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Tuesday, August 16, 2011

Gavan McCormack: Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa (Japanese Version) ガバン・マコーマック 『欺瞞と外交:米国、日本、沖縄』 日本語版

A Japanese version of Gavan McCormack's article in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus "Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa." Go to LINK for the original article.

不当な基地負担を強いられてきた沖縄の抵抗を世界に伝え続けるガバン・マコーマック氏(オーストラリア国立大学名誉教授)による記事 Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa (The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 5月23日掲載)の日本語版を紹介します(翻訳 伊藤夏子 協力 杉山茂)。(このブログ上のバージョンは脚注がついていません。脚注つきの印刷用にはこちらのリンクからPDF版をダウンロードしてください。)



ガバン・マコーマック 『欺瞞と外交:米国、日本、沖縄』 
2011年5月23日

Gavan McCormack, Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa, The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 21 No 1, May 23, 2011
http://www.japanfocus.org/-Gavan-McCormack/3532


翻訳 伊藤夏子 協力 杉山茂
 
朝日新聞と琉球新報は日本、沖縄、そして日本・米国・沖縄の関係をめぐるウィキリークスが所有する外交公電の一部を公開した。本論は、公開が始まったこの貴重な文書を存分に活用し、40年に及ぶ欺瞞の歴史に位置づけた最初の論文である。ウィキリークスが公表した外交公電に加え、本論はこの2年間に次第に明らかになった日米間のいわゆる「密約」、また、鳩山前首相の「告白」、不可解な「メア事件」、そして最近の米政界における沖縄問題への視点の転換がもたらす衝撃について論じる。

1.「属国」ブルース

現代日本研究者にとって今は悲しい時である。3月に日本を襲った悲劇とチェルノブイリの如き恐怖が引き続き東日本全域に拡大している状況を衝撃と悲嘆なくして見ることはできない。しかし、とりわけ悲しいのは、日本の人々はもっと報いられて然るべきなのに、日本にこれらの問題に取り組む真に責任ある民主政府がないことである。

日本の人々が半世紀にわたった腐敗と馴れ合いの自民党支配に愛想を尽かし、選挙でこれに終止符を打ったのが昨日のことのように思える。しかし、2009年9月以降、あっという間に取り組みは後退し、刷新と改革は妨げられ、その無責任さと互角に張り合える特徴といえばその無能さのみという従順な米国指向の政権が復活した。これは、核の危機(訳者注:原発事故を指す)に対する官僚、政治家、メディア、核産業(訳者注:原子力産業)の責任回避、情報操作、共謀、あるいは日本が最重視する対米関係の中核である沖縄基地問題の扱いに見ることができる。2006年出版した拙著のテーマは、日本は自国の権益よりも米国のそれを優先する米国の「属国」だというものであった 。その後、このテーマを裏付ける証拠が明るみになり、日米関係は旧ソ連帝国の中央と周縁の関係に見られたようなある種の屈辱に彩られたものであることが露呈された。この関係は、世界の二大資本主義国であり、民主主義の旗手とされる米国と日本の関係としては大変不適切なものである。

2009年9月、アジア太平洋地域の新秩序実現をうたった鳩山政権が誕生した後、国家としての頂点にあるはずのものが欠けているという日本国の特徴が次々と明らかになった。およそ70年前の敗戦後、米国保護下で創られ育ったこの国は、今日まで遠方の建国の父に対し従順な指向を保ってきた。本論では2009年から2011年に起きた5つの出来事に着目する。「密約」、鳩山前首相の「告白」、ウィキリークスによる暴露、「メア事件」、そして2011年5月現在、進行中の「レビン・ウェッブ・マケインショック」とでも呼ぶべき出来事である。これらを通じて導き出されるのは、日本国における民主主義体制の責務―選挙民によって選ばれた政府はそれを選んだ彼らに対してこそ応答責任がある―は幻想であるという悲しむべき結論である。日本の独立とは守るべきものではなく、まだ勝ち取らねばならないものなのだ。


2. 密約:沖縄「返還」と秘密外交 1969-2009

20世紀末から21世紀初頭の日米関係の枠組みは、1960年代末から1970年代初めにかけて合意された一連の「密約」によって形作られた。この「密約」は2009年から2010年、民主党政権下で公式の調査対象とされ、情報公開と裁判所の命令に準じ、公文書が公開された。鍵となる秘密合意の一つは米国の核戦略への日本の密かな協力に関するもので、もう一つは、1972年の沖縄返還をめぐるものである。基調をなすのは不透明な不正と欺瞞である。

「核抜き本土並み」とうたわれた沖縄「返還」は、日本外交の勝利であり戦後の終わりであったはずだが、実際はこれを打ち消す秘密合意で塗り固められていた 。米国が必要とみなせば事前協議なしにいつでも核兵器持ち込み(reintroduce)を可能とする条項により 、両国政府は、公言された「核抜き」と佐藤首相が1967年に発表し、彼にノーベル平和賞をもたらした「非核三原則」を無効にした。日本(と米国)政府は日本と沖縄の人々を欺き、返還の舞台を作り上げ、2009年までの歴代首相および政府は、時には核をめぐる取引を記した米国公文書さえ否定し、嘘をつき続けた。4人の元事務次官が告白し、2009年に政権が交代してようやく真実が認められた。

