Saturday, January 03, 2026

「一つの中国」を受け入れない戦後日本:石田隆至 Japan's doublespeak on one-China principle: Ishida Ryuji

 2026年が始まった。トランプ大統領は、3日、ベネズエラ本土への攻撃を開始し、マドゥロ大統領夫妻を拘束、米国へ移送したと表明した。トランプ政権は昨年から着々と進めていた対ベネズエラ侵略戦争、政権転覆計画を実行に移したのである。ベネズエラは、米国が敵視する中国、ロシア、イラン、キューバと友好関係にある。「グローバル・サウス」の一国である。米国は敵国と想定した国々だけではなく、それら敵国と良好関係を結んだ国に対し制裁を加える。この戦争は、ベネズエラが世界最大の埋蔵量を誇る石油を米国が我が物にしようという強欲だけではなく、西側の覇権維持のための、「グローバル・サウス」に対する戦争なのだ。それは、地球の反対側の日本の極右高市政権が米国と共に台湾への影響力を高めることによってっ中国に威嚇と圧力をかけている現状と通じる。米国および西側諸国は覇権を維持するために世界戦争も辞さない勢いを見せている、危険な新年の幕開けである。

このサイトにも何度か登場した上海交通大学の石田隆至副研究員が12月29日に中国の英語媒体 China Daily に発表した署名記事「Japan's doublespeak on one-China principle」を日本語化し、加筆した記事を当サイトに提供してくれました。(文中のハイパーリンクはサイト運営者によるものです)ここに紹介します。

China Daily サイト

「一つの中国」を受け入れない戦後日本

 高市発言の危険性を考えるためには、彼女の発言が何を破壊しようとしているのか、何に働きかけようとしているのかを、まず正確に認識する必要がある。

 高市首相は、仮に「台湾有事」なるものが起きた場合、それは日本の「存立危機事態」になり、集団的自衛権を発動して武力を行使する対象になりうると国会で答弁した。“大陸と台湾”を一つのカテゴリとして捉えるのではなく、“台湾と日本”を連続線上で捉えている。中国の人々から見ればもちろんのこと、中華人民共和国を唯一の合法的代表とする1971年10月の国連決議から見ても、明らかに逸脱した判断が為されたことは明白である。しかし、高市首相は発言後も、“従来の政府見解を越え出ていない”と主張し、正面から取り合おうとしていない。これを日本政府による拙い言い逃れと捉えることもできる。

 ただ、歴史を振り返れば、別の見方も成り立つ。信じがたいことだが、自民党の議員の一定数は、高市発言は従来の見解から逸脱していないと本心から考えているのだ。彼らは、中華人民共和国政府と外交関係を持つことと、台湾を「国家」として扱うことは両立しうるし、そうすべきだと考えている。今回の高市発言は、以下で確認する通り、保守強硬派の政治家が戦後一貫して有するこうした立場の延長線上にある。

 彼らの頑迷な保守主義は、侵略戦争や植民地支配と決別して国際平和を追求する戦後国際秩序より、敗戦以前の日本を正当化し、戦後もそれと共存することを優先する。だからこそ、ポツダム宣言の受諾さえ軽視し、そこに規定された台湾の中国返還さえ“存在しない”かのように扱う。今回の発言は、新しい問題が生じたわけではなく、高市首相やその支持層である右翼政治家が、普段は「慎重」という名のオブラートに包んでいる保守反動性を露わにしただけなのである。

 高市発言の核心は、「一つの中国」という立場への距離感にある。「一つの中国」を受け入れているなら、仮に大陸と台湾の間で武力が行使される事態が起きたとしても、それはどこまでも国内問題であり、せいぜい国共内戦の再開でしかない。そこに日本やアメリカが武力介入すれば、単なる侵略行為となる。そもそも、中国は平和統一を原則としており、武力行使の可能性があるのは、第三国が台湾に介入した場合だけである。台湾に米日が武力介入すればそれは端的な侵略であり、中国が応戦しても正当防衛となる。つまり、「一つの中国」を受け入れている限り、高市発言が生まれる余地はそもそも存在しないのである。

