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Sunday, March 25, 2007

(Japanese) Film Annyong Sayonara at Nikkei Centre



This is a report in Japanese of the film event on March 24th at Nikkei Heritage Centre.



3月24日、バンクーバー近郊のバーナビー市にある日系ヘリテージセンターで、映画「あんにょん サヨナラ」日韓両国語版の上映をしました。バンクーバー九条の会、ピースフィロソフィーセンター主催、JCCA人権委員会後援によるものです。

大雨の中30人以上の参加者に来てもらい、韓国語テレビKCTVの取材もありました。KCTVの記者は、「日系の施設でこのような映画の上映を行うというのは感心できることと思い取材に来た」とのことでした。ゆっくり話はできなかったのですが、「日系の施設で」という意味は多分、日本の戦争犯罪をこれだけ扱った映画を日系の施設で上映するのは意外であり感心できることであるという意味だったのだと思います。

韓国語でのチラシも作り、コリアンコミュニティにも宣伝したのですが韓国系の方で来てくれたのは多分ほんの数名だったということもあり、やはりコリアンの方には馴染みの薄い日系の施設で上映したので来づらかっただろうかと思っていたところでした。なので逆に日系の施設で上映したということに注目を受けたことは意外であり、それはそれで意義があったのだと思いました。


参加者のアンケートより、映画の感想を抜粋します。

- I truly appreciate that you have provided such a great opportunity to think further about "the war".

- あのような映像作品をつくり運動を推し進めておられる方がたには心からの敬意を表したいと思います。(H)

- ”国のために命をささげた人に敬意を表すのが何が悪い”という人たちに対する答の一部がこのDVDにあると思う。(M)

- 観ていて辛いけれど希望を持てる映画でした。私は夫が在日朝鮮人なので、多くの在日一世と関わらねばならなくて、苦しかった時期がありました。映画でも伝えられたように人と人とは壁を取り払っていくことができるという体験をしました。それを”国家”によって妨害されるのは残念だと思う。靖国を支持する層の厚さにも、ちょっと驚きました。これが現実でしょうか。(K)

-すべでの人々があらゆる形で平和の大切さを語り、戦争の残酷を語っている事を改めて感じました。私も自分の立場で皆と同じ方向に参加しなければと思いました。(N)

- 日本の現実を垣間見ることが出来、とても考えさせられました。(T)

- アジアの人達と仲良くしたい!単純ですが、そんな気持ちがさらにあふれてきました。バンクーバーに来て、コリアン、Chinese の友達もできて、こういった個人レベルのつながりが、いつかは大きな力(政府?)をも吸収してしまうエネルギーとなることを信じます。(Y.K)

- 310万の戦没者のこと、ヒロシマ、ナガサキの惨禍については日本人なら誰でもがよく知っているのですが、それではあのアジア太平洋戦争がなぜ、どういう経緯で引き起こされ、近隣諸国の人びとがどれだけの被害を被ったかということについては大方の人びと(大学まで教育を受けたような人たちを含め)は知らされていないのだと思います。昨年末ごろには高校世界史の未履修の問題が新聞に出ていましたが、あれなどは文科省官吏が教委に出向していた道府県ほど多かったことなどみると、国がいかに近現代史教育を軽視しているかという事がよく分かります。(H)

また、3月10日の先行上映会で後から感想を送ってくれた方のご感想もここに掲載します。

- あの映画の個人的な感想は、日本のアジアに対する侵略行為が正当化されていると言う事実を批判しているのは本当にごくわずかなんだと改めて思わされました。靖国神社でのやりとりのシーンは見たことがなかったし、メディアに疑問を持たざるをえません。メディアがこれでは、本当にまた日本が戦争をする国になるのも先の話ではないのかもしれません。今も苦しんでいる、戦っている、もがいている人たちを見て、何か自分に出来ないかと問わさせてくれた映画でした。(K)

私の感想ですが・・・なかなか言い尽くせないのですが、上映会をするたびに「小出し」にしていこうと思います・・・この映画は何度観ても涙が流れます。私が一番感動するのは、イ・ヒジャさんの気持ちの移り変わりです。神戸の地震を「罰が当たった」と思うまでに日本への怒りや恨み(ハン)の気持ちが強かったのが、古川まさきさんら日本の市民運動家たちとの触れ合いを通して友情を育み、気持ちが和らいでくるのです。映画の最後の方で彼女の笑顔が何度も見られるのがこの映画の中で自分にとって一番嬉しく、意味のあるところです。彼女のお父さんへの想い、靖国への怒りといった気持ちを簡単に「理解できる」とはもちろん言えないし自分は想像するしかないわけですが、彼女の気持ちの移り変わりを自分自身が共に体験したような気持ちになります。映画を観た人たちに希望を与えるのも、このイ・ヒジャさんの笑顔ではないかと思います。靖国問題は今日明日に解決できることではないであろうけれど、市民レベルで東アジアの平和を創ることができる、それは国家間の関係を補完するものという意味よりも、それを凌ぐほどの力を持っていると思います。

