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Wednesday, January 20, 2010

My Contribution to the Book "Kato Shuichi for Me" かもがわ出版『私にとっての加藤周一』


This is my contribution to the book "Kato Shuichi for Me" (Kamogawa Publishing, 2009), which I wrote about in my January 1 post.


かもがわ出版から2009年末に出た『私にとっての加藤周一』を紹介しました。この本に掲載してもらった拙稿を転載します。

私にとっての加藤周一先生―バンクーバー九条の会での活動と平和教育活動を通じて―


私はカナダ・バンクーバーを拠点に平和のための活動―特に九条、アジア歴史和解、核廃絶に重点を置いて活動しています。加藤周一先生とは、2005年5月に、「バンクーバー九条の会」設立記念講演の講師として来ていただいたときに直接会える幸運に恵まれました。しかしそれより更に幸運だったのは、「九条の会」の活動を通じて、加藤先生の著作とその平和への提言を深く心に刻み込むことができたことです。不思議なことに、亡くなってから今に至るまでが、その前よりも、加藤先生の言葉を思い起こすことが多くなりました。いつも自分の後ろにさりげなく座っているような気がするのです。

たとえば活動で孤立感に陥ったとき、どうしていいかわからなくなったときなど、加藤先生ならどうするかと考えます。今年(2009年)7月、カナダに天皇皇后夫妻が来たとき、アジア系の団体と共に共同書簡を出そうという話が持ち上がりました。中国、韓国、フィリピン等からの移民も多いバンクーバーなので、過去に天皇の名の下で支配され、被害を受けた民族の痛みというものを引きついでいる人たちも多いのです。現在の明仁天皇が、国民の象徴であり、父親とは全く違う立場であるとはいえ、おそらくはその戦争責任を意識して、沖縄やサイパンへの慰霊の旅を続けていることを評価し、カナダへの歓迎の意を示そうという趣旨の書簡を書きました。

この時は、応援の声も多かった一方、保守的な人からは反日と言われ、平和活動の仲間からは天皇の新憲法下での立場を誤解していると言われ、一部メディアからは天皇に謝罪を求めていると誤解され、自分の中で孤立感が高まったときがありました。このときも加藤先生のことを思い出し、元気を取り戻すことができました。思い出した言葉は「少数派になることを恐れてはいけない」です。加藤先生は疲れて後ろに倒れかけたときに背中を押して戻してくれる、そういう存在でいてくれています。椅子の背もたれのような感覚なのです。

このときあるカナダ人から言われたことがあります。書簡から、さまざまな文化背景を持つカナダ市民たちが自分の出身国への愛着や帰属意識(「ナショナリズム」と呼んでもいいでしょう)を超えて平和活動に取り組む様子が垣間見られ、「カナダ的価値観に満ちた素晴らしいものだった」と。この「カナダ的価値観」というのは「多文化主義」を指すことが多いのですが、これがまた加藤先生の提唱していた新しいナショナリズムの在り方に通じるものがあると思います。先生の著書『私にとっての二〇世紀』(岩波書店、2000年発行)では、戦争の原因を作るナショナリズムはなくならないし、宗教、歴史や文化、言語の違いは確実に存在するわけだから、「民族主義、ナショナリズムをなくすることが目的ではなくて、まず第一に、それぞれのナショナリズムを平等に扱うことで、その間の対立を少なくしていくことが必要です。」と述べています。

排他的ナショナリズムは、自分の国、言語、文化、伝統等が他の民族のものより優れていると思う傾向のことを指し、その考え方から脱却し、ナショナリズムを認めながらどうやって国際的協調関係を作っていくかが二一世紀の課題であると訴えています。ちなみに、これを「カナダ的価値観」と書きましたが、カナダがこれをしっかり実現できているという意味ではありません。そもそも先住民の土地を奪って作った国家であり、現在においても、人種的偏見や宗教や信条間の対立は存在します。しかし「多文化主義」を掲げ、それを理想として教育や社会が動いていることには間違いありません。

加藤先生はバンクーバー九条の会設立の際、「バンクーバーに九条の会ができたのは偶然とは言えない。ここは西と東が出会うところだから」と語りました。先生は1960年代にブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)で教鞭を取りましたが、そのときに、今ほどとは言えなくともこの地の多文化性を体験したからではないかと想像します。そしてこの「多文化主義」は、日本にとって他人事ではなく、日本国憲法の前文に謳われている大原則であること―「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」を付け加えておきます。

加藤先生がUBC時代にもう一つ経験したことで私に大きな影響を与えていることがあります。当時はベトナム反戦運動がアメリカ西海岸からバンクーバーにも波及してきていて、「ティーチ・イン」と呼ばれる大学の中の反戦運動も盛んになってきていました。加藤先生によると、こういった運動に参加する教授たちは、いわゆる戦争の問題の「専門家」のはずである国際関係、政治学、歴史学ではなく、ほとんどが、数学や自然科学、文学系であったということです。国際関係等の「専門家」たちからはそういった運動に対し、「何も知らない専門外の人たちがただ反対しているだけ」と批判をしていたが、加藤先生は反論しました。

戦争にどのような複雑な歴史的、政治的背景があり、それを一人一人が「専門家」のように理解していなかったとしても、罪のない子どもたちを含む市民たちがたくさん殺されている、それが間違っていることがわかっているだけで十分反対の理由になると。そういった価値観に基づいて反対するときにこそ、「その目的を達成するために科学的知識を、客観的知識を利用すべきであって、科学的知識のために倫理的判断を犠牲にすべきではない。」(『私にとっての二〇世紀』)という主張は、多岐に渡る分野で「専門家」以上の専門的知識を持つ加藤先生から出る言葉であるだけに意味の大きいものと思います。社会をよくするための知識でなければ何のための知識なのかと、人の命や心を救う活動でなければ何のための平和活動なのかと、加藤先生は私に問いかけ続けています。

歴史の勉強についても加藤先生はその意義を教えてくれました。例えば南京大虐殺について学ぶのは、その虐殺を起こした原因の一つである中国の人たちへの偏見が今の日本社会にもあるのかを調べるために勉強するのだと言っていました。過去の戦争の過ちに対して戦後生まれの人間には直接の責任はないが、戦争の総動員体制を助長した大勢順応主義のような要素が現在の社会にも残っているのかどうか、そういうことを調べることに歴史を学ぶ意義があると。

加藤周一先生は、平和運動に携わる自分にとって、今も、そしてこれからもかけがえのないアドバイザーです。加藤先生のことを考えるとき、天国の方を見る必要もなく、書斎で振り向けば、本棚の「加藤周一コーナー」で会える人です。そして自分が世界に貢献することで、加藤先生の遺志を引き継ぐことができると信じます。

2009年10月19日

乗松聡子

バンクーバー九条の会 世話人
ピース・フィロソフィー・センター 代表

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