1969年11月に佐藤とニクソンが交わした沖縄返還合意をめぐる近年公開の秘密文書は、取引の本質をくっきり見せてくれる。

第一に、交渉開始当初から、日本政府は「返還」(reversion)を求めるものの実際は「保持」(retention)すること、つまり、米国が日本に施政権を返還した後、基地を閉鎖しないことを求めた。当時、沖縄基地の主な役目は連日のベトナム爆撃であったが、佐藤政権にとって基地は欠くことのできない抑止力であった。

第二に、米国はこの特異な取引について日本側に支払を求め、将来の基地取り扱いに対する条件を設定した。「返還」とは買戻し(buy-back)であった。米国は6億5千万ドルという法外な金額を主張し、これを「価格」(price-tag)と呼び、大部分を「一括払い」で求めた。6億5千万ドルは、米国への資産返還にかかる費用として公表された3億2千万ドルの2倍である。この3億2千万ドルさえもが出鱈目であった。これには核兵器撤去のためと称する7千万ドルが含まれていたが、40年後、当時の日本側交渉担当者は「『これだけ金を払ったから、撤去したんですよ』と示すために内訳を決めた。国会対策としてやった」と白状した 。沖縄「返還」は、資産がアメリカの手に保持されることを日本が主張した「買戻し」であった。嘘を前提とし、日本国憲法第9条をこの上なく露骨に侵したこの取引は日本国憲法を二重に裏切るものであった。日本は米国に金を支払いながら、買ったはずのものを米国が返還しないよう迫った。口座は二つ用意された。一つは本当の金額が振り込まれた秘密口座であり、もう一つは実際の半分、しかもそれさえも嘘であった金額が振り込まれた口座であった。

米国に軍事資産の保持を求め、その使用について最大限の自由を認め、重要でない権限のみ沖縄に返還し、取引を進めるために莫大な金額を支払うことで、日本は沖縄の一番の存在理由が引き続き戦争であるということを(米国に)保証したのである。沖縄の人々の戦争への激しい嫌悪感と日本国憲法の中枢の原理である平和主義への希求をコケにして、である。

約20年後、冷戦が終結した。沖縄の人々はついに平和憲法が自分達にも適用され、米軍基地の負担が減ると期待した。しかし、再度、これは実現しなかった。基地撤去と島の非軍事化への決意を表明した知事は最高裁に召喚され、米軍への土地貸与の強制執行に署名させられた。

1995年、米兵3人が沖縄の少女を強姦した事件が基地の存在(ひいては「同盟」)を脅かす抗議を巻き起こした。日米両国はそれぞれの利権保持のために譲歩する必要性を感じ、さらに欺瞞を重ねた。両政府は、人口過密の宜野湾市中心部に位置し、ラムズフェルドが世界一危険な基地と呼んだ普天間基地を日本に返還することで合意した。この発表に驚かずにはいられない。この「返還」の欺瞞は報告書の付属文書に記されていた。1972年の「返還」(reversion)が「保持」(retention)であったなら、1996年の普天間「返還」(reversion)は「置換」(substitution)であった。不便、危険、かつ時代遅れの普天間に替わり、新しく大きな洗練された多機能の施設を設ける、というものだ。15年たった今もこの合意は実施されていない。

沖縄の人々はこの合意に当初から反対した。その後の15年の歴史は、日米の圧力の前に沖縄の人々が普天間移設を拒否した歴史である。1998年2月、大田昌秀知事が計画実施の拒否を表明すると日本政府はあらゆる交渉を凍結し、不法かつ憲法に反する多額の秘密資金を用いたキャンペーンによって彼を知事の座から追い落とした。この時の詳細は2010年、暴露された 。

従順な知事が就任した。辺野古計画に対する北部の反対派買収に多額の国家資金を継ぎ込み、小泉首相は2001年、辺野古に普天間代替施設の建設を推し進めようとした。2004年、近海で調査が始まると反対派は抗議の座り込みを開始した。(7年たった今も座り込みは継続している)。この運動は全県の支持と共感を呼び、2005年、小泉首相は敗北を認め、(沖合)計画を断念した。1年後、彼は陸上建設計画としてこれを蘇らせた。キャンプシュワブの敷地内に移すことで反対派による抗議活動は一層困難になる。人々の反発をかわすための常套手段であった。しかし反対派の決意は固く、2008年後半、日本全土で半世紀にわたる自民党一党支配の腐敗と無能ぶりへの憤りが高まると、移設計画は危機にさらされた。野党民主党は沖縄県内に普天間移設は行わないと公言し、全国、とりわけ沖縄の人々の支持を集めた。

