, Akita

日本の進路』8月号

6月末、日本の侵略戦争下で強制動員された中国人の蜂起をきっかけに起こった大虐殺事件「花岡事件」(中国語では「花岡惨案」と言われる)の記憶行事に出席するため秋田の大館を訪問しました。案内してくれたのはこの歴史に詳しく、『新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践』(社会評論社、2022年)の共著者である石田隆至さんです。石田さんと共同研究者の張宏波さんの論文はここで読めます

私はかねてから、「平和のための博物館国際ネットワーク」のメンバー館だった「花岡平和記念館」を訪問したいと思っていましたので有り難い機会でした。石田さんが私の感想などもまじえて書いた報告記事が、月刊『日本の進路』383 号(2024 年8月号)に掲載されました。石田さんと出版社の許可をもらってここに転載します。(注:文中の写真は『日本の進路』に掲載されたものではなく自分が撮ったものです。文中のリンクも乗松がつけました。)           @PeacePhilosophy 乗松聡子

秋田県大館市の「中国人殉難者慰霊式」参加レポート

日中友好に後ろ向きの社会で、平和の片鱗を見いだす

上海交通大学副研究員 石田 隆至

 現在の日本で「日中友好」という言葉を口にするには、時と場を選ぶ。〝中国と仲良くしよう〟という当たり前のことを言うだけでも、勇気が必要になったり、なぜなのかと説明が求められたりする。

 去る6月30日に大館市を訪れ、戦時中に強制連行された中国人犠牲者の慰霊行事に参加した。花岡町(現大館市)では1945年6月、苛酷な虐待に耐えかねた中国人800人が蜂起した。強制連行加害の象徴的な地の一つだ。一方、戦後間もない時期から市民が真相究明や、被害者の追悼に取り組んできた。

 大館での慰霊行事では、遠慮や気遣いなく中国や日中友好について語れる。そこに集う人々は、中国に対するゆがんだ情報があふれる日常で、どうすれば友好を前に進めることができるかと日々苦労している。

 戦争での死者を慰霊する行事は、広島、長崎や沖縄をはじめ各地で見られる。誰もが戦争を憎み、平和を希求していても、中国と仲良くしようと言いにくいのはなぜか。

 私は中国と日本を往来する生活をしているが、なんとか時間をつくり、極力参加するようにしてきた。この場に、他にはない魅力を感じてきたからだ。今年は、カナダ在住の平和実践家・乗松聡子氏と一緒に大館を訪れた。同氏は日本各地の戦争/平和関連施設や行事を調査するジャーナリストで、大館は初めてだった。


「大館市」腕章に新鮮な驚き

 慰霊式の会場に到着してすぐ、乗松氏は「新鮮な驚きを覚え」たという。会場の「交通整理をしていたスタッフが『大館市』という腕章をつけていた」からだ。

殺された429人の人々へ追悼の
言葉を述べる福原淳嗣大館市長
〈これは本当に自治体が正規に主催している「慰霊式」なのだと実感しました。「群馬の森」の朝鮮人強制連行を記憶する碑を、右翼の圧力によって群馬県が撤去してしまうという事件が起きたばかりです。日本中で、あるいは海外においても大日本帝国の加害を記憶する行為が、右派や日本政府の攻撃に遭っている時勢です。そんな中で、大館市長、市議会議員、地元選出国会議員までもが参列し、被害者の子孫や中国政府の代表も見守る中、日本の侵略戦争を反省し、「花岡惨案」を二度と起こさないことを誓い、日中不再戦を願う式典が、右翼の妨害もなしに開催されていることに新鮮な驚きを覚えたのです。〉

 乗松氏は普段から、「漠然とした平和教育」よりも加害の歴史を伝える必要があると訴えている。足元で起きた過ちを直視することこそ慰霊であり、それが平和をつくる砦となる現実に感慨を覚えたのだろう。「植民地支配や侵略戦争における残虐行為の被害者を追悼する式典が、加害側の政府や自治体主催で開催されている場所は他にあるだろうか」という指摘にはハッとした。

 また、市主催の慰霊式が続く上で、市民の努力が基礎になっていたと知り、納得したところがあるという。

〈地元の人たちは残された被害者の遺骨を1950年代から見つけ出し、真相究明を試みてきた。また、被害者や遺族を探しあて、花岡での強制連行とそれがもたらした大虐殺の被害者を追悼・記憶し、日中友好をふたたび築く努力を続けてきた。だからこそ、こんにちの大館市主催による式典があると知り、市民が主体となることの強さを感じました。〉

