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Tuesday, September 26, 2017

歴史否定派勢力に妨害される オンタリオ州・南京大虐殺を記憶する日の制定法案 (田中裕介 寄稿)Ontario's Bill 79 Attacked by Japanese Right Wing

カナダ・オンタリオ州で12月13日を「南京大虐殺を記憶する日」と制定する Bill 79という法案が、世界各地への「慰安婦像」への妨害と同様、日本の右派(政府を含む)や右派からの影響を受けた現地の日本移民などからの妨害を受けている。この件についての、トロントのライター田中裕介氏に記事を提供していただいた。これより短い記事は9月22日『週刊金曜日』にも掲載されている。
(9月30日追記。金曜日の許可があったのでこの記事も下方に貼り付けました。)

この法案については日系カナダ人を代表する作家ジョイ・コガワ氏が地元紙「トロント・スター」で支持を表明し、日系の若い世代がリーダーシップを取って「強制収容という迫害の歴史を経てきた日系こそ支持をするのが当然である」という声明を出したりしてきた。長年トロントでアジア系カナダ人同士の連帯をつぶさに見てきた田中氏のメッセージ:
カナダの日系社会は日本から押し寄せるナショナリズムの波にのまれつつある。多民族社会で育った若者たちの「共生の論理」に学ぶ時がきたのだと思う。
を心に刻みたいと思う。

バンクーバーでも歴史否定派のネトウヨが日本からわざわざ来て地元イベントに潜入し、産経新聞や「桜」チャネルなどで、あることないことを言いふらしているようだ。そういう人に伝えたいが、「歴史戦」とか称して海外にまで来て、恥の上塗りをするのはやめなさい。まず外国語を勉強して、日本語以外の本や記事を読みなさい。いろいろな国の人と話して視野を広げなさい。@PeacePhilosophy  乗松聡子

以下、田中氏の記事です。

オンタリオ州議会に提出された第79「南京虐殺事件記念日制定」法案


一部日系人やそれに呼応する本国の右派勢力が強行に妨害


田中裕介

 今を去ること1992年10月、戦後初の天皇訪中はまた国交正常化20周年の年だった。天安門事件の傷も生々しいこの時期に、中国政府の招待に応じた日本の象徴が何を語るのか。世界が注目した。

 ここカナダのトロント市では、中国系、韓国系を中心に、日系の代表を交えた200余名による、戦時中の日本軍による戦争犯罪に対する正式謝罪その他を要求する集会とデモがあった。天皇訪中に対する4項目の要求(南京虐殺の真相究明、正式謝罪、教科書へ侵略の記載、補償支払い等)が12000名の署名とともに日本総領事館員に手渡された。

 この時、カナダのアジア系コミュニティと南京虐殺事件との接点が生まれたのだと思う。当時は、トロントの中華街を歩くシニアの多くが、日本の侵略の生々しい証言者だった。

 そして25年が経過した。8月20付けの日本経済新聞に「南京大虐殺巡りカナダ州議会に意見書 自民有志14人 」という見出しの記事があった。「関係国間で好ましくない論争を引き起こす可能性がある」と自民党議員らがオンタリオ州議会に意見書を送った。また、「日本政府が前面に出ると、中国もこれに対抗して州議会への根回しを活発化させる恐れがある」と懸念してもいる。

 これはスー・ウォング議員がオンタリオ州議会に提出した「12月13日」を「南京虐殺記念日」に制定する「B79法案」のことだ。カナダに30年住み、日系コミュニティ新聞の編集者として人権問題と取り組んできた一日本人から見ると、これら自民党議員たちは、多民族社会の実相と共生の論理が全く見えていないのだと思う。

 「原爆記念日」、「関東大震災の日」など負の歴史を次世代に伝えるのが日本の親たちの責任であろう。当地にも「先住民の日」があるし、1998年にユダヤ系が被った「ホロコースト」、2009年に旧ソ連内で人工的とされる飢餓で多数のウクライナ系住民が死亡した「ホロドモール虐殺記念日」も制定されている。一方、日本は未だにアイヌを先住民族として認定していない。小池東京都知事に至っては、関東大震災での朝鮮人虐殺の追悼文を取り止めるという逆方向に舵取りをした。他者の存在を見ようとはしていない。

