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Thursday, March 05, 2009

Sharon Isaac's Article in Nikkei Voice

This is Sharon Isaac's Article in the February 2009 Edition of Nikkei Voice, in response to Chiemi Shinohara's article from the previous month. I have written an article on the issue in the March Edition.

本紙一二・一月合併号掲載「日本の現代史と海外に暮らす子供たち」を読んで 

「日本人はキライ」発言に、親と教育者はどう対処すべきか

シャロン・アイザック トロント

 「歴史は繰り返す」とよくいわれる。これは人が歴史を学ぼうとしないことへの警鐘であり、たとえ歴史を学んでも、そこから教訓を汲み取ろうとしないこ とへの警告でもあろうか。バーバラ・コロロソ(Barbara Coloroso)は、その著「Extraordinary Evil: A Brief History of Genocide」(「異常な邪悪―民族抹殺計画の略歴」) で学校の中で起こる「いじめ」と民族抹殺の構図は全く同じであることを示し、その巻頭でホロコースト生存者の一人ハイム・ギノット(Chaim Ginott )の言葉を引用している。「私は何人も目撃すべきでないものを見てしまった。経験豊かな技術者によって製造されたガス室、高い教育を受けた医者に毒殺された子供たち、熟練看護婦 に殺される乳児、高校や大学を卒業した人間たちに撃ち殺され埋められる女、赤子たち。だから、私は教育に疑いを持つ。」 世界の状況に照らすと、 空しく切羽詰った危機感を感じざるを得ない。  篠原さんの投稿記事を大変興味深く読ませていただいた。篠原さんは大人の責任、ことに親としての責任に焦点を当てて書いている。そこから少し視点をず らして、過去一八年間、教育現場で子供たち、親たち、教師たちと一緒に考えさせられてきたことを少し述べたいと思う。  「日 本人はキライ」コメントに対して、理不尽であると感じながらも何となく後ろめたく、堂々と振舞えないというような心理状態は、健全ではない。篠原さんの 言われる、歴史的事実を踏まえた理性的な理解に立った反応はもちろん大切であり、家庭という一つの共同体から、少し広がった学校という小社会でも、歴史 を学び、歴史から学び、過去、現在、未来を洞察するというプロセスが必要である。

●情操教育と歴史洞察力 
そのプロセスを導くのは、親であり、また教師であるべきだというのは共感するが、人の行動は知的処理のみで片付けられない。感情によって左右されるの である。裏を返すと、教育というのは、知が心に結びつかなければ意味をなさない。情操教育と歴史的洞察とはどう関わっていけばいいのかが問われるのであ る。  まず、親としては、自分の子供が「日本人はキライ」コメントに対してその場でどういう反応を示すかということに関心があろう。親子の対話の中で、自分 が子供にどういう対応をしてほしいか、また、自分だったらどう対応するかというところから始まり、またそこに帰結するだろうと思う。どんな境遇にあって も人としての尊厳を失わないための道はあるのか。 それを問い続けることで見えてくるものもある。親として、教育者として学校運営にかかわってきたが、どんな小さな学校でも年を重ねるうちに、集団の中 では様々なことが起きてくるものだ。 数年前の八年生のクラスだった。何かと問題の多いグループであったが、中でもどうも他の生徒たちから仲間はずれにされたり、うまく溶け込めない生徒と 転入生の間で 数ヶ月のいがみあいが続いた。挙句の果て、ある日、暴力事件に発展した。事情はどうあれ人を傷つけると刑事犯として警察の介入にまで発展 する 可能性も十分ある。 「そうなったら、学校側は君たちを守ることができなくなる。こんなつまらないことで、君たちの人生に傷がつくことになってしまったらどうする」云々と 事の重大性をわかってもらおうと精一杯脅かしたつもりであった。 クラス全員を個別とグループで事情徴収するなかで、一人の傍観者にいき当たった。その男子生徒いわく「あの二人がああなるのは分かっていたんだ。取っ 組み合いになりそうな気配がしたから、ぼくはさっさとその場を離れたんだ」。 この生徒の冷然として優越感がただようような雰囲気に一瞬愕然としたが、クラスメートとしての「最小限の義務」を説こうと試みた。この生徒は両親の独 断で私立の学校に入れられたこともあってか、「権力」に対する反抗の塊のようで、反応がつかみにくい。(自己の義務責任についてはグループ全体のディス カッ ションに及ぶことになるわけだが、大抵こういうとき前向きに参加するのは、十分に責任感の強い生徒たちである。)