 だとすれば、高市発言は「一つの中国」を踏まえていないことになる。「一つの中国」を受け入れようとせず、曖昧にしたい政治家にとって拠り所となるのが、1972年9月の日中共同声明である。その第三項で、台湾の地位が規定されている。

 「三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」

 日本政府は、台湾が中国の領土であることを「承認する」とは言わず、「十分理解し、尊重」するとしている。これは、承認しない可能性を残した文言といえる。カイロ宣言やポツダム宣言で「盗取した」台湾の中国返還が明確に規定されているにもかかわらず、なぜこのような曖昧な表現、もっといえば、日本側にとって都合の良い解釈が可能になりうる表現に落ち着いたのだろうか。

 当時の外務省条約局で条約課長をしていた栗山尚一が、日中共同声明の条項を「解説」する文書を残している。そこでは、台湾の扱いについては、「わが国にも崩すことができない基本的立場があり、中国側の原則的立場をそのまま認めることは到底できない事情」があったとしている(時事通信社政治部編『日中復交:ドキュメント』時事通信社、1972年)。

 「基本的立場」あるいは「事情」とは何か。それは、1952年に発効されたサンフランシスコ講和条約の存在である。その第二条(b)項では、日本による台湾の放棄が規定されているが、どこに帰属するかは記されていない。したがって、日中共同声明のなかで、台湾は中国に帰属するという中国の主張を受け入れてしまうと、「国際法上なんらの権限がないにもかかわらず」、独自の認定として台湾の地位を規定することになり、「サンフランシスコ条約の効果を自ら否認することにもつながる」としている。

 周知のとおり、サンフランシスコ講和会議に至る過程では、全面講和と片面講和をめぐる攻防が続いた。同講和会議に招かれなかった中国にとって、同条約は何ら拘束力を持たない。むしろ、同講和会議は冷戦政治の産物であり、天皇制ファシズムの最大の被害国を排除した不当で不法の受け入れ難い会議だと中国は位置付けている。中国がそのように捉えていることを日本政府は当然認識していた。

 にもかかわらず、日中共同声明を結ぶにあたり、日本政府はサンフランシスコ講和条約(サ条約)をより上位にある国際法であるかのように位置付けている。サ条約が存在するがゆえに法的には台湾の帰属を中国とする主張は受け入れ難いと最大限にゴネた上で、政治的判断としては「台湾が中国の領土となることについてなんらの異議はなく、台湾独立を支援する意図も全くない」と述べるに至った。

 法的に認めがたい云々は、自身を優位に置き、譲歩を引き出すための口実でしかない。それでも、サ条約に反するように見える規定を日中共同声明に盛り込むのはさも問題であるかのように見せようと躍起だった。サ条約も日中共同声明も国家間の取り決めである以上、国際法上の地位は同等である。前者を優位とみなすのは日本の主観的判断に過ぎないが、そう見えないようにするために、ゴネることが不可欠だったのである。むしろ、日中間の戦後処理規定として、中国が関与していないサ条約を優位に置く方が無理がある。

 日中共同声明よりサ条約を優先すべき「事情」とは、国際法ではなく、あくまで政治的欲望からであったことは、共同声明締結直後の自民党両院議員総会(9月30日)での報告に表れている。

 保守強硬派の自民党政治家は相次いで、日中共同声明を受け入れがたいものと発言した。その理由は、いずれも台湾を放棄することになった帰結にある。「遺憾ながら、全面的にご賛同するには、あまりにも犠牲が大きい」「自民党議員総員をあげて歓迎しているのではないことをはっきり申し上げたい」(藤尾正行)。「共産主義国と結ぶために、自由主義国との断絶をはかることは、党の方針にもとるものではないかと心配する」(大野市郎)。「台湾問題について大平外相は実務の話をすると言っているが、国交がなくて、誰と実務の話をするのか。中華人民共和国を通してやるのか、アメリカを通してやるのか」(渡辺美智雄)。「田中首相を信頼して交渉願ったが、結果的に台湾を切ることになり、ガッカリした」(中川一郎)。