 トロント市役所前には、広島の灯と長崎の水を湛えた平和庭園がある。恒例の原爆記念式典で黙祷を捧げる200人ほどの出席者は約8割が非日系人だ。多民族社会では他者から学ぶという姿勢が必要なのだ。

 「B79法案」に話を戻すと、既に昨年12月にトロント市議会では、ギリシャ系のジム・カリギニヤス市会議員が提出した「南京虐殺80周年」を記念する決議をしている。カリギニヤス議員は、「ギリシャも同様の虐殺の負の歴史を抱えている」と祖国の例を出して記憶することの大切さを語った。

 一方、カナダの学校で学ぶ歴史は今もヨーロッパ史が中心だ。アジア系が40%を占めるトロントでは、教育者はアジア史を教える必要性を痛感している。

 前出の自民党議員の本音は、彼らの「歴史認識」の輸出をしたいということだろう。これらの議員は、南京大虐殺を過小評価し、「慰安婦」問題は朝日新聞が捏造したといった偽りの情報を国内で流布し、日本人の歴史認識を塗り替えようとする保守派の「歴史戦」に、国内的には既に勝利したと思っている。 

 ここで憂慮すべきは、カナダの親日派の学者たちがこの意図を見抜けずに「日本はもう十分謝罪してきた。もっと前向きになるべきだ」と、歴史を抑え込もうとする日本側の肩を持つような発言をしていることだ。「B79法案には反対だ。これは虐殺された無辜の民を悼むものではなく、日本を悪魔に仕立てる愚劣な政治目的に使われるものだからだ」とカナダの政策を論ずるサイトで主張するのは、トロント大学のデビッド・ウェルチ政治学教授だ。「中国政府はメディアを使い反日感情を煽り続けている。B79法案はそれを裏付けるもので、カナダ社会に亀裂を生むだけだ」と断言する。これに呼応するように地元の日本関係の学者たちは一切口を閉ざしてしまった。     
 
 全カナダ日系人協会(NAJC)や日系文化会館(JCCC)に依拠する移住者たちは、真珠湾攻撃の後、自分たちが差別の対象となったことを忘れるな、これは中国と日本の間の問題でありカナダ市民とは関係がないのだと反対する。

 そして、差出人不明のハガキが日本からオンタリオ州の議員全員に届いた。全て同じ文面で、「1937年12月から翌3月まで南京市内の推定人口」と題して、幾つかの文献から引用し、虐殺があったとされる時期に、「国際安全区には20万から30万まで人口が増えてさえいる」としている。
(写真説明:日本からオンタリオ州議会議員の全員に送られてきた、
歴史修正主義者が作成したと思われるハガキ。南京虐殺があったとされる1937年12月末の南京市の人口は推定25万だったが、翌3月末には推定27万人に増加していると記されている。これは国際安全区とその周辺のみのサンプル統計から類推された数字を南京市の総人口だと拡大解釈したもので、近郊6県を含む広大な首都南京市の人口とはおよそかけ離れた数字だ。)

 これは、灘高校の歴史教科書の使用に抗議するハガキと同じ趣旨だ。いわゆる「大東亜戦争肯定史観」なのである。

 「愚劣な政治目的」とは、このような策動を言うのではないか。今年、ウェルチ教授は日本政府が500万ドル(約5億円)を寄付してトロント大学に新設させた「グローバル・ジャパン」学科の主任に就任した。
 
● エスニック人権運動の成果
 1988年、NAJCは、第二次大戦中の強制収容、財産没収に対してカナダ政府から謝罪と賠償を獲得した。40数年間執拗に訴え続けた成果だった。

 この日系リドレス運動の経緯は拙訳のマリカ・オマツ著「ほろ苦い勝利」(1994)に詳しい。それによると、最終局面で日系人のリドレス運動を躍進させたのは、先住民、ユダヤ系、中国系、韓国系、ウクライナ系カナダ人などエスニック・マイノリティ22団体の連帯表明だった。
 特に、香港移民の若者たちは、1970年代から今日までカナダの人種差別と果敢に戦ってきた。      

