Sunday, April 08, 2012

日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: 田中利幸バンクーバー講演録

この講演録は必読です。

広島市立大平和研究所教授・田中利幸さんは3月19日、バンクーバーの「ピース・フィロソフィー・センター」で地元の市民向けに日本語で講演しました(共催:バンクーバー九条の会)。米国公文書館からの最新の資料もまじえて、戦後日本、特に広島をターゲットにした原発推進、「科学立国」を盾にした科学者たちも含む無批判の「平和利用」推進、その背景には日本に原爆を落とした上、戦後も「核」で日本を支配し続けようとしてきた米国と、核兵器製造への野望を抱き続けてきた日本の共謀や駆け引きが行われてきたことを明解に説明してくれました。私にとっては、50年代、米議員イエーツが広島に原発をプレゼントしようとした動機に、被爆者のための病院を作るより「有効」であるという考えがあったということが衝撃的であり、日米の一連の核政策が、結局は市民の命や安全や健康を犠牲にすることで成り立ってきたということを象徴する発言であると思いました。
そして以下の田中氏の結論にもあるように、

・・・かくして、日本の反核運動の主流ならびにその重要な一部を担ってきた被爆者たちのみならず、国民のほとんどが、「原子力平和利用」についてはほとんど本質的な検討をしないまま、核兵器保有・使用・持ち込みにだけは反対という態度をとってきた。しかし、核兵器保有・使用に関してもまた、我々は、これが基本的には単にアメリカをはじめとする核兵器保有国の問題であるとしかとらえず、いつもこの問題を「原爆被害者」の立場のみから見るにとどめ、日本政府自体が核兵器製造・所有を核エネルギー導入の最初から企て、その製造能力維持を長くはかってきたことを、いわば「加害者となる可能性」という観点から直視しようとはしてこなかった。
原発と核兵器が別ものであるとの錯覚によって双方の存続を許してきてしまったことを認識し、原発と核兵器の問題を自分たち自身の問題として捕え、市民が活動・発言していく大事さを改めて確信しました。@PeacePhilosophy
3月19日バンクーバー「ピース・フィロソフィー・サロン」で講演する田中利幸氏

講演概要

「原子力平和利用」と日本の核兵器製造能力維持政策


田中利幸

広島平和研究所

A)はじめに 講義の概略

「原子力平和利用」導入の三つの動因

(1)  米国の覇権戦略としての「原子力平和利用」— とくに日本の被爆者・反原水禁運動への心理戦略を目的とする「平和利用」—

(2)  科学者を含めた戦後進歩的潮流の科学技術進歩志向と近代イデオロギー

(3)  戦後保守政治勢力の改憲・核武装への野心と核持ち込みへの経過

B) 原爆開発と「原子力平和利用」の歴史的背景

1938年、ドイツの化学物理学者オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーが、人類史上初めてウランの核分裂実験に成功。そのわずか7年後の1945年7月16日午前5時半、米国アラモゴードで史上初の核実験「トリニティ」。その3週間後の8月6日午前8時15分、広島上空に投下されたウラン爆弾が炸裂し、7万人から8万人の数にのぼる市民が無差別大量虐殺の犠牲となる。その3日後の午前11時2分、今度は長崎にプルトニウム爆弾が投下され、4万人が即時に殺戮され、年末までに7万4千人近い人たちが亡くなっていった。

広島・長崎原爆投下からほぼ2年後の1947年7月26日、米連邦議会で「国家安全保障法」が成立し、これをもって「冷戦」が正式に始まった。戦後の核技術の新しい応用の重要な一つが、潜水艦の「動力源」。原子炉を使い、燃料交換なしで長時間、長距離を潜水航行でき、核弾頭を装備したミサイルを適地近辺の海域から発射することができる潜水艦ノーチラス号の開発。この潜水艦用の原子炉が沸騰水型の「マーク I 原型」=福島第1原発の原子炉と同型。

第2次大戦直後の数年間はアメリカが核軍事力を独占していたが、それも1949年8月29日にセミパラチンスクで行われたソ連初の核実験の成功で終わりを告げた。さらにソ連は、1953年8月12日に水爆実験と思われる核実験を行った。これに対抗して、アメリカ側は、1951年から53年にかけて、合計36回の爆発実験を実施し、軍事力の誇示に努めた。こうした事態のために、近い将来に米ソ間で核戦争が引き起こされるのではないかという不安が高まってきた。

このような緊張した状況を緩和する手段として、1953年12月8日、米大統領アイゼンハワーが、国連演説で “Atoms for Peace”、すなわち「原子力平和利用」なる政策を打ち出した。このアメリカの平和政策の背後には、アメリカ軍事産業による西側同盟諸国資本の支配という野望が隠されていた。

史上初の核兵器攻撃の被害国である日本も、アメリカのこの「原子力平和利用」売り込みのタ−ゲットにされ、アメリカ政府や関連企業が1954年の年頭から様々なアプローチを日本で展開し始めた。その結果、日米安保体制の下で、兵器では「核の傘」、エネルギーでは「原発技術と核燃料の提供」、その両面にわたって米国に従属する形をとるようになった。その結果、日本政府は、核兵器による威嚇を中心戦略とする日米軍事同盟と、原発からの放射能漏れならびに放射性廃棄物の大量蓄積の両面で、これまで多くの市民の生存権を長年脅かしてきただけではなく、そのような国家政策に対する根本的な批判を許さないという体制を維持してきた。

C)広島ターゲット作戦第1弾:「広島に原発建設を」

19543月、ビキニ環礁における米国の水爆実験で第5福竜丸が死の灰を浴びるという大事件によって急激な高揚をみせた日本の反核運動(3千2百万人が反対署名)と反核感情を押さえつけ、さらには態勢を逆転させるため、さまざまな「原子力平和利用」宣伝工作を展開。

1954921日:

米国原子力委員会のトーマス・マレーが、アトランティック市で開催された米国鉄鋼労組大会で、アメリカ援助による原発の日本国内建設を提唱。

「広島・長崎(原爆投下)の記憶が鮮明にまだ残っている今、日本のような国にそのような(原子力)発電所を建設することはひじょうに劇的なことであり、かつまた、これら二つの都市に対して行われた殺戮の記憶から我々を遠ざけるキリスト教的行為ともなる。」「このようにして、我々は、汝の敵を赦せという十戒に現実的な意味をもたせることができるのであり、暗澹として疑心に満ち、分裂状態にある現在の世界に対して、我々が関心をもっている核エネルギーは、単に兵器にのみ限られたものではないということを知らしめることができる。」

1955127日:

米国下院の民主党議員シドニー・イエーツが広島市に日米合同の工業用発電炉を建設(建設費22,500万ドル、出力6万キロワット、資源はアメリカから持参3年計画)する緊急決議案を下院本会議に提案し、214日の本会議でも再度この決議案に関して演説。

「日本の場合、戦争が産み出した原子が日本人に与えた焼印の傷を消し去ることで役立ちたいという我々の願い、そのような友情を築く上で、原子を平和という形で利用し、自然資源が極めて少ない彼らを助けるという形での奇跡を可能にするほど現実的なやり方はない。」

「(その意味で、)原子力の平和利用に向けての原子炉を、原爆による破壊を初めて受けた場所に建設することは極めて適切であると私は考えます。」

同年24日、イエーツは、上下両院合同原子力委員会およびアイゼンハワー大統領に書簡を送り、同決議案の実現を要請したが、その書簡の中で次の3点を明らかにしている。

. 広島を原子力平和利用のセンターとする。

. 私の考えでは広島の原子力発電所は3年以内に操業できる。

. 私は最初原爆に被災し、いまなお治療を要する6千名の広島市民のため病院建設を計画したが、原子力発電所建設の方が有用だと考えるに至った。 

広島側の反応:

