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Thursday, January 05, 2012

浦島悦子:辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」-稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」

沖縄の自然と人間を守るたたかいを生き生きとつづる数々の著作で知られるライター、浦島悦子さんの文を初めてこのサイトで紹介します。「辺野古アセス評価書」の年末の「夜討ち」搬入の不足部数を5日に提出した国側ですが、毎日新聞(琉球新報)は6日にこのように報道しています。
普天間代替基地建設に係る環境影響評価(アセスメント)評価書で、沖縄防衛局が5日に県庁へ運び込んだ8部を含む24部全てに知事や住民等意見とそれに対する事業者の見解の欠落が見つかった。県は形式審査で受理要件を満たさないとして、飛行場部分の20部は不受理とし、同日午前に受理した埋め立て部分に対しては審査を停止した。・・・続きはここ
混迷を極めてきた「評価書」提出は、沖縄大学の桜井国俊氏市民団体が訴えるように、不法で科学性に欠けるものです。「年内提出」の体裁をととのえるだけのためにコソ泥のような行為を行った国は、浦島さんの文にもあるように「こんな大人になるなって言いたい」というものですが、年末年始、家族とゆっくりする時間を犠牲にして座り込んだ皆さんのことを考えると、反対に、自分も見習わねば、子どもにこのような大人の姿を見て育って欲しい、と思います。@PeacePhilosophy

「評価書」搬入を阻止するために県庁に座りこむ市民たち。Photo: Makoto Arakaki

辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」
    稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」

12月30日
浦島悦子
 
 12月28日朝6時過ぎ、ラジオのスイッチを入れたとたんに流れたNHKニュース。「今朝4時過ぎ、ワゴン車に分乗した沖縄防衛局の職員が、沖縄県庁の通用口から守衛室に環境影響評価書の入った段ボール箱を搬入しました。・・・・」
 「まさかや、ありえん!」「県民、総引き・・・」「こんな大人にはなるな、って言いたい」――この日の民放ラジオの音楽リクエスト番組で司会者が語っていた言葉が、おおかたの県民の気持ちを代弁しています。

 米国に「辺野古移設計画が進行している」というポーズを示すためだけの「アセス評価書年内提出」に野田政権はあくまで固執し、年内最終週明けの26日に提出予定と報道されていました。
 「基地の県内移設に反対する県民会議」は26日から仕事納めの28日まで、連日の県庁における評価書提出阻止行動を呼びかけました。始業前の朝8時(集合は7時半)から午後5時15分の終業時まで、評価書が県庁に運び込まれないよう監視し、提出をさせないためです。年末の忙しい時期にもかかわらず、連日、市民団体や労働団体300人余が参加。県議団や沖縄選出の国会議員らも見事な働きぶりを見せました。
 26日、県庁の周囲では、赤い紙に「怒」の字を掲げた県民が立ち並び、各入口や庁内の担当課前に監視が立つ状況の中で、沖縄防衛局は「阻止行動のため県に直接届けることを断念し、郵送した」と発表。市民らは、この日の提出を阻止できたことを確認するとともに「郵送は姑息な手段」と抗議の声を上げました。

 私たち十区の会は、(郵送したと言われる評価書が届く予定の)27日、県庁行動に参加しました。朝7時に辺野古テント村の仲間たちと一緒に辺野古を出発、8時過ぎに県庁に着いたときには既に、郵便物や荷物の搬入口2カ所(市民団体と労働団体がそれぞれを担当)と地下駐車場入口での監視行動が始まっていました。国会議員の山内徳信さん、照屋寛徳さん、糸数慶子さんの姿も見えます。
 郵便車や荷物の運搬車が来るたびに道路からの入口で停車してもらって、荷物を確かめます。「郵送した」というのが本当かどうか、みんな疑っていました。1部が7000ページもある評価書を20部(法令で決められている)、郵便で送れるのか。防衛局がとんでもない「嘘つき」であることを、彼らのこれまでの言動から県民は知っているからです。
 午前11時過ぎに入ってきた民間運送会社の車両に、段ボール箱が積んであるのが窓越しに見えました。「評価書じゃないか」という声が上がり、みんながどっと車両の回りに集まりました。監視行動の市民団体責任者である沖縄平和市民連絡会の城間勝さんが「どこからの荷物ですか」と尋ねると、「防衛局から」と答えたので、「中身は評価書ですか」と聞くと「答えられない」とのこと。段ボール箱には宛先も発送元も何も書かれていません。
 騒ぎに恐れをなしたのか、車はすぐに引き返しましたが、15~20分後くらいに再度入ってきました。防衛局に、届けるよう命令されたのでしょう。再び、みんなが車を取り囲みました。道路からの入口に停まっていると他の車の通行を妨げるので、もう少し中に入るよう促しても「ここにいろと言われている」とエンジンを切り、「防衛局に持ち帰ってください」とみんなでお願いしても動こうとしません。20分以上押し問答が続き、県議団が県の管財課長を呼んできました。課長は業者の携帯電話を借りて沖縄防衛局に電話し、荷物が評価書であることを確認、「危険な状況なので局に戻してもらいたい」と要望しました。
 12時半頃、車は評価書を積んだまま県庁の外へ出て行き、拍手が起こりました。また戻ってくるかもしれない、あるいは別の会社の車で来るかもしれないと警戒を続けましたが、そのまま閉庁時刻まで戻ってきませんでした。ウチナーンチュ同士が敵対させられ、業者もこりごりだったと思います。
 閉庁時刻が過ぎると、市民団体、労働団体とも県民ひろば(県庁前広場)に移動し、県議団を先頭に「今日も阻止できた」「あと1日がんばろう!」と拳を上げました。県議団から、この日、自民・公明を含む県議会の与野党全会派の代表が集まって、評価書提出に対する「抗議声明」を発表したことが報告され、大きな拍手を浴びました。