オバマ政権初期と自民党政権末期(2009年初頭)は、日米双方の「同盟」運営者が沖縄の人々が望む結果を回避しようとした日々であった。東京の米国大使館は本国に、日本外務省が2006年の「再編成」合意を支持しており、これを「協定レベル」の合意に格上げすることで「後々の内閣にも法的拘束力のあるものとする」ことを望んでいると報告している 。

締結されたグアム国際合意は内容、形式ともに注目に値する外交合意であった。日本は普天間を辺野古に移設するために明示されない金額(100億ドル相当とされる)を支払い、グアムでの米兵の住居、その他施設建設のために61億ドルを支払い、それによって2014年までに「海兵隊員8千人とその家族9千人」を移動させるというものである。協定であるこの合意には法的拘束力があった。人々の支持を急速に失っていた自民党は、2009年5月までに米国財務省に3億6千万ドルを支払うべくあらゆる制限を取り払った。そして、28億ドルを現金で、残りはクレジットで計61億ドル支払うとした。

一番の関心は国家の安全保障ではなく―これは議論さえなされなかった―、コストを無視してでも米国による沖縄支配を継続させること(そして米国のアフガン、イラク戦争に必要であろういかなるサービスをも提供すること)であった。

2009年2月、東京でヒラリー・クリントンが署名し、5月に国会承認されたオバマ政権最初の対日政策は、日本だけに法的義務を課した不平等協定であった。これは、両国政府が日本の人々の民主的意思を欺くために用意した計画である。自民党の支持率急落を目前に控え、調印は大急ぎでなされた。私はこの時、次のように書いた。グアム国際合意は「後の世代によって、日米関係を明確に決定づけた瞬間、両政府があまりに行き過ぎてしまった―米国は(自民党と交渉できる残り時間が少ないと知って大慌てで)要求し、日本は不平等なだけでなく憲法に反し、不法、植民地的、かつ欺瞞に満ちたものを甘受した―瞬間として研究されるだろう。双方の行き過ぎは憤りを生み出すと思われ、長期的には日米関係の維持を一層困難にさせる」 。

これが実際に起きたことである。東京大学の優れた政治学者である篠原一は、この5月28日の合意は1945年8月に匹敵する日本の「二度目の敗北」だと記している 。


3. 民主党:鳩山から菅へ (2009年~)

2009年、日本は米国の支援に大きく頼った半世紀の一党支配に終止符を打った。前年の米国オバマのように鳩山も国のビジョンを持ち、変革への希望というムードに乗って当選した。彼の構想には、選出された議員を通じて政治を官僚の手から人々に取り戻すこと、また、対米中心の一極主義から多極化に向けて対等な立場で日米関係を見直し、日本が東アジアの中心メンバーとなることがあった。最も具体的な公約は普天間基地閉鎖と最低限でも県外への移設であった。

米国は鳩山のアジア共同体構想に極めて懐疑的であった。さらに、いかなる国とも「対等」な関係の実現など決して検討したこともない米国は、従順な日本がそのような提唱をするのは非常識だと捉えた。米国は、とりわけ普天間問題について鳩山を妨害する決意を固めた。鳩山が、深く埋め込まれてきた「属国」制度に挑戦し、民主的かつ独立したアジア中心のビジョンを提示したため、米国政府は彼を潰すか、骨抜きにすべき脅威とみなした。

オバマ大統領は鳩山との面会も鳩山のビジョンや政治課題について議論することも拒絶した。国務省と国防総省は警告と脅迫の度を次第に強め、幾度も最後通牒を突き付け、鳩山に服従と辺野古への新しい海兵隊基地(普天間代替施設)建設を要求した 。米国のいかなる同盟国も、おそらくはいかなる敵国も、鳩山が2009年後半直面した言うなれば虐待と脅しを経験してはいないだろう。

しかし、それだけではなかった。2011年5月ウィキリークスが公表した文書は、鳩山が自国政府に裏切られていたことを明るみにした。知識人の背信というものがあるなら、まさにこれがそうであった。鳩山政権初期から日本政府高官は米政府高官と内々に共謀と呼べる関係を保ち、鳩山は「人格的に欠点がある」首相で「個性の強い人間と話すと弱くなる」、また「大抵、最後に耳にした強い主張に基づき自分の見解を述べる」ため、オバマ政権は主張を変えないようにと助言していた。鳩山政権は「まだ準備中」であり 、「不慣れ」で「愚か」 、その政策決定過程は「無秩序」 である。鳩山の高官は政治家も官僚も、前任の自民党が半世紀そうであったように、彼や日本の有権者ではなく米国に忠実であった。