浜井市長:「医学的な問題が解決されたなら、広島は“死の原子力”を“生”のために利用することは大歓迎」。

渡辺市長(5月に市長に就任):「原子炉導入については世界の科学的水準の高い国々ではすべて原子炉の平和利用の試験が行われ、実用化の段階に入っているので、日本だけ、広島市だけいたずらに原子力の平和利用に狭量であってはならない。適当な時期に受入れる気持である。」

長田新((おさだあらた)広島大学名誉教授で、子供たちの原爆体験記『原爆の子』を編集):「米国のヒモつきでなく、民主平和的な原子力研究が望ましい。」

森瀧市郎(当時、広島大学教授、原水爆禁止広島協議会の中心的人物):「アメリカ人に広島の犠牲のことがそれほどまっすぐに考えられることならば、何よりもまず現に原子病で苦しんでいる広島の原爆被害者の治療と生活の両面にわたって一部の篤志家だけに任せないで、国として積極的な援助をしてもらいたい」と拒否反応。のみならず、反対の理由として、原発が原爆製造用に転化される懸念、平和利用であってもアメリカの制約を受けること、さらに、戦争が起きた場合には広島が最初の目標になる危険性を挙げている。

しかし、全般的には、多数の被爆者が「原子力平和利用」に対し、最初から「条件付き賛成」という態度を表明。

アイゼンハワー大統領ならびに国務省の意見:

「広島に原子炉の贈り物をという提案は、ある人々には米国が(原爆投下という)罪を認めたと受け取られ、米国の対日本政策を損なうものとなるであろう。」

「このような提案は、広島で核兵器用の(高濃度)プルトニュウム生産が可能となり、それが米国に輸送されるということであり、そうなれば、我々が広島で生産したプルトニュウムを兵器用のために貯蔵しているという非難にさらされるという、心理的ブーメランについても考慮する必要がある。」

D) 広島ターゲット作戦第2弾:「原子力平和博覧会」

「ホプキンス原子力使節団」訪日(195559日から1週間):

読売新聞社主・正力松太郎が、原子力援助百年計画の提唱者であるゼネラル・ダイナミック社長のジョン・ホプキンスを代表とする「ホプキンス原子力使節団」を東京に招待。滞在中に、鳩山首相と懇談させたり、随行員として連れてきたノーベル物理学賞受賞者、ローレンス・ハウスタッドに「平和利用」に関する講演会を日比谷公会堂で開き、テレビ中継を行ったりした。

「原子力平和利用博覧会」(東京:読売新聞主催、1955111日〜1212日):

この博覧会は、アメリカが当時、“Atoms for Peace”政策の心理(=洗脳)作戦の一部として、CIAが深く関与する形で、米国情報サービス局(USIS)が世界各地で開いていたものであった。

広島での開催(1956527日〜617日の3週間):

東京の後、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、札幌、仙台、水戸と巡回。広島の場合には、広島県、市、広島大学、アメリカ文化センター(ACC=USIS)および中国新聞社の共同主催で、予算は728万円を計上。会場=平和公園内に前年8月に完成した広島平和記念資料館と平和記念館(現在の平和記念資料館東館)。

展示物の中で広島にとって「適当」とみなされるものを、アメリカ側が広島平和記念資料館に寄贈=アメリカ側は、最初から「原子力平和利用」宣伝が、広島で、しかも原爆被害の実情を伝える目的で建設された平和記念資料館内で、繰り返し行われることを狙っていた。

展示内容:

1)原子力の進歩に貢献した(湯川秀樹を含む)科学者の紹介(2)エネルギー源の変遷(3)原子核反応の教育映画(4)原子力の手引(5)黒鉛原子炉(6)原子核連鎖反応の模型(7)放射能防御衣(8)ラジオアイソトープの実験室(9)原子力の工業、農業、医学面における利用模型(10)田無サイクロトロン模型(11)マジックハンド(12)動力用原子炉模型(13)CP5型原子炉模型(14)水泳プール型原子炉模型(15)原子力機関車、飛行機、原子力船の模型(16)移動用原子力炉、実験用原子炉模型(17)PGD社原子力発電所模型(18)原子物理学関係図書室

配布パンフレット『原子力平和利用の栞』:

「原子医学が無数の人々の命を救ったことは周知のことである。原子力によって農場では食糧が増産された。商業面では、洗濯機・たばこ・自動車・塗装・プラスチック・化粧品など、家庭用品の改良のために。アトム(原子)は一生懸命はたらいてきた。

豊富な電力は冬にはビルをあたため、夏にはビルを冷房してくれる。だが、原子力はそれ以上の意味があるのだ。医者は本世紀の終わりまでには、ある種の危険な病気は完全になくなるだろうと予言する。もし、われわれが賢明であれば、原子力はすべての人に食を与え、夢想にも及ばぬ進歩をもたらすことになろう。」

「病院では、ラジオアイソトープは奇跡をあらわす名医である。その放射線は腫瘍やガンの組織を破壊する。それは赤血球の異常増加を抑止し、アザをとり除き、甲状腺の機能状態を明らかにして、その機能昂進を抑制する。血液の中に注射されると、その放射線は人間が生きるためには何リットルの血液が必要か、また血球の補充力が低下しているかどうかを医者に告げる。」

かくして、原子力利用は、発電のみならず、医療、農業、工業など様々な分野で、今後飛躍的な一大進歩を遂げることが期待されており、「全人類の福祉のために、その前途は無限に輝いている」というメッセージになっていた。

広島で開催された「原子力平和利用博覧会」への入場者数は記録的な数となり、中国新聞報道によると、「広島会場の総入場者数は109,500名。広島の男女知識層を中心に遠くは長野県、茨城県、北九州からの見学者、全国校長会議出席者、中国5県からの団体見学者など各地のあらゆる階層の老若入場者を集めた。」この博覧会で上映された原子力利用に関する11種類の映画は、広島アメリカ文化センターの管理下に置かれ、学校や文化団体に貸し出すという制度も設置された。

博覧会閉会後、原爆関係の展示物がもとに戻された資料館では、悲惨な原爆展示物を見終わった見学者が、見学の最後には、突然に、「原子力平和利用」に関する展示が置かれた、輝くような明るい部屋に誘導され、そこを通過して退館するような見学コースに変更。

E) 「広島復興大博覧会」

広島復興大博覧会:(195841日から50日間の会期)

平和公園、平和大通り、新しく復元された広島城の三カ所に、テレビ電波館、交通科学館、子供の国といった合計31の展示館を設置。中でも最も人気を集めたのが、史上初のソ連の人工衛星を展示した宇宙探検館と原子力科学館。原子力科学館には、アメリカが期待していたように、「原子力平和利用博覧会」の際に寄贈された展示物が再び展示され、その展示館として広島平和祈年資料館が再度当てられた。

今回は、原爆関係の展示物を別会場に移すことなく、「原子力平和利用」展示物と並列させるというスタイルがとられている。展示物を並列させることで、「核兵器=死滅/原子力=生命」という二律背反論的幻想を強烈に高めた。

『広島復興大博覧会誌』:「近い将来実現可能な原子力飛行機、原子力船、原子力列車などの想像模型が並べられている。人類の多年の夢が、今や現実のものとなってくるかと思えば本当に嬉しい限りだ。原子力の平和利用は、世界各国が競うて開発しているところであるが、ここには各国最新の情勢が写真でもって一堂に集められている。今や日進月歩の発展を遂げつつある世界の原子力科学の水準に一足でも遅れないようにわが国も努力をつづける必要があると痛感させられる。」

この復興大博覧会を訪れた見学者は、「原子力平和利用博覧会」の見学者のほぼ9倍にあたる917千人。

まさに地獄のような原爆体験をさせられ、放射能による様々な病気を現実に抱え、あるいはいつ発病するか分からないという恐怖のもとで毎日をおくっている被爆者たち、しかも被爆者の中の知的エリートたちまでもが、なぜゆえに、かくも簡単にこの二律背反論的幻想の魔力にとり憑かれてしまったのであろうか?