 「あと1日で評価書年内提出を止められる」と思って床についた県民がまだぐっすり眠っている28日未明、防衛局は、こそ泥のように通用口からこっそり評価書を運び込んだのです。万が一に備えて通用口の近くに停めた車の中で仮眠していた沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが、物音に気付いて飛び出していったところ、段ボール箱を1つずつ抱えた20人ほどの防衛局職員と、それを指揮する真部朗局長の姿が・・・。沖縄差別発言で更迭された田中前局長に代わって異例の再任となったばかりの彼は、前任時代、高江で夜間や早朝の「奇襲」を繰り返し行った常習犯です。
 「なんてことをするんだ、やめろ!」と山城さんは叫んで止めようとしましたが多勢に無勢、16箱は守衛室に運び込まれてしまいました。急を聞いて駆けつけた人々が集まり、評価書が担当課に運ばれ「受理」されないよう、守衛室前に座り込みました。
 この日は、全国版も含め、テレビ、ラジオとも、このことがトップニュース。沖縄地元2紙は号外を出し、防衛局の悪事、醜態は瞬く間に全県、全国に知れ渡りました。県内では、「奇襲攻撃」「闇討ち」「だまし討ち」「汚い暴挙」「姑息」「卑怯」「卑劣」「恥知らず」・・・、ありとあらゆる悪罵と嘲笑の言葉が飛び交いました。それらを投げつけてられて当然の行為を「国」がやったのです! 稲嶺進名護市長は「あきれてものが言えない」と切り捨て、「私は海にも陸にも基地は造らせないと言っている。名護市にとっては評価書自体が意味はない」と断言しました。
 「評価書は受理する」とした沖縄県と知事に対し、納得できない県民らは県庁内での座り込みを続けました。仲井真知事が出てきて直接対話を行い、「評価書は事務的に処理せざるを得ないが、(公約である)県外移設を貫く」と約束し、また、担当部長が「評価書は全部届いておらず、受理できる段階にない。年明けの3日まで(守衛室に置いてある)評価書は移動させない」との意向を示したので、夜の8時過ぎ、ようやく座り込みを解きました。
 市民団体や労働団体などの県民、県議団をはじめ国会議員、市町村議員などがそれぞれの役割をきっちりと担い(県当局との連絡、知事への要請などはもちろん、搬入された評価書が移動させられないようピケを張るなど、阻止行動にも体を張ってくれ、頼もしかったです)、県の職員や知事をも動かしました。その総合力が、沖縄防衛局の目論見を見事に打ち砕き、彼らの恥知らずな醜さ、「あほさ」加減を白日の下にさらし、結果的に「辺野古移設はますます不可能になった」のです。

 ところが・・・。
 仕事納めの28日でとりあえず一件落着かと思いきや、恥も外聞もなく、なんとしても「年内提出」をあきらめきれない防衛局は、29日にも夜遅く、県庁周辺をうろうろ。隙あらば、残りの評価書を運び込もうと狙っています。県民らは24時間の監視態勢を取ることを余儀なくされ、交替で県庁座り込みを続けています。ひょっとして、このまま年越し座り込みも・・・?
 沖縄県民、名護市民に「心穏やかな正月」はいつ来るのでしょうか・・・。

(12月30日、浦島悦子)

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