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Thursday, March 05, 2009

My Article in Nikkei Voice March 2009

The following is my article in Japanese from the March 2009 edition of Nikkei Voice. 「日系ボイス」2009年3月号掲載の拙文です。08年末、09年2月号の投稿を受けての記事ですので、それらの記事は下記リンクをご覧ください。

篠原「日本の現代史と海外に暮らす子供たち」(年末号)、「親と教育者はどう対処すべきか」(二月号)

歴史に対する感受性養い 縦と横の理解が必要

乗松聡子●バンクーバー


 「日系ボイス」紙上で過去二号に亘り、カナダで育つ日系の子どもが学校で「日本人はキライ」といった発言をされたことについての紙上ディスカッションがなされている。二つの投稿記事を読んで、私なりの意見を述べたい。

 読んでまず率直に抱いた疑問は、「そのような発言、社会現象として論ずるほど頻繁にあることなのか?」ということだった。 一二年間バンクーバーに住んで、大学で中国人や韓国人に異文化交流を教え、アジア系がたくさん住む町で子育てをし、子どもの学校の活動にも参加してきたが、そういった経験はほとんどなかった。   

 私は平和教育や活動に携わっている関係上、敢えて歴史認識問題を学生や、子どもの友人の親たち(中国や韓国系)に提示することが多い。そういうとき、むしろ「今の日本人を悪く言ってはいけない」、「政府の方針と一般市民を一緒にしてはいけない」、といった冷静なコメントを聞くことのほうが圧倒的に多い。逆に当地の日本人側から「中国人や韓国人は昔のことで恨みつらみばかり言う」とか「日本軍慰安婦問題を扱うことは日本人への嫌がらせ」といった客観性を欠く発言を聞くことは決して少なくない。

 しかし、これは私の個人的な経験であって、データを取っているわけではないので、カナダの教育現場ではそんな発言はほとんどないと断言もできない。たとえ滅多に起こらないことでも起こったときにどう対処するかを論じるのは意味がある。

 私が提起したいことは、「日本人はキライ」発言を、いじめや人種差別発言と解釈するのは正当ではあると思うが、そこで思考を停止してはいけないという点である。私のユダヤ系の友人は親戚をナチのホロコーストで多数失っている。その人は自分の両親や自分自身は直接の被害者ではないにも関わらず、未だにドイツの地に足を踏み入れることはできない。心理的抵抗感があるのである。ドイツ政府や市民は歴史を直視し反省していると頭ではわかっていても、心の中に民族、親戚の痛みや苦しみを継承しているのであるこの人の態度を、一概に「ドイツ差別」と一蹴できるだろうか。ユダヤ人がたどった歴史を考えると、この人の感情はまず「解釈する」ことよりも、「理解する」ことが大事なのではないだろうか。「日本人キライ」発言も、それが差別発言だとかイジメだとか解釈すると同時に、こういった発言がどういう背景から来ているのかを考察することをしなければ表層的な理解に留まってしまうだろう。

 私は、歴史的事象の理解には「横割り」の理解と「縦割り」の視点の両方が必要だと考えている。例えば憲法九条の改変の議論にしても、日本は普通に軍事力を持つ国になるべきだとか、中国や北朝鮮の脅威があるといったといった現在、つまり横割りの見方だけでは足りない。九条は日本の戦争が何千万もの命の犠牲をもたらした末に国際的信用を回復するために持った条項であること、といった縦割りの歴史的側面にも目を向けて議論する必要がある。

 「日本人キライ」発言の議論に戻ると、その発言自体に差別や疎外の要素があることの認識と同時に、それを発言した子の家族や親戚が日本軍からの被害を受けたのではないか、直接の被害ではなくても、日本軍に踏みにじられた国や地域、民族の痛みを引き継いでいるのではないかという想像力が直ちに働くような感受性を、指導する教師が持っていることは不可欠である。そういった歴史的な感受性を持って対処するのとそうでないのとでは、その出来事からどう学び、言われた方、言った方双方にどのような教育的効果をもたらすかに大きな違いを生むだろう。