映画についての感想、コメント等を引き続きお待ちしています。

今回は春の二回シリーズイベントの第一回でした。第二回は、東アジアの平和創りにおいて日本、韓国を中心に活躍している活動家、キム・ヨンファン(金英丸)さんの講演および懇談会です。4月2日(月)午後7時から、今回の会場日系センターの通りを挟んで向かい側、新さくら荘の会議室、「岩崎ルーム」で行われます。詳細はこちらをご覧ください。

このイベントに関わったすべての方々に感謝の気持ちを送ります。

乗松聡子

5 comments:

  1. Anonymous9:39 pm

    土曜日は素晴らしい感動的な映画の企画を有難う御座いました。こういう映画をFilm
    Festival等でどんどん見せてほしいですね。太平洋戦争終結から既に60年も経った今も悲しみ、心の痛みを持って暮らしている人たちが暗い影のようにたくさんいるのだと改めて思いました。南京マサカがあったところに建っているメモリアルホールは今まで一度も見た事がなかったので衝撃を受けました。また靖国の情景をみていて現在日本にどれくらいの数の人たちがが"愛国運動”や靖国保持にかかわているのだろうという憂慮を感じないではいられませんでした。そして全く聞く耳を持たず戦前の軍国主義のアイデイアを堂々と言い、その影を引きずっている人たちを見ていて戦慄しました。それでもヒジャさんが日本、中国への旅の過程で少しずつ心を開き、日本の人たちと手を取りあって笑っている姿に感激し、私に大変な励ましを与えてくれました。でも戒名のない墓石を見ていて淋しいむなしい思いを致しました。二度と戦争を起こさないように市民のレベルでもくもくと頑張って居られる日本の人たちに敬服する思いです。そしてこの映画を作製された方達に改めてエールを送りたいですね。第二次大戦後特にアメリカはインペリアリズムそしてナチスを倒したという事で何時もデモクラシーというマジックワードを使って戦争を正当化させ、あちこちで戦争を起こしてきましたがけして正当化させた戦争という物は実存しないと思います。大半がごく一部の人たちのための戦争でありそれにたくさんの命が無駄にさせられているのですね。その過程で日本の自衛隊も大半の国民が知らない内に世界第3位になるほどの大変なミリタリーパワーを築き、これは違憲だと全く理屈にならない事を言う、この事に対して国会でろくに討議もされてこなかったようですが国民は国の動きをしっかりと見極めてほしいですね。悲しい事に世界全体が右寄りになりつつある現状ですがそれに流されないようにしたいですね。簡単ですが感想を送らせていただきます。

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  2. Anonymous9:40 pm

    土曜日の映画には本当に胸を打たれるばかりで涙がとまりませんでした。

    私は昨日は古くからの友人が訪ねてきてきてくれて、何時間かを観てきた映画のことを巡って話し合いました。まとまりも付かぬほどに色々なことを考えさせられております。

    大方の日本人が自分たちに都合のいいような、いい加減な知識しかもっていなかった、或いはそんな程度で誤魔化されていた戦後60年間、隠しに隠しとおされてきていた事実が平和を願う人々の切なる努力によって一つ、一つ明るみにされてきていることは大きな希望を与えてくれます。「忠魂碑」取り下げの運動に立ち上がった日本の女性たちは勇気がありますね。尊敬します。それと対象に靖国神社に身魂をささげる(?)日本の男どもの精神構造が私には如何しても理解しがたく、その部分に光が射してくるようになれば、自他ともにですが、、平和への途も拓けてくるのではなかろうかとおもっております。遠い、遠い道のりかも知れませんがあの映画のなかで強く示してくれているように、心ある市民の運動の広がりが傷ついた人の心を癒し、世を糺していく唯一の力のような気がします。

    企画実行にご尽力された皆さんに感謝申し上げます。これからも宜しく一人でも多くの人たちの目が開かせられる機会を作ってください。

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  3. Anonymous9:42 pm

    土曜日はお疲れ様でした。
    大変内容のある映画で、参加してよかったと思ってます。深く人間として考えさせられました。

    国家は国民のために奉仕するものであるのが、戦争前、戦争中は国民が国家に奉仕しなければいけないという国家からの組織的なプロパガンダに支配され、大半の国民がそれを信じてしまう。まぁ日本ではまだその色が強いですが。。。