かくも苦しい体験を強いられ、愛する親族や友人を失い、自分も傷つけられた被爆者だからこそ、「貴方たちの命を奪ったものが、実は、癌を治療するのに役立つのみならず、強大な生命力を与えるエネルギー源でもある」というスローガンは、彼らにとっては、ある種の「救い」のメッセージであったと考えられる。

アメリカにとって、とりわけ原子力推進にかかわっていた政治家や企業家にとっては、「毒を以て毒を制す」ごとく、原爆被害者から「原子力平和利用」支持のこのような「お墨付き」をもらうことほど有利なことはない。それゆえにこそ、広島が、とくに被爆者が、「原子力平和利用」宣伝のターゲットとされ、繰り返し「核の平和利用」の幻影が彼らに当てられ、被爆者たちはその幻影の放つ輝かしい光に眩惑されてしまったのである。その意味では、被爆者たちは「核の二重の被害者」とも言える存在である。

F) 「原水爆禁止世界大会」での「原子力平和利用」支持

被爆者を支える意図も含めて立ち上げられた「原水爆禁止世界大会」が、「原子力平和利用」幻想を打ち砕くのではなく、逆にその発足当初から支持してしまい、被爆者の眩惑をさらに強めてしまったのみならず、反核運動にひじょうな熱意をもって全国から大会に参加した多くの市民をも同じ幻想におとしめてしまった。

195586日に広島市公会堂で開かれた第1回原水爆禁止世界大会:

オルムステッド女史(国際婦人自由平和連盟代表、米国人)の挨拶:

「私の国の政府が、人類の生活の向上に使わねばならない原子力を、破壊のために使ったことを深くおわび申し上げます。 …… 原子力は人間のエネルギーと同じく、あらゆる国であらゆる人に幸福をもたらさねばなりません」(強調:田中)。

「広島アピール」に含まれた文章:

「原子戦争を企てる力を打ちくだき、その原子力を人類の幸福と繁栄のために用いなければならないとの決意を新たにしました」。

長崎での第2原水爆禁止世界大会では、「原子力平和利用」に関する独自の分科会がもたれた。しかし、ここでも「平和利用」そのものを全面的に支持しながらも、原子力が巨大資本に独占されていることに対する批判に議論が集中。したがって、秘密主義、独占主義を排除し、「民主・公開・自主」という日本学術会議が打ち出した平和利用三原則を支持するという結論で終わっている。

かくして原水爆禁止世界大会では、「原子力の民主的な平和利用」こそが、様々な経済社会問題を解決する魔法のカギでもあるかのようなメッセージが、1963年に分裂するまで毎年、反復され続けたのである。(原水爆禁止世界大会は63年、原水爆禁止国民会議[原水禁]と原水爆禁止日本協議会[原水協]に分裂。1969年に原水禁が初めて公式に「原子力平和利用」反対の方針を打ち出した。しかし、実質的に原水禁が反原発で行動をとるのは、スリーマイル・アイランド原発事故後の1979年以降である。)

G) 科学者を含めた戦後進歩的潮流の科学技術進歩志向と近代イデオロギー

8月16日に天皇から新内閣の組閣を命じられた東久邇宮((ひがしくにのみや)は、戦時中の日本の最大の欠点は「科学技術」を軽視したことであると述べ、自国の敗北の原因を敵国の最新科学技術=原爆に求めた。新内閣の文部大臣に就任した前田多門は、就任直後の記者会見で「われらは敵の科学に敗れた。この事実は広島市に投下された1個の原子爆弾によって証明される」(強調:田中)のであり、「科学の振興こそ今後の国民に課せられた重要な課題である」と述べた。

「科学立国」という基本方針は戦後もそのまま持続され、様々な形で科学教育の推進がはかられた。しかし、それは、占領軍の民主化政策と絡み合いながら、日本独自の展開をみせる。とくに平和憲法の理念と密接に結びついて、「科学技術」は「平和と繁栄」と同義語であるかのような、情緒的とも言える受け止め方が日本社会に急速に浸透していった。戦争があまりにも悲惨であったため、平和の促進と経済繁栄のために「科学技術」の大いなる利用をという極めて短絡的な論理展開で、平和と科学技術を直結させてしまうという現象がみられるようになった。

戦時下の日本でも極めて小規模ながら「原爆開発研究」が行われていた。理化学研究所の仁科芳雄をリーダーとする「ウラン爆弾開発研究」、別名「ニ号研究」と呼ばれるプロジェクトと、京都帝国大学理学部の荒勝文策教授の指導の下に行われた、通称「F研究」と呼ばれる開発研究。この2つの研究プロジェクトには、当時の日本の原子物理学者のほぼ全員が動員されたが、「ニ号研究」の中には武谷三男が、「F研究」には戦後ノーベル物理学賞を授与された湯川秀樹が含まれていた。戦後、武谷も湯川も原水禁運動や核兵器廃絶運動に積極的に関わるようになるが、両者とも自分が「原爆開発研究」に携わったことに対する自己批判はまったく行っていない。もちろん、その当時、仁科や荒勝をはじめ、ほとんど誰も原爆を実際に製造できるなどとは考えてはおらず、原爆開発研究を科学者温存のための隠蓑として利用したことは周知のとおりである。

そのため、原爆開発研究に深く関わったという意識が薄かったためであろうか、湯川、武谷のみならず、多くの物理学者たちは、自分が関与したはずの軍事科学技術開発の批判的検討を行わないまま、1950年代半ばから始まった「原子力平和利用」の動きには、「基本的に賛成」という形で、いとも簡単に「軍事利用」から「平和利用」に横滑りしていく。「原子力平和利用」が、いかに密接に「軍事利用」と連結しており、「平和利用」の実体がいかなるものであるかを十分に検討しないまま、当時のほとんどの物理学者たちが横滑りしていった。しかし、こうした傾向は日本だけに見られた特殊なものではなく、1957年に、ラッセル・アインシュタイン宣言によって発足したパグウォッシュ会議に世界各地から参加した学者たちに、共通に見られた傾向であった。その後、世界パグウォッシュ会議も、また湯川や朝永振一郎がリードした日本パグウォッシュ会議も、中心テーマはあくまでも「核兵器廃絶」であって、「平和利用」の問題は完全に蚊帳の外におかれてきた。

H) 戦後保守政治勢力の改憲・核武装への野心と「核持ち込み」への経過

原子力平和利用の裏に隠された真の目的:

1951年9月8日、吉田茂首相がサンフランシスコで対日平和条約と日米安全保障条約に調印し、翌52年4月28日に講和発効。講和発効の1週間前、4月20日の読売新聞が、「(政府は)再軍備兵器生産に備えて科学技術庁を新設するよう具体案の作成を指令した」と報じた。科学技術庁設置の中心人物であった前田正男(自由党衆議院議員)は、科学技術庁の附属機関の一つとして「中央科学技術特別研究所」設置を提案。その目的は「原子力兵器を含む科学兵器の研究、原子動力の研究、航空機の研究」であったと言われている。[1956年1月1日:原子力委員会発足(初代委員長 正力松太郎)、同年3月13日:科学技術庁開庁(初代長官 正力松太郎)]