◆二つの聖地
 「感受性」などと偉そうなことを言って自分にあたかもその感受性が備わっているかと言ったらそんなことは全然ない。昨年一〇月、平和博物館会議で広島に行った際に韓国の平和運動家、金英丸(キム・ヨンファン)さんと平和公園を歩いていて指摘されたことがあった。「原爆慰霊碑の横のあの巨大な日の丸、知ってた?」いや、知らなかった。毎年平和学習の旅で広島を訪れていたのに、気付いていなかった。これは、護国神社(靖国神社の地方版のような存在)にも国旗掲揚台を作ったような「広島県日の丸会本部」という団体が和天皇の誕生日に寄贈したものだった。

 在日コリアンで社会学者の姜尚中(カン・サンジュン)は、『ヤスクニとむきあう』(めこん、二〇〇六年)の第二章『靖国とヒロシマーふたつの聖地』で、原爆は人類の罪と位置づけ、ヒロシマは国際的な意味を持つ平和の聖地である一方、靖国は天皇の戦争を聖戦と考える、日本国内でしか通用しない戦争の記憶の場所であると述べる。その上で、「戦後、日本政府および日本人はこの二つを、聖地として、並列して、矛盾しているという意識すらなく、受け入れてきた」と指摘する。原爆慰霊碑と仲良く並び翻っている巨大な日の丸に、この矛盾の象徴を見た。そして、何よりもショックだったのは、韓国の友人に指摘されるまで自分はこの日の丸の存在にさえ気づかなかったことだ。

 多くの人、特にアジアの隣人たちにとって日本の侵略戦争の象徴と見られる日の丸の旗が金さんには見えていたが自分には見えていなかった。この「見えていなさ」が一番怖いものなのだ。見えていないものは見えていないということにさえ気づかない。それに気づくには、見えている人たちの声に耳を傾けるしかないのだ。

 「日本人キライ」という発言の中にも、多くの日本人に何「見えていない」ものがあるのではないか。日本では戦時中の日本軍の加害行為について教えられることは少ないが、私たち日系カナダ市民は、「知らない」では済まされない。いや日本にいる日本人だって「習っていない」では済まされないのだ。歴史を学び、日本軍の暴力の被害者の声に耳を傾け続ける必要がある。「日本人キライ」と言われた日系人の気持ちだけ考慮するのなら、問題の半分しか扱っていないことになろう。

2 comments:

  1. Yumiko4:45 am

    「日本人キライ」発言を差別発言と解釈することと同時に、思考停止せずにどのような背景からきているのかと
    考える感受性の育成が必要。

    この聡子さんの主旨に深く同感しました。それに続くユダヤ人の友人の話、9条の話、
    そして二つの聖地の例がたたみかけるように私を大きく納得させました。
    私は留学中に、韓国系や中国系などの留学生からいわゆる”日本人バッシング”を受けたことがありませんでした。
    それどころか、中国人のクラスメイトに、「あの戦争はお互いの政府がしたことで、一般人は関係ないよ。僕はそういう風に
    学んだからわかっているよ。由美子。」と言われたことがあって驚いたことがありました。
    今となっては、もう少し話を詳しく聞いておけばよかったと思うばかり・・・・。
    でも、友達の中には、過去の戦争においてバッシングを受けた子たちの話は聞いたりしました。そのたびに彼らが言っていたのは、
    「 いつまでたってもそんなことを言っていたら仲良くなれない。何のために留学してきたんだろう、彼らは・・・。」
    というようなことでした。
    それに対してすごく違和感があったにもかかわらず、私はきちんとした自分なりの主張はできませんでした。
    でも聡子さんの記事を読んで、今度同じような発言を聞いたら、自分なりに考えを伝えることができそうです。

    「私は、どんな背景がそう彼らに言わせるのかを知りたいんだよね。留学は語学習得だけでなく、異文化理解することも
    大事な目的だと思ってるから、どうしてなんだろう?って知りたいなぁ。」というような感じで・・・・。

    日系ヴォイスの読者にも、聡子さんの理路整然な記事を読むことによって、ぼやけていた自分なりの考えがはっきり
    見えてくる方々が出てくるのではないかと思います。