これら日本の高官は米国に、譲歩しなくてよい、「柔軟さを示すことは避けよ」、自分達は日本政府の方針を変えさせ、合意を実現させることができる、と繰り返し告げた 。 外務省の責任者は同省の重点は「民主党の選挙公約を早く引き下げ、基地再編成の約束を再び軌道にのせる」ことにある、つまり、自分の政府を覆すことにあると述べた 。 沖縄は無視できる、なぜなら、民主党国会対策委員長山岡賢次に言わせると、沖縄では「すべては反対のための反対である。・・・沖縄の意思を尊重すれば何事も決して進まない」からであった 。 この件については日本の人々もさほど違わない、なぜなら、山岡によれば日本の人々は「甘やかされ」米国の保護を当然と思っているからであった 。さらに、外務省北米局の深堀亮は「日本人の大半は安全保障問題を理解していない」と述べた 。 鳩山首相もこの手の施しようがない無知の人々と同類のようで、薮中三十二外務省事務次官はルース大使との昼食の席で「首相に安全保障問題の基本を説くことは米国にとって有益」である、彼に政治の現実を説明すべきだと提案した 。

日本人、中でも沖縄の人々の目を欺き基地取引を実施するため、日米の官僚はグアムに移動する兵士の数と日本が負担する経費を改竄した 。 2006年ロードマップ、2009年グアム合意、そして2010年の米軍移設は8千人の海兵隊員と9千人の家族を沖縄から移動させるもので、グアムでの施設建設に日本が61億ドルを支払い、そのことによって沖縄の「負担を軽減する」ものだった。日本が米国領土での(医療クリニック、独身下士官兵専用地区、消防署を含む)施設建設の為に多額の支払いをするのは、1978年以来、日本が米軍を駐留させるために「思いやり予算」を提供し続けているとはいえ、前代未聞である。しかし、大使館の公電は「日本での政治的価値を最大化するため意図的に大きく見積もられた」としている 。当時は「およそ1万3千」の海兵隊員しかおらず、その家族は「9千人未満」であった。米国側は日本政府にこれらの数を「事あるごとに伝え」たため、政府高官が1万8千の沖縄海兵隊員のうち8千人がグアム新施設に移動し、1万人に削減されると数字を挙げたのは意図的であった。つまり、嘘をついたのであった。経費も水増しされ、これにはグアムでの軍用道路建設への10億ドルが含まれていた。「10億ドルの道路」は「総額を増やすことで日本が負担する金額の比率を減らすための対策」であった 。 この10億ドルによって、101億ドルの総経費に占める日本の負担比率は66%から59%に下がり、不平等さが少し軽減されたように見えた。この道路は必要なものではなく、決して建設されないであろう。

このように、反逆的ではなくとも不実な官僚に囲まれ、米国と沖縄、両方の圧力に晒され、これらと対決する勇気も明確な目的意識にも欠けたため、鳩山の決意と政治的立ち位置は崩れた。圧力が最高潮に達したのはゲーツ国防長官が明らかに威嚇的な訪日を果たした10月で、キャンベル国務次官補は鳩山に「民主党政権が既存の同盟の見直しと調整を提案し続けるなら、米国の忍耐の緒は切れる」と無遠慮な警告を発した 。2009年12月8日、日本政府は民主党国会対策委員長山岡賢次を通じて米国大使館に「決断は下された」「日本政府は取り決めを実施する」が、「国会運営」により即時実施は困難なため、2010年夏までかかるかもしれないと約束した 。 この翌日、沖縄北方担当大臣だった前原誠司は同様のメッセージをルース大使に伝えた。日本政府は「別の選択肢」を探るが、「もし受け入れられる選択肢がなければ、社民党も国民新党も辺野古案を承認する」。つまり、「米国が他の選択肢に同意しなければ」(他の選択肢が見つかる可能性は「事実上ゼロ」)現行案を通す 。 このような筋道を内々に示しておきながら、鳩山政権は人々に対し、半年にわたって沖縄県外に移設先を探すフリをした。この間、日本の政治とメディアが演じたのは手の込んだ茶番であった。

2010年5月、鳩山は沖縄における海兵隊の「抑止力」が重要であることが分ったため、辺野古移設案実施を決断したと発表した。そして5月28日、取り決めに署名すると同時に首相を辞任した。

この半年後、鳩山はこれがでっち上げだったと白状した。抑止力とは、抗い難き官僚と外交圧力に屈したことを正当化するための方便に過ぎなかった、と 。 外務省や防衛省の高官は、鳩山の行動が行き詰まってすべて徒労に終わり、鳩山が自分の強さに確信が持てなくなるまで、彼の考えを「軽蔑し、相手にしなかった」、と 。この鳩山の回顧と前年12月初旬、彼の政権が下した決断を示す文書には明らかに矛盾がある。どちらが正しいにせよ、政府は欺瞞に満ちた政治の罠に深くはまり込んでいた。

交渉担当者は細部をめぐり議論したが 、日本の人々に対する巨大な信用詐欺には躊躇うことなく力を尽くした。「日本での政治的価値を最大化するため意図的に大きく見積もられた」過程を、朝日新聞は「国民への裏切りであり、許されることではあるまい」と書いた 。 沖縄タイムスはこれを新たな密約とし 、琉球新報は「日本は民主主義国のはずだ。民意を実現しようとせず、他国にこびへつらうばかりの官僚たちは、外交交渉に適格性を欠くと言わざるを得ない」、日本は「米国の属国として世界史に刻まれるのではないか」と書いている 。

