Wednesday, August 26, 2026

石田隆至 戦後日本の「平和主義」がもたらした現在の危機 Japan never sincerely embraced pacifism 80多年了,军国主义“阴魂”从未真正在日本消散

 日本の降伏記念日に China Daily に掲載された、上海交通大学人文学院副研究員の石田隆至氏による英語記事の日本語版を許可を得て転載します。

石田隆治氏

石田氏は、「終戦」と呼び敗戦を認めず、天皇の戦争責任を問わず戦後も崇拝し続け、「軍人恩給」や「靖国参拝」で侵略戦争加害者を賛美する政策や文化を維持し、台湾に対する植民地主義を根強く持つ勢力が蔓延る、非「平和」的な現状を鋭く指摘します。また、日本から被害を受けた国々に広がる「日本はまた軍国主義国家に戻るのか」という懸念に対し「そもそも日本の”平和主義”は本当に平和的だったのか」「そもそも日本は軍国主義を脱していたのか」という問いを投げかけます。

とりわけ日本の戦争や「その後」の被害国や地域ー沖縄戦で戦場にされ、米軍支配後の日本「復帰」においても「平和憲法」が適用されたこともなく米日の軍事基地とされてきた琉球弧の島々や、沖縄や日本が二次大戦後の米国の「熱戦」の出撃場とされ被害を受けた朝鮮半島、ベトナム、そして日本や大韓民国を基地として利用してきた米国からの脅威にさらされ続けてきた中国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国から見たらどう見えるのだろうという想像力を働かせる必要があると思います。先日「広島・長崎の記憶の語りなおし」という文を発表してかなり読まれていますが、この「広島・長崎」の「平和」のナラティブこそ、この日本の仮面的「平和主義」のハリボテの役割を果たしてきていたのではないかと思わざるを得ません。@PeacePhilosophy 乗松聡子

★英語版は

Japan never sincerely embraced pacifism

★中国語版は

日本学者坦言:80多年了,军国主义“阴魂”从未真正在日本消散

https://mp.weixin.qq.com/s/h1BhPITHkWMLtl2BitADxQ


戦後日本の「平和主義」がもたらした現在の危機


日本では再び軍国主義が台頭しているのではないか――そうした懸念が、いま東アジアで拡がっている。上海に暮らす日本人の私の周りにも、「日本は大丈夫ですか?」と心配する中国の人々がいる。他方で、日本の首相や閣僚などはそれを頭から否定し、識者や平和市民の間でも大袈裟だと一笑するような見方が少なくない。どうしてこれほどの落差が存在するのだろうか。先の戦争で日本は一方的な侵略戦争を仕掛けたにもかかわらず、「聖戦」=正義の戦争だと自己認識していた。こうした歴史に照らすとき、危機感はより深まる。

 存在しない「脅威」を煽り立て軍備増強の口実にする現在の日本を、「平和国家」の変質だと捉える人々は少なくない。日本だけでなく被害国にもそうした見方がある。彼らにとっては、変質する前の日本に立ち戻ることが処方箋になると見えるだろう。ただ、東京裁判や新中国の戦犯裁判などに関する史料を調べ、戦前から戦後への日本の歩みについて考えてきた私は、別の感触をもっている。戦後の日本は本当に「平和国家」だったのだろうか。天皇制軍国主義の戦前に決別し、戦争や軍隊を放棄した平和国家へと転換したというのは、願望を反映した思い込みなのではないか。そう考えなければ説明の付かないことがあまりに多い。戦前の体制や体質が(無)意識的に温存され、日本の海外権益や民族的優越性にも執着し続けてきたのではないか。

 このように主張すると、日本の「平和主義者」からでさえ反発を受けることがある。戦後史の実相に基づいて考えてみよう。

 たとえば、日本では815日を「終戦記念日」と呼ぶ。「終戦」と表記すれば、勝ったか負けたかは曖昧になる。自ら終わらせたようなニュアンスさえ伴う。日本ではそこに違和感を覚える市民はそれほどいない。他方で、中国の現在のカレンダーでは「日本投降日」と記されている。ポツダム宣言の無条件降伏を持ち出すまでもなく、日本の敗戦日であることが明確にされている。

 「終戦」と呼んだのはいつ、誰によってか。天皇は815日にラジオ放送を通じて日本の敗戦を伝えた。そのメッセージは、「終戦の詔書」と名付けられていた。戦後の第一日目から、侵略戦争の最高責任者自身が、敗戦を受け入れるより曖昧化する戦後を選んでいた。

 「天皇のために死ぬ」戦争で国民自身も多大な苦難を強いられたが、天皇制を廃止せよという世論は大きくならないままだった。退位を求める要求さえ一部に過ぎなかった。天皇制を温存しようとする天皇の思惑は、東京裁判の開廷前にマッカーサーが介入することで難なく実現した。

 現在の日本社会における天皇(家)に対するまなざしを見ても、戦前との断絶より連続性が色濃い。メディアでも一般市民の間でも、天皇「陛下」という最上級の尊称が当然のように使われている。絶対的な上下関係を是認する姿勢は、戦後の民主国家には似つかわしくないという意識はほとんど存在しない。敗戦後の天皇は「人間宣言」をして全国の都道府県を巡回したが、原爆投下の焼け跡が拡がる広島でさえ、「天皇陛下万歳」の声が湧き上がった。現在でも毎年の正月には皇居に多くの国民が押し寄せ、天皇にむけて誇らしげに日の丸を振っている。昭和、平成、令和といった元号の使用に強いこだわりを持っているのは官公庁だが、市民の間でも抵抗感が大きいとはいえない。

