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Monday, March 22, 2010

Gavan McCormack's Article on Okinawa and Japan-US Relationship ガバン・マコーマック 対米従属への警鐘 沖縄からの視点

This article is from the March 5 Edition of "Shukan(Weekly) Kin'yobi," a progressive weekly journal in Japan, written by Gavan McCormack, professor emeritus of the Australian National University and editor of Japan Focus. For English readers, see the longer version of the article "The Travails of a Client State: An Okinawan Angle on the 50th Anniversary of the US-Japan Security Treaty" in Japan Focus.

『週刊金曜日』2010年3月5日号に『米国は辺野古から、沖縄から手を引け―今こそウソにまみれた日米安保五〇年の検証を』のタイトルで掲載されたガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授・ジャパンフォーカス編集委員)氏による記事を掲載します。この内容をもっと膨らませた英語記事が『ジャパン・フォーカス』誌に掲載されておりますので併せてご覧ください。

「属国」の労苦
- 日米安保50周年、沖縄からの一視点 -

ガバン・マコーマック

戦争が終わってから六五年もたつのに、日本はいまだにかつての占領国の言いなりである。政府とオピニオンリーダーたちは、自国を占領状態に留めたがり、どんなことがあっても占領者の機嫌を損ねることは避けようと決め込んでいる。特に沖縄では、米軍は武力で奪った土地を今も占領しているのに、日本国政府は彼らの駐留維持のため、気前よく財政貢献を続ける。

また安保に基づく同盟関係を特徴付ける(密約という名の)ごまかしとウソが相次いで暴露されながらも、正式にその釈明を求める声が聞かれない。それどころか、耳にするのは四方八方から同盟の「深化」という言葉だけである。特に米国は、普天間基地の代わりに辺野古に新たな複合軍事基地を建設しなければならないと言い張っているが、日本の識者たちはこれにうなずくのみだ。こうした従属を求める姿勢を、私は「属国主義」と名付けている(注1)。

 「対等性」や日米関係の再交渉を口にする鳩山民主党が与党となりそうな気配が濃厚になると直ちに、、米国は忠告や要求、脅しを矢継ぎ早に送りつけ、民主党に伝統的(自民党的)な従属を強要し続けてきた。自民党時代、イラクに「日の丸を揚げろ」「軍隊を派遣しろ」だの、インド洋に海上自衛隊を派遣しろだのと一貫して要求してきた同じ「日本問題専門家」や「ジャパン・ハンドラーズ」が、今度は「従え!従え!従え!グアム協定を実行しろ!辺野古に新基地を作れ!」と執拗に繰り返している。

 ところが、日本では怒っている徴候がない。それどころか国内では、鳩山とその政府は「現実的」になるべきだなどと、米国の要求をオーム返しに繰り返す声がこだましている。日米両国を知悉する高名な評論家は、「知日派・親日派」の米国人と、「卑屈」な「知米派・親米派」の日本人が一緒に築き、支えてきた不平等な日米関係によって「飯を食ってきた」人々が発するワシントンと東京の空気を、「腐臭」と書いている。(注2)

 今年現行の安保条約が制定五〇年を迎える。この際両国関係を再考し、それをそのままに継続するのか、必要なら、改正するか、ことによっては廃棄も、すべては可能であるはずだ。だが、そうした再検討の試みは、過去の外交記録の隠蔽と特定方向への改定の圧力、そして政治的なレトリックと詭弁によって妨害されている。その結果、「黄金の五〇年」の記念すべき年にあって、日米関係ほど不平等で、無理解と誤解に満ちた二つの近代国家の関係は、想像するのも難しい状態にある。 

日米安保条約のシステムは、その全期間に渡って不平等であり、ごまかしとウソに満ちている。一九六〇年に衆議院で未明に野党不在のまま強行採決された第二次安保条約は、一九五一年の第一次安保条約で本土は非軍事化された「平和国家」日本で、直接米国支配下に置かれた「戦争国家」沖縄という分断状況を、より強固にするものであった。後になって、沖縄がごまかしの典型のような協定で名ばかりの日本施政下に戻されても、この分断は維持された。

前進する沖縄の闘い

なぜごまかしなのかといえば、第一に、沖縄の一九七二年の「復帰」は実際には日本に「返還」された〟のではなく、「購入」されたのだ。日本は、その七年前に韓国に対し約四〇年間の植民地支配の謝罪として支払った額よりも多くを、米国に(実際は米国が握っている資産の〝返還〟という名目で)支払った。第二に、その協定は「核抜き・本土並み」と宣言されたが、決してそうではなかった。「戦争国家」の機能が中心的位置を占め、米軍基地には依然手を付けることができず、米国は(密約によって)核兵器に関する特権に変化はないと保証されていたのだ。沖縄にとって日本国憲法下への名ばかりの編入があったにもかかわらず、その時から現在まで実際には軍事がすべてに優先する原則に従属しており、その意味では皮肉にも、「先軍」国家としての北朝鮮に似ている。