鳩山の告白とウィキリークスの暴露文書という情報源がいかに非公式で部分的に矛盾するとしても、これらは鳩山政権の悲劇の全容を知る手がかりである。日米安保50年にして、この「成熟した」同盟において日本政府は米国の信頼を失うと生き抜くことができず、日本の官僚は、コストも何もかも差し置いてでも沖縄が米軍の目的のために奉仕すべきことに疑問の余地はないと考え、米国への奉仕に絶対的な優先順位を置いていることが明らかになった。鳩山が菅直人に政権を譲ったとき、メディアはこぞって、菅の任務は鳩山が同盟にもたらした「傷」を癒し米国の日本に対する信頼を回復させ、沖縄に基地受容を「説得」し問題解決を図ることだと論じた。

鳩山政権は中核となる政策目標を9か月(今や、たった3か月の可能性が高くなったが)で放棄したが、ひとつだけ、意としなかった成果があった。これにより、ばらばらになりがちだった沖縄の人々の反対が近代日本史上、例を見ない県ぐるみの大規模な抵抗運動に発展した。2010年を通じ、沖縄の人々はあらゆる民主的手段を使って自分達の意思を伝えた。

1月:名護市長に基地反対派が当選
2月:県議会において全会一致で県内移設反対決議を採択
4月:基地反対の沖縄県民大会
7月:県議会において2度目の全会一致決議 5月28日の日米合意は「県民を愚弄する」もので「民主主義を踏みにじる暴挙」と表明。
9月:名護市議会選で基地反対議員が多数派に
11月:沖縄県外に基地移設を求めると述べた候補者が知事に当選

これらの明白なメッセージと選挙という民主的、非暴力的手段による意思表明にもかかわらず、日米政府は動かなかった。

2011年5月で菅直人は首相就任から11か月になる。この政権は甘い言葉をかけ、沖縄に対し謝罪と深い遺憾の意を表明した。しかし、抵抗運動に取り入り、分裂、説得あるいは鎮圧を試み、普天間代替施設をめぐるあらゆる二国間合意の実施を主張している。

菅首相は米国政府に辺野古への基地建設(そして高江とヤンバルの森のヘリパッド建設)を推進する決意だと請合った。2010年末、菅は名護市長に辺野古周辺の調査開始を強要する手段に打って出た。同じ頃、メディアや人々の目が届かないところでヘリポート建設への抵抗運動の鎮圧に動いた。前原外相は、宜野湾市の学校や病院が隣接する海兵隊基地に迷惑を被っているなら、これらの施設を基地周辺から撤去してもいいとさえ言及した 。 2010年12月、沖縄を訪問した菅は、沖縄が歴代政府に受けた扱いについて「日本人として慙愧に堪えない」と表明したが、普天間を辺野古に移設することは「沖縄の皆さんにとって辺野古はベストの選択肢ではないが、実現可能性を考えたときにベターな選択肢ではないか」と述べた。沖縄の人々は激怒し、知事はいかなる県内移設も「バッド」だと切り返した。仙石官房長官は沖縄の人々は負担を「甘受」すべきと述べた 。 2011年4月、菅政権は米国に最後の争点と思われる事項―海兵隊が望むV字型滑走路の建設を受入れた。皮肉なことに、菅政権が移設実施に向けて動く中、米国は計画破棄と再交渉に姿勢を傾けつつあった。


4.国務省

2010年12月初旬、全く予想外の意味深長な出来事が起きた。国務省の日本専門家でヒラリー・クリントンの顧問であるケビン・メアが、訪日を前にアメリカン大学の学生たちに会った。寛いだ雰囲気の中、メアは外交の機微は脇に置き本音を語った。彼は、沖縄の人々は怠け者(ゴーヤを育てることもできない)、不品行(婚外子が多く、大酒飲み)、「ごまかしと詐欺の名人」で普天間周辺に学校や住宅の建設を認めたと述べた 。 彼らは「肌が浅黒い」「背が低い」「プエルトリコ人のような訛がある」と言い 、ゆすりの名人なので、日本政府が県知事に「金が欲しけりゃ署名しろ」とさえ言えば、基地移設は容易に実現するとも述べた。

このような侮辱は、属国日本の取るに足らない属国であるはずの沖縄が執拗に抵抗する勇気を持ち続けることへの米国政府の苛立ちを示していた。沖縄はメアの言葉を無礼、侮辱、人種差別であると受け止め、怒りを爆発させた。沖縄タイムスは社説で「米軍普天間飛行場の移設返還交渉の米側担当者は、心の中では沖縄を侮辱し、基地問題を軽視していたようだ」と書いた 。同紙は二日後、「沖縄の戦後史や基地問題をめぐる沖縄の現状をより深く理解すればするほど、辺野古移設が無理のある理不尽な計画であることがわかる。無理な計画を、金をちらつかせて、無理矢理、地元に認めさせようと、日米両政府は文字通りあらゆる手を尽くしてきた」と記した 。