1953年夏、中曽根康弘(改進党 衆議院議員)は、米国諜報機関のお膳立てて渡米し、ハーバード大学でヘンリー・キッシンジャーのセミナーに参加。このセミナーには20数カ国から45人が参加。冷戦時代にアメリカの影響力を確固たるものとするため、若い政治家の教育と相互の人脈形成が目的。中曽根は、この時、とくに核兵器に興味を示し、日本の核兵器保有実現を強く望むようになったと言われている。かくして中曽根の「原子力平和利用」も、最初から改憲・再軍備・核武装を狙うための不可欠な手段と位置づけられていた。

1954年3月2日(ビキニ米水爆実験被災の翌日)、原子炉建造のため、2億3千5百万円の科学技術振興追加予算が、突然、保守3党の共同提案として衆議院に出され、ほとんどなんの議論もなく可決された。衆議院本会議で小山倉之助(改進党)が行った提案主旨では、次のような説明が含まれている:

「この新兵器[=核兵器]の使用にあたっては、りっぱな訓練を積まなくてはならぬ信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。……新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。」(強調:田中)

かくして、原子炉建設は、新しいエネルギー開発が目的などではなく、当初から「原子兵器を理解し、これを使用する能力を持つため」であったことを、はっきりと小山は述べていた。

1950年代のアメリカ側の核兵器持ち込み政策:

朝鮮戦争で朝鮮半島の政治状況が悪化し、北朝鮮への核攻撃が真剣に検討されていたこの時期、米国ペンタゴン統合参謀本部は、日本にも核兵器への持ち込みを強く要望していた。しかし、国務省がこれを許可しなかったが、核物質を取り外した核兵器がすでに1954年6月段階で持ち込まれていたことを示唆する最高機密書類が存在する。

「1954年6月23日、統合参謀本部は日本に(核兵器の)非核兵器部分を配備する権限を与えられた。この段階では、核物質の配備は許可されなかった。」

「戦争という緊急事態においては、米国支配下にある日本近辺地域に貯蔵されている核物質を即座に日本に配備することを、日本の軍司令部に貴下が勧告する権限が貴下には与えられている。」

国防長官から統合参謀本部宛に送られた最高機密覚え書き 1955年3月3日

「原子力平和利用博覧会」も、最終的には、日本への核兵器持ち込みを可能にさせるための準備手段であったことが下記の資料からも明らかとなる。

「日本の市民指導者たちを、通常兵器による国防という点で教育を行うことが一旦完了すれば、原子兵器を受け入れられるような状態に彼らはなるであろうし、たぶん、最終的には彼ら自身が日本での原子兵器が利用可能になることを望むようになるであろう。………… 短期的には、原子力平和利用に集中したほうが最も効果的であろうし、米日関係の信頼性をもっと高める上で、すでに我々は、その目的を半ば達成した段階にある。」

国務長官特別補佐官ジェラルド・スミスより国防副長官ゴードン・グレイ宛の極秘手紙

1956年12月3日

日本の核兵器生産研究への具体的な動きと「核兵器持ち込み」の裏取引:

1967年〜70年にかけ、佐藤栄作首相の指示で、日本の核武装についての研究・検討が、内閣、外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などによって、半公式、私的形態で精力的に推進。核保有問題を、岸政権以来の法律論、抽象的議論から、製造プロセスへという具体的な政策レベルへと押し進めた。

しかし、日本の核兵器保有を許さず、日本(とくに沖縄基地)をアジアにおけるアメリカ軍事覇権維持のために利用するというアメリカの政策=安保条約のために、佐藤政権は、「核武装カード」をちらつかせながらも、当面は核兵器を保有しないと譲歩。それを「非核三原則」で保証してみせ、それと引き換えに沖縄の「核抜き返還」を承諾させ、さらには核保有断念との引き換えに、日本に対する米国の核の傘を保証させるという取引を成立させようとした。ところが、現実はそう甘くはなく、アメリカ側の「核抜き返還」は全く形式的なもので、実質的には、「核兵器の持ち込み」という裏取引を日本政府は要求され、「非核三原則」は最初から尻抜け状態。

その後も日本政府は、核兵器保有を許さない米国支配の「安保体制」の中で、「核武装カード」を維持し続け、高純度プルトニウムを製造するためのプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を科学技術庁傘下に設置。再処理工場と高速増殖炉の技術開発を目指しながら、核兵器運搬手段となるロケットの技術開発を国家戦略の下に統合するため、宇宙開発事業団を同じく科学技術庁傘下に設置。

「プルトニウム開発」が核兵器製造目的のものではなく、あくまで「エネルギー政策の一環」であることを、自国民のみならず、海外に向けても宣伝するため、「核燃料サイクル」計画を打ち出し推進してきた。「平和利用」の裏にはこの真実が隠されていたことに、我々は今こそ気づくべきである。

I) 結論 − 反核・反原発を統合的に推進するために

かくして、日本の反核運動の主流ならびにその重要な一部を担ってきた被爆者たちのみならず、国民のほとんどが、「原子力平和利用」についてはほとんど本質的な検討をしないまま、核兵器保有・使用・持ち込みにだけは反対という態度をとってきた。しかし、核兵器保有・使用に関してもまた、我々は、これが基本的には単にアメリカをはじめとする核兵器保有国の問題であるとしかとらえず、いつもこの問題を「原爆被害者」の立場のみから見るにとどめ、日本政府自体が核兵器製造・所有を核エネルギー導入の最初から企て、その製造能力維持を長くはかってきたことを、いわば「加害者となる可能性」という観点から直視しようとはしてこなかった。

このような歴史的背景から、一方では、反原発運動では、スリーマイル・アイランドやチェルノブイリのような大事故が起きた時にのみ、反核運動にはかかわっていないが、身の危険を感じた一般の主婦、母親、環境保護運動家たちが立ち上がるという現象を見せてきた。反核運動組織や被爆者からの支援をほとんど受けないそのような市民運動は、電力会社、原子力産業と政府が打ち出す「安全神話」の反撃によって弱体化され、おおきなうねりを全国的規模で持続させるということができなかったのである。

また他方、反核兵器運動においては、基本的に核兵器は自国の問題ではありえないという態度のもとで、他国にのみ核軍縮・廃絶や核実験停止を求めるだけで、自国の核兵器製造能力である「核再処理施設」に対する問題に対して強い関心を示し、それを自分たちの反核兵器運動の中に深く取り込んでこなかった。

現在、福島第1原発事故による大惨事という経験を強いられている我々市民、とりわけこれまで反核運動に取り組んできた組織に身をおいてきた者たちは、このような歴史的背景を持つ自己の弱点を徹底的、批判的に検討する必要がある。

原爆が無数の市民を無差別に殺戮したのと同じように、核実験ならびに核兵器関連施設や原発での事故も、放射能汚染の結果、予想もつかないほどの多くの人たちをして、無差別に病気を誘発させ死亡させることになる恐れがある。