冷戦後に日本本土ではナショナリズムや民主主義、護憲精神の良質部分は、徐々に日米同盟という「より高度な」存在の下に降格されてしまった。しかしながら沖縄では、民主的市民社会が着実に成長し、属国化路線は正当性を確保することができなかった。

その結果、二〇〇五年に沖縄の市民社会は小泉内閣と米国支持者を向こうに大困難を克服し、政府の辺野古沖合基地建設計画を断念に追い込むという驚くべき勝利を勝ち取った。これは、民主主義と非暴力市民運動の歴史における特筆すべき出来事であった。だが政府は〇六年に、辺野古の陸地に接する大基地計画案を携えて反撃に転じた。二つの滑走路を有し、アジア、太平洋全域を射程に収めるハイテク装備の陸海空軍基地計画は、旧式で不便、危険な普天間基地や、当初の沖合ポンツーン式の〝ヘリポート〟のいずれよりもはるかに広大で、多機能な性格を持つ。

 オバマが大統領に就任した二〇〇九年初旬、彼の日本担当顧問たちは、民主党政府のもとで起こり得る政策転換の恐れに対しそうさせないようように、先手を打って素早く行動するよう助言したという。自民党が野党に落ちる直前のことであったが、〇五年の「郵政民営化」選挙の大勝利でまだ自民党が衆院の三分の二を占めている間に、オバマ政権は麻生前首相に衆院で〇六年のグアム協定を正式な条約にさせるため強行採決させ(〇九年五月)、政権の座を目前にした民主党の手をしばったのである。

 〇九年のグアム協定は、日米の力の差を歴然と見せつけた決定的瞬間でもあった。米国は自民党との交渉時間が残り少なくなっているのを承知の上で、早くやれと日本に催促し、日本は不平等(日本に義務が課せられたのに米国は何の義務もなく)、違憲・違法、かつ植民地的でごまかしだらけの協定であれ、とにかく米国の要求に応じたのであった。(注3)だがこの取り決めから漂う「腐臭」に、気づいた人々はほんのわずかであった。

「防衛」とは無縁な海兵隊

 しかしながら沖縄における昨年の総選挙での鳩山民主党の大勝と、続く一月の名護市長選挙の勝利は、民主的なうねりが盛り上がってきたのを示す徴候として受け止められる。普天間基地のどのような「県内移設」にも反対する世論は、ほぼ全県民的なものとなった。名護市長選挙後は、大浦湾に迫る危険は(ジュゴンやサンゴ、ウミガメも含めて)劇的に減りつつあるようだ。一三年間にわたり、期限付きの沖合いポンツーン方式の〝ヘリポート〟が徐々に巨大となり、海を埋め立てて、二本の滑走路を備え、軍港もある〇六年の計画に変貌していくウソとごまかし、策略を目撃し、さらに基地提供の見返りとされた経済的繁栄の約束が当てにならないのを経験した、今日、沖縄県民は再び簡単に騙されはしない。

 二つの選挙は県民に勇気をもたらす一方、選挙は「同盟」関係を揺るがすものであった。辺野古基地建設は、鳩山がかつてのソビエトのように、戒厳令のような反民主的手段をとった場合には、実行に移されるに違いない。しかし「日米同盟」誕生五〇年を祝うための方法としては、かなり変わっている。
ヒラリー・クリントンはこの一月、ホノルルで、「安保条約は、東アジア、とりわけ日本の安全と繁栄にとって不可欠である」と強調した。これこそまさに、クリントン政権の国防次官補だったジョセフ・ナイが、一九五五年に冷戦後も日米安保を継続させるため「再定義」した際の核心的ポイントである。だが、こうした考えは正しいのだろうか。東アジアの平和と安全が沖縄の海兵隊の駐留に依存しているなどというのは、奇妙に歪められた考えだ。冷戦期に想定されたどこかの軍隊が日本を攻撃するような可能性は、現在ほとんどゼロに等しい。

そしていずれにせよ海兵隊は遠征する「攻撃」部隊であって、地上部隊として敵国領土に侵攻する即応態勢が用意されているが、安保条約第四条で明記されているような沖縄や日本の防衛のために駐留しているのではない。一九九〇年以来、海兵隊は日本の基地から湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争に参戦するため出撃していった。

