アメリカン大学のピーター・カズニック教授を迎え、2月5日に開催された、沖縄県戦後80年シンポジウム「日米安保体制と沖縄-沖縄の歴史から考えるアジア太平洋地域の平和構築-」での乗松聡子の発表原稿をここに掲載します。実際は他の登壇者の発言を受けて補足したり、一部はQ&Aの時間に話したりしているので、完全にこれの通りではないのですが、ほぼこの内容に沿って話しました。
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2.5シンポジウムより(琉球新報ホール) |
いまこそ「加害」を考える 戦後80年
乗松聡子
ご紹介をありがとうございます。今回、沖縄県、玉城デニー知事のご配慮で、ピーター・カズニック教授とともに沖縄を訪問させていただく機会を深く感謝いたします。
きょうは「戦後80年」のテーマのシンポジウムということで、ピーター・カズニック教授とオリバー・ストーン監督の活動を織り交ぜながら、「平和教育」について考えてみたいと思います。
わたしにとって、平和教育とは「平和のための教育」です。平和教育において3つの大切な柱があると思っています。それは1)歴史を被害者の立場から理解すること、2)終わっていない戦争を終わらせること、3)きたる戦争を起こさせないこと の3つです。きょうは時間の関係からおもに1)について話したいと思います。
被害者の立場で歴史を学ぶ
わたしがピーターに初めて会ったのは2006年のことでした。ピーターは1995年以来、アメリカン大学の学生たちを連れて、京都の立命館大学の藤岡惇(あつし)教授が指導する学生たちと共に、8月の原爆投下の記念日に広島と長崎を訪れるという平和学習の旅を続けており、私は06年にこの旅で被爆者の通訳をつとめたことがきっかけで、それ以来毎年参加することになりました。
この旅でピーターから学んだことは、原爆を投下した加害国である米国の大学教授が、毎年広島と長崎を訪れ、学生とともに被爆者の証言をきき、米国の責任を追及する姿でした。これはたとえば、日本の大学教授が毎年学生を連れて南京を訪れ、南京大虐殺のサバイバーの証言を聞くような営みです。自国で反発を受けることもあるでしょうし、容易なことではないと思います。
私はカナダで、アジア系移民の多い街・バンクーバーに住みながら、日本の沖縄に対する植民地主義を含む、日本の加害の歴史に重点を置いた活動や執筆をしてきました。その中で、ピーターのように、米国の加害の歴史を教え、学生に対し、被害者の立場に立つように導く教育者に出会ったことは自分にとって大きなインスピレーションとなりました。
「平和教育」において、自国でなじんだ歴史の見方を転換し、相手の立場にたつ、やられた側の立場に立って考えるということは欠かせないことです。現在の日本と琉球・沖縄、日本と朝鮮・韓国、日本と中国の間に横たわる歴史認識の問題は、すべてと言っていいほど、加害国の日本が、やられた側の立場に立って歴史を学ぶ機会を、教育で十分に提供していないことに起因していると思います。
「加害”も”」ではなく「被害”も”」
わたしも高1まで日本で教育を受けましたがそのような視点が欠如していました。高2、高3と、カナダの国際学校で学び、シンガポール、インドネシア、フィリピン、中国などのクラスメートからはじめて、日本がそれらの国を侵略し残虐行為を行ったということを教わり、衝撃を受けました。それが今の活動の基礎になっています。
こういった発言によって、私は日本の右派から「反日」といったレッテルを貼られていますが、海外に30年住んで日本を外から見てきた者としても、大日本帝国の歴史は、ひとえに侵略戦争と植民地支配の歴史であったことは明白であり、まず「加害」を語るのは当たり前のことです。しかし、日本での「戦争記憶」は、広島、長崎の原爆投下、全国の都市への焼夷弾空襲など、日本が始めた戦争における、最後の半年ほどに集中した、日本における被害に限定されがちです。
よく「“加害も”学ばねばいけない」という人がいます。もちろん何も学ばないよりはいいのですが、わたしは、「も」の場所が間違っていると思っています。日本が開国時から70年余行ってきた戦争の終盤で、「日本の市民“も”被害を受けた」のです。「も」をつけるとしたら「被害」のほうなのです。「70年の“加害戦争”の終盤に、日本人の“被害”もあった」という理解がより史実を反映していると思います。