 一方の当事者である田中角栄首相でさえ、「われわれは台湾のため全精力を傾けた」と発言している。冷戦期であったことを踏まえても、戦争責任に向き合って中国と国交回復することより、台湾との関係を維持したいという本音が驚くほどあからさまに表明されている。それが、彼らの植民地主義の持続性を示していることを隠そうともしない。侵略戦争や植民地支配と決別し、中国が分断を脱して統一を果たせるようにすることが、戦争反省の実践であり、世界平和への貢献だと考えるどころか、その気運さえ感じられない。

 対外的には「一つの中国」を尊重するとしながら、帰国してすぐ台湾への執着を露わにする発言が相次ぐというダブルスタンダードが見られる。侵略国として内政干渉を慎むという自戒も感じさせない。大平正芳外相でさえ、台湾が中国の領土であるという中華人民共和国の主張を承認しないという「従来の自民党政府の態度をそのまま〔日中共同声明に〕書き込んだわけで、両国が永久に一致できない立場を表した」と報告している。「一つの中国」を受け入れるつもりなど最初からなかったことが露骨に示されている。サ条約との「法的整合性」を持ち出す一方で、「一つの中国」をめぐる国連決議やポツダム宣言などの国際的取り決めは認めるフリに終始してきたことが分かる。

 上記の政治家のなかには、90年代半ばまで活躍した渡辺美智雄などの名前も見られる。90年代はじめに議員活動を始めた高市首相は渡辺を首相に据えようとする動きの渦中にいた。中川一郎は、安倍晋三首相と親しい保守政治家・中川昭一の父である。現在のような二国間関係でも、台湾議連の自民党議員たちが台湾を訪問し、台湾を政府扱いした交流を行おうとしている一方で、北京とのパイプは希薄なままである。

 これに加え、新中国建国後の1949年から1968年まで非公式に暗躍した「白団」の存在を踏まえれば、戦後の日本政府の「意思」はより明らかになる。白団とは、蒋介石の要請で台湾に派遣された旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団で、83名が渡航して大陸反攻に加担していた。台湾を日本の影響圏の範囲内に留めておきたいという戦後一貫した政治的気運のなかで、高市発言を捉える必要があることが見えてくる。

 高市や安倍らが戦前の日本を美化し、歴史を歪曲する立場でもあることを考えれば、高市発言が再度の侵略戦争を予告していると被害国に受け止められたのは当然のことといえる。

 解決策は、既に日中共同声明の中にある。第6項で確認されている平和共存五原則を忠実に実行することが肝要である。「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則」は国連憲章の精神にも通じる普遍性をもつ。

 中国としては、「一つの中国」原則を曖昧化しようとする日本の思惑を十分に認識した上で、戦争状態の単なる終結が平和共存にまで発展すれば、日本の無反省や不誠実さは解消されると期待していたのである。台湾の帰属をめぐる曖昧な文言を許容した中国は、日本に信頼のボールを投げ掛けていたと捉えるべきだろう。

 しかし、戦後日本の指導者は、戦争被害国のこうした平和への願いをそう受け止めることはなかった。戦後も続く侵略や植民地支配への欲望をカモフラージュするために、日本の国益を強調したり、社会主義への警戒を唱えてきた。高市首相もその一人である。


石田隆至(上海交通大学人文学院副研究員)

〔本稿は、2025年12月29日にChina Dailyに掲載された署名記事「Japan's doublespeak on one-China principle」を日本語化した上で、加筆を行ったものである。本文で引用した『日中復交:ドキュメント』は、国立国会図書館ホームページで閲覧・ダウンロードが可能。〕


当サイトの石田隆至さん関連投稿

新刊 『私の戦後責任 花岡「和解」を問い直す」(石田隆至・張宏波 編)の紹介