加えて、辺野古の基地計画に関する日本の大騒ぎは、大変な無理解の上に成り立っている。宜野湾市の伊波洋一市長が繰り返し示しているように(注4)、米国防総省は〇六年から、普天間の主力海兵隊部隊をグアムに移転することに決定し、それによってグアムを、東アジア全域と西太平洋をカバーする軍事的要塞・戦略的拠点に強化しようと進めてきた(それによって沖縄の新基地のあらゆる戦略的重要性も削がれる)。伊波市長の分析は、少なくとも部分的には防衛省の高官(柳沢協二・防衛研究所特別客員研究員。『朝日』一月二八日付朝刊参照)によっても裏づけられている。それによれば、沖縄の第三海兵師団は「いつでも、日本以外の世界のどこへでも出動する任務を持つ。特定地域の防衛のためではない」と説明されている。要するにグアム条約とは普天間の代替基地ではなく、海兵隊がタダで受け取り、多国の領土を攻撃できる前進基地として使用する、新しく増強され、複数の機能を備えた基地の建設にこそ関連している。

米軍の恐ろしい本質

ほぼ例外なく、米国政府高官や識者、評論家はグアム条約方式を支持し、日本の民主主義や沖縄の市民社会に理解や好意を示したりなどしない。そして概して日本の識者、評論家も、これに「奴顔」(植民地状況に慣れ切った顔つき。寺島実郎が使っている)で呼応している。『沖縄タイムス』の一月一九日付は、制定五〇年を迎え、「沖縄からは従属関係にしか見えない日米安保を検証するチャンスである」と指摘している。真摯に「見直す」のなら、日本の政治家と官僚から「奴顔」を一掃することが求められよう。

鳩山が五月までに普天間基地の移設先に関する重大決定を延期すると発表した際、国防総省の広報官はこの決定を「認めない」と公言した。ワシントンの匿名の高官は、鳩山を「信用していない」と語ったと伝えられている。ナイは日本の民主党について「経験不足でバラバラで、選挙公約にいまだ捕らわれている」と述べているが、それは明らかにグアム条約を再交渉しようとする試みは許されないということを意味している。

五月までに、鳩山は重大な外交的危機をおかしても米国の要求を拒否するか、それとも遺憾ながら辺野古の「V字型滑走路」基地にとって代わる「現実的な選択肢」がないと表明して米国に屈するかどちらかを選ばねばならないが、後者は国内の政治危機を招く。

 安保条約五〇年の公式的記念行事では、ナイがかつて述べたような米軍が日本と東アジアにとっての平和と安全を保障する「酸素」の根源として讃えられようが、それは日本の市民社会にとって、この「酸素」が世界各地では毒なのだという事実が指摘される機会ともなる。

米軍こそ、次々と各国に破局をもたらす元凶なのであって、朝鮮戦争(一九五〇年から始まり、法的にはまだ終わっていない)、民主的に選出された政府を倒したイランのクーデター(一九五三年)、グアテマラの社会改革を潰すための政府転覆工作(一九五四年)、チリの左派政権打倒クーデター(一九七三年)、ベトナム戦争(一九六〇年代から七〇年代にかけて)、アフガニスタン戦争(二〇〇一年から今日も続いている)、イラク戦争(二〇〇三年から今日も続いている)などが有名だ。そして今では、パキスタン、ソマリア、イエメン、そして(再び)イランを脅かしている。

そこでは不正で違法な武力干渉により、米軍が「酸素」をまき散らすにつれて数百万人が死亡、あるいは国外亡命を余儀なくされ、国全体が破壊される。米国の同盟諸国がどこまでこうした犯罪の責任を負っているかと、オランダ(イラク戦争は実際に非合法で侵略的であったと最近調査委員会が結論づけた)と英国(イラク戦争を検証するチルコット調査委員会)で真剣に討議されている。日本政府の責任も同様に、調査されてしかるべきだ。

 安保条約五〇年を記念する今年は、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として永久にこれを放棄する」とする日本憲法をもちながら、よりにもよって戦争と戦争の威嚇を重要な国策遂行の手段とする国と一蓮托生の同盟関係を結ぶことになったのはどうしてか、そしてそのような国を今後も絶対的に支持し、気前良く財政援助を続けるのかどうか、じっくりと考える機会としなければならない。その第一歩として、今こそ過去五〇年の不平等な条約や秘密外交、ウソ、そしてごまかしを市民がオープンに論議し始めなければならない。

(注1)『属国 米国の抱擁とアジアでの孤立』)
(注2)寺島実郎「常識に還る意思と構想」『世界』二月号)。
(注3)Gavan McCormack “The Battle of Okinawa 2009: Obama vs Hatoyama” http://japanfocus.org/-Gavan-McCormack/3250
(注4)本誌一月一五日号「普天間移設と新基地建設は関係ない」

Gavan McCormack・オーストラリア国立大学名誉教授 

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