侮辱に対する沖縄の人々の怒りはワシントンからのうわべだけの謝罪に和らぐことはなかった 。

琉球新報も同調する。メアは「図らずも米国の本音を露呈した」 。 数日後、同紙は「沖縄の基地問題の根底には、常に日米安保と米軍基地をめぐり『異議を申し立てる沖縄住民』と『維持・強化を追求する日米両政府』の対立構図がある。両政府は戦後一貫して巧みな『アメとムチ』の政策によって沖縄社会と住民を分断し、なりふり構わず『基地の自由使用』を勝ち取ってきた」と書いた 。

メアは退任したが、(キャンベル国務次官補が東京で行い、ルース大使が沖縄で行った)謝罪は実際、うわべだけだったようだ。数週間後、メアは一切を否定した。メアは 4月14日付ウォールストリートジャーナルのインタビューで、「二国間関係にひびを入れようとする」でっち上げであり、学生たちを嘘つきだと非難している 。

メアは更迭されたのではなく退任しただけだった。退任も届け出直後に延期され、福島の地震、津波、核危機への米国の支援活動の調整役に就任した。メアが史上最大の日米合同作戦「オペレーション・トモダチ」の米国側の責任者に選ばれたことは、米国政府が彼の発言を問題視していないことを明らかにした。メアの同僚でブッシュ大統領の国家安全保障問題特別補佐官だったマイケル・グリーンは「メアは誰よりも沖縄政治に精通したベテランのジャパン・ハンド」と彼を擁護した 。

4月6日、ようやく退任したメアは、そのまま日本でいうところの天下りを果たし、福島原発の放射性廃棄物処理を担う多国籍企業の上級顧問に就任した 。 就任1か月後、この新しい職務によりメアは首相官邸に呼ばれ、90分間面会をした。民間のビジネス関係者が首相官邸に呼ばれるのは稀なことで、2か月前には米国政府高官が謝罪を表明した好ましからざる人物が呼ばれるのは前例がない 。日米両政府がメアの日本、とりわけ沖縄に対する暴言を無視し、謝罪をこのような形で受け入れたことは、米国政府の日本に対する軽蔑の深さとこれに対応する日本政府の自己否定の深さを示している。


5. レビン・ウェッブ・マケイン ショック

菅政権が辺野古と高江への攻勢を強めようとする中、米国政府は財政赤字の膨張、巨額の経費が掛かり行き詰った二つの戦争、中国の台頭、社会・経済危機の拡大、そして予算と社会保障をめぐる議会の対立に直面していた。統合参謀本部議長マイク・ムレンは、「安全保障に対する最大の脅威は財政赤字」と述べた。2010年5月、軍事支出削減を検討する超党派の下院委員会が設置された。民主党バーニー・フランクと共和党ロン・ポールが代表である。フランクは「沖縄に海兵隊はいらない。彼らは65年前に終わった戦争の遺物」と明言した。彼とポールは、軍事支出の大幅削減が必要であり、その方法の一つが海外の米軍基地縮小であるとの見解で一致した 。下院支出削減委員は支出を抑制すべき海外基地を洗い出し、その中に1996年以降全く進展がない普天間基地返還・移設とグアム国際合意が含まれた。

2011年4月、上院のカール・レビン議員(上院軍事委員会委員長)とジム・ウェッブ議員(元海軍長官、現上院外交委員会東アジア・太平洋小委員会委員長)が東京、沖縄、韓国を訪問した。東京で菅政権は移設計画を実施すると約束した。しかし、沖縄で二人は異なるメッセージを受け取った。県知事は、計画推進は「極めて困難」(不可能と読み替えること)と述べ、琉球新報は公開状で普天間施設を「すべて」沖縄から撤去するよう求め「アメリカの民主主義がこの試練にどう対処するか」に期待と懸念を表明した 。

「米国がくしゃみをすれば日本もくしゃみをし、右を向けと言えば右を向く。考え方の違いに敬意を払い、耳障りな意見も述べ合う。日米関係でどちらをお望みですか。

・・・米軍は戦後、銃剣とブルドーザーによる基地建設、傍若無人な振る舞いによる人権蹂躙(じゅうりん)、自治権制限など幾多の苦難を沖縄に強いました。

・・・1996年4月、日米両政府は住宅密集地にある普天間の返還に移設条件付きで合意しましたが、県民は基地の新設は負担が重いと、ずっと異を唱えてきました。
日米両政府が合意している普天間の名護市辺野古移設は、仲井真弘多県知事と県内41市町村の全首長が反対しています。県議会は県外・国外移設を決議。国政選挙では県内移設容認の政治家がことごとく落選しました。