 軍人恩給という明治初期に始まった年金制度はGHQの占領改革下で廃止された。しかし、1952年の主権回復後すぐに復活した。戦後80年あまり経ち、軍人の大部分が死去した今も存続している。もともと天皇制国家を支える職業軍人への特典として制度化されたため、戦争責任が重い高級軍人ほど手厚い待遇を受けてきた。A級戦犯の遺族にも給付されてきたことから分かるように、侵略戦争と決別しようとしない戦後社会の象徴だが、問題視する声は希薄である。だからこそ、現在まで70年あまりの間に総額60兆円も支給され続けてきた。他方で、海外の戦争被害者への賠償、日本国内の空襲被害者などへの補償には1円の公金も支給されていない。原爆被害者への「治療費」さえ、政府は渋々ながら拠出している。平和を生み出すための予算化には極端に後ろ向きだが、国家の戦争に尽くした者には手厚く報いる戦後だった。

 靖国神社の公式参拝に対する姿勢にも、平和国家とは対極的なものを感じさせる。小泉純一郎首相は被害国からの批判を受けて「こころの問題」だと一蹴し、保守層からは「内政干渉だ」という主張もみられた。こうした内向きの言い草は、それ以降の日本社会で広く共有され、内面化されていった。市民の間にも、靖国参拝で中国や朝鮮半島から非難を受ける日本を、「被害者」だと捉える人々が増えている。侵略戦争の指導者を裁いた戦犯裁判の結果を受諾することで、日本が国際社会に復帰した歴史は顧みようとされない。8月以外にも、靖国神社の境内が参拝する遺族や市民で賑わっていること自体が何を意味しているのかも考える必要がある。

 台湾を日本の影響圏とみなす植民地主義的な発想も根強い。敗戦によって中国に返還したにもかかわらず、台湾を中国とは別の国家であるかのようにみなす異常さは、高市早苗首相や彼女が敬愛する安倍晋三元首相だけに見られるものではない。だからこそ、昨年11月の「高市発言」後に行われた総選挙で、彼女は国民の圧倒的支持を得たのである。戦前の植民地主義的な欲望が今も連続していると考えれば、「台湾有事は日本有事」という主張がまかり通る事情も理解しやすくなる。敗戦の事実を受け入れまいとする欲望は、戦前の体制や体質を再現させてしまう。

 高市首相や安倍元首相は、憲法改正にきわめて積極的な右翼政治家でもある。憲法第9条が狙われていることは国民の誰もが知るところだ。9条で軍隊の不保持を明記しながら、朝鮮戦争をきっかけに19508月に警察予備隊を設置した。憲法に抵触しないよう警察力を補強する組織のような名称になっているが、実際には小型の陸軍であり、再軍備の始まりだった。保安隊、自衛隊と名前を変えて現在に至っており、憲法9条の空洞化は戦後わずか5年目に始まっていた。本当に「平和主義」が国民に浸透しているなら、改憲にこれほど前のめりの自民党への支持が続くだろうか。憲法解釈によって9条を骨抜きにする策動で危機感が高まった時も、デモや集会で抗議したのはごく一部の市民にすぎなかった。

 このような「平和国家」の現在地をどう捉えればよいのだろうか。戦後の「平和主義」が変質したと考えるには、戦前と戦後はあまりに連続的である。しかもその自覚が乏しく、かつ寛容に過ぎる。戦前戦中の侵略加害の実態を明らかにし、その責任を深く自覚し、二度と同じ過ちを繰り返さないと深く反省したところに生まれた平和主義であれば、まったく別様の戦後がありえたかもしれない。日本の侵略戦争の過ちを学校教育や社会教育を通じて徹底して学び、近隣諸国との平和と友好のための努力を政府レベルだけでなく民間でも重ねていた「現在」は、夢想に過ぎるだろうか。少なくとも戦前体制を美化したり、被害国を貶め、「脅威」だと煽り立てるような社会とは程遠かったのではないか。

 しかし、戦争加害の実態を知ろうともせず、当然ながらその責任に向き合い、反省を深めることもないまま、「戦争は悪だ」という一般論に基づいた「平和主義」が、憲法9条と結び付いてしまった。戦前体制との意識的な決別がなければ、「被害者」意識に大きく傾斜した「平和主義」となってしまう余地を残す。そして、実際に、戦前体制との連続性を一定程度自覚し、問題視するような平和市民でさえ、日本は「平和主義」国家だと思い込んでしまう状況が生まれた。これは、日本の「平和主義」のもっとも深刻な一面といえる。

 こうした戦後的「平和主義」が産み落としたのが、ネット右翼ではないか。戦前までの日本の「伝統」を美化し、中国や朝鮮半島など周辺国を蔑んで排外主義的な主張を行うネット右翼は、日本の「平和」を守るための憲法改正を支持する。重要なことは、こうした極端に自国中心的な主張を日常的にネットに書き込んだりはしないような一般市民も、程度の差はあれ、同じような考えを共有していることである。たとえば、戦前の日本は侵略戦争をしたかもしれないが、欧米諸国も同じようなことをしていたのではないか。中国や朝鮮半島を侵略したり植民地支配を強いたりはしたが、近代化などの恩恵をもたらした側面もあるのではないか。歴史問題などで対立する近隣諸国とは友好関係が築けないのは仕方ないのではないか。中国や朝鮮民主主義人民共和国の軍事力が大きくなっている中では、日本も戦争の準備をしなくては国を守れないのではないか。自分自身をネット右翼だとは思いもしないような人たちが、こうした考えを持つようになっているのが、現在の日本の危機である。

 81年目の敗戦の節目が、侵略を受けた周辺国の人々のまなざしを取り入れる機会になることを心から願う。 

石田隆至(上海交通大学人文学院副研究員)


(転載以上)

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