核兵器使用は明らかに「人道に対する罪」である。「人道に対する罪」とは、「一般住民に対しておこなわれる殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害」などの行為をさすものであり、核攻撃は、そのうちの「一般住民に対しておこなわれる殺人、殲滅」に当たる。核実験ならびに核兵器関連施設や原発での事故は、核兵器攻撃と同じく、放射能による「無差別大量殺傷行為」となりうるものであり、したがって「非意図的に犯された人道に対する罪」と称すべき性質のもの。「人道に対する罪」が、戦争や武力紛争の際にのみ行われる犯罪行為であるという既存の認識は、ウラルの核惨事、チェルノブイリや福島での原発事故が人間を含むあらゆる生物と自然環境に及ぼす破滅的影響を考えるなら、徹底的に改められなければならない。

この最も根本的な点にもう一度立ち返り、我々は、反核兵器と反原発の統合的な反核運動のあり方について深く再考し、今後の運動のあり方について広く議論する必要がある。

参考文献:

有馬哲夫著『原発・正力・CIA』(新潮新書 2008年)

武藤一羊著『潜在的核保有国と戦後国家 フクシマ地点からの総括』(社会評論社 2011年)

槌田敦、藤田裕幸ほか著『隠して核武装する日本』(影書房 2007年)

田中利幸、ピーター・カズニック著『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット 2011年)

田中利幸著「<原子力平和利用>の裏にある真実」『科学』(岩波書店)2011年12月号

米国公文書館所蔵関連資料


このサイトの田中利幸氏による寄稿・関連投稿はこちらのリンクをどうぞ。

関連投稿:

櫻井春彦
日本の原子力村はアメリカが全面核戦争の準備を進める過程で作り上げられた
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/10/blog-post_02.html

ピーター・カズニック
原発導入の背景に「広島長崎の意図的な忘却と米国の核軍拡」
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/05/peter-kuznick-japans-nuclear-history-in.html


Friday, April 06, 2012

原発が「安い」?それはあなたの税金で補助しているからです。NYT紙: 原子力発電の「育成」 和訳 The Nurture of Nuclear Power

日本の脱原発の道へ示唆することが多いと思われる、2012年3月26日『ニューヨーク・タイムズ』紙、3月23日のmsnbc.comからの記事の和訳を紹介する。

NYT記事でフォルバーが指摘している「原子力産業の育成」構造は日本にも当てはまる。国家が多額の補助金を出して原子力産業を「育成」し、いったん事故が起きても国家が救済し、被害者への賠償は電気料金値上げで賄おうとする。一人一人の市民は、一瞬でも立ち止まって考えれば「国家」の名の下に、「料金」の名の下にすべて結局自分たちが搾取されていることに気づくだろう。私たち一人一人、自らの貴重な資産を盗み健康を害す犯罪者に小遣いをやって支えてきたようなものだ。これ以上こんな腐った産業を支え続けるのか、一人一人が自らを問う必要がある。

核の力、原子力を作り出したアメリカでも、市民による原子力発電所への反対運動が続けられている。原子力を推進する組織の力は当然ながらアメリカでも強く、老朽化した原発の運転延長を司法も止めることができないでいる。しかし、州知事は稼働停止を求めて法廷で争っており、アメリカとて一枚岩なわけではない。市民の側も逮捕を厭わず抗議行動に臨んでいることが、以下の記事に紹介されている。そして、アメリカにはこのような反対運動を報道するメディアが健在である。

翻訳 酒井泰幸

The Nurture of Nuclear Power
原子力発電の「育成」
ナンシー・フォルバーNancy Folbre):マサチューセッツ大学アマースト校、経済学教授

規制当局と議会は、ニューヨーク・シティの北、ブキャナンにあるインディアン・ポイント2号機のような、アメリカの老朽化しつつある原発を依然として支持している。
写真:Librado Romero/The New York Times


自由市場経済? 州の自治権? 世論? 原子力産業はこれらの概念を、原子炉格納容器に向かって投げ付けられた小石のように跳ね返す。

太陽電池メーカーのソリンドラ社が昨年秋に倒産し、オバマ政権が約5億6千3百万ドルの債務保証を行ったときの大論争を覚えているだろうか。その一方で、巨大電力会社サザン・カンパニーがジョージア州で原子炉を建設するために、エネルギー省が83億ドルに上ると見られる債務保証をしたことに対して、オバマ大統領も議会の共和党員も反対の声を上げなかった。

この比較への回答を求められて、フロリダ州の共和党員で、エネルギーと商業の監視・調査に関する小委員会の委員長であるクリフ・スターンズ下院議員は、原子力発電所建設のための債務保証は「好成績な記録を打ち立てている、確立された産業」のためのものだったと説明した。

原子力産業は確かに記録を打ち立ててきた。しかしそれは恐ろしい事故についてのものである。いちばん最近では、日本の福島第一原発事故で、9万人の住民が避難させられ帰宅の目処も立たず、また首相の退陣にもつながった。福島事故はドイツ政府を動かし、2022年までに全ての原子力発電を撤廃する動きが始まった。

しかし原子力産業は、事故賠償に対する公的保証から債務保証にいたるまで、アメリカで公的支援を獲得することに関して非常に長けていることが証明されてきた。ウォール・ストリート・ジャーナルの昨年の記事では、開発初期段階での電力1キロワット時あたりの補助金は、太陽光や風力エネルギー技術に与えられるものを大きく上回ることが報じられた。

憂慮する科学者の会(Union of Concerned Scientists)が発表した詳細な報告書によれば、核燃料サイクルに対する補助金は多くの場合、発電した電力の価値を上回っている。公開市場で電力を購入して無料で配った方が安く上ったはずである。

安全性に対する関心が高まったので、最近ではコスト見積もりがさらに高くなり、ほとんどの民間投資家は逃げ出している。原子力産業についての著作が多い投資アナリストのトラヴィス・ホイム(Travis Hoium)は、ウエブサイト「The Motley Fool」で、原子力を衰退産業と呼んでいる。ある記事で彼は、建設資金を前もって料金に上乗せすることを電力会社に許すことで、リスクを投資家から料金負担者に移し替えようとする最近の動きを、「ウォーレン・バフェットがあなたから補助金を求めている」と明解に説明している。

原子力発電に対する投資家の関心が低下したのは、一部ではシェール・ガスの採掘ブームの結果である。しかし、炭素排出を増加させないエネルギー源も大きな役割を担っている。風力や、水力、その他の再生可能エネルギーは、2010年から2035年の間に、アメリカでの新規発電能力の約30パーセントを担うと予測されている。

その一方で、私が住むマサチューセッツ州の西部に近いバーモント・ヤンキー原発のように、福島で爆発したのと類似設計のものを含む、23ヶ所の原子力発電所が、アメリカで稼働を続けている。ニューヨーク・シティからわずか24マイル(約38キロ)北に位置するインディアン・ポイント2号機のように、バーモント・ヤンキー原発は設計寿命の終わりを迎えているが、原子力規制委員会は地元の反対にもかかわらず認可の延長を支持した。

バーモント州知事と州議会は廃炉を要請した。しかし連邦地方裁判所は、バーモント州の動きは安全性への懸念によって「不適切に動機づけられている」と裁定し、安全性は連邦原子力規制委員会の管轄であるとした。バーモント州が上級審に上告している間も、バーモント・ヤンキー原発は稼働を続けている。

3月22日、この原発に反対して千人以上がデモ行進に参加し、信念の固い93歳の活動家フランシス・クロウ(Frances Crowe)を含むおよそ130人が市民的不服従に関与したとして逮捕された。

米非営利調査機関ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)の最近の調査によれば、アメリカ人の44パーセントが原子力の推進を支持する一方、69パーセントが風力、太陽光、水素エネルギー技術の研究に対する連邦予算の増額を支持した。