    そして驚いたのが、広島平和公園の原爆慰霊碑の横に日の丸がありましたっけ???
    私も去年の10月に平和公園を母と歩いたのに全く気づきませんでした。これはこわいですね、ほんとに。
    しかも、「広島県日の丸会本部」という団体があるんですか!!!!はぁ・・・・。
    でもこれも「いやだなぁ。」と思考停止せずに、どうしていまだにこのような団体が影響をおよぼすのかを知ろうと
    することが大事なんですよね。う~ん。

    とにかく、素晴らしい記事をありがとうございました。勉強になりました。

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  2. 聡子さんとSharon Isaacさんの投稿、すごく勉強になりました。



    今思うと恥ずかしいことですけど

    いやな事には知らぬふりをして目をはずしたこともあるし、

    ただ腹が立ってるとしてやつ当たりをしたこともあります。

    自分自身にそんな事などをして「幸せだったのか」と聞くと

    そうではなかったとしか思えませんでした。



    ちえみさんの話を読んで

    言われたくないことを言われたとして

    その事だけに対する対応の仕方を考えてるのではないかと気がして

    いらいらしてましたけど

    聡子さんとSharon Isaacさんの投稿を読んで落ち着けました。



    そして、この前祥子さんが話したCritical thinkingの大事さが再び分かりした。


    個人的な経験からの話なんですけど


    物心がついた頃から今までずっとやっている事が


    情報処理の効率を高めるための、Computerによる人間思考の再構成なので


    私には物事の根本から見ようとする癖見たいのがあります。


    それに加え、いろいろ出来ことがありまして


    「幸せとは何なのか」にすごっく突っ込んでいました。





    ちえみさんが話したように歴史の見解ではいろんな違う意見がありえます。

    だけど、その見解がその裏で本当につらぬこうとすることは何かを

    それに賛同する前にちゃんと考えてみるべきだと思います。



    そしてこの話もちょっと離れてることなんですが、

    今全世界で経済がめちゃくちゃになって大騒ぎじゃないですか。

    それで世界のお金の流れ(Fund,円CarryTrade,石油、戦争などなど)を

    自分の出来る限り調べてみました。

    たいしたことはあんまり知ってないんですけど

    分かれば分かるほど何も知らない(または政治とかに興味のない)人たちを

    利用しようとする人たちが多いと言うことが分かってきました。

    その人たちはPowerのある、いわゆる権力者で

    その人たちは労働の果実(現代社会ではお金ですね)を独占してる場合が非常に多かったです。

    そして、何にも知らない人たちにも分かりやすく、

    そして八つ当たりの出来る交通の敵を作り出して民衆の力を作り出すー

    心理戦にもとてもうまいということです。

    それに、その人たちが提供する情報には事実も多くて

    ある程度は「本当だね」とも思える意見及び見解も多いので

    書いているだけを受け止めるではなく、本当に意味することを

    見ることの出来る洞察力を養うべきだと思います。




    そして無関心のことですが

    聡子さんも、いや人間なら誰でも、親や子供のことを悪口する人がいたら

    腹が立つし、国から離れてすんでいる人なら

    自分の国を自慢にしたいし、いい国でいてほしい気持ちは

    当たり前だと思います。

    もちろん戦争で日本人も沢山死んだけど、それでも日本が戦争で

    殺した人や苦しめた人の数はとても多くて

    たとえ、それがどんなにきれいな理由のうえで行われた

    聖戦(個人的にはこの言葉を聞くたび笑いしか出ないんですけど)だといえ、

    人を殺すのは反社会的なことであり、つまり、悪いことで、

    あってはいけないことです。

    祥子さんの文章にもあったように韓国やほかの国たちが日本の教科書、政治に

    いろいろ言い出すと日本人としては嬉しくないはずです。

    それでは、その日本国民の代理人である政治家達を

    正しい道に導く権利と義務を持ってるのは

    日本国の主人である日本人だと思いませんか。

    Sharon Isaacさんの話を読んでますますそう思うようになりました。


    国家の過ち、たとえそれが自分がしたことでないと言え、

    それをほかの国の人の前で言い出すのは

    楽しい経験ではないと思います。

    だけどそれを承知の上で

    今出来ることをし続いてきた聡子さんがすごいなと思いました。

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