 一方、韓国系移民は、ベトナム戦争で米軍が敗退すると即座に大量に流れ込んできた。北朝鮮の脅威が背後にあった。元慰安婦の金学順が証言者として出現した1991年からキリスト教会や韓国系女性協会が先頭に立ち、女性に対する暴力として「慰安婦」問題と取り組みだした。

 それと並行して、中国系カナダ市民協進会(CCNC)は、1992年の天皇訪中を機に「南京虐殺」運動を開始した。今般のB79法案は、こうした日系リドレス運動から続くカナダの人権運動の一つの成果だった。

 当然にもNAJCは、これら韓国系の慰安婦問題、中国系の南京虐殺問題を支援した。それは、2007年、「慰安婦」が日本帝国による性奴隷制度であったことを認め、教科書にその事項を記載し、真摯な謝罪を行うようにとの日本政府への提言を連邦議会で採択する頃まで続いた。ところが、その後は急激に退潮して行った。これは、日本と中国、韓国の領土問題、教科書問題の影響が移民地にまで及んだことを意味する。
 (写真説明:7月24日、トロント市内でB79法案を支援する記者会見が行われた。中央でマイクを持つのがスー・ウォング州議会議員。その右隣がアルファのジョセフ・ウォング医師。右端二人は、日系人側の支援者代表で作家のジョイ・コガワと日系人ユース・グループのレン・イトー。)

B79法案を推進してきたのは、アジア太平洋戦争史を理解し保存するNPO団体のアルファ(ALPHA)で、その中心になっているのは、こうした香港移民である。その一人、トロント・アルファのリーダーで内科医のジョセフ・ウォング(66)は、1970年代から人種差別反対の先頭に立ち、さらに、90年代に高齢化する同胞社会のために長期ケア施設を設立した。そして、その一部を日系人に提供している。今も無償で会長を務め、内科医の仕事と両立させている。 

 ところが、2009年に日系人が共著で出した、カナダの産業スパイの実態を暴いた「Nest of Spies」という本に、アルファが中国政府のエージェントであると匂わす記述があった。途端に、噂は日系社会に広まり、日系のリーダーたちが、「アルファに近寄るな」と触れ回った。

 日本国領事が、筆者の編集室に真偽をただしに来たこともある。こちらの答えはこうだ。香港移民たちは中国本土から来た移民とは、民族主義に温度差がある。1989年の天安門事件が起きた6月、中国総領事館に抗議に押し寄せたのは香港移民だった。ジョセフ・ウォングもその一人だ。純然たる人権活動家なのだ。

 前述の「Nest of Spies」の出版社は、事実無根であるとして名誉毀損でアルファに訴えられ、高額の慰謝料を課された。だが、燎原の火となって広まった「噂」は未だに消えない。

●今こそ「共生の論理」に学ぶ時
 9月、オンタリオ州議会が始まり、10月中にはB79法案の成否が決まる。だが、ここへきて前出の日系社会の重鎮でオンタリオ州法廷の裁判官マリカ・オマツが「反対」を表明した。「自分たちが人種差別の標的になったことを忘れるべきでない。日系カナダ人と日本人を区別していないB79法案は受け入れられない」という。ここにあるのは他者への共鳴ではなく、他者への恐れと自己防衛の論理だ。

 かつて彼女の著書を和訳し、そこから人権思想を学んだ筆者は戸惑いを覚えた。明治以来の日本のアジア侵略は人種差別の歴史そのものだった。マリカは、犠牲となったアジア諸国民の傷の深さに思いが至らないのか。リドレス勝利から29年。これからは他の少数者の正義を求める闘いを支援すると約束した、あの崇高な人権意識の風化を思い知った。