ならば、なぜ私たちは、他のより安全でコストの安い発電方法に比べて、遙かに寛大な資金を注ぎ込んで原子力を「育成」し続けるのだろうか。


関連記事

'Hell no, we won't glow': Dozens of anti-nuclear activists arrested at Vermont Yankee protest

何十人もの反核活動家たちがバーモント・ヤンキー原発での抗議行動で逮捕される


93歳の反核活動家であるフランシス・クロウ(写真中央)と、友人のアニク・コーベットは 、不法侵入で逮捕され、バーモント州ブラトルボロにあるエンタジー社の敷地から連行される。

写真:ジム・コール / AP通信

バーモント州ブラトルボロ —— 93歳の反核活動家は、バーモント・ヤンキー原発の40年の認可が切れた後、最初の稼働日となった3月22日に、会社事務所前で逮捕された130人以上の抗議行動参加者の一人であった。

マサチューセッツ州ノーザンプトンから来たフランシス・クロウは、バーモント・ヤンキー原発は近隣住民の脅威だと感じているので、稼働停止して欲しいと訴えた。

「私は行進しているとき、福島と人々すべての苦しみのことしか考えられなかった。それがここニューイングランドで起きて欲しくないの。」クロウは昨年の地震と津波で破壊された日本の原発のことを引き合いに出してこう語った。

これまで逮捕されたのは何回になるかと彼女に聞いたら、「まだまだ、十分じゃないわ」と答えた。

ブラトルボロの本社事務所への立ち入りは警察の厳重な警備とロープで封鎖されていた。逮捕は衝突もなく粛々と行われた。抗議参加者と警官隊はこの日の行動を前もって打ち合わせてあったことは明らかだった。

不法侵入
ブラトルボロ警察署長のジーン・リンは130人以上を不法侵入で逮捕したとの声明を発表し、逮捕者たちは手続きの後釈放されたと語った。

地元紙のブラトルボロ・リフォーマーは、3月22日の抗議行動はバーモント州の過去25年間で最大規模のものだったと報じた。

電力会社のスポークスマンは、バーノン・タウンから10マイル(16キロメートル)南にある発電所では、通常通り作業が継続されたと語った。

「我が社は、支持者の皆様からの応援に感謝すると共に、反対者の皆様が平和的に抗議する権利を尊重いたします」と会社スポークスマンのラリー・スミスはその日発表した声明で語った。「門の中にいる我が社の従業員たちは、このことで心を乱されるようなことはありません。彼らは毎日、レーザー光線のように鋭敏に、安全への注意を払っています。」

「稼働を止めろ」
千人以上と推定される群衆が、本社までの3マイル半(5.6キロメートル)を行進する前に、ブラトルボロ中心街にある公園に集まった。竹馬に乗って行進した人たちもいた。顔をペインティングして「地獄は要らない、私たちは“燃え”ない」(訳注:Coleman Hell Glowという曲をもじっている)と書かれたプラカードを掲げた人たちもいた。大勢が「稼働を止めろ」と気勢を上げた。

ピーター・シャムリン知事は抗議参加者に共感していた。

「老朽化した原発が、合意による認可年限が切れた後も稼働を続けることに対する、彼らの、そして私のいら立ちを表明するために、今日ブラトルボロに集まった平和的な抗議参加者たちを、心より支持します」と知事は語った。
バーモント・ヤンキー原発の所有者であるエンタジー社の地区事務所に向かって何百人もの反核活動家たちが行進する。3月22日、バーモント州ブラトルボロにて。
写真:ジム・コール / AP通信

バーモント・ヤンキー原発の親会社であるエンタジー・ニュークリアーの所在地であるニュー・オーリンズでの同時行動で、7人の活動家グループが建物に入り、退去を拒否したため逮捕されたと警察が発表した。ジャーナル・ニューズ紙は、ニューヨーク州ホワイト・プレインズにあるエンタジー社の事務所でも5人が逮捕されたと報じた。

ロヨーラ大学の法律学教授であるビル・クイグリー氏は、ニュー・オーリンズで抗議行動を起こしたグループはバーモント州の原発近くに住んでおり、エンタジー社長のJ・ウエイン・レナードとの面会を求めてルイジアナ州まで旅して来たと語った。逮捕の前に社長との面会がかなうことはなかった。
「全世界が注目しており、国土の一地域を汚染すれば、その影響は全国民に及ぶということを、我々はエンタジー社に伝えようとしているのです」とクイグリー教授は語った。

連邦原子力規制委員会は、バーモント・ヤンキー原発の稼働を20年延長することを認可したが、バーモント州はこの原発の閉鎖を求めており、両者は法廷で争っている。連邦地方裁判所は1月に、裁判が続く間も原発の運転を継続することを許可する命令を出した。

手錠
 抗議行動参加者たちがブラトルボロ・コモンズ広場に集まった時、バーモント・ヤンキー原発の支持者たちは通りを挟んで座り、ことの成り行きに注目していた。芝生の上には 「VT4VY」(バーモント州はバーモント・ヤンキーに賛成)と書かれたサインが6つ並べられた。

「この人たちは手遅れになるまで気付こうとはしないのです。一体どんなメリットがここにあるというのでしょう。彼らを見ていると残念に思います。彼らは広い視野で物事を見ていないのだと思います」と、ブラトルボロのスティーブ・シャクルーミスは語った。

クロウを含む何人かの抗議参加者たちは法廷への召喚状を受け取って即時釈放された。他の逮捕者は手錠を掛けられて待機していたスクールバスに乗せられた。彼らは警察署に連行され、そこで釈放されるだろうと見られた。

ニューヨーク・タイムズによれば、1基の原子炉を廃炉にするコストは4億ドルから10億ドルになる。

ニューヨーク・タイムズは3月22日に、エンタジー社は「5億6千万ドルと推定されるバーモント・ヤンキー原発の解体コストのうち、少なくとも9千万ドルが不足している」と報じた。

Wednesday, April 04, 2012

ストロンチウム推定1兆6千8百万ベクレルが海に流出

公的には「冷温停止状態」で事故が「収束」したことになっている福島第一原発からは相変わらず背筋が寒くなるような報せが連日入る。

疲れている頭に算数をさせないでほしいが、比較的良心的な東京新聞でさえ汚染水のこととなると放射性物質の量は単位はリットルではなく「立方センチメートル」になってしまう。

それでもまだストロンチウムの推定量を記しているだけいい方だ。

「三月の汚染水のストロンチウムなどの濃度は一立方センチ当たり一四万ベクレルで、今回も同程度とみられる。」ということは1リットルあたり1億4千万ベクレル程度のストロンチウムが12トン流れたということ。総量にすると1兆6千8百万ベクレルのストロンチウムとなる!