・・・米国も当事者であり危険の放置に罪悪感を感じるべきです。
 県民は沖縄戦で本土防衛の「捨て石」にされ、戦後は日米安保の「捨て石」にされていると感じています。

・・・普天間の閉鎖、撤去によって「善き隣人」関係の再構築が必要です。お二人には誠実な「沖縄の心」を感じ取ってほしい。そして米国民主主義の真価を示してください」

私が知る限り、この公開状を沖縄以外で公表したのはアジア太平洋ジャーナルだけである。レビン、ウェッブ両議員がこの文書を読んだのは明らかで、二人は数週間後、爆弾発言を行った。レビン、ウェッブと共和党前大統領候補で上院軍事委員会のジョン・マケインが共同発表した声明は、基地再編計画を「非現実的、実行不可能、経済的に負担不可能」とした 。

さらにウェッブは長文の個人声明で「数十億ドルの大規模事業であり広大な埋め立てと既存施設の破壊・移設を求めるもので、最善のシナリオでも数年、長ければ10年かかるとの見積りもある」と述べた 。

3人は国防総省に対し「グアムの海兵隊再編計画は、恒久的司令部に他基地からの戦闘部隊をローテーションで派遣して増強すること。島外の訓練所を検討すること。普天間基地の海兵隊資材については、キャンプシュワブに高価な代替施設を建設するのでなく嘉手納基地への移動を検討し、嘉手納の資材の一部はグアムのアンダーセン基地か日本の他の基地に分散すること」を提案した 。

3人は、この提案は数十億ドルの税金を節約でき、米軍を維持しつつ、普天間をめぐる複雑な政治課題を軽減し、米軍の影響下に置かれた沖縄の土地を減らすものだと主張している。

彼らの提案は事情通の米国政府高官たちに大筋で支持された。なかでも目を引くのは、2010年10月までオバマの国家安全保障担当補佐官を務めた海軍司令官ジェームズ・ジョーンズである。ジョーンズはさらに踏み込み「海兵隊はどこにいようと実は問題でない」と発言し、沖縄は周辺地域と世界の抑止力として欠かせないとする一般に繰り返される見解を完全に否定した 。

菅政権はワシントンの有力議員がこのような見解を示したことに大きな衝撃を受けた。菅首相と枝野官房長官は、レビン議員たちは米国政府ではなく、重要なのは政府間合意であると頼りなさげに主張した。しかし、実際のところレビンのグループは多大な影響力を持ち、逼迫した財政状況を鑑みると彼らの提言に逆らうのは難しい。日本政府はワシントンの決定を待つしかない。日本が40年にわたり事あるごとに出してきた多額の資金提供という海兵隊が沖縄を去らないための切り札は、日本がOECD加盟国で最多の債務超過に陥り、壊滅した東北地方を再建する必要性から一層困難となった。確かに言えることは、過去の例に倣えば、官僚が辺野古案復活に向けてあらゆる手を使って魅力的な提案を作り上げ、ウェッブ、レビン、マケイン(そしてジョーンズ司令官)を誘惑するだろうことである。一方、ウェッブ、レビン、マケインが示したビジョンは辺野古移設を食い止めようとする沖縄の人々の抵抗をさらに勢いづけたことも確かだ。


6. 結語

日米関係は強固に見える。学者も公人も常にそうだと言う。学者のジェラルド・カーチスは2011年初頭「オバマ政権は過ちから学び、対日政策を修正した」と述べた。これに多くの人が同意した。 学者は大概、必要な修正は主として日本が行うべきであり、ワシントンが発する様々なレポートの勧告に沿って同盟を「成熟」させなければならないという。米国の戦略目的に奉仕するために法を改定し、必要とあれば憲法改正をすべきは日本だという 。別の選択肢はあるが、極めて少数意見である。

「安全保障を米国に依存すればするほど日本はジレンマに陥るのだ。米国の一方的な戦略に巻き込まれるのではないか。いざというときに米国には見捨てられるのではないか。米国の意図をめぐって疑念にさいなまれることになる。対米依存に戻るしかないという考え方は、『いらだち交じりのリアリズム』に行き着き、同盟を不安定にするだろう 」

日米の特異な関係は本論に挙げた事例が示す通りで、一方の屈従ともう一方の横柄な態度・侮蔑が呼応するという特徴がある。この関係をもっとうまく表現する言葉がないので、私は「属国」と呼んだ。米国側には、結局のところ日本は米国の創造物であり、日本政府は米国のいわば支店に過ぎないとの確信がある。これは先の大戦とその後の占領に根差すもので、そこに日本政府から毎年引き出す数十億ドルの上納金という現実的なうまみが加わっている。ケビン・メアはアメリカの学生にこのことを仄めかし、「日本とはとてもいい取引をしている」と結論づけた。しかし、日本側に目を向けると、知性的で誠実であるはずの人々(日本のすべての市民)が、なぜ屈従を疑いもなく選択しているかを理解するのは難しい。日本の権力者は、これにより日本の国益が最大限確保されると確信しているようだ。最近の一連の暴露が、日本の人々に日米関係の冷酷かつ不平等な現実について目を覚まさせるならば何よりの成果であろう。