 一方、希望も見えた。日系の若者たちが立ち上がったのだ。アジア系人権運動の一環としてB79法案を支持するのは当然であり、州議会に宛てたB79法案反対の声明を撤回しろという抗議文をNAJC上層部に送った。この若者層を支持する作家ジョイ・コガワ等かつてのリドレス活動家も声を上げた。更に、中国系、韓国系の若者たちが広島長崎記念日に参加し、亀裂どころか連帯を強化している。

 一方、カリフォルニア州の日系人権団体NCRRは、地元の慰安婦像設置運動を支援してきた。そして、「それによって日系人が差別の対象になったというケースはない」と断言している。

 昨年、「親学」の高橋史朗が「トロント正論の会」の招きで日系会館で講演した。集まったのは50名ほどの高齢の移住者だった。「子どもの発達障害は伝統的な子育てで防げる」といった非科学的な理論で批判を浴びている「親学」を提唱する高橋史郎が日本語で語る、国際人となるための日本の伝統的な子育て方法が北米でいかほどの意味があるのか。しきりに頷き聴き入るシニアたちの肩越しに見えてきたのは、「美しい祖国日本」への郷愁だ。そして、それは冒頭の自民党議員たちが共有する「大東亜戦争肯定史観」に重なってゆく。危険だと思う。

 今、カナダの日系社会は日本から押し寄せるナショナリズムの波にのまれつつある。多民族社会で育った若者たちの「共生の論理」に学ぶ時がきたのだと思う。自分たちの祖先に大きな刻印を残した南京虐殺事件を平和を願う記念日とすることで、「亀裂」を乗り越えて「和解」へ向かう第一歩としてほしいと思う。


たなかゆうすけ:元日系ボイス・マネージングエディター。フリーランス・ライター。和訳書に「ほろ苦い勝利」(1994)、「暗闇に星が輝くとき」(1999)等。

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日系カナダ人からオンタリオ州ウィン首相への手紙:私たち日系カナダ人は、オンタリオ州議会のBILL79(南京大虐殺を記憶する日の設立)を支持します。

田中裕介氏の過去の投稿
歴史に何を学ぶか ­– 80年後に甦った「石の声」

★週刊金曜日9月22日号の田中裕介氏の記事です。
注:金曜日の記事は記者会見の写真キャプションが誤っています。以下訂正します。
7月24日、トロント市内でB79法案を支援する記者会見が行われた。中央でマイクを持つのがスー・ウォング州議会議員。その右隣がアルファのジョセフ・ウォング医師。右端二人は、日系人側の支援者代表で作家のジョイ・コガワと日系人ユース・グループのレン・イトー。」



Sunday, May 15, 2016

田中裕介:歴史に何を学ぶか ­– 80年後に甦った「石の声」 Yusuke Tanaka Introduces New Publication: Torn Memories of Nanking

日系カナダ人のコミュニティ、歴史、文化を伝える雑誌、『The Bulletin(げっぽう)』5月号に載った田中裕介氏の記事を許可の上転載します。


歴史に何を学ぶか ­– 80年後に甦った「石の声」

田中裕介(トロント在住)

 年末の帰省便の機内で「日本の一番長い日」(原田眞人監督・2015)を見た。敗戦後の日本の方向性を決めた御前会議での政府首脳陣の苦悩は、緊迫感に溢れていて、復路でも再度鑑賞した。日本が無条件降伏するかどうかを迫られた時、青年将校が叫ぶ。「続行あるのみ!わが軍は局地戦では負けていても、戦争には勝っている!」。まるでプロ野球の放送席インタビューの台詞だなと思った。負けたチームの監督が「試合には負けましたが、プレーでは勝っていました。次に繋がるよい試合が出来たと思います」と言う負け惜しみだ。 この論法で突き進むならば、全滅する最後の一人まで「負けていない」ことになる。これは、降伏はしたが正義の戦争だったと正当化する大東亜戦争史観である。