この数字がどういう意味を持つのか、太平洋の生態系、海産物にどのような影響をもたらすのか。発表、報道される汚染水情報など氷山の一角ではないかと思うと、ただただ、海洋汚染について絶望的な気持ちになるばかりだ。@PeacePhilosophy

以下、記録のために、東京新聞の報道。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012040590135654.html

汚染水12トン海へ流出か 福島第一原発 ストロンチウム含む

2012年4月5日 13時58分
写真
東京電力は五日、福島第一原発の汚染水処理システムの配管から高濃度のストロンチウムなどを含む汚染水十二トンが流出したと発表した。配管のホースがつなぎ目から抜けたのが原因。汚染水は排水溝を通って、ほとんどが海に流れ出た可能性がある。
東電によると、汚染水が漏れたのは、放射性セシウムの大半を除去した後、淡水化装置で濃縮された塩水。ストロンチウムは取り除かれていない。
周辺では昨年十二月に〇・一五トン、今年三月に〇・〇八トンの汚染水が漏れて海に流出。三月の汚染水のストロンチウムなどの濃度は一立方センチ当たり一四万ベクレルで、今回も同程度とみられる。周辺の海水の調査では、放射性セシウムは検出されず、ストロンチウムはまだ測定結果が出ていない。
装置は五日午前零時十分ごろからの一時間で四回、水量増加の異常を感知して自動停止した。ところが、最初の三回はそのたびに作業員が遠隔操作で再起動。午前一時十分、四回目の自動停止で初めて水漏れの可能性に気がつき、現場を確認したという。汚染水の流出は、午前二時二十分まで続いた。
ホースのつなぎ目が劣化したか、つなぎ方が緩かったとみられる。東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「自動停止の時に、現場の確認をするべきだった」と話した。
(東京新聞)

Sunday, April 01, 2012

世界を破滅に導くミサイルの発射実験をしているのは誰か:『クリスチャン・サイエンス・モニター』誌クリーガー&エルズバーグ論説 Krieger and Ellsberg call for eradication of land-based "doomsday" missiles: Japanese translation

Here is a Japanese translation of an article in The Christian Science Monitor by David Krieger and Daniel Ellsberg, which appeared on March 27, 2012. Translated by Izumi Tanaka.

米国『クリスチャン・サイエンス・モニター』誌 The Christian Science Monitor に3月27日掲載された、米国の反核運動を代表する二人の声-デイビッド・クリーガーとダニエル・エルズバーグによる論説の日本語訳を紹介する。日本では311以来原発への危機感が全国で高まっているが、この記事は、人類が核兵器による滅亡の危機といまだに隣り合わせに生きていること再認識し、発電用だろうが殺人用だろうが、核は人類が自らと地球環境にもたらした脅威であり、その廃絶のために発言し行動することは市民としての責任であるということを思い出させてくれる。ベトナム戦争時身の危険を冒して米国の機密文書を公開したエルズバーグ氏は80歳を超えた今も「オキュパイ運動」等市民運動に直接参加して逮捕され続けている。見習いたいと思う。@PeacePhilosophy

For nuclear security beyond Seoul, eradicate land-based 'doomsday' missiles
http://www.csmonitor.com/Commentary/Opinion/2012/0327/For-nuclear-security-beyond-Seoul-eradicate-land-based-doomsday-missiles

核の安全保障のためにはまず「ドゥームズデイ(世界終末)」ミサイルを廃棄せよ


アメリカが保有する、発射体制が整っている地上配備型核弾道ミサイルは450もあり、「核攻撃の抑止」とは正反対の位置にある。それどころか、警報が誤作動した場合、それらの配備自体が第三次世界大戦を起こし人類滅亡につながる可能性をもつ。これは何も大袈裟に言っているのではない。

デイヴィッド・クリーガー、ダニエル・エルズバーグ

翻訳 田中泉

サンタ・バーバラ、ケンジントン(カリフォルニア)発

David Krieger
オバマ大統領ら世界の指導者たちは今週、安全が確保されていない核物質のもたらす脅威について話し合うため、韓国・ソウルで開かれた核安全保障サミットに集っていた。オバマ氏がもし本当に核の安全保障について懸念しているのなら、一瞬の通告を受けただけでロシアに発射できるよう配備されている450発の大陸間弾頭ミサイルの廃棄処分を真剣に検討すべきだろう。

先月、カリフォルニア州サンタ・バーバラの約70マイル北にあるヴァンデンバーグ空軍基地で夜中に逮捕された15人の抗議者の中に、私たちもいた。私たちは目前に迫っていた大陸間弾道ミサイル、ミニットマンⅢのテスト発射に抗議していたのだ。

これらの実験を行う際に空軍が持ち出す言い訳は、米国の核抑止力の信頼性を確保するためというものである。しかし核兵器を搭載し、発射準備も整った状態で地上配備された大陸間弾頭ミサイルは攻撃への抑止力とは対照的な存在だ。それどころかこれらが配備されていることによって第3次世界大戦が開始されてしまい、人類の滅亡が早まる恐れがある-それも警報の誤作動によってだ。

大袈裟に言っているのではない。理由はこうだ。これらの核ミサイルは先制攻撃兵器であり、そのほとんどは[敵の]核攻撃に耐えられるものではない。ロシアによる核攻撃の警報が出た場合、格納庫内のミニットマンⅢミサイルが敵の弾頭によって破壊される前にこれらのミサイル450発をすべて発射してしまう動機になり得る。

もしそれが誤報だと判っても(これまでにいくつもの誤報が出されている)、エラーを感知する前に米国のミサイルが発射されていれば、第三次世界大戦が始まってしまう。ロシアでも同様に、攻撃を検知したとの警告に基づいて、自分たちの地上配備ミサイルを発射する動機になってしまう。

米国とロシアの地上配備型ミサイルはどちらとも常に厳戒態勢にあり、数分間で発射できるよう準備が整っている。これらのミサイルの飛行時間は30分である。そのため米国とロシアどちらの大統領とも、差し迫った攻撃があると伝える情報を(一次的な脅威評価会議の後で)軍部指導者から提示された際には、わずか約12分でミサイル発射についての決定を行わなければならないだろう。
Daniel Ellsberg

つまり、世界規模の核戦争を開始するかどうかを大統領が決断する時間は、わずか12分かそれ以下、ということである。このシナリオ通りになる可能性は低いかもしれないが、可能であることは間違いない。各国の大統領たちは、繰り返しそのリハーサルをやってきたわけだし、起こりうる結末の重大性を考えるとその可能性を排除してしまうことはできない。

ロシアは、1995125日に出された警告に基づき、すんでのところでミサイルを発射するところだった。エリツィン大統領は真夜中に起こされ、米国のミサイルがモスクワに向かっていると告げられた。幸運なことにエリツィンは慎重に対応し、対抗してロシアの核弾頭ミサイルを発射するかどうかの決断に、予定を超過した時間をかけた。

その延長時間の間に、ミサイルはモスクワに向かう米国のミサイルではなく、ノルウェーの気象衛星だったことが明らかになった。大惨事は危機一髪で回避された。

これからがこの話の本当に説得力がある部分だ。もし熱核弾頭を搭載した米国の地上配備型ミニットマンⅢミサイル450発すべてがロシアに向けて発射されるようなことがあれば-現在の計画ではその標的の多くが都市の中、または都市の近くだが-その結果、おおかたの人類と共に、米国人のほとんどが死亡するだろう。米国、および世界中にこれらの死をもたらすことに対して、私たち自身の兵器が貢献するのだ。ロシアが核弾頭を発射してきた場合と同じぐらいか、それ以上に。

なぜなら、米国による核先制攻撃がたった一度でも「成功」するだけでも巨大な核の爆風を引き起こすのである。その煙は、世界の気候に破滅的な混乱を招く。そして地球を保護しているオゾン層を大規模に破壊し、世界的な飢饉へと導くだろう。

アラン・ロボック(ルトガーズ大学)、ブライアン・トゥーン(コロラド・ボールダー大学)、リチャード・トゥルコ(UCLA)とその同僚ら大気の研究者たちが行った最近の査読済の研究によると、そのような攻撃によって巨大な爆風が引き起こされ、地球の成層圏は瞬く間に濃密な煙の層で包まれることになる。