今のところ、沖縄返還と米国の核戦略をめぐる密約や2011年5月に公開された秘密公電が示す幾重にも重なる嘘と欺瞞は、一般の人々やメディアに明白な影響を及ぼしてはいない。ウィキリークスが入手した25万1千通の外交公電のうち、2011年5月中旬までに公開されたのは12,648通であり、全体の5%に満たない。これまでのところ、公電の信憑性に大きな疑問は投げかけられていない。朝日新聞は2011年1月、日米交渉に関する公電「約7000通」を入手したと言い、5月時点でそのうち54通を公表した 。 全体のごく一部であるとしても、公開された文書は日米関係の内実を知る大きな窓を開けてくれた。残りの公電がいつ公開されるか、公開されるかどうか、不明である。

日本政府は公開された文書の正当性や重要性についてコメントを避けている。最初に公開した朝日新聞を含め、主要メディアはこれらの文書に殆ど注意を払っていない。公的追及、議会での追及を求めた人もまだいない。最も真剣に分析を加えているのは琉球新報である 。 その中から3つ、論評を紹介しよう。

元外務省国際情報局長 孫崎享
「09年政権交代し民主党は普天間問題を含め対米関係の見直しを図った。米国はそれに警戒を発し、外務・防衛省幹部は鳩山首相の意図と反し行動した。民主主義の原則に挑戦する行動とみてよい。・・・日本という国はどうなってしまったのだろう。自主性喪失の病は重症である」

元駐レバノン大使 天木直人
「もし米国が日本政府をだましたのなら国民は米国政府を詐欺罪で訴えなければならない。もし日本政府がそれを米国に入れ知恵して国民をだまし、血税を不当、不要に米側に支払っていたなら、国民は日本政府を背任罪で訴えなければならない。それほど深刻な権力犯罪なのである」

沖縄大学名誉教授 新崎盛暉
「(ウィキリークスの)米外交公電は推論を、生々しく、具体的に裏付けてくれた。そこに露呈されたのは、あまりにも無残な、日本の政界や官界の荒廃である。二言目には“国益”を口にし、排外的ナショナリズムを振りかざしながら、アメリカの“国益”と一体化し、アメリカに奉仕する政治家や高級官僚の言動である。私たちは、見たくないものを見てしまったのである」

ウィキリークスの公電、密約、鳩山の「告白」、メア事件、そしてレビン・ウェッブ・マケインショックに対する感度は、国家制度、地方制度の断層線が島直下を走る沖縄が当然、最も高い。過去15年間、沖縄の人々と彼らが選んだ政治家は、民主主義や憲法の原則よりも米軍の戦略を重視し、沖縄に過度の米軍駐留という負担を半永久的に押し付ける制度に抵抗してきた。戦いの不平等な条件にもかかわらず、驚くべきことに辺野古基地計画への抵抗は沖縄が日米政府より優位に立った。

大規模な非暴力の抵抗により、沖縄県民は地球上最強の二大国による強制を15年間、食い止め続けた。政府打倒には至らないものの、2001年から2005年には小泉首相を妨害し、2010年には鳩山首相を辞任に追い込み、今は次の首相および新たな基地をめぐる日米の計画に立ち向かっている。2010年は1960年締結された日米安保50周年の節目の年であったが、関係の「深化」を表明するはずの待望の共同声明は何度も発表が延期された。6月に予定されていた日米の外務・防衛会議(2プラス2)も、これに続く菅首相の訪米も保留になっている。1996年、2006年、2009年、2010年の合意が実施される兆しのない中、日米が未来のビジョンに合意する見込みが高いとはいえない。

独裁制の下では、抵抗する市民を逮捕、打擲、投獄することで辺野古「移設」計画を進めることは可能だろう。菅政権がいまだに理解しておらず、ワシントン(少なくともレビン、ウェッブ、マケイン議員とジョーンズ司令官)が認め始めたのは、民主的な制度が存続する限り、覚悟を決めた反対派を説得する方法、ましてや彼らに屈服を強いる方法など存在せず、辺野古計画を進める方法もないということだ。15年の闘争を経て沖縄の運動は注目すべき勝利を収めた。大浦湾は守られた。これは終わりが見えない闘争の一歩に過ぎないかもしれないが、大きな意味を持つ一歩である。

2010年12月、国務省のケビン・メアは沖縄と沖縄の人々を馬鹿にし、うそつきで二枚舌の「ごまかしの名人」と言った。しかしながら、これらの言葉の意味を厳密に考えてみれば、日米両政府が40年間、沖縄の人々に対してとり続けてきた姿勢こそがまさしくそうなのだ。


ガバン・マコーマック
アジア太平洋ジャーナル』コーディネーター。日米関係、沖縄問題についてアジア太平洋ジャーナルに多くの記事を寄稿。オーストラリア国立大学(在キャンベラ)名誉教授。近著には Client State: Japan in the American Embrace (ニューヨーク 2007年、東京、ソウル、北京 2008年刊) 、Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrophe (ニューヨーク 2004年、東京、ソウル 2006年刊)がある。

脚注付きのPDF版はこちらをご覧ください。


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