篠原「日本の現代史と海外に暮らす子供たち」(年末号)、「親と教育者はどう対処すべきか」(二月号)
歴史に対する感受性養い 縦と横の理解が必要
乗松聡子●バンクーバー
「日系ボイス」紙上で過去二号に亘り、カナダで育つ日系の子どもが学校で「日本人はキライ」といった発言をされたことについての紙上ディスカッションがなされている。二つの投稿記事を読んで、私なりの意見を述べたい。
読んでまず率直に抱いた疑問は、「そのような発言、社会現象として論ずるほど頻繁にあることなのか?」ということだった。 一二年間バンクーバーに住んで、大学で中国人や韓国人に異文化交流を教え、アジア系がたくさん住む町で子育てをし、子どもの学校の活動にも参加してきたが、そういった経験はほとんどなかった。
私は平和教育や活動に携わっている関係上、敢えて歴史認識問題を学生や、子どもの友人の親たち(中国や韓国系)に提示することが多い。そういうとき、むしろ「今の日本人を悪く言ってはいけない」、「政府の方針と一般市民を一緒にしてはいけない」、といった冷静なコメントを聞くことのほうが圧倒的に多い。逆に当地の日本人側から「中国人や韓国人は昔のことで恨みつらみばかり言う」とか「日本軍慰安婦問題を扱うことは日本人への嫌がらせ」といった客観性を欠く発言を聞くことは決して少なくない。
しかし、これは私の個人的な経験であって、データを取っているわけではないので、カナダの教育現場ではそんな発言はほとんどないと断言もできない。たとえ滅多に起こらないことでも起こったときにどう対処するかを論じるのは意味がある。
私が提起したいことは、「日本人はキライ」発言を、いじめや人種差別発言と解釈するのは正当ではあると思うが、そこで思考を停止してはいけないという点である。私のユダヤ系の友人は親戚をナチのホロコーストで多数失っている。その人は自分の両親や自分自身は直接の被害者ではないにも関わらず、未だにドイツの地に足を踏み入れることはできない。心理的抵抗感があるのである。ドイツ政府や市民は歴史を直視し反省していると頭ではわかっていても、心の中に民族、親戚の痛みや苦しみを継承しているのであるこの人の態度を、一概に「ドイツ差別」と一蹴できるだろうか。ユダヤ人がたどった歴史を考えると、この人の感情はまず「解釈する」ことよりも、「理解する」ことが大事なのではないだろうか。「日本人キライ」発言も、それが差別発言だとかイジメだとか解釈すると同時に、こういった発言がどういう背景から来ているのかを考察することをしなければ表層的な理解に留まってしまうだろう。
私は、歴史的事象の理解には「横割り」の理解と「縦割り」の視点の両方が必要だと考えている。例えば憲法九条の改変の議論にしても、日本は普通に軍事力を持つ国になるべきだとか、中国や北朝鮮の脅威があるといったといった現在、つまり横割りの見方だけでは足りない。九条は日本の戦争が何千万もの命の犠牲をもたらした末に国際的信用を回復するために持った条項であること、といった縦割りの歴史的側面にも目を向けて議論する必要がある。
「日本人キライ」発言の議論に戻ると、その発言自体に差別や疎外の要素があることの認識と同時に、それを発言した子の家族や親戚が日本軍からの被害を受けたのではないか、直接の被害ではなくても、日本軍に踏みにじられた国や地域、民族の痛みを引き継いでいるのではないかという想像力が直ちに働くような感受性を、指導する教師が持っていることは不可欠である。そういった歴史的な感受性を持って対処するのとそうでないのとでは、その出来事からどう学び、言われた方、言った方双方にどのような教育的効果をもたらすかに大きな違いを生むだろう。
◆二つの聖地
「感受性」などと偉そうなことを言って自分にあたかもその感受性が備わっているかと言ったらそんなことは全然ない。昨年一〇月、平和博物館会議で広島に行った際に韓国の平和運動家、金英丸(キム・ヨンファン)さんと平和公園を歩いていて指摘されたことがあった。「原爆慰霊碑の横のあの巨大な日の丸、知ってた?」いや、知らなかった。毎年平和学習の旅で広島を訪れていたのに、気付いていなかった。これは、護国神社(靖国神社の地方版のような存在)にも国旗掲揚台を作ったような「広島県日の丸会本部」という団体が和天皇の誕生日に寄贈したものだった。
在日コリアンで社会学者の姜尚中(カン・サンジュン)は、『ヤスクニとむきあう』(めこん、二〇〇六年)の第二章『靖国とヒロシマーふたつの聖地』で、原爆は人類の罪と位置づけ、ヒロシマは国際的な意味を持つ平和の聖地である一方、靖国は天皇の戦争を聖戦と考える、日本国内でしか通用しない戦争の記憶の場所であると述べる。その上で、「戦後、日本政府および日本人はこの二つを、聖地として、並列して、矛盾しているという意識すらなく、受け入れてきた」と指摘する。原爆慰霊碑と仲良く並び翻っている巨大な日の丸に、この矛盾の象徴を見た。そして、何よりもショックだったのは、韓国の友人に指摘されるまで自分はこの日の丸の存在にさえ気づかなかったことだ。
多くの人、特にアジアの隣人たちにとって日本の侵略戦争の象徴と見られる日の丸の旗が金さんには見えていたが自分には見えていなかった。この「見えていなさ」が一番怖いものなのだ。見えていないものは見えていないということにさえ気づかない。それに気づくには、見えている人たちの声に耳を傾けるしかないのだ。
「日本人キライ」という発言の中にも、多くの日本人に何「見えていない」ものがあるのではないか。日本では戦時中の日本軍の加害行為について教えられることは少ないが、私たち日系カナダ市民は、「知らない」では済まされない。いや日本にいる日本人だって「習っていない」では済まされないのだ。歴史を学び、日本軍の暴力の被害者の声に耳を傾け続ける必要がある。「日本人キライ」と言われた日系人の気持ちだけ考慮するのなら、問題の半分しか扱っていないことになろう。