●「いじめ」と「無関心」 
ところで、「いじめ」の問題に向き合う時いつも感じさせられたのは、自分は関係ない、自分は関わりたくない、関われば自分が槍玉になる、親からもそう 言われていると いう「無関心」の態度が支配的になりがちだということである。 一方、当事者たちは、彼が先にやった、彼が僕にやらせた、彼もやった、という三つの言い訳の パターンで始まるのが常である。それを、自分がその時やるべきことは何だったか、次の時はどうしたらいいか、つまり他ではなくどんな場合でも自分にでき る ことは何かを直接当事者同士から出発し全員に考えてもらい、そして謝罪、うまくいくと和解とこぎつけるには、必要なだけ時間をかけた第三者の介入を要す る。 子供と親(直接間接の当事者) 担任の教師=指導者(親代わり) 管理職=脇役(全体のサポート) この三つのベクトル が対立したり、協力し合ったり、ぶつかり合い 、なにがしら血となり肉となる教訓が得られ、少しづつ心が鍛えられていく。ここにあるのはミクロの国際紛争であり、その葛藤のプロセスなのである。それ はトロントという多文化多民族社会に与えられたユニークな教育現場の一面といえるかもしれない。 「日本人は、キライ」コメントに対する後ろめ たさというのは、放っておくと人の心を蝕み、どこかで必ず害を生み出す原因となるので注意を要する。卑屈になったり、罪を一人背負い込むべきではない し、かといって過去の歴史は自分には関係がなく、自分は何もしてないだけで済ませるべきではない。  日本を祖国に持つ日本人として、日系カナダ人として、今を生きる国際人、また人として誇りを持って生きるにはどう心すべきか。これは、一人一人に与えら れた課題であり、誰から与えられるものではない。国や政府や宗教や権力者は言うまでもなく他から与えられるものではない。自由と平和が何もしないで、無 償で得られるものではないように、問い続ければ必ず答えが見えてくるはずである。

●過去を直視する姿勢 
自分は関係なくても事件の中に放り込まれるかもしれない。自分が何もしなくても殺されるかもしれない。親子代々国を追われるかもしれない。 歴史は殺戮の繰り返しであった。今、われわれが生きる社会の一角に繁栄、平和、自由があるならば、それは多くの犠牲の上にかろうじて立っているもので あり、それが継続される保証はどこにもないし、その中で生きていくに似合った意識革命がなされることが必至である。 そして、歴史は繁栄、平和、自由を守るために「第三者」にしかできないことが多々あることもわれわれに教えるはずである。どんな社会を継続していきた いのか、そのために今、こ こで自分にできることは何かという問いへの答えを行動に移していくことが人間としての尊厳を持って生きるための条件である。 私自身は、この歳になっても日本国が過去犯したといわれる「罪」の詳細を未だ学んでいない。近い将来その出会いがあるかもしれない。その私があえて愛 する祖国日本へ伝えたい想いは、国の歴史は世代ごとに洞察、内省、教訓を繰り返し育つものだということである。歴史の教訓を次世代への指針とするなら ば、歴史教育の過程を自らの手で、自らのためにその全てとまっすぐに立ち向かう覚悟で望んで欲しいということである。 日本が過去植民地化をかろうじて逃れてこられたのも、明治維新という世界史に類を見ない「無血革命」を成し遂げられのも、その裏にはそれらを必死で支 えた多大の犠牲があった。その影の力が浮かび上がってくるのを目の当たりにする今の日本には、その力があると確信する一人である。 人間同様に、民族国家も尊厳なしでは生きられない。そして尊厳と謙虚は、人-民族-国家が持つべき両面である。これは、過去十八年生徒たちのミニ国際 紛争の中で私自身が生徒や親、教師と一緒に考え学んで得た教訓である。

*投稿者のシャロン・アイザック氏は、日本で生まれ一六歳の時にカナダに移住してきた。日本語教員、私立学校副校長として長く教育現場にいた。

(編集部)「日本の現代史と海外で暮らす子供たち」に関する意見を募集します。「日本人はキライ」は明らかに人種差別発言ですが、教育現場では「何故キ ライか」を問いかけることも大切です。一方、「日本の現代史」は、未解決の戦争責任問題、米軍による広島・長崎の被爆者問題等、加害と被害の両面があ り、何をどう教えるかが教育者には大きな課題です。「過去を直視する」視点をお聞かせください。

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