 慰霊式での中国大使館のあいさつには例年との違いを感じた。429人の中国人犠牲者を哀悼し、地元の真摯な取り組みに敬意を表する前半に続き、「この日を〝平和の日〟として中日双方の市民が思いを新たにしていることは、両国が平和的に発展していく一つの姿だ」と述べた。日中関係の悪化ばかりが伝えられる中、「平和的な発展」だという言及は、別次元の関係がこの地に生まれていることを指摘している。目を背けたくなる悲惨な戦争犯罪が行われた地で、一人一人が毎年その事実に向き合い、反省を再確認し、二度と繰り返さないことを誓い合う。その積み重ねこそが、日中間の壁を少しずつ取り払い、小規模とはいえ確かな平和が生まれつつあることを強調したといえる。


遺族も含め市民の取り組みに

 市が主催する慰霊式の他に、市民による独自の取り組みも見られる。

 前日には「フォーラムイン大館」があり、100人ほどが参加していた。以前は被害者が中国から駆け付け、往時の苦境や戦後の苦労、現在の心境などを語ってきた。1995年に謝罪と賠償を求めて鹿島建設を提訴し、2000年に東京高裁で「和解」が成立するまで闘争拠点だった。被害者が逝去した今は、遺族が参加している。家族もまた経済的、社会的に、また心身面でも戦後長く苦労したことを知れる機会は貴重だ。

花岡平和記念館の展示より。着の身着の
ままで厳寒の冬も働かされた。
 気になったのは、遺族が鹿島花岡訴訟を「段階的勝利」と呼び、「賠償金」を得たという表現を使ったことだ。一審で敗訴し、高裁でも判決に至らず、鹿島との法廷「和解」が成立したが、裁判所も鹿島自身も鹿島の法的責任を認めていない。国際法に違反して捕虜や民間人を強制連行し、奴隷労働を強いて虐待・虐殺を続けた明白な事実がありながら責任を認めない姿勢は、慰霊式を貫く精神とは対極的だ。「段階的勝利」と呼ぶのは、そうした保守的な日本の限界が念頭にあるのだろう。だからこそ、被害者たちは次に国の責任を求める裁判を起こした。加害主体でさえ侵略の責任を取らずに済む現実は、いま「日中友好」を口にすることの困難さにつながっている。

 市民の手で設立された「花岡平和記念館」も見学した。乗松氏は展示で触れた「過酷な奴隷労働」の実態に「言葉を失った」と語った。


日本社会を照らし進む道標に

 30日午後には、「日中不再戦友好碑をまもる会」の76回目の慰霊祭にも参加した。会場である信正寺は、中国人が奴隷労働をさせられた花岡川の目の前にたたずむ。敗戦後、鹿島が被害者の遺骨を投げ出すように信正寺に託したのも、その無責任さを示す。対照的に、代々の住職は殉難者の供養を行い、市民と共に現在まで慰霊を続ける。寺院もまた地域社会の反人道的犯罪に向き合い、宗教的使命を果たそうとしてきた。

市民主導の信正寺での追悼行事

 50人ほどの参加者は事実をゆがめる教科書の採択に反対する元教員など、各自の普段の平和実践について報告し、励まし合った。「平和が大切」という一般論ではなく、加害の現実から出発した、具体的で自戒を伴った平和実践といえる。だからこそ、乗松氏が政府による中国敵視、その背後にある米国による中国包囲に言及すると、共感をもって受け止めた。

〈官憲や加害企業だけでなく、市民も加担した加害の歴史に70年以上にもわたって向き合うのは、決して容易ではなかったと思う。地元の方々の思いがひしひしと伝わってくる会でした。〉

 乗松氏自身も、カナダで日本の加害を記憶する活動を進めると、日系人社会やメディアから激しい反発を受けた経験を持つ。だからこそ、大館市民が過ちに対峙することがいかに貴重なことか、身をもって感じたのだろう。それでも、この取り組みを特別視するのではなく、日本社会を照らし、進むべき道標にする必要があると氏は述べる。

 花岡では、反発や抵抗があっても強制連行の蛮行に具体的に向き合い続けた人々が、被害者との新たな関係、言うなれば平和の片鱗を生み出しつつある。

(転載以上)