「広島・長崎」と「沖縄」は違う
沖縄のみなさんに言うまでもないですが、琉球/沖縄は、大日本帝国初期に強制併合・侵略・支配された地域の一つです。他には、アイヌモシリ、朝鮮、台湾、満州、南サハリンなどがあります。このような歴史からも、わたしは、日本の平和教育の「三大聖地」であるかのごとく、「広島・長崎・沖縄」がセットで語られる傾向があることは、問題なのではないかと思っています。
いずれも民間人の大量殺戮という共通点はあるものの、琉球・沖縄は日本による被害を受けた国や地域の一つです。日本の「皇土」を守るための「捨て石」とされた「沖縄戦」、スパイ視による住民虐殺、「強制集団死」にも象徴されています。
それと対比し、広島・長崎は日本国内の軍事拠点でした。原爆投下は大量の民間人を殺し、米国による許されない戦争犯罪ではありますが、日本における侵略戦争の拠点だったのです。簡単に言えば、沖縄は日本にやられる側、広島・長崎は「やる側」だったのです。この3つを同列に考えることで、日本の琉球/沖縄に対する歴史的加害の構造を見えなくしてしまう恐れがあるのです。
現在の基地構造につながる歴史認識
これは現在の日米安保構造を理解する上でも重要なことです。同じ米軍基地でも、沖縄のそれは日本に支配された土地に置かれています。沖縄が選択して置いたわけではありません。沖縄が始めたわけでもない日本の戦争で沖縄が戦場とされたのと同様です。日本の米軍基地は、日本が、少なくとも日本のマジョリティが選択して置いているのです。
よく、在日米軍専用基地の7割が沖縄に集中させられているという不平等が指摘されます。それはその通りなのですが、数値的な不均衡に加え、沖縄に置かれた基地と日本のそれは歴史を鑑みればその本質が異なるということを認識する必要があります。沖縄に置かれた基地は日本の植民地主義の表象、「差別」なのです。そしてそれは米軍基地だけではなく、米軍との一体化が進んでいる自衛隊も、ヤマトにある自衛隊と沖縄にあるそれとでは意味合いが異なります。
これは沖縄の方々には自明かと思いますが、ヤマトの人々にはもっとわかってもらわなければいけない点です。日本人は、琉球・沖縄に対し、自分たちが加害者であるという点が抜け落ちがちなことが多いのです。そこをもっと歴史的な観点から発信していきたいと思っています。それが、沖縄の自己決定権行使を裏付ける歴史認識になると思っていますし、日本人としての責任だと思っています。
★★★
終わらない戦争を終わらせる
オリバー・ストーン監督が2013年にピーターと来沖したときのシンポジウムで「戦争は終わっていない」と断言したように、沖縄に2日間滞在しただけで、基地だけでなく、不発弾、沖縄戦被害者の遺骨で埋め尽くされている沖縄で「戦争が終わっていない」ことは明らかでした。また、東アジアの平和には「朝鮮戦争」を終わらせることが不可欠です。ロシアとは平和条約締結にも至っておらず、ここでも「終わっていない戦争」があります。現在、朝鮮戦争を蒸し返して東アジア版NATOを構築するような動きさえあります。平和のためにはまずは終わっていない戦争を終わらせる必要があります。
来たる戦争を起こさせない
ピーターとオリバーが言ったように、わたしたち海外の人間たちは、繰り返し沖縄の軍事支配をやめよ、戦争準備をやめよと米国および世界に発信してきました。ピーターとオリバーはこの「The Untold History of the United States」(語られない米国史)という本で米国の終わらぬ戦争を徹底的に批判しています。この本の中には沖縄についての10箇所の記述があります。2018年に基地反対の民意を背負ってデニー知事が当選したことを書いていますし、沖縄や韓国での基地をなくす平和運動が「数々の不利な状況にもかかわらず継続している」と書いています。この本は米国の新政権で国家情報長官Director of National Intelligenceに任命される予定のトゥルシ・ガバードTulsi Gabbard氏に絶賛されており、影響力をますます発揮しています。今回、ピーターが7年ぶりに沖縄に来て、見聞きし、体験したことを米国に持ち帰り、アジアでの米国の戦争準備をやめさせる勢力の一端を担ってほしいと思っています。
(以上)
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