 全ての戦争は政治の破綻である。先ず国民の生命の安全を託された政治家が戦場に赴くべきだと思う。殺し合いで平和が達成できるのなら政治家はいらない。
著者の松岡環さん(413日、
トロント大での出版記念会で田中撮影)
 一方に、「南京大虐殺はあったのか、なかったのか」という日本人が飽きずに繰り返す議論がある。これは世界中の歴史学者を敵に回して、「なかったのだ」と主張する、いわば現代版「大本営発表」の妄信でしかない。当然にも「100人以上の犠牲を出した惨禍の都市や村は、中国全土で390カ所を数えました」という作家・松岡環さんの言説をも否定することになるだろう。初の英語による、南京戦での加害者と被害者の両方の証言集が4月に北米で出版された。

●リドレス以後の日系内部の変節
 193712月初頭から6週間ほどで30万人の中国人を日本兵が殺害したとされる事件が、来年2017年で80周年を迎える。僕は1989年に日系ボイスの日本語編集者になってから、「人権問題の番犬たれ」というNAJC(全カナダ日系人協会)の 使命を担って、この問題を取材してきた。リドレス運動では、中国系、韓国系、先住民など20以上の民族系団体が支援してくれた。だから、今度は恩返しをする番だとするNAJCの姿勢は明快だった。だが、じきに決着する問題だと楽観していたが、25年経ても解決の目処はつかない。

 慰安婦問題も南京虐殺事件も、日本は世界を敵に回してしまい、本丸しか残っていない。政府が動かなければ埒があかないのは確かだ。2009年、NAJCトロント支部長が僕のデスクに来て、「これは日本と中国、韓国の問題であり、カナダが取り組むべき問題ではない。どこかで線引きすべきなのだ。でなければ、そのうちあんたとショーダウン(決闘か?)することになるだろう」と言われた。紙面で取り上げるなという圧力のつもりだったのだろう。

 だが、公の場でそんなことを発したら、カナダ市民から袋叩きにあうだろう。経済専門家マイケル・ジュノー・カツヤはその共著「Nest of Spies」(2009)で、カナダのアルファという人権団体は「中国政府のスパイである」と書いた。直ぐに告訴されて該当箇所が削除され、謝罪と賠償が課された。日本の戦争責任問題は、アジア系カナダ市民が今も抱える人権問題なのだ。僕自身が身をもってそれを実感した。

 1992年、戦後初の天皇による中国公式訪問に際して、トロントでは、南京事件の真相究明、謝罪、教科書への記述など5つの要求を提出して一万名の署名が集められ、250名が日本総領事館まで行進をして届けた。記者会見では、実際に日本軍に暴行をされた数人が現れて証言した。幼い頃、目の前で母親が強姦されるのを目撃した女性は絶句したまま、通訳と一緒に泣き続けた。ところが、その後、仕事場のある中華街を歩いていたら、買い物袋を抱えて急ぎ足で歩くこの女性とすれ違ったのである。その一瞬、自分が暮らすこの街が戦時中の中国の重慶や南京と時空を超えて繋がっているのだと悟った。

 そして、24年。史実の真偽を議論せずに、どう認識するかという議論にすり替えているのは、世界広しと言えども日本人くらいだろうと思う。「いくらなんでも3週間でそんなに殺せるはずはない。せいぜい5万人くらいだろう」と問題の焦点をはぐらかす作家がいる。「残念ながらそれを証明する書類はみつからなかった」と意図的に焼却された事実を顧みず、一次資料の欠如を吹聴する歴史家がいる。証拠として「ジョン・ラーベの日記」が出版されると、「ナチ党員のラーベが書いたものは信憑性に欠ける」と言い捨てて旭日旗を仰ぐ青年を知っている。

 トロントにワーホリで来た旭日旗青年と一年間付き合った。彼は第二次大戦中のいわゆる戦記物を愛読しており、とてつもなく戦史に詳しい。聞けば、父親は自衛隊員だという。「南京戦は迫撃砲戦だけで、掃討作戦でいくらかの死者はあったようですが、大量虐殺などなかったというのが歴史家の常識です。第一、日本人はそんな残虐なことをするようには教育されていない。そう思いませんか」と逆に、僕の《日本人性》が問われた。この根拠皆無の選民意識こそが二千万とも言われる殺戮を許したのである。何も変わっていない。