その黒い煙は太陽によって温められ、熱気球のように舞い上がる。そして少なくとも10年間は成層圏に滞留するのだ。それにより、地球の表面に到達しようとする太陽光が広い割合で妨害・阻止されることになる。暖かい太陽の光が激減すれば、世界中でただちに氷河時代のような気候条件が生まれるだろう。これによって10年間は、作物の栽培期間がなくなるか、または大幅に短くなるので、人類のほとんどか全員に飢餓がもたらされる可能性が高い。

その他の影響と共に-長期間に渡るオゾン層の破壊も含まれる-地球上のきわめて複雑な生命の営みが破壊されうるのだ。約6500万年前に彗星が地球に衝突し、世界中に塵の雲がたちのぼって太陽光が減少した。 気温は下がり、植物が枯れた。それと似たプロセスになるのではないか、と科学者らは言う。それは恐竜、および地球の生物種の70%の絶滅を招いた。

私たちの場合、絶滅の原因は外部から来た天体にまつわる事象ではないだろう。むしろ、私たちが自らの知恵をもって自らの安全のためと称して作り出した核兵器の発射によるのだろう。

ゆえにヴァンデンバーグ空軍基地からのミニットマンⅢミサイルの実験とはまさに、米国の核のドゥームズデイ(世界終末)装置の実験なのである。

核兵器は、米国もしくは世界をより安全にするものではない。特に、ミニットマンⅢミサイル-地上に配備され、脆弱で、厳戒態勢におかれ、警報の誤作動を受けて発射されてしまいやすい-は私たちから安全を奪っている。人類に未来があるかどうかを気にかけるなら、誰もがこれらの実験に抗議すべきである。そして、核兵器の完全な撲滅への最初の一歩として、核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルすべての撲滅を呼びかけるべきだ。

もしも今米国が、核兵器を搭載した地上配備型ミサイルを処分したとしても、核攻撃への報復用に持つ強力な潜水艦発射型大陸間弾道ミサイル288発(およそ1152発の核弾頭を搭載)がまだ残っている。だが、緊張が高まった時や誤った攻撃警報が出た時に、ロシア側が先制攻撃を仕掛けたくなるような対象はもはやなくなる。

それでも米国(そしてロシア)の核弾頭のすべてを、人類の滅亡を引き起こす可能性がないレベルまで削減することはぜひとも必要だろう。

インドとパキスタンが持っている、より小規模な現行の核兵器でさえも世界的な大惨事を招く恐れがある。ロボック教授とその同僚たちの推定では、インドとパキスタンの間の核の応酬でそれぞれが広島級の爆弾50発を使った場合(どちらも現在それ以上の数を保有しているが)成層圏へ上がっていく煙は世界中で太陽光を減少させ、オゾン層を破壊する。それにより不作と世界的飢餓が導かれる。

それに比較して、米国とロシアが保有していて、いつでも発射できるようになっている熱核兵器の爆発力は、インドとパキスタンが保有する原爆100発分のおよそ500倍である。今こそ世界の人々と国々は、人類を滅亡しかねないものに対して立ち上がり、政治的指導者たちが核兵器ゼロへの道を歩むように要求すべきだ。それは核不拡散条約、および国際司法裁判所の規約で義務付けられている道筋だ。それまでは、私たち市民が反対運動と抵抗を続けなければいけない。

私たちは2つの主なゴールに向かうべきである。1つ目は、既存の核兵器保有国が、警告を受けての発射および核の先制攻撃を、いかなる状況下でも放棄すると誓うことである。2つ目は、段階的で、検証が可能で、撤回が不可能で、透明性のある核兵器撲滅のための新条約締結に向け、誠実な議論が行われることだ。

私たちは非暴力の市民的抵抗を続け、逮捕され、連邦裁判所に出廷し、一般の人々に私たちの行動を説明することによって米国の人々の目を覚まし、共通の未来に向けて最大の重要性をもつこの問題にひきこむことができればと願っている。


デイビッド・クリーガーは核時代平和財団 (Nuclear Age Peace Foundation) の会長。ダニエル・エルズバーグは同財団の特別上級研究員、元国防総省の戦略アナリストであり、米政府のベトナム戦争の極秘文書『ペンタゴン・ペーパー』を暴露したことで知られる。この記事は著者たちの個人的な見解である。著者たちは記事執筆にあたり、スティーブン・スター、アラン・ロボックの助言を得たことに感謝している。

参考報道 2012年3月28日毎日新聞

核安全保障サミット:閉幕 兵器転用への対応急務 減らぬ核物質、12万発製造可能
http://mainichi.jp/select/world/news/20120328ddm007030093000c.html
【ソウル会川晴之】核安全保障(セキュリティー)サミットで議長を務めた韓国の李明博(イミョンバク)大統領は27日夕の総括会見で、「高濃縮ウラン(HEU)やプルトニウムの使用を削減することが核テロ予防には重要」と強調した。しかし、原子力発電所の世界的な普及や、核兵器開発を続ける国が後を絶たず、核兵器に転用可能な両物質の量は、減少していない。核セキュリティーだけでなく、核軍縮、核不拡散でも首脳による取り組み強化が求められている。
国際原子力機関(IAEA)や、核科学者で構成する「核分裂生成物質に関する国際パネル(IPFM)」によると、2010年末時点で、世界中に存在するプルトニウムは約500トン、高濃縮ウランは1400トンに達する。IAEAは、プルトニウムだと8キロ、高濃縮ウランなら25キロで「核兵器製造が可能」と分析し、単純計算では12万発を超す核兵器製造に十分な量の核物質があることになる。
核兵器国のうち米英仏露の4カ国は、東西冷戦終結後の90年代以後、軍事用核物質の製造を中止している。しかし、中国は、製造中止に踏み切らず、両物質の製造を禁止する兵器用核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約の交渉開始にも難色を示し続けている。また、IPFMによると、インドとイスラエルが軍事用プルトニウム、パキスタンは軍事用高濃縮ウランの製造を続けていると見られる。イランや北朝鮮のウラン濃縮活動も国際社会の懸念材料だ。
一方、プルトニウムは、「原子力発電所で使用した核燃料を再処理して取り出す量に比べ、使用量が大幅に下回る傾向が続いている」(IAEA)ため、商業用の余剰量の増加が続いている。プルトニウムを核燃料として使う高速増殖炉の開発が進まず、代替策として、プルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を製造しているものの、価格が天然ウランの「3割増~2倍」(核専門家)のため、利用が進まないためだ。
こうした事態を打開するため、米露両国は、世界中に約200ある研究炉の核燃料や、がん治療用などの医療用アイソトープ製造に使う高濃縮ウランを、濃縮度20%以下の低濃縮ウランに置き換える取り組みを進める。この2年間でウクライナやメキシコなど8カ国で480キロの置き換えを実現した。
今回の会議でも、米国は、(1)欧州の約8割の医療用アイソトープ製造を手がけるフランス、オランダ、ベルギーの3カ国に、2015年から新たな原料を供給する(2)韓国、フランス、オランダと共同し、使い勝手の良い新たな研究炉用核燃料を提供する--と発表するなど、新たな対策を打ち出した。
「核なき世界の実現」を掲げるオバマ米大統領は26日、ソウルでの演説で、戦略核兵器だけでなく、ロシアとの間で戦術核兵器の削減交渉を進める考えを示した。「より安全な、幸せな世界を世界の子供たちに残す」(李大統領)ためには、米露を含め、国際社会が大胆な核軍縮や核不拡散対策を講じなければ、「核テロ」の原因を取り除けない状況は続く。
毎日新聞 2012年3月28日 東京朝刊