    ましてそれが外国政府によりなされ、愛する家族を意味のない戦争で失うことは耐え切れないことだと思います。

    以前、キリスト教徒の日本軍人(自衛官)の遺族が、宗教的な理由で、靖国神社に対して訴訟をおこし合祀を取り下げるように闘って敗訴したの
    ではないかと思います。はっきり憶えてないですが。。。

    戦争の死者数は合計数でいつも出されますが、その一人ひとりの死者たちにもそれぞれ人生があり、愛する家族がいたということをあらためて実感し、その苦痛ははかりしれないものだと思いました。

    また人間と人間とのふれ合いもすばらしいものでしたね。日本人に対して恨みを持っていた女性が、活動を継続するにいたり、同じ思いを持つ日本人と出会い、協力していくうえで、深い絆、信頼関係を築き上げていくという過程もすごく印象的でした。

    靖国との戦いはこれからも長く続くし、彼女ら遺族だけでなく、日本人自身にも同じことが言えるのではないかと思います。この韓国人女性の強さ、忍耐力、信念を尊敬するし、
    私たちも彼女らに見習い、多くの日本人が靖国の太平洋戦争を正当化する態度を指摘し、
    正していく努力をしていかなければいけないと思いました。

    彼女たちの最高裁までの道のりは困難なものだと思うし、結果も絶対期待できないですが、彼女たちが勇気を奮って声を上げ、正義を求めることに意義があると思うし、ぜひ応援したいし、頑張ってほしいと心から思います。

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  4. Anonymous9:43 pm

    あんにょんサヨナラ のFilmはとても興味深いものでした。平和と一口に言っても、立場によってその意味はさまざまなのですね。今まで歴史に興味を持ったことがなかったのですが、ドキュメンタリーを見て、貸していただいた本を読み始めたら、俄然歴史に興味がわいてきました。大学まででているのにもかかわらず、なぜ自分はこんなにも自分の国に起こったことを知らないのだろう、とちょっと驚きました。

    それから、救われたのは "靖国問題にかかわっていく中で真摯になってくれたのは韓国政府ではなく、日本でその問題に取り組んだいる人たちだった。彼らのおかげでまた日本という国、日本人に対して、心を開くことができるようになった。”というくだりです。

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  5. Anonymous10:40 pm

    映画『あんにょん・サヨナラ』について

     「『国』のために命を奉げた人々を祀って何が悪いか」と言われる時の「国」とは
    いかなるものか?

     「私は父を奪った日本という『国』を恨み、許さない」という時の「国」。
     「平和を真に愛する日本国民に接して、日本をいう『国』に対する恨みが薄らいで
    きた」という時の「国」。そういう場合の「国」とはいかなるもので、その内実は何
    か?

     父を奪った<昔の日本>という「国」及びその国民、昔の「国」に批判的で父を奪
    われた人に寄り添い、平和を希求する国民もたくさんいる、<現在の日本>という
    「国」。それら二つの「国」は「同じ国」であり、その間に継続性があるものなのだ
    ろうか? あるならそれはどのような内実で、幾世代も、或いは永遠に続くものなの
    だろうか?

     誰にも「在って当然」と感覚され、にも拘らず、誰にも納得いくような定義がな
    い、摩訶不思議にして神秘的な「国家」。靖国問題も、憲法改悪問題も、国歌・国旗
    法案も、教育基本法改悪問題も、結局はそこに行き着く「国家」なるものの解釈問
    題。

     映画上映中、ずっと「国家」という「観念」・言葉が頭の中をグルグル回っていま
    した。

     国家犯罪の被害者が不可避に感ずる恨み・つらみなどの情念、その情念の慰撫を求
    める「国家」に対する謝罪・賠償要求、そしてそういう情念的行為に対して、贖罪感
    を核にして共感・同感・同情心を持ち、同調的行為をする元加害国の子孫たち。両者
    の交流に見られる将来的相互理解実現への「希望」。その人々の口を通じて繰り返し
    表現される「戦争の愚かしさ、虚しさ、悲しさ」。
     一方ではその対極にある、戦前の典型的な「神国日本」人のクローンのような情念
    的愚者たち。「希望」に冷や水をかけられる絶望的気分。当映画はそういう情の世界
    を、淡々と公平に描くことによって、逆に観る者の心をざわめかすことに成功してい
    ると言えるように思います。

     ただ、この種の映画やドキュメンタリーは過去に幾つもあったので、私個人にとっ
    て、特に新しい衝撃を受けたということはありません。私の頭のなかでグルグル回っ
    ていたものに、何らかの形で触れていればなお良かった、と思うのは無いものねだり
    でしょうか? 戦後も既に60数年、戦争や平和を情念・情緒的に語るだけで求心力
    を維持し、強化するのは非常に難しい時期になっているのではないでしょうか?

     

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