●新刊書「引き裂かれた記憶・南京戦」

 1980年代、小学校教員だった松岡環さんは、在日コリアンの教え子から「生徒には勉強しろと言うてるけど、先生は何を勉強しとん?」と、日本のアジア侵略の歴史の無知さを指摘された。そこで、1988年に南京への学習ツアーに加わったのが転機になったという。1997年から南京戦に従軍した三重県の元兵士たちを訪ね歩き聞き取り調査を重ねて、「南京戦­­−元兵士102名の証言」(2002年)にまとめた。何度も訪ねてゆくうちに、齢80を超えた元兵士たちは次第に話し始め、その数250名にのぼった。

 一方で、休暇を利用して頻繁に南京に通い、市内で老人たちを見かけると、「1937年当時、あなたは南京にいましたか」と捜し回り話を聞いた。「犠牲となった人たちも驚くほど協力的でした。わざわざ日本人が聞きに来てくれたと喜んでくれたのと、私が何も知らない女性だったこともよかったのかも知れません」という。中国側の聞き取りは300名に及んだという。

 だが、強姦されたことを認めた女性は、南京市内ではわずか「7名」。「家族が犠牲になったと語る人はいても、本人は決して語りませんね。夫や家族にもひた隠しにしているのです」。

 トロントの移住者女性から「もし慰安婦が20万人もいたのなら、何故もっと早くから名乗り出てこなかったのですか」と問われたことが2度ある。言外に韓国政府が仕組んだやらせだと言いたいらしい。僕は「日本でも新聞を通じて女性たちが募集され戦地に送られました。戦後、名乗り出た女性はいますか」と逆に質問した。答えは「たった一人城田すず子さんを除いて皆無」なのである。これが何を意味するかを、どうか考えてほしい。「石の声」を探してほしい。

 松岡さんによると、南京戦に加わった元日本兵たちは、「上海陥落から南京に至るまでは能弁に語るのですが、南京ではどうしましたかと聞くと、『(軍人会の)軍恩新聞に話したらダメやと書いとるやないか』と口を閉ざすのです」。掟破りの罰則は村八分だ。その恐怖と恥と世間体が真実を隠蔽しているのだ。

 もう一つ残念なことは、保守派が訴える「国益を守れ」と、真相究明を訴える活動家たちに投げつけられる「売国奴」という誹謗だ。こんな頑迷固陋な人たちのために、如何に莫大な「国益」を日本が国外で失ってきたことか。多民族社会の北米で感じる近年の日本の地位低迷、影の薄さをみれば明らかだ。真の「国益」とは、 平和の維持である。海外から日本を見た時、軍国主義の象徴である旭日旗を振り回し、非戦日本の誇りを踏みにじるこういった「売国奴」こそ排除されなければならない。

 インタビューの最後に、海外からも支援しますと言うと、松岡さんは「外圧はダメです」と意外な反応が返ってきた。「外圧で政治が変わっても、社会は変わりません。内側から変化していかなければなりません」という。確かにそうだ。憎悪で充満したヘイトグループに外圧を加えてもいたずらに弾け飛ぶだけだ。彼らの憎悪をしぼませることができるのは、外圧ではない。内側から風穴を開ける日本人内部からの知性と理性だけだろう。

JCCAブルテン20165月号掲載記事を許可を得て転載しました。

“TORN MEMORIES OF NANKING”「引き裂かれた記憶・南京戦」は、既に出版されている「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて−­元兵士102人の証言」(2002年)と「南京戦・切り裂かれた受難者の魂­−被害者­­120人の証言」(2003年)から抜粋し再編集した初の英訳証言集。英語版は Toronto ALPHA 発行。問い合わせはinfo@alphaeducation.orgへ。


田中裕介(たなか・ゆうすけ)
元日系ボイス・マネージングエディター​ 。
​​現在は日系メディア等に寄稿している。トロント憲法九条の会、広島長崎記念日連合委員、トロント・コリアン映画祭理事。1994年以来トロントで「語りの会」を主宰し、海外にも出張し英語で日本の昔話、アイヌ民話や創作話などをギターの弾き語りをまじえて演じている。1951年札